北京に行くことにして、自分の取ったチケットを見ていた。
行きのターミナル番号は1で、帰りは2だった。
昔、成田空港で夏に汗だくになって働いていたことがあった。
成田空港の第1ターミナルも第2ターミナルも詳しい方だと思う。
チケットを見ながら「行きと帰りでターミナルが違うなんてことがあるんだ。」なんて思ったけれど、よく考えてみたらターミナルは航空会社で決まっているはずだった。
JALの貯まったマイレージで旅行するのに、往復で違うターミナルなんてあり得ない。
それでよく見たら、行きは羽田空港発だった。
「行きは羽田空港からだったのか。」
それで、行きは東京までの切符(都区内は同じ料金)と帰りは成田空港からの電車の切符を旅行会社で買った。
旅行会社では「モノレールの切符は自分で買ってください。」と言われた。
ちょっと急いでいたし、そんなものかと思って深くは追求はしなかった。
家に帰ってから、ちょっと気になって調べてみたら、羽田の第1ターミナルは、JALの国内線の発着ターミナルだった。ANAが第2ターミナルになる。
「確か羽田は国際線ターミナルもできたはずなのに、やっぱりJALだけは国際線も第1ターミナルから出るんだ。」なんて思ったけれど、そんなことあるのかなと思い直して、もう一度チケットをよく見てみた。
ターミナルの番号は「1」ではなく「I」だった。
下の方に小さく、ターミナル番号の「I」はINTERNATIONAL(国際線)の略だから、数字の「1」と読み違えないように注意しろと書いてあった。
完全に読み違えていた。
モノレールは羽田国際空港には直行しないようだったので、国際線ターミナルに直行する京急本線に品川駅から乗ることにした。
出発前からいろんな罠にはまりそうで、少し不安だった。
羽田発の時刻は9時40分だったので、遅れないように朝6時長野発の新幹線に乗った。
途中ずっと、ジュンパ・ラヒリの「停電の夜に」(新潮文庫)を読んでいた。胸を突かれる深い話が多い。
羽田国際空港で搭乗手続きを済ませた。ほとんど自動機で搭乗手続きは終わらせることができる。荷物だけは預け、そこから出国手続きを経て、出発ゲートまで歩いていった。
ゲートの前に座っていて、もうそろそろ搭乗するのかな?と思っていたら、「北京空港が濃い霧に覆われているため、出発することができません」というアナウンスが流れた。
結局、午後1時過ぎまで出発できなかった。途中で食事券が配られたけど、利用できるという食堂に行ったら、あまりに長い列でその気が失せた。僕は行列に並ぶのが、基本的には大嫌いだ。
それでずっと本を読んでいたら、「停電の夜に」を読み終えてしまった。
ジュンパ・ラヒリの「停電の夜に」は名著だと前々から知ってはいたが、今まではなかなか読む気が起きなかった。今回、本屋に行ったら文庫になって売っていたので買うことにしたのだ。
作者はロンドン生まれのベンガル(インド)人の女性で、アメリカ育ち。
小説そのものは「結婚」をテーマにしたものが多く、夫婦間の日々の小さな失望や嘘を描いている。どれも確かに素晴らしい小説だと思ったけれど、僕は「本物の門番」という老婆を主人公にした話にすごく胸を打たれた。深い悲しみと失望を描ききっている。
いつも「昔は大邸宅に住んでいた」と嘘だか本当だかわからない話をする老婆が、ぼろアパートの入り口に布を敷いて寝ている。布の端に、彼女の全財産が結びつけてある。
彼女は、門番としてアパートの皆に認知されている。不審な人を追い出していたから。
それからみんなのために階段も掃除をしていた。
ある時から、アパートに次々と工事が入り、誰が出入りするのか正当なのかわからない時期があった。その間、彼女は屋上で暮らしていた。それから、わずかな財産で、町に出かけ、ちょっとしたお菓子を買うことも始めていた。
ところが、その間に、アパートに泥棒が入った。それは、彼女が布に結んでいた全財産を町で盗まれた日のことだった。彼女は皆から非難される。「本当に私は手引きしていない。知らない。」という彼女をアパートの住人は責める。「今までも散々、昔はいい暮らしをしていたなんて嘘をついていたじゃないか」。
そして、アパートの住人は本物の門番を雇うことにして、彼女は追い出される。
あらすじが下手すぎて、感動も何もないとは思うが、原作は素晴らしい。悲しくて、つらい。人生における強烈な哀しみというものを真っ当に描いていると思う。
読む本がなくなってしまったので、空港内の本屋で本を選んでいた。あまり読みたいと思う本がなく、しばらく迷っていた。
そのあと、とうとうこのジャンルに手を伸ばすようになったかと思いながら司馬遼太郎の「坂の上の雲 一」(文春文庫)を手にした。
それからずっとその本を読んでいた。
1時過ぎに出発した飛行機の中でも読んでいたから、北京に着く頃にはほとんど読み終わっていた。
思っていたよりもずっと面白く、読む価値があった。「出世するのは、どこかかわいげがある男だ」なんて文章を読んで「出世なんか興味がないけど、人からフレンドリーだと言われる人間にはなりたいな」と思った。
こういう本を僕は若い頃にもっと読むべきだった。高校時代は村上春樹と椎名誠に夢中になっていたけれど、歴史小説も読むべきだった。
北京は霧に覆われていた。空港の外は寒く、3℃程度だった。
タクシーに乗るのに30分ほどかかった。タクシーの列に並んでいるときに、目の前の外国人の老夫婦に白タクの勧誘があって、そのときの料金は北京駅近くのホテルまで7500円くらいだった。その夫婦は断ったので、その人は別のカモを探しに行った。
自分の番が来てタクシーに乗るとき、後部座席に乗ったら運転手が意外そうな顔をした。
どうやら、タクシーは客が助手席に乗るのが主流らしい。
後ろの席に座って、シートベルトを伸ばすが、受ける口がない。しばらく探していたが、見つからなかったので諦めた。
途中で交通事故を2件見た。僕の乗ったタクシーもかなり運転は強引だったが、おとなしい運転なんかできる環境ではないことが市内に行くにつれてわかってきた。とにかく車が多く、それぞれにみんな乱暴だ。携帯電話で話しながら運転するのも当たり前のようだった。
50分ほどかかって市内のホテルに着いた。料金は1500円くらいだった。
今回は完全に1人だけの旅行なので、ホテルは適当に決めた。
「ノボテル新僑」というホテルだった。あまりフロントは愛想がなかった。でも僕は気にしない。
カードキーを受け取って、差し込むとオレンジ色のライトが点滅を繰り返すだけで鍵が開かない。
再びフロントに戻って文句を言う。
チェックをしてもらったら、ちゃんと使えるという。
再び部屋まで行ったら、ホテルの従業員が部屋の入り口で待っていて、僕のカードキーを差し込む。緑色のランプが光って、鍵が開いた。
あとから考えたら、それはただ、僕がカードキーの裏表を間違えただけのことだったのかもしれなかった。
コンセントについて心配して、いろんな形に対応できるプラグを持っていったが、何でも使えるようなコンセントで、日本の形でも十分、大丈夫だった。
(これだけあれば、何とかなりそうだ)
それからLANケーブルも持っていったが、WiFiが使えたので、普通にインターネットを利用できた。
今回の旅行で一番の懸案事項は、僕が中国語を全くしゃべれないことと、1人だけということだ。なかなか料理を1人だけで食べに行くのは大変だ。海外で、お一人様は避けたいところだ。
それでも夜は食事に出かけて、ずいぶんとおしゃれそうなお店に行った。こういう店なら、プライドもあるだろうし、向こうが何とかしてくれるだろうと思った。そして、こういう店に物怖じしなくなった自分が微笑ましかった。
その店はメニューが紙ではなく、i-padだった。
英語を話せる若い女の子が来てくれて、いろいろと説明をしてくれた。牛肉のいっぱい入った麺と小龍包を注文して食べた。
ビールを頼んだら冷えていないハイネケンだった。イギリスに行った頃から、僕はぬるいビールが平気になっている。
外を眺めて、けばけばしいネオンサインを眺めながら、とうとう北京に来たんだなあ、と思った。それからこれは傷心旅行って位置づけだったんだっけ?なんて思った。
それにしても、と思う。「俺はどうして今、こうして北京でハイネケンなんか飲んでいるんだろうなあ?」
自分のことながら、やることが突飛すぎて理解に苦しむところだった。
翌朝は、8時頃に起きた。窓から外を見ると夜のうちに雪が降ったようで、白くなっていた。
9時頃には日が差してきた。
外に出て、とりあえず天安門くらいは見に行こうと思った。
地下鉄の切符の買い方は簡単だった。基本的にどこでも30円程度で行ける。
天安門東という駅で降りて、それから天安門と故宮博物館に向かった。
すごい人で、それからどこまで行っても門があった。
故宮博物館にも入ってからも、どこまでも門があり、またどこもすごい数の人だった。
そして本当に、中国の人は女性でも男性でも平気でありとあらゆる場所でつばや痰を吐く。
(こんな門がいくつもあって、途中からいくつ超えたかも記憶が定かでなくなった)
パンダの顔の帽子をかぶった人や、迷彩服を着込んだ人、驚いたのはドクタースランプのアラレちゃんの帽子をかぶった人までいたことで、何でもありなんだな、と思った。
故宮博物館は段差が多く、健康な人でなければ美術品までたどり着くのも一苦労だと思う。
普通にガイドを聞きながら見ると3時間以上もかかるというが、トイレはあまり見あたらない。
途中で、軍隊なのか警察なのか、制服を着た一団がかけ声をかけて行進をしているのを見た。
なかなか勇ましく、それから、「坂の上の雲」を高校時代に読んでいたら、僕は自衛隊に行くって選択肢もあったよな、と思った。
(なかなか迫力があった。でも最後尾の上官は携帯電話をいじっていた。)
最後の門をくぐったときはかなり疲れていた。目の前の山の上には景山公園もあったが、とても登る気にはならなかった。堀の脇を歩きながら「中国はでかいなあ」と思っていた。
そこから、また王府井という駅まで歩くことにした。
(この道も長かった。)
途中で「英語のメニューあります。伝統料理をリーズナブルな値段で。」と英文で書かれたレストランを見つけたので、入ってみた。
僕は顔立ちが中国人らしい。誰も日本人だと思わないようだ。
そして僕が中国語を全くしゃべれないのを見て、皆、怪しげな顔をする。
そういえば、駅などでいかにも田舎から来たという感じのおばさん達にも、何度も道をたずねられたが、僕が英語で謝ると「本当かい?」と怪しげな笑いを残して別の人に聞きに行くのだった。
そのレストランでも、英語しか話せないことにとりあえず驚かれたあと、北京ダックとカリフラワーの炒め物、それからウーロン茶を注文した。
北京ダックはハーフにしてもらったが、それでもかなりの量があった。付け合わせはネギとキュウリで、キュウリというの意外だったが、おいしかった。
カリフラワーの炒め物は、かなりスパイシーだったが、いっしょに入っていたタマネギの炒め具合といい、絶品だった。それからご飯。それだけ食べても、値段は2000円程度だった。
そこから、「ノボテルピース」まで歩いた。ノボテルピースの前にお茶屋さんがあり、そこで僕は土産用のお茶を買った。すごく親切な人達で、お茶もいっぱい飲ませてもらった。
帰り際に「この辺にマッサージ店がないか」を聞いたら、そこまで案内してくれるといい、実際に案内してくれた。すごくおしゃれなマッサージ店だった。
僕についたのは22歳の女の子だった。
マッサージがすごく上手だった。僕の身体をマッサージしながら「肌はすごくいい。肩は悪い」と言うのだった。
肩から毒を出すといいのだという。追加料金を出してカッピングという処方をしてもらう。
写真を撮ってもらって、見せてもらった。すごくグロかった。緑色のものが毒素なのだといい、肩からは確かにいっぱい出ているように見えた(その写真もあるけれど、あまりにグロいのでやめておく)。
そのあと、フットマッサージもしてもらった。ずっと英語で話していた。
「どこで英語を覚えたの?学校?」
彼女は北京の北にある農村で育ったのだと言った。とても貧しく、姉弟が4人いた。
中学校までで勉強はあきらめなくてはならなくて、それから北京でマッサージの仕事に雇ってもらった。農村出身の子はよく働くので、雇ってもらえるのだという。
「英語は、仕事のなかで覚えた」のだそうだ。
勤務は朝10時から夜10時までと午後2時から夜2時までが半分ずつ。朝10時スタートのときは、終わるのが実際には夜12時になるのだという。
毎日12時間働いて、休みは月に1日だけ。家に帰るとクタクタに疲れてしまうから、彼氏は作れないのだと寂しそうに笑っていた。
給与は、ほとんどが直接、実家に送られてしまうそうだ。その実家にも帰れるのは1年に1度だけだという。
僕の手をマッサージするときに、「きれいな手」と言って微笑む。彼女の手は、マッサージでタコができていた。あまり寝てないから、顔も老けちゃうの、と言っていたが、顔はとてもかわいかった。
マッサージのあと、僕の足を拭いて靴下をはかせてくれた。僕は靴下をはかせてもらうなんてことは小学校以来だったので、すごく恥ずかしかった。
「あなたはとてもフレンドリーだし、中国の女の人と結婚すればいい。顔も中国人っぽいし。中国の女の人は料理もしてくれるし、マッサージもしてくれる。」
思わず、「君でいいから俺と結婚してくれ」と抱きしめて結婚してしまおうかと思った。
「名前は?」僕が聞くと、「名前はないの。私は番号しかないの。今度、来ることがあったら、電話して私の番号を言って、それから来て。」と言った。でも、最後に渡してくれた店の案内の隅の方にそっと名前を書いて渡してくれた。もちろん、僕は発音できなかった。
その後、お土産を買いにスーパーに行った。北京ダックを売っていたので、買うことにした。
「何日もつの?」英語で聞いたらわからないようだったので「何日?」とメモに書いた。それでもわからないようだったので、「何天?」と書いた。
「今日は18日」と言う意味のことをいうので、そうじゃなくて、何日もつのだと、身振り手振りで話して、ようやく90日という回答をもらった。
「北京行ったら、北京ダックを買ってきてください。」と冗談で言った職場の女の子に渡してあげるつもりだった。僕もまさか本当に売っているとは思わなかった。
ホテルに戻って、少し休んでから再び夕食を食べにホテルの外に出た。
中国語がわからなくてもしばらく看板をにらんでいるとどんな店なのか、わかってくる。
(これがわからない人はいないと思うけれど。当て字がうまいように思う。)
トミーフィルフィガーそっくりの店を見つけ、なかに入ったらタグもそっくりだったので笑った。
(でも刺繍は微妙にヨレていて、偽物とすぐにわかっちゃうレベルだった。)
ラコステのワニに似せた、どう見てもトカゲにしか見えないクロコダイルというロゴの服も売っていた。でも、昔の上海のように、mode in Franceと書いたヴィトンそっくりの財布などは売ってなくて寂しい気持ちがした。
昨日行ったきれいな店に行って、キノコの麺と小龍包を食べた。またハイネケンを2本飲んだ。
俺は苦労してきた人が好きなんだと思う。そして、改めて思ったんだけど「毎朝、あなたの靴下をはかせてあげる」なんて言われたら、たぶん俺は絶対に結婚するだろうな、と思った。意外なピンポイントがあって、自分でも驚いた。
テレビで以前誰かが言っていた。幸せになるには、期待しすぎないこと、数字にこだわらないこと、直感を信じることが大切だと。
「俺はやっぱりああいう子が好きなんだな。彼女に限らず、もう国際結婚を真剣に考えた方がいいかもな。どうせ日本では女の人に相手にされないことだし。」なんてビールを飲みながら思った。あとは直感で決めてしまおうと。
どうして北京に来ているんだろうなあ、なんて昨日は思っていたけれど「もう明日は帰るのか」と寂しく感じていた。こんなに早く自分が変わるのかと、少し不思議だった。
翌朝は5時に起きて、パッキングをした。北京空港発8時25分だった。
チェックアウトを6時過ぎにしてタクシーに乗った。今度はちゃんと助手席だった。
シートベルトを伸ばして、そして受け口を探した。どうしても見つからない。それでやっぱり諦めた。時速100キロで運転するタクシーの助手席に、シートベルトなしで乗るのはかなり緊張した。オンボロのフォルクスワーゲンで、今にも壊れそうな音が聞こえる。
事故で急停車したら、慣性の法則で、フロントガラスをぶち破って外に飛び出すことになるんだろうな、と思った。空港から市内に来る間に事故も見ているので、本当に緊張していた。
空港のターミナルでの場所取りのときに、強引な車が突っ込んできて、かなり危なかったけれど、叫んだのはその1回だけで、なんとか空港に無事に着いた。
帰りの飛行機は空いていて、かなり快適だった。
飛行機のなかで「ワイルド7」という日本のアクション映画を見た。
ワイルド7を2度も出し抜く凄腕スナイパーの正体が、深田恭子だったときには脱力した。JACとかにもっと運動神経のある女優がいるだろう?
ご都合主義満載のジャパニーズ・ハリウッドという感じの映画で、アクションというよりもコメディだった。数100人規模の警官が迎撃態勢を取って囲み、弾丸が雨のように降り注ぐなか、WILD7はバイクで突っ込んでいく。そして無傷。あの迎撃態勢を破れるなら「明日に向かって撃て」のサンダンスとブッチだって助かりそうなものだ。
司馬遼太郎の「坂の上の雲 一」は帰りの飛行機に乗っているうちに読み切ってしまい、帰りの新幹線では、東京駅で買った「坂の上の雲 二」を読み始めた。
「坂の上の雲」にはやたらと語学の天才が出てくる。
読んでいるうちに、俺も英検1級とそれから国際結婚に備えて中国語も勉強しないとなあ、なんて思って、新幹線が長野駅に着いた後、駅前の平安堂に寄って、中国語の問題集と中国語の電子辞書を買ってしまった。感化されやすい性格なので仕方がない。
家の最寄り駅に着いたとき、上司から電話がかかってきた。水曜日に、偉い人の集まる会議に出て、現在の成績不振について説明をしてくれと頼まれた。
「了解です。わかりました。」なんて答えたけれど、北京から帰ってくるんじゃなかった、と思った。
でも、そのすぐあとに、足を洗うお湯の入った大きな桶を一生懸命運んでいたあの女の子のことを思い出して、そして彼女は今だって働いているんだと思ったら、「俺も泣き言ばかり言っていちゃいけないな」と反省をした。