かつて、宇宙戦艦ヤマトを見ていた頃、イスカンダルのスターシャは、ワープ航法や波動砲の設計図を送ってくる暇があったら、最初から放射能除去装置「コスモクリーナー」の設計図を送ってくればいいのに、と思っていた。
ところで、福島の第一原発の4号機にある使用済み核燃料の貯蔵プールが水漏れを起こすと、日本はおしまいらしい。何をもって「おしまい」というのかよくわからないのだが、東京も人が住めなくなるのだという。北半球全体が汚染されるという話しもある。ネットの記事なので、どこまで信じていいのかよくわからないけれど。
その危うい貯蔵プールは、あの爆発した建屋の4階だか5階にあって、補強工事はしたものの、もうかなりぼろぼろの状態らしい。そして、なかに入っている使用済み核燃料を取り出すのは、2014年から始めて10年間かかるのだという。
「その間に、また地震が起きたらどうするんだ」と、その期間の長さについては、世界中の人が不安の声を漏らしているらしい。それはそうだろうなあ、と思う。
取り出すまでの間、福島の第一原発の4号機のプールは、ずっと使用済み核燃料を冷やし続けなければならないのだという。そうしないと、水が沸騰してなくなってしまうからだ。ところが、その冷却水を回すポンプの電源がこの週末に壊れて、非常用電源も入らなかったらしい。最終的には、日曜日の3時頃に復旧したらしいけれど。でも原因は未だ不明。
その間、政府発表もなかったし、マスコミの報道もほとんどなし。誤報を恐れるためかマスコミは最近、ますます、政府発表やどうでもいいことしか報道しなくなった気がする。でも、それでは結果的には政府に都合のいいことしか報道しない中国共産党と変わらないのではないかと思う。
今、期待するべきは科学者と政治家だ。科学者には、科学は金儲けのためだけにあるのではないことを示して欲しい。そして俺たちが再び科学者を信頼できるようにしてほしい。科学者を信じられない俺たちは本当に不幸だからだ。
それから、政治家にも。政治家はケネディがいうような「勇気ある人々」である必要があると思うし、そう願いたい。市民が生きていけるかどうかの瀬戸際にいるのに、経済活動や次の選挙のことだけ考えている政治家は間違っていると思う。公約が「福島の放射能を封じ込める」だけの政党でも作ってくれれば、俺は投票する。
なんてことを週末は考えながら、長野でダラダラと過ごしていた。今読み返すと「何を書いてんだか」という気もする。
わずかな進歩があるとしたら、ケネディが「勇気ある人々」を書いてピューリツァー賞を取ったことは小学校の頃から知っていたが、実際に読んだことがないのに気がついて、アマゾンで注文をしたことぐらいだ。
ノーベル文学賞を受賞したJ・M・クッツェーの「恥辱」(ハヤカワepi文庫)を読み終わった。
南アフリカのケープタウンでの物語。52才の大学教師の男が、教えていた女生徒に手を出し、告発される。査問会でも彼は屈服をしない。自分の主張を粗野に貫き、そして教職を追われる。
娘のいる片田舎で隠遁生活を始めるが、気に入らないことばかり。その上、娘も強姦され、自分はランプのオイルをかけられ、火を放たれる。
彼はそれでも思い通りにならない人生に屈服をしようとはしない。
止せばいいのに(と俺は思うが)、手を出した女生徒の実家に行って食事に招かれたり、手を出した女性が出演をしている演劇を見に行ったりする。
そして、どちらでも精神的には手痛い罰を受ける。
わざと自分を最悪の状況に追い込むように生き、そして、自分の主張を貫く。主張と言っても「したくなっちゃったんだからしょうがないだろ。しちゃったものはしょうがない」程度の主張ではある。
当然、ハッピーエンドはあり得ないが、それほど悲惨なラストというわけでもない。
そしてそれが現実というものだろうと思う。
文体は簡潔で、でも読みづらい。豊富な知識のせいなのだろうか。この話しは、「こういう男がいた」というだけでストーリーが展開し、「だからこう思え」という結論はない。
読者が好きなだけ考えればいい。
読みながら、長野県のどこかの高校の教頭が、女子学生のスカートのなかを盗撮し、それが発覚したとたん、自分の首や腹を持っていたナイフで刺したという事件を思い出していた。
随分と非難されていたけれど、また非難されて当然だけど、僕はもともと高校教師が立派だなどという気持ちが全くないために、かえって気の毒な気がしたほどだ。盗撮は悪かったけど、自分をそこまで罰しなくてもいいだろうと。
女性にここまで積極的ではない点や、ここまで高尚な知識を僕は持っていない点は違うけれど、この人の考え方や生き方は、相当程度まで僕も理解できる。似通っている点も数多くある。僕が小説を書いたら、きっとこんな感じになるんだろうな、なんて思ったりもした。
難解な部類の小説になると思うので、人には勧めないが、僕にはよかった。将来、自分が過ちを犯したとき、読み返すことになるんだろうと思った。
「アートスクール コンフィデンシャル」という映画をDVDで見た。
美術学校が舞台の映画で、美術学校というのがどういう学校なのかがよくわかった。
意外な発見があったのは、女性の裸というのは本当にきれいなんだなって思ったこと。
もちろん、今までだって映画や雑誌で山ほど見てはいるし、ストリップだって何度も見に行ったことがあるけれど、それはなんていうか劣情の対象みたいな感じの視点で見ていることが多い。
あらためて、美の対象としてきちんと見ると、「ああ本当にきれいなんだな」と思う。
それに比べると男の裸は見る気にもならない。
映画そのものはまあまあの面白さだった。申し訳程度に殺人事件もあるが、この映画の主題は、どういう絵が「価値がある」のかがわかることで、それは絵の出来、不出来にはほとんど関係がないことがわかる。

