今週は、歓迎会が2度もあった。でも、アルコール類は全く飲まなかった。
女性が多いせいなのか、飲まない人はかなりいて、ビールが大量に残り、ウーロン茶だけが消費されていくという不思議な飲み会になった。


昔、土木にいたときは、飲み会も職場も男ばかりで「ああ。このおっさんたちが女だったら」なんて思ったものだ。でも、こう女ばかりの、ロクに飲まない職場に来ると、今ひとつ盛り上がりに欠け「意外と幸せでもないな」と思う。


飲み会があっても、勉強のペースは崩さなかった。
毎日、やると決めた分(でも大した量じゃない)は、朝5時30分に起きて勉強をした。
平日の僕は、なかなかがんばったと思う。


土曜日も朝5時30分に起きた。
勉強をするかと思ったのだが、結局勉強はしないでネットサーフィンをしたり、麻雀をして過ごした。
そして疲れると眠ってしまった。花粉症のせいなのか、長時間、目を使っていると眠くなるのだ。


午後3時頃に、ようやくシャワーを浴びる気になった。

まだ小雨が降っていたが、帽子をかぶって自転車屋に自転車を運んでいった。
もう自転車に乗らなくなって3年ほどが経っている。
タイヤから空気が抜けて、とても乗れる状態ではない。


長野マラソンに会社から5人ほどが参加するので、ユニフォームを作成した。
渡すとき「当然、応援に来てくれるんでしょうね」などと言われてしまい、最初は曖昧に答えていたけれど、結局、行かざるを得なくなってしまった。


当日はジムに車を駐めて、歩いていけばいいや、なんて思っていたのだけれど、交通規制が相当かかるといろんな人に脅かされたので、自転車で行くことにしていた。


自転車屋に行くと、空気入れを渡され、自分で入れろと言う。
そんなに難しくもなく、簡単に空気を入れることができた。
無料だった。


そして、家に帰ると、またパソコンでネットサーフィンなんかして、土曜日は結局全く勉強をしなかった。
休日の俺は何をやっているんだ。平日の俺に謝れと言ってやりたい。


夜になってアンディ・ラウやジャッキー・チェンの出演している新少林寺を見た。


My Kiasu Life in JAPAN-新少林寺

俳優陣も演技も各シーンの映像も素晴らしいが、脚本や演出はもう少し何とかならなかったのだろうか?


My Kiasu Life in JAPAN-新少林寺1

ワイヤー・アクションが過剰で現実味が欠けるし、真面目そうだった腹心が、裏切ったとたんに髪型や態度まで、まるで不良少年のようにしてしまうのもどうかと思った。


My Kiasu Life in JAPAN-新少林寺2
↑この真面目そうなお兄さんが、↓こんな兄ちゃんに。

My Kiasu Life in JAPAN-新少林寺3

近代の物語なので、マシンガンや大砲も出てくる。
http://www.youtube.com/watch?v=51uF50fhfS8


最近、日露戦争の本(「坂の上の雲」)を読んでいるので、少しは戦術のことがわかってきた。
この「新少林寺」では、攻める側も守る側も戦術がでたらめだ。銃剣付銃vs素手と棒(拳法)だから、本来であれば銃側の圧倒的勝利で戦いにならない(そもそも棒が届かない位置で勝負が決まってしまう。)。
銃を持った兵士を一列に並べておいて、銃を撃ちながら前進させればいいだけのことだ。


しかし、この映画のなかで互角なのは、攻める方も統率が取れず、個々の突撃に任せているからだ。馬に乗っている兵士は必要がない。あんな騎馬兵が歩兵の前に出てきたら、かえって攻めづらいだろう。
守る少林寺の側も、銃剣の列の前に無防備すぎる。銃で攻めてくるのがわかっているなら土嚢などを積み上げて、あるいは塹壕を掘り、要塞を築き、こちらも武器を備えた方がいい。


ただこの映画での演技は本当に素晴らしく、主演のアンディ・ラウはとてもよかった。
我が子を失った悲しみのなかで、麺をすするシーンには圧倒的な迫力があった。
また、雪の降るなか、体を温めるために拳法の練習をしている子供の姿は美しく、自分も昔、雪の中を剣道の寒稽古に行ったことを思い出して、ほほえましく思った。


日曜日は朝から、少し勉強をして、それから自転車に乗って長野マラソンの応援に行った。
僕は長野南運動公園のスタンドに座って、ゴールする選手たちを待っていた。そこで写真を撮るつもりだった。


My Kiasu Life in JAPAN-長野マラソン

(相変わらず何を撮りたかったんだかわからない写真ですまん。)

僕たちの職場で作ったユニフォームはアマガエルのような蛍光黄緑で、こんな色の服を着ている選手はそうはいないだろうと思っていた。
ところが、そんな選手が山のようにいた。
望遠レンズを伸ばして、顔まで判別できた人は写真を撮ったが、いつもファインダーを覗いているのはとても疲れるので、呆然とゴールしてくる選手を眺めている時間も多かった。
それで、結局、5人走ったのに3人しかわからなかった。


日差しが厳しく、ジーパンが熱かった。手はたちまち日焼けした。
上位の選手が入ってくるのを見ながら、「この人たちは、練習したんだよなあ。」と思っていた。


職場で、僕よりもはるかに働いている若い選手は、このマラソンのために、どれだけ仕事で夜、帰るのが遅くなっても、毎朝20キロを走ってから出勤をしたのだという。
本当にその努力に頭が下がる。


「それに比べて俺は」と思う。「わずかな勉強すらしないことがあるなんて。」


ゴールした直後に倒れ込む人、ガッツポーズをしながら入ってくる人、ゴールシーンも様々でいろいろと思うところがあった。
正直、今までマラソンには全く興味がなく、「用もないのに、よくそんなに走る気になるなあ」と不思議な思いで競技に打ち込む人を見ていたが、この競技はいろいろと考えさせられる競技だとスタンドに座っていた3時間ほどの間に思った。


完走したシーンをたくさん見ているうちに、俺も努力して、何かを達成しないとなあ、と漠然と思ったりした。それからまた、今日はただゴールシーンを眺めていただけだったけれど、結構、ゴールシーンを見てるのも面白いものだな、と気づいたのも発見だった。

花粉症の季節だ。
例年、この季節になると、涙をぼろぼろと流し、くしゃみが止まらないものだが、今年は花粉の飛散量が少ないからだろうか。
かなり楽に過ごしている。


昔、上戸彩が歌っているのをテレビで見ていたとき、彼女に鼻毛が一本もないのに驚いたことがあった。
それから、それにチャレンジしてみようと思って、電動の鼻毛カッターで、自分も全て鼻毛を切ってしまった。
花粉症がひどくなったのは、それからだったかもしれない。


「鼻毛だって意味があるんだよ。はみ出ないようにするのは大切だけど、全部切っちゃうなんて、おかしい」と、前の彼女から指摘されて、それからは全部切ることはなかった。
花粉症の症状が軽くすんでいるので「それが正解だったのかもしれないなあ。」なんて思ったりもする。


火曜日に、ジムに行ったときに友達に会った。
「日曜日に、BODY JAM行った?」
「行かなかった。」
「行けばいいじゃん。ジムに払うお金がもったいないよ。どうせ、土日はDVD見ているか本を読んでるだけでしょ。」
そんなことない、って思ったけれど、冷静に考えたらその通り。土日はDVDを見ているか、本を読んでいるだけだ。


4月になって、朝、1時間くらい勉強をしてから家を出るのが、普通になった。もっと前からしてはいたけれど、それまでは毎日というわけではなかった。
勉強をしていて毎朝思うのが、「もっと時間があればなあ」ということ。

出社ぎりぎりまで粘るけれど、8時から始まる会議もあるので、7時過ぎには家を出なければならない。
平日、これだけ頑張っているんだから、週末はたっぷりと時間がある分、随分と勉強をするんだろうなあ、なんて思っていた。


それから、ここのところ強風の日が続いたので、土曜日には車を運転して、実家も見に帰らないといけない、ということも思っていた。


そして週末がやってきた。


朝、いつもなら5時30分には起きるのに、ゆっくりと起きて、結局、勉強はしなかった。



DVDでマット・ディロンの映画「テイカーズ」を見た。


My Kiasu Life in JAPAN-tekers

もともと映画に目覚めたのはマット・ディロンの「アウトサイダー」からだったし、マット・ディロンというだけで、僕は映画の採点が甘くなるのだけど、「テイカーズ」はよかった。


My Kiasu Life in JAPAN-tekers1

スタイリッシュなアクション映画で、俳優の演技もよく、フランスの映画「ヤマカシ」を思わせる。
http://www.youtube.com/watch?v=W7s2JuaDpRQ

(↑これはヤマカシ)


マット・ディロンが警官をしているというだけで、僕はマット・ディロンは悪徳警官なのだと思っていた。そして、警察の内部調査でやはりマット・ディロンは呼び出しを受ける。
このあたりもマット・ディロンのファンにはたまらないところだ。


My Kiasu Life in JAPAN-tekers2

こういう映画の脚本は、チームでないと作れないように思う。
そしてまた、こういう脚本のチームの一員に、僕も選ばれないものかと思う。
http://www.youtube.com/watch?v=SVAfIOqbPbo&feature=related



映画を見た後、パスタを食べて昼寝して、それから司馬遼太郎の「坂の上の雲 四」(文春文庫)を読んだ。日曜日までかかって「坂の上の雲 五」も読み終わった。


My Kiasu Life in JAPAN-坂の上の雲四

My Kiasu Life in JAPAN-坂の上の雲五

上に立つ者が無能なせいで、部下が万単位で死んだ旅順要塞や「二〇三高地」について、僕は初めて真実を知った。それから戦争では技術や戦術がどれだけ大切なのか、兵隊に武器弾薬、食料を届ける兵站の重要性についても学んだ。


この本を本当に、もっと前から僕は読んでおくべきだった。高校時代に読んでいれば、少なくとも歴史が好きになっていたと思う。


本とDVDだけで週末を台無しにしたのなら、まだ許せるが、許せないのは前の彼女に振られてから、手を出してこなかったネット麻雀にまで手を出してしまったことだ。
これは本当に時間の無駄遣いだ。


それでも、久しぶりに牌の音を聞いたとき、そして牌を切るときに、体中に緊張感が走って大げさではなく体が震えた。これが人に中毒症状をもたらすギャンブルの緊張感なのだろうか?
実際にはネット麻雀にギャンブルの要素はないけれど、でもネット麻雀だけで数時間をムダに使ったのは事実だ。


結局、土曜日は、一切勉強しなかった。



その流れはそのまま日曜日にも及び、日曜日も寝るか本を読んでいるかだけで、一日が終わった。一応勉強したが、土曜日のロスを取り戻すのが精一杯で、明日からのための上積みを期待はできなかった。


実家にも帰らなかったし、ジムにも行かなかった。その他、予定していたことの半分も終わらなかった。
自分がここまで怠惰なのかと残念だったけれど「まあ、そんなこともあるよ。後悔しているだけましだ」と、自分を許してやろうと思った。



***おまけ***


フランスにいる女の子のfacebookに載っていた画像。

「のび太のくせに、かっこいいじゃねーか」って思った。



My Kiasu Life in JAPAN-iloveyou


引き継ぎのシーズンだ。
システムエンジニアから引き継いだ仕事があり、ファイルのある場所も確認していた。
「そういえば、マクロを展開してくださいって言っていたよな。」
大きなエクセルの表の前で、どうしたらマクロを走らせることができるのかわからず、途方に暮れる。


目の前に座っている部下の女性はそれほどエクセルが得意そうにも思えない。でも、人は見かけによらないってこともあるだろうからと、声をかけてみた。
「あのさあ、マクロの走らせ方って知ってる?」
「マグロですか?走らせるんですか?」
「マグロじゃないよ。マグロなら「泳がせ方」だろう。ひょっとして、わざと聞き間違えてる?」
本気で聞き間違えていたらしく、そして「マクロ」自体を知らないと言うことだった。


ネットで調べて、なんとか動かすことができた。
システムエンジニアは忙しいらしく、最後まで引継書を作っていかなかった。先が思いやられる。


日曜日も朝の8時30分から、夜までずっと仕事をしていた。でも、ようやく、先が見えてきた。明日も朝から頑張りたい。


6か月ほど一緒に仕事をしていた女の子が、3月いっぱいで仕事を辞めることになった。結婚するのだという。
「5月に結婚式をするんです。そのとき、出席していただきたいのですが。」
仕事では毎日顔を合わせてはいたけれど、特に親しかったわけでもないし、結婚式に呼ばれるなんて正直、どう答えたらいいかわからなかった。
「うーん。」とうなっていたら「それで、もしよかったら、挨拶もしていただきたいのですが。」なんて言われた。
どうして、俺なのかさっぱりわからない。そしてその子のことを僕はほとんど知らない。
「ダメですか?」
「べつにダメじゃないけど、本当に俺でいいの?」
大切な日の挨拶を、俺なんかがしていいのか不安に思ったが、昔からなんとなくそういうときに挨拶をさせられてきたような気がする。やるとなったら、そのときの俺がなんとかするだろう。「まあ、いいのか」と思った。


以前の職場の同僚からメールが来た。「今の仕事を3月いっぱいで辞める」のだという。
安定した職場で、またその組織の将来を託されたエリートだったからその決断には驚いたけれど、彼が以前メールで書いていたように「人生の限られた時間を他人に切り売りする」ような生活が嫌になったのかもしれなかった。
その気持ちはすごくよくわかったけれど、独立する能力が足りず、またそれを獲得する努力も足りない今の僕には、できない話しでもあった。


結局の所、使い勝手のいい優秀な人員は職場を去り、能力のない者だけが残るということになる。残らざるを得ない自分には、うらやましい話しだった。


以前、彼が中心になって本を作成する際に手伝ったことがあった。
その頃はかなり仕事が忙しく、正月休みの間に頼まれた統計作業をしていた記憶がある。そして本ができあがってきたとき、とても嬉しかったのを覚えている。


その彼に電話をすると「いずれにしても本を書いておくというのは、いい選択ですよ。」と言う。確かにその通りだと思うし、専門的な本であれば、本を出すというのもそんなに無理な話でもなくなったんだなあ、という気がした。


同じく昔の職場の同僚で、福島県のTどんは結婚をした。
福島県にまたひとつ明るい話題ができたことで、いいことだと思う。
ただちゃんと結婚生活ができているのか、他人事ながら不安だ。
夜になったら何をするべきなのか、ちゃんとわかっているのだろうか?
毎晩「もう3年だけやろうよ」と桃太郎電鉄をベッドルームに持ち込んでいるような気がする。


Tどんの結婚式はまだだというから、こちらには何としても行きたい。そして新郎が注がれたビールをこっそり捨てる、足下のバケツを隠したりしたい。
口では「職場の飲み会みたいにされるのは嫌だ」と言っているけれど、きっとそうして欲しいのだと思う。がんばりたい。


ブラッド・ピットの映画「マネー・ボール」を見た。



My Kiasu Life in JAPAN-moneyball
野球場は小さな頃から連れて行ってもらっていたし、大人になってからも何度も行ったけれど、僕にとってはどこか特別なところで、あまり「職場」というイメージのあるところではない。


未だに、東京ドームの大きさを感覚として把握していないので、マスコミが「東京ドーム5杯分のビール」なんて言っているのを聞いても、どのくらいの量なのかよくわからない。そして東京ドームを単位に使う意味も、僕にはよくわからない。


「マネー・ボール」はそんな僕にとっては未知の、野球場で働く男たちの物語だ。
そしてここで描かれているのは「メジャー・リーグ」。
メジャー・リーグにデータとコンピュータを持ち込んで、そして勝とうとした弱小球団の物語だ。


My Kiasu Life in JAPAN-moneyball2

「アウトになるから、バントと盗塁は禁止。」
これを「メジャー・リーグ」でやったことがすごい。


実は、以前から僕は高校野球については、こういう作戦が使えるのではないかと思っていた。
徹底的に偵察をして、遅い球の打てない強打者には、ストライクはチェンジアップ以外は投げない、カーブの打てない打者には、カーブ以外の球をストライクゾーンに投げ込まず、真の強打者にはそもそもストライクゾーンにボールを投げない。
ノーコンのピッチャーの場合には、追い込まれるまでは一切スイングせずに、フォアボールだけで満塁にし、置きに来た球を力一杯打つ。


データ野球には、思い切りが必要で、その決断ができない奴はデータ野球なんかする意味がないと、常々思っていた。この映画は、そんな僕の思いを受け止めてくれるような映画だった。
ブラピの演技も素晴らしく、見終わってから、久しぶりにいい映画を見たなあ、という気がした。


司馬遼太郎の「坂の上の雲 三」(文春文庫)も読み終わった。


My Kiasu Life in JAPAN-坂の上の雲三

日露戦争が始まり、海でもそして陸でも戦闘が始まる。
この小説を読み始めてから、明治時代の政府高官が当たり前のように英語やフランス語、ロシア語などを使って話すのに驚きを感じている。
勉強の機会も設備も整っていたはずがないのに、意志の力というのはすごいなと思う。


そしてまた、この小説のなかで、そういう高い知識と根性を持った軍人が亡くなるたびに、深い喪失感も感じる。
いずれにしてもいい小説で、これが実話であること、それからまだたっぷりと続きがあることが嬉しい。

最近、英語の教材として、昔のCBSイブニングニュースを聞いている。


オバマが大統領に就任したときの熱狂も、とりわけ多くの応援者が涙を流して「彼こそがリーダー」「アメリカ人であることを誇りに思う」などと言っているのを今聞くと、「まだ就任したばかりで何もしていないのに」と不思議な気分にさせられる。


ハイブリッド・カーの「カルマ」の存在についてもその教材で知った。
かなりスタイルがよく、ディカプリオがあっさりプリウスから乗り換えた理由もわかりそうだ。
http://www.youtube.com/watch?feature=player_embedded&v=VJlhcBotQ7w


日本で買うとしたらいくらかかるのかちょっとネットで見てみたら、878万円とのことだが、タイヤやホイール、充電コネクタがオプションなのだという。
タイヤやホイールがオプションってどういうことなのだと思うが(タイヤがない状態で納車されるのだろうか?)、僕には一生縁のない車なので、一生わからないままだと思う。


金曜日に送別会があった。
偉い人が軒並み転勤になるので、僕もそれなりに挨拶などをしなければならない。


幹事が慣れていないせいもあってバタバタした送別会にはなったが、無事に終えることができた。
「厳粛な会が、なんだかズブズブになってしまって、転勤される方に申し訳ない。」
幹事役になった男はいつも自己評価が低いのだが、今回は何人かの人に土下座までしていたので「おまえなあ。そこまでひどくはなかったよ。いいんだよ。十分だよ。」と言っておいた。
代行を頼んで9時30分頃には帰った。


早く帰っては来たけれど、落ち込んだ幹事のことや、偉そうに励ましていた自分のことを考え直すとどうも気分がよくなく、家でもうどんを作って食べて、満腹したところで無理矢理寝てしまった。


週末の土曜日は、墓参りを兼ねて実家に帰ったが、1時間程度しかいなかった。
お墓には、花がたくさん飾ってあった。
お彼岸だったから、いろんな人がお参りをしてくれたのだと思った。
実家のあたりではもう梅の花が咲いていた。
高速道路を運転している間は、まだ雪が舞っていたりもしたけれど、春が来たんだなあ、と思った。


その日のうちにまた長野に帰ってきた。
高速道路を運転をしながら、両肩がズーンと重い感じがしていたので、長野の権堂に行った。
少し歩き回ると、台湾式マッサージの看板が見つかる。


地下のドアを開けると、鈴木Q太郎のような雰囲気の長い髪のおばさんが出迎えてくれる。
店は薄暗く、中国語の演歌のような曲が流れている。安っぽいカーテンレールで仕切ったベッドに案内される。


部分マッサージは30分で3千円だというので、肩だけマッサージしてくれるように頼んだ。
どういうわけか、パンツ1枚になれと言うのでそうする。


うつぶせに寝て、最初は肩だけのマッサージだったけれど、全身をマッサージしてもらう。
マッサージはツボを突いていて気分がよかったが、前の人からタオルを代えていないようで、うつぶせに寝ていると、前の人の頭皮の匂いがしてきて、たまらなく不快だった。


50分くらい時間が経った頃、おばさんが「インチョン?」という。韓国の仁川のことかと思って、「仁川?」と聞き直す。
「延長」の意味だとしばらく経ってからわかった。
断って、でもかなり時間的にも内容的にもサービスしてくれたのだと思ったからお礼を言った。


「お兄さん、また来る。」帰るときそう言われた。「また来てね。」の意味だとわかったので「またね。」と言って外に出た。
肩は確かに、少し軽くなったような気がした。それから、僕は姿勢が悪いから肩がこるのだと思い当たって、なるべく姿勢を正そうと思った。


マッサージ店からの帰りに、車のなかでラジオを聴いていたら、「女性は悲しいことがあると、それを男の人に聞いて欲しいと思う。ところが、男性はすぐに解決方法を考えて助言をする。女性は、おしゃべり、という目的と、解決方法という2つの目的を持って話しをしているのに、男性は解決方法ばかりに目を向ける。そこが問題だ。」という話しをしていた。


前の彼女が「仕事で失敗した」と泣いていたときに、僕はこの話しのとおりに、解決方法ばかり提示していたような気がする。ラジオがまるで、俺のことを非難しているような気がして、聞いてられなくてスイッチを切った。家の前の駐車場に車を止めた後、しばらくは「まったくなあ。でも、今更どうしようもないんだよ。」なんてことを考えたりしていた。


日曜日は、ジムに行こうと思っていたけれど、そんなに体を動かすほど気力が湧かなかった。クリーニング店にシャツを出しに行った以外では、ほぼ一日、家にいた。ずっと本を読んでいた。これでまた、確実にデブになるだろうとは思った。


吉永賢一の「東大家庭教師が教える頭がよくなる勉強法」(中京出版)を読み終わった。


My Kiasu Life in JAPAN-東大勉強法

この人の助言の通りに、毎日15分間の書き写しをしている。
書き写しはバカバカしいようにも思うけれど、本当に変化が現れている。


最初は15分も文章を書いているとクタクタになったが、今ではまだまだ大丈夫と思えるようになってきた。
何よりも、今までは家に帰ってきてから寝るまでの時間の使い方が下手だったが、この習慣づけをしてからは、少なくとも前には進んでいるような気がする。ドラマを眺めているよりは自主的に時間を管理できているように思う。


1991年に東京大学医学部に入学して、2005年に医師になることを断念、などという作者の経歴を読むと、14年間も何をしていたんだろうと不思議な気分にはなるが、書いてある内容はなるほどと思うことが多い。


司馬遼太郎の「坂の上の雲 二」(文春文庫)も読み終わった。


My Kiasu Life in JAPAN-坂の上の雲一

歴史を学ぶ醍醐味のようなものがわかってきた。こういう小説をもっと前から読んでいたら、きっと歴史が好きになったのだと思う。また、語学についても習得の意味がわかる。こういう本を今まで読まなかった自分がとても残念だ。


佐藤孝幸の「ただいま授業中 会社法がよくわかる講座」(かんき出版)も読み終わった。


My Kiasu Life in JAPAN-会社法がよくわかる講座

条文が出てこない会社法の入門書で、会社法を浅く広く解説している。
僕はこの本で、会社の自由な機関設計がここまで可能なのだということを学んだ。
面白い本ではないし、工夫も足りないと思うけれど、入門書としての機能は十分にあるように思った。


なんて書いた後に、ふと気になって調べてみたら、3年前にもこの本を読んでいる。
どうりで、前にも読んだ気がしていたわけだよ。
「いったいどんな読み方するとこんなにきれいに忘れてしまうんだよ。」と自分自身に対して情けなく思った。

北京に行くことにして、自分の取ったチケットを見ていた。
行きのターミナル番号は1で、帰りは2だった。
昔、成田空港で夏に汗だくになって働いていたことがあった。

成田空港の第1ターミナルも第2ターミナルも詳しい方だと思う。


チケットを見ながら「行きと帰りでターミナルが違うなんてことがあるんだ。」なんて思ったけれど、よく考えてみたらターミナルは航空会社で決まっているはずだった。
JALの貯まったマイレージで旅行するのに、往復で違うターミナルなんてあり得ない。


それでよく見たら、行きは羽田空港発だった。
「行きは羽田空港からだったのか。」
それで、行きは東京までの切符(都区内は同じ料金)と帰りは成田空港からの電車の切符を旅行会社で買った。
旅行会社では「モノレールの切符は自分で買ってください。」と言われた。
ちょっと急いでいたし、そんなものかと思って深くは追求はしなかった。


家に帰ってから、ちょっと気になって調べてみたら、羽田の第1ターミナルは、JALの国内線の発着ターミナルだった。ANAが第2ターミナルになる。
「確か羽田は国際線ターミナルもできたはずなのに、やっぱりJALだけは国際線も第1ターミナルから出るんだ。」なんて思ったけれど、そんなことあるのかなと思い直して、もう一度チケットをよく見てみた。
ターミナルの番号は「1」ではなく「I」だった。
下の方に小さく、ターミナル番号の「I」はINTERNATIONAL(国際線)の略だから、数字の「1」と読み違えないように注意しろと書いてあった。
完全に読み違えていた。


モノレールは羽田国際空港には直行しないようだったので、国際線ターミナルに直行する京急本線に品川駅から乗ることにした。


出発前からいろんな罠にはまりそうで、少し不安だった。


羽田発の時刻は9時40分だったので、遅れないように朝6時長野発の新幹線に乗った。
途中ずっと、ジュンパ・ラヒリの「停電の夜に」(新潮文庫)を読んでいた。胸を突かれる深い話が多い。


My Kiasu Life in JAPAN-停電の夜に

羽田国際空港で搭乗手続きを済ませた。ほとんど自動機で搭乗手続きは終わらせることができる。荷物だけは預け、そこから出国手続きを経て、出発ゲートまで歩いていった。


ゲートの前に座っていて、もうそろそろ搭乗するのかな?と思っていたら、「北京空港が濃い霧に覆われているため、出発することができません」というアナウンスが流れた。


結局、午後1時過ぎまで出発できなかった。途中で食事券が配られたけど、利用できるという食堂に行ったら、あまりに長い列でその気が失せた。僕は行列に並ぶのが、基本的には大嫌いだ。
それでずっと本を読んでいたら、「停電の夜に」を読み終えてしまった。


ジュンパ・ラヒリの「停電の夜に」は名著だと前々から知ってはいたが、今まではなかなか読む気が起きなかった。今回、本屋に行ったら文庫になって売っていたので買うことにしたのだ。


作者はロンドン生まれのベンガル(インド)人の女性で、アメリカ育ち。
小説そのものは「結婚」をテーマにしたものが多く、夫婦間の日々の小さな失望や嘘を描いている。どれも確かに素晴らしい小説だと思ったけれど、僕は「本物の門番」という老婆を主人公にした話にすごく胸を打たれた。深い悲しみと失望を描ききっている。


いつも「昔は大邸宅に住んでいた」と嘘だか本当だかわからない話をする老婆が、ぼろアパートの入り口に布を敷いて寝ている。布の端に、彼女の全財産が結びつけてある。
彼女は、門番としてアパートの皆に認知されている。不審な人を追い出していたから。
それからみんなのために階段も掃除をしていた。
ある時から、アパートに次々と工事が入り、誰が出入りするのか正当なのかわからない時期があった。その間、彼女は屋上で暮らしていた。それから、わずかな財産で、町に出かけ、ちょっとしたお菓子を買うことも始めていた。
ところが、その間に、アパートに泥棒が入った。それは、彼女が布に結んでいた全財産を町で盗まれた日のことだった。彼女は皆から非難される。「本当に私は手引きしていない。知らない。」という彼女をアパートの住人は責める。「今までも散々、昔はいい暮らしをしていたなんて嘘をついていたじゃないか」。

そして、アパートの住人は本物の門番を雇うことにして、彼女は追い出される。


あらすじが下手すぎて、感動も何もないとは思うが、原作は素晴らしい。悲しくて、つらい。人生における強烈な哀しみというものを真っ当に描いていると思う。


読む本がなくなってしまったので、空港内の本屋で本を選んでいた。あまり読みたいと思う本がなく、しばらく迷っていた。
そのあと、とうとうこのジャンルに手を伸ばすようになったかと思いながら司馬遼太郎の「坂の上の雲 一」(文春文庫)を手にした。


My Kiasu Life in JAPAN-坂の上の雲二

それからずっとその本を読んでいた。
1時過ぎに出発した飛行機の中でも読んでいたから、北京に着く頃にはほとんど読み終わっていた。

思っていたよりもずっと面白く、読む価値があった。「出世するのは、どこかかわいげがある男だ」なんて文章を読んで「出世なんか興味がないけど、人からフレンドリーだと言われる人間にはなりたいな」と思った。


こういう本を僕は若い頃にもっと読むべきだった。高校時代は村上春樹と椎名誠に夢中になっていたけれど、歴史小説も読むべきだった。


北京は霧に覆われていた。空港の外は寒く、3℃程度だった。
タクシーに乗るのに30分ほどかかった。タクシーの列に並んでいるときに、目の前の外国人の老夫婦に白タクの勧誘があって、そのときの料金は北京駅近くのホテルまで7500円くらいだった。その夫婦は断ったので、その人は別のカモを探しに行った。


自分の番が来てタクシーに乗るとき、後部座席に乗ったら運転手が意外そうな顔をした。
どうやら、タクシーは客が助手席に乗るのが主流らしい。
後ろの席に座って、シートベルトを伸ばすが、受ける口がない。しばらく探していたが、見つからなかったので諦めた。
途中で交通事故を2件見た。僕の乗ったタクシーもかなり運転は強引だったが、おとなしい運転なんかできる環境ではないことが市内に行くにつれてわかってきた。とにかく車が多く、それぞれにみんな乱暴だ。携帯電話で話しながら運転するのも当たり前のようだった。
50分ほどかかって市内のホテルに着いた。料金は1500円くらいだった。


今回は完全に1人だけの旅行なので、ホテルは適当に決めた。
「ノボテル新僑」というホテルだった。あまりフロントは愛想がなかった。でも僕は気にしない。


カードキーを受け取って、差し込むとオレンジ色のライトが点滅を繰り返すだけで鍵が開かない。
再びフロントに戻って文句を言う。
チェックをしてもらったら、ちゃんと使えるという。
再び部屋まで行ったら、ホテルの従業員が部屋の入り口で待っていて、僕のカードキーを差し込む。緑色のランプが光って、鍵が開いた。
あとから考えたら、それはただ、僕がカードキーの裏表を間違えただけのことだったのかもしれなかった。


コンセントについて心配して、いろんな形に対応できるプラグを持っていったが、何でも使えるようなコンセントで、日本の形でも十分、大丈夫だった。


My Kiasu Life in JAPAN-outlet
(これだけあれば、何とかなりそうだ)


それからLANケーブルも持っていったが、WiFiが使えたので、普通にインターネットを利用できた。


今回の旅行で一番の懸案事項は、僕が中国語を全くしゃべれないことと、1人だけということだ。なかなか料理を1人だけで食べに行くのは大変だ。海外で、お一人様は避けたいところだ。


それでも夜は食事に出かけて、ずいぶんとおしゃれそうなお店に行った。こういう店なら、プライドもあるだろうし、向こうが何とかしてくれるだろうと思った。そして、こういう店に物怖じしなくなった自分が微笑ましかった。


その店はメニューが紙ではなく、i-padだった。
英語を話せる若い女の子が来てくれて、いろいろと説明をしてくれた。牛肉のいっぱい入った麺と小龍包を注文して食べた。
ビールを頼んだら冷えていないハイネケンだった。イギリスに行った頃から、僕はぬるいビールが平気になっている。


外を眺めて、けばけばしいネオンサインを眺めながら、とうとう北京に来たんだなあ、と思った。それからこれは傷心旅行って位置づけだったんだっけ?なんて思った。
それにしても、と思う。「俺はどうして今、こうして北京でハイネケンなんか飲んでいるんだろうなあ?」
自分のことながら、やることが突飛すぎて理解に苦しむところだった。


翌朝は、8時頃に起きた。窓から外を見ると夜のうちに雪が降ったようで、白くなっていた。


My Kiasu Life in JAPAN-ホテルの窓から

9時頃には日が差してきた。
外に出て、とりあえず天安門くらいは見に行こうと思った。


地下鉄の切符の買い方は簡単だった。基本的にどこでも30円程度で行ける。
天安門東という駅で降りて、それから天安門と故宮博物館に向かった。


My Kiasu Life in JAPAN-天安門

すごい人で、それからどこまで行っても門があった。

故宮博物館にも入ってからも、どこまでも門があり、またどこもすごい数の人だった。

そして本当に、中国の人は女性でも男性でも平気でありとあらゆる場所でつばや痰を吐く。


My Kiasu Life in JAPAN-故宮博物館

(こんな門がいくつもあって、途中からいくつ超えたかも記憶が定かでなくなった)

パンダの顔の帽子をかぶった人や、迷彩服を着込んだ人、驚いたのはドクタースランプのアラレちゃんの帽子をかぶった人までいたことで、何でもありなんだな、と思った。


故宮博物館は段差が多く、健康な人でなければ美術品までたどり着くのも一苦労だと思う。
普通にガイドを聞きながら見ると3時間以上もかかるというが、トイレはあまり見あたらない。


途中で、軍隊なのか警察なのか、制服を着た一団がかけ声をかけて行進をしているのを見た。
なかなか勇ましく、それから、「坂の上の雲」を高校時代に読んでいたら、僕は自衛隊に行くって選択肢もあったよな、と思った。


My Kiasu Life in JAPAN-parade
(なかなか迫力があった。でも最後尾の上官は携帯電話をいじっていた。)


最後の門をくぐったときはかなり疲れていた。目の前の山の上には景山公園もあったが、とても登る気にはならなかった。堀の脇を歩きながら「中国はでかいなあ」と思っていた。


そこから、また王府井という駅まで歩くことにした。


My Kiasu Life in JAPAN-street
(この道も長かった。)


途中で「英語のメニューあります。伝統料理をリーズナブルな値段で。」と英文で書かれたレストランを見つけたので、入ってみた。


僕は顔立ちが中国人らしい。誰も日本人だと思わないようだ。
そして僕が中国語を全くしゃべれないのを見て、皆、怪しげな顔をする。
そういえば、駅などでいかにも田舎から来たという感じのおばさん達にも、何度も道をたずねられたが、僕が英語で謝ると「本当かい?」と怪しげな笑いを残して別の人に聞きに行くのだった。


そのレストランでも、英語しか話せないことにとりあえず驚かれたあと、北京ダックとカリフラワーの炒め物、それからウーロン茶を注文した。
北京ダックはハーフにしてもらったが、それでもかなりの量があった。付け合わせはネギとキュウリで、キュウリというの意外だったが、おいしかった。
カリフラワーの炒め物は、かなりスパイシーだったが、いっしょに入っていたタマネギの炒め具合といい、絶品だった。それからご飯。それだけ食べても、値段は2000円程度だった。


そこから、「ノボテルピース」まで歩いた。ノボテルピースの前にお茶屋さんがあり、そこで僕は土産用のお茶を買った。すごく親切な人達で、お茶もいっぱい飲ませてもらった。


帰り際に「この辺にマッサージ店がないか」を聞いたら、そこまで案内してくれるといい、実際に案内してくれた。すごくおしゃれなマッサージ店だった。


僕についたのは22歳の女の子だった。
マッサージがすごく上手だった。僕の身体をマッサージしながら「肌はすごくいい。肩は悪い」と言うのだった。
肩から毒を出すといいのだという。追加料金を出してカッピングという処方をしてもらう。
写真を撮ってもらって、見せてもらった。すごくグロかった。緑色のものが毒素なのだといい、肩からは確かにいっぱい出ているように見えた(その写真もあるけれど、あまりにグロいのでやめておく)。


そのあと、フットマッサージもしてもらった。ずっと英語で話していた。
「どこで英語を覚えたの?学校?」
彼女は北京の北にある農村で育ったのだと言った。とても貧しく、姉弟が4人いた。
中学校までで勉強はあきらめなくてはならなくて、それから北京でマッサージの仕事に雇ってもらった。農村出身の子はよく働くので、雇ってもらえるのだという。
「英語は、仕事のなかで覚えた」のだそうだ。


勤務は朝10時から夜10時までと午後2時から夜2時までが半分ずつ。朝10時スタートのときは、終わるのが実際には夜12時になるのだという。
毎日12時間働いて、休みは月に1日だけ。家に帰るとクタクタに疲れてしまうから、彼氏は作れないのだと寂しそうに笑っていた。
給与は、ほとんどが直接、実家に送られてしまうそうだ。その実家にも帰れるのは1年に1度だけだという。


僕の手をマッサージするときに、「きれいな手」と言って微笑む。彼女の手は、マッサージでタコができていた。あまり寝てないから、顔も老けちゃうの、と言っていたが、顔はとてもかわいかった。


マッサージのあと、僕の足を拭いて靴下をはかせてくれた。僕は靴下をはかせてもらうなんてことは小学校以来だったので、すごく恥ずかしかった。
「あなたはとてもフレンドリーだし、中国の女の人と結婚すればいい。顔も中国人っぽいし。中国の女の人は料理もしてくれるし、マッサージもしてくれる。」
思わず、「君でいいから俺と結婚してくれ」と抱きしめて結婚してしまおうかと思った。


「名前は?」僕が聞くと、「名前はないの。私は番号しかないの。今度、来ることがあったら、電話して私の番号を言って、それから来て。」と言った。でも、最後に渡してくれた店の案内の隅の方にそっと名前を書いて渡してくれた。もちろん、僕は発音できなかった。


その後、お土産を買いにスーパーに行った。北京ダックを売っていたので、買うことにした。
「何日もつの?」英語で聞いたらわからないようだったので「何日?」とメモに書いた。それでもわからないようだったので、「何天?」と書いた。
「今日は18日」と言う意味のことをいうので、そうじゃなくて、何日もつのだと、身振り手振りで話して、ようやく90日という回答をもらった。


「北京行ったら、北京ダックを買ってきてください。」と冗談で言った職場の女の子に渡してあげるつもりだった。僕もまさか本当に売っているとは思わなかった。


ホテルに戻って、少し休んでから再び夕食を食べにホテルの外に出た。
中国語がわからなくてもしばらく看板をにらんでいるとどんな店なのか、わかってくる。


My Kiasu Life in JAPAN-macdonald
(これがわからない人はいないと思うけれど。当て字がうまいように思う。)


トミーフィルフィガーそっくりの店を見つけ、なかに入ったらタグもそっくりだったので笑った。


My Kiasu Life in JAPAN-tommy
(でも刺繍は微妙にヨレていて、偽物とすぐにわかっちゃうレベルだった。)


ラコステのワニに似せた、どう見てもトカゲにしか見えないクロコダイルというロゴの服も売っていた。でも、昔の上海のように、mode in Franceと書いたヴィトンそっくりの財布などは売ってなくて寂しい気持ちがした。


昨日行ったきれいな店に行って、キノコの麺と小龍包を食べた。またハイネケンを2本飲んだ。


俺は苦労してきた人が好きなんだと思う。そして、改めて思ったんだけど「毎朝、あなたの靴下をはかせてあげる」なんて言われたら、たぶん俺は絶対に結婚するだろうな、と思った。意外なピンポイントがあって、自分でも驚いた。


テレビで以前誰かが言っていた。幸せになるには、期待しすぎないこと、数字にこだわらないこと、直感を信じることが大切だと。


「俺はやっぱりああいう子が好きなんだな。彼女に限らず、もう国際結婚を真剣に考えた方がいいかもな。どうせ日本では女の人に相手にされないことだし。」なんてビールを飲みながら思った。あとは直感で決めてしまおうと。


どうして北京に来ているんだろうなあ、なんて昨日は思っていたけれど「もう明日は帰るのか」と寂しく感じていた。こんなに早く自分が変わるのかと、少し不思議だった。


翌朝は5時に起きて、パッキングをした。北京空港発8時25分だった。
チェックアウトを6時過ぎにしてタクシーに乗った。今度はちゃんと助手席だった。


シートベルトを伸ばして、そして受け口を探した。どうしても見つからない。それでやっぱり諦めた。時速100キロで運転するタクシーの助手席に、シートベルトなしで乗るのはかなり緊張した。オンボロのフォルクスワーゲンで、今にも壊れそうな音が聞こえる。
事故で急停車したら、慣性の法則で、フロントガラスをぶち破って外に飛び出すことになるんだろうな、と思った。空港から市内に来る間に事故も見ているので、本当に緊張していた。
空港のターミナルでの場所取りのときに、強引な車が突っ込んできて、かなり危なかったけれど、叫んだのはその1回だけで、なんとか空港に無事に着いた。


帰りの飛行機は空いていて、かなり快適だった。
飛行機のなかで「ワイルド7」という日本のアクション映画を見た。


My Kiasu Life in JAPAN-wild7

ワイルド7を2度も出し抜く凄腕スナイパーの正体が、深田恭子だったときには脱力した。JACとかにもっと運動神経のある女優がいるだろう?


ご都合主義満載のジャパニーズ・ハリウッドという感じの映画で、アクションというよりもコメディだった。数100人規模の警官が迎撃態勢を取って囲み、弾丸が雨のように降り注ぐなか、WILD7はバイクで突っ込んでいく。そして無傷。あの迎撃態勢を破れるなら「明日に向かって撃て」のサンダンスとブッチだって助かりそうなものだ。


司馬遼太郎の「坂の上の雲 一」は帰りの飛行機に乗っているうちに読み切ってしまい、帰りの新幹線では、東京駅で買った「坂の上の雲 二」を読み始めた。


My Kiasu Life in JAPAN-坂の上の雲一

「坂の上の雲」にはやたらと語学の天才が出てくる。


読んでいるうちに、俺も英検1級とそれから国際結婚に備えて中国語も勉強しないとなあ、なんて思って、新幹線が長野駅に着いた後、駅前の平安堂に寄って、中国語の問題集と中国語の電子辞書を買ってしまった。感化されやすい性格なので仕方がない。


家の最寄り駅に着いたとき、上司から電話がかかってきた。水曜日に、偉い人の集まる会議に出て、現在の成績不振について説明をしてくれと頼まれた。
「了解です。わかりました。」なんて答えたけれど、北京から帰ってくるんじゃなかった、と思った。
でも、そのすぐあとに、足を洗うお湯の入った大きな桶を一生懸命運んでいたあの女の子のことを思い出して、そして彼女は今だって働いているんだと思ったら、「俺も泣き言ばかり言っていちゃいけないな」と反省をした。

職場に、今年娘が高校入試を迎えた、という人がいた。
今ではネットでその問題や解答を見ることができるので、難しかったという数学の図形問題を解いてみた。
解くのに30分もかかってしまい、実際の試験では解いていたらアウトだな、と思った。
でもなかなかいい問題で、「中学数学は燃えるなあ」と思った。


理科の問題ではN(ニュートン)という単位も使われていた。
「ニュートンって中学で習うんだ。」
考えてみたら、僕たちも昔は「100g重」なんてへんてこな単位を書いていたけれど、それをニュートンに置き換えたのだと思えば納得がいく。
「ニュートンって何でしたっけ?」そのお母さんが聞いてくる。「1トンより、ものすごいトンってことですか?」なんて言うので笑ってしまう。
「そうじゃあないよ。重力を考えた重さの単位のことだよ。」
地球上では体重計に乗って60kgの人が、宇宙空間では体重計だと重さがなくなってしまうのを説明するために、質量と区別して使う単位だ。


来年度も転勤がないという連絡が来た。
今の職場の仕事も、3年前はとても忙しかったが、昨年はそれほど忙しくもなく、仕事の面では残ることはそれほど苦痛ではなかった。


ただ正直なところ、長野から別の場所に行きたいという気持ちはあった。


昔、フィリピン航空に乗っているときに、1人の女性がいかにアメリカが素晴らしいかをみんなに聞こえるように話していた。その女性の主張の核になる部分はどうやら「母国では相手にされなかったけれど、アメリカでは結婚ができた」ということらしかった。
その土地について思うとき、そこがいい場所かそうでない場所かは、誰と出会うかが大きいのだなと彼女の話を聞きながら思った。


「長野はあんまりいい思い出もないしな。」


来週、月曜日に休むと4連休になるので、休んで北京に行くことにした。
別に北京に行きたかったわけじゃないけれど、貯まったマイルで行けるのが(申し込みが遅かったので)北京ぐらいしかなかったからだ。
確かに、北京は今、最低気温マイナス3度。これからは黄砂のシーズンが始まるというのに、北京に観光に行くという日本人というのは少ないのだろう。


一緒に行く友達も、向こうで会う友達もいない完全な一人旅だ。
いいことがあればいいなあ、とは思う。


週末はダラダラと過ごしていたが、土曜日は友達を篠ノ井駅に送った。
名古屋ウィメンズマラソンに出るのだという。
好きだったラーメンも我慢して、お酒も飲まずに、トレーニングをしてきたのだそうだ。
前よりも細く、たぶん筋肉質になった体型がうらやましかった。


最近、またブクブクと太りはじめている。

土曜日に時間に遅れそうになって、長野駅前で走らなければならなくなって、300メートルほど走ったら死ぬかと思った。最後は、「それで走っているつもりかよ」と自分自身にも突っ込みたいほどの情けない走りだった。ジムにも行くようにして気をつけたい。


日曜日には、BODY JAMというスタジオに初めて出てみた。ついていくことさえできなかった。でもインストラクターの方からは「ぜひ、次回も出てくださいね。名前も覚えましたから、必ず。」なんて言われた。

「俺なんかが出て大丈夫なのかなあ。」なんて思いながら曖昧に頷いた。


LOSTのファイナル・シーズンを見終わった。


My Kiasu Life in JAPAN-lost6

時間と空間の大技を使ってしまうと話が散らばってしまうから、これを収束するには方法は一つだけだと予想はしていたが、そしてその通りの結末だったが、見終わって「しん」とした気分になった。


いろんな背景を持った人たちが、もがきながら歩んだ人生がそこにあった。もっと協力し合えれば、もっとよい人生を送れたような気もする。日本人同士だったら、きっと話は違ってきただろうとは思うけれど、その分、間違いなくつまらない話になっただろうとも思う。


My Kiasu Life in JAPAN-lost6
(6には真田広之も出てたんだよなあ。よかったよ。)


ここのところ、ほぼ毎日このLOSTを見ていたので、僕の生活のなかに仕事とは全く別の世界があって、その点では救われた部分も大きかったように思う。現実から逃げ出して、厳しく不思議なLOSTの世界に逃げ込めたという気持ちも大きい。


このドラマを見て、一番の収穫は、能力が高い者は敵であっても重要な役割をこなせるから、感情で判断してはいけないということを学んだことだ。詐欺で生計を立てていたソーヤーは、当初は困った人だと思っていたが、最後には一番好きなキャラクターになった。


My Kiasu Life in JAPAN-sawyer

それから嘘を突き通す強い精神力と演技力も、困難から脱出するには必要な事が改めてよくわかった。どちらも欠けている自分には相変わらず課題になっていると認識を新たにした。


キューブリックの映画「バリー・リンドン」も見た。
何しろ3時間を超える長作で、見終わるとどっと疲れた。



My Kiasu Life in JAPAN-barry lyndon
18世紀を見事に再現しているというその映像は、軍服の美しいデザインといい、確かに素晴らしかったが、話しそのものは感動もしなかった。


My Kiasu Life in JAPAN-barry lyndon1

1人のアイルランドの平民である若者が、諸事情から村を飛び出さざるを得なくなる。そして、親からもらった貴重な財産を追いはぎに奪われて無一文になる。その後、軍人になり、ヨーロッパへ渡り、なんとか貴族になって、最終的には貴族の一家から追い出されるまでの人生を描いている。


My Kiasu Life in JAPAN-barry lyndon2

「いろいろあったけど、最後はみんな同じ(死んでしまった)。」映画の最後に、そんな文章が映し出される。
そんな皮肉っぽい視点で、この映画はできている。


18世紀のヨーロッパを見たいと思っている人には、きっと素晴らしいのだと思うけれど、別に見たいわけではないと思っている僕のような人間には、あんまり勧めるような映画ではなかった。


吉永賢一という人の「東大家庭教師の結果が出るノート術」(あさ出版)を読んだ。
あっさり読める量の本で、1回風呂に入っている間に読んでしまった。


My Kiasu Life in JAPAN-note skill

実は、僕は今までの人生でノートをまともに取ったことが1度もない。とにかく自分の字を見るのが嫌いで、催眠療法で治してもらおうかと思ったくらいだ。


本を読んで、「要は僕は文字を書き慣れていないのだ」と思った。これから毎日15分間の書き取り訓練をマジでやろうと思った。


それから、左側にメモを書き、右側に清書をするというノートの取り方も実践してみようと思った。


この本を買う前に、レビューで「『偏差値93!』って帯に書いてあるけれど、どんな偏差値曲線でも93はないと思う」っていうのを読んで、それはすごく笑ったけれど、内容は僕にはかなりしっくり来る内容だった。




***おまけ***


僕が燃えた中学数学の問題。


【問題】
下の図のように、正三角形ABCの辺AC上に点Dがある。辺AB上に点Pをとり、線分PDを折り目として正三角形ABCを折り、頂点Aが辺BCに重なるようにする。点Pを、定規とコンパスを使って作図しなさい。ただし、点Pを表す文字Pも書き、作図に用いた線は消さないこと。


My Kiasu Life in JAPAN-中学数学

【考え方】
仮に線分AB上に点Pを書けたとする。線分PDを折り目として折ったとき、線分BC上に重なる点を点Qとする。三角形APDを折り曲げただけだから、三角形QPDと三角形APDは同じものだ。ということであれば、線分ADは線分QDの長さと一緒である。点Dにコンパスの支点を差し込んで、線分ADの長さの円をぐるっと描いて、線分BCと重なったところ、そこが点Qだ。次に、三角形QPDと三角形APDを区切る線分PDを出す。その線分PDは角ADQを2等分する線分だから、点Aと点Qにそれぞれコンパスの支点を差し込んで、グルグル円を描いて重なったところと点Dを結んでみる。それが線分ABと交差した点、そこが本当の点Pの位置だ。


これがわかるまで30分もかかった。悔しい。どんな三角形でもいいはずなのに正三角形にしてある点が憎い。中学数学は燃える。

シナリオコンテストの1次審査の結果が3月1日に出た。
今年、1次審査を通ったシナリオは200本近くあって、大体応募総数が1400本くらいだから約7倍といったところだった。


そのレベルで、僕のシナリオは通らなかった。
それなりに真剣に取り組んでいたので、ショックも大きかった。


まだ彼女がいた頃、俺は「君が思うよりも、僕はずっと真剣にシナリオを書いているんだ」なんて偉そうに言ったことがある。
それ以来、彼女は僕のシナリオを読もうとはしなかった。


信頼していた叔父が亡くなった葬儀のときも、夜はホテルでシナリオを書いていた。
ベストを尽くそうと思っていた。


自分でも面白いと思っていたし、こんな入り口に近いレベルで落とされるとは思っても見なかった。シナリオのために犠牲にしたことも多かったし、自分に才能がないということを認めるのに時間がかかりそうだった。


夜、どこかに飲みに行こうかとも思ったけれど、自分のなかにアルコールに期待する気持ちが何もないのに驚いた。何かに失敗してやけ酒を飲むなんて、アルコール業界の刷り込みだなんて思っている自分に笑った。二日酔いの間、強制的にその原因を思い出さされそうでそれが嫌だったのかもしれない。


こういうときは泣くのかな?とも思ったけれど、泣けなかった。失望が深すぎて、結局のところ、人生に失敗したんだという思いが強かった。


3月2日の金曜日になっても、その思いが消えず、朝、職場に行くための車を運転しながら「自暴自棄になる人の気持ちがわかるなあ」なんて思っていた。
このままどこかに行ってしまおうか、なんて思ったけれど、僕は行く当てもなかった。


今の思いを歌にすると、どんな歌詞が書けるんだろうなあ、なんて思って、それから「Raindrops Keep Falling On My Head 」を少し口ずさんでみた。
歌いながら「俺の気持ちは、この歌のとおりだな」と思った。


「明日に向かって撃て」の1シーンがよみがえってきて、それで少し笑顔になった。


My Kiasu Life in JAPAN-明日に向かって撃て

俺みたいな気持ちを抱えていた人が、昔もいたんだと思った。ポール・ニューマンもそんな気持ちになったことがあったのかな?なんて思ったら元気が出てきた。


いい時代になった。見ようと思えば、そんなシーンも簡単にYou Tubeで見ることができる。http://www.youtube.com/watch?v=VILWkqlQLWk


週末は実家に帰った。近所の人が亡くなったので、そのお参りをしたり、病気のお見舞いに行ったり、それから祖父の美術品を買いに行ったり、それなりにやることが多かった。


実家に帰ると腹立たしいことも多いし、いろいろと飲み込まないといけないことも多い。
あの人の家に挨拶に行った方がいいとか、この人の葬儀に行った方がいいとか、いろんな人から助言を受ける。


「亡くなった主人とは初対面でしょう。」
相手の家族も当惑気味だ。僕はその人の家族の誰1人として会ったことがない。


でも仕方がない。そういう役割を期待されているんだから、こなすしかないんだと思う。
そして、そんな愚痴をこぼす相手もいないことが、身から出た錆とはいえ、寂しいものだ。



***おまけ***


Raindrops Keep Falling On My Head (訳は俺が適当にした)


雨が俺の頭の上に降っている
ベッドには足が長すぎる男のように
すべてがしっくりいかないみたいだ
雨が俺の頭の上に降っている、雨が降り続けている


だから俺は太陽に話すことにして、
おまえのやりかたは気に入らないと言ったんだ
仕事中に寝てるんじゃないって
雨が俺の頭の上に降っている、雨が降り続けている


でも俺は、1つだけわかっていることがある
やつらが俺に送ってよこした鬱な気分は、俺を負かすことができない
幸せが近づいてきて、俺にあいさつするまでそんなに長くはかからない


雨が俺の頭の上に降り続いている
でも俺の目は赤くなったりしない
泣くのは俺に向いていない 
なぜなら俺は文句を言って雨を止めようとしたことなんかない
俺は自由だから、
俺を悩ませるものなんか何もない


幸せが近づいてきて、俺にあいさつするまでそんなに長くはかからない


雨が俺の頭の上に降り続いている
でも俺の目は赤くなったりしない
泣くのは俺に向いていない 
なぜなら俺は文句を言って雨を止めようとしたことなんかない
俺は自由だから、
俺を悩ませるものなんか何もない

今週は、木曜日に神田へ日帰りの出張をした。
出張先は、JRの神田駅とお茶の水駅を一つの辺にした正三角形の頂点くらいの位置だった。


雨が降っていたので、お茶の水駅でJRを降りて、新御茶ノ水の構内を歩けば濡れなくてすむと思っていたのだが、構内は切符がなければ入れない構造になっていたので、仕方がなく外を歩くことにした。


ニコライ堂を見ながら、坂を下った。会議まで1時間も余裕があったので、途中で三省堂に寄ることにした。
三省堂に入るとき、昔、予備校の授業をサボって、ずっと三省堂の絵本売り場で絵本を読んでいたことを思い出した。今ではまともな社会人だが、昔は変な奴だったのだと思う。


ついつい本を大量に買ってしまった。こんなに僕は読むのだろうかと思いながら、重くなったカバンを持って会議に行った。


神田での会議はほとんどムダだった。
会議の最中で手を挙げて「ばかばかしい」と言わなかった自分をほめてやりたい気分だった。


6時には帰りの新幹線に乗って帰ってきた。
意味の薄い出張だったけれど、久しぶりに神田の三省堂に行くことができて、そのことで僕は少し嬉しかった。


週末の土曜日は午前中、仕事があった。その会議もストレスの溜まる会議で、一言も発することができなかった。いろいろでとても疲れた。
家に帰ってきてラーメンを作って食べると、急速に眠たくなってしまい、それから6時頃まで寝ていた。


スズメバチのような赤い大きなハチに手を刺される夢を見た。
ハチの毒針が手の甲に突き刺さり、毒液が入っていくのを見ていた。ハチの毒なんかでは、直接死ぬような事はないことは知っていたけれど、アナフィラキシー・ショックのことが頭に浮かび、思わず叫ぼうとした。


その瞬間に目を覚まし、慌てて手の甲を見たけれど、当然のことながら、何も痕跡はなかった。自分の事ながら、どうしてこんな夢を見る必要があるのか、理解に苦しむところだ。


菊間千乃の「私が弁護士になるまで」(文藝春秋社)を読み終わった。


My Kiasu Life in JAPAN-私が弁護士になるまで

読んでいる間、こんなに勉強しないと司法試験には合格できないのか、と思った。
彼女は司法試験の勉強中「私以上に勉強した人はいない」と思ったようだが、その勉強量を読んで、司法試験で「俺よりも勉強しなかったやつはいないんだろうな」と猛省した。


彼女が毎日していたという1日14時間の勉強を、僕は司法試験の勉強中、1日もしたことがなかった。勉強に集中できなくて「1日に基本書30ページしか読まない日もあってさあ。」なんて友達が嘆いているのを聞き「俺、1日に30ページも基本書読んだことない。」なんて思っていた。それでも、大学4年生のときに、択一試験には合格して「こんなものか」なんて思っていた。大甘だった。


春、桜の舞うなかを法政大学まで食事に行った帰り道、「ちょっとビールでも飲まない?」と京都大学出身の受験仲間に聞いたら「俺、これから答練だから」と断られたことがある。こんな春先の浮かれた陽気にもかかわらず、これから答練受けるなんて、なんてすごい精神力だと驚かされた。さすが京大は違うな、なんて。
でも、菊間さんの本を読んで、おそらく答練をさぼってビール飲んでいた俺の方がよっぽど驚きの存在だったのだと思った。


考えてみたら、就職試験と資格試験直前に詰め込み学習をするとき以外で、真剣に勉強した事なんて、今までの人生で一度もなかった。


大学浪人したときも、日本史など、現役時代に鎌倉時代まで勉強するのがやっとで、浪人してからも江戸時代に入るかどうかあたりまでしか勉強しなかった。
だから一流大学は軒並み落ちた。都立大学に受かったのは、たまたま江戸時代から明治、大正、戦前まで、ごっそり問題が抜けていたからだ。


日本史は予備校でも偏差値30台後半だった。歴史を勉強する意味がわからなかった。その代わり、好きだった地学は予備校でトップを取ったこともあった。こんな文系の受験生も珍しいと思う。


中学時代、因数分解が全くわからないまま試験の前日を迎えたことがあった。それまで、適当に授業を受けていた。試験の前日の夜、教科書を読んで初めて理屈をマスターして、実践の場がいきなり試験だった。試験を受けながら「なんだ、できるじゃん」って思った。


こんな経験が多かったので、僕はいつも「いろいろあってもなんとかなる」なんて思っていて、だから勉強をちゃんとすることなく、大人になってしまっていた。


菊間さんの本を読みながら、勉強というのはここまでするものなのだと一から教えてもらったような気がした。読みながら何度も冷や汗が出た。自分自身がとても恥ずかしかった。
本当に、反省をした。僕は結局、司法試験をなめていたのだと、いろんな人に謝りたい気がした。


ジェフリー・アーチャーの「誇りと復讐」下巻(新潮文庫)を読み終わった。


My Kiasu Life in JAPAN-誇りと復讐 下

ずっと、主人公であるダニーの成長と復讐の物語だと思っていたが、途中から主人公はダニーではなく、ダニーの弁護人であるアレックス・レドメイン弁護士と、彼の弁護の手綱を引き最後は自らが闘う、父親のマシュー・レドメイン弁護士の物語に変わった。


ジェフリー・アーチャーが法廷劇の戯曲を書いていたことは知っていたが、ここまで見事に法廷を描き出す力があるとは知らなかった。どのタイミングで、どの主張をするのか、そのタイミングの読みが素晴らしく、いつも一番強そうなカードから切ってしまう自分の至らなさを痛感した。
全体を通してとてもいい小説で、いつか英語でこの本を読めるようになりたいものだと思った。


林 成之の「脳に悪い7つの習慣」(幻冬舎新書)も読み終わった。


My Kiasu Life in JAPAN-脳に悪い7つの習慣

脳が求めていることは「生きたい」「知りたい」「仲間になりたい」の3つしかないのだという。だからこの3つの原則に従わない行為は脳の成長に悪いらしい。この3つの原則に従わない7つの習慣について、それをやめるようにということが書いてある(3つしか原則がないのに、悪い習慣は7つあるというのは数的に整合性がとれないように思うが、この7つは例示なのだと思えばいいのだと思う。でもそう考えると、単なる例示の数をタイトルにしていることになり、「あれ?」という気分にはなる。)。


この3つだけというのが、読んでいてちょっと引っかかって、じゃあ例えば「正義感」みたいなものは脳の要求ではないのか?なんて思う。3つだけではなく、脳が要求していることはもっとたくさんあるような気がする。


例えば「誰にも見つからなければ、自分が生きるために食べるものは万引きしていい」という例の場合、「生きたい」「知りたい」「仲間になりたい」だけならこの作者のいう脳の成長の上では肯定されそうなものだが、そういう誰にも知られなかった悪こそ、脳に悪そうな気がする。


書いてあることは、すごくいいことだとは思うけれど、それは作者がそう思っただけのような気がする。脳との関係が今ひとつわからない。「主観と客観」が混在していて、説得力と論理性が今ひとつ。
ただ、教え自体はいいことなので、守る人がいればそれはそれでいいことだと思う。


LOSTのシーズン5も見終わった。


My Kiasu Life in JAPAN-Lost season5

こんなに早く見終わるなんて、いかに寂しい生活をしているのか自分に証明しているようなものだ。


ストーリーは難解だ。時間も空間も飛び、人間関係はますます複雑に、そして謎は深まっていく。
ここまで、ついてこられない視聴者を振り落とすドラマもないと思う。


そして、そのことこそが、僕を引きつける。なんとしても理解してやろうと思う。
残るはファイナル・シーズンのみ。
全てを見終わった後、僕はまた別のドラマを見始めるのか、それとも自分自身の人生を歩もうと思うのか、そのときに自分の取る行動に少し興味がある。

職場にシステムエンジニアがいるのだが、もっと単純なエクセルやワードのトラブルがあるときは「ちょっと来てくれる?」といろんな人に呼ばれる。
大抵、僕を呼びつけるのは年配の方で、若い人には呼ばれることがない。残念なことだ。


バレンタインデーの日もあちこちから呼び出され、年配の女性から「帰りにチョコを持って帰ってね。」なんて言われる。「ありがとうございます」なんて言いながら途方もない宿題を出されたような気もする。


僕にチョコレートをくれるのは「ホワイトデーできっと美味しい何かが返ってくるから」だと直接の部下は言う。「美味しい何か…。」期待をされるのもなかなかつらいものだ。


そんな思いがあったせいか、普段お世話になっているこれまた年配の女性から「今日は持ってこなかったけど、待っててね。必ずチョコ届けるから。」なんて言われたときに、思わず「全然。本当にいらないですよ。」と答えてしまい「ちょっと失礼でしょ」と怒られた。
2日後に、チョコが届いた。手紙がついていて、そこには「またパソコンお願い」と書いてあった。やれやれと思った。


金曜日の夜、仕事帰りに車を運転しながら「疲れているなあ」と思っていた。
どこかに飲みに行こうかとも思ったけれど、お酒を飲みたいという思いが自分のなかに全くないことに驚いた。
特に美味しいものも食べに行きたくもなく、そしてまた、1人で食べに行く気にもならなかった。
俺は、寂しいんだなあ、と思った。でも知り合いの女の子に電話をするのもおっくうで、断られるかも、と思ったら、ますます電話する気にはならなかった。
金曜日は10時前に寝てしまった。


土曜日は、その流れを引きずったまま、怠惰に過ごした。ほとんどを寝たり、テレビを見たりして過ごしていた。インスタントラーメンばかり作って食べていた。


夕方、風呂に入ったまま、ジェフリー・アーチャーの「誇りと復讐」(新潮文庫)の上巻を読んだ。

My Kiasu Life in JAPAN-誇りと復讐 上

文字も読めなかった無実のダニーが、刑務所内で貴族であるニックと出会い、頭の良さを見込まれて教育を受ける。
弁護士の奮闘も空しく、再審の望みは絶たれ、ダニーは20年の刑期を勤め上げなければならなくなる。ところが、ニックが出所間際に殺され、容姿が似ていたダニーは、ニックになりすまして刑務所を脱出する。


以前、イギリスでホームステイをしていたときに、食事会があり、そこで僕が「ジェフリー・アーチャーの本が好きだ」と言ったら、「今、一番イギリスで嫌われている男だ」と笑われた。まだアーチャーが収監されているときだった。


今回、この「誇りと復讐」を読みながら、僕は何度も自分がジェフリー・アーチャーを好きでよかったと思った。人がどう言おうと、自分の好みを変えることはない。もう70才を過ぎているアーチャーが、こんな作品を書いてくれたことが僕は嬉しかった。


刑務所でダニーが感じた勉強の喜びは、今の僕が一番求めているもので、そして求めるべきものだった。
上巻を読み終わって風呂を出ると、すごく前向きにいろいろと考えられるようになっていた。


きっと女の子に振られたのも、何か意味があることなんだと思い始めた。いつまでもくさってないで、前向きに考えようと思った。あと、もう少し。もう少しで、自分の目が覚めそうな気がしてきた。もうそんなに遠くない将来で、僕は前向きに努力をし始める、そんな予感がしてきた。


LOSTのシーズン4を見終わった。


My Kiasu Life in JAPAN-LOST season4

ようやく一部の者が島を脱出することができた。

僕のSFで好きなジャンル、「時間と空間」の話が突如として始まり、どうやって収拾するのか、ますます興味深くなってきた。


LOSTはシーズン6がファイナルシーズンなので半分以上を見終わったことになる。


僕はこのLOSTを東芝のレグザについているインターネット機能を使って、TSUTAYATVから借りて見ている。
NTTの光ケーブルが悪いのか、モデムが悪いのか、つないでいるケーブルが悪いのか、レグザが悪いのか、ツタヤのシステムが悪いのかは知らないけれど、50分程度の番組で30回くらいフリーズする。


土曜日には「回線が混み合っていて利用できません」という表示が出て、映像が途中で切られてしまった。でも、そんなに文句を言うつもりもない。


いつまでも、ドラマを見ているのも時間の無駄遣いだ。「もう、そろそろドラマも卒業しないと」というこれも一つの啓示なんだろうな、と思うようになった。

今週末は実家に帰った。
先週末、実家の水道のパッキンが凍り付いて壊れたと聞いていたので、様子を見に行った。
でももう修理は終わっていたので、そのことについては特に何もすることはなかった。


実家は相変わらず寒かった。
母の1周忌にあわせて、いろんな人からお供えを頂いたので、返事を書いたり、お菓子を送り返したり、それなりにやることはあった。


姉から祖父の作った小さなブロンズ像が市場に出たと聞いていた。
「見たかったら、見に行けば。」
姉とは最近はあまり仲がよくない。
アポイントを取って、土曜日の夕方に美術商の方のところまで、作品を見せてもらいに行くことになった。


その方の家は山の上の方にあり、ナビを頼りに、狭く舗装されたアスファルトの上を「本当にこんなところに美術品を扱う人がいるのだろうか」と不安になりながら運転をして行った。
ナビが、十分に近づいたからと案内を終了してしまっても、僕にはまだどこの家なのかわからなかった。
車を駐めて周りを見回して、たぶん、あの家だと見当をつけて、その家の表札を歩いて見に行った。
家の周りの庭が、ロータリーになっていて、少しおしゃれな感じだった。美術商の方は世界中を旅しているようだったので、きっとこういう庭を造るのだろうと思った。
そして、僕の読み通りだった。


僕が玄関の近くまで車を回すと、「よく来られましたね」と美術商の方が玄関から出てきて迎えてくれた。
「お姉様に道を聞かれたのですか?」
「いいえ。ナビで。」


別棟にある蔵のような建物に連れて行ってもらった。
なかは中国風の巨大な屏風や、多くの絨毯、それから数多くの絵画が飾られていた。
これはいい、と思う素晴らしい絵もいくつかあった。
「いい絵がありますね。」思わずそう言ったが「でも、本当にいい絵はここには置いていないんですよ。」ということだった。


祖父の作品は手前のテーブルのうえに置かれていた。
高さは40センチほどのブロンズ像で、箱書きもしっかりしていた。


「土に立つ」というその像は、何かすごいテクニックが使われているというわけでも、見た人が驚くような装飾もなにもない、素朴な作品だった。
一枚の着物を着たおかっぱ頭の少女が、少し山のようになった地面に立ってまっすぐ先を見ている、ただそれだけの作品だった。
決して美人でもなく、取りたててかわいくもなく、しかし、見ていて飽きない。
「私も、おじいさまの作品は数多く見てきましたけれど、この作品には驚きました。」
そう、美術商の人も言うほど、そっけないほどに簡単な像だった。


「おじいさまは書もなされていました?」
「はい。」
「作品はお持ちですか?」
「たくさんあります。でも、まったく管理ができていません。」
「これ、差し上げます。」


祖父の書を額に入れたものをいただいた。
その後、母屋に通されて、そこで奥様にお茶や美味しいお菓子をごちそうになった。


家の中でヒヨドリが鳴いていて、驚いた。
このあたりには、クマも猿もイノシシも出るのだという。
そこで飼っていたヒヨドリは、娘さんが助けたのだという。ヒヨドリの巣を襲っていた蛇を見つけて追い払おうとしたときに、そのヒヨドリは既に蛇の口の中に飲み込まれていて、足だけ出ていたそうだ。しかし、蛇が逃げる最中に、そのヒヨドリを吐き出したのだという。


その娘さんは蛇に襲われた雀のヒナも助けたことがあり、それもエサを与えて飛び回れるまでに成長させたことがあるという。


「いい話ですね。」
「でも、娘は蛇に恨まれているんじゃないか、と言っています。蛇だって、生きるためにたいへんなんですから。」
「なるほど。」
確かに、物事は角度を変えてみると違って見える。


いろんな話しをした後、姉と相談すると言って、家に帰った。
そして、翌日の日曜日には、再び長野にまで戻ってきた。
そして結局、姉には相談しないまま僕がその像を買うことに決めた。
美術商の方は「お孫さんが買うのは特別ですから」と、買ったときの値段そのままで譲ってくれることになった。


河戸一雄監修、熊谷雅人著の「自分で登記をする会 司法書士や土地家屋調査士に依頼せずに二十歳の女子大生が自分で登記をして40万円を節約したら」(登記研究会)という本を読み終わった。


My Kiasu Life in JAPAN-自分で登記する会

表紙を見たらわかるように、例のドラッガーの本の2匹目のドジョウねらいの本だ。ストーリーは浅く、知識も美味しそうな所をつまみ食いしたような感じだ。
簡単な登記なら自分で登記した方がよい、ということ自体は正しい認識だと思うが、洞察も甘く、何よりストーリーが貧弱でがっかりする内容だった。


こういう本は売れるのかもしれないし、それを読んで少しわかったような気になる人も多いかもしれない。
でもこういった浅い本で得た知識など、結局、何にも身につかないことにそのうちみんな気がつくだろう。