先日、総務課の人と話していたら「エアコンの設定温度を27度にするのはわかるけれど、扇風機で下がった分の温度はどうするんですか?」と言う。
「扇風機で温度が下がるわけないだろう?」
「下がらないんですか?」
「扇風機は汗とかの水分が蒸発して、そのときに気化熱を奪うから涼しくなるんだろ?人がいなくて、ただ扇風機回していただけじゃ、モーターの熱で温度が上がることはあっても下がることはないよ。」
「本当ですか?」
「あったりまえじゃん。」
冗談で言っているのかと思ったら、本気だったので少し驚いた。


「ひょっとして、温度計に毛布巻いたら温度が上がるとか思ってる?」
「思ってますよ。」
「上がるわけないじゃん。毛布は保温するから暖かくなるんだよ。冷たい温度計を毛布で巻いたら、かえって温度は上がりにくくなるはずだよ。」
それでも、俺よりもはるかにまともに社会生活を送っている人だから、必要がない知識だと言われれば、そうかもしれない。


若い同僚にも、単位について話しをした。30.0cmと書くべきところを、30cmと書いてあるものをよく見る。30.1cmや30.2cmのときは、ちゃんと書いてあるのに、30.0cmのときだけ、30cmと省略している。


30.0cmと30cmは違う。要は測定する器械の精度の問題だ。30.0cmは30.0cmだが、30cmは30.1cmかもしれないし、29.9cmなのかもしれない。だから、30.0cmと書くべき時は、30.1cmや29.9cmではないという意味で、.0の部分を省略して書いてはいけない。
こういうのも普通は中学生の時に理科の先生が教えてくれるもののように思うが、徹底されてない文書がよく目に付く。


そんな文章を指摘しながら「単位には気をつけろ」って偉そうに話していた。ちょうどそのとき、広告のチラシが目に入った。「X線室のいらないCTスキャンが9,000,000万円」と記載されている。たぶん、円と万円を間違えたのだと思う。いくら医療機器が高くても900億円はしないだろう。「こういうミスをするなってことだ」それでますます偉そうに話した。


6月24日から毎日、任天堂DSのソフト「えいご漬け」とを毎日続けていた。それで、ようやく「えいご漬け」の方だけは、すべてやり終えた。「TOEIC TEST DSトレーニング」はまだまだ終わらない。


My Kiasu Life in JAPAN-eigoduke


My Kiasu Life in JAPAN-dstraining


ただ、「えいご漬け」では7月の間英語力判定がコンスタントに「S」だったのに、8月になってからは「AAA」しか取れなくなってしまっているので、「S」評価が再び取れるまで、英語力判定だけは続けていく。


「えいご漬け」のソフトは基本的にはいいと思うが、いくつか気になった点もある。
このソフトはディクテーションソフトなので、基本的には、何と話しているかを聞き取って書くことになる。ところが、数字の場合、アラビア数字で書く場合と、英文で書く場合が特にルールもなく混在している。例えば35歳と言うときに、「35 years old」と書くときと「thirty five years old」と書くときとが混在している。どちらかに統一すれば、余計なストレスを感じなくてすむのに、と思う。


それから「バーバラのリピートアフターミー」では低評価しか取れずに、どうしてなのか謎だったが、とにかく早口で読んだらいきなり90点以上が取れて、なーんだ、と思った。早ければいい、ということらしい。


とりあえず英語力判定の宿題はあるものの「えいご漬け」はやり終えたので、今は「TOEIC TEST DSトレーニング」と並行して「TOEIC TEST スーパーコーチ@DS」をやり始めた。これもまた優れたソフトだとは思うが、自分の実力のなさにどうしても気づかされる。これから努力していきたい。


My Kiasu Life in JAPAN-ds super

「ファイター」というボクシング映画をDVDで見た。


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母親がマネージャーを務め、世界チャンピオンと1度戦ったことのある兄がセコンドを勤める無名のボクサーが主人公だ。
兄は麻薬中毒で、トレーニングに遅刻し、試合当日も呼びに行くまで姿を現さない。
母親は、興行主に説得され、自分よりも9キロも重いボクサーと戦わせたりする。
当然、めった打ちにされる。


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主人公はこの家族に嫌気がさし、ラスベガスのプロモーターに頼ろうとする。兄はそれを防ぐため、詐欺で金を作り、刑務所へ。逮捕される際に暴れ、巻き込まれた弟も警察に拳を警棒で潰される。
その状態から、弟は世界チャンピオンにまで駆け上がっていく。


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こういう映画を見ると、「あれがだめだからこれができない」と言い訳ばかりしている自分が情けなくなるし、なんとかしようと思う。ボクシング映画ではロッキーという名作があり、それを超えるまでには遠く及ばないが、いい映画だとは思う。


wildwildspeedさんおすすめのクリストファー・ノーラン監督の「プレステージ」というマジシャンを描いた映画も見た。

My Kiasu Life in JAPAN-prestige

人生を賭けた2人のマジシャンの争いだ。


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マジシャン同士なので、相手の裏をかいたつもりが、それもトリックだったりする。だまされたと気がついたときの、喪失感や徒労感というのが、画面を通じて伝わってくる。


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この映画では、手品と科学の親和性も描き出している。そのため、最後のトリックはSFに近いものになっている。実は、僕が昨年書いたSFの脚本も、その誕生の経緯は全く違うし説明の仕方も全く違うが、同じようなものを登場させた。


あの装置は利用の仕方次第では、巨万の富を産む機械だ。利用方法は少し考えれば誰でも思いつく。昨年書いたシナリオは、応募したものの、まるで相手にされなかったが、発想自体はいい線まで行っていると未だに思う。もう少し見せ方とか考えて、リベンジしたいと思う。


映画自体は、なかなか面白かった。ギリギリストライクって感じだ。


本格的なSF映画「TIME」も見た。SFは設定を解説するのが難しい。ネットで見た解説文がとてもよくできていたので、そのまま載せる。


My Kiasu Life in JAPAN-time

〔解説〕
科学技術の進歩によりすべての人間の成長が25歳で止まり、そこから先は左腕に埋め込まれた体内時計「ボディ・クロック」が示す余命時間だけ生きることができる近未来。貧困層には余命時間が23時間しかない一方で、富裕層は永遠にも近い時間を手にする格差社会が生まれていた。ある日、ひとりの男から100年の時間を譲り受けた貧困層の青年ウィルは、その時間を使って富裕層が暮らす地域に潜入。大富豪の娘シルビアと出会い、時間監視局員(タイムキーパー)の追跡を受けながらも、時間に支配された世界の謎に迫っていく。


My Kiasu Life in JAPAN-time1

おそらく最初は「時は金なり」という格言が現実だったら、くらいの発想から練り上げたものだとは思う。でも、それなりに面白かった。


My Kiasu Life in JAPAN-time2

もちろん、そんなに科学技術が進んだ割には、監視カメラも自動車も今とほとんど変わらないのはよくわからないし、全財産が体に刻印されてしまうのもどうかと思うのだけれど。
この映画は「現代の金持ちに対する批判」でもあるのだという視点から見ると、なかなか興味深いものがあった。


「NHKスペシャル驚異の小宇宙 人体2 しなやかなポンプ~心臓・血管~」も見た。


My Kiasu Life in JAPAN-驚異の小宇宙2

特に新たな発見があったわけでもなかったが、本当に人体というのはよくできているよなあと感心した。
番組自体はそれほど面白いとも思わないが、必要があるから見ないわけにはいかない。


超久しぶりに岡崎京子の「pink」(マガジンハウス)を読んだ。


My Kiasu Life in JAPAN-pink

ワニと暮らすOLでホテトル嬢ユミちゃんの、愛のおとぎ話だ。


初めて就職をしたとき、僕はこれから勤める建物の前に立ってしばらく見つめていた。そして「僕はこのなかのことをまだ知らない。この建物のなかで、いろんな人を好きになったり嫌いになったり、競争したりするのだろうけれど、世間の人は今の僕と同じで、そんなことは全く知らない。いろいろあってもコップのなかの戦争だ。気にしないようにしよう」なんて思った。


その思いは、僕のオリジナルだとずっと思っていた。
でも、今回pinkを読んでいたら、こんな台詞があった。


「真夜中の住宅街をお散歩するのってたのしいな 大好き あの家のあの窓やこの家のこの窓 いろんな人が住んでてそれぞれの生活があって もし出逢っていたら友だちになれたり大嫌いになるかもしんなくて でも今んとこ全然関係なくてどーでもよくて 不思議不思議よね」


就職したときのあの思いはこっからだったんだ、と思った。


岡崎京子は「すべての仕事は売春である」なんて言葉を「そのとおり」と思っている。
体を使って金を稼ぐんだから同じでしょ、というわけだ。
そしてホテトル嬢をしている主人公にも「何かあたしは なんだかすごく悲しくなって そんなにお金が欲しければ カラダ売ればいいのに と思った」なんて言わせたりする。


この仕事に対する、どこか投げやりで醒めた眼差しは、何十年経っても僕のなかにしぶとく生き残っている。そして、僕は女の子のスタンダードを、岡崎京子に出てくるマンガのなかの女の子にしている節がある。そんな女の子は実際にはどこにもいないのに。


久しぶりに読んで、思ったよりもこのマンガは僕に影響を残しているんだなあという気がした。