今から10年以上前、仕事で、新しくできたばかりの生協の屋上に窓から降りたことがある。エアコンの出力を記録するためだ。
同僚とその数字を読み取り、屋上に降りた窓から部屋に戻るとき、1.5メートルほどの高さだったので飛び降りた。


左手にしていた腕時計のベルトがその窓にかかっていたブラインドに引っかかり、ブラインドは窓枠から外れて落ちた。仕事上の事故だったが、当時は僕もあまり知識がなくて、こういうのは個人的に弁償するものだと思っていた。


困ったのは腕時計のリューズの部分で、手首の甲側を深く切ってしまったことで、生協の担当者に謝りに行ったときも、ハンカチで押さえていた手の甲から血がポタポタと垂れてしまい、なんだか本当に申し訳ない気持ちだった。


壊したブラインドの補償は、生協の側から「工務店さんに直してもらったので結構です」と許してもらえた。でも手首の甲の傷はいつまでも残り、飲み屋でお姉さんに「どうしたの」と聞かれるたびに「ためらい傷」なんて答えていた。「普通、手首の内側でしょ?」「間違えちゃって。」


それから数年が経って、傷は目立たなくなってきたきれど、その場所の近くが軟骨が出てきたように硬くふくらんできた。手首を手のひら側に90度曲げると骨のように出っ張る。


形成外科に行って見てもらったとき「これはガングリオンだね」と言われた。ガングリオンというのはコブ状の良性の腫瘍で、放っておいてもいいということだった。そうは言っても、何かと気になるので、太い注射針でなかにあるものを抜いてもらうことになった。ガングリオンに注射針を刺し、シリンジを引くと、きれいな黄色いゼリー状のものが出てきた。


ガングリオンはどこかの管の一部がふくらんで、そこがカプセル状になり、そこに関節などを潤滑に動くようにする液体が溜まるのだとか。カプセルを除去する手術は大事になるし、べつに悪性じゃないから、気になったときにたまに注射器で吸引をしてもらえばいいってことだった。


何年か前までは、実際にときどき病院に行って抜いてもらっていた。吸引するために一番太い注射針を使うのだが、先生によっては全然見当違いの場所に刺してしまって何も吸引ができず、皮膚にできた注射器の穴から絞り出すなど、痛みを伴うこともあった。


最近になって、バッティングセンターでグローブを外すとき、ふと「そういえば、ガングリオンってどうなったんだっけ」って思って手首を見てみたら、いつの間にか治っていた。
ガングリオンの原因はよくわかっていないらしいし、いつの間にか治っていたという人も多いらしい。


バッティングセンターで、80キロ位の遅い球を力任せにはじき返しながら「そうか、治ったんだなあ」と今までの経緯を振り返った。どこか感慨深いものがあった。


週末は、これからの勉強の予定を立てた。
とりあえず、9月23日に久しぶりにTOEICを受けて800点を目指す。それから、11月18日には法学検定でとりあえずはスタンダードコースを受ける。それから、来年の3月(転勤があれば6月)には中国語検定の3級を目指す。


任天堂のDSで「えいご漬け」というソフトを買っていたので、それでTOEICのトレーニングをしてみた。


My Kiasu Life in JAPAN-eigoduke

TOEIC600点程度を目的にしているせいなのか、この程度なら問題なく解ける。このレベルならやってて楽しいが、本番までには、楽しくない程度の勉強が必ず必要になる。今から少しずつ準備をしていきたい。


「アルティメイタム」というドイツのアクション映画を見た。


My Kiasu Life in JAPAN-ultimatum

オープニングからしばらくは、神のお告げの話しで、この部分はまったくこの映画のためになっていない。
法王を守るために2人の子供を即死させ、1人を失明させる聖母マリアに納得がいかない。
そして、この部分はまったくこの映画に必要がない。


My Kiasu Life in JAPAN-ultimatum1

この映画は法王を暗殺しようとする男と、それを阻止しようとする男の戦いだ。
それでは「ジャッカルの日」と同じじゃないかと思うかもしれないが、まあそんな感じだ。


My Kiasu Life in JAPAN-ultimatum2

ただこの映画では暗殺者もそれを阻止する男もとてもいい人間で、首謀者こそ悪という映画だった。
話題にもならない映画だが、前半さえぶっとばして見ればそれなりに面白い映画だった。


「英国王のスピーチ」というコリン・ファースの映画も見た。

My Kiasu Life in JAPAN-king's speech

兄が2度の離婚経験のある女性と結婚するために、王位を捨て、それを継承せざるを得なかった弟の苦闘を描いている。
イギリスの国王は君臨すれど、統治せず。それを支えるのは王の言葉だけ。ところが、国民に言葉を届けなければならない王となるべき弟は吃音症で、必要なときにきちんと言葉を出すことができない。


My Kiasu Life in JAPAN-king's speech1

そして、国はドイツとの戦争に突入をしていく。国民に国王として開戦の言葉を届けなければならない。ところが吃音症で、なかなか言葉を出せず、どうしようかと悩む弟。そして、そんな国王を当時は異端視されていたオーストラリアの言語聴覚士が支える。


My Kiasu Life in JAPAN-king's speech2

コリン・ファースの演技は素晴らしく、本来の彼であれば余裕でしゃべれるところを(あたりまえだが)、じっと耐える姿が素晴らしかった。


もっとも、僕はあまりこういう映画に感動する性格ではない。英国も大変なときに大変な国王を持ってしまって大変だったんだな、くらいの感想しか持てなかった。

今週は、会社の関係で調停があったり、裁判の準備をしたりでなかなか大変だった。
往復、かなりの速度で運転しなければならなかった出張もあったし、金曜日には英語の講師もして、考えてみると盛りだくさんな仕事を処理した(英語の講師は仕事扱いではないけれど。)。


土曜日の夜になって、久しぶりに実家に帰ることにした。高速道路を走っている間、断続的に雨が降り続いていた。
実家のあるICに着いたときには、もう8時を過ぎていた。大きなバイパスから抜け道に入る。


このバイパスが通るまで、IC周辺は畑や雑木林の広がる地域だった。神社脇の抜け道も、今でこそ車の通りが激しいが、昔は車もほとんど通らず、昼でも木々に囲まれて薄暗かった。


小学生の頃、友達のお父さんの車に乗せてもらったことがあった。
この薄暗い神社脇の道路を通るときに「雨の日に、ここで女を乗せたことがある」と言った。
よくある怪談話で、「後部座席に乗せたのだが、気がつくといなくて、座席に水がぐっしょりと濡れていた」という話しだった。


この手の話しは、いろんな人から聞いた。高校生くらいになったときには「座席が濡れていたのは、雨?それとも小便?」なんて言ったりもしていた。


そんなことを思い出しながら、土曜日の夜、雨のなか、「ここで女を乗せた」と友達のお父さんが言っていた場所に来た。
目を凝らしてみたが、残念ながら女の人影は見えなかった。でも、そのときに、もう大昔に忘れていた怖さが一瞬よみがえって、「あんな話しでも怖いものだったんだな」と思い直した。


怖い話しといえば、「惣名勝馬(そうなかつま)」の話しも実家のある地元では有名だ。


高校3年生だった惣名勝馬が、カタナという名前の大型バイクに乗って、海岸を走っていたときに、カーブを曲がりきれずに50m下の崖下に転落して死んだという話しだ。
すごくスピードを出していて、惣名勝馬の体は横方向にも数10メートル飛び、体はバラバラになったのだという。


この話しが怖いのはここからだ。ここまで読んでもらって申し訳がないが、この話しを知ってから1週間の間に、約3割の人のところに、この惣名勝馬がやってくる。
でも、心配しなくていい。ものすごいバイクの爆音がするからそうしたら目を覚まして正座ができる。


血だらけの惣名勝馬は現れると、まず「おまえの足をくれ」ということになっている。そうしたら「今、俺はおまえのために正座をして祈っているから足はあげられない」と答えればいい。


次に惣名勝馬は「おまえの腕をくれ」という。そうしたら「今、俺はおまえのために手を合わせて祈っているから、腕はあげられない」と答えればいい。


最後に言う場所は、人によって違うらしい。でも、大体、適当な答えで惣名勝馬は納得して帰ってくれる。大体この話をする人は「俺のところにも来たけど、まあ大丈夫だった。俺の時はどこだった?いや。それは答えられない。」なんて言うのが普通だ。


もし答えられないと、そこの場所を怪我をしてしまうということになっている。


この話は種明かしがあって「そうなかつま」を逆から読むと「真っ赤な嘘」というわけで全て作り話だ。でも、俺が高校生の頃は、この話でかなりびびっている人も多かった。
「あいつ、うるせえんだよな。手をくれとか足をくれとかさあ。」なんて、周りであおる奴も昔はいっぱいいた。


職場で、暇なときは毎日、昼休みにやっていた「旺文社 でる順 歴史DS」を100%終了した。


My Kiasu Life in JAPAN-歴史DS

途中で「何%終了したよ」などというコメントが出るので、最後にはいったいどんなイベントが…と期待していたのに、何のイベントもなく、ただいつもと同じ終了画面でがっかりした。


ソフト自体はなかなかよかった。小学校の時に、こういったソフトがあったら、俺も歴史が好きになっていたのになあと少し残念な思いもする。毎日、ダラダラやっていただけだけど、学習回数269回、なんてあるのを見ると、俺、けっこう頑張ったんだな、という気がしてくる。


週末にはブルース・リーの映画「燃えよドラゴン」を見た。


My Kiasu Life in JAPAN-enter the dragon

今まで、この映画をきちんと見たことがなかったのに、ずっと名作なのだと思っていた。


今回見て、B級映画だったのだと、初めて知った。

My Kiasu Life in JAPAN-enter the dragon1

ただ、この映画はアクション映画の原石のような映画で、ここから発展させてサスペンス仕立てにも、さらなるアクション映画にも、どうにでもなる可能性がある。


My Kiasu Life in JAPAN-enter the dragon2

この映画に出てくる香港が古めかしいように、この映画自体も今見ると古くさく、脚本は平板で、主人公の能力を生かし切れていないが、この映画の影響は計り知れないだろうと思わせる映画だった。


木村泰嗣という弁護士の書いた「勉強が続く人の45の習慣」(法学書院)を実家で読んだ。


My Kiasu Life in JAPAN-勉強が続く人の45の習慣

最近、勉強がなかなか手につかなくて、反省の気持ちを込めて読んでみた。
「気分を理由にサボると、勉強をする気分の日は永遠に来なくなる」といった意味の言葉に「本当にそうだよな」と思った。


明日から、っていうか今日から、まただんだんと勉強をしっかりするように頑張っていこうと思った。

金曜日は、午後に3時間だけ休んで東京に行った。


友達と会い、そして年上の従兄弟と2年ぶりに会って3人で食事をした。
従兄弟が招待してくれたそのお店は、何もかもがおいしかった。
そこで飲んだ白ワインは、僕が普段飲んでいるような原料のブドウを直接感じるようなワインではなく、「これも本当にブドウだけから作られているのだろうか」と思うほど、味が複雑で、どこかにとろみがあり、美味しかった。


従兄弟は会社を経営していて、本も多く出版している。
僕と友達は、その従兄弟が専門としている分野のことについて、いろいろと聞き、丁寧にそして時には厳しく教えてもらった。
僕が考えていた以上の社会の厳しさを教えていただいたように思う。


久しぶりに従兄弟と会えて、そしていつも大きな存在でいてくれて、それが何よりも嬉しかった。様々な面で能力の高い従兄弟がいてくれることが、友達にも誇らしかった。


食事をしながら「あちこちと話しをして、いつの間にかプロジェクトをまとめてしまう」そういった人を僕は目指そうと思った。それから何にしても、今の自分の能力を上げないといけないなと思った。


この店で僕と友達はかなり飲んで、ごちそうになり、それから赤坂の街に行って飲んだ。
久しぶりの赤坂で楽しかったが、完全に僕は舞い上がっていて、ホテルに帰ってきたのは2時頃だった。


朝、携帯電話の留守電を聞くと友達が「もう帰った方がいいですよ。みぐるみはがされますよ。」と忠告をしてくれていた。残念なのは、それを聞いたのが朝だったと言うことだった。


完全な二日酔いだった。かなりの金額を持っていたはずだったが、財布の中には数千円が残っているだけだった。ふと、酔っぱらってカードも使ったのではないかと、恐怖感が走り、カード会社に問い合わせたけれど、さすがにカードは使わなかったようだった。


それにしても、いつも持っているギリギリの金額まで使って帰ってくるなんて、自分のなかに北欧神話に出てくるいたずら者の神「ロキ」でも住んでいるんじゃないかと思うほどだ。


従兄弟に社会の厳しさを教えてもらった直後に、自分の甘さと社会の厳しさを実感した。二日酔いだし、もう本当に、情けなくって死んでしまいたいほどだった。


そのまま東京駅に行って、長野まで帰った。
新幹線に乗っているときに、僕は目をつぶって、気持ち悪いのを我慢して寝ようとしていた。
そのとき、ふと頭のなかにルドルフ・シュタイナーの本「いかにして超感覚的世界の認識を獲得するか」(ちくま学芸文庫)の一文が浮かんできた。それは自分の経験を他人のことのようにみなす努力をしろという文章だった。「深刻な運命の打撃を受けた場合を考えてみよう。われわれはまったく同じ運命が隣人を見舞った場合とは何と異なる態度でそれに対応していくことだろう。」


それで、僕はそう考えてみようとして、それから自分も許してやることにした。僕はきっと他人だったら許してやるからだ。「たまに東京に行ったときぐらいは、自分のお金で遊べる範囲だったら、遊んでくればいいじゃん。」


そうしたら、少し不思議なことが起きた。半覚半醒の世界というか、どこか不思議な精神世界に入ったような気がした。それは、ランナーズ・ハイのようなものかもしれなかった。


ただ、真っ暗で、そのときにまず思ったのは「恐怖」だった。こんなことをしていたら、俺は死んでしまうのではないかと思った。それから「平穏」に近いけれど、もっとフラットな感覚を感じた。
今まで使っていた脳の感覚をすべてまとめて袋に入れて下の方に押し込んでしまうと、わき上がってくる、そんな感覚だった。


ちょうど催眠術にかかった状態なのかな、とも思った。かくれんぼで暗い押し入れのなかに隠れているような、そんな精神の逃げ場を、見つけたような気がした。以前からそんな精神の隠れ場所があることを知っていたような気もするし、多くの人はもう以前から持っていて、僕が気づかなかっただけなのかもしれなかった。


長野に帰ってきてからは、とにかく寝た。従兄弟にお礼のメールを書いたり、必要最低限のことだけをした。体はほとんど回復していたが、それでもときどき気持ちが悪く感じたりした。


夜になって、簡単なアクション映画を見ようと思ってジェイソン・ステイサムの「ブリッツ」という映画を見た。


My Kiasu Life in JAPAN-blitz

気軽に見たいと思った映画だったのだが、かなりサスペンス色の濃いまっとうな映画だった。


My Kiasu Life in JAPAN-blitz2

ジェイソン・ステイサムが昔のブルース・ウィリスのようにベタベタにハードなキャラなのが、すこし微笑ましかったが、サスペンスとしてもそれなりに面白く、特に連続殺人者役の俳優の演技は素晴らしかった。演技とは思えないような怖さがあった。


My Kiasu Life in JAPAN-blitz1

連続警官殺しでは立件できなくとも、女性警官の前で人殺しをしたのだから、殺人犯がなぜ釈放されるのかよくわからないし、ずっと見張っていたのに犯人が自宅を出て行くのを見逃した警察も失敗が過ぎるような気がしたけれど、そういう都合の良さもあまり気にならない、まあまあのいい映画だった。


夜になって眠るときに、新幹線で寝たときのように、脳の感覚を遮断してって感じのことをしてみた。目をつぶるとすごいスピードで車を走らせているような映像が浮かんできた。
まわりの家を見て、ここは日本じゃないなと思った。もしかしたら、この地球上でもないのかもしれないとも思った。でも、それはもう夢の一部分なのかもしれなかった。


日曜日は洗濯したり、買い物に行って料理を作って食べた。
最近ネットで、ジャガイモの皮の近くには、豊富な栄養があってできたら皮をむかないで調理をした方がいいなんて記事を読んだものだから、それからは大喜びで皮をむかないじゃがいも料理ばかり作っている。ジャガイモは皮をむかなくていいなら本当においしくていい野菜だ。


それから、今度の金曜日には英語の講師をしなくてはいけないので、日曜日はその資料のまとめをした。


***おまけ***


2日酔いで体を動かすのが超めんどくさいときにつくるジャガイモ料理


1 ジャガイモを好きなだけ洗って、深皿に入れる。
2 軽く塩を振ったら、そのまま電子レンジで4分くらい加熱する。
3 皿を一度取り出し、トマトを半分か4分の1に切ったものをジャガイモの脇に入れ、それからアスパラとかシメジのようなキノコ類も入れて、バターをいれる。軽く塩を振る。それからまた電子レンジで4分ほど加熱する。
4 皿をもう一度取り出し、クラフトのカマンベール入りのスライスチーズを上に数枚載せて、その上からベーコンなども載せ、さらに電子レンジで4分ほど加熱する。
5 塩やこしょうなどで味付けしながら食べる。そんなにうまくもないのだが、ジャガイモの皮をむかなくていいというだけで、幸せな気分になれるから不思議だ。

最近、眠たくて仕方がない。
夜も8時間くらいは平気で寝てしまう。


最近は、勉強もあまりしなくなってしまい、6時30分頃まで寝ている。4月の頃に、毎朝5時30分に起きて勉強していた自分が、まるで別人のように思える。


今週は火曜日と、土曜日にジムに行った。


友達からジムの誘いのメールが来たときは、まったく行く気力がなかったが、実際にジムまでたどり着いて着替えると、そこそこやる気が出てくるものだ。


火曜日にジムに行ったときには、いつも出ていたスタジオプログラムの最後の日ということだった。いつもより少しハードな内容で、1日にいくつものプログラムをこなす友達も「疲れた」と言っていた。


土曜日もその友達に誘われて、ジムに行った。朝10時が集合時間だった。
8時頃に起きたのだが、眠くてたまらず、行く気力もなかったのでよっぽど断ろうかと思ったのだが、無理して出かけていった。


今まで出席していたプログラムが、「CENTERGY」というプログラムに代わり、土曜日がその第1回目なのだという。
最初、30分程度のインストラクションがあった。プログラムの概要を教えてくれるこの30分間で、僕はもうクタクタだった。


本番が始まるまでにわずかな休憩時間があり、その間に「出て行かないように」とインストラクターが冗談で言っていたが、逃げ出したい気持ちはよくわかった。


それから1時間、プログラムに参加したけれど、かなり疲れた。


http://www.youtube.com/watch?NR=1&feature=endscreen&v=qK_tr8iY-g4
(僕が体験したCENTERGYのプログラムは、微妙に違うところもあるけど、だいたい、こんな感じ。)


友達も疲れていたようだったけれど、そのあともっとハードな「コアトレーニング」に出るのだと言う。立派だとは思ったけれど、真似はできなかった。


それで、少しマシントレーニングをしてから、併設のスーパー銭湯に行って汗を流した。
ちょうど12時台のこの時間帯にはあまりお客さんも少なくて、気持ちがよかった。


家に帰って少し寝たあと、洗濯や掃除をした。
最近は、料理も適当なものしか作らず、流し台の周りは汚くなる一方だったのだけど、ジムで体を鍛えたあと、冷凍食品などを食べる気にはならなくて、きちんとしたものを食べたかった。


そのためには、まずは流し台をきれいにしなくては。最近は、へんな臭いまですることだし、と思った。へんな臭いがするときは、大抵、グニャグニャとした虫がパイプのどこかに張り付いているのだ、と思って、ますます近づかないようにしていたのだ。


最後に食器をキチンと洗って片付けたのはいつだったっけ?いろいろなものを洗いながら考えていた。
排水溝は詰まりかけていて、食器を洗うたびにシンクの水かさが増してくる。
随分と長い間、掃除していなかったんだな、と思う。


最終的に排水溝まで洗った。エイリアンのような虫がいて飛び出してきたりとか、小さな幼虫が寄り集まってソフトボール大の大きさになって蠢いているとか、そんな想像もしていたのだが、ただ腐敗臭が漂う、詰まりかけたパイプだったので安心した。
もし、僕が「もやしもん」のように細菌まで見えるような目を持っていたら、間違いなく失神していたとは思うけれど。


ようやく料理ができる環境が整ったので、キノコやほうれん草、ベーコンなどをオリーブオイルで軽く炒めて、最後にバターで香り付けをして食べた。


あまりうまくもなかったけれど、久しぶりに料理をして食べたこと自体がうれしかった。
これからは、流し台もきれいに使おうと思った。


「ゴースト・ライター」という映画をツタヤ・オンラインで観た。


My Kiasu Life in JAPAN-ghost writer

ツタヤ・オンラインは7時過ぎになるとフリーズの連続で、これで金を取っていることが腹立たしい限りだが、地上波のほとんどは、無料だけど、見たくもないといった番組だらけなので仕方がない。


ゴースト・ライターという映画はかなりよかった。
元イギリス首相が自伝を書くことになり、そのゴーストライターを任された男の話だ。


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彼は、大金を積まれて仕事を請け負うが、前任者が謎の死を遂げていることを知り、だんだんと前首相の闇の部分に気がついていく、といったストーリーだ。
映像がきれいで、また台詞がすばらしくよかった。


クリエイティブな仕事をしている人は、顧客に話し言葉で判断されることもあるのだから、台詞だって計算された独自の見解を言うはずだ。ゴーストライターなんて仕事を請け負うような人は特に、そういう傾向が強いと思う。


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この映画は、そういった主人公の、こうあるはずを見事に表現しているので、映画自体にリアリティがあって、頷ける場面も多かった。実際に、イギリスがこうだったんじゃないかと思ったほどだった。


そのほかにも、「ストーン」という映画も見た。
こちらは、それほど大した映画ではなかった。


ストーンという囚人が、仮釈放官のロバート・デ・ニーロを取り込むために、魅力的な妻ミラ・ジョヴォヴィッチを使って誘惑するという話し。

My Kiasu Life in JAPAN-stone
全体として面白くもなく、「ミラ・ジョヴォヴィッチの、おっぱいが見られます。」ってgoo映画のレビューに書いてあって笑ったけれど、そのくらいの見所しかない。僕はミラ・ジョヴォヴィッチのおっぱいでは血圧が1も上がらないので、本当に見所がなかった。


My Kiasu Life in JAPAN-stone1


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何が言いたいんだか、さっぱりという映画で、こんなことならゴッツという金のネックレスを2重にかけた選手が出ているという男子バレーボールを見ていた方がまだましだったかも、というくらいつまらなかった(今回のバレーボールの大会には、セクシーゾーンというアイドルが出ているらしい。女子バレーボールについてネットで見ていたら、セクシーゾーンがどうのこうのと言われていたので、女子バレーのセクシーゾーンっていったい?とかなりの勘違いをした。それにしても国際大会といいつつ、いつもホームで、失敗しても皆が温かく、どんなにちゃらくてもいいというぬるま湯環境では、日本のバレーボールは強くならないと思う。解説にセルジオ越後を呼ぶべきだ。)。



「ゲット スマート」というスパイもののコメディ映画も見た。


My Kiasu Life in JAPAN-get smart

こちらも大して面白くなく、結局、最後まで笑えなかった。
ただ、それでも最後まで見たのはアン・ハサウェイがかわいすぎたから。
それから、コメディ映画の割に、アクションもかなり作り込んでいて、その分はかなり面白かったから。


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ただ、こういう映画を見て最近思うのは、もう爆発シーンだろうが銃撃シーンだろうがなんでもCGでできちゃうので、選択肢が増えすぎて、映画監督はかえって困るだろうな、ということ。


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それにしても、アン・ハサウェイのかわいさは本当に素晴らしくて、こういう女性と人生で接点がないことは幸せなのか不幸なのかと、ちょっと映画を見たあと考えたりしてみた。


フレデリック・フォーサイスの「アヴェンジャー 下」(角川書店)を読み終わった。


My Kiasu Life in JAPAN-アヴェンジャー下

セルビア人の大物ジリチの邸宅に忍び込み、彼をアメリカに送還するまでの過程はご都合主義が多分にあるとはいえ、なかなか作り込まれていてアクション映画を見ているように楽しかった。


そして、この小説では読みようによっては、学ぶことが相当あるが、結局のところ身についた知識はほとんどなかったように思う。


ただ、唯一、今回気に入った知識は、人を襲うように調教されたドーベルマンには、血が付いたハンカチに青唐辛子の粉末をかけておくと、そのハンカチをさんざん噛んだ挙げ句、青唐辛子で鼻が使えなくなるという、おそらく一生使わない知識だった。


それから、もう一つ。アヴェンジャーの活躍を読みながら、僕もそろそろもう一度、勉強を始める時期に来ているなって、この本を読んでいるときに思って、そのことが一番、この本を読んだ成果だった。

今週も忙しかったが、なかなか成果が見えづらい仕事なので、自分自身に対しても評価しづらいところだ。


火曜日には昼に1時間ほど休んで歯医者に行った。詰め物が取れてしまって、その埋め直しをしてもらったのだが、それから5日ほど経つというのに、未だに冷たいものを飲むと歯にしみる。


そういえば、今回の虫歯の治療をしたときに、歯科衛生士の人から、歯の奥の方の磨き方が今ひとつだと指摘を受けた。歯茎を突くと出血するというのだ。
「ろーすればいーんですか?」口を開けたまま聞いてみる。
もう少し丁寧にブラッシングをすると、出血がなくなるのだという。


数年前、自分の歯垢を顕微鏡で見たときのことを思いだした。
河原の石をひっくり返したときに付いている、山のような数の線虫が蠢いている姿が頭に浮かんだ。


それから朝晩、本当に丁寧に歯を磨くようになった。
特に奥歯は歯茎を含めて、時間をかけて磨く。
もちろん気のせいだと思うが、そうしたら少し体調もよくなってきたような気がした。


週末の土曜日は会社の偉い人と、昔の会社の事故で亡くなった方のお墓参りに行った。
よく晴れた日だった。
僕が今の仕事に就く前の事故だったので、今まで、事例は何度も読んでいたが、亡くなった方の年齢までは気にしていなかった。
僕よりも前の年に生まれてはいるが、今となっては年下なのに気づいて、しんとした気持ちになって墓前に花を手向けて、手を合わせた。


家に帰ってきてから、6月の半ばに英語の講師をして欲しいと頼まれたことを思い出した。
まだまだ時間があると思っていたが、もうあと半月しかない。


そもそも俺のレベルの英語で人に教えてもいいのかと当然の疑問が湧くが、「いいんです。」と言う。「もう何人も申し込みがありました。」
「なんてこった」と思いながら、資料をまとめ始める。


近頃、僕はパワーポイントのプレゼンに飽き始めていて、今回はもっとアナログな資料を作ろうと思っていた。
それで普通にワードで作っていたんだけど、ふと思い立って、マンガで資料を作ってみることにした。


そういえば以前、ど素人でもマンガを描ける「コミPo!」というソフトを買って、そのまま棚晒しにしていた。


My Kiasu Life in JAPAN-コミPo!

もちろんそのクオリティといい、内容といい大したものにはなり得ないが、それでも結構、それなりのマンガに仕上がっていく。
結局、土曜日は午前3時近くまで途中で映画を観ながらも、マンガを作っていた。


キム・ギドクの映画「悲夢」を観た。オダギリ・ジョーが主演をしている。


My Kiasu Life in JAPAN-悲夢

オダギリ・ジョーが夢を見ると、それと同じ行動を女がしてしまう。
オダギリ・ジョーが自動車で事故を起こす夢を見ると、女が実際に同じ場所で事故を起こしてしまうのだ。


My Kiasu Life in JAPAN-悲夢1

冷静に考えると荒唐無稽な話しだが、キム・ギドクの手にかかると、妙に説得力を持つ。
オダギリ・ジョーだけが日本語で、しかもかなり頭の悪そうなことしか言わないので、これが韓国人だったら、もっと違った印象になったのに、という思いはある。
僕は世間の人が言うほど、オダギリ・ジョーの演技がいいと思ったことがない。


My Kiasu Life in JAPAN-悲夢2

映画としてはそれなりにまとまりがあり、ラストシーンはほっとした気分になった。


この映画を観たあと、寝た。


モトクロス・トランスというバイクに乗ったまま聴くトランスバンドがあって、そのバンド名は「モトクロス・ローラーズ」と言う。
ステージに向かい、バイクに乗ったまま、全員がトランスミュージックを聴いている姿が妙にシュールで、僕は最近、このバンドについてテレビでも雑誌でも読んでいて、つい先日、参加した人から体験談も聞いた、という夢を見た。


あまりにリアルな夢だったので、しばらくの間は、これが真実ではないということが理解できなかった。
ネットでも調べてみた。
モトクロス・ローラーズなんてトランスバンドはない。
夢って本当に不思議だよな、と思った。


日曜日には、コメディー映画の「ジョニー・イングリッシュ 気休めの報酬」も観た。


My Kiasu Life in JAPAN-気休めの報酬

大して面白くなかったが、不覚にも、首相と最初に面談するシーンで笑ってしまい、悔しかった。
MI-7がなぜ、東芝に民間委託されているのかは、最後までわからなかった。


My Kiasu Life in JAPAN-気休めの報酬2

松田優作の最高傑作といわれる映画「野獣死すべし」も見た。


My Kiasu Life in JAPAN-野獣死すべし

僕にはこの映画のどこがいいのかさっぱりわからなかった。
「地獄の黙示録」のような映画の「よさ」なのだろうか?


My Kiasu Life in JAPAN-野獣死すべし1

なぜ殺し、殺されるのか今ひとつ意味がわからないし。
正直、あまりにつまらなかったので、最初の15分くらいで見るのをやめようかと思った。それでも後半にすごいシーンがあるとレビューで読んだので、期待してみていた。
確かに、松田優作の狂気はすごかったし、あんな人がいたら、俺はそれだけで何も言えなくなるけれど。


My Kiasu Life in JAPAN-野獣死すべし2

でも、映画としてはどこがいいのかやっぱりさっぱりわからないし、どうしてオーケストラが関係してくるのかもさっぱりわからなかった。
観ている俺のレベルが低いというなら、きっとそうなんだろうと思った。

また1週間が過ぎた。
いろんな問題が起きて、片っ端からとりあえずの解決をしていく。優先順位は目先のことからだ。
大体、何とか終えたが、しかしまあ、なんというか、自分自身に対しては「よくやった」というよりは、空しい仕事をしてるんだなあ、という感想しか湧かない。


火曜日は久しぶりにジムに行き、友達にも会った。「開始時間が30分ずれたんだよ」という。それで、スタジオが始まるまで、少しマシンを使ってトレーニングをした。


僕の出るスタジオは、体幹を鍛えるということで、動きはゆっくりだがキツイ。僕はいつもフラフラになり、笑顔が消えるが、その前のスタジオにも後のスタジオにも出る友達は「なんでバテてるの?このスタジオは癒しの時間なのに。」と言う。


いつも週末になったら体を鍛えようと思うが、実際に鍛えた試しがないのは我ながら情けない話しだ。


その昔、僕に見合いの話しをよく持ってきてくれるおばさんがいた。母の友人だということだった。
見合いの話しは、僕が気に入った人はダメで、気に入らなかった人からは好かれるというそんな結果だった。
だから僕は未だに独身でいる。断った人のなかには、今の僕なら断らなかった人もいると思うけど、当時は面食いだったので仕方がなかった。


それから、会っていなかった。実家には何度も母を訪ねて来ていたようだったけれど、僕はそのおばさんがどこに住んでいるのかも知らなかった。


姉から、そのおばさんの葬儀が金曜日にあるとメールが来た。金曜日にはめんどくさい(そして空しい)仕事がたくさんあって行けなかった。葬儀の案内が載った新聞記事に、そのおばさんの住所が載っていたので、週末の土曜日に、挨拶に行くことにした。


土曜日はいったん実家に帰って、喪服に着替え、新聞に載っていた住所に向かった。
なかなか見つからず、近くで農作業をしている人に聞いたら、もう随分と昔に引っ越しをして、そこの家には誰も住んでいないということだった。
じゃあ、どこに住んでいるんだろう?
姉に聞こうとも思ったが、あまり仲がよくないので、連絡するのも面倒だった。


再び実家に戻って、母のアドレス帳を見た。住所が載っていたので、そこに向かうことにした。でもカーナビでは、詳しい場所までわからなかった。
「目的地に着きました。案内を終了します。」と勝手に終了してしまう。それでも、どこなのかわからない。


それでiphoneで住所検索をした。近くで農作業をしていた人に、iphoneを見せながら、場所を聞いた。それで、なんとかその家の場所がわかった。確かに車では入り込めない、狭い路地の奥にあった。


若い奥さんがいて、その人に挨拶をして、仏壇に手を合わせた。
口の中を病んで半年くらい食べられず、自分で流動食を作って食べていたのだと、その奥さんが説明をしてくれる。だんだんと痩せていったそうだ。気の毒で胸が痛んだ。


そのとき、ふと見合いの席で、母と美味しい料理を嬉しそうに食べていたことを思い出した。食べるのが好きな人が、食べたいものが食べられないというのは、つらいことだと思った。「それは随分とつらかったでしょうね」と言った瞬間、涙があふれてきた。


僕は初対面だったが、その奥さんは、僕の母のことを知っていて、「お母様が亡くなられたときは本当にショックなようでした」と言っていた。玄関には母の作品も飾ってあった。


おばさんの家を出て、それからまた長野まで帰ってきた。


本来なら、勉強をしなければならないのだけれど、勉強に対する熱意も、最近は落ち込んでいる。


「探偵はBARにいる」という映画を見た。


My Kiasu Life in JAPAN-探偵はBARに

思いのほか面白かった。練ったつもりなのか、観客をわざとミスリードするために作ったのか知らないけれど、若干、脚本はわかりづらかったけれど、それなりに楽しめた。



My Kiasu Life in JAPAN-探偵はBARに2
大泉洋の演技もよかったが、彼の助手役である松田龍平ってこんなに味のある役者だったんだ、と思った。



My Kiasu Life in JAPAN-探偵はBARに
ただ、ツタヤが悪いのかBフレッツが悪いのかわからないけれど、週末の夜には、画面が10分間に40回くらいフリーズする。金かえせって気分にいつもなる。


それから、週末には「まほろ駅前多田便利軒」という映画も見た。

My Kiasu Life in JAPAN-まほろ駅前多田便利軒

こちらは瑛太と松田龍平のペアで、この2人の空気感もよかった。


My Kiasu Life in JAPAN-まほろ駅前多田便利軒1

松田龍平は松田優作の息子だから、本来であれば主人公の「探偵」であるべきところだと思うけれど、その「助手」という立場をどの作品でも好演している。


My Kiasu Life in JAPAN-まほろ駅前多田便利軒2

そのうちに、「探偵」にもなってくれると思うし、期待をしないわけにはいかない。


「ピンクスバル」というイスラエルとパレスチナを舞台にした日本とイタリアの共同製作の映画を見た。ややこしいけれど、そうなんだから仕方がない。


My Kiasu Life in JAPAN-pink subaru

大手が大きなマーケットを求めてアラブ世界に目を向けたため、イスラエルにはカーディーラーがあまりないのだという。ただ、そこに目を付けたのが富士重工で、だからイスラエルの車のほとんどはスバルなのだという。


主人公は、スバルの新車「レガシー」を買うために20年間貯金をし、とうとう手に入れる。その晩にはパーティーをし、翌日には死海までドライブに行く予定だった。
ところが、買った翌日にその「レガシー」が盗まれてしまう。
その悲嘆ぶりと言ったら、笑っちゃうくらいだ。


My Kiasu Life in JAPAN-pink subaru1

イスラエルで盗まれた車は、カーディーラーがない隣のパキスタンに運ばれ、そこで売られる。4万ドルで買ったレガシーは700ドルで売買されるのだという。


監督が日本人で、日本人のキャストもいるせいなのか、イスラエルの映画なのにどこか日本ぽく、義理や人情も山盛りだ。料理店でコックをしている主人公はアラブ料理だけでなく、スシやラーメンまで作る。


My Kiasu Life in JAPAN-pink subaru2

ちなみに、スバルとはプレアデス星団のことだという。
イスラエルの人たちがいかにスバルを愛しているのか、そして車を買うことがどれだけその人の人生に喜びを与えるのかが、とてもわかる映画で、車を乗らなくなった若者たちにもぜひ勧めたい1本だ。


僕にとっては、この映画がとりあえず今のところ、今年のナンバー1。理由はこの映画のへんてこさもあるが、何よりもこの映画からは「愛」を感じるところだ。


フレデリック・フォーサイスの「アヴェンジャー 上」(角川書店)を読み終わった。これからまた下巻も読まなくてはならない。


My Kiasu Life in JAPAN-avenger上

舞台の発端はボスニア。そこで大金持ちの孫が惨殺され、その犯人をアヴェンジャーというコードネームを持つ男がアメリカに連れ戻そうとする話しだ。
CIAとFBIの思惑がそれぞれ絡み合っていく。


読みようによっては軍事や政治がらみの知識を山のように手に入れることができる。


ただ、今、下巻を読んでいるが、今のところ「ドナウ川は青くない」という豆知識が、僕はいちばん気に入った。

香港から帰ってきてからというもの、あまり勉強もせずに怠惰に過ごしていた。


仕事はやたらと忙しく、また交渉ごとも大体はうまくいったけれど、いつまでも覚えていられるような強い印象を持つような仕事は少なかった。やっていることは、所詮は雑用だ。


週末は、本当に何もしなかった。
クリーニング店までワイシャツだの礼服だのを出しに行くときに外に出ただけで、あとはずっと部屋に閉じこもって、基本的には寝ていた。
ただ、外の空気に触れたとき、その爽やかさに少し心が震えた。


「週に1回もジムに来ていないでしょ。土曜日のスタジオくらい出たら?そうしたらもう少しマシな週末が送れるんじゃない?」
以前、ジムで会った友達にそう言われたけれど、なかなかジムに行くまでの気力が湧かない。


せめて、食生活を気をつけて、ダイエットでもしてくれればとも思うが、食い意地だけは妙に元気で、ストックしていたラーメンなどをいくつも作って食べていた。


部屋にいても特にやることはなく、掃除や片付けなど前向きなことは一切せずに、ただテレビをぼうっと眺めたり、パソコンでネット麻雀をするくらいのことしかしなかった。


映画は3本見た。
最初に見たのは「スリーピング・ビューティー/禁断の悦び」という映画だった。


My Kiasu Life in JAPAN-sleeping beauty

裕福なご老人たちが、睡眠薬を飲ませて若い裸の女の子を眠らせ、その間にしたいことをする。
但し、挿入と傷つけることは禁止。


My Kiasu Life in JAPAN-sleeping beauty1

女の子は大金を稼ぐことができ、裕福なご老人たちはそれなりに満足感を味わう。

かなりエロティックな映画だと期待していたが、実際には大したことはない。


My Kiasu Life in JAPAN-sleeping beauty2

この監督は確かによく映画のことを研究していると思う。
もともと興行成績は無視し、批評家向けに作られた映画のように感じる。
カットの割り方や、カメラワークがいかにもという感じだ。


でも、観客はストーリーに引き込まれない。
俳優の演技は素晴らしかったけれど、もっと観客を喜ばせてくれ、と思った。

この映画では、「作られたリアリティー」といった映画の底にも気づかされた。


この映画を見終わった後、「生き返ったみたいに感じる」なんて女主人の台詞をつい試したくなってしまい、普通に眠れているのに、睡眠導入剤を飲んでみた。
どのくらい眠れるのかと思って寝たら12時間以上寝ていた。起きると目は腫れぼったくなっているし、頭痛がする。おまけに、何も考えられない。


その眠い頭で、翌朝の日曜日は、何度も見たはずの「明日に向かって撃て」も見た。


My Kiasu Life in JAPAN-butch and sundance kid

面白くていい映画だけど、でも、そんなに何度も見る映画でもないなと思った。
俺の年だったら、何度も見るなら「ゴッド・ファーザーⅡ」のような、もう少し重厚な映画を見た方がいい。



My Kiasu Life in JAPAN-butch and sundance kid1
ただ、この「明日に向かって撃て」のサンダンス・キッド役にロバート・レッドフォードが起用されて、一躍、スターの仲間入りをしたあと、彼は映画監督としても成功した。

「リバー・ランズ・スルー・イット」では彼自身と同じようにブラッド・ピットをスターにし、さらにはサンダンス映画祭を通じてタランティーノを有名にした。

そういった歴史を踏まえて僕は改めて見てみることにした。


My Kiasu Life in JAPAN-butch and sundance kid2

そういう意味では、いい映画というよりは映画界にあっては大切な映画だということができると思う。


「大鹿村騒動記」も見た。これが原田芳雄の遺作になった。


My Kiasu Life in JAPAN-Oshika mura sodoki

僕自身は大鹿村に行ったことはないけれど、オープニングで曲がりくねった道を走るシーンでは、昔、家族で釣りに行ったことを思い出した。
車を運転する父親と、道路脇に車を駐めさせては、野の花を画材用に採集していた母。
今初めて思ったけれど、当時は幸せだったような気がする。


My Kiasu Life in JAPAN-Oshika mura sodoki1

あの山深い南信濃の澄んだ空気も画面から感じた。
そして、妙に理屈っぽい南信濃の人柄もよく描いている。
僕は個人的には、あの理屈っぽさは嫌いだけれど。


My Kiasu Life in JAPAN-Oshika mura sodoki2

でも、原田芳雄っていい役者でいい人間だと思った。
俺、もっと前から知っていたら生きているうちに話せたかもしれなかった。
この映画を見て、そう思った人も多いだろう。
彼がこの世からいなくなってしまって、残念だ。


「坂の上の雲 六」も読み終わった。


My Kiasu Life in JAPAN-坂の上の雲6

日露戦争に勝つというのは、本当に奇跡だったのだということがよくわかる。
あの戦争は勝ったというよりも、ロシアの自滅だったのだ。
そして戦争というのは、多かれ少なかれ、自滅という側面がきっとあるのだろうと思った。

5月3日は、3月まで同じ係で仕事をしていた女の子の結婚式があった。
細かな雨の降るなか、新幹線に乗り、それから電車を乗り継いで東京の立川まで行った。


僕は、新婦の元上司ということで挨拶をしなければならなかった。
結婚式の挨拶を考えながら、昔、父親が僕に「上に行くほど責任が重くなるが、その責任を果たさなければいけない」と言っていたことを思い出して、つまりはこういうことなんだな、と考えたりもした。偉くなると本当にいろいろと面倒なことが増えてくるものだ。


「とにかく笑いを取って欲しい」というのが新婦からの要望だったので、一応、そういった挨拶を考えていた。多くの人が笑えるけれど、そのベースに、みんなが感心するような話を交える、そんな感じの挨拶にするつもりだった。ただ、ちょっと下品な部分もあるので、そこの部分は心配だった。
原案を職場の若い女の子に読んでもらったけれど、嫌悪感は感じないというので、そのままいくことにした。


会場には110名ほどの人がいた。司会の人と簡単な打ち合わせをした。
最初の新郎側の来賓挨拶は、短く、しかも原稿を見ることはなかった。
僕は2番目に話をしたが、とても原稿なしではしゃべることができず「こういうのも課題だよな」と思いながらしゃべった。
それなりに笑いも取れたけれど、引かれたところもあった。考えてみると引かれるようなところは、不必要な部分だったように思う。何を言うべきで、何を言うべきでないのか、もう少し考える必要があるように感じた。


それでも、概ね好評だったので、自分の務めはそれなりに果たしたのだと思って、あとは結婚式の間中、ビールやワインをすすめられるままに飲んでいた。随分と上の方の偉い席だったので、多くの人がビール等を注ぎに来た。注ぎに来た人達に「おめでとうございます。」と返事をしながら飲んでいた。


結婚式終了後、立川から五反田まで行き、ホテルに泊まった。
結婚式であれだけ食べ続け、飲み続けていたのに、腹が空いたように思って、ラーメン屋に行ってつけ麺と餃子を食べた。もう少し飲み足りないようにも思っていた(←大誤解)。
それでも、東京の和気あいあいとした風の居酒屋に1人で入る気にはならず、水だけ買ってホテルに戻った。それでよかったのだと思う。


翌朝は、前日に飲みに行かなかったために(←正解)2日酔いにはなっていなかった。
ホテルのロビーで無料の簡単な朝食をとったあと、パッキングをしてホテルを出た。


五反田から山手線で品川まで行き、そこから羽田空港の国際線ターミナルに向かった。
その途中で仕事の電話がかかってきて、電車を降りたところで、その対応をした。
「これから香港に行くんだ。」というと、その仕事の電話をかけてきた相手は随分と驚いていた。


羽田空港の国際線ターミナルは、閑散としていた。どこの航空会社の前にも列は見あたらなかった。もう旅立つべき人達は前日のうちに旅立ってしまったからかもしれなかった。
出国審査も誰1人として並んでいなかった。


空港で、香港ドルに日本円を両替したが、実は日本で香港ドルに両替をするのはかなりレートが悪いのだと、あとからガイドブックで知った(それからあと、香港にある多くの両替でレートを見た。確かに日本のレートは悪いが、大金を動かすわけではないので、そんなに気にしない。)。


乗る予定だったキャセイ・パシフィック航空の旅客機は見た目が随分と古そうだった。
それはきっと、塗装のせいだろう、とムリに思ってみようとした。


My Kiasu Life in JAPAN-cathay pacific
(何を撮ったんだかわからない写真で、すまん。)


昔は、遠距離のフライトも平気だったが、最近は4時間程度のフライトでも座席に座っているのが苦痛だ。たまたま行きの座席は両隣の席が空席だったが、それでも楽だとは思えなかった。ビジネスクラスで旅行ができるように、いつかはなってみたいものだ。


「ドラゴン・タトゥの女」のハリウッド・リメイク版が映画のリストの中にあったので、それを見ようと思ったら、吹き替えはイタリア語しかなく、字幕は中国語と英語しかなかった。やれやれと思って、映画を観るのはあきらめて、中国語の入門編の本を読んだ。
それも退屈で、本当に苦痛だった。


香港に着くと、まだタキシング(滑走路からドックまでの走行)中に、携帯電話の電源の許可がおり、またシートベルトのサインも消えた。
このあたりは、さすがアメリカの会社だという気がする。日本航空は機体が完全に止まって、ドックとつながるまでシートベルトのサインも消えないし、携帯電話も許可にならない。


中国の方々が一斉に立ち上がって、上の棚から荷物を下ろし始める。僕は一切、上の棚に置かなかったので、少し遠くに座っていた目ざとい中国の方が使っていたのだが、その人も僕の座席を目がけて走ってくる。もう少し、落ち着けよ。と声をかけてあげたいところだった。


香港の空港も、それほど混んではいなかった。
入国審査もほとんど待たずに通過できた。


ホテルまで、面倒だからタクシーで行こうとも思っていた。でも、ふと空港が成田空港のように遠く離れた場所だったらどうするんだ?なんて思い始めてしまい、ちょっと調べたら簡単そうだったので、エアポート・エキスプレスに乗ることにした。


切符売り場も閑散としていた。30日間有効の往復の切符があることがわかったので、それを買うことにした。


エアポート・エキスプレスの切符売り場には「もし、ここで切符を買わなかった場合には、到着したところで精算してください」と書いてあった。じゃあ、どうやって改札を通過して乗るんだよ、とずっと不思議だった。


エアポート・エキスプレスの標識に沿って歩いて行ったら、空港から全く段差も改札もない、その場所が、ホームだった。
ドアが開いて、いきなり荷物を持って乗り込むことができる。
確かに改札がないなら、目的地で支払えっていう注意書きは意味があるよな、とそこで初めて理解ができた。


香港駅で降りて、そこから宿泊ホテルのあるトンロウワンまでタクシーに乗った。本当はタクシーでなく、地下鉄でも十分だったのだが、とりあえず1度タクシーに乗ってみたかった。タクシーは初乗りが200円程度で安く、かなり渋滞に巻き込まれたが、それでも着いたときに500円程度しかかからなかった。


ホテルはツインのシングルユースで頼んでいた。でも、申し込むときに、禁煙の部屋にしてもらうのを忘れていたので、フロントで交渉すればいいやって思っていた。
希望どおり禁煙の部屋にしてもらい、泊まったのは20階にある部屋だったが、ツインの割には小さく、まるで日本のホテルのようだった。


My Kiasu Life in JAPAN-from hotel window
(ホテルの窓から見た香港。100万ドルの夜景どころか10円くらいの価値しかない。)


そして、初日はホテルの近くを散歩した。湿気が多く、暑かった。イギリスのように、雨が降ったりやんだり、天気の移り変わりが激しい。傘を持ち歩くのは面倒だったので、ずっと雨の間は帽子を被っていた。


とにかく人が多く、街中に活気があった。上野のアメ横と歌舞伎町を合体させたような街だった。内装材や照明器具を売る店がひとつの通りに何軒も店を出している。おそらく、マンションを購入したあと、購入者が内装や照明を施工するのだと思う。


工事も至る所でしていたが、建築用の足場は竹で組まれている。上半身裸の大工さんが、足場のヒモを縛っているのを見た。表情が生き生きとしていたのが印象的だった。好景気なんだなあ、と思った。


My Kiasu Life in JAPAN-banboo
(竹は軽くて丈夫だからなあ。)


今回、iphoneを持っていたので、現在位置などを確認するのにとても役だった。
一応、海外パケットし放題というのに入っていたけれど、実際にはいくらくらいの請求が来るのか不安ではある。


僕は汗もすごくかく。自分の汗に耐えられなくなった頃、駅のまわりにいくらでも見つかるマッサージ店のうちの1つに入った。北京のときのような若い女の子を期待していたのだが、おっさんだった。手のマッサージダコがすごかった。肩と足のマッサージをしてもらった。
肩が痛いのは前から自覚があったけれど、足も相当痛いことがわかって発見だった。


北京でもそこそこ英語が通じたので、元英国領だった香港ならほぼ100%英語が通じると思っていたのだが、それこそ思いこみだった。英語はほとんど通じなかった。すれ違う人は多様で、インド人、アメリカ人、ヨーロッパ人等様々だ。ヨーロッパ系の信じられないほどきれいな女の人ともすれ違い、ワオと思った。


それから、近くのレストランで、ご飯と牛肉を蒸したものとか、豚の内臓と蓮のスープという不思議な、でも、おいしいご飯を食べて、ホテルに帰って寝た。


この日の夜は、すごい雨だった。ホテルの窓に叩きつける雨の音が大きかった。雷も鳴っていた。


翌朝は早く起きて計画を立てた。でも今回もまた、完全に1人の旅なので、特に行くべきところもなかった。僕は基本的に、そんなに観光地を歩き回るタイプじゃない。


ホテルを出て、カメラを忘れたことに気づいて取りに戻った。もう部屋は清掃が始まっていて、若い人のよさそうな兄さんが一生懸命、トイレを磨いていた。


タクシーで帰ってくるときに必要になるかと思ったので、そのお兄さんに「僕が泊まっているこのホテルの名前は中国語で何というのだ?」と英語で聞いてみた。あまり想像していなかった読み方だったのだけどニュアンスはわかったので、僕も発音してみた。でも、全然、ダメらしい。
最後は「うん。まあその程度でしょうがない。」という感じで頷いてくれた。タクシーで帰ってくるときには、やはり筆談しかないと思った。


My Kiasu Life in JAPAN-hongkong street
(香港の朝の風景。肉を切っては吊していく。魚もいっぱい切り身にしていた。)


電車に乗って、チムサアチョイという駅で降りて、アベニュー・オブ・スターズにあるブルース・リーの銅像を見に行った。
すごい人気で、みんなが取り囲んでいる。


My Kiasu Life in JAPAN-bruce lee
(この像の前では、必ずみんな拳法のポーズをとる。人類のDNAにきっと埋め込まれているのだと思う。)


そういえば、以前、アメリカで「アメリカ人が最も知っている日本人」というアンケートを採ったところ、1位がブルース・リーだったとか。いずれにしても偉大な人だ。


ジョン・ウーの写真もあった。


My Kiasu Life in JAPAN-john woo
(昔はいい監督だった。今は白い鳩を出し過ぎ。マジシャンじゃないんだから。)


僕は「男達の挽歌」シリーズが好きで、ジョン・ウーの映画も何本も見た。
香港に来るなんて、男達の挽歌を見ていた頃は考えることすらしなかったよな、と思った。


それから、歩いてDFSギャラリア・サンプラザ店に行った。ガイドブックには「中国茶や菓子などの香港みやげも揃う」なんて書いてあったから期待していったのに、売ってなくて、よく空港内にあるような超高級品を扱うショップが並んでいるだけだった。


チムサアチョイという駅のまわりには、数多くのマッサージ店がある。通りを挟んだ向こう側に高級そうなマッサージ店を見かけたので、そこに行くべきか少し考えていた。
「ここ、安いよ。」
おばちゃんにそう日本語で声をかけられて、手を引かれて安そうなマッサージ店に入っていった。
そこで、肩を中心に全身のマッサージをしてもらった。


とりあえず、パンツ1枚になれというので、そうした。
マッサージをしてくれるのは40歳くらいの太ったおばさんだった。昨日はおっさんだったし、北京のマッサージ店が恋しくなってきた。
壁には「色情禁止」みたいなことが書いて貼られていたが(本当に書かれていたのは「色情免問」。本当の意味はわからないが、たぶん禁止って意味だと思う)、どうもこのおばさんの動きが怪しい。


うつぶせの間はまだよかったが、仰向けになってからは妙に足の付け根や胸のマッサージが増え、ときどき、直接触れては、「あっ」なんて声を出したりする。そしてそれからしばらくして「スペシャルマッサージあるよ、気持ちいいよ」と日本で言ってくる。
「いらない」って断ったけど、本当に北京のマッサージ店が恋しくなってきて、なんだか香港のマッサージ店は残念な店が多いなあ、と思った。


店を出たあと、ワンチャイという駅までまた電車に乗って行き、そこでガイドブックに載っていた、カンフー・サプライズという店に行った。
もっと大きな店かと思っていたのだが、1階は飲食店で、6階がその店だった。


狭い店で、店主もあまりやる気がなさそうで、商品の陳列もいい加減だった。
そこで、練習用のソフトヌンチャクを買った。


今回の香港旅行に行くことはあまりいろんな人に話してはいなかったけれど、それでも何人かには話した。話したある人から、「おみやげにヌンチャクを買ってきて欲しい」と言われていた。


それは職場全体の歓迎会のときだった。
「どうするんだよ。ヌンチャクなんか。」
「でも、何しに行くんですか?香港。もしかして買春ツアーですか?最低です。」
「そんな人だとは思っていなかったのに。」
「誰が買春ツアーに行くなんて言ったよ。」
「気をつけてくださいね。病気…。」
「おみやげは、忘れないように。病気は持ち帰っちゃダメですよ。」
「うるせえよ。」


「ほかにもおみやげを買わないとなあ。」
めんどくさいので、どこか旅行に行ったらおみやげを買うという制度そのものを廃止してもらいたいものだ。
僕は基本的にみやげなんか買うのも大嫌いだ。


トンロウワンまで歩き、そこにある日本のデパート「そごう」へ行った。ここならきっとおみやげがあるだろうと思ったが、何しろ職場に15名も職員がいるので、なかなかそんな数の入ったお菓子がない。


とりあえず、ツバメの巣入りソフトキャンディーというのを買った。それから、姉にも、瓶入りのツバメの巣を買った。こっちは1瓶6000円以上する。
それから、ホテルに帰るまで、あちこちでおみやげを買いながら帰ってきた。


My Kiasu Life in JAPAN-street2
(香港の喧噪を撮ろうと思ったんだけど、意味不明な写真に。ちなみにタクシーは赤の箱形クラウンが主流だった。)


ホテルに帰ると、もうすっかり疲れていた。シャワーで汗を流して、着替えてビールを飲んだら、猛烈に眠くなってきて、寝てしまった。それから、朝になるまで、目を覚まさなかった。


翌朝、起きると、もうすることがなかった。見るべきものは見たし(ブルース・リーの銅像のことだけど)、マッサージは期待したほどではないことが分かったし、点心も食べた。


My Kiasu Life in JAPAN-tempura?
(唯一の心残りは、この和風天ぷらバーガー。食べたかったけど、朝だったのでダメだった。)


香港は暑いのに、すべての店のスタートが10時以降で遅い。午後1時オープンで午前2時までなんて店も多い。基本的に夜がメインの街なのだ。だから僕みたいに、朝早起きして街を歩いてもあまり意味がないのかもしれない。


やることがなかったけれど、せっかく香港にまで来ているのだからと、ガイドブックに載っている文武廟というところに行くことにした。
文武両道ということでまつられているらしい。
そして渦巻き型の線香が必見ということになっている。


ションワンという駅で降り、文武廟まで歩いた。
もっと遠いのではと覚悟をしていたが、意外と近くだった。


アメリカ人観光客にガイドが説明しているのを聞きながら、なかに入る。
確かに、渦巻き型の線香は圧巻だ。
でも、それだけで、あとはあまり興味がわかなかった。


My Kiasu Life in JAPAN-monbu-byo
(渦巻き型の線香がいっぱい。黒、金、メタルは豪華さを伝える色の組み合わせだけど、実に効果的に使っている。また、派手な赤色もいい。配色の勉強になる。)


それでも時間がたっぷりあるので、また、チムサアチョイという駅まで行って、マッサージを受けることにした。今度は失敗しないつもりだった。


大手の店はまだ閉まっていたので、街角にある小さな店に行った。
おばあさんというような人が出てきて、オイル・マッサージをしてくれるという。


今回は、パンツも脱げと言う。しかも、パンツを脱ぐ間、股間を凝視している。いろんなことに失敗したといろんな反省をしながらパンツを脱いでうつぶせに寝た。


うつぶせの間のマッサージはよかったが、そのあと、仰向けになれと言われ、それからしばらくしたら、股間を触りながら(今回は直接だ!)「ココのマッサージをするならお金がもう80ドルかかる」とふざけたことを言うので、断った。


何回失敗したら、自分が学習するのか、自分に対して本当に腹が立った。


その後、ヤウマイテイという駅まで電車に乗り、ガイドブックに載っていたブルース・リー・クラブというところに行く。
想像したよりはるかに小さく、そして暗い店だった。
おばさんが店番をしていたが、商品もTシャツ、キーホルダー、おもちゃのヌンチャク、ブルース・リーのルービックキューブ程度しかなかった。
友達のために、おもちゃのヌンチャクと、キーホルダーを2個買った。


そこから、香港西武の入っている大きなランガム・プレイスというショッピングモールまで歩いた。でも、特に買うものもなかったので、何も買わずにまたトンロウワンという駅まで戻った。


香港の街は建築資材の店も多いし、不動産屋も多い。そして売っている金額が庶民の生活に比べてすさまじく高い。「バブルが日本でも続いていたら、日本でも今でもこんな活気があったのかなあ」なんて歩きながら思った。


街を歩いているうちに、上からときどき雨粒のようなものが降ってくる。最初はなんだかわからなかったけれど、途中でエアコンの排水だ、とわかった。でも、特に誰も問題にしていないようだった。


それから、イギリス時代からの伝統なのか、歩行者は信号機を守らない。
一方通行の道には、右から車が来るから右を見ろ!と道路に書いてある。
とても合理的で、これは気に入った。


My Kiasu Life in JAPAN-look right
(LOOK RIGHT→ わかりやすい。日本だと、万一のことを考えて、左側も見ろとかいうんだよ。きっと。)


長時間歩いたので暑くて、汗が噴き出ていた。
ホテルの近くのレストランで食事をしながら、ビールを2本飲んだ。


そしてホテルに帰ってきた。でもまだ3時だった。
軽くシャワーを浴びると、もう少しだけ散歩してこようという気になった。


そしてよせばいいのに、またマッサージ店に行った。
お店で用意をしたパンツを履かせられ、うつぶせになって待っていたら、今回は比較的若い女の子が来た。少しほっとした。でも、英語は全然できず、会話はできなかった。


この女の子が怪力の持ち主で、「リンパ排毒マッサージ」というのをやっているのだと思うけれど、何度も悲鳴をあげそうになった。でも、これできっと身体がよくなると思って、目をつぶって歯を食いしばってじっと我慢をしていた。


時間の60分になっても、マッサージは途中で終わる気配はなかった。「延長するか」と英語のわかるおばさんが聞きに来たが、やめられるような状況ではなかったのでもう30分延長した。


若い子だったので、余計な手出しもサービスもなく、その点はよかったが、何から何までが痛くて、痛がっているとばれてしまった右足内側の筋肉は相当に痛めつけられた感じがした。それでも、今まで受けてきたマッサージのなかでは、特別に効いたような気がした。


それから、ホテルに戻って、ヒストリー・チャンネルを見ながら、ビールを1リットル飲んで、翌日の帰国のためのパッキングもそこそこに寝てしまった。


翌朝は5時に起きてパッキングをした。思ったより荷物も少なくて、パッキングも簡単だった。8時45分発の飛行機だった。
昔は海外旅行は2時間前には空港へというのが鉄則だったが、最近は1時間前でも十分になっているらしい。余裕がありすぎるとは思ったけれど、6時15分頃にはホテルを出て、タクシーに乗って、香港駅に行き、そこからエアポート・エキスプレスに乗って空港へ行った。


天候は快晴だった。香港にいた数日間、雨期なのかと思うほどどんよりとした雲に覆われていたが、晴れた日の香港は、高層の建物が日の光に照らされて輝いていた。
最後の最後に、こんなに美しい香港を見るなんて、と思った。


7時30分頃には、空港にいて、全ての手続きを終えていた。
職場に電話をしようとして、国番号とか必要なんだろうか?と思いながらiphoneで日本で電話をかけるように普通に電話をしたら、職場に直接つながったので驚いた。
そこで仕事についてのいくつかの打ち合わせをした。


世界は小さくなったけれど、好きでもない仕事が身近に感じられて、それはそれで困ったことだなとも思った。


そして日本に帰ってきた。今日からまた日本でのつまらない僕の日常生活が始まる。


そしてまた、次に香港に来るときには、友達とか恋人とかと来たいと思った。やっぱ、1人だとつまらない。

金曜日に東京へ出張をした。アレルギーのせいなのか、眠たくて仕方がなかった。
長野駅で缶コーヒーを買ったのだが、自由席の座席に座ったとたんに目をつぶってしまい、新幹線のなかでは缶コーヒーを飲む時間がないほど寝ていた。


出張先の麹町では、某社団法人主催の講義を聞いたが、半分は民間会社のあまり実のないセールストークでうんざりとした。


夕方、最近新しい仕事に就いたOと赤坂で飲む約束をしていた。
「フーターズっていう一番アメリカらしい店」が、きっと僕の好みだとOがいうので、Oの仕事が終わるまで、赤坂東急プラザの2階にあるフーターズで1人で飲むことにした。
店に入るとき、まだ5時頃だった。「7時から席を空けてください」と言われたので、「わかりました」と答えた。


若いウェイトレス(フーターズ・ガールというらしい)が白いタンクトップにオレンジ色のホットパンツを履いて注文を聞きに来る。これが俺の好みなのかわからなかったけれど、確かに嫌いじゃない。まあ、好きなんだろうと思う。
http://www.hooters.co.jp/
バドワイザーを頼んだら、栓のない瓶のバドワイザーを1本、置いて行った。


高校時代、授業が終わった後、よく教室でビールを飲んでいた。そしてあるとき友達が瓶のバドワイザーを買ってきたことがあった。
「栓抜きがない」という友達に、「バドワイザーの栓はひねれば開くんだよ」と教えてあげたことがあった。本を読んでいて知っていたのだ。
もう遥か大昔の話しだ。


Oが来るまで、本を読んでいた。途中で、Oから電話がかかってきて、「どこで飲んでいるんですか?」という。「フーターズだよ。」「本当ですか?冗談で言ったのに。」
冗談だったのか…。


Oが来てから、料理の注文をした。
「メニューも英語なんだ。」テーブルにあったメニューを見ながら僕が言うと、「日本語のメニューもありますよ」とOが言う。確かに、日本語のメニューもあった。でもめんどくさかったので、英語のメニューで注文をした。
タンクトップのフーターズ・ガールが注文を聞きに来る。
「フライドチキンの10ピースと…」
「揚げた鳥ちゃんね。」「うん。そう。揚げた鳥ちゃん。」
ほとんど、フーターズ・ガールのおすすめばかりを注文した。
「メモ取ってないけど、注文、大丈夫なの?」
「覚えちゃうから大丈夫。」すごいなあ、と思った。


「若い女の子来ると、本当に嬉しそうな顔をしますね。」
「うん。それと俺はこういうところで働く若い女の子って尊敬しているんだよ。俺には絶対できないことをしているから。」


突然、バックグラウンドで流れていたマイケルジャクソンの曲の音量が大きくなって、フロアにいたフーターズ・ガール(ズ)がダンスを踊り始めた。ダンスといっても軽いパラパラのような感じだ。
「僕は、アメリカで3、4件のフーターズに行きましたけど、こういうダンスはありませんでした。日本のフーターズはどこか違いますね。」そうOが言う。
なるほどなあ、と思った。


店を出るとき、2度目のダンスタイムがあって、それを見ながら会計をした。
「2度もダンスが見られてラッキーだね。」そうフーターズ・ガールが言う。このダンスが2度見られるのが、ラッキーなのかよくわからなかったのだが、それなりにおいしかったし、総体的にはラッキーだったような気もした。「うん。本当に。」と言って店を出た。


それから、もう1件、バーに言った。まだ時間が早く、アーリーバード(早期割引のこと。The early bird catches the worm.(早起きの鳥は虫を捕まえる)) が午後8時30分までだったので、たっぷりとそれで飲んだ。
翌日ソフトボールの試合があるからと、セーブして飲むつもりだったのだが、この頃にはそんなことはすっかり忘れて、好きなだけ飲みながらOの新しい仕事の話しなどを熱心に聞いていた。


夜は新幹線で長野まで帰った。帰りの電車のなかでキャラメルをかんでいたら、ゴリッという音がして歯の詰め物が取れてしまった。なんてこったと思いながら、それからまた寝た。
帰ってくるまでの記憶はちゃんとひと揃いそろっているけれど、家に帰ってきたのが何時だったのかは覚えていない。気にせずに寝たのだと思う。


翌朝は、2日酔いというわけではなかったけれど、どこか体調が優れない気がしていた。それでも集合時間の12時には、千曲川の河川敷グランドになんとかたどり着いた。
途中、使うグランドがどこかわからず、車に乗ったままウロウロしていたら、やはりウロウロしている車がいて、それが僕の友達だった。ウロウロしている人もいて、彼も僕の友達だった。彼は俺の車に乗せた。そこから僕たちの使うグランドにたどり着くまでに、かなりの距離があった。


いい天気だった。
2チームで2試合を闘うことになっていた。久しぶりの試合だったけれど、メンバーも知らない人が多いし、どこのポジションを守るのかも決まっていない。
いよいよ守るという段階になって、やっぱりピッチャーは僕がやることになった。


こういう草ソフトボールで僕が一番ダメだと思っていることは、ピッチャーがフォアボールを連発することだ。打たれて塁が埋まるのは守備も納得するが、フォアボールで塁が埋まるとバックがやる気をなくしてしまう。それで、とにかくストライクを入れることだけを考えて投げた。


よく打たれたし、エラーもあって最終回までに16対6で負けていた。
最終回の攻撃で、10点差を追いつかなければ、もう負けが決まってしまう。
簡単に2アウトを取られて、もうダメだと思った。次の試合をがんばろうと思っていたら、そこから打者2巡の猛攻になって、結局16対20で逆転した。これが草ソフトボールのいいところだ。


バッティングセンターで時速80キロ以上のソフトボールをかなり打ち込んできたので、打つ方はかなり自信があった。それでも、遅い球を待ちきれず、バキバキバキバキーという感じのホームランを打ちたかったのだが、どこかつまらない単発のヒットばかりになってしまった。それでも、満塁のときに、きれいなレフト前ヒットを打ったときは、嬉しかった。


逆転してもらって突然、勝ち投手の権利が取れそうになったので、燃えた。
その裏の攻撃はなんとか守りきって、勝った。
「先発完投、勝ち投手。いい言葉だなあ。」ベンチがわりの草原で次の試合までの時間をつぶしながら、そんなことを言ってチームのみんなと笑っていた。
「もう少しで敗戦処理だったのに。」
「本当だよ。打線を信じて投げました。いい言葉だ。」


「さっきの打席、2アウトだったんですね。僕はまだ1アウトだと思ってました。」
フォアボールを選んだ同僚が声をかけてくる。ギリギリのボールは振らないくせに、絶対に届かないようなボールを振るので、ヒヤヒヤしながら見ていた。
「もし2アウトだって知っていたら、全部のボールを振っていました。知らなくてよかったです。」なんて言うので笑った。


2試合目は最初から打線が爆発して、あっという間に16点も入った。相手チームは戦意を喪失したのか、勢いをあまり感じなくなっていた。
2試合目はベンチに偉そうに座って(先発完投、勝利投手だから)、応援しているだけで基本的にはよかったのだが、最終回だけは頼まれて投げた。


それまで、外野にフライが上がれば長打は確実だったのだが、僕が守ったその最終回だけは、センターがフライを捕ったので、一気に勝利に近づいた。
最後は2アウト1塁で、セカンドのベース前に球が転がり、セカンドが拾って、ベースを踏んでゲームセット。


表彰式で、勝った僕たちはビールを受け取ったが、近頃の若者はビールを飲まないらしく、みんな辞退するので、おっさんばかりが6缶ずつもらって帰った。
そういえば、薬屋のおばさんが「昔は4月といえば胃腸薬が売れたものだけど、最近は若い人がお酒を飲まないから全然売れない」と嘆いていたのを思い出した。


家に帰ると、体のあちこちが痛い。数年ぶりにソフトボールを投げて、よくストライクが入ったよなあ。でも、よかった。と思いながら熱いシャワーを浴びて、その日はそのまま寝てしまった。


翌日の日曜日は、つまらない用事で実家に帰らなければならず、実家まで往復した。
運転しながら、5月3日に元部下の結婚式があって、そこで新婦側の代表として挨拶をしなければならないことを思い出して、「もうすぐじゃん!」と改めて思い直して頭を抱えた。まだ何にも内容を考えていない。


考えがまとまらないまま、また長野まで帰ってきた。


そして長野まで着くと、全てを忘れてしまい「ミッション:インポッシブル/ゴーストプロトコル」を見た。


My Kiasu Life in JAPAN-ghost protocol

トム・クルーズは相変わらず素晴らしかったが、アクションが行き過ぎて、絵空事に感じるのは、これはもうハリウッド映画の宿命みたいなものでどうしようもないのだと思う。



My Kiasu Life in JAPAN-ghost protocol1
ただ、僕が今回のトム・クルーズの演技を見ていていいなと思ったのは、もちろんそういう脚本だからなのだけれど、部下の失敗を責めないことだ。

My Kiasu Life in JAPAN-ghost protocol2

今回のソフトボールでも、レフトのトンネルとか笑っちゃうようなミスが連発したけれど、僕自身、よく怒らなくて我慢できたと思う。
人が怒れるのに怒らないでいるのを見ると、いいなと思うし、俺もそういう人になりたい。


よくいうように、世の中のたいがいのことはそこまで厳しくする必要がないことのように思う。「人には厳しすぎず、自分には真面目すぎず」あたりが後悔しない人生を送れるコツのように感じる。


木俣由美の「民法がわかると会社法はもっと面白い!~ユミ先生のオフィスアワー日記~」(第一法規)を読み終わった。


My Kiasu Life in JAPAN-民法がわかると

読み終わって、この本でどれだけの知識が増えたのかは相当疑問が残るところで、あまり得たことは少なかったように感じた。
この本は、体系がキチンと取れてなくて、思いつきで論点を並べているような感じがする。


それでも、途中に盛り込まれている由美先生のダジャレは、ときどき「やるなあ」というレベルのものもあった。
僕が特に気に入ったダジャレは、次の2つだ。


1 会社の「社団」性について
ユミ 会社はこれまで社団法人とされてきたけど、会社法の制定で、会社の社団性はなくなったとも言われているのは、知ってる?
トラ吉 「社団」って、人の集まりのことですね。ちなみにお金の集まりは「財団」です。
ユミ そう、ついでに花の集まりは「花壇」


2 代理制度の仕組みについて
新人君 「代理」って何ですか。
ユミ やぶから棒ね。ひな祭りのときに飾る、男の人形のことじゃない。
新人君 それは内裏様でしょ。


読んでいて思ったのは、この木俣という先生は知識はものすごくあるし、それを面白く伝えたいという思いも相当あるということ。そして、でも、なんだか上滑りをしているようなのは、体系立っていないことと、知識の方を出し惜しみしたからだと思った。「入門書」にこだわったのかもしれず、それは編集サイドの問題なのかもしれなかった。


日曜日はそんな風にして過ごした。


そして月曜日。もう昼近いが、僕はこれから、なんとしても結婚式の挨拶を考えなくてはならない。
午後の僕に期待したい。


それから5月3日の結婚式に行ったその足で、4日から7日まで香港に行くことにした。
その準備もまだ何もしていない。


やることが多くて、なんだか溜息が出そうだ。

週末は、実家に帰った。
途中で、クリーニング店に寄ってワイシャツを出すついでに、着ていたダウンジャケットを脱いで、それもクリーニングに出した。


実家に帰る途中で、ソフトバンクに寄って、新しい携帯電話を買おうと思っていた。今使っている922SHという3G携帯は、インターネットマシンなんて呼ばれているけれど、実際にインターネットを見るにはかなり無理がある。


そうは言っても携帯電話に求めることが、僕はそれほど多いわけではない。
インターネットが使えて、メールが打てて、後は電話で話ができればいい。
音楽も携帯電話で聞こうとは思わないし、カメラは持ち歩くので、不必要だ。


今まで使っていた、922SHのデザインは気に入っていた。


My Kiasu Life in JAPAN-922sh

(使っていたのは、白色のもの。酔ってなくす前はこの色のものも使っていた。)


同じように、できたら縦の辺が2つ折りになるフルキーボードのスマートフォンが欲しかったのだが、そういう要望は少ないのか、新しい機種でそういった仕様のものは無いようだった。


ネットで調べたら、GALAPAGOS 005SHという機種は、2つ折りではないもののスライド式のフルキーボードがついているということで、買うのはこれにしようと決めていた。


My Kiasu Life in JAPAN-005sh
(スライドさせるとキーボードが出てくる、らしい。)


ソフトバンクの店に着いたら、ほかに誰もいなかった。
携帯電話の店というと、すごく混んでいて順番表を受け取って何十分も待つ、というのが普通だと思っていたので、まだ4月のこの時期にこんなに閑散としているとは思わなかった。もっとも、多くの人は量販店で携帯も買うので、わざわざソフトバンクの店に行く必要がないからなのかもしれなかった。


ぽつんと座っていたお兄さんに、GALAPAGOS 005SHを買いたいと話したら、もうその機種は売っていないということだった。俺、さっきソフトバンクのサイト見たら売ってるって書いてあったぜ、と言おうと思ったけど、やめておいた。


ネット環境が充実しているものはスマートフォンかiPhoneだという。
「その違いは何?」


基本的にはOSが違っていること、iPhoneはお財布携帯も使えないし、防水にもなっていないこと。でも、コストパフォーマンスはiPhoneの方がいいこと。
大体そんなことを説明してくれた。


「suicaが使えませんって、俺は長野の田舎に暮らしているから必要ないよ。安い方でいい。」
それで、結局、iPhone4sの一番安い16GBのメモリのものを買った。


My Kiasu Life in JAPAN-iphone4s

買ってからの設定が、大変だった。店が暇だったせいか、店員の人が付きっきりで説明をしてくれて、いろいろな登録や電話帳を載せ替える手伝いをしてくれた。
「使えるようになるまでの設定が大変で、それでiPhoneは使えないとか、便利じゃないって言う人が多いんです。」そう店の人は言っていたが、そうだろうなと思った。


使っていると徐々に仕組みが理解できてくる。
パソコンとiPhoneを繋げ、My Softbankに接続すると、設定をパソコンの大きな画面ですることができる。その段階で「なるほど。こういうことか。」と理解ができるのだが、iPhoneの小さな画面だけでは、自分が何をしているのかも今ひとつ理解ができない。店の人を100%頼って設定をしてもらった。


それから実家に帰った。
ここのところの強風で、家がどうなっているか心配だったのだが、大した影響はないようだった。それで、溜まっていた郵便物を処理すると、すぐにまた長野に戻ってきた。


長野に帰ってきて、荷物を玄関の前に置いて、家の鍵を開けようと思ったら、鍵がない。「くっそう。車のなかか。」
車まで取りに行ったけれどやはりない。
それで、少し呆然とした。


強風が吹くなか、駐車した車のなかで、少し冷静になれと自分に言い聞かせた。
「どこでなくしたんだ?実家か?でも実家で鍵を出すなんてことないだろ?」


しばらく考えて、「そういえば、クリーニング店にダウンジャケットを出したんだった。あのとき、ポッケに入れっぱなしだったのかも。」と思った。
そして、車のなかに家の鍵のスペアを隠していたことを思い出して、それでなんとか家には入れた。


翌日の日曜日、クリーニング店に問い合わせたら、「もう工場に送っちゃったから明日にならないとわからない」ということだった。


やれやれと思った。
それから勉強もせず、ネット麻雀などをダラダラとして週末は過ごした。
週末には車のタイヤも履き替えようと思っていたが、まだスタッドレスタイヤのままだ。


「まったく、週末の俺ときたら。。」
平日は眠いのを我慢して5時30分から勉強しているというのに、何にもしないんだもんな。


毎週のことだが、自分にあきれかえるような思いがする。