最近、夕方になると下腹が痛くなってくる。
ズボンのベルトがきつくなって、食い込んでくるような感覚がある。


たまたま職場に同じように、お腹が痛いと言っていた女の子がいた。
「俺も腹が痛いんだよ。生理痛かも。」と言うと「3日目からは楽になるから」と励まされた。「それを聞いて、ちょっと安心。」
でもこっそり「もしかして前立腺に異常があるのかも」なんてことを思っていたりした。


風呂から出たときに、久し振りに体重計に乗って驚いた。今までの人生史上2位にランクインするほどの重さだった。
「太りすぎかあ。」
ズボンのベルトが食い込んでくるのは感覚ではなく、きっと事実だったのだと思う。
ここ数年、体脂肪率が20%を超えるなんてことはなかったのに、それも超えていた。


そう言えば、先月はとうとうジムに行かなかったしなあ、なんて思う。
でも、今週もジムには行けない。法学検定の試験勉強が遅れに遅れていて、ジムに行くような余裕がない。週末は土曜日に実家の様子を見に帰って、日曜日はまさかの仕事だ。


ジムにほぼ毎日通っている友だちからも「全然来ない」とお叱りのメールをもらった。
試験が終わったら、ジムに通うつもりだ。とにかくこんなに太っていては、何をしていても苦しくて仕方がない。


☆ ☆ ☆


中学生の頃、ザ・ローラーズというバンドの「エレベーター」というレコードを持っていた。


My Kiasu Life in JAPAN-elevator

ザ・ローラーズはベイ・シティ・ローラーズからリードヴォーカルのレスリー・マッコーエンが抜けた後、残りのメンバーが作ったバンドだ。


「エレベーター」のレコードを、どのように処分してしまったのかは、もう覚えていない。
ただ、失ってから、失ったものの大きさを知ることはなにも恋愛に限った話しではない。
ヨーロッパに行ったときには、いつもこっそり、このアルバムも探していた。


今週、職場の階段を歩いているときに、ふとメロディを口ずさんでいて、よく考えてみたら、このエレベーターという曲だった。
「中学生の頃から聴いていないのに、覚えているもんだな」と思った。


家に帰ってからアマゾンで探してみたら、このアルバムがあっけなく見つかった。今では30秒間の試聴もできる。
そうだった、オープニングは「ストーンド・ハウスNo.1」だった。本当に何十年ぶりに思い出した。なつかしくて、すぐにカートに入れた。


久し振りに聴いた「エレベーター」は記憶のなかの曲よりも少しアップテンポだった。「エレベーター」よりも「ハロー・アンド・ウェルカム・ホーム」や「恋するラジオ」が気に入った。


○エレベーター
http://www.youtube.com/watch?v=BptJU3Sobfc
○ハロー・アンド・ウェルカム・ホーム
http://www.youtube.com/watch?v=rB8U-YA7HAI
○恋するラジオ
http://www.youtube.com/watch?v=nxfPw1BM5pA


調子に乗ってソフィー・マルソーの「恋にダンス」のアルバムの探してみたけれど、こちらは見つからなかった。


My Kiasu Life in JAPAN-sophie

でも、今はYouYubeがある。聴きたかったベレジーナを本当に久し振りに聴いた。ベレジーナはお菓子の名前で「ヌガーとチョコレートでできている」らしい。そうソフィー・マルソーが歌っていて、ここのフレーズは、ずっと覚えていた。フランスに行ったときに、ベレジーナというお菓子をを探してみたけれど、見つからなかった。この「恋にダンス」のアルバムもCDで出たら、すぐに買う。


○ベレジーナ
http://www.youtube.com/watch?v=N2VFfGQP8lE


ソフィー・マルソーつながりで、ついでに彼女が主演したラ・ブーム2の主題歌「恋する瞳」も聴いた。当時は、英語が全然できなかったので、この曲もフランス語の歌だと思っていた。いつかカラオケでも歌ってみたい。


○恋する瞳
http://www.youtube.com/watch?v=1sXO7zxylJM


☆ ☆ ☆


メン・イン・ブラック3をDVDで見た。


My Kiasu Life in JAPAN-MIB

ハリウッドのCGはもう、何でもできるんだなあと改めて感じたけれど、内容は思った通りで、俺のようなおっさんが真剣に見てどうのこうのいうような映画ではない。

My Kiasu Life in JAPAN-MIB1

My Kiasu Life in JAPAN-MIB2

ポップコーンを抱えて、友だちと馬鹿話しながら見るような映画だ。
気晴らしにと思って観たけれど、おまえは気晴らしするほど勉強しているのか、と思って反省した。


***おまけ***


ジャガイモとニンジンのコンソメスープの作り方

1 ジャガイモとニンジンの皮をむき、適当な大きさにカットする。
2 タマネギを適当にみじん切りにする。その後、鍋に入れて塩を振り、オリーブオイルで炒める。
3 ちょっとタマネギがぐったりしてきたら、1でカットしたジャガイモとニンジンも鍋に投入する。
4 鍋に水とコンソメスープの素を入れて、12分くらい煮る。このときに、めんどくさいなあ、と言いながら、ちゃんと水の量とスープの素の量を量ることが大切だ。
5 煮ている間に、唐揚げ用の鶏の肉全体に片栗粉をつける。
6 フライパンにオリーブオイルを入れて、片栗粉をつけた鶏の肉を炒める。
7 その間に、ニンニクを包丁の腹でつぶしてみじん切りにする。
8 肉が焼けてきたら、弱火にする。そこにさらにオリーブオイルを入れて、みじん切りにしたニンニクを入れる。目的は肉に香り付けすることと、ニンニクを香ばしいフライにすることだ。
9 深皿にフライパンに入っているものを移して、その上から、ジャガイモとニンジンのコンソメスープを盛りつける。
10 コショウを振ったらできあがり。



My Kiasu Life in JAPAN-soup


※今回、初めて国産のニンニクを使ってみたんだけど、味がよくてびっくりした。ジャガイモの皮がちゃんとむかれていないこと、タマネギのみじん切りがいい加減なこと等々に気がつくかもしれないが、気にしないことだ。

最近、職場で小さな配置換えがあり、女性ばかり3人がいる部署ができた。その写真入りの座席表が廊下に貼り出されたので、しばらく見ていた。
「どうしました?何か問題でも。」その3人のうちの1人に聞かれた。
「いえ。何も。っていうか、3人いるからキャンディーズみたいだなと。」
「今、無理矢理、言ったでしょ。気持ちが全然、入っていない。」
「そんなことないですよ。かわいらしいな、と。」
「嘘、絶対に嘘。本当に失礼しちゃう。」
母親に怒られているときから不思議だったが、女性がどうして嘘を見破ってしまうのか本当に不思議だ。


最近は毎週、職場でいろんな出来事があって、対応に追われている。一番の障害になっていることは、テープ起こしだ(録音された人の言葉を聴き取り、その内容を文章に直す作業のこと)。予算等諸事情もあって、外注もできないので、僕がやるしかない。


テープ起こしには、フリーソフトの「Okoshiyasu2」を使っている。だいたいのIC録音器には、テープ起こし用のソフトが同梱されているが、不必要な機能ばかりが多く、実際には使えない。この「Okoshiyasu2」以上にテープ起こしに向いたソフトを僕は使ったことがない。

ただ、ストップ、再生、巻き戻しの度に、クリックをしなければならないのは、このソフトでも不可避なので、それがフットスイッチでできたらなあと、いつも思っている。


テープ起こしは、そのまま起こせばいいというものでもない。
「これは、あれですよね。」
「そうなんですよ。」
「でもね、そうそう。確か、これは、あれのときには、適用がなかったんじゃないでしたっけ。」
「それこそAONの問題になりますから。その場合には。」
「この場合には、ああ、そうですね。そうそう。」
なんて議事録ができあがっても、後から読んで何が書いてあるのかさっぱりわからない。
それで議事録を作る際には、しゃべり言葉を書き言葉に翻訳もする必要がある。


その際、議事録を書いている人に都合よく改変することも可能だ。僕はいつも、会議では誰がどんな発言をしたかが問題ではなく、長い目で見れば、誰が議事録を起こしたかの方が遥かに重要だと感じている。あとから、しゃべっていないことをしゃべったように、しゃべったことをなかったことにするのも、議事録を書く人次第でどうにでもなってしまう。


もう一つ。テープ起こしをしていて、いつも思うのは、自分の会議での発言の愚かさだ。「何を言っているんだ、こいつは。」ヘッドフォンを床に叩きつけたくなる。テープ起こしをしている手を止めて、建物の外に出て、新鮮な空気を吸いながら、どうしようかなあ、と考える。言わなかったことにしちゃおうか、なんてことも考える。


そんなわけで、テープ起こしはなかなか進まない。
テープ起こしの作業の間だけは、タバコを吸ってもいいことにならないかな?と思う。いろんな意味で、頭を麻痺させながら取り組みたい作業だからだ。それから「おまえ、自分が思っているよりかなりバカだから、会議での発言は控えた方がいいよ」って自分に対しては思う。


金曜日は、前の職場の同僚と、長野の権堂で飲んだ。土曜日は大した2日酔いでもなかったが、飲んでいる間の自分の発言を思い出す度に、「いっぺん、死んでこい」と思う。僕が飲酒後、鬱になる原因は結局のところ自分自身の愚かな発言に尽きる。ジャイアンツの加藤も、今の俺の気持ちと一緒なのかな、とネットを見ながら思った。


ゲイリー・マッケントリー監督の「キラー・エリート」というアクション映画を見た。


My Kiasu Life in JAPAN-killer elite

ジェイソン・ステイサムが主演、ロバート・デ・ニーロも出演し、しっかりとアクションをこなしている。


My Kiasu Life in JAPAN-killer elite1

最後まで、飽きずには見たけれど、発端となった国家的陰謀の方は何となく周知しただけで終わってしまい、物足りなさが残った。

My Kiasu Life in JAPAN-killer elite2

ただジェイソン・ステイサムが両手をイスに縛り付けられている状態で対決をする格闘シーンは、見応えがあった。


ハーバード白熱教室3も見た。


My Kiasu Life in JAPAN-michael sandel

今回はLecture 9 兵士は金で雇えるか、Lecture 10 母性売り出し中、Lecture 11 自分の動機に注意、Lecture 12 道徳性の最高原理の4本だった。どこか、以前に見た内容だった。しっかりと記憶はないが、酔っぱらったときに見たのかもしれなかった。


もう、かなり退屈なのだが、どういうわけなのか、まだ見ている。確かに、こういう高尚な番組を見て、もう少し自分自身が賢くなった方がいいとは思う。


そして、法学検定の勉強は、もう本格的に間に合わなくて、呆然。

俺は本当に試験に行くのだろうか?

TOEICの試験結果が返ってきた。
前回よりも25点落ちて740点だった。
点数が下がるのは、試験直後から覚悟をしていたけれど、実際、目の当たりにするとなかなかつらいものがある。


このままでは終われないので、今年度の1月か2月には再試験を受けたいと思う。
とにかく勉強量が足りなすぎで、前から自分に対して思っていたけれど甘過ぎだった。


甘過ぎといえば法学検定もいつの間にか残り1か月を切っている。中級コースを受けることにしたが、4択だしそれほど難しそうじゃないし、何とかなるだろうと思いこんでいてなかなか勉強をしない。本気で勉強を始めないと間に合わないくらいになってきた。


「そろそろ頑張らないとな」勉強量を逆算したら、とても間に合いそうにない。今日から頑張ろうと思った水曜日の朝、右足の裏が突然痛くなった。


これは痛風の痛みだ。Tどんの結婚式で飲んだビールが原因なのだろうか?それにしてもなぜ今頃?そういえばここのところ、毎日プリン体が豊富といわれている納豆を食べていたしなあ、なんてことが頭に浮かぶ。


その日は裁判所に行かなくてはならなくて、車を運転していったのだが、話し合いを終えて帰るときには、痛みが倍加していてまともに歩けないようになっていた。「うう。足が痛い」なんて思いながら、運転して帰った。職場にたどり着いて車を駐めて、外に踏み出したら激痛が走り「これはもう、まともに歩けないな」と思った。


ほとんど左足で片足跳びのようにして職場の自分の席に帰ってきた。同僚の仕事を手伝ってあげたお礼に湿布をくれるように頼んでいたのだが、帰ってきたら同じ人から、集合写真を撮って欲しいと頼まれた。


僕に集合写真の撮影を頼んでくるのは、全員がそろわないからだ。あとから来なかった人の写真を撮って、合成して集合写真に仕上げてあげたことが何度もある。今回も2人が来られないというので、2人分の空きスペースを作って撮影する。
「お礼にくれるはずの湿布は?」もう懇願に近い気持ちで聞く。
「使いかけのをあげる。どうしたの足?骨折?」
「痛風なんだよ。」
「なーんだ。贅沢病か。」
痛みも格別なら、同情を引かない点でもこの病気は格別だ。


カメラを持って、片足跳びで集合写真を撮る会場まで行く。
「どうしたんですか?足?」
「ちょっと。名誉の負傷で。」
みんなが同情してくれる。「どうせ飲み屋で転んだんでしょ」という人もなかにはいる。
僕に写真を依頼してきた人は、「本当にいつも嘘ばっかり。」と吐き捨てるように言う。


会場の設営も協力し、なんとか撮影を終えた。足は一歩歩くごとに痛む。歩かなくても痛くなってきた。


なんとか家に帰って、9時頃にはベッドに寝た。でも痛みで眠れない。痛み止めを持っていなかったので、睡眠導入剤を飲んでみる。これで、痛みが嘘のように消えた、と思いこむことにした。実際には痛いままだ。


何度か夜中に起きて、冷たいシャワーを右足にかけた。しばらくかけていると、冷たさで痛みが麻痺して、痛みを感じなくなる。そうしたら、すかさず寝るのだ。


翌朝は、あまりに痛くて仕事を休もうかと思った。でも、行く。
なんとか駐車場に着いた後、職場までの短い坂が普段のようには登れない。5倍くらいの時間をかけて、なんとか登る。


朝、女の子に松葉杖を1本でいいから手配してくれるように頼む。痛いなあと思いながら、昨日の裁判の記録を作成する。


年配の女性が来て、僕に仕事を頼んでいく。「痛み止めは何を飲んでいるの?」と言うので「飲んでない」と答えたら、ロキソニンSという薬を1錠くれた。「水、買ってきましょうか?」と部下の女の子が言うけれど、「いらない」と答えて缶コーヒーで飲んだ。


飲んだら痛みが急速に引いた。回復期に入っていたのかもしれないけれど、右足を地面につけなければ、そんなに痛むことはもうなかった。すごいんだな、ロキソニンSって。と思った。それで、松葉杖も断ってしまった。


昼には足はまだ引きずっていたけれど、自分で薬局にロキソニンSを買いに行った。「とても大切な薬ですので」と住所、氏名、電話番号など書かされる。よっぽど高い薬なんだろうなあ、と思っていたら、700円もしなかった。効能書を見たら「骨折時の痛み」というのがあって、骨折の痛みが消えるのかと驚いた。


木曜日と金曜日に痛みはだいぶ減少したが、週末になっても、地面に右足をつけると、まだ痛かった。歩き方がぎこちなく、右足を踏み出すたび、サッカーのインサイドキックをしているような格好になってしまう。


そして土曜日も午後から仕事だった。それも翌日の会社祭の準備という肉体労働。


会社祭の垂れ幕は、屋根に登って縛り付ける。比較的高所が平気な僕が毎年、ハシゴ経由で屋根に登って取り付けていた。
今年も当然、僕がやる。「足が痛そうなのに大丈夫ですか?」「このために治したんだから俺がやる。」
足はまだ痛かったけれど、ハシゴを登った。
屋根の上で作業をしていると、アドレナリンが出るのか痛みが気にならなくなってくる。やはり生死がかかると、足の痛みなんかどうでもよくなるらしい。


それからあとの地上での作業は、足は痛かったけれど、なんとかこなした。


夜は、名古屋の司法書士さんと長野で飲んだ。彼女と会うのも7年ぶりだ。一緒に飲むのは、もう信じられないくらい昔までさかのぼらなければならない。勉強会があって長野まで来たらしい。
もともとは大学の同級生で、彼女は司法書士を目指して司法書士になった。俺は大学時代は山に登ったり、司法試験を目指したりしたけれど、結局、何者にもなれなかった。


長野の街は人通りが少なかった。ビールはさすがにやめて、お店の人が勧めてくれた甘いスパークリング日本酒の「澪」というのを飲んだ。アルコールは5%程度らしい。
彼女はほとんど飲まなかったので、頼んだ2本のほとんどを僕が飲んだ。それでもビールの500ml缶を1缶飲んだ程度だったから大して酔わなかった。


僕はもう、大学時代の友だちはほとんどいないので、彼女からいろんな人の消息を聞いた。僕たちが出席していたゼミの教授も亡くなったのだという。話しを聞く限りでは、そんなに幸せそうな人はいなかった。彼女が法律家だからなのか、いろいろな相談を持ちかけてくる人も多いらしい。
「すごく長いメールを送ってくる人もいるの。でも、メールだと内容もよくわからないじゃない?」
「『がんばれ』って4文字書いて返信してあげればいいんじゃない?」
「そういうわけにもいかなくて。」
話を聞きながら、「悩みは9割が取り越し苦労だ」という言葉が頭に浮かんできた。でも、それを聞いたのはどこで、誰から聞いたのかももう思い出せなかった。


僕は最近、夜、任天堂DSのソフト「えいごで旅する リトル・チャロ」というのをよくやっている、という話しをした。
My Kiasu Life in JAPAN-little charo

そうしたら、今、チャロはニューヨークではなくて東北にいるのだと聞いてとても驚いた。
そして、まだビッグ・チャロではなく、リトル・チャロのままだと聞いて、それも驚きだった。
「将来的には四国に行ってお遍路でもするのかな?シニア・チャロとして。」


今、僕のDSソフトのなかでは、チャロが日本に帰ろうと必死に走り回っているが、チャロが日本の東北に帰るのかと思うと不思議な気分になる。そして東北でなぜ英語なのかもよくわからない。「チャロ。聞き取れないかもしれないけれど、それは日本語の方言で英語じゃないよ」って教えてあげたい。


「僕は今の職場ではいろんな人が、手伝って欲しいって仕事を持ってくるよ。」
「それをあなたが、してあげるの?」
「もちろん、してあげるよ。僕は、超親切だから。」
「本当に?私の知っているあなたはそんな人じゃなかった。」
「ええ?そうだっけ?」
話しを聞いていると、昔の僕は随分と自分勝手な男だったらしい。今では信じられないような話しだった。


9時30分頃まで彼女と話して、それから代行タクシーを利用して、彼女をホテルに送ってから帰った。
彼女は代行タクシーを初めて見たらしく、しきりに感心していたが、僕にとっては日常なので、感心している彼女の方が不思議だった。


日曜日は会社祭の当日で、朝8時からいろんな作業をして、クタクタになった。夕方には雨のなか、1人で屋根に登り、垂れ幕をほどいた。あまりに疲れていて、昨日のような高揚感はあまりなかったが、足ももうほとんど痛くなっていて、作業自体は楽だった。


ただもうとにかく疲れた。今日はもう、早く寝て、明日から本格的に頑張りたい。法学検定の勉強もしなくてはならない。目をそらしたい気分でいっぱいだが、もう次の木曜日は11月だ。

土曜日はTどんの結婚式だった。
Tどんも結婚相手も福島の人なので、福島まで行かなくてはならない。


福島まで行ったら、福島の街を探検に行こうと思っていたのだが、福島駅周辺のビジネスホテルはどこも満室で、それではせめて大宮に泊まろうと思ったのだけれど、大宮のビジネスホテルも満室だった。
それで、長野から日帰りで行くことにした。


新幹線の予約に、インターネットで切符が買える「えきネット」を初めて使ってみた。
路線を選びつつ購入しようと思っていたのだが、長野から大宮までの新幹線と、大宮から福島までの新幹線をどうやったら連続して購入できるのか、今ひとつよくわからない。
いったん購入してから割引料金になっていないのに気がついて、やっぱり取り消そうと思って取り消したら、それだけで手数料が300円もかかってしまい、ひとつの予約もできないうちにこれかよ、と情けなくなった。


最終的には、乗るべき新幹線を完全に決めてから、「2列車の乗り継ぎ申込」というところから入って購入をした。購入できた後も、これはみどりの窓口で普通に購入するよりも少しは料金的に得になっているのだろうか?と思ったが、計算するのが面倒だったのでやめた。一応、一般旅行業務取扱主任者の試験も合格はしているので、鉄道の運賃計算は過去には何問も解いたが、今覚えているのは、鉄道の運賃計算は面倒くさいということだけだ。


結婚式では、Tどんにテーブルスピーチも頼まれていた。「うん、わかった。テーブルスピーチは、酔っぱらってからやるスピーチだから、読み原稿は作らないよ。」なんてお気楽に答えていたけれど、そうはいっても、と思いながら読み原稿を作った。作っているうちに、Tどんも優秀な奴だよなあ、って改めて思った。


朝は8時30分頃に家を出て、長野駅に向かった。みどりの窓口に並んで切符を受け取ろうと思ったら、「券売機で受け取らないと割引になりません」ということだったので、券売機の方に並び直した。


随分と親切な係員が券売機のところにいて、使い方を説明してくれる。理解してから、これは便利だということがわかった。券売機で受け取ったら700円の割引になった。そうか、券売機で受け取らせれば、みどりの窓口での業務量が減るからなあ、とそのインセンティブの持たせ方にも納得した。すでに300円の手数料は余計に払っているから、僕は差し引き400円の得をしたことになる。


行きの新幹線のなかで、僕は従兄弟が貸してくれた山崎正和さんの「劇的なる日本人」(新潮社)をずっと読んでいた。そして、大宮で乗り換えた東北新幹線のなかでとうとう読み終わった。久しぶりに本をきちんと読んだなあ、と思った。後半になって、「日本への手紙」という章に入ってからは、ずっと潜水して70年代という時代のなかを泳いでいたようなそんな気がした。


この本の文体について、従兄弟は「美しく硬質な文章」と表現をしていた。僕はムダを削って彫り込んでいくスタイルの文体に、どこか武道を感じていた。美しく鮮やかに切り込む姿は、ときとして正確さを犠牲にするものだということもこの本を読んで実感した。考えどころが多く、いろんなことをこの1冊の本から学ばせてもらった。それから、俺も大学時代、法律の基本書をこの本を読むくらいの熱意で読んでいればなあ、と思った。


福島駅で新幹線を降りて、結婚式場の用意してくれたシャトルバスに乗る。先に乗っていた女の子がアルファベットの歌を歌っている。「ABCDEFG、HIJK」まではきちんと歌えるが「LMN」はどうしても「NNN」になってしまう。駅から結婚式場までは1本道だが、距離はかなりあった。


結婚式場について、着替えようとしたら更衣室が3人分しかなくて、着替えることができなかった。友人達に久し振りにあったが、礼服のまま会場に来たらしく、ジーパン姿の僕を見て「そのまま結婚式に出ればいいだろう」と言う。そういうわけにもいかないので、それからしばらく待って、更衣室が空くのを待ち、なんとか礼服に着替えることができた。


久し振りに会った友人達だが、相変わらずかなりの毒舌だった。周りの人の目もあり、「もう大人なんだから」と誰かが注意すると「年を取っただけで、大人になったわけじゃない」なんて言い返すのを見て、「なるほどなあ。確かに」って思った。いつの間にか、もうみんな結婚をしたようで、結婚していないのは、もう俺といわき市の友だちだけだった。
「もう結婚できないんじゃない?」そう言われたが、確かにそんな気もしているところだ。


結婚式は式場にある教会で行われた。


My Kiasu Life in JAPAN-church

Tどんはなかなか体格がいいが、初めて見る奥さんになる人も少しふくよかだった。
でも、その大きさが教会に合っていて、バランスが取れてきれいだった。「このくらいの新郎新婦の大きさが、教会の場合には適正なのではないか」と思った。小柄な人は、やっぱり日本式の方がいいと思う。


その後、花びらを新郎にかけたり、風船を飛ばしたり、熊の人形がパラシュートにぶら下がって落ちてくるのを取ったりと、まあ結婚式らしいことをした。
噴水が上がり、炎が吹き出すセットを見て「これはすごいのか、すごくないのか、よくわからないな」と友人に言うと、即座に「すごくないだろ」と言うので笑った。


My Kiasu Life in JAPAN-fountain
▲奥の黒い筒からは炎が出る。噴水はもう少し豪華なときもあった。


披露宴の会場に新郎新婦が入場してくるとき、音楽が「桃太郎電鉄」だったので笑ったけれど、それが桃太郎電鉄というゲームソフトの音楽だとわかった人は少なかったようだった。俺は当然、わかる。


「昼に飲むビールはアルコールがまわるなあ」なんて友人と話していたら、突然、ビデオカメラを持った人が来て「1人ずつ、祝福の言葉を」なんて言われる。「末永くお幸せに」なんて超つまらないコメントをしてしまった。酔ってきたのか、気の利いたコメントを考えられない。


友人代表のテーブルスピーチのときには、もうかなり酔っていたので、読み原稿を作ってきて大正解だった。福島の方々からヤジを飛ばされたが、それも面白かった。反応はよくわからなかったけれど、それなりに受けていたようでよかった。


○×クイズなど、僕の友人達はやたらと強く、ベスト4のなかに3人も入っていた。1位から3位までが商品で、4位は罰ゲームのカラオケだった。カラオケ好きな友人が4位をしっかり取って、新郎と「乾杯」を歌った。こういうところをキチッとできるのがすごいと思った。カラオケを歌った友人は、明日から仕事で韓国に行くらしい。


結婚式が終わる頃には大分暗くなっていた。式場のシャトルバスに乗って、福島駅に向かった。


福島駅にあるイタリアンレストランで2次会があった。Tどんと奥さんは本当に仲が良さそうだった。見ていて微笑ましかった。こういうぴったりのカップルっていうのも、あるんだな、と思った。
桃太郎電鉄は、今では奥さんの方がTどんよりも強いらしい。
8時30分まで飲んで、Tどんと新婦に挨拶をして別れた。2人は店の外まで出て見送ってくれた。
それから友人とも別れて、新幹線に乗って、長野まで帰った。家に着いたときには、もう日曜日になっていた。


翌日の2日酔いは大したことはなかった。今から考えると、福島や大宮で飲まなくて、本当に正解だった。思ったよりも疲れていて、日曜日はほとんど寝て過ごした。


フレデリック・フォーサイスの「アフガンの男 下」(角川書店)を読み終わった。


My Kiasu Life in JAPAN-afgan

アメリカの刑務所に囚われていた囚人になりすまして、アフガンのテロ組織に潜入した男の物語だ。潜入した男がどこに行ってしまったのか、西側諸国がわからなくなってから読むのが楽しくなってきた。ただ、ラストは残念だった。


世の中には、実際にこういう人知れず努力をし、命を捨てざるを得ない人生を生きている人がいるんだろうなあと思い、またそういう人に感謝をしたいと思った。ただ、本としては面白みが今ひとつという感じではあった。


***おまけ***


カリフォルニアのクリスのフェースブックに載っていた写真。
イングルウッドは黒人やヒスパニック系が多く、貧困層が多いことで知られている。


My Kiasu Life in JAPAN-shuttle

▲スペースシャトル・エンデバー、イングルウッドで一晩過ごした後。


もちろん、ジョークの写真なので、本気にしないように。

金曜日の夜、スナックの女の子からメールが来て、飲みに行った。
いつも相当酔っぱらってから行く店で、素面で行くのは初めてだった。
残っていたバーボンのボトルを飲みきって、それから新しいボトルを入れた。
いつもは数人で飲みに行っていたから、カウンターに座って女の子と話すのは初めてだった。


店はガラガラだったけれど、10人くらいの予約が入って、ママはその準備に追われていた。
でも結局、10人のお客は来ることはなく、数人のお客が来ただけだった。
週末だというのに、長野の繁華街である権堂も、あまり人通りは多くない。


あまり酔っていなかったから、期待していたお客さんが来なかったことに対するママのがっかりした気持ちがわかって、多少、居心地が悪かった。
そもそも、1人の客なんていうのは、スナックでは効率が悪い。1人の客にも女の子を多少は回さなければならないからだ。
店がガラガラだったせいもあって、まだ客あしらいに慣れていない女の子が2人、僕の前にずっといて、移動しない。昔から僕は、うるさいことを言わないし、飲み屋では「簡単な客」ということで好かれることが多い。
でも今日は1人だったし、ずっと俺の前にいなくていいから、と女の子に声をかけたいほどだった。場違いのところにいるなあっていう気は初めからしていた。


12時を過ぎて、そこのママが誕生日だと言うことで、簡単なお祝いをした。
僕は何も知らなかったけれど、たまたま持っていたものをプレゼントした。
クラッカーも渡されて鳴らしたけれど「何やっているのかなあ。俺は。」とどこか醒めていた。


ママが請求書を出してきたときは、少しほっとした。でも金額は思ったよりも高かった。
それはボトルを入れ直したのだから仕方がないのかもしれなかったし、それでも安いといえば安い金額だった。
結局、大して酔わないまま、代行を頼んで家に帰ってきた。
家でシャワーを浴びながら「1人でスナックに行くなんてことは、もうやめよう」と思った。


土曜日は午前中は髪を切って、午後は久しぶりに実家に帰った。
郵便物がはみ出すほど、郵便入れがいっぱいになっているのではないかと思ったが、姉が来てくれていたせいか、それほどではなかった。


久しぶりに実家の自分の部屋でDSで英語の勉強をして、それから少し昼寝をした。昼の間は暖かだったが、夕方には冷え込んできた。
姉へのフィリピンのお土産を置いて、再び実家を出た。


途中、三菱のディーラーに寄って、ドアミラーを直してもらった。以前から右側のドアミラーが壊れて、自動格納ができなくなっていたのだ。


修理の間、法学検定の勉強をしていたら、コーヒーを持ってきた男の店員が「それは法律の勉強ですか?」と言うので頷いた。彼は今、保険の勉強をしているのだと言った。それからしばらく、彼の勉強の話しを聞いた。


「掛け金のこともあるので、小さな事故なら保険会社に連絡しない方が得することもあるんです。」
まあ、そうだろうなあ、と思いながら頷く。それでも、一生懸命さが伝わってきて、話しを聞くのは楽しかった。
「俺は来月試験なんだ。でも、なかなか直前にならないと勉強をしないから、今頃焦っているんだけどね。」
「そうですよね。最初は張り切って。しばらくやらなくなって。それから直前になって頑張るって感じになっちゃいますよね。」
その分析は、なかなか鋭いなあ、と思いながら話しを聞いていた。


「勉強のお邪魔をしちゃってすみませんでした。」
「そんなことないよ。面白かったよ。」
それから、修理が終わるまでの間は集中して勉強をした。こういう隙間の時間しか、僕は勉強をなかなかしようとしない。


土曜日の夜、また長野に戻ってきた。
そして日曜日は、従兄弟から借りた本を精読したり、他の本を何冊か読んだ。でも、どれもまだ、最後まで読み切れずにいる。


「ハーバード白熱教室」の2枚目をDVDで見た。


My Kiasu Life in JAPAN-justis

タイトルは「課税に正義はあるか」「「私」を所有しているのは誰?」「この土地は誰のもの?」「土地略奪に正義はあるか」「社会に入る「同意」」の4本だ。


講義が大学の講義らしくなってきて、今回はジョン・ロックを中心に自由主義について語っている。
ジョン・ロックの思想は日本国憲法にもおなじみの考えなので、ある程度僕も基本があるので、聞いていて「ふむふむ」とは思ったが、面白さという観点からは、だいぶ遠くなってきていて、講義の会場にも空席が見られるようになってきた。


ただロックの思想というものを、僕は、司法試験予備校の授業を通じて全くの無批判に受け入ていたけれど、本当に自然状態では「財産」も不可侵のものなのか?という疑問を提供しているのを見て、「そこも当然考えなくちゃいけないのか」と思った。


そして、俺は本当に、この「ハーバード白熱教室」を最後まで見続けるのだろうか。
正直に言わせてもらうと、退屈だ。


スピルバーグが監督でトム・クルーズ主演の「宇宙戦争」を今頃になって見た。


My Kiasu Life in JAPAN-war of the world

映像は見事だったが、今まで同じタイトルで作られた数々のドラマへのオマージュなのだろうか?どこか古くさく作ってある。


ストーリーは昔から基本的には変わらない。
火星から宇宙人が攻めてきて、優れた科学力で地球人を征服するが、最終的には地球上のバクテリアにより滅びる。


My Kiasu Life in JAPAN-war of the world1

この映画では、そこに家族愛なども盛り込んでいる。僕は小学生の頃、たいへんにいい子だったので、この映画に出てくるような本当に子供のことを思っている親に、反抗する悪ガキが許せない。かなりイライラした。


My Kiasu Life in JAPAN-war of the world2

また映画としても、クリストファー・ノーラン監督の映画を見てしまうと、もっと特撮もアクションも行けるような気がする。


どこか残念な気がする映画だった。

コピー室にコピー原稿を持って入っていった。僕より先に大量コピーをしている知らない女の人がいたので、僕はドアを閉めて静かに待っていた。
声をかけるべきなのかどうかわからなかったので、黙っていた。ゆるやかな手と腰の動きで、彼女がコピー機の前で、ゆったりとハワイアンを踊っているのがわかった。ハワイアンの動きは、コピー機の規則的な動きと音に妙に合っていた。


しばらく黙って見ていたら、ようやく彼女も気がついて僕を見て「あっ」と声を出した。
とりあえず「アロハ」と挨拶した。


「もう、どうして黙っているんですか!」恥ずかしそうに抗議をする。
「面白そうだったから。」


それから、コピー室で彼女に会うたびに「アロハ」と挨拶をするようになった。
きれいな人だったが、残念なことにもう結婚しているらしい。結婚前はハワイアンにはまって、ココナッツを割って作ったブラジャーも持っているのだと教えてくれた。どこの部署にいるのかもわかったけれど、肝心の彼女の名前は聞かなかったし、教えてくれなかった。でも、向こうは僕の名前を知っているらしい。


それで人事係の女の子に、彼女の名前を聞いてみた。めんどくさそうに調べてくれた。
「どうして知りたいって思ったんですか?」と言うので、「彼女はココブラ持っているんだって。」と答えた。
「ココブラって?」「ココナッツで作ったブラジャー。」
「そういう仕事以外のことで、聞きに来ないでください!」と怒られた。
怒りんぼの人が多くて困る。


木曜日の午前中まで普通に仕事をして、午後からフィリピンに行くことにした。
もう1人旅は香港でこりごりしたのだが、いっしょに行ってくれる人がいないから仕方がない。


JALのマイレージが貯まっていたので、それを利用して航空チケットを取った。ホテルはネットを使って1泊1万円プラスアルファで5つ星ホテルのデュシタニ・マニラ・ホテルの部屋を予約できた。今回は3泊の予定だ。デュシタニ・マニラ・ホテルはタイの系列のホテルらしい。


木曜日の午前中、山崎正和さんの本が3冊ほど宅急便で職場に届いた。先週、歌舞伎町で飲んだときに、従兄弟が貸してくれることになっていたのだ。「山崎正和を知らないなんて」と従兄弟は少し驚いていた。
そのうちの1冊「劇的なる日本人」(新潮社)を、今回の旅に同伴してもらうことにした。


バカなので、英語の問題集や法学検定の問題集も持っていく。10月1日から毎日、欠かさずに勉強することにしたのだ。旅行先で勉強なんかするわけないと思いながらも、一応バッグに入れた。


長野から東京に行く新幹線のなか、成田エクスプレスのなか、成田空港では「劇的なる日本人」を精読していた。意外な発見が多い。従兄弟はこれを高校時代に読んでいたのだという。こういう視点を知らないで生きていたのと、知って生きていたのでは、大きな差が出るように思う。ただ、高校時代に、自分がこれを読みこなすだけの力があったのかと言われると、残念ながら肯定することはできないけれど。


最近、僕が乗る機体は小さい。マニラ行きJAL745便もコンパクトな飛行機だ。でも、小さい機体の方が乗り降りが早くできて、僕は意外と気に入っている。


My Kiasu Life in JAPAN-the hotel
▲今回の機体。


飛行機のなかでは、「プロメテウス」という「エイリアン」のような映画を見た。


My Kiasu Life in JAPAN-prometheus

人類を作ったであろう創造主の星に行った調査チームの映画なのだが、出てくる科学者は、ろくに調べもせずに安全だと判断して、各自勝手な行動を取る。「感染症や星の天候のことも考えずにそんな勝手な行動を取る科学者なんかいるわけないだろ。」。


My Kiasu Life in JAPAN-prometheus1

My Kiasu Life in JAPAN-prometheus2

そのため、調査チームはほぼ全滅。こういう科学者がバカな映画は、科学者を冒涜していると思う。見終わって本当に後悔した。こんなことなら、本を読んでいるべきだった。


今回、新しいキャリーバッグを買った。カルーセルで目立つように赤にした。黒や青だと他人のものと区別がつかなくて困るからだ。ちなみに、カルーセルというのは、空港にあるスーツケースがぐるぐる回るベルトコンベアのこと。カルーセルには回転木馬の意味もある。カルーセル麻紀はかつて働いていた店の名前が「カルーセル」だったために、芸名にした。たぶん、店の意図は回転木馬の意味で、スーツケースをピックアップするところの意味じゃないと思う。
ねらいどおり、赤のキャリーバッグは比較的目立ったので、すぐに見つけることができた。


空港を出ると、デュシタニ・マニラというボードを持っている人がいたので、話をした。予約客にタクシーを手配しているのだという。僕の名前も、彼が持っていたファイルに載っていたので、彼を信用した。彼の指定したタクシーでホテルに向かった。さすが5つ星ホテルはサービスが違う。

http://www.dusit.com/dusit-thani/ja/dusit-thani-manila.html


My Kiasu Life in JAPAN-dusit thani manila hotel

▲俺が写真撮ると、普通のホテルのように見えてしまう。

ホテルの警備は厳しかった。入り口に爆弾探知のためか大きなシェパードがいるし、荷物も一応、中身を係員がチェックする。ただ、何かと最後に「サー」をつけてくれるので、偉くなったような気分にはなる(あとで、気づいたけれど、ホテルを出るときは、タイの服を着た女性が両手を合わせ「サワディーカー」と行って送り出してくれるし、エレベーターを降りたときも、タイの服を着た女性が両手を合わせ「サワディーカー」とお辞儀をしてくれる。なんだかすごくいい気分になる。それから、普通の従業員も会うと皆「グッド・イヴニング。サー」と丁寧に挨拶をしてくれる。いいホテルだと思った。)。


My Kiasu Life in JAPAN-hotel room

My Kiasu Life in JAPAN-hotel bathroom
▲部屋は広くてよかった。ただエアコンが調整不可で、スイッチを入れるとすぐ凍えるほど寒くなる。


ホテルに着いてチェックインを済ませると、部屋で一休みした。それからホテルの近くにあるカラオケバーに行った。フィリピンにあるカラオケバーは日本でいうフィリピンパブを大きくした感じの店であることは、何となく知っていた。


フィリピンパブは、就職したばかりの頃、年配の先輩達によく連れて行ってもらった。当時、年配の先輩方は遊び慣れた人が多く、よくフィリピーナにモテていた。同僚のなかにもフィリピーナに好かれた人がいた。


あるとき、フィリピンパブの女の子が夜中の3時過ぎに電話をかけてくることに困惑したその同僚が、彼女あての手紙を英語で書いたから僕に読んでくれ、と手紙を持ってきた。そこには、「僕は転勤が決まった。もう会えない。さようなら」といった文章が書かれていた。
「こんな感じでいいかなあ?」
「いいんじゃない?」


店から出るとき、彼に手紙を渡せたのか聞こうと思ったら、彼はその別れるはずの女の子とキスをしていて「電話する。約束だ」と言っていた。「別れるんじゃなかったのかよ。」と、あきれた気分になった。


そしてこっちはフィリピンのカラオケバーの話。
女子校の1クラス分くらいの数の女の子がドレスを着て出迎えてくれる。ママさんが誰か指名しろという。みんな名札を指さしたり、手を振る。一番、笑顔で頑張って手を振っている子に決めた。
そのとき山崎正和さんの本にある「崩壊を避けようとする意識はユーモアを生み、崩壊を急ごうとする意識はニヒルな相貌を生む」という一節を思い出していた。こういうときは素直に、いい関係を築こうと努力をしている人を選ぶべきなのだ、と思った。
「どういう読み方しているんだ!」と従兄弟には叱られそうだけど。


ショータイムではダンサーの方々が激しいダンスを踊っていたが、僕が出口付近に座っていたせいか、帰りにダンサーが皆、僕と握手をしていく。よくわからないが、アイドルの握手会みたいなものか?と思った。ただ、今回はアイドルの方が握手をしに来てくれるのだ。後で聞いたら、ショータイムのダンサーは全員プロなのだそうだ。


My Kiasu Life in JAPAN-karaoke pub
▲昼に見たカラオケ・バー。まるで日本のようだ。


何か歌えというので、ベン・E・キングのスタンド・バイ・ミーをステージで歌った。ステージの僕の隣にはさっき指名した女の子が立っている。「俺、フィリピンに来て2時間くらいなのに、こうして、ステージでカラオケ歌っているっていうのは、ちょっとおかしいんじゃないか?」マイクを持ちながら、何度も思ったが、自分でもおかしいのかどうか、よくわからなかった。


指名した女の子が、ビールを注いでくれる。飲み放題だというので、かなり飲んだ。
彼女はまだ20歳で、田舎から3時間くらいかけてこの店に通っているのだという。
「あそこに座っている女の子はみんなそうなの?」
指名もされず、つまらなそうに座っている数十人の女の子達を見て言った。
「ほとんど、そう。」
「どうやって通っているの?」
「バスで。それから、歩いて。」
「3時間は、長いね。」
世の中は甘くない。指名されなかった女の子は、どんな気持ちで家に帰るのだろう、と思った。


僕はフィリピンは初めてだと言った。初めても何も数時間前に着いたばかりだった。3日間いると言ったら「たったそれだけ?」と残念そうだった。
「明日、午後2時からフィリピンを案内してあげる」というので頼んだ。そのかわりお店に同伴出勤してくれないと困ると言われた。
まあ、世の中は甘くない。


結局、2時の閉店までいた。会計は6000円程度だった。帰りにコンビニで買い物をして帰った。コーラが1缶50円程度だったので物価が安いんだと思った。


翌朝、朝食を食べに、ちょっとホテルから離れたコーヒーショップに行った。歩いている間、信号機がほとんどなくて、交通量が多い道でも自力で渡るしかない。日本と違って、車が右側通行なので、左右を見るタイミングを間違えてしまう。車線を横切る人を見つけては、その人にくっついて道路を渡った。


My Kiasu Life in JAPAN-cross road
▲このくらいの交差点でも信号はない。覚悟を決めて渡るしかない。


バスが、乗り降りが自由らしくて、減速した瞬間に乗る人を何人も見た。バスの走っている数は多い。僕も乗りたかったが、バスの車体に書いてあるルートを確認した後、目的地を言わなくてはならないらしかったので、諦めた。


My Kiasu Life in JAPAN-bus
▲面白そうだったけれど、乗れなくて残念だった。


そのコーヒーショップはスターバックスのような店で、トーストとコーヒーを頼んだ。
レジでコースターのようなものを渡される。いったいこれは何なのだ?「できあがったらビープ音がして光が点滅するので、カウンターまで取りに来てください」と書いてある。なるほど。


席で、法学検定の問題集を読んでいたら、やたらとまわりでブーブー音がするので、誰の携帯電話だろうと思っていたら、自分のコースターみたいなやつだった。慌てて取りに行く。


そこで最低限のノルマにしていた問題数は解いた。旅行先でも意外と頑張るので自分自身に驚いた。再び、ホテルに戻り、昨日のまとめを日記に書いたり、英語の勉強をしたり寝たりして午後2時までの時間をつぶした。


午後2時には、待ち合わせの場所にいた。それから、暑い日差しの下で15分待った。かなりイライラしてきた。それで、「本当にガイドをしてくれるの?待っているんだけど。できないなら、そう言ってくれればホテルに帰るよ」とメールをした。返事が来なかったので、「とにかくホテルに帰る。もし、連絡が取れたら連絡して。たぶん、誤解があったみたいだ。このことで悩ませていたら、ごめん。」とまたメールをした。彼女の英語力も、僕の英語力も乏しいので、僕が誤解したのかもしれなかった。


それから、スーパーに寄って昼飯を買って、ホテルに帰った。世の中は甘くないんじゃなくて、苦いんだな、と思った。
ホテルで食事をしたあと、少し冷静になって「俺は本当にフィリピンの観光地に行きたいのか?」と自問した。そんなこと全然なかった。僕は観光地を汗水垂らして歩くよりも、マッサージを受けたりエステを受けたりすることが大好きな人間だった。


それで急遽、エステに行くことにした。このホテルはタイ系の一流ホテルなので、タイの一流のエステサロンが出店している。
http://www.devaranaspa.com/spa/introduction/spa0005/jp/index.html


早速、電話をして予約をした。「今すぐに来るなら大丈夫」というので「すぐに行く」と伝えた。「5分間待っています。」


エレベーターを2階で降りれば、その目の前がエステだった。そこで僕は、30分間のハロハロ・ボディー・スクラブと90分間のマッサージを受けた。使うオイルも選ばせてもらったが、アロマオイルのブレンドが絶妙で、これがブレンドオイルなのだと、新たに気づかされたような気がした。今まで、7000円ほども出して、日本でアロマの小瓶を買っていたが、その何倍もの量を一度に使うのだ。それで、2時間のこのコースで1万円くらいだった。


僕を担当してくれたのは小柄な女性だったが、いったいどこにそんな力があるのかと思うほど、本格的なスクラブとマッサージだった。僕の場合、やはり肩が気になるようで、肩は特に力を入れて、治してもらっていたような気がする。マッサージのとき、穴の空いたベッドにうつぶせに寝るのだが、その下に、レモンの輪切りが置いてあり、その鮮烈な香りも楽しみながら、マッサージを受けた。


気に入ったので、翌日の予約もした。


幸せな気分でホテルの部屋に戻った。携帯電話が鳴っているので、見ると2時の約束をすっぽかした女の子から70回以上の電話が入っていた。それから「遅刻しました。ごめんなさい」というメールが来ていた。


「気にしなくていいよ。」そうメールの返事を書いて、やれやれと思って寝ようとした。そしたら、「今日、同伴してくれる約束だから、今、店の前で待っている」とメールの返事が来た。


ここで、賢い男の人は断るのだろうが、僕は断らない。ノコノコ出かけていって、食事をごちそうしてあげて(日本料理店に行った)、お店にも同伴する。俺は本当にバカだと自覚は十分にある。(山崎正和さんの本に、西洋人の人生が、ひとつの普遍的なイデアの顕現であるのに対し、日本人の人生は、他人の理解を唯一のものさしとする孤独な冒険の連続である、という一節がある。俺という生き方は、自分自身のためというよりも、他人が見てどう思うかというところに主眼を置いているということだ。僕はそのあたり、極端に日本人的に過ぎるのかもしれない。などと、バカには教養を持たせても、どこまでもバカだ。)


この日も何曲かほとんど無理矢理歌わされたが、夜10時30分からのショータイムがすごかった。昨日は女の子中心だったが、今日は男の子も入っての笑いありアクロバットありの強烈なダンスだった。


My Kiasu Life in JAPAN-dance show
▲凄いダンスも俺が撮ればこのとおり。なんだかさっぱりわからない。


「すごいなあ」と間抜け顔で見ていたら、最後に女性のダンサーに手を引かれ、ステージに連れて行かれた。そういう僕みたいな男の人は4、5人いた。
そこで、フィリピンで今流行っているという韓国のPSYの「江南スタイル」というダンスの手ほどきを受けた。
日本ではほとんど人気がなく、僕も一度YOU TUBEで見て、俺のタイプじゃないと思い、2度と見なかった音楽だ。


最初は、江南スタイルの曲に合わせてダンサー達とデタラメに踊ったあと(その間にも、後から考えるといろいろな動きの指導をされていた)、プロのダンサーが江南スタイルの動き方を教えてくれる。教え方がうまくて、すぐに踊れそうな気がしてくるから不思議だ。


それから、江南スタイルの曲に合わせてダンサー達といっしょになって踊った。ダンサーから日本語で「右、左」という指示が大声で飛ぶ。酔っぱらっているせいか、身体が素直に言うことを聞いて、僕もそれなりに踊れていたような気がする。


座席に戻ったあと、ダンサーの人達が、握手をしに来てくれた。僕はもう、汗だくだった。昨日は唐突な気がしていたけれど、今日は自分でも嬉しかった。


ダンスが終わって、ちょうど時間が来たというので、女の子と別れてホテルに帰った。もう彼女とは会うことも2度とないと思っていた。


それから、ぐっすりと眠りについた。ところが夜中の2時過ぎに女の子からメールが来て、しかも、それに気がついてしまった。「いつも見るだけだから、一度デュシタニ・マニラ・ホテルの部屋を見に行きたい。友達も連れて行く」と言う。


My Kiasu Life in JAPAN-from window
▲ホテルの窓からはこんな景色が見えた。目の前は駐車場の屋上。

土曜日の朝は、多くの若者がボクシングの練習をしていた。


普通の人は、ここで断るのだろうけれど、僕は違う。このホテルのエレベーターは、部屋のカードキーがないと動かせないので、わざわざ着替えて1階のロビーまで出迎えに行く。


友達だという連れてきた女の子は28歳だという。部屋のなかにはほかに何もなかったので、とりあえずペットボトルの水を渡した。


「私は、28歳。もう後がないの。だって、カレンダーだって31で終わっちゃうでしょ。」
日本語が上手なので、日本に行ったことがあるのか聞いたら、彼女は日本人と結婚していたのだという。子供もいると写真を見せてくれた。


その日本人の男性とは、自分が知らないうちに離婚させられたのだと、彼女は言う。「私と子供がフィリピンにいる間に、離婚届が出されていたの。日本の大使館に行って確認した。私は離婚させられたことがわかった。何が起きたか、最初は信じられなかった。だって、私はまだ愛があったし、毎日、電話もしていたのに。」


「そんな離婚は無効だから、弁護士さんに相談してみればいいよ。そんなに簡単に日本でも離婚できないよ。自分が何も知らなくて離婚なんてできないから。」
「でも、いいの。もうしょうがないって思っている。相手の人はバカなの。」


それでも、彼女は日本人が好きだという。お店も85%は日本のお客さんらしい。ただ、最近は、フィリピンから撤退する会社が多く、そうなるとお店も暇で、女の子もみんな暇になってしまい困っているのだと言う。


しばらく話をしたあと、2人は帰るという。「5時まで電車動かないんでしょ?そこのベッドで寝ていけば?」「大丈夫。バスは24時間動いているから。」


再び、1階のロビーまで2人を送りに行く。本当にこれで2人にも一生会うことはないんだろうなあ、とは思ったが、あまりに眠たくて「さようなら」と言ったときにもあまり哀しみがなかった。ベッドで寝るときに「まあ、それでよかったんだよ」と思った。


翌朝は9時30分頃に起きた。お土産を買わなくてはならない。正直言って、お土産を買うのなんか大嫌いだけど、職場に買っていくのは義務のようなものだ。
近所のスーパーで、乾燥マンゴーを買って、それでいいことにするつもりだった。昨日の2人も「フィリピン産で有名なもの」を聞いたら「乾燥マンゴー」って言っていたし。


乾燥マンゴーを買って、ホテルの部屋に戻ってガイドブックを見ていたら、フィリピンの買い物はディビソリアというところが、安くて楽しいらしい。それで、そこに行くことにした。


ホテルの前で交渉をしたら、ホテル所有のタクシーは1800円もかかるというので、街中を走っているタクシーに乗ることにした。1500円くらいということで話がついたが、あとから本当は1000円もしないらしいことがわかった。運転手はやたらと僕に「日本人。ともだち、ともだち。」と日本語で言っては笑っていた。


ところが、信号が整備されていないことや、バスが乗り降り自由なことなどが原因で(と思う)、道路は大渋滞。何しろ、客を乗せる自転車やバイク、挙げ句の果てには馬車まで車と一緒に走っているんだから。
タクシーで1時間以上もかかり、僕はタクシーのなかで、その日のノルマの法学検定の問題を解いてしまった。


最後、目的地まで数100メートルのところまで来たとき、運転手が「時間を無駄にしたくなかったら、歩いた方が早い」というので、歩くことにした。それでも約束どおりのお金を払うと、運転手は本当に嬉しそうに「ともだち」と日本語で言った。


ディビソリアはものすごい人だった。確かに何もかもが安い。ショッピングモールに入るとエアコンが効いていて涼しかった。いくつかの店を見てみた。ヴィトンの財布も800円くらいで買える。もちろん偽物だ。


My Kiasu Life in JAPAN-shopping
▲どこに行ってもすごい人だかり。おまけに暑くて。でも安い。


たっぷり買い物をしたあと(それでも日本円で8000円ほど)、店の外に出た。もう1時をかなり過ぎていた。エステの予約が4時だった。タクシーはつかまらないし、仮につかまったとしても、歩いた方が早い大渋滞では、どれだけ時間がかかるのか計算ができなかった。エステの注意事項に、もし予約時間に間に合わない場合は、その分、エステの時間を削ると書いてあったのを思い出して、何としても4時までに帰りたかった。


それで、かなり遠かったが、最寄りの鉄道駅まで歩いて行って電車で帰ろうと思った。
暑い中、重い荷物を持って歩いていたが、タクシーも通りかからず、どうしようもなかった。そして、タクシーがつかまったところで、この交通事情ではどうしようもない。


ようやく駅に着いた。エスカレーターは壊れているので、歩いて登る。ようやく2階の切符売り場にたどり着いて、切符を買おうと思ったら自動販売機がない。口頭で頼まなければならないのだ。長い列に並んで、ようやく自分の番になって、ホテルの最寄り駅の名前(アヤラ駅)を言ったら、「その電車は反対ホームだからここでは売れない。反対側のホームに行け」と言う。「どうやって行くんだ?」窓口のお兄さんの指さす先に跨線橋があった。


My Kiasu Life in JAPAN-to ride train
▲電車に乗るには、この行列に並んで、目的地を言わなければならない。


エスカレーターは当然のように故障して動かないので、そこを登り、長い跨線橋を越え、反対のホームの切符売り場まで歩いた。
自分の後ろに並んだおばさんに、アヤラ駅行きの切符はここで買えるのか?と聞いたら、それはどうか?という顔をする。だんだんと不安になってきた。


自分の番が来て、「アヤラ駅まで」と言う。切符売り場の女性は頭の良さそうな人だったが、それは無理だという。マイクがないので、何を言っているのかよく聞き取れない。後ろのおばさんが教えてくれる。その駅は「MRT」という路線にあるから、エドサという駅までの切符をここで買って、それからエドサ駅で切符を買い直さなくてはいけない、ということらしい。了解したので、エドサ駅までの切符を買う。


電車は、東京の満員電車並みの混み具合だった。エアコンがかなり効いていたが、それでも重い荷物を持って、ずっと立っていたら、かなり疲れた。両手がふさがっていたので、つり革もつかめなかったのだ。汗が止まらない。


エドサ駅で降りて、ここの切符売り場でも長い列に並んだ。そのあと、冷たく反対のホームだと宣告されて、とぼとぼと反対側の切符売り場まで歩いて、再び長い列に並ぶ。


アヤラ駅に着いたときはかなり消耗していたが、電車に乗っていた時間は30分ほどだったし、何しろ料金が50円程度だったので、気に入った。時間が図れないタクシーよりもずっといい。自動販売機があればフィリピンの鉄道も便利なのになあ、と思った。


My Kiasu Life in JAPAN-takuyaki?
▲駅の目の前のたこ焼きや。「たくやき」になっていてちょっと残念。


それで4時のエステには十分に間に合った。今回は90分の顔の全身マッサージと90分のフェイシャル・マッサージをしてもらった。3時間で、約14000円。「力はこのくらいでいいですか」聞かれるたびに、「はい」と返事をする。正直言うと、ツボをかなり正確に突くので、背中は少し痛いほどだった。それでも気持ちがよくて、マッサージの間に寝てしまった。


マッサージのあと、スーパーに行って、また買い物をしたあと、ホテルに帰ってきた。
ホテルに帰ると、女の子から電話があって、「今日も同伴して欲しい」と言われたけれど、明日のフライトが朝早いこともあって断った。


実際にフィリピンの暑い気候のなかを自分自身で長い距離を歩いてみて、毎日3時間かけてカラオケバーで勤めるというのは、大変なことだと、心の中では彼女に同情していた。夜も2時までの勤務なのに、昼に観光ガイドなんかできるわけもなかっただろう。


夜中の11時頃にパッキングが終わり、それから寝た。


翌朝は9時のフライトだった。6時頃に起きて、DSの英語の勉強をして、それから帰る準備をした。
7時にホテルを出て、タクシーに乗った。タクシーの運転手は、人なつっこい感じの人で、フィリピンはどうだったかといろいろと聞いてくる。「家族は?」「独身だよ。」
彼はグローブボックスから、写真帳を出してきて、僕に渡す。彼と奥さんと子供の家族が旅行に行ったときの写真だった。馬に乗っている写真もある。
「タクシーだけじゃなくて、馬にも乗るんだ。」と言ったら、笑っていた。「来年、フィリピンに彼女を連れてくればいい」と言うので、「そうだね」と答えた。そうできれば、いいけどさ。


7時20分頃に空港に着いた。チップを余計にあげたらすごく喜んでいた。


航空会社のチェックインをして、乗り場に行こうとした。空港内で少し買い物もしたかった。ところが、まず最初に並んだのが、「空港サービス負担」というところで、ここで1100円程度を払う必要がある。そんな心構えが全くなかったので、驚いた。
それから出国手続きに1時間以上の列に並ばなければならなかった。


その昔、国際線は出発2時間前のチェックインが原則だった。今は1時間前が普通だ。僕はシンガポールで昔、40分前にチェックインしたことがあるが、実際、その程度で十分だと思っていた。


ところが、フィリピンはやはり2時間前のチェックインが必要だった。搭乗開始時間の8時30分になんかとても間に合わなかった。ただ、救いだったのは、周りにもJALに乗る人がいっぱいいたこと。みんな遅れれば平気だと思った。


この待っている間に、法学検定の勉強のノルマをこなした。意外にも、この旅行期間中、僕はそれなりにちゃんと勉強していて驚いた(もっとも、法学検定の勉強量は実際にはこの程度ではお話にならないので、そのうちに頑張って勉強に専念する必要は当然に出てくる。それから、この旅行期間中に、基礎コースではなく、中級コースを受けることを決めた。)。


出国手続きに時間を取られて、空港内の免税店など見ている時間もなかった。しかし、ざっとみたところ、空港内にそんなに大きな店があるわけでもなさそうだった。


帰りの飛行機では「サンダーストラック」という映画を見た。


My Kiasu Life in JAPAN-thunderstruck


才能がなく、バスケのマネージャーしかさせてもらえない高校生が、ある日、NBAのスター選手からサインボールをもらい、突然バスケの才能が開花するという物語。


My Kiasu Life in JAPAN-thunderstruck1

My Kiasu Life in JAPAN-thunderstruck2

ところが、NBAのスター選手は突然、才能を失い、マスコミからバッシングを受ける。才能を盗んでしまったという自覚をもった高校生は、才能を彼に返そうとする。


ありえない話しだけれど、それなりにまとまっていて、見たあとは爽やかな気分だった。たまには、こういう映画もいいなあと思った。


日本に着いたら、少し寒かった。もう10月だもんな、と思った。これからもっともっと寒くなる。これから寒い冬が来るのかあ。


長野駅に着くと、また一段と寒かった。なんでも、長野駅のホームには熊も歩いていたらしい。寒いなあ、これからもっと寒くなるんだよなあと思いながら、改札まで歩いている間に、もう、またフィリピンに行きたくなった。

金曜日は午後休んで、新宿の歌舞伎町に行った。会社を経営している年上の従兄弟と、それから友だちと3人で飲むことになっていた。


美味しい日本食を食べさせてくれる店で、松茸とあわびのすき焼きなど、かなり贅沢なものをごちそうになった。


ところが、従兄弟と話しているうちに、僕はまるで友だちであるかのような感覚になってしまい、今から考えると随分と馴れ馴れしい感覚で話しをしていた。
従兄弟は優秀な経営者なのに、まるで自分も同じ分野で成功したかのような無礼さが僕にはあった。そんな知識も能力もないことは100も承知だが、僕は酔ってくるとそんな風になってしまう。僕は基本的な社会人としての常識がまだ(!)身についていない。


それからもう1軒飲みに連れて行っていただいたが、その店の記憶がとぎれとぎれになっている。飲み過ぎたのだ。


翌朝、ホテルのベッドで起きたとき、ノドがからからで、若干、気分が悪かった。「これは確実に飲み過ぎだ」と思った。


それからふと、昨日、ホテルに帰ってきたあと、なぜかもう1軒飲みに行く気になり、ホテルを出たら、従兄弟と友だちがホテルの入り口に立っていて、何度も部屋で寝るようにと説得されたことを思い出した。


それでも、僕は出て行ったらしい。そのあたり記憶が定かではない。でも、結局飲みには行かず、コンビニに寄って帰ってきたようだ。ホテルの部屋のゴミ箱を見たら、行った記憶がないコンビニの袋が出てきたから、多分そうだったのだ。まさか記憶が何もないのに、飲みに行ってまではいないだろう。


そのとき、たぶん僕が頭に描いていたのは、火星探査機キュリオシティー(好奇心の意味)が火星で水の痕跡を発見したことで、それで自分も何かを発見したかった。まさかそんなバカな理由でと思うかもしれないが、そのときは真剣にそう思っていた。


友だちにメールをしたら、従兄弟が「心配してましたよ」とのこと。どこまで従兄弟に迷惑をかければ気が済むのだと、自分を呪った。


ホテルを9時30分頃にチェックアウトをして、長野に帰るつもりだった。歌舞伎町の街を歩いていたら、突然「どう?キャバクラ?」と客引きの人に言われて驚いた。こんな朝からキャバクラが営業しているのか?やっぱり凄いところだな、歌舞伎町は、と思った。もちろん、そんなところに行けるだけの精神状態でも身体状態でもない。


歩くたびに自分が思ったよりも、重い2日酔いだということがわかってきた。これでもし、もう1軒飲みに行っていたら、もうホテルで起き上がれなかっただろうと思った。それから、飲みに行った先でお金も使い切って、カードも使っていたと思う。僕は、酔ってくると、まずは満腹感がなくなり、次に金銭感覚がなくなる。だから、僕は従兄弟と友だちに本当に救われたのだ。


大宮で新幹線に乗り換えて、また長野に帰ってきた。
新宿駅を出るときからずっと本を読んでいた。


長野駅に着いたときには、2日酔いもだいぶ軽くなり、そばを食べて自宅に戻った。まずは従兄弟にお礼とお詫びのメールを書いた。それから、本の続きを読み始めた。


読んでいるうちに、急に腹が痛くなっていて、脂汗が止まらなくなってきた。今まではまだアルコールのせいで脳が麻痺していたけれど、いよいよ本格的な回復期に入ってきたということなのだろうと思った。苦痛にきちんと耐えようと思って耐えた。僕は十分に苦痛を受ける資格がある。


痛みは午後5時頃に薄らいだ。それからも本を読んだりぼんやりとテレビを見たりした。汗をかいたせいか体が軽かった。ちゃんと体も鍛えて、いろいろと人生をやり直そうと思った。英語の勉強も、それから法律の勉強も。


日曜日には久しぶりにジムに行って、30分程度マシンを使って体を動かした。それでもまだ体の遠いところで、2日酔いの余韻が残っている。
従兄弟からは、温情にあふれたメールを受け取った。
「しっかりしろ」と言われたようで、申し訳なさと同時に、いろいろと頑張ろうと思った。


今回、読んだ本はジョセフ・フィンダーの「最高処刑責任者」(新潮文庫)の上・下巻だった(原題の直訳は「闘争本能」)。


My Kiasu Life in JAPAN-killer instinct 1

My Kiasu Life in JAPAN-killer instinct 2

人当たりがよく、上司以外の誰からも好かれる日系企業に勤める白人の営業マンが交通事故を起こし、元陸軍の特殊部隊にいた男と知り合いになることから話しは始まる。


この特殊部隊にいた男は信じられないほどの高い能力を持っていたため、営業マンは彼を会社の保安部に推薦し、就職させてあげることにする。


そのお礼なのか、他社に横取りされた営業もなぜか取り返すことができ、どんな無理難題を上司に言いつけられても、対応可能な情報を、この男から手に入れることができるようになった。ライバルは大切な取引で失態を繰り返し、営業マンは一気に昇進をしていく。


ところが、競合他社の個人情報が手に入るうちはまだよかったが、競合他社の失態や仲間の自殺、事故などにもこの男が絡んでいることがだんだんとわかってくる。「味方であれば心強いが、敵であれば最悪」のこの男と「口先だけで金を稼ぎ出す」営業マンとの戦いになり、読んでいて飽きなかった。


「忘れるな。風を操ることなどできはしない。操れるのは唯一、帆だけなのだ。」


示唆に富んだ台詞も多い。ジョセフ・フィンダーの作品の優れている点は、「侵入社員」のときもそうだったが、取材を徹底して行っているところだ。最後に取材協力者の名前が羅列されているが、半端な数ではない。今回も日系企業であるNECに相当に取材を行ったらしい。


フレデリック・フォーサイスの「アフガンの男」(角川書店)の上巻も読み終わった。


My Kiasu Life in JAPAN-the afgan1

この本は、それこそ知識の羅列が多く、読者を引き付けるようなストーリーをあまり持たないが、ノンフィクションの傾向の強い本はリアリティを持たせるためにそのようにしているのだろう。このような本の方が好きだという人も理解できるが、僕好みではない。しかし、きっといつかは下巻も僕は読むのだろうとは思う。

金曜日に仕事から帰ってきて、どうしようかなと思っていた。
もうTOEICテストは2日後だというのに、勉強は大して進んでいない。


どうしようかな、と思いながらそのまま寝てしまった。


土曜日の朝、起きたとき「もう、できることをするしかない」と覚悟を決めた。決めたというか、もうそうするしかない。


4年前にTOEICの試験を受けたときに使った「新TOEIC TESTリーディング スピードマスター」(Jリサーチ出版)、「新TOEIC TEST英文法スピードマスター」(Jリサーチ出版)と「新TOEICテスト最短最速攻略テク」(二見書房)の3冊の問題集だけをもう一度全部解いて、できなかった問題には付箋を貼っていくことにした。ほかのことはもう、一切やらない。


My Kiasu Life in JAPAN-新TOEICTESTリーディングスピードマスター

My Kiasu Life in JAPAN-新TOEICTEST英文法スピードマスター

My Kiasu Life in JAPAN-新TOEICテスト最短最速攻略テク

「新TOEICテスト最短最速攻略テク」(二見書房)は、インターネット講義も聴けるということだったが、それは諦めた。問題集の部分だけ解くことにした。
他にも何冊もの問題集に手を出していたし、任天堂DSのソフトも使っていたけれど、もうそれは今更どうしようもないという思いだった。


ところが勉強を始めて30分くらいで嫌になってしまった。


それでDVDでハーバード大学の政治哲学の教授マイケル・サンデルの「ハーバード白熱授業 1」を見始めた。


My Kiasu Life in JAPAN-justice

ここには第1回目の講義「殺人に正義はあるか」と第2回目の講義「命に値段はつけられるのか」が収録されている。


My Kiasu Life in JAPAN-justice1

見始めて、すぐに講義に引き付けられた。設例がユニークだ。
http://www.visualecture.com/wordpress/?p=3079
↑世の中にはこんな便利なものを作ってくれている人がいる。この情熱が素晴らしいと思う。


My Kiasu Life in JAPAN-justice2

夢中になって、第2回目の講義まで見終わった。見ながら何度も、「もし俺がハーバード大学の学生だったら、この講義に出席しても、字幕がないからこの講義の素晴らしさがきっとわからないだろう」と悲しく思った。「俺は手を挙げて意見を言うこともできない。」


こういう素晴らしい講義を聞くと、日本の大学教授の「教える」ということのレベルの低さについても考えてしまう。僕はこういう素晴らしい講義を、大学では聴いたことがなかった。「結局のところ、本当に勉強したかったら外国に行かなければダメなんだ。でも行ったところで僕には理解ができない」英語ができないということの悲しさがまた増した。


それから、食事をしたあと昼寝をして「もうこのまま俺は勉強しないのだろうか」なんて思っていた。


昼の1時くらいから、それでも勉強を始めた。
片っ端から間違えるので、貼っていく付箋の量も大量だ。途中でうんざりしてテレビを見たり、風呂に入ったりしながら、それでも勉強を続けた。


本格的にエンジンがかかったのは夜の7時を過ぎてからで、それからはかなり真剣に勉強した。


いつも寝る12時近くになると、頭がぼうっとして物事がきちんと考えられなくなってくる。
それでも、その頃にはゴールがおぼろげながら見えてきていた。もう少し、頑張ろう。


12時をかなり過ぎた頃に、一応、3冊の問題集を全てやり終えて、それから今度は間違えて付箋を貼った問題を、もう一度解いていく。


さすがに10時間以内に解いた問題なので、そうは間違えない。まだ覚えている。
記憶というのはかなり原始的な脳が担当しているらしいから、そんなに高度な能力は必要ないのだ。


その頃になって「新TOEICテスト最短最速攻略テク」(二見書房)が、最後の追い込みには向いていないことに気がついた。part7の問題に出てくる活字があまりに小さすぎるし、校正ミスが多い。「4半期に一度」を言い換えた文章が「4か月ごと」になっていたりする。abcdという設問番号がabcaだったり。時間がないなかで勉強をしていると、こういうミスに本当に頭に来る。試験が終わったら捨てようと思った。


日曜日の午前2時前には何とか全ての付箋を剥がすことができた。それから、日曜の朝9時までぐっすりと眠った。


一応、3冊の問題集は終えたけれど、不安だらけだった。
目標は前回の765点を上回ること。「できたら800点。」
TOEICの試験を申し込むときは、そんな風に意気込んでいたけれど、なんだか前回の点数にも届かない気がしていた。


今回は、マークシートを塗る時間を短縮するために、シャープペンシルではなく、先端を丸くした鉛筆を用意していた。きちんと勉強をしない割に、こういう小手先の工夫はちゃんとするんだ、俺は。


部屋を出ると外は雨だった。傘を探しに部屋に戻り、そして部屋に傘がないことを知った。「俺は、傘のない部屋で生活していたのか。」
帽子をかぶって濡れながら駐車場に向かった。でも長いこと部屋から出ていなかったので、新鮮な空気を吸うと清々しい気分になった。
会場まで車で行き、会場に併設されている駐車場に駐車をした。


試験が始まると、思ったよりも自分が問題を解けるのが、嬉しかった。前回よりもリスニングの能力は高まった気がする。英語の教材を、仕事に行くときに聴いていたのがよかったのだろうか。


ところがリーディングのセクションになって「この時間配分なら十分に試験問題をクリアできる」って一瞬、思ったときが、好調の波が終わるときだった。


途端にペースががっくり落ちて、意欲も相当に落ちた。急に疲労を感じた。設問を読んで、本文を読んでも、設問に該当する箇所が見つからない。ついつい本文を頭から読んでしまう。時間がなくなって、ますます該当箇所にたどり着けない。
前回の試験を受けたときには、何とか最後の問題まできちんと解くことができたが、今回はそれもかなわなかった。


試験が終わったあと解答用紙を見ながら、しばらく呆然としていた。「これでは700点にもいかないかもしれない」と思った。


試験会場を見渡すと、若くてきれいな女の子がいっぱいいる。いい環境で試験が受けられたのにな、と残念さがまた募る。「なにやってんだよ、俺は。」と思った。
目の前の解答用紙に、生き方から考え方からいろいろと間違っていると言われたような気もした。


「まあ、俺が試験を受けるのは、自分が客観的にはまだまだだってことを自覚するためなんだから」そう考えて自分を慰めた。


次の試験は11月の法学検定。
スタンダードコースを受けるつもりだったけれど、心が弱くなっているので、もしかしたらベーシックコースに変えてしまうかもしれない。


いろいろと情けなく、考えていると溜息が止まらない。それにしても、まったくなあ。 何やってんだよ、俺は。

高尿酸血症の薬を飲み始めて1ヶ月が経った。1ヶ月ぶりに病院に行って血液検査をしてもらう。痛みはもうほとんど引いていたが、それでもときどき、ヒザやかかとに痛みが走ることがあった。まだまだ痛風の余波が残っているようで、血液検査の結果を聞くのが不安だった。


今は1錠の薬を半分に割ったものを1日1回飲んでいる。でも、血液検査の結果、まったく効いていなかったら、これからは1錠まるまる飲むことになるんだろうなあ、と思っていた。


医師に呼ばれて、診察室に入る。血液検査の結果を聞く。尿酸値はすっかり基準値にまで下がっている。少しほっとした。


「痛み止めを飲みましたか?」とお医者さんが言うので、発作が起きて痛み止めを飲んだことを伝えた。
「そういうこともあり得る」と言っていたのに、お医者さんは少し意外そうな顔をしていた。「本当ですか?」「右のくるぶしが大きく腫れて。」「数値はいいんですけれどねえ。」
調子に乗って、サーロインステーキを食べたことは伏せておいた。


土曜日には、実家に帰った。


幼稚園に通っていた頃、実家が火事になって、僕はしばらくの間、お寺に住んでいたことがある。お寺からカトリック系の幼稚園に通っていたのだ。


お寺の大きな本堂で、僕はよく和尚さんに遊んでもらっていた。朝、鐘突き堂に登って、鐘を打ったりもした。今から考えると、当時は小さな一間に家族が住んでいて、随分、不便だったろうとは思うが、なぜか幸せな思い出しかない。


そのお寺のお祖母さまが亡くなられて、そのお参りに行った。記憶は遠くの彼方だが、仏壇に飾られている写真を見て、親切にしていただいたという思いが、心の奥の方からよみがえってきた。心の中で「いろいろとありがとうございました」とお礼を言って、頭を下げた。


お寺にお参りをした後、暑い日差しを避けて部屋で寝ていたら、姉から電話が来て「玄関を掃け」とか「庭のイチジクが食べられるはずだから、摘むように」などと言う。本当にめんどくさい。俺はイチジクなんて、まともに食べたこともない。


クーラーの効いた快適な部屋から、暑い日差しのなかへ。帽子をかぶってイチジクを取る。どの程度が食べ頃なのかさっぱりわからない。取ろうとしたものが熟し切っていて、落ちて割れるものが続出した。適当に20個ほど摘むと、もうすっかり嫌になった。


長野への帰りに、姉の家にイチジクを届ける。替わりにモロヘイヤやキュウリなど、いろいろともらった。


帰り道、中央道を走っていたら、正面に、低層の雲を突き破って空高く虹が輝いていた。
その美しさに、少し笑った。なんだかとてもいいことをした気分になった。


日曜日は、そろそろ本気でTOEICの勉強をしなくてはと思いながら、「寝て」いた。こういう「ダメさ」は本当に高校時代から変わらない。確かにここのところアレルギー症状がひどく、目を長時間開けていると、目がかゆくなってくるのだが、そのくせネットで麻雀ができるのだから理由にはならない。


自分自身にあきれ果てながら日曜日を無為に過ごした。


今週が3連休でよかった。月曜日はさすがに少しは勉強した。でも、万全にはほど遠い。もう今週末が試験だなんて、まるで冗談みたいだ、という気持ちでいっぱいだ。


DVDでアンドリュー・スタントン監督の「ジョン・カーター」を見た。


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スター・ウォーズの元となった古典的なSFらしい。確かに、小学生の頃に、このストーリーを本で読んだら、僕も夢中になっていたと思う。でももう、おっさんなので、この程度の映画では、ワクワク感はない。こういうストーリーは本で読んでこそ面白いのだと思う。


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以前、カール・セーガン博士の「COSMOS」を読んだとき、火星に着いたバイキング探査機の描写があった。そのなかに、博士が子供の頃、火星についてのSFを読んでいて、バイキングの火星への着陸を見ながら、頭のなかでそのSFのなかに出てきた地名が繰り返し浮かんでいた、という部分があった。正確に覚えていないがその地名は「バースーム」だったような気がする。あのとき、博士が思い描いていたのが、このSF「ジョン・カーター」だったとすれば、なかなか感慨深いものがある。


DVDではマックG監督の「ブラック&ホワイト」も見た。


My Kiasu Life in JAPAN-black&white

アクション、ラブ・コメディで、CIAの2人が1人の女性を取り合うという映画だ。職権乱用を繰り返し、ハイテク機器を駆使して女性の行動を監視し、互いの行動も探り合う。


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僕は、こういう主にアメリカのラブ・コメディに出てくるただ騒がしいだけの女が大嫌いで、見ているとイライラしてくる。魅力がまったく理解できない。僕にはキャメロン・ディアスがギリギリのところだ。


My Kiasu Life in JAPAN-black&white2

以前、僕が映画好きだと言ったら、女の子にサンドラ・ブロックの「あなたが寝てる間に」という映画を薦められた。僕はその映画を見ても何とも思わず、むしろイライラした。それを伝えたら「ロマンチックじゃないんですね」と言われて、彼女とはそれっきり。かわいい女の子だったのに、残念だ。


この「ブラック&ホワイト」は、時間つぶしや高校生のデートにはいいかもしれない。でも、映画に詳しいおっさんが1人で見て、どうこう言うような映画では全くない。TOEIC試験の直前ということまで考えたら、見ること自体、大間違いだ。

先月、医師に「残念ですが高尿酸血症です」と言われて、薬をもらった。そのときに、「薬を飲むことで、かえって発作が起きるかもしれませんから、そうしたら飲んでください」と痛み止めも処方してくれた。


どうやら組織に蓄積していた尿酸の結晶が溶け始めて不安定になるためらしい。
「俺の場合はそんなこともないだろう」と根拠もなく考えて、痛み止めの薬など見向きもせず、棚に入れておいた。


火曜日の仕事帰りに、少し、右足のくるぶしあたりが痛いような気がしていた。
「今までも大丈夫だったし、最近は薬まで飲んでいるんだから、大丈夫だろう。」


帰る途中に、ファミリーレストランに寄ろうと思ったら、駐車場がいっぱいで、隣のステーキ屋の駐車場は空いていた。それで、そのステーキ屋に入って、サーロインステーキを食べた。


食べている間から「これは少し失敗だったかも」と思い始めていた。サラダのドレッシングにわさびドレッシングを頼んでいたのだが、わさびが効きすぎていて、少し胃が痛かった。


肉を食べるたびに、その胃の痛みが増幅されるような気がした。どこか体の具合が悪い感じがしていた。


家に帰って、靴下を脱いだら、右足のくるぶしが普段の2倍の大きさに膨れあがっていた。「うひゃあ」と思った。


とりあえず、湿布を貼ってから寝た。
翌朝起きると、足を地面につける度に激痛が走った。「くそう。やっぱり痛風の発作か。」


医師からもらって、棚に入れて見向きもしなかった薬を必死に探した。
すごいことに薬を飲んだら痛みはかなり引いたが、それでも普通には歩けない。
腫れているだけではなくて、熱も持っているようだった。


水曜日には調停があって、裁判所に行かなくてはならなかった。なんとか普通に歩けるようにならないかと、ふと職場の冷凍庫を開けてみたら、保冷剤があった。
誰も使っていないというので、それを靴下のなかにいれてくるぶしに当てたら、痛みが消えてかなり普通に歩けるようになった。
やっぱり炎症への対処の基本はアイシングなのだ。


木曜日も1日ずっと痛かった。部下の女の子が「見たい」と言うので腫れたくるぶしを見せてあげた。「そんなになっちゃうんですね。」いろんな人が見に来る。
「おっきい」
「腫れてる」
なんて声を聞いていると、なんだか公然わいせつをしているような気になる。
「痛そうですね。」
「そう思うだろ?マジで痛いんだって。」
変なスイッチが入らないように「まあまあまあ」などと言いながら、早めにショータイムは切り上げた。


そういえば、木曜日は朝8時から会議があって、通勤のときに急いで歩いた。
左足を踏み出して、そのあと右足を踏み出す。でもどうしても、左足のところまでしか来ない。右足を前に踏み出すことが痛くてできないのだ。
歩くのに時間がかかって、会議に間に合わないんじゃないかと思い、必死に歩いた。
通りがかった別の職場の女性に挨拶したあと、普段は絶対にそんなことないのに「俺、歩くの時間がかかるから、先に行って」と言うのも屈辱だった。


「痛風」と言うと、とても痛そうなので、少しおしゃれな言い方をしてみようと、工夫もしてみた。「トゥフゥ?コ・ニョーサン・ケ・シオン」と言うとちょっとフランス語っぽくておしゃれな感じがする。でも、実際にそうやって話したのは1人きりだった。残念だ。


そんな痛風騒動もあったが、TOEICの試験まであと2週間に迫っている。土曜日は仕事があり、後の時間はほとんど寝ていた。日曜日も1日中寝てばかりいた。
「なんとかしなくては」という思いはあるが、空回りするばかりだ。


クリストファー・ノーラン監督の「ダークナイト」をまたDVDで見た。


My Kiasu Life in JAPAN-darkknight

どうも僕は基本的に英文を読む訓練ができていないと、ようやく自覚をしたので、日本語訳を聞きながら、英語の字幕を読んだ。それでも、字幕のスピードに付いていけない。


My Kiasu Life in JAPAN-darkknight1

映画自体は、よくできている。必ずしも、今の僕にはストライクの映画ではないけれど、これだけ話しを広げて、それを収束させる手法は見事だ。映像も美しく、またジョーカーの演技も素晴らしい。


My Kiasu Life in JAPAN-darkknight2

クリストファー・ノーラン監督がこの次に撮ったのがインセプションらしい。インセプションこそは、本当に僕も素晴らしいと思う映画だ。


ピーター・バーグ監督の「バトルシップ」も見た。日本の浅野忠信も好演している。


My Kiasu Life in JAPAN-battleship

ハワイ沖に、強大な科学力を持ったエイリアンが来襲して、日米の海軍が結束して戦うというものだ。


本来であると、日本の自衛隊は文字通り自衛の艦隊なので、エイリアンの船とはいえ勝手に攻撃してはいけないらしいが、率先して発砲し、しかも撃沈されている。


My Kiasu Life in JAPAN-battleship1

エイリアンの船とはどうやっても埋められない技術的な戦力差があり、この状態からどうやったら勝利に導けるのだろうかと思いながら見ていたが、それなりの合理性を持って勝利に導いている。


ただ一点、エイリアンの戦艦に使っていた金属が、元素の周期表に載っていない物質だという点は、そんなことがあるのか?とかなり疑問には思った。


My Kiasu Life in JAPAN-battleship2

基本的には何も考えないで見ることのできるアクション映画で、中学生でも100%理解可能だ。ジョナサン・リーベスマン監督の「世界侵略:ロサンゼルス決戦」にも似ているが、大きな差は、日本の浅野忠信が出ていることで、日本人として誇らしく、嬉しい映画ということだ。


キム・ギドク監督の「ピエタ」がベネチア映画祭で金獅子賞を取った。この嫌韓ブームのまっただ中でなければ、日本からも多くの賛辞が送られていたことだろう。


もちろん、この映画は見ていないけれど、今までの作品を振り返っても、キム・ギドク監督の映画は独創性にあふれ、優れている。彼の作品は韓国の電化製品や車とは、かなり違う。