(172)鹿児島県南さつま市 14000年前の縄文草創期

 

         栫ノ原(かこいのはら)遺跡

 

栫ノ原(かこいのはら)遺跡は、鹿児島県南さつま市加世田の薩摩藩の外城として栄えた武家屋敷群に囲まれた標高30mの丘陵の頂部分にあります。

発掘の結果、後期旧石器時代から中世までの複合遺跡であることが分かったのですが、特に注目されたのは縄文時代草創期の遺構・遺物が豊富に出土したことです。
縄文草創期は、狩猟移動生活の旧石器時代から定住が始まったとされる約14000年前の時代をさし、当地は全国でも非常に価値のある遺跡となりました。

約1500坪の遺跡からは、南九州に見られる舟形に石を配置した炉,

 

集石遺構,

 

 

煙道付き炉穴(イノシシなどの薫製施設)などの遺構のほか

 

 

縄文土器の始まりの頃の隆帯文(りゅうたいもん)土器片、石鏃・石斧・磨石・石皿などが多量に出土し、軽石製品(人面石偶)も一点出土しています。

 

縄文時代草創期の隆帯文(りゅうたいもん)土器の模様の特徴は、土器の口縁部や胴に粘土で帯状の突起を回し、その上に貝などで模様をつける、簡素ながら大胆なデザインであることです。下写真の真ん中の土器や左下の土器に見ることができます。



(南さつま市郷土資料館・展示物より)

 

なお当遺跡が縄文草創期である14000年前ものであるとい決め手(鍵層)となったのが、1万3000年前に、桜島の初期の北岳の巨大噴火で噴出された軽石(Sz-S・P14・桜島-薩摩テフラ)層で、遺跡はその層の下から発掘されたからです。

 

(HP日本の活火山・産業技術総合研究所・地質調査総合センター)

 

桜島Sz-S巨大噴火で、南九州全体が軽石で埋没し、最大1m、当地(矢印)でも50㎝程度が降り積もったとされ、草創期の定住生活に移行しつつあった縄文人の生活に致命的な被害を及ぼしたと思われます。

縄文人は移住を余儀なくされ、人が住めなくなった当地の草創期の土器文化は途絶してしまいました。

そうした事象は、この鍵層を挟んだ上下の層から出土した遺構や遺物の違いから説明することができます。


<当地の縄文草創期は次第に気候が温暖化>
さらに地層に含まれる花粉やプラントオパールを分析した結果、当地の縄文草創期は次第に気候が温暖化し、コナラ科、クスノキ科、ススキ属、クマザサ属が茂っていたことがわかりました。


<南九州の縄文人は、幾多の火山噴火の脅威に翻弄されていた>
縄文草創期には南九州ですでに、植物を主食とするような定住文化がはぐくまれていたものの、14000年前の桜島のP14噴火によって壊滅し、縄文時代中期に栄えた上野原遺跡などの土器文化もまた、7300年前に起こった屋久島沖の喜界カルデラの破局噴火(K-Ah・アカホヤ噴火)の火砕流によって埋没し断絶してしまいました。

南九州の縄文人が、幾多の火山噴火の脅威にいかに翻弄されてきたかわかります。

<残念!南さつま市郷土資料館が、今時珍しい写真撮影禁止>
なお残念だったことがあります。この遺跡から出土した隆帯文土器片などが南さつま市郷土資料館に展示してあると現地案内板で知りフラッと立ち寄ったのですが、公費で発掘し広く遺跡の価値を広めるべく展示してあるはずの公共の遺産が、今時写真撮影禁止!。「事前に写真撮影の許可を本庁に取ってくだい」といわれても、まれに遺跡近くに該当する資料館を見つけて入ることの方が多く、それが休日だったりすると本庁はお休みで許可の取りようがないわけで・・。
せっかくの貴重な遺物です。ぜひオープンにして全国に広めましょうよ!

参照資料;現地掲示板・鹿児島県上野原縄文の森HP(栫ノ原遺跡PDF132)・Wikipedia・HP日本の活火山(産業技術総合研究所・地質調査総合センター)・南さつま市郷土資料館展示物