コピー室にコピー原稿を持って入っていった。僕より先に大量コピーをしている知らない女の人がいたので、僕はドアを閉めて静かに待っていた。
声をかけるべきなのかどうかわからなかったので、黙っていた。ゆるやかな手と腰の動きで、彼女がコピー機の前で、ゆったりとハワイアンを踊っているのがわかった。ハワイアンの動きは、コピー機の規則的な動きと音に妙に合っていた。


しばらく黙って見ていたら、ようやく彼女も気がついて僕を見て「あっ」と声を出した。
とりあえず「アロハ」と挨拶した。


「もう、どうして黙っているんですか!」恥ずかしそうに抗議をする。
「面白そうだったから。」


それから、コピー室で彼女に会うたびに「アロハ」と挨拶をするようになった。
きれいな人だったが、残念なことにもう結婚しているらしい。結婚前はハワイアンにはまって、ココナッツを割って作ったブラジャーも持っているのだと教えてくれた。どこの部署にいるのかもわかったけれど、肝心の彼女の名前は聞かなかったし、教えてくれなかった。でも、向こうは僕の名前を知っているらしい。


それで人事係の女の子に、彼女の名前を聞いてみた。めんどくさそうに調べてくれた。
「どうして知りたいって思ったんですか?」と言うので、「彼女はココブラ持っているんだって。」と答えた。
「ココブラって?」「ココナッツで作ったブラジャー。」
「そういう仕事以外のことで、聞きに来ないでください!」と怒られた。
怒りんぼの人が多くて困る。


木曜日の午前中まで普通に仕事をして、午後からフィリピンに行くことにした。
もう1人旅は香港でこりごりしたのだが、いっしょに行ってくれる人がいないから仕方がない。


JALのマイレージが貯まっていたので、それを利用して航空チケットを取った。ホテルはネットを使って1泊1万円プラスアルファで5つ星ホテルのデュシタニ・マニラ・ホテルの部屋を予約できた。今回は3泊の予定だ。デュシタニ・マニラ・ホテルはタイの系列のホテルらしい。


木曜日の午前中、山崎正和さんの本が3冊ほど宅急便で職場に届いた。先週、歌舞伎町で飲んだときに、従兄弟が貸してくれることになっていたのだ。「山崎正和を知らないなんて」と従兄弟は少し驚いていた。
そのうちの1冊「劇的なる日本人」(新潮社)を、今回の旅に同伴してもらうことにした。


バカなので、英語の問題集や法学検定の問題集も持っていく。10月1日から毎日、欠かさずに勉強することにしたのだ。旅行先で勉強なんかするわけないと思いながらも、一応バッグに入れた。


長野から東京に行く新幹線のなか、成田エクスプレスのなか、成田空港では「劇的なる日本人」を精読していた。意外な発見が多い。従兄弟はこれを高校時代に読んでいたのだという。こういう視点を知らないで生きていたのと、知って生きていたのでは、大きな差が出るように思う。ただ、高校時代に、自分がこれを読みこなすだけの力があったのかと言われると、残念ながら肯定することはできないけれど。


最近、僕が乗る機体は小さい。マニラ行きJAL745便もコンパクトな飛行機だ。でも、小さい機体の方が乗り降りが早くできて、僕は意外と気に入っている。


My Kiasu Life in JAPAN-the hotel
▲今回の機体。


飛行機のなかでは、「プロメテウス」という「エイリアン」のような映画を見た。


My Kiasu Life in JAPAN-prometheus

人類を作ったであろう創造主の星に行った調査チームの映画なのだが、出てくる科学者は、ろくに調べもせずに安全だと判断して、各自勝手な行動を取る。「感染症や星の天候のことも考えずにそんな勝手な行動を取る科学者なんかいるわけないだろ。」。


My Kiasu Life in JAPAN-prometheus1

My Kiasu Life in JAPAN-prometheus2

そのため、調査チームはほぼ全滅。こういう科学者がバカな映画は、科学者を冒涜していると思う。見終わって本当に後悔した。こんなことなら、本を読んでいるべきだった。


今回、新しいキャリーバッグを買った。カルーセルで目立つように赤にした。黒や青だと他人のものと区別がつかなくて困るからだ。ちなみに、カルーセルというのは、空港にあるスーツケースがぐるぐる回るベルトコンベアのこと。カルーセルには回転木馬の意味もある。カルーセル麻紀はかつて働いていた店の名前が「カルーセル」だったために、芸名にした。たぶん、店の意図は回転木馬の意味で、スーツケースをピックアップするところの意味じゃないと思う。
ねらいどおり、赤のキャリーバッグは比較的目立ったので、すぐに見つけることができた。


空港を出ると、デュシタニ・マニラというボードを持っている人がいたので、話をした。予約客にタクシーを手配しているのだという。僕の名前も、彼が持っていたファイルに載っていたので、彼を信用した。彼の指定したタクシーでホテルに向かった。さすが5つ星ホテルはサービスが違う。

http://www.dusit.com/dusit-thani/ja/dusit-thani-manila.html


My Kiasu Life in JAPAN-dusit thani manila hotel

▲俺が写真撮ると、普通のホテルのように見えてしまう。

ホテルの警備は厳しかった。入り口に爆弾探知のためか大きなシェパードがいるし、荷物も一応、中身を係員がチェックする。ただ、何かと最後に「サー」をつけてくれるので、偉くなったような気分にはなる(あとで、気づいたけれど、ホテルを出るときは、タイの服を着た女性が両手を合わせ「サワディーカー」と行って送り出してくれるし、エレベーターを降りたときも、タイの服を着た女性が両手を合わせ「サワディーカー」とお辞儀をしてくれる。なんだかすごくいい気分になる。それから、普通の従業員も会うと皆「グッド・イヴニング。サー」と丁寧に挨拶をしてくれる。いいホテルだと思った。)。


My Kiasu Life in JAPAN-hotel room

My Kiasu Life in JAPAN-hotel bathroom
▲部屋は広くてよかった。ただエアコンが調整不可で、スイッチを入れるとすぐ凍えるほど寒くなる。


ホテルに着いてチェックインを済ませると、部屋で一休みした。それからホテルの近くにあるカラオケバーに行った。フィリピンにあるカラオケバーは日本でいうフィリピンパブを大きくした感じの店であることは、何となく知っていた。


フィリピンパブは、就職したばかりの頃、年配の先輩達によく連れて行ってもらった。当時、年配の先輩方は遊び慣れた人が多く、よくフィリピーナにモテていた。同僚のなかにもフィリピーナに好かれた人がいた。


あるとき、フィリピンパブの女の子が夜中の3時過ぎに電話をかけてくることに困惑したその同僚が、彼女あての手紙を英語で書いたから僕に読んでくれ、と手紙を持ってきた。そこには、「僕は転勤が決まった。もう会えない。さようなら」といった文章が書かれていた。
「こんな感じでいいかなあ?」
「いいんじゃない?」


店から出るとき、彼に手紙を渡せたのか聞こうと思ったら、彼はその別れるはずの女の子とキスをしていて「電話する。約束だ」と言っていた。「別れるんじゃなかったのかよ。」と、あきれた気分になった。


そしてこっちはフィリピンのカラオケバーの話。
女子校の1クラス分くらいの数の女の子がドレスを着て出迎えてくれる。ママさんが誰か指名しろという。みんな名札を指さしたり、手を振る。一番、笑顔で頑張って手を振っている子に決めた。
そのとき山崎正和さんの本にある「崩壊を避けようとする意識はユーモアを生み、崩壊を急ごうとする意識はニヒルな相貌を生む」という一節を思い出していた。こういうときは素直に、いい関係を築こうと努力をしている人を選ぶべきなのだ、と思った。
「どういう読み方しているんだ!」と従兄弟には叱られそうだけど。


ショータイムではダンサーの方々が激しいダンスを踊っていたが、僕が出口付近に座っていたせいか、帰りにダンサーが皆、僕と握手をしていく。よくわからないが、アイドルの握手会みたいなものか?と思った。ただ、今回はアイドルの方が握手をしに来てくれるのだ。後で聞いたら、ショータイムのダンサーは全員プロなのだそうだ。


My Kiasu Life in JAPAN-karaoke pub
▲昼に見たカラオケ・バー。まるで日本のようだ。


何か歌えというので、ベン・E・キングのスタンド・バイ・ミーをステージで歌った。ステージの僕の隣にはさっき指名した女の子が立っている。「俺、フィリピンに来て2時間くらいなのに、こうして、ステージでカラオケ歌っているっていうのは、ちょっとおかしいんじゃないか?」マイクを持ちながら、何度も思ったが、自分でもおかしいのかどうか、よくわからなかった。


指名した女の子が、ビールを注いでくれる。飲み放題だというので、かなり飲んだ。
彼女はまだ20歳で、田舎から3時間くらいかけてこの店に通っているのだという。
「あそこに座っている女の子はみんなそうなの?」
指名もされず、つまらなそうに座っている数十人の女の子達を見て言った。
「ほとんど、そう。」
「どうやって通っているの?」
「バスで。それから、歩いて。」
「3時間は、長いね。」
世の中は甘くない。指名されなかった女の子は、どんな気持ちで家に帰るのだろう、と思った。


僕はフィリピンは初めてだと言った。初めても何も数時間前に着いたばかりだった。3日間いると言ったら「たったそれだけ?」と残念そうだった。
「明日、午後2時からフィリピンを案内してあげる」というので頼んだ。そのかわりお店に同伴出勤してくれないと困ると言われた。
まあ、世の中は甘くない。


結局、2時の閉店までいた。会計は6000円程度だった。帰りにコンビニで買い物をして帰った。コーラが1缶50円程度だったので物価が安いんだと思った。


翌朝、朝食を食べに、ちょっとホテルから離れたコーヒーショップに行った。歩いている間、信号機がほとんどなくて、交通量が多い道でも自力で渡るしかない。日本と違って、車が右側通行なので、左右を見るタイミングを間違えてしまう。車線を横切る人を見つけては、その人にくっついて道路を渡った。


My Kiasu Life in JAPAN-cross road
▲このくらいの交差点でも信号はない。覚悟を決めて渡るしかない。


バスが、乗り降りが自由らしくて、減速した瞬間に乗る人を何人も見た。バスの走っている数は多い。僕も乗りたかったが、バスの車体に書いてあるルートを確認した後、目的地を言わなくてはならないらしかったので、諦めた。


My Kiasu Life in JAPAN-bus
▲面白そうだったけれど、乗れなくて残念だった。


そのコーヒーショップはスターバックスのような店で、トーストとコーヒーを頼んだ。
レジでコースターのようなものを渡される。いったいこれは何なのだ?「できあがったらビープ音がして光が点滅するので、カウンターまで取りに来てください」と書いてある。なるほど。


席で、法学検定の問題集を読んでいたら、やたらとまわりでブーブー音がするので、誰の携帯電話だろうと思っていたら、自分のコースターみたいなやつだった。慌てて取りに行く。


そこで最低限のノルマにしていた問題数は解いた。旅行先でも意外と頑張るので自分自身に驚いた。再び、ホテルに戻り、昨日のまとめを日記に書いたり、英語の勉強をしたり寝たりして午後2時までの時間をつぶした。


午後2時には、待ち合わせの場所にいた。それから、暑い日差しの下で15分待った。かなりイライラしてきた。それで、「本当にガイドをしてくれるの?待っているんだけど。できないなら、そう言ってくれればホテルに帰るよ」とメールをした。返事が来なかったので、「とにかくホテルに帰る。もし、連絡が取れたら連絡して。たぶん、誤解があったみたいだ。このことで悩ませていたら、ごめん。」とまたメールをした。彼女の英語力も、僕の英語力も乏しいので、僕が誤解したのかもしれなかった。


それから、スーパーに寄って昼飯を買って、ホテルに帰った。世の中は甘くないんじゃなくて、苦いんだな、と思った。
ホテルで食事をしたあと、少し冷静になって「俺は本当にフィリピンの観光地に行きたいのか?」と自問した。そんなこと全然なかった。僕は観光地を汗水垂らして歩くよりも、マッサージを受けたりエステを受けたりすることが大好きな人間だった。


それで急遽、エステに行くことにした。このホテルはタイ系の一流ホテルなので、タイの一流のエステサロンが出店している。
http://www.devaranaspa.com/spa/introduction/spa0005/jp/index.html


早速、電話をして予約をした。「今すぐに来るなら大丈夫」というので「すぐに行く」と伝えた。「5分間待っています。」


エレベーターを2階で降りれば、その目の前がエステだった。そこで僕は、30分間のハロハロ・ボディー・スクラブと90分間のマッサージを受けた。使うオイルも選ばせてもらったが、アロマオイルのブレンドが絶妙で、これがブレンドオイルなのだと、新たに気づかされたような気がした。今まで、7000円ほども出して、日本でアロマの小瓶を買っていたが、その何倍もの量を一度に使うのだ。それで、2時間のこのコースで1万円くらいだった。


僕を担当してくれたのは小柄な女性だったが、いったいどこにそんな力があるのかと思うほど、本格的なスクラブとマッサージだった。僕の場合、やはり肩が気になるようで、肩は特に力を入れて、治してもらっていたような気がする。マッサージのとき、穴の空いたベッドにうつぶせに寝るのだが、その下に、レモンの輪切りが置いてあり、その鮮烈な香りも楽しみながら、マッサージを受けた。


気に入ったので、翌日の予約もした。


幸せな気分でホテルの部屋に戻った。携帯電話が鳴っているので、見ると2時の約束をすっぽかした女の子から70回以上の電話が入っていた。それから「遅刻しました。ごめんなさい」というメールが来ていた。


「気にしなくていいよ。」そうメールの返事を書いて、やれやれと思って寝ようとした。そしたら、「今日、同伴してくれる約束だから、今、店の前で待っている」とメールの返事が来た。


ここで、賢い男の人は断るのだろうが、僕は断らない。ノコノコ出かけていって、食事をごちそうしてあげて(日本料理店に行った)、お店にも同伴する。俺は本当にバカだと自覚は十分にある。(山崎正和さんの本に、西洋人の人生が、ひとつの普遍的なイデアの顕現であるのに対し、日本人の人生は、他人の理解を唯一のものさしとする孤独な冒険の連続である、という一節がある。俺という生き方は、自分自身のためというよりも、他人が見てどう思うかというところに主眼を置いているということだ。僕はそのあたり、極端に日本人的に過ぎるのかもしれない。などと、バカには教養を持たせても、どこまでもバカだ。)


この日も何曲かほとんど無理矢理歌わされたが、夜10時30分からのショータイムがすごかった。昨日は女の子中心だったが、今日は男の子も入っての笑いありアクロバットありの強烈なダンスだった。


My Kiasu Life in JAPAN-dance show
▲凄いダンスも俺が撮ればこのとおり。なんだかさっぱりわからない。


「すごいなあ」と間抜け顔で見ていたら、最後に女性のダンサーに手を引かれ、ステージに連れて行かれた。そういう僕みたいな男の人は4、5人いた。
そこで、フィリピンで今流行っているという韓国のPSYの「江南スタイル」というダンスの手ほどきを受けた。
日本ではほとんど人気がなく、僕も一度YOU TUBEで見て、俺のタイプじゃないと思い、2度と見なかった音楽だ。


最初は、江南スタイルの曲に合わせてダンサー達とデタラメに踊ったあと(その間にも、後から考えるといろいろな動きの指導をされていた)、プロのダンサーが江南スタイルの動き方を教えてくれる。教え方がうまくて、すぐに踊れそうな気がしてくるから不思議だ。


それから、江南スタイルの曲に合わせてダンサー達といっしょになって踊った。ダンサーから日本語で「右、左」という指示が大声で飛ぶ。酔っぱらっているせいか、身体が素直に言うことを聞いて、僕もそれなりに踊れていたような気がする。


座席に戻ったあと、ダンサーの人達が、握手をしに来てくれた。僕はもう、汗だくだった。昨日は唐突な気がしていたけれど、今日は自分でも嬉しかった。


ダンスが終わって、ちょうど時間が来たというので、女の子と別れてホテルに帰った。もう彼女とは会うことも2度とないと思っていた。


それから、ぐっすりと眠りについた。ところが夜中の2時過ぎに女の子からメールが来て、しかも、それに気がついてしまった。「いつも見るだけだから、一度デュシタニ・マニラ・ホテルの部屋を見に行きたい。友達も連れて行く」と言う。


My Kiasu Life in JAPAN-from window
▲ホテルの窓からはこんな景色が見えた。目の前は駐車場の屋上。

土曜日の朝は、多くの若者がボクシングの練習をしていた。


普通の人は、ここで断るのだろうけれど、僕は違う。このホテルのエレベーターは、部屋のカードキーがないと動かせないので、わざわざ着替えて1階のロビーまで出迎えに行く。


友達だという連れてきた女の子は28歳だという。部屋のなかにはほかに何もなかったので、とりあえずペットボトルの水を渡した。


「私は、28歳。もう後がないの。だって、カレンダーだって31で終わっちゃうでしょ。」
日本語が上手なので、日本に行ったことがあるのか聞いたら、彼女は日本人と結婚していたのだという。子供もいると写真を見せてくれた。


その日本人の男性とは、自分が知らないうちに離婚させられたのだと、彼女は言う。「私と子供がフィリピンにいる間に、離婚届が出されていたの。日本の大使館に行って確認した。私は離婚させられたことがわかった。何が起きたか、最初は信じられなかった。だって、私はまだ愛があったし、毎日、電話もしていたのに。」


「そんな離婚は無効だから、弁護士さんに相談してみればいいよ。そんなに簡単に日本でも離婚できないよ。自分が何も知らなくて離婚なんてできないから。」
「でも、いいの。もうしょうがないって思っている。相手の人はバカなの。」


それでも、彼女は日本人が好きだという。お店も85%は日本のお客さんらしい。ただ、最近は、フィリピンから撤退する会社が多く、そうなるとお店も暇で、女の子もみんな暇になってしまい困っているのだと言う。


しばらく話をしたあと、2人は帰るという。「5時まで電車動かないんでしょ?そこのベッドで寝ていけば?」「大丈夫。バスは24時間動いているから。」


再び、1階のロビーまで2人を送りに行く。本当にこれで2人にも一生会うことはないんだろうなあ、とは思ったが、あまりに眠たくて「さようなら」と言ったときにもあまり哀しみがなかった。ベッドで寝るときに「まあ、それでよかったんだよ」と思った。


翌朝は9時30分頃に起きた。お土産を買わなくてはならない。正直言って、お土産を買うのなんか大嫌いだけど、職場に買っていくのは義務のようなものだ。
近所のスーパーで、乾燥マンゴーを買って、それでいいことにするつもりだった。昨日の2人も「フィリピン産で有名なもの」を聞いたら「乾燥マンゴー」って言っていたし。


乾燥マンゴーを買って、ホテルの部屋に戻ってガイドブックを見ていたら、フィリピンの買い物はディビソリアというところが、安くて楽しいらしい。それで、そこに行くことにした。


ホテルの前で交渉をしたら、ホテル所有のタクシーは1800円もかかるというので、街中を走っているタクシーに乗ることにした。1500円くらいということで話がついたが、あとから本当は1000円もしないらしいことがわかった。運転手はやたらと僕に「日本人。ともだち、ともだち。」と日本語で言っては笑っていた。


ところが、信号が整備されていないことや、バスが乗り降り自由なことなどが原因で(と思う)、道路は大渋滞。何しろ、客を乗せる自転車やバイク、挙げ句の果てには馬車まで車と一緒に走っているんだから。
タクシーで1時間以上もかかり、僕はタクシーのなかで、その日のノルマの法学検定の問題を解いてしまった。


最後、目的地まで数100メートルのところまで来たとき、運転手が「時間を無駄にしたくなかったら、歩いた方が早い」というので、歩くことにした。それでも約束どおりのお金を払うと、運転手は本当に嬉しそうに「ともだち」と日本語で言った。


ディビソリアはものすごい人だった。確かに何もかもが安い。ショッピングモールに入るとエアコンが効いていて涼しかった。いくつかの店を見てみた。ヴィトンの財布も800円くらいで買える。もちろん偽物だ。


My Kiasu Life in JAPAN-shopping
▲どこに行ってもすごい人だかり。おまけに暑くて。でも安い。


たっぷり買い物をしたあと(それでも日本円で8000円ほど)、店の外に出た。もう1時をかなり過ぎていた。エステの予約が4時だった。タクシーはつかまらないし、仮につかまったとしても、歩いた方が早い大渋滞では、どれだけ時間がかかるのか計算ができなかった。エステの注意事項に、もし予約時間に間に合わない場合は、その分、エステの時間を削ると書いてあったのを思い出して、何としても4時までに帰りたかった。


それで、かなり遠かったが、最寄りの鉄道駅まで歩いて行って電車で帰ろうと思った。
暑い中、重い荷物を持って歩いていたが、タクシーも通りかからず、どうしようもなかった。そして、タクシーがつかまったところで、この交通事情ではどうしようもない。


ようやく駅に着いた。エスカレーターは壊れているので、歩いて登る。ようやく2階の切符売り場にたどり着いて、切符を買おうと思ったら自動販売機がない。口頭で頼まなければならないのだ。長い列に並んで、ようやく自分の番になって、ホテルの最寄り駅の名前(アヤラ駅)を言ったら、「その電車は反対ホームだからここでは売れない。反対側のホームに行け」と言う。「どうやって行くんだ?」窓口のお兄さんの指さす先に跨線橋があった。


My Kiasu Life in JAPAN-to ride train
▲電車に乗るには、この行列に並んで、目的地を言わなければならない。


エスカレーターは当然のように故障して動かないので、そこを登り、長い跨線橋を越え、反対のホームの切符売り場まで歩いた。
自分の後ろに並んだおばさんに、アヤラ駅行きの切符はここで買えるのか?と聞いたら、それはどうか?という顔をする。だんだんと不安になってきた。


自分の番が来て、「アヤラ駅まで」と言う。切符売り場の女性は頭の良さそうな人だったが、それは無理だという。マイクがないので、何を言っているのかよく聞き取れない。後ろのおばさんが教えてくれる。その駅は「MRT」という路線にあるから、エドサという駅までの切符をここで買って、それからエドサ駅で切符を買い直さなくてはいけない、ということらしい。了解したので、エドサ駅までの切符を買う。


電車は、東京の満員電車並みの混み具合だった。エアコンがかなり効いていたが、それでも重い荷物を持って、ずっと立っていたら、かなり疲れた。両手がふさがっていたので、つり革もつかめなかったのだ。汗が止まらない。


エドサ駅で降りて、ここの切符売り場でも長い列に並んだ。そのあと、冷たく反対のホームだと宣告されて、とぼとぼと反対側の切符売り場まで歩いて、再び長い列に並ぶ。


アヤラ駅に着いたときはかなり消耗していたが、電車に乗っていた時間は30分ほどだったし、何しろ料金が50円程度だったので、気に入った。時間が図れないタクシーよりもずっといい。自動販売機があればフィリピンの鉄道も便利なのになあ、と思った。


My Kiasu Life in JAPAN-takuyaki?
▲駅の目の前のたこ焼きや。「たくやき」になっていてちょっと残念。


それで4時のエステには十分に間に合った。今回は90分の顔の全身マッサージと90分のフェイシャル・マッサージをしてもらった。3時間で、約14000円。「力はこのくらいでいいですか」聞かれるたびに、「はい」と返事をする。正直言うと、ツボをかなり正確に突くので、背中は少し痛いほどだった。それでも気持ちがよくて、マッサージの間に寝てしまった。


マッサージのあと、スーパーに行って、また買い物をしたあと、ホテルに帰ってきた。
ホテルに帰ると、女の子から電話があって、「今日も同伴して欲しい」と言われたけれど、明日のフライトが朝早いこともあって断った。


実際にフィリピンの暑い気候のなかを自分自身で長い距離を歩いてみて、毎日3時間かけてカラオケバーで勤めるというのは、大変なことだと、心の中では彼女に同情していた。夜も2時までの勤務なのに、昼に観光ガイドなんかできるわけもなかっただろう。


夜中の11時頃にパッキングが終わり、それから寝た。


翌朝は9時のフライトだった。6時頃に起きて、DSの英語の勉強をして、それから帰る準備をした。
7時にホテルを出て、タクシーに乗った。タクシーの運転手は、人なつっこい感じの人で、フィリピンはどうだったかといろいろと聞いてくる。「家族は?」「独身だよ。」
彼はグローブボックスから、写真帳を出してきて、僕に渡す。彼と奥さんと子供の家族が旅行に行ったときの写真だった。馬に乗っている写真もある。
「タクシーだけじゃなくて、馬にも乗るんだ。」と言ったら、笑っていた。「来年、フィリピンに彼女を連れてくればいい」と言うので、「そうだね」と答えた。そうできれば、いいけどさ。


7時20分頃に空港に着いた。チップを余計にあげたらすごく喜んでいた。


航空会社のチェックインをして、乗り場に行こうとした。空港内で少し買い物もしたかった。ところが、まず最初に並んだのが、「空港サービス負担」というところで、ここで1100円程度を払う必要がある。そんな心構えが全くなかったので、驚いた。
それから出国手続きに1時間以上の列に並ばなければならなかった。


その昔、国際線は出発2時間前のチェックインが原則だった。今は1時間前が普通だ。僕はシンガポールで昔、40分前にチェックインしたことがあるが、実際、その程度で十分だと思っていた。


ところが、フィリピンはやはり2時間前のチェックインが必要だった。搭乗開始時間の8時30分になんかとても間に合わなかった。ただ、救いだったのは、周りにもJALに乗る人がいっぱいいたこと。みんな遅れれば平気だと思った。


この待っている間に、法学検定の勉強のノルマをこなした。意外にも、この旅行期間中、僕はそれなりにちゃんと勉強していて驚いた(もっとも、法学検定の勉強量は実際にはこの程度ではお話にならないので、そのうちに頑張って勉強に専念する必要は当然に出てくる。それから、この旅行期間中に、基礎コースではなく、中級コースを受けることを決めた。)。


出国手続きに時間を取られて、空港内の免税店など見ている時間もなかった。しかし、ざっとみたところ、空港内にそんなに大きな店があるわけでもなさそうだった。


帰りの飛行機では「サンダーストラック」という映画を見た。


My Kiasu Life in JAPAN-thunderstruck


才能がなく、バスケのマネージャーしかさせてもらえない高校生が、ある日、NBAのスター選手からサインボールをもらい、突然バスケの才能が開花するという物語。


My Kiasu Life in JAPAN-thunderstruck1

My Kiasu Life in JAPAN-thunderstruck2

ところが、NBAのスター選手は突然、才能を失い、マスコミからバッシングを受ける。才能を盗んでしまったという自覚をもった高校生は、才能を彼に返そうとする。


ありえない話しだけれど、それなりにまとまっていて、見たあとは爽やかな気分だった。たまには、こういう映画もいいなあと思った。


日本に着いたら、少し寒かった。もう10月だもんな、と思った。これからもっともっと寒くなる。これから寒い冬が来るのかあ。


長野駅に着くと、また一段と寒かった。なんでも、長野駅のホームには熊も歩いていたらしい。寒いなあ、これからもっと寒くなるんだよなあと思いながら、改札まで歩いている間に、もう、またフィリピンに行きたくなった。