昨年、シンガポールのホテルのプールで、平泳ぎをしたくらいで、ここ何年かは本気で泳いだことがなかった。


直近で、クロールで泳いだのはいつのことだろう?そのときは、ゆったりと泳ぐことができず、力を抜くことも息継ぎもできなくて、死にそうになった。


「もしかしたら、クロールで泳ぐことすらできなくなっているかも」と密かに思っていた。
最近、軽い花粉症気味なこともあって、力一杯泳いで、いろいろと流し去りたかった。


ジムには月に数回しか行かないが、ジムにプールがあることは以前から知っていた。
一応、火曜日にジムに行ったときに、受付の人に「僕もプールを使えますか?」と聞いたら、もちろんいいと言うことだった。
木曜日の日、その日は激しい雷雨だったが、プールに泳ぎに行った。


「そちらでシャワーを浴びてください。」
親切なインストラクターの人が、いろいろと教えてくれる。
蛇口をひねると、適温のお湯が出てきて、快適だった。


最初は300メートルくらい、プールの中を歩いた。
そのうちに泳げそうな気がしてきたので、100メートルくらい泳いだ。
まだ、泳ぐのに慣れていないせいか、泳ぐのが、とても疲れる。
それでも、久しぶりに泳いで、それがなんだかとても気持ちがよかった。


プールサイドにジャグジーがあり、そこで体を温めてから、プールを出た。
「こんなに快適なプールは初めてだ」と思った。


金曜日には職場の飲み会があった。
安い店で、飲み放題だった。


ビールから、途中で赤ワインにしてみた。
最近、ようやくワインが少しわかってきたような気がしていた。
美味しいワインは、田舎の小学校の校庭のように、広く遮るものがない大きな世界を感じるが、今ひとつのワインは校庭のあるところから先に大きな壁を作られたような閉塞感というか遮断感を感じる。


そこの店のワインは、そこにまでもたどり着いていなかった。非常に酸っぱくて、酢を作ろうとしていたら失敗してワインになってしまいました、という感じだった。


仕方がないので、それからは酎ハイばかり飲んでいた。
1次会は2時間ほどで、それからスナックに行って1時過ぎまで飲んだ。
5年ぶりくらいに行ったのに、店のママは僕のことを覚えていて驚いた。
どういう記憶能力なのだろうと、こういうサービス業の人の店に行くたびに感心する。


「また5年は来ないと思うから、無駄な気がする。」
頼まれてウイスキーのボトルを入れたが、とても良心的な値段だった。こういうスナックもいいなあと思った。


そんなわけで、土曜日は久しぶりに2日酔いで気分が悪かった。
車検の支払いやら何やらで、出かけなくてはならなくて、苦しいなあと思いながら手続きに行き、クリーニングも出しに行った。
洗濯や料理をして、本を読んで、DVDを見て、あとは寝ていた。寝ていても気持ちが悪かった。


それにしても、スナックで4時間ほど飲み、それで2日酔いになってほぼ1日を台無しにしてしまうというのは、どう考えてもバカだ。そういえば、随分と濃い水割りを飲んで、途中からはタバコも吸っていた。タバコを吸うのも何年ぶりだろう?


9月1日からは勉強をする心構えになって、23日のTOEIC本番に間に合わせなくては、と思っていたのに、英語の勉強はほとんどできなかった。毎度のことながら、試験前の自分自身に対して、呆れた気持ちになる。


ロジャー・ドナルドソン 監督の「リクルート」を見た。コリン・ファレルとアル・パチーノが出演している。


My Kiasu Life in JAPAN-RECRUIT

コンピューターの天才がCIAにスカウトされる。ファームと呼ばれる施設のなかで、彼はCIAの工作員となるべく様々な知識を身につける。


My Kiasu Life in JAPAN-RECRUIT2

しかし、拷問に耐えきれずに脱落。ところが、この脱落は作り話で、実は真のエージェントとしてCIAにリクルートされていたのだ。


My Kiasu Life in JAPAN-RECRUIT1

誰が嘘をついて、誰が何を求めているのかわからない。主人公も混乱するが、見ている僕も誰が嘘をついているのかわからない。


なかなか面白かったけれど、ここのところクリストファー・ノーラン監督の画面の見事さに圧倒されていたので、その視点で見ると、今ひとつの感がした。


ニムロッド・アーントル監督の「アーマード」も見た。僕の好きなマット・ディロンが出ている。他にもジャン・レノをはじめ、出演者は豪華だ。


My Kiasu Life in JAPAN-ARMORED

久しぶりに悪役のマット・ディロンをわくわくしながら見ていた。


マット達、現金輸送チームが大金を横取りしようと企み、途中まではうまく行くのだが、現金を隠しているのをたまたま見ていたホームレスを殺してしまったことから、事情が変わってくる。


My Kiasu Life in JAPAN-ARMORED1

こんな悪いことはできない、と1人の仲間が現金輸送車(分厚い装甲に覆われている。アーマードというわけだ)に閉じこもり、呼びかけにも応じない。それが原因で、仲違いが起き、警察官も巻き込んでの静かな殺し合いが始まる。


My Kiasu Life in JAPAN-ARMORED2

心理戦の描写はよかったが、この仲間が現金輸送車に閉じこもらなければ、何も問題は起こらなかったわけで、見ている間は、この仲間の方が悪い奴のような気がしていた。


最後に、この仲間の行動が「表彰ものらしい」とボスに皮肉っぽく言われたとき、そこで、僕も初めて、彼は正しいことをしたのか、と目を覚まされたような気がした。


司馬遼太郎の「坂の上の雲(八)」(文春文庫)を読み終わった。ようやく全巻読み終わって、あとがきも全て読んだ。


My Kiasu Life in JAPAN-坂の上の雲8

この「坂の上の雲」を読んで、僕は歴史小説の面白さに初めて気づいた。また、戦略というものの重要性を初めて理解ができた。


「精神性と規律は無能な人間の隠れ蓑になる」という意味の文章がこの巻のどこかにあったが、北朝鮮のマスゲームや自分自身の経験からもうなずけるところが多い。現状を打開できる創造性がない無能な人間ほど、精神論を語り、規律を重んじるという指摘は確かにその通りだと思う。


リーダーとなる一番の資質は運が良いことだと、以前、もう亡くなってしまった叔父から聞いたことがあった。そのことについては出所も知らなかったが、「坂の上の雲」のこの巻に出ていた。


海軍の司令長官に、その当時閑職にいた東郷平八郎を選んだのは、彼が「運がいい男だった」からだという。
確かに、日本海海戦は「運」が相当程度にものを言った。そうだよなあ、運は大切だよなあ、と今では運に見放された感のある僕は思う。


運がよくなるように、とりあえずはよく笑ってみようと思った。笑う門には福来たるからだ。

先日、鶏の胸肉をフライパンで焼いた。胸肉はとても淡泊な味なので、濃厚なソースがほしいところだ。


トマトを刻んで炒め、その上から赤ワインをかける。沸騰したら弱火にして、煮詰めるつもりだった。最後に火を止めてから、バターの固まりを投入し、溶かせばそれなりに濃厚なソースができるだろうと勝手に思いこんでいた。


赤ワインに限らず、通常の液体であれば熱が無駄にならないので、フタをした方が早く沸騰する。だから鍋でトマトを炒めた後、赤ワインを注ぎ込んでフタをした。


赤ワインが十分に沸騰した頃、ソースはどんな香りになっているのだろうかと、期待をしながら鍋のフタを開けた。普通の人はそんなことはしない。俺は乙種の危険物の免許を全種類持っていて、その気になれば小麦粉だって鉄粉だって爆発させられるくらいの知識はあるはずなのに。


鍋のフタを開けた途端、当然のことながらガスの火が気化したアルコールに燃え移り、顔を近づけていたから僕の髪やまつげを焼いた。うひゃあ、と思いながら鍋をみると、フランベしたように鍋のなかも火が回って燃えていた。慌てて、ガスを止める。


俺は諦めが早い方だが、今回は最後までソース作りにこだわった。鍋の中を走り回っていた火が止まると、再びガスに火をつけて煮詰めた。それから鏡を見た。焦げくさい匂いはしていたが、極端に焼けこげた箇所というのはないようだった。


最後にバターを投入して作ったソースを鶏の胸肉にかけて食べた。そしてそれは狙ったとおりの味に過ぎなかったが、それなりにうまかった。


でも鼻毛も焼いたせいか、毛を焼いた匂いはいつまでも残り、それは翌日までずっと残っていた。


週末は名古屋に行った。名古屋駅近くの安いホテルに泊まった。安いせいかアジア圏中心の外国人が多かったが、僕は気にならない。


金曜日の夜は、友達の弁護士の美人秘書さんと錦の街でベトナム料理を食べた。そのあと軽くバーで飲んで、栄の繁華街を少し散歩してから、タクシーに乗ってホテルまで戻った。


栄の街を歩いているときに、昔はこの街でよく遊んだよなあ、と思い出していた。今も昔も客引きのお兄さんが路上に何人も立っている。「どう?キャバクラ?今日は水着イベントだから寄っていった方がいいよ」なんて言われる。
自分でも驚いたことに、行こうって気が全くわかなかった。興味がないっていうくらいに惹かれなかった。疲れていたからなのか、枯れてしまったのか、それはそれで寂しい話だなあと、考えながら歩いていた。


今回、名古屋に来たのは、2年間かけて受ける試験のスクーリングに出席するためだ。普通の人なら独学で学べることを、スクーリングと称して強制的に呼び出して、いろいろと親切に教えてくれる。土曜日から月曜日までの3日間、毎日6時間ずつ勉強する。お金がかかるようにできているのだ。それから趣味で取る資格なので、これで夏休みをつかってしまうことになる。


講義は多くの人が寝ていた。寝てしまうのも無理はないような講義も確かにあった。隣の席に座っていた女の子は、寝過ぎて体勢を崩し、机に激突して大きな音を立てていた。でも、本当に学ぼうと思って聞いていると、かなり聞き応えがあるいい講義だった。せっかくなら真剣に聞こうと思って、僕はブラックの缶コーヒーを飲んで寝るのを防ぎ、メモを取りながら聞いていた。「なるほど」と思う話もいくつもあった。


そんなわけで、僕はまだ明日まで名古屋にいる。


ロン・ハワード監督のSF映画「コクーン」を見た。


My Kiasu Life in JAPAN-cocoon

スピルバーグの「ET」では、少年たちとエイリアンの出会いと友情がテーマだったが、この「コクーン」では、老人たちとエイリアンの出会いと友情がテーマだ。


My Kiasu Life in JAPAN-cocoon2

まだCGがなかった時代のSF映画なので、何もかもが古くさい。上映された当時に見ていれば少しは感動したかもしれないが、脚本も含めて「ふーん」という感じだった。


My Kiasu Life in JAPAN-cocoon1

この映画では、最後に老人たちは永遠の命を求めて旅立つことになる。永遠の命を持ったとき、人は、そして社会はそれでも一夫一婦制を取るのだろうか?それとも浮気が公認されることになるのだろうか?映画のなかで、ガンが治って元気になった老人が、早速、浮気をしているのを見ながら「実際のところ、そうなったらどうなるんだろうなあ」と考えてしまった。


「NHKスペシャル 驚異の小宇宙 人体 6 生命を守る ~ミクロの戦士たち」も見た。これで、このシリーズも見終わったことになる。


My Kiasu Life in JAPAN-驚異の小宇宙 人体6

今回の発見は、私たちの体を強力な破壊力を持って外敵から守ってくれていたT細胞が、年老いていくと私たち自身の体を攻撃し出すということだった。このT細胞は胸腺で、どれが自分自身の体で、どれが敵なのかを学習するらしいのだが、もう5歳の頃にはその胸腺が崩壊を始めるらしい。


そういうわけで年老いていくと、T細胞は、何が敵で何を守らなくてはならないのかわからなくなってしまい、自分自身を敵と見なして攻撃するらしい。それもまた随分と寂しい話しだな、と見ながら思った。

iphoneに変えてから、毎日、すごい数の迷惑メールが届く。昨日は33件も届いた。


アメリカの迷惑メール送信者のインタビュー記事を英語教材で読んだ。

冒頭で、彼らは1日に平均1億8千万通もスパムメールを出すと言っている。(もっとも、このインタビューでは、後半でこの送信者は1時間に180万通を24時間送信する、と言っている。どう計算しても1億8千万には届かない。)


その数にまず驚いた。そういうことであれば、俺のところにこのくらい届くのも不思議ではないな、と思う。

最近は、「今夜泊めてください」というような女を装ったものから「俺はおまえしか目に入らない」という男を装ったものまで来る。


本当に勘弁してもらいたい。


月曜日の夜、右足のくるぶしの痛みが収まったと思ったら、右足の甲が痛くなってきた。
こんなにあちこちが痛くなるなんてことがあるのだろうか。


ネットで調べて見た。
「尿酸をコントロールできる薬がなかった昔は、痛風患者の多くは腎不全で亡くなくなりました。」
「一度に2つ以上の関節に発作が出たら、相当重症になっている証拠です。」
「痛風患者は心筋梗塞、脳血管障害になる確率が数倍に。」


読んでいるうちに、これは危ないと思った。心臓が痛くなってきたような気がする。そういえば、最近、頭痛を経験したなあ、なんて思う。僕は頭痛を感じたことが今までほとんどなかった。気づいていなかったけれど、人生の大ピンチなのかも。


それで火曜日に病院に行って検査を受けて、水曜日に診断を受けた。
自分でもそんなはずはないと思うのだけど、火曜日に血液検査のために血を抜いてもらったとき、それだけで体がなんだか楽になったような気がした。


水曜日の診断では尿酸値がやはり高く、医師に「残念ですが高尿酸血症です」と言われた。
思っていたとおりだったけれど、びっくりするほどの値ではなかった。もしかしたら、医師が驚くような値で、即入院になるかもと少しは考えていたけれど、それもなかった。


最近、NHKの「驚異の小宇宙・人体」を見ていて、僕の肝臓は大丈夫なのだろうかと心配をしていた。血液検査時についでにいろいろ調べてもらったのだが、肝臓の値やコレストロール値はそれほど高くなく、許容値の範囲内だった。少し意外だった。


土曜日の朝は、実家に帰った。そして小便器の排水の修理をしてもらった。
もともと小便器が排水の悪いモデルであったことに加えて、長年積もったカルシウム分で排水がスムーズにいかなかったことと、上からの流れてくる水の供給時間が長くなっていたことが原因らしい。理由はよく理解できなかったのだが、あまり長時間使わないと、供給時間が長くなることがあるらしい。そこも直してもらった。


それからお墓参りをして、また長野に帰ってきた。


「NHKスペシャル 驚異の小宇宙 人体 5 なめらかな連携プレー ~骨・筋肉」を見た。
だいぶこのシリーズの展開にも慣れてきて、面白く見られるようになってきた。


My Kiasu Life in JAPAN-驚異の小宇宙人体5

今回驚いたのは、人体のなかには、骨を壊してばかりいる細胞があるということを知ったこと。それは、破骨細胞と呼ばれている。この細胞はとにかく骨を壊すのだ。そして骨を作る細胞もある。これは骨芽細胞と呼ばれている。


つまり僕たちの骨は毎日、破骨細胞が壊して、骨芽細胞が作っている。そのように毎日、作ったり壊したりしているので、僕たちの骨は2年半で全て入れ替わってしまうのだそうだ。うひゃあ、と思った。


それから、骨にはところどころ穴が開いている。この穴は何かというと、骨のなかで血を作って、その血が出るところなのだそうだ。


まず、生命が生きて行くにはカルシウムが必要で、カルシウム豊富な海から上がった際、体にカルシウムを蓄えるタンクが必要になった。それで、その役割を骨がすることにした。
骨は芯まで内容物が詰まっているよりも、中空の方が丈夫。そして軽い。だから骨には芯の部分がない。そうすると芯の部分が空洞になるので、そこで血液を作ることにした。


どうも骨はそんな仕組みでできているらしい。
いつもこのシリーズを見るたびに思うのだが、体ってよくできているよなあって思った。


「バットマン ビギンズ」を見た。


My Kiasu Life in JAPAN-batman begins

両親を殺された大金持ちの少年が、バットマンというダークヒーローになるまでの成長を描いている。
「人はなぜ落ちるのか。それはそこから這い上がるためだ。」
古い井戸に誤って落ちた少年は、そう父親に言われる。冒頭で殺されてはしまうが、素晴らしい父親なのだ。


My Kiasu Life in JAPAN-batmanbegins1

「影の同盟」での忍者訓練など、文字にするとバカバカしい感じがするが、監督の力量なのか、大人でも楽しめる、むしろ大人でないと楽しめない映画に仕上がっている。


My Kiasu Life in JAPAN-batmanbegins2

「インセプション」もそうだったが、クリストファー・ノーラン監督は、映像が素晴らしく、どのシーンにも説得力がある。そしてアクション映画に欠かせない爽快感もそれなりに含んでいる。これを1本の映画にまとめ上げる力がすごいと思う。


映画の力を感じる、そして映画館で見るべき作品だと思った。この映画ならもう一度観てもいい。


SF映画の傑作「ガタカ」も見た。


My Kiasu Life in JAPAN-gattaca

自然分娩で生まれた兄は、心臓が弱く「不適格者」の烙印を小さな頃から押されていた。彼の夢は宇宙飛行士になること。でも、彼は「不適格者」なので、通常では不可能。彼は「適格者」の男に成りすますことにした。優秀な自分を持てあまし、自殺未遂をした「適格者」がいたのだ。彼はその下半身不随の男から、血液や尿を借り、宇宙飛行士になるべく、努力を重ねる。


My Kiasu Life in JAPAN-gattaca1

主人公は、遺伝子検査で本来の「不適格者」である自分がばれないように、髪の毛1本を職場に落とすことができない。毎日、徹底的に全身にブラシをかけ、まつげ一つ落ちないようにする。日々の困難を顧みず、夢に向かって努力し続ける「不適格者」と、そんな彼を醒めた眼差しで見守る半身不随の「適格者」の男。


My Kiasu Life in JAPAN-gattaca2

SFの傑作と言われているが、僕には途中まで随分と退屈な映画だった。でも、ラストまで見たときに、「適格者」の男の優しさと聡明さに心を打たれた。


こちらは、もう1回見るのは退屈そうでだいぶつらいが、思い返すとこれもまたいい映画であることは否定できない。捨てがたい魅力がある。


司馬遼太郎の「坂の上の雲(七)」(文春文庫)も読み終わった。


My Kiasu Life in JAPAN-坂の上の雲7

あとは8巻を残すのみ。いよいよバルチック艦隊との戦闘が始まる。今から楽しみだ。


それにしても、バルチック艦隊との衝突も、日本のアメリカ大使館の職員が優秀であれば避けられた戦闘であったことを初めて知った。本当に日本の外交というのはいつの時代もお粗末だと、今現実に目の前にしている中国や韓国との交渉を見ていても思う。


昔、東京で仕事をしていたとき、日本の在外公館で、日本の地方の役所で働く人の選考試験をしたら、1位に自力で立てない寝たきりの人を指定してきた、と聞いてあきれたことがある。「いくら地方の役場が暇だっていっても、寝たきりで仕事なんかできないだろ。」在外公館の人たちは自分がその国でちやほやされることが第1で、国益は2の次なのだという話しを聞いて、そんなものなのかと思った。


「坂の上の雲」では新聞のお粗末さも露呈している。結局、国民は「勝った、勝った」という新聞の論調に踊らされ、自分たちの実力を客観的に把握できないまま、第二次世界大戦に突入する。客観的な分析ができていれば、こんな悲劇は起きなかった。


福島の原発事故のときもそうだったが、結局、有事には政治発表のみが新聞に載り、独自の分析や取材を新聞社はしない。テレビはますますそうだ。もっとも、原子力発電の仕組みや危険性をきちんと説明できるだけの頭脳が政府以外には、とりわけマスコミにはないと言われれば、それはそうだろうなとも思う。

木曜日に寝ようと思ったら、足のくるぶしの辺りに痛みが走った。
久しぶりに「来た」と思った。痛風の発作だ。


そういえば、ここのところ毎日、肉料理ばかり食べていた。一応、気を遣ってチキンにしていたけれど、圧倒的に肉料理が多かった。


それから最近、どうも勉強や運動に対する意欲が減退していて、何かがおかしい気がしていた。俺のどこかに何かが起きているような気がしていた。血液だったのか。


大昔にもらったウラリットの錠剤を飲んで、冷たいシャワーを足にかける。応急処置はいつの時代もRICE処置だ。とにかく患部を冷やすこと。


シャワーをかけて、湿布をする。その頃には痛みが増して、歩けないほどになっている。とにかく炎症を押さえ込まなくては。


その日の夜は、痛みで何度も目を覚ました。翌日は出張で、かなりの長距離を運転しなくてはならなかった。「痛風で出張中止ってわけにはいかないものか」と思ったりする。何度も湿布を貼り替えているうちに、痛みが少し和らいで来たように思う。昔見た尿酸の結晶画像が頭に浮かぶ。俺の血液は今、光に透かしてみるとキラキラと光り輝くのだろうか、と思ったりする。


My Kiasu Life in JAPAN-尿酸の結晶
これが尿酸の結晶。キレイ。でも痛そう。マジで痛いんだって。


痛風のコントロールをするために、薬を飲めとよく言われるけれど、僕はどうも薬が苦手だ。あんまり信用していない。ウラリットも、血液のPHを調節するだけだから、本当に発作を起こしたときには意味がないらしいけれど、こんな時ばかりは「きっとよくなる」と信じて飲む。


ウトウトと眠るたびに、妙にリアルな夢を見る。


友だち数人と会う約束をしていたのに、仕事に夢中になってすっぽかしてしまう。1次会が終わる頃にようやく会場にたどり着くと、友だちが店を出てくるところだ。


「久しぶり」声をかけるが、表情は暗く「こっちも忙しいのにおまえは。まったく」と僕を避けるように帰って行く。


自分もそれほどの忙しい仕事ではなかった負い目もあるが「早く来い」と電話してくれてもよかったんじゃないか、なんて思う。それから「これは現実だよな。夢じゃないよな」なんて考えたりする。「やっぱり現実かあ」なんて夢のなかでがっかりする。


そんな夢を何本も見た。夢がリアルで意味があるのはたいへんに面白く、僕は嫌ではないけれど、朝起きたとき、あまり寝た気がしなかった。


朝になったら、痛みはかなり引いていた。一応湿布を貼ったが、痛みは多少感じるものの普通に歩ける程度までに回復していた。


なんとか、金曜日の出張は無事に終了した。なんだかすごく疲れていて、夜の9時頃に寝たら、土曜日の午前8時過ぎまで寝ていた。
体の痛みはかなり軽減されていた。


土曜日から月曜日まで実家に帰った。


今年は姪の新盆に当たる。日曜日には姪にお参りをし、夜は食事会になった。
「最近、痛風の発作が出たので、ビールはちょっと。」なんて言っていたけれど、そういうわけにもいかない雰囲気だったので飲んだ。ビールのあとはウイスキーも飲んだ。その頃にはもう痛風なんてどうでもよくなっている。


ごちそうになって、家まで代行で帰ってきて寝た。
寝る前に小便をした。水を流して、ベッドに潜り、死んだように寝た。


夜中にふと起きて、もう一度トイレに行こうとして驚いた。
小便器から水があふれ、廊下にまで達していた。
「なんじゃこりゃあ。」


小便器のなかを見たがそこにはもう水はない。
とりあえず、もう一度小便器の上のボタンを押してみる。水が流れる。その供給量が多すぎるのか、排水能力に問題があるのか、みるみるうちに水が小便器からあふれ出していく。でも、一定時間が過ぎれば、水の供給は止まる。こんな実験をして「ふーん」なんて感心しているのも、酔っていたからだ。


「ああ。もう。まったく。」
あふれ出した水をバスタオルを何枚も使って拭き取る。普通でも大変な作業なのに酔っていたから、よりたいへんだ。こんなことなら、誰でもいいから(小便器が壊れて水があふれ出していたら、それを拭き取ってくれる人であれば)結婚すればよかったよ、と後悔や反省をする。


翌朝、水道設備の業者に電話をしたら、休みで緊急時以外は今日はダメだという。これはどう考えても「緊急」ってほどではない。今は水が止まっているんだから。来週なら大丈夫というので、全く予定していなかったけれど、また来週、実家に帰ることになった。「やれやれ」という気分だった。


手嶋龍一の「スギハラ・ダラー」(新潮社)を読んだ。


My Kiasu Life in JAPAN-sugiharadollar

例えば、9.11では「世界中のテロリストグループが大儲けをし、次のテロの資金を稼いだ」など、本当か嘘かあまりよくわからないような話が、世界情勢に関する膨大な知識とともにつづられている。娯楽仕立てになっていて、飽きずに面白く読める。


印象深い話はいくつもあった。この小説のなかに「愚者は体験から学び、賢者は歴史から学ぶ」といった言葉が出てくるが、歴史を学ぶ意味を、これだけ簡潔に示した言葉もないと思う。


また、華氏を摂氏に変えるという方法は、今までもいろんな本を読んで知ってはいたが、今回、本当に覚えた。華氏を摂氏に変えるには、華氏から32を引き、それを5倍して9で割るのだそうだ。ということであれば、ざっと出すのであれば、30を引いて2で割ればいいことになる。


ラストシーンは金沢のお座敷が再現されている。芸者遊びなどおそらく一生縁のない僕には情景がなかなか浮かばない。お座敷太鼓で囃してもらいながら、先物取引をするというのは、情景として感動的なシーンなのだろうか?なにしろお座敷太鼓がよくわからないのでわからない。


また唐突に「金融危機を引き起こしたのはアメリカの金融官僚で、彼らに適切な対処ができるはずがない」という主張がされるのも、アメリカの金融官僚こそがダメだったという事実が示されていないために、どうしたらそのような主張になるのかよくわからない。そして、結局、どうしたら金融危機が回避できるのか最後まで道筋が示されなくて、読み終わったあと「うーむ」と唸るしかなかった。


作者が知識が豊富なのは本当によくわかったし、面白く読めたのは事実で、今後も彼の小説を読みたい気分にはなったけれど、どこか乗り切れない小説ではあった。


「NHKスペシャル 驚異の小宇宙 人体 3 消化吸収の妙~胃・腸」を見た。


My Kiasu Life in JAPAN-人体3

胃液は塩酸でできていて、それでタンパク質を分解するが、胃自体は粘膜で守られているために消化されないのだという。
ところが、この粘膜はアルコールや医薬品など、人工的に作られたものに対しては無力で保護ができない。空きっ腹にウォッカを飲むと胃の粘膜が胃を保護できず、粘膜が破られて、胃の血管に沿って、出血する。その出血した映像を見て、うわっと思った。
空きっ腹にテキーラを飲んだとき、胃が焼けるようだと思っていたが、本当に火傷のように出血しているとまでは思わなかった。もう2度とやらないように心がけたい(しかし、やっちゃうんだろうなあ。俺は。)。


「NHKスペシャル 驚異の小宇宙 人体4 壮大な化学工場~肝臓」も見た。


My Kiasu Life in JAPAN-人体4

肝臓の細胞は1つで500種類以上の化学処理を行うのだが、肝臓にはその細胞が2500億個もあるのだそうだ。そして、肝臓は半分切ってもまた再生する。それはどうも核が2つあるのが原因らしい。
「ふーん」と思いながら見ていた。そもそも、僕は肝臓の位置からして今まで全然間違ったところをイメージしていた。


この番組を見るたびに、体ってよくできてるなあって思う。ただ、これが1989年製作で、今なら全く同じコンセプトで作ってもさらに素晴らしいものが作れそうなのに、NHKが作らないのは残念だ。

先日、総務課の人と話していたら「エアコンの設定温度を27度にするのはわかるけれど、扇風機で下がった分の温度はどうするんですか?」と言う。
「扇風機で温度が下がるわけないだろう?」
「下がらないんですか?」
「扇風機は汗とかの水分が蒸発して、そのときに気化熱を奪うから涼しくなるんだろ?人がいなくて、ただ扇風機回していただけじゃ、モーターの熱で温度が上がることはあっても下がることはないよ。」
「本当ですか?」
「あったりまえじゃん。」
冗談で言っているのかと思ったら、本気だったので少し驚いた。


「ひょっとして、温度計に毛布巻いたら温度が上がるとか思ってる?」
「思ってますよ。」
「上がるわけないじゃん。毛布は保温するから暖かくなるんだよ。冷たい温度計を毛布で巻いたら、かえって温度は上がりにくくなるはずだよ。」
それでも、俺よりもはるかにまともに社会生活を送っている人だから、必要がない知識だと言われれば、そうかもしれない。


若い同僚にも、単位について話しをした。30.0cmと書くべきところを、30cmと書いてあるものをよく見る。30.1cmや30.2cmのときは、ちゃんと書いてあるのに、30.0cmのときだけ、30cmと省略している。


30.0cmと30cmは違う。要は測定する器械の精度の問題だ。30.0cmは30.0cmだが、30cmは30.1cmかもしれないし、29.9cmなのかもしれない。だから、30.0cmと書くべき時は、30.1cmや29.9cmではないという意味で、.0の部分を省略して書いてはいけない。
こういうのも普通は中学生の時に理科の先生が教えてくれるもののように思うが、徹底されてない文書がよく目に付く。


そんな文章を指摘しながら「単位には気をつけろ」って偉そうに話していた。ちょうどそのとき、広告のチラシが目に入った。「X線室のいらないCTスキャンが9,000,000万円」と記載されている。たぶん、円と万円を間違えたのだと思う。いくら医療機器が高くても900億円はしないだろう。「こういうミスをするなってことだ」それでますます偉そうに話した。


6月24日から毎日、任天堂DSのソフト「えいご漬け」とを毎日続けていた。それで、ようやく「えいご漬け」の方だけは、すべてやり終えた。「TOEIC TEST DSトレーニング」はまだまだ終わらない。


My Kiasu Life in JAPAN-eigoduke


My Kiasu Life in JAPAN-dstraining


ただ、「えいご漬け」では7月の間英語力判定がコンスタントに「S」だったのに、8月になってからは「AAA」しか取れなくなってしまっているので、「S」評価が再び取れるまで、英語力判定だけは続けていく。


「えいご漬け」のソフトは基本的にはいいと思うが、いくつか気になった点もある。
このソフトはディクテーションソフトなので、基本的には、何と話しているかを聞き取って書くことになる。ところが、数字の場合、アラビア数字で書く場合と、英文で書く場合が特にルールもなく混在している。例えば35歳と言うときに、「35 years old」と書くときと「thirty five years old」と書くときとが混在している。どちらかに統一すれば、余計なストレスを感じなくてすむのに、と思う。


それから「バーバラのリピートアフターミー」では低評価しか取れずに、どうしてなのか謎だったが、とにかく早口で読んだらいきなり90点以上が取れて、なーんだ、と思った。早ければいい、ということらしい。


とりあえず英語力判定の宿題はあるものの「えいご漬け」はやり終えたので、今は「TOEIC TEST DSトレーニング」と並行して「TOEIC TEST スーパーコーチ@DS」をやり始めた。これもまた優れたソフトだとは思うが、自分の実力のなさにどうしても気づかされる。これから努力していきたい。


My Kiasu Life in JAPAN-ds super

「ファイター」というボクシング映画をDVDで見た。


My Kiasu Life in JAPAN-fighter

母親がマネージャーを務め、世界チャンピオンと1度戦ったことのある兄がセコンドを勤める無名のボクサーが主人公だ。
兄は麻薬中毒で、トレーニングに遅刻し、試合当日も呼びに行くまで姿を現さない。
母親は、興行主に説得され、自分よりも9キロも重いボクサーと戦わせたりする。
当然、めった打ちにされる。


My Kiasu Life in JAPAN-fighter1

主人公はこの家族に嫌気がさし、ラスベガスのプロモーターに頼ろうとする。兄はそれを防ぐため、詐欺で金を作り、刑務所へ。逮捕される際に暴れ、巻き込まれた弟も警察に拳を警棒で潰される。
その状態から、弟は世界チャンピオンにまで駆け上がっていく。


My Kiasu Life in JAPAN-fighter2

こういう映画を見ると、「あれがだめだからこれができない」と言い訳ばかりしている自分が情けなくなるし、なんとかしようと思う。ボクシング映画ではロッキーという名作があり、それを超えるまでには遠く及ばないが、いい映画だとは思う。


wildwildspeedさんおすすめのクリストファー・ノーラン監督の「プレステージ」というマジシャンを描いた映画も見た。

My Kiasu Life in JAPAN-prestige

人生を賭けた2人のマジシャンの争いだ。


My Kiasu Life in JAPAN-prestige1

マジシャン同士なので、相手の裏をかいたつもりが、それもトリックだったりする。だまされたと気がついたときの、喪失感や徒労感というのが、画面を通じて伝わってくる。


My Kiasu Life in JAPAN-prestige2

この映画では、手品と科学の親和性も描き出している。そのため、最後のトリックはSFに近いものになっている。実は、僕が昨年書いたSFの脚本も、その誕生の経緯は全く違うし説明の仕方も全く違うが、同じようなものを登場させた。


あの装置は利用の仕方次第では、巨万の富を産む機械だ。利用方法は少し考えれば誰でも思いつく。昨年書いたシナリオは、応募したものの、まるで相手にされなかったが、発想自体はいい線まで行っていると未だに思う。もう少し見せ方とか考えて、リベンジしたいと思う。


映画自体は、なかなか面白かった。ギリギリストライクって感じだ。


本格的なSF映画「TIME」も見た。SFは設定を解説するのが難しい。ネットで見た解説文がとてもよくできていたので、そのまま載せる。


My Kiasu Life in JAPAN-time

〔解説〕
科学技術の進歩によりすべての人間の成長が25歳で止まり、そこから先は左腕に埋め込まれた体内時計「ボディ・クロック」が示す余命時間だけ生きることができる近未来。貧困層には余命時間が23時間しかない一方で、富裕層は永遠にも近い時間を手にする格差社会が生まれていた。ある日、ひとりの男から100年の時間を譲り受けた貧困層の青年ウィルは、その時間を使って富裕層が暮らす地域に潜入。大富豪の娘シルビアと出会い、時間監視局員(タイムキーパー)の追跡を受けながらも、時間に支配された世界の謎に迫っていく。


My Kiasu Life in JAPAN-time1

おそらく最初は「時は金なり」という格言が現実だったら、くらいの発想から練り上げたものだとは思う。でも、それなりに面白かった。


My Kiasu Life in JAPAN-time2

もちろん、そんなに科学技術が進んだ割には、監視カメラも自動車も今とほとんど変わらないのはよくわからないし、全財産が体に刻印されてしまうのもどうかと思うのだけれど。
この映画は「現代の金持ちに対する批判」でもあるのだという視点から見ると、なかなか興味深いものがあった。


「NHKスペシャル驚異の小宇宙 人体2 しなやかなポンプ~心臓・血管~」も見た。


My Kiasu Life in JAPAN-驚異の小宇宙2

特に新たな発見があったわけでもなかったが、本当に人体というのはよくできているよなあと感心した。
番組自体はそれほど面白いとも思わないが、必要があるから見ないわけにはいかない。


超久しぶりに岡崎京子の「pink」(マガジンハウス)を読んだ。


My Kiasu Life in JAPAN-pink

ワニと暮らすOLでホテトル嬢ユミちゃんの、愛のおとぎ話だ。


初めて就職をしたとき、僕はこれから勤める建物の前に立ってしばらく見つめていた。そして「僕はこのなかのことをまだ知らない。この建物のなかで、いろんな人を好きになったり嫌いになったり、競争したりするのだろうけれど、世間の人は今の僕と同じで、そんなことは全く知らない。いろいろあってもコップのなかの戦争だ。気にしないようにしよう」なんて思った。


その思いは、僕のオリジナルだとずっと思っていた。
でも、今回pinkを読んでいたら、こんな台詞があった。


「真夜中の住宅街をお散歩するのってたのしいな 大好き あの家のあの窓やこの家のこの窓 いろんな人が住んでてそれぞれの生活があって もし出逢っていたら友だちになれたり大嫌いになるかもしんなくて でも今んとこ全然関係なくてどーでもよくて 不思議不思議よね」


就職したときのあの思いはこっからだったんだ、と思った。


岡崎京子は「すべての仕事は売春である」なんて言葉を「そのとおり」と思っている。
体を使って金を稼ぐんだから同じでしょ、というわけだ。
そしてホテトル嬢をしている主人公にも「何かあたしは なんだかすごく悲しくなって そんなにお金が欲しければ カラダ売ればいいのに と思った」なんて言わせたりする。


この仕事に対する、どこか投げやりで醒めた眼差しは、何十年経っても僕のなかにしぶとく生き残っている。そして、僕は女の子のスタンダードを、岡崎京子に出てくるマンガのなかの女の子にしている節がある。そんな女の子は実際にはどこにもいないのに。


久しぶりに読んで、思ったよりもこのマンガは僕に影響を残しているんだなあという気がした。

昼休みに自動販売機でコーラを買って帰る途中に、女性に声をかけられた。
「ちょっと、ちょっと。」と言う。
「何ですか?」
「ほら、あそこにスズメがいますよ。」
建物内の階段の手すりに、スズメが留まっていた。


基本的に階段にある窓ははめ殺しで、開かない。
たぶんスズメは1階の自動ドアが開いた瞬間に、建物内に入ってきたのだと思われた。


「あと、よろしくお願いします。」
そう言い残して、その女性は去っていった。


しばらく、恐竜の進化の結果である鳥を見ていた。
そういえば、恐竜図鑑から半分くらいの恐竜がいなくなるらしい。


それは、もともとティラノザウルスのような大型恐竜の子供の頃の骨がないことから問題となったらしい。小さなティラノザウルスの骨というのがなかったのだ。それで、恐竜はハ虫類とは違って、鳥類のように(ヒヨコと鶏のように)形が変わるのではないかという説が生まれた。


そしてその結果、別の恐竜とされていたナノティラヌスがティラノザウルスの子供の頃だとされたのだ。そういうわけで、恐竜図鑑から、どんどんと恐竜の種類が減ってしまうわけである。


詳しくは、この講義を聞いてみよう。ジャック・ホーナーの「変身する恐竜たち―人為的要因による絶滅について」。人為的要因による絶滅っていうタイトルが笑える。
http://www.ted.com/talks/lang/ja/jack_horner_shape_shifting_dinosaurs.html


そんなことを思い出しながらしばらくスズメを見ていたのだが、そういうことをどれだけ頭のなかで考えていても、あまり解決には結びつかない。恐竜から鳥類への進化のことをいっぱい考えるとスズメが僕のいうことを聞いて、1階の自動ドアからきちんと出て行くということは、現実の社会では「ない」ことなのだ。
総務課に行って、そこにいた人たちとどうするか話し合った。


これがハチだったら強力な殺虫剤で殺してしまうのだが、スズメはかわいそうだ。トリモチというものがどういうものか知らないが、トリモチで捕まえてみるのはどうかと提案してみた。案の定、全員から「トリモチって何ですか?」と聞かれた。1人くらいは知っているかと思ったが誰も知らなかった。僕も知らないので、どうしようもない。
それで、蝶を捕まえる捕虫網で、スズメを捕まえることになった。総務課の女性が1人手伝ってくれる。


ところが、これも予想していたとおり、なかなか捕まらない。
そしてこれも思っていたとおり、スズメは逃げようとして、力一杯はめ殺しの窓に激突する。回数を繰り返すたび、スズメはますます強く、窓に激突するようになった。
その激突音を聞くたびに、僕も痛いような思いがした。


何回か激突したあと、スズメが飛び立てなくなったので、捕虫網を使って捕まえた。
それをすぐに外に持ち出して、捕虫網をつかんでいるスズメの足を外す。


網から外しても、スズメはしばらくはじっと動かなかった。死んでしまったのだろうか、と見ているうちに動き出した。スズメが力なく飛び跳ねながら、強い日差しの庭から、木の陰に隠れたのを見て、僕たちはやれやれと仕事に戻った。
そして、それからどうなったかは僕は知らない。
前に保健所に聞いたとき「スズメは飼ってはいけない。厳しいようだけど、外に放してあとは野生に任せるしかない」と言っていたからだ。


それでも空中を飛ぶスズメを僕が捕虫網で捕まえられていたら、もっと元気なうちに外に出してあげられたのにと、胸が痛んだ。虫取り技術をもっと磨けばよかったと思った。そして子供のうちに「真剣に遊ぶ」ことは大切だと思った。


週末は、姉に借りていた傘を返したり、実家のジャングルのようになっていた庭を手入れしてくれた方にお礼をしたり、お寺に挨拶に行ったりするために実家に帰った。それでも、3時間くらいしかいなかった。
すぐに長野に帰ってきた。


最近、車を運転しているときに出す速度がますます速くなってきた。無理な車線変更をする人に、車のなかで怒鳴ったりする。1人でいる期間が長すぎて、攻撃的な性格になってきたのだろうかと、自分のことが少し心配ではある。


キアヌ・リーブス主演の映画「フェイク・クライム」をDVDで見た。


My Kiasu Life in JAPAN-henry's crime

主体性のない人生を歩んできた男が、いつの間にか銀行強盗の共犯にされてしまい、投獄される。刑期を勤め上げた後、銀行強盗もしていないのに刑期を終えたことに不満を持ち、同じ銀行からお金を盗み出すことを考える。金のためというよりは、主体性のない自分自身を変えるためだ。


My Kiasu Life in JAPAN-henry's crime1

のんびりとした映画で、クライムムービーとしては緊張感が全く欠けている。ラブコメディという位置づけの映画だと思う。


My Kiasu Life in JAPAN-henry's crime2

この映画では、劇中劇として、チェーホフの「桜の園」を主人公のキアヌ・リーブスとヒロインが演じることになっている。
「桜の園」の初演日が銀行強盗の実行日と同じになってしまい、金を捨て、愛をとった主人公の状況がシチュエーション的に「桜の園」と似ていて、気持ちのこもった見事なステージになった、ということなんだけど。


どう考えても無理があるし、音楽の使い方からして僕の好みではまったくなく、つまらない映画だった。


クエンティン・タランティーノの映画「マイ・ネーム・イズ・モデスティ」もDVDで見た。


My Kiasu Life in JAPAN-my name is modesty

カジノのボスが殺され、カジノが襲われる。ナンバー2も殺され、ナンバー3のモデスティという名の女性が襲撃犯に対峙する。


My Kiasu Life in JAPAN-my name is modesty1

メインの舞台が、カジノから移動しないのは多少不満が残ったものの、緊張感に溢れ、僕向きだった。カジノについての考え方も真っ当だと思う。


My Kiasu Life in JAPAN-my name is modesty2

この映画は中学生や高校生が見てもいいと思う。人生で大切なもの、必要なものがわかるし、危機的状況に陥ったときにどう対処するべきなのかが学べる。全体として道徳的にも真っ当な映画だと思う。


以前、タランティーノが「キル・ビル」について、「タイトルがビルを殺せなのに、ビルを殺さないなんてストーリーはあり得ない。」と言っていたのを何かの雑誌で読んだことがある。そういうこだわりがあれば、「マイ・ネーム・イズ・モデスティ」というタイトルから、慎ましさや謙遜などの真っ当さが売りの映画になることは、当然なのかもしれない。


1995年に公開された「フェアゲーム」というアクション映画も見た。


My Kiasu Life in JAPAN-fair game

格好いい若い刑事が、弁護士で美人の若い女を悪者のKGBの殺し屋から守る。基本的にはそういう映画だ。


My Kiasu Life in JAPAN-fair game1

自分がKGBから狙われているとわかった女弁護士は、なぜか刑事から逃げ出し、走っている貨物列車に飛び乗る。
それを刑事はオープンカーで追い、貨物列車に飛び移る。その間に、車は電柱にぶつかって大爆発。
「どうして、こんな危険なことをしてまで、私を助けるの?」
そういいながら女は刑事を拳で殴る。何発か殴ったあと、2人はキスをし、愛し合う。


My Kiasu Life in JAPAN-fair game2

俺が男女関係というものを全く理解できていないのが原因だと思うけれど、「なんで?」という展開に呆然とするばかりだ。おまけにKGBは女弁護士を殺すためだけに、何人もの刑事を巻き込んで殺し続けたにも関わらず、女弁護士だけは生かしたまま自分たちの本拠地の船まで拉致し、そこで爆死させることにする。どうして途中で殺さないのかさっぱりわからない。


全体としてバカバカしく、くだらなかった。最後まで見た自分を褒めてあげた方が良いのか、怒るべきなのかも悩むほどのひどい映画だった。


「NHKスペシャル驚異の小宇宙 人体1 生命誕生」も見た。


My Kiasu Life in JAPAN-驚異の小宇宙人体1生命誕生 

とても評判のよかった1989年のテレビ番組だ。ちょっと人体について学ばなくてはならなくなったので、これからこのシリーズを見ていくことにした。


生命は進化であり、過去とのつながりだということがわかる。確かに性教育などよりもこの「生命誕生」を見せた方が、子供に生命の素晴らしさを感じさせることができるという点では優れていると思う。


DNAを卵子まで届けることができる精子は、30億分の1。すべての精子には、先端に卵子の膜を破るための酵素がついていて、これが爆薬のように働くというのだが、それを利用できるのも30億分の1でしかない。

見ていて「ほお」と思った。


ただ、今の僕から見ると、無駄なカットが多くテンポが遅い。もっと僕にはマシンガンのように次々と知識を打ち出してくれてかまわないのだが、のんびりと番組は進む。一般的には、こんなスピードが適切なのだろうか?退屈な気分にさせられるが、それは仕方がないことなのだと思うしかない。

今週の木曜日と金曜日には叔父の通夜と告別式が東京であった。


木曜日は午前中だけ仕事をして、午後から斎場に向かった。
長野駅に車を駐めて、喪服を持って、長野駅から新幹線に乗る。


最後に叔父にあったのは昨年の秋だった。それから僕は叔父に何度も会いに行けたはずだったけれど、実際には会いには行かなかった。


18時から通夜で、その前に叔父に会った。すでに棺に納められていたが、棺のデザインが合理的で透明な部分が大きかったので、叔父の顔がよく見えた。死んでからもう数日が経っているので、死んだ人っぽくはなっていたけれど、久しぶりに会えた。
斎場はこじんまりとしていたけれど、祭壇がきれいに生花で飾られ、笑顔の叔父の写真もあった。


叔父はデッサンの能力も高かったが、デザインの能力もあった。叔父の弟が勤めていた大手設計会社の社章デザインは、叔父が作ったものだ。


その弟の結婚式で、大手設計会社の社長が「我が社のマークを新人が作ってくれた」と弟を褒め、10万円の社長賞を弟に渡したことを挨拶で言ったそうだ。僕の母は、本当はそのデザインは叔父が作ったものだと知っていたので、叔父がどんな顔で聞いているのかと思って見たら「弟はすごいなあ」という顔をして拍手をしていたそうで、おかしくて仕方がなかったと言っていた。自分の能力を無駄に誇るということを一切しない人でもあった。


本職のインテリアの設計でも、某デパートの本店にある着物売り場の設計は叔父がしたもので、未だに変えられていない。でも、そういうことを子供にも話していないようで、その辺りも叔父らしかった。


通夜式が終わり、そのあとの通夜振る舞いに出席をした。11時くらいまでいろんな話しをした。


多くの人が帰ったあと、棺のふたをあけ、家族の方と一緒に、酒好きだった叔父にと酒をハンカチでしめらせて、飲ませた。


その日はタクシーでホテルに帰って寝た。


翌日が葬儀と告別式った。家族と近親者のみの30人前後の小さな葬儀だった。
式のあと棺を生花でいっぱいにしたが、酒好きでタバコ好きだった叔父のために、酒やタバコを入れる人も多かった。


ここでもやっぱり、お酒を飲ませてあげることになって、また酒をハンカチでしめらせて、飲ませた。


棺を釘打ちするときは寂しかった。「お世話になりました」と言った。
叔父は東京で僕が下宿を探すときも、一緒に探してくれた。本当に、僕はお世話になっていたのだ。


多磨霊園の近くにある火葬場で遺体は焼かれたが、時間は1時間もかからないほどだった。久しぶりに会った姉と「都会の炉の能力はすごいね」と話した。


その後、再び斎場に戻って、食事をした。雨が降り出していた。そして全てが終わって帰る頃には本降りになっていた。


長野駅に着いたとき、駅では傘を差しても意味がないほどの強烈な雨降りだった。それでも駐車場まで濡れながら帰り、家に戻ってからシャワーを浴びた。


この1年半ほどの間に、僕は母、姪、叔父(弟)、叔父と4人も亡くした。寂しくなったという気が深まった。


土曜日には「須坂カッタカタまつり」というのに参加をした。僕はあまり「祭り」のいうのが好きではなくて、参加はもちろんのこと見るのも好きではないのだが、今回は断り切れずに参加することになった。


須坂まで車を運転している間は、大雨だった。雨量が多く、ワイパーを早く動かしても前が見えないほどのときもあった。本当にこの雨のなかでお祭りなんかするのだろうか。


そんな雨のなか、踊るメンバーに、ジーパンで来た男がいた。
「ジーパンで雨含んだら重くて足上がらなくなるぞ。それに、帰りの車の運転はどうするんだよ。1時間くらいはかかるんだろ?」
「雨、降ると困りますね。中止にならないですかねえ。」
「でも、まあ帰りの運転の時はズボンもパンツも脱げばいいか。車のなかなら別にいいだろ。」
「検問に引っかかったらどうするんですか。」
「別に車のなかでパンツ脱いでても、犯罪じゃないだろ。おかしいな。シフトが2本もある、なんて言っていれば、大丈夫だろう。」


そんなバカな話をしているうちに準備もできて、みんなで食事をしているうちに雨もほとんど止んだ。そしてみんなでダラダラと祭りの会場へ向かった。


僕はとりあえず踊り方はマスターしていたものの、結局、最後まで踊ることはなかった。ビールや酒を積んだ台車を、踊り連のあとについて押していくだけだったので、まったくストレスも感じなかった。


途中で何度も「代わりましょうか」と声をかけられたけれど、台車を押して歩いている方が気分的に楽だったので断った。アルコールも飲まなかった。今夜は代行もつかまらないだろう、という気がしたからだ。


祭りに出ていて気がついたのは、「祭り」には地元の企業が参加するので、その街にどんな企業があるのかや、その企業の性格や規模がうかがい知れるものなのだということだった。台車を引いて歩きながら、いろんな山車や踊り連を見て、いろんな意味で「祭り」は地域を反映しているものなのだと実感した。


そして9時頃に帰ってきて、あとはテレビを見て過ごした。
そして日曜日も、少しだけ英語の勉強をして、一歩も外には出ずに、本を読んだり、テレビを見たり、DVDを見て過ごした。


オリバー・ストーン監督の映画「JFK」を今頃になって見た。ケネディ暗殺の真相を調べる地方検事の物語だ。


My Kiasu Life in JAPAN-JFK

DVDを1時間30分ほど見終わって、突然、A面終わりというクレジットが出て、画面が切れてしまった。
しばらくどういうことなのかわからず、試しにDVDをひっくり返して入れたら、B面の再生が始まった。両面のDVDというのが初めてだったので驚いた。


My Kiasu Life in JAPAN-JFK1

ケネディ暗殺については疑惑があることを、かなり正確に内容的にも以前から知っていた。今、ジョン・F・ケネディの「勇気ある人々」(英治出版)も読んでいるが、著者のジョン・F・ケネディも、本に「序文」を寄せているロバート・F・ケネディも暗殺されてしまった。


My Kiasu Life in JAPAN-JFK2

その本を読みながら感じているのは、政治家の激しい劣化だ。今の日本の政治家で「無駄な言葉を一切排除し、理路整然とし、説得力があり、誰にもわかりやすく、議場全体に響き渡る」ような演説をする人がいるのだろうか。


JFKを見て、そしてJFKの本を読みながら、JFK暗殺の真実が明かされる2039年まで、僕たちは政治の世界では、前に進めないという呪いをかけられているようにも思う。よき社会を作り上げようとするリーダーが、なぜ殺されたのかわかるまで、僕たちはそういうリーダーを持ち得ないような、そんな気がしている。


もう1本、クリストファー・ノーラン監督の「インセプション」も見た。
このようなハードSFの世界を映画で実現させたこの監督の手腕に、頭が下がる。これはものすごい映画だ。


My Kiasu Life in JAPAN-inception

人の夢のなかに入り込み、その人の考え方を変えさせる。簡単に言うとそうだが、その舞台設計が複雑だ。僕の好きな「時間と空間」的な要素もたっぷりある。
同じタイミングで3つの世界が同時進行し、しかもそれぞれの時間の進行速度がずれる。
そしてそれぞれの世界が他の世界に干渉している。


これを脚本で表現するだけでも相当な手腕だと思うが、それぞれの世界に手に汗を握る真っ当なアクションがあり、ドラマがある。カメラワークも美しく、どの世界にも、どうやって撮ったのかわからないけれど、洗練された映像の世界が広がる。


My Kiasu Life in JAPAN-inception1

俳優陣もこれだけ難しい設定をよく理解し、そしてリアルな演技ができたと思う。このレベルのSF映画を僕はもっともっと見てみたい。


My Kiasu Life in JAPAN-inception2

映画を見ながら「素晴らしい」と何度も思った。このセンス、この美しさ。ラストシーンは「そこで終わるのか!」と身もだえするようなたまらなさがあった。


もっとも、この映画が僕にとって「いい」のは僕がSF好きだからだ。しかもこれだけハードなSFだと、どこが「いい」のかさっぱりわからない人もいると思う。レビューを見ていると、ただのアクション映画と違うことがわかってない人も多い。
でも、これ以上、親切にする必要はないと思うし、望まない。


完璧な映画だと思ったが、ただ僕にとって一つ残念だったのは、これを映画館で見なかったことだ。

7月10日の昼に地震があった。
ゴゴゴゴゴというトラックが走るときのような音が聞こえて、それから揺れが来た。
初めて感じる、縦揺れと横揺れが混ざったような地震で、「おおっ」と思った。
揺れている時間は短かった。


緊急地震速報は鳴らなかった。
緊急地震速報というのは、縦揺れのP波を感じてから、メインの地震であるS波が到達するまでの間に出るものなので、鳴らずにこれだけ揺れるというのは、きっと震源が近いんだろうと思った。


インターネットに震源が中野市辺りだと表示されたとき、いろいろと「なるほど」と思った。
一つは縦揺れのP波は「固体のみならず、液体や気体も伝わる」と今まで本で読んだことはあったけれど、地震が空気を振動させるというのが今ひとつ理解ができていなかった。
あのゴゴゴゴゴが、地震の音だったのか、と納得した。
それから、近距離だと縦揺れと横揺れがほぼ同時に伝わる、というのも実感した。距離が短かったせいか、縦揺れの方が大きく感じた。


女性の職員の何人かは、早速、子供に電話をしていた。
「大丈夫?」心配そうに聞いていたが「体育館にいた」とか「まだカラオケ中」なんて返事が多かったらしく、あきれていた。


翌日、震度5だった中野市や木島平村の人にどうだったか聞いてみたら、タンスの引き出しが開いていたとか、食器が落ちていたとか、部屋が散らかっていたと言う。
「部屋が散らかっていたって地震のせいなのか?」
「地震のせいですよ。」
「ふーん。引き出しも?」
「そうですよ!」
地震はいろんなことをするんだなあ、と思った。


今週末は3連休ということだが、僕は月曜日が出勤になってしまったので、普通の週末だった。
それで、久しぶりに実家に帰った。
電気代やガス代の領収書などでポストが郵便物でいっぱいになっている。
誰も住んでいなくても、郵便物はたまるものだ。


近所の人を見かけたので挨拶をしたら、「この前、タヌキがお宅の家に入っていくのを見た」という。
「タヌキ?」
正直、タヌキという動物をきちんと見たことがない。
念のために、縁の下とかを見ようかと思ったけれど、見たってどうせわからないと思ったので、そのまま放っておいた。


庭の草はもう暴力的に茂っている。庭の手入れをお願いしているのだが、実際にいつになったら取りかかってくれるのかは、僕もよくわからない。


エアコンがよく効く部屋で、1泊して帰ってきた。


日曜日の朝方、叔母さんから電話がかかってきて、長いことガンと闘っていた叔父が、朝亡くなったことを聞いた。母は4人姉弟だが、去年と今年だけで、そのうち3人も亡くなってしまった。


絵の才能にあふれた叔父だったので、喪失感も大きく、残念だった。
すぐにでも会いに行きたい気分ではあったが、通夜が行われる日までは自宅に安置しておくという話しだったので、通夜の日に、休みを取っていくことにした。


「インサイド・ジョブ 世界不況の知られざる真実」というドキュメンタリー映画をDVDで見た。


My Kiasu Life in JAPAN-inside job

世界不況がなぜ起きたのか、リアルにその時代を生きているにもかかわらず、まったく理解していなかったので、反省を込めて見た。


初めはダラダラと見ていたが、真剣に見ないとよくわからないことがわかってきて、それからはメモを取りながら見ていた。


My Kiasu Life in JAPAN-inside job1

この映画によれば、つまりはこんな風にして世界不況が起き、現在もそこから立ち直れていないということになる(僕が理解をした範囲だけど)。話しを理解するために、僕が例を書いてみた。


1 家を買いたい人がいて、借金をする。例えば、家を買いたい人は800万円を売り主から借りて、最終的には1000万円を売り主に返すという約束をし、家に抵当権を設定する。


2 その1000万円を最終的に返すという債権を、証券化して売り主が銀行に売り、銀行が買い取る。例えば、900万円とかで買うわけだ。


3 銀行はそういった債権を山のように集め、それらをひっくるめてCDOって名前の商品にして売る。例えばCDOを950万円で買えば1000万円になりますよ、なんて言いながら売るわけだ。


4 通常であれば、銀行の資金には限界があるので、2で銀行が買い取るっていっても、例えば自己資金が9000万円しかなかったら、10枚の証券しか買えない。ところが、グリーンスパンを筆頭とする規制緩和解消派は、規制緩和で、自己資金の何倍もの証券を買っていいことにした。それで、多くの銀行は自己資金の約33倍まで証券を買った。


5 当然、そもそもの買い主がお金が払えなくなると、このCDOって証券は紙くずになってしまうので、みんなが買ってくれない。そこで、銀行は2つの方法を取った。1つは、格付け会社に高格付けをしてもらうこと。格付け会社は、CDOって証券のほとんどすべてをAAA評価にしてくれる(そして格付け会社は、証券が紙くずになったときは「それは私たちの意見であって評価ではない」と言い訳をする)。もう一つは、CDOって証券が紙くずになることを予測して、証券を発行した銀行自身がそこに投資をする(これがデバリティブ取引だ)。


6 銀行はどう転んでも痛くない。証券を山ほど買うと、銀行員にボーナスが払われる仕組みなので、無理矢理、借金をさせて家を建てさせる。家を建てる人の平均借金依存率は99.3%だというのだから、いかに無理矢理、借金をさせたかがわかる。そしてその証券の3分の2はAAA評価(国債並み)だから、いかに格付け会社がでたらめかわかる。


7 さらに、「Aという証券が紙くずになることを予測」して保険に入ることを、これまた規制緩和で誰でもできるようにした。つまりAさんの火災保険にBさんもCさんも入れるようにしたようなものだ。保険会社は、本当に紙くずになったときは払いきれないので破綻する。しかし、その保険を取ってくれば保険員にボーナスが払われる仕組みなので、保険員はそれで、儲かる。こうして保険会社であるAIJの社員や取締役はぼろ儲けをし、そして本当に紙くずになったとき、会社は破綻した。


8 証券が本当の紙くずになる前に、責任ある立場から多くの人が逃げ出した。彼らは自分の株式をうまく売り抜けた。銀行は、売れない債券を最後まで持っていたところはつぶれた。


9 オバマ政権は金融の「規制」をするということで誕生をしたが、登用した人材は全て規制緩和派だった。「はあ?」というのが、事情を知っている人たちの反応だ。


10 問題の根は深く、実は、ハーバードなどの大学で教えている教授が「規制緩和派」。理由は金融機関から、「顧問料」などで多額のお金をもらっているからだ。そしてさらに、その人達が、アメリカ経済の舵取りをする。銀行救済の名の下で、規制は緩和したまま、銀行に税金をドバドバと注入する。


11 その結果、金融界はますます潤い、政府は相続税の無税化など金持ち優遇策ばかりを打ち出す。結局、苦しむのは、最初に家の借金をさせられた人と、AAA評価を信じて投資した庶民や他国の銀行たちだ。そして銀行が破綻すると銀行に預金をしていた国民達の生活も破綻してしまう。映画の冒頭に出てくるアイスランドはその典型例だ。


My Kiasu Life in JAPAN-inside job2

見終わって、ブッシュもオバマもハーバード大学も、格付け会社も、アメリカの金融緩和もこれはかなりひどいじゃないかと腹立たしい思いがした。みんながグルになって、庶民を泣かせ、ぼろ儲けをしているのだ。


ストーリーはわかりづらい面もあったけれど、しぶとく見ていると内容がわかってくる。大きなタンカーに隔壁があるように、金融にも規制が必要だという主張はとてもよくわかったけれど、この一部の人間だけが儲かる仕組みを維持しようとする力が強すぎて、庶民はどうしようもない。


それにしてもたかだか2時間程度の映画で、ここまで理解をさせるというのもすごいなと思った。

松本にある信州大学の会議室で、ちょっとした会議があった。
発言機会もなく、僕がいてもいなくてもいいような会議だったけれど、会社の都合で出席する必要があった。


午後7時頃に会議は終了し、そのままエレベーターに乗った。次々と人が乗ってくる。
「まだ乗れるかな?ブー。」などと自分で言いながら乗ってくるおっさんたちを「諦めろよ」と少しあきれた気分で見ていた。
エレベーターのなかには、何人かの女性も乗っていた。
だんだんと個々のスペースが狭くなり、それでもおっさんたちは乗るのをやめようとしない。満員電車に押し込まれたような感じになった。


僕の肘が、後ろの人の体に押しつけられる形になって、そのまま動かせなくなった。
どうも後ろの人の胸に当たっているらしく、それがすごくでかい胸で柔らかかった。
「これはすごくまずい状況だ」と頭のなかで考えていた。


ドアが閉まり、エレベーターの階を示すランプの位置が、だんだんと下の階に移っていくのを、冷や汗をかきながら見ていた。


1階に着いて、みんながエレベーターを降り、僕も前の人に続いて、すぐに降りた。
別に顔を見るつもりはなかったけれど、エレベーターを出て、つい振り返って、その豊満なバストの持ち主を見た。


おっさんだった。随分と太っていて、確かにDカップくらいありそうだった。ほっとしたけれど、どこか悔しい思いがした。


今週は会社でちょっとしたイベントもあった。外部の人も何人かが来て、一緒に作業をした。
作業をしている人たちのなかに、かわいい子がいた。


「かわいい子がいるなあ」と思って、それで少し彼女を見ていた。彼女の着ていた服の背中には、生理用品のソフィーのパッケージのような羽のマークが大きく描かれていた。そしてその羽に囲まれて、「ONANY SUNDAY」という文字が大きくプリントされていた。


「オナニー・サンデイ?」そう読んでしまってから、僕は少し考えてしまった。
一緒に作業をしていた男の同僚と「あれは、どういうことなんだ?」と話し合った。
「どういう意味ですかって聞いて来いよ。」
「聞けませんよ。そんなこと。」
彼女を見るたびに、必要以上に心拍数が上がった。


謎は解けないままイベントは終了し、数10メートルの範囲内で一緒に作業をするという僕たちの関係も終わった。彼女は素敵などこかの世界へ旅立ち、僕はいつもの世界一つまらない世界に戻った。


そして、「ONANY SUNDAY」は「オナニー・サンデイ」ではなく、「オン・エニー・サンデイ」と読み、毎週日曜日に開催されているアメリカのオートバイレースを描いた映画のタイトルだということを知った(邦題は「栄光のライダー」)。
俺も本当に大バカだと反省した。


もう何十年ぶりだろうか。久しぶりに岡崎京子のマンガ「くちびるから散弾銃」(講談社)を読んだ。特別記念復刊したのだという。


My Kiasu Life in JAPAN-くちびるから散弾銃

岡崎京子を読み出したのはこの本が最初だった。それ以来、彼女のマンガは片っ端から読んだが、人に貸したのかあげたのか、もう手元に残っているものは少ない。


彼女の「へルター・スケルター」は最近になって沢尻エリカ主演で映画化されたが、僕はあまり興味がない。彼女の作品では、初期の頃の「くちびるから散弾銃」や「PINK」の方がPOPで、鮮やかで好きだ。


おそらく、この「くちびるから散弾銃」という題名は、60年代のフランス映画「唇からナイフ」から取ったのだと思う。


My Kiasu Life in JAPAN-唇からナイフ

この手の映画には決して近づかないが(僕にはきっとつまらない)、客観的にはセンスのいい映画らしい。


久しぶりに「くちびるから散弾銃」を読んで、自分が細部に至るまで、随分と覚えていることに驚いた。
今後、「ジオラマボーイ・パノラマガール」も復刊するらしい。また買ってしまいそうだ。


木山泰嗣の「弁護士だけが知っている反論する技術」(ディスカヴァー・トゥエンティワン)も読み終わった。


My Kiasu Life in JAPAN-反論する技術

少しは得るものがあったのかもしれないが、読んでいてそれほど見事な反論の技術といったものはなかった。現実には一休さんのような鮮やかな反論よりも、こういった地味な反論の方が効くのかもしれないが、大した技術でもないし、面白くもない。


また、裁判ならいざしらず、実際に僕に持ち込まれるゴタゴタのほとんどは感情ばかりが先走っているクレームが多く、そもそも理屈で解決できる問題が少ない。そしてこの本では感情の問題は無視しているので、僕が実際に役に立てられる部分は少なかった。


ただ、「7割近くの人が賛成しています。」という言葉は、「3人に聞いて2人が賛成すれば66.6%」だから、成り立つのだという説明には「なるほど」と思った。実際に、「統計の数字は前提をよく聞かないと信用できない」という趣旨の話し合いをしたときに、例えば、ということで、この例を使わせてもらった。説得力のあるいい例だ。


確率の話しといえば、今週はヒッグス粒子が「ほぼ確実に」見つかったが、その確率は99.9999%だった。昨年の12月にも98.9%の確率で見つかっていたが、そのときは発見の「きざし」と発表されていた。


今年中には、確実に発見できるということらしいが、物理学者の発見という定義は、どれだけ厳しいのかと思う。正直いって、ヒッグス粒子そのものも理解不能だが、この確率の問題からして理解ができない。


後藤武士の「読むだけですっきりわかる日本史」(宝島社)も読み終わった。


My Kiasu Life in JAPAN-読むだけですっきりわかる日本史

日本の歴史をそのままわかりやすく解説した本で、最後までスラスラと読める。
重要な年号は語呂合わせで覚えられるように文中にも載っていて、こういう本を小学生か中学生の頃に読んでいればなあ、と悔しい思いがする。


ポツダム宣言というのは7月に出ていたのだけど、それを日本は戦争責任を取るのを嫌がって無視し、8月に2発の原爆を落とされてから、ようやく受諾を決定した、という事実を今頃知った。


大きな政治的な失敗をしたときに、誰も責任を取ろうとしない国であることは、旧憲法時代からの伝統だったのかと残念に思ったし、未だにその当時の政治家の子孫が、相変わらず日本を牽引していることに気がついたりした。


この本を読みながら、歴史というのは、自分の生い立ちを聞くようなものだということがわかった。今まで、歴史の勉強がいったいなんのためになるのか不明だったし、歴史好きという人を不思議な気持ちで見ていたけれど、彼らがどうして歴史に興味を持つのか、その理由が少しわかったような気がした。


「50/50」という映画をDVDで見た。

My Kiasu Life in JAPAN-50/50

27才で死亡率50%のガンにかかった男とその友人の物語だ。
美人ばかりにモテることを除けば、この話しの主人公の性格は僕に近いものがあって、共感ができた。


My Kiasu Life in JAPAN-50/50 1

先日、英語の教材を読んでいたら、ガン宣告を受けた後、患者のほとんどはネットを見て自分の病気を調べる、ということが書いてあった。
この映画でも主人公はネットを見て、死亡率50%ということを知る。


My Kiasu Life in JAPAN-50/50 2

問題は、ネットにガン患者を食い物にしようとする詐欺的治療法が山ほど載っていることで、それでお金をムダにしてしまう人が多いらしい。
幸いにして、日本ではまだまだそんな人の不幸で大もうけしようとする人は少ないし、この映画でもその問題については一切触れていないけれど、アメリカでは、ガンの宣告を受けたら、ネットの情報を見ないようにと勧める医師や看護師もいるということだった。


映画としては、特に引き込まれもしなかったが、ガンになったらどうするのかということを、より現実的に感じることが出来て、「俺の場合はそうなったら、一緒に寝てくれる美人の彼女もいないし、かなり寂しい現実が待っていることになるよな」と、現状を振り返る、いい機会にはなった。


振り返ったところで、どうしようもないことを確認して、やれやれって言うだけだけどさ。

かつて、宇宙戦艦ヤマトを見ていた頃、イスカンダルのスターシャは、ワープ航法や波動砲の設計図を送ってくる暇があったら、最初から放射能除去装置「コスモクリーナー」の設計図を送ってくればいいのに、と思っていた。


ところで、福島の第一原発の4号機にある使用済み核燃料の貯蔵プールが水漏れを起こすと、日本はおしまいらしい。何をもって「おしまい」というのかよくわからないのだが、東京も人が住めなくなるのだという。北半球全体が汚染されるという話しもある。ネットの記事なので、どこまで信じていいのかよくわからないけれど。


その危うい貯蔵プールは、あの爆発した建屋の4階だか5階にあって、補強工事はしたものの、もうかなりぼろぼろの状態らしい。そして、なかに入っている使用済み核燃料を取り出すのは、2014年から始めて10年間かかるのだという。
「その間に、また地震が起きたらどうするんだ」と、その期間の長さについては、世界中の人が不安の声を漏らしているらしい。それはそうだろうなあ、と思う。


取り出すまでの間、福島の第一原発の4号機のプールは、ずっと使用済み核燃料を冷やし続けなければならないのだという。そうしないと、水が沸騰してなくなってしまうからだ。ところが、その冷却水を回すポンプの電源がこの週末に壊れて、非常用電源も入らなかったらしい。最終的には、日曜日の3時頃に復旧したらしいけれど。でも原因は未だ不明。


その間、政府発表もなかったし、マスコミの報道もほとんどなし。誤報を恐れるためかマスコミは最近、ますます、政府発表やどうでもいいことしか報道しなくなった気がする。でも、それでは結果的には政府に都合のいいことしか報道しない中国共産党と変わらないのではないかと思う。


今、期待するべきは科学者と政治家だ。科学者には、科学は金儲けのためだけにあるのではないことを示して欲しい。そして俺たちが再び科学者を信頼できるようにしてほしい。科学者を信じられない俺たちは本当に不幸だからだ。


それから、政治家にも。政治家はケネディがいうような「勇気ある人々」である必要があると思うし、そう願いたい。市民が生きていけるかどうかの瀬戸際にいるのに、経済活動や次の選挙のことだけ考えている政治家は間違っていると思う。公約が「福島の放射能を封じ込める」だけの政党でも作ってくれれば、俺は投票する。


なんてことを週末は考えながら、長野でダラダラと過ごしていた。今読み返すと「何を書いてんだか」という気もする。
わずかな進歩があるとしたら、ケネディが「勇気ある人々」を書いてピューリツァー賞を取ったことは小学校の頃から知っていたが、実際に読んだことがないのに気がついて、アマゾンで注文をしたことぐらいだ。


ノーベル文学賞を受賞したJ・M・クッツェーの「恥辱」(ハヤカワepi文庫)を読み終わった。


My Kiasu Life in JAPAN-恥辱

南アフリカのケープタウンでの物語。52才の大学教師の男が、教えていた女生徒に手を出し、告発される。査問会でも彼は屈服をしない。自分の主張を粗野に貫き、そして教職を追われる。


娘のいる片田舎で隠遁生活を始めるが、気に入らないことばかり。その上、娘も強姦され、自分はランプのオイルをかけられ、火を放たれる。


彼はそれでも思い通りにならない人生に屈服をしようとはしない。
止せばいいのに(と俺は思うが)、手を出した女生徒の実家に行って食事に招かれたり、手を出した女性が出演をしている演劇を見に行ったりする。


そして、どちらでも精神的には手痛い罰を受ける。
わざと自分を最悪の状況に追い込むように生き、そして、自分の主張を貫く。主張と言っても「したくなっちゃったんだからしょうがないだろ。しちゃったものはしょうがない」程度の主張ではある。


当然、ハッピーエンドはあり得ないが、それほど悲惨なラストというわけでもない。
そしてそれが現実というものだろうと思う。


文体は簡潔で、でも読みづらい。豊富な知識のせいなのだろうか。この話しは、「こういう男がいた」というだけでストーリーが展開し、「だからこう思え」という結論はない。
読者が好きなだけ考えればいい。


読みながら、長野県のどこかの高校の教頭が、女子学生のスカートのなかを盗撮し、それが発覚したとたん、自分の首や腹を持っていたナイフで刺したという事件を思い出していた。


随分と非難されていたけれど、また非難されて当然だけど、僕はもともと高校教師が立派だなどという気持ちが全くないために、かえって気の毒な気がしたほどだ。盗撮は悪かったけど、自分をそこまで罰しなくてもいいだろうと。


女性にここまで積極的ではない点や、ここまで高尚な知識を僕は持っていない点は違うけれど、この人の考え方や生き方は、相当程度まで僕も理解できる。似通っている点も数多くある。僕が小説を書いたら、きっとこんな感じになるんだろうな、なんて思ったりもした。


難解な部類の小説になると思うので、人には勧めないが、僕にはよかった。将来、自分が過ちを犯したとき、読み返すことになるんだろうと思った。


「アートスクール コンフィデンシャル」という映画をDVDで見た。


My Kiasu Life in JAPAN-art school confidential2

美術学校が舞台の映画で、美術学校というのがどういう学校なのかがよくわかった。


意外な発見があったのは、女性の裸というのは本当にきれいなんだなって思ったこと。
もちろん、今までだって映画や雑誌で山ほど見てはいるし、ストリップだって何度も見に行ったことがあるけれど、それはなんていうか劣情の対象みたいな感じの視点で見ていることが多い。
あらためて、美の対象としてきちんと見ると、「ああ本当にきれいなんだな」と思う。
それに比べると男の裸は見る気にもならない。


My Kiasu Life in JAPAN-art school confidential1

映画そのものはまあまあの面白さだった。申し訳程度に殺人事件もあるが、この映画の主題は、どういう絵が「価値がある」のかがわかることで、それは絵の出来、不出来にはほとんど関係がないことがわかる。


My Kiasu Life in JAPAN-art school confidential2

でもそれは、ちょっと考えるとつまらない結論で、そこは少し不満が残った。