(174)福岡県朝倉郡筑前町 希少な前方後方墳 

 

 

    焼ノ峠(やきのとうげ)古墳

焼ノ峠(やきのとうげ)古墳は国指定の史跡で、九州最大の前方後方墳。
城山(じょんやま)の北、標高56mの丘陵上にあります。

山道を車で登っていくと、孤立した丘陵の高台に突然その神々しいほどの墳形が現れます。

古墳は、復元して美しく、駐車場や木道を完備、見晴らしも良く、是非訪問することをお勧めします。


遠くからはとても巨大に見えますが、全長は40.5ⅿ。

 

 

前方部は地山を削り長さ17m、幅12m、高さ2mに、

 

後方部は地山を削り出した1段目の上に土盛りして2段築成に、一辺23.5m、高さ4.5mです。


周溝が一部確認されておりその幅は約2mです。

周溝からは、二重口縁壷(にじゅうこうえんつぼ)や広口壷(ひろくちつぼ)が出土しています。

なお古墳の埋葬施設は、後方部中央に墓壙が確認されていますが発掘は行われていません。


築造時期は、土師器の壺などからAC250-300年(古墳時代前期の3世紀後半)ごろとみられていあます。

だとすると。この古墳も卑弥呼がなくなった248年から程ない時期に当地を治めていた首長が亡くなり造られた墓と言えます。

3世紀の時代は、前方後円墳という形が整い始めた時期にあたり、福岡にあるこの焼ノ峠(やきのとうげ)古墳がなぜ前方後円ではなく前方後方で造られたのか謎です。

なぜなら前方後方墳は、前方後円墳の約4700基に比べるとおよそ5%の約250基程度しかなく、しかも分布上は出雲や東日本の初期の古墳に多いもので九州では数奇しかなく極めて珍しいからです。

当時のしきたりで、位が低く前方後円墳を造ることができなかったという説は九州では当たりません。なぜなら身分が低いもの方が多くいたはずなので、後方形が希少なのはありえません。とすると出雲系や東日本の豪族にゆかりのある者の墓だったのではないかということになりますが。


参考資料:現地案内板・福岡県観光web・文化遺産データベース・Wikipedia