皆様お久しぶりです。2023年2月2日以来1年半ぶりのブログ更新となりました。

今回ご紹介するのは、考古調査士仲間7人で訪れた福岡県八女市山内にある古墳群です。八女市というと岩戸山古墳や石人山古墳と言った筑紫の君磐井に関係する前方後円墳が有名ですが、見どころという点では、今回の古墳群も負けてはいません。

 


童男山古墳群(どうなんざん)は八女丘陵の尾根上にAC550~600年ごろ(古墳時代後期)に築造された直径48mの大型円墳をはじめとする27基の円墳が集合する県の指定史跡です。

筑紫の君・磐井の乱が鎮圧されたAC528年からほどなくして築造された古墳群とのことです。

八女市山内の地元では秦の始皇帝の命により徐福が不老不死の霊薬を求めて3000人の童男草女を率いて来たが当地で亡くなった伝承から一帯を童男山というらしいです。毎年1月20日を「童男山ふすべ」として火をたく行事があります。


まじめな話し、秦の始皇帝が生きた時代はBC210年以前なので、徐福が日本に来て八女市に立ち寄ったとしても、当時はまだ弥生時代!古墳の築造時期とはおよそかけ離れてはいますが、歴史ロマンとして楽しみたいと思います。


童男山1号墳
それはさておき、この古墳群の主墳は1号墳ですが、直径48m・高さ6.7mの円墳。

横穴式石室はすでに盗掘され開口(南西方向)しています。

手前の巨石は入り口をふさいでいた閉塞石なのでしょうか?

 

石室は九州に多い複室構造で、羨道を通って前室、そして玄室に至ります。全長は推定18mにもおよび、奈良の石舞台古墳の石室長19mに匹敵するほどです。

 

 

 


羨道を通り、前室に入ると玄室の入り口には、両袖石(そでいし・支柱)の上に楣石(まぐさいし・リンテル)がのせてあり、さらに天井石との間に窓状の空間が設けてあります。

 

私の想像では、玄室で灯りをともして儀式を行った際、祈りをささげる前室の天井にも灯りが揺らいで見える演出があったのではないか、あるいは煙が玄室にとどまらないように工夫したのではないかと思います。




玄室(遺体安置室)の奥の壁には、凝灰岩製の巨大な石の屋形(赤色顔料あり)と、くり抜き式の石棺、左右の壁にも、くり抜き式石棺があったと推定されており、コ字形に遺体を安置していたようです。


玄室は奥行き4.3m、奥幅4m、手前幅2.4mの台形で、

 

高さは持ち送りで石を積み上げ、4mあります。

最天井部は、1500年の間に墳土が流失し、天井石も一部はがされて穴が開いています。


副葬品は盗掘により見つかっていないようです。

 

童男山22号墳

 

そしてこの古墳群の次の見どころは、直径15mの22号墳。

道からそれて竹林の奥、見つけにくい場所にあるりますが、存在感は半端ないのです。



三俣の巨木の根に包まれた、まるでトトロの森の入り口のように石室が南向きに開口しています。
この巨根にいつか押しつぶされるのではないかと心配になりますが、石室も巨石で作られているので、そう簡単ではないでしょうが、一部側壁が内側に押されつつあります。



石室はここも両袖式で前室があり奥に玄室がある複室構造で、奥壁側にくり抜き式の石棺の底部が残っています。

 

床には平らな割石が敷き詰めてあります。。

天井までは持ち送り状に巨石が積み上げられており、これにより巨根の圧力に耐えてこれたのでしょう。

玄室は実測してはいませんが、奥行きが2m、幅1.8m、高さ3mほどと思われます。


他にも2号

3号

25号

など石室が開口しており中を観察することができます。

 

訪問する際は必ず照明器具を持参しましょう。虫や雑草の少ない秋がおすすめ。


参照資料;現地掲示板・Wikipedia・八女市観光HP