TOEICの試験結果が返ってきた。
前回よりも25点落ちて740点だった。
点数が下がるのは、試験直後から覚悟をしていたけれど、実際、目の当たりにするとなかなかつらいものがある。
このままでは終われないので、今年度の1月か2月には再試験を受けたいと思う。
とにかく勉強量が足りなすぎで、前から自分に対して思っていたけれど甘過ぎだった。
甘過ぎといえば法学検定もいつの間にか残り1か月を切っている。中級コースを受けることにしたが、4択だしそれほど難しそうじゃないし、何とかなるだろうと思いこんでいてなかなか勉強をしない。本気で勉強を始めないと間に合わないくらいになってきた。
「そろそろ頑張らないとな」勉強量を逆算したら、とても間に合いそうにない。今日から頑張ろうと思った水曜日の朝、右足の裏が突然痛くなった。
これは痛風の痛みだ。Tどんの結婚式で飲んだビールが原因なのだろうか?それにしてもなぜ今頃?そういえばここのところ、毎日プリン体が豊富といわれている納豆を食べていたしなあ、なんてことが頭に浮かぶ。
その日は裁判所に行かなくてはならなくて、車を運転していったのだが、話し合いを終えて帰るときには、痛みが倍加していてまともに歩けないようになっていた。「うう。足が痛い」なんて思いながら、運転して帰った。職場にたどり着いて車を駐めて、外に踏み出したら激痛が走り「これはもう、まともに歩けないな」と思った。
ほとんど左足で片足跳びのようにして職場の自分の席に帰ってきた。同僚の仕事を手伝ってあげたお礼に湿布をくれるように頼んでいたのだが、帰ってきたら同じ人から、集合写真を撮って欲しいと頼まれた。
僕に集合写真の撮影を頼んでくるのは、全員がそろわないからだ。あとから来なかった人の写真を撮って、合成して集合写真に仕上げてあげたことが何度もある。今回も2人が来られないというので、2人分の空きスペースを作って撮影する。
「お礼にくれるはずの湿布は?」もう懇願に近い気持ちで聞く。
「使いかけのをあげる。どうしたの足?骨折?」
「痛風なんだよ。」
「なーんだ。贅沢病か。」
痛みも格別なら、同情を引かない点でもこの病気は格別だ。
カメラを持って、片足跳びで集合写真を撮る会場まで行く。
「どうしたんですか?足?」
「ちょっと。名誉の負傷で。」
みんなが同情してくれる。「どうせ飲み屋で転んだんでしょ」という人もなかにはいる。
僕に写真を依頼してきた人は、「本当にいつも嘘ばっかり。」と吐き捨てるように言う。
会場の設営も協力し、なんとか撮影を終えた。足は一歩歩くごとに痛む。歩かなくても痛くなってきた。
なんとか家に帰って、9時頃にはベッドに寝た。でも痛みで眠れない。痛み止めを持っていなかったので、睡眠導入剤を飲んでみる。これで、痛みが嘘のように消えた、と思いこむことにした。実際には痛いままだ。
何度か夜中に起きて、冷たいシャワーを右足にかけた。しばらくかけていると、冷たさで痛みが麻痺して、痛みを感じなくなる。そうしたら、すかさず寝るのだ。
翌朝は、あまりに痛くて仕事を休もうかと思った。でも、行く。
なんとか駐車場に着いた後、職場までの短い坂が普段のようには登れない。5倍くらいの時間をかけて、なんとか登る。
朝、女の子に松葉杖を1本でいいから手配してくれるように頼む。痛いなあと思いながら、昨日の裁判の記録を作成する。
年配の女性が来て、僕に仕事を頼んでいく。「痛み止めは何を飲んでいるの?」と言うので「飲んでない」と答えたら、ロキソニンSという薬を1錠くれた。「水、買ってきましょうか?」と部下の女の子が言うけれど、「いらない」と答えて缶コーヒーで飲んだ。
飲んだら痛みが急速に引いた。回復期に入っていたのかもしれないけれど、右足を地面につけなければ、そんなに痛むことはもうなかった。すごいんだな、ロキソニンSって。と思った。それで、松葉杖も断ってしまった。
昼には足はまだ引きずっていたけれど、自分で薬局にロキソニンSを買いに行った。「とても大切な薬ですので」と住所、氏名、電話番号など書かされる。よっぽど高い薬なんだろうなあ、と思っていたら、700円もしなかった。効能書を見たら「骨折時の痛み」というのがあって、骨折の痛みが消えるのかと驚いた。
木曜日と金曜日に痛みはだいぶ減少したが、週末になっても、地面に右足をつけると、まだ痛かった。歩き方がぎこちなく、右足を踏み出すたび、サッカーのインサイドキックをしているような格好になってしまう。
そして土曜日も午後から仕事だった。それも翌日の会社祭の準備という肉体労働。
会社祭の垂れ幕は、屋根に登って縛り付ける。比較的高所が平気な僕が毎年、ハシゴ経由で屋根に登って取り付けていた。
今年も当然、僕がやる。「足が痛そうなのに大丈夫ですか?」「このために治したんだから俺がやる。」
足はまだ痛かったけれど、ハシゴを登った。
屋根の上で作業をしていると、アドレナリンが出るのか痛みが気にならなくなってくる。やはり生死がかかると、足の痛みなんかどうでもよくなるらしい。
それからあとの地上での作業は、足は痛かったけれど、なんとかこなした。
夜は、名古屋の司法書士さんと長野で飲んだ。彼女と会うのも7年ぶりだ。一緒に飲むのは、もう信じられないくらい昔までさかのぼらなければならない。勉強会があって長野まで来たらしい。
もともとは大学の同級生で、彼女は司法書士を目指して司法書士になった。俺は大学時代は山に登ったり、司法試験を目指したりしたけれど、結局、何者にもなれなかった。
長野の街は人通りが少なかった。ビールはさすがにやめて、お店の人が勧めてくれた甘いスパークリング日本酒の「澪」というのを飲んだ。アルコールは5%程度らしい。
彼女はほとんど飲まなかったので、頼んだ2本のほとんどを僕が飲んだ。それでもビールの500ml缶を1缶飲んだ程度だったから大して酔わなかった。
僕はもう、大学時代の友だちはほとんどいないので、彼女からいろんな人の消息を聞いた。僕たちが出席していたゼミの教授も亡くなったのだという。話しを聞く限りでは、そんなに幸せそうな人はいなかった。彼女が法律家だからなのか、いろいろな相談を持ちかけてくる人も多いらしい。
「すごく長いメールを送ってくる人もいるの。でも、メールだと内容もよくわからないじゃない?」
「『がんばれ』って4文字書いて返信してあげればいいんじゃない?」
「そういうわけにもいかなくて。」
話を聞きながら、「悩みは9割が取り越し苦労だ」という言葉が頭に浮かんできた。でも、それを聞いたのはどこで、誰から聞いたのかももう思い出せなかった。
僕は最近、夜、任天堂DSのソフト「えいごで旅する リトル・チャロ」というのをよくやっている、という話しをした。
そうしたら、今、チャロはニューヨークではなくて東北にいるのだと聞いてとても驚いた。
そして、まだビッグ・チャロではなく、リトル・チャロのままだと聞いて、それも驚きだった。
「将来的には四国に行ってお遍路でもするのかな?シニア・チャロとして。」
今、僕のDSソフトのなかでは、チャロが日本に帰ろうと必死に走り回っているが、チャロが日本の東北に帰るのかと思うと不思議な気分になる。そして東北でなぜ英語なのかもよくわからない。「チャロ。聞き取れないかもしれないけれど、それは日本語の方言で英語じゃないよ」って教えてあげたい。
「僕は今の職場ではいろんな人が、手伝って欲しいって仕事を持ってくるよ。」
「それをあなたが、してあげるの?」
「もちろん、してあげるよ。僕は、超親切だから。」
「本当に?私の知っているあなたはそんな人じゃなかった。」
「ええ?そうだっけ?」
話しを聞いていると、昔の僕は随分と自分勝手な男だったらしい。今では信じられないような話しだった。
9時30分頃まで彼女と話して、それから代行タクシーを利用して、彼女をホテルに送ってから帰った。
彼女は代行タクシーを初めて見たらしく、しきりに感心していたが、僕にとっては日常なので、感心している彼女の方が不思議だった。
日曜日は会社祭の当日で、朝8時からいろんな作業をして、クタクタになった。夕方には雨のなか、1人で屋根に登り、垂れ幕をほどいた。あまりに疲れていて、昨日のような高揚感はあまりなかったが、足ももうほとんど痛くなっていて、作業自体は楽だった。
ただもうとにかく疲れた。今日はもう、早く寝て、明日から本格的に頑張りたい。法学検定の勉強もしなくてはならない。目をそらしたい気分でいっぱいだが、もう次の木曜日は11月だ。