5月3日は、3月まで同じ係で仕事をしていた女の子の結婚式があった。
細かな雨の降るなか、新幹線に乗り、それから電車を乗り継いで東京の立川まで行った。


僕は、新婦の元上司ということで挨拶をしなければならなかった。
結婚式の挨拶を考えながら、昔、父親が僕に「上に行くほど責任が重くなるが、その責任を果たさなければいけない」と言っていたことを思い出して、つまりはこういうことなんだな、と考えたりもした。偉くなると本当にいろいろと面倒なことが増えてくるものだ。


「とにかく笑いを取って欲しい」というのが新婦からの要望だったので、一応、そういった挨拶を考えていた。多くの人が笑えるけれど、そのベースに、みんなが感心するような話を交える、そんな感じの挨拶にするつもりだった。ただ、ちょっと下品な部分もあるので、そこの部分は心配だった。
原案を職場の若い女の子に読んでもらったけれど、嫌悪感は感じないというので、そのままいくことにした。


会場には110名ほどの人がいた。司会の人と簡単な打ち合わせをした。
最初の新郎側の来賓挨拶は、短く、しかも原稿を見ることはなかった。
僕は2番目に話をしたが、とても原稿なしではしゃべることができず「こういうのも課題だよな」と思いながらしゃべった。
それなりに笑いも取れたけれど、引かれたところもあった。考えてみると引かれるようなところは、不必要な部分だったように思う。何を言うべきで、何を言うべきでないのか、もう少し考える必要があるように感じた。


それでも、概ね好評だったので、自分の務めはそれなりに果たしたのだと思って、あとは結婚式の間中、ビールやワインをすすめられるままに飲んでいた。随分と上の方の偉い席だったので、多くの人がビール等を注ぎに来た。注ぎに来た人達に「おめでとうございます。」と返事をしながら飲んでいた。


結婚式終了後、立川から五反田まで行き、ホテルに泊まった。
結婚式であれだけ食べ続け、飲み続けていたのに、腹が空いたように思って、ラーメン屋に行ってつけ麺と餃子を食べた。もう少し飲み足りないようにも思っていた(←大誤解)。
それでも、東京の和気あいあいとした風の居酒屋に1人で入る気にはならず、水だけ買ってホテルに戻った。それでよかったのだと思う。


翌朝は、前日に飲みに行かなかったために(←正解)2日酔いにはなっていなかった。
ホテルのロビーで無料の簡単な朝食をとったあと、パッキングをしてホテルを出た。


五反田から山手線で品川まで行き、そこから羽田空港の国際線ターミナルに向かった。
その途中で仕事の電話がかかってきて、電車を降りたところで、その対応をした。
「これから香港に行くんだ。」というと、その仕事の電話をかけてきた相手は随分と驚いていた。


羽田空港の国際線ターミナルは、閑散としていた。どこの航空会社の前にも列は見あたらなかった。もう旅立つべき人達は前日のうちに旅立ってしまったからかもしれなかった。
出国審査も誰1人として並んでいなかった。


空港で、香港ドルに日本円を両替したが、実は日本で香港ドルに両替をするのはかなりレートが悪いのだと、あとからガイドブックで知った(それからあと、香港にある多くの両替でレートを見た。確かに日本のレートは悪いが、大金を動かすわけではないので、そんなに気にしない。)。


乗る予定だったキャセイ・パシフィック航空の旅客機は見た目が随分と古そうだった。
それはきっと、塗装のせいだろう、とムリに思ってみようとした。


My Kiasu Life in JAPAN-cathay pacific
(何を撮ったんだかわからない写真で、すまん。)


昔は、遠距離のフライトも平気だったが、最近は4時間程度のフライトでも座席に座っているのが苦痛だ。たまたま行きの座席は両隣の席が空席だったが、それでも楽だとは思えなかった。ビジネスクラスで旅行ができるように、いつかはなってみたいものだ。


「ドラゴン・タトゥの女」のハリウッド・リメイク版が映画のリストの中にあったので、それを見ようと思ったら、吹き替えはイタリア語しかなく、字幕は中国語と英語しかなかった。やれやれと思って、映画を観るのはあきらめて、中国語の入門編の本を読んだ。
それも退屈で、本当に苦痛だった。


香港に着くと、まだタキシング(滑走路からドックまでの走行)中に、携帯電話の電源の許可がおり、またシートベルトのサインも消えた。
このあたりは、さすがアメリカの会社だという気がする。日本航空は機体が完全に止まって、ドックとつながるまでシートベルトのサインも消えないし、携帯電話も許可にならない。


中国の方々が一斉に立ち上がって、上の棚から荷物を下ろし始める。僕は一切、上の棚に置かなかったので、少し遠くに座っていた目ざとい中国の方が使っていたのだが、その人も僕の座席を目がけて走ってくる。もう少し、落ち着けよ。と声をかけてあげたいところだった。


香港の空港も、それほど混んではいなかった。
入国審査もほとんど待たずに通過できた。


ホテルまで、面倒だからタクシーで行こうとも思っていた。でも、ふと空港が成田空港のように遠く離れた場所だったらどうするんだ?なんて思い始めてしまい、ちょっと調べたら簡単そうだったので、エアポート・エキスプレスに乗ることにした。


切符売り場も閑散としていた。30日間有効の往復の切符があることがわかったので、それを買うことにした。


エアポート・エキスプレスの切符売り場には「もし、ここで切符を買わなかった場合には、到着したところで精算してください」と書いてあった。じゃあ、どうやって改札を通過して乗るんだよ、とずっと不思議だった。


エアポート・エキスプレスの標識に沿って歩いて行ったら、空港から全く段差も改札もない、その場所が、ホームだった。
ドアが開いて、いきなり荷物を持って乗り込むことができる。
確かに改札がないなら、目的地で支払えっていう注意書きは意味があるよな、とそこで初めて理解ができた。


香港駅で降りて、そこから宿泊ホテルのあるトンロウワンまでタクシーに乗った。本当はタクシーでなく、地下鉄でも十分だったのだが、とりあえず1度タクシーに乗ってみたかった。タクシーは初乗りが200円程度で安く、かなり渋滞に巻き込まれたが、それでも着いたときに500円程度しかかからなかった。


ホテルはツインのシングルユースで頼んでいた。でも、申し込むときに、禁煙の部屋にしてもらうのを忘れていたので、フロントで交渉すればいいやって思っていた。
希望どおり禁煙の部屋にしてもらい、泊まったのは20階にある部屋だったが、ツインの割には小さく、まるで日本のホテルのようだった。


My Kiasu Life in JAPAN-from hotel window
(ホテルの窓から見た香港。100万ドルの夜景どころか10円くらいの価値しかない。)


そして、初日はホテルの近くを散歩した。湿気が多く、暑かった。イギリスのように、雨が降ったりやんだり、天気の移り変わりが激しい。傘を持ち歩くのは面倒だったので、ずっと雨の間は帽子を被っていた。


とにかく人が多く、街中に活気があった。上野のアメ横と歌舞伎町を合体させたような街だった。内装材や照明器具を売る店がひとつの通りに何軒も店を出している。おそらく、マンションを購入したあと、購入者が内装や照明を施工するのだと思う。


工事も至る所でしていたが、建築用の足場は竹で組まれている。上半身裸の大工さんが、足場のヒモを縛っているのを見た。表情が生き生きとしていたのが印象的だった。好景気なんだなあ、と思った。


My Kiasu Life in JAPAN-banboo
(竹は軽くて丈夫だからなあ。)


今回、iphoneを持っていたので、現在位置などを確認するのにとても役だった。
一応、海外パケットし放題というのに入っていたけれど、実際にはいくらくらいの請求が来るのか不安ではある。


僕は汗もすごくかく。自分の汗に耐えられなくなった頃、駅のまわりにいくらでも見つかるマッサージ店のうちの1つに入った。北京のときのような若い女の子を期待していたのだが、おっさんだった。手のマッサージダコがすごかった。肩と足のマッサージをしてもらった。
肩が痛いのは前から自覚があったけれど、足も相当痛いことがわかって発見だった。


北京でもそこそこ英語が通じたので、元英国領だった香港ならほぼ100%英語が通じると思っていたのだが、それこそ思いこみだった。英語はほとんど通じなかった。すれ違う人は多様で、インド人、アメリカ人、ヨーロッパ人等様々だ。ヨーロッパ系の信じられないほどきれいな女の人ともすれ違い、ワオと思った。


それから、近くのレストランで、ご飯と牛肉を蒸したものとか、豚の内臓と蓮のスープという不思議な、でも、おいしいご飯を食べて、ホテルに帰って寝た。


この日の夜は、すごい雨だった。ホテルの窓に叩きつける雨の音が大きかった。雷も鳴っていた。


翌朝は早く起きて計画を立てた。でも今回もまた、完全に1人の旅なので、特に行くべきところもなかった。僕は基本的に、そんなに観光地を歩き回るタイプじゃない。


ホテルを出て、カメラを忘れたことに気づいて取りに戻った。もう部屋は清掃が始まっていて、若い人のよさそうな兄さんが一生懸命、トイレを磨いていた。


タクシーで帰ってくるときに必要になるかと思ったので、そのお兄さんに「僕が泊まっているこのホテルの名前は中国語で何というのだ?」と英語で聞いてみた。あまり想像していなかった読み方だったのだけどニュアンスはわかったので、僕も発音してみた。でも、全然、ダメらしい。
最後は「うん。まあその程度でしょうがない。」という感じで頷いてくれた。タクシーで帰ってくるときには、やはり筆談しかないと思った。


My Kiasu Life in JAPAN-hongkong street
(香港の朝の風景。肉を切っては吊していく。魚もいっぱい切り身にしていた。)


電車に乗って、チムサアチョイという駅で降りて、アベニュー・オブ・スターズにあるブルース・リーの銅像を見に行った。
すごい人気で、みんなが取り囲んでいる。


My Kiasu Life in JAPAN-bruce lee
(この像の前では、必ずみんな拳法のポーズをとる。人類のDNAにきっと埋め込まれているのだと思う。)


そういえば、以前、アメリカで「アメリカ人が最も知っている日本人」というアンケートを採ったところ、1位がブルース・リーだったとか。いずれにしても偉大な人だ。


ジョン・ウーの写真もあった。


My Kiasu Life in JAPAN-john woo
(昔はいい監督だった。今は白い鳩を出し過ぎ。マジシャンじゃないんだから。)


僕は「男達の挽歌」シリーズが好きで、ジョン・ウーの映画も何本も見た。
香港に来るなんて、男達の挽歌を見ていた頃は考えることすらしなかったよな、と思った。


それから、歩いてDFSギャラリア・サンプラザ店に行った。ガイドブックには「中国茶や菓子などの香港みやげも揃う」なんて書いてあったから期待していったのに、売ってなくて、よく空港内にあるような超高級品を扱うショップが並んでいるだけだった。


チムサアチョイという駅のまわりには、数多くのマッサージ店がある。通りを挟んだ向こう側に高級そうなマッサージ店を見かけたので、そこに行くべきか少し考えていた。
「ここ、安いよ。」
おばちゃんにそう日本語で声をかけられて、手を引かれて安そうなマッサージ店に入っていった。
そこで、肩を中心に全身のマッサージをしてもらった。


とりあえず、パンツ1枚になれというので、そうした。
マッサージをしてくれるのは40歳くらいの太ったおばさんだった。昨日はおっさんだったし、北京のマッサージ店が恋しくなってきた。
壁には「色情禁止」みたいなことが書いて貼られていたが(本当に書かれていたのは「色情免問」。本当の意味はわからないが、たぶん禁止って意味だと思う)、どうもこのおばさんの動きが怪しい。


うつぶせの間はまだよかったが、仰向けになってからは妙に足の付け根や胸のマッサージが増え、ときどき、直接触れては、「あっ」なんて声を出したりする。そしてそれからしばらくして「スペシャルマッサージあるよ、気持ちいいよ」と日本で言ってくる。
「いらない」って断ったけど、本当に北京のマッサージ店が恋しくなってきて、なんだか香港のマッサージ店は残念な店が多いなあ、と思った。


店を出たあと、ワンチャイという駅までまた電車に乗って行き、そこでガイドブックに載っていた、カンフー・サプライズという店に行った。
もっと大きな店かと思っていたのだが、1階は飲食店で、6階がその店だった。


狭い店で、店主もあまりやる気がなさそうで、商品の陳列もいい加減だった。
そこで、練習用のソフトヌンチャクを買った。


今回の香港旅行に行くことはあまりいろんな人に話してはいなかったけれど、それでも何人かには話した。話したある人から、「おみやげにヌンチャクを買ってきて欲しい」と言われていた。


それは職場全体の歓迎会のときだった。
「どうするんだよ。ヌンチャクなんか。」
「でも、何しに行くんですか?香港。もしかして買春ツアーですか?最低です。」
「そんな人だとは思っていなかったのに。」
「誰が買春ツアーに行くなんて言ったよ。」
「気をつけてくださいね。病気…。」
「おみやげは、忘れないように。病気は持ち帰っちゃダメですよ。」
「うるせえよ。」


「ほかにもおみやげを買わないとなあ。」
めんどくさいので、どこか旅行に行ったらおみやげを買うという制度そのものを廃止してもらいたいものだ。
僕は基本的にみやげなんか買うのも大嫌いだ。


トンロウワンまで歩き、そこにある日本のデパート「そごう」へ行った。ここならきっとおみやげがあるだろうと思ったが、何しろ職場に15名も職員がいるので、なかなかそんな数の入ったお菓子がない。


とりあえず、ツバメの巣入りソフトキャンディーというのを買った。それから、姉にも、瓶入りのツバメの巣を買った。こっちは1瓶6000円以上する。
それから、ホテルに帰るまで、あちこちでおみやげを買いながら帰ってきた。


My Kiasu Life in JAPAN-street2
(香港の喧噪を撮ろうと思ったんだけど、意味不明な写真に。ちなみにタクシーは赤の箱形クラウンが主流だった。)


ホテルに帰ると、もうすっかり疲れていた。シャワーで汗を流して、着替えてビールを飲んだら、猛烈に眠くなってきて、寝てしまった。それから、朝になるまで、目を覚まさなかった。


翌朝、起きると、もうすることがなかった。見るべきものは見たし(ブルース・リーの銅像のことだけど)、マッサージは期待したほどではないことが分かったし、点心も食べた。


My Kiasu Life in JAPAN-tempura?
(唯一の心残りは、この和風天ぷらバーガー。食べたかったけど、朝だったのでダメだった。)


香港は暑いのに、すべての店のスタートが10時以降で遅い。午後1時オープンで午前2時までなんて店も多い。基本的に夜がメインの街なのだ。だから僕みたいに、朝早起きして街を歩いてもあまり意味がないのかもしれない。


やることがなかったけれど、せっかく香港にまで来ているのだからと、ガイドブックに載っている文武廟というところに行くことにした。
文武両道ということでまつられているらしい。
そして渦巻き型の線香が必見ということになっている。


ションワンという駅で降り、文武廟まで歩いた。
もっと遠いのではと覚悟をしていたが、意外と近くだった。


アメリカ人観光客にガイドが説明しているのを聞きながら、なかに入る。
確かに、渦巻き型の線香は圧巻だ。
でも、それだけで、あとはあまり興味がわかなかった。


My Kiasu Life in JAPAN-monbu-byo
(渦巻き型の線香がいっぱい。黒、金、メタルは豪華さを伝える色の組み合わせだけど、実に効果的に使っている。また、派手な赤色もいい。配色の勉強になる。)


それでも時間がたっぷりあるので、また、チムサアチョイという駅まで行って、マッサージを受けることにした。今度は失敗しないつもりだった。


大手の店はまだ閉まっていたので、街角にある小さな店に行った。
おばあさんというような人が出てきて、オイル・マッサージをしてくれるという。


今回は、パンツも脱げと言う。しかも、パンツを脱ぐ間、股間を凝視している。いろんなことに失敗したといろんな反省をしながらパンツを脱いでうつぶせに寝た。


うつぶせの間のマッサージはよかったが、そのあと、仰向けになれと言われ、それからしばらくしたら、股間を触りながら(今回は直接だ!)「ココのマッサージをするならお金がもう80ドルかかる」とふざけたことを言うので、断った。


何回失敗したら、自分が学習するのか、自分に対して本当に腹が立った。


その後、ヤウマイテイという駅まで電車に乗り、ガイドブックに載っていたブルース・リー・クラブというところに行く。
想像したよりはるかに小さく、そして暗い店だった。
おばさんが店番をしていたが、商品もTシャツ、キーホルダー、おもちゃのヌンチャク、ブルース・リーのルービックキューブ程度しかなかった。
友達のために、おもちゃのヌンチャクと、キーホルダーを2個買った。


そこから、香港西武の入っている大きなランガム・プレイスというショッピングモールまで歩いた。でも、特に買うものもなかったので、何も買わずにまたトンロウワンという駅まで戻った。


香港の街は建築資材の店も多いし、不動産屋も多い。そして売っている金額が庶民の生活に比べてすさまじく高い。「バブルが日本でも続いていたら、日本でも今でもこんな活気があったのかなあ」なんて歩きながら思った。


街を歩いているうちに、上からときどき雨粒のようなものが降ってくる。最初はなんだかわからなかったけれど、途中でエアコンの排水だ、とわかった。でも、特に誰も問題にしていないようだった。


それから、イギリス時代からの伝統なのか、歩行者は信号機を守らない。
一方通行の道には、右から車が来るから右を見ろ!と道路に書いてある。
とても合理的で、これは気に入った。


My Kiasu Life in JAPAN-look right
(LOOK RIGHT→ わかりやすい。日本だと、万一のことを考えて、左側も見ろとかいうんだよ。きっと。)


長時間歩いたので暑くて、汗が噴き出ていた。
ホテルの近くのレストランで食事をしながら、ビールを2本飲んだ。


そしてホテルに帰ってきた。でもまだ3時だった。
軽くシャワーを浴びると、もう少しだけ散歩してこようという気になった。


そしてよせばいいのに、またマッサージ店に行った。
お店で用意をしたパンツを履かせられ、うつぶせになって待っていたら、今回は比較的若い女の子が来た。少しほっとした。でも、英語は全然できず、会話はできなかった。


この女の子が怪力の持ち主で、「リンパ排毒マッサージ」というのをやっているのだと思うけれど、何度も悲鳴をあげそうになった。でも、これできっと身体がよくなると思って、目をつぶって歯を食いしばってじっと我慢をしていた。


時間の60分になっても、マッサージは途中で終わる気配はなかった。「延長するか」と英語のわかるおばさんが聞きに来たが、やめられるような状況ではなかったのでもう30分延長した。


若い子だったので、余計な手出しもサービスもなく、その点はよかったが、何から何までが痛くて、痛がっているとばれてしまった右足内側の筋肉は相当に痛めつけられた感じがした。それでも、今まで受けてきたマッサージのなかでは、特別に効いたような気がした。


それから、ホテルに戻って、ヒストリー・チャンネルを見ながら、ビールを1リットル飲んで、翌日の帰国のためのパッキングもそこそこに寝てしまった。


翌朝は5時に起きてパッキングをした。思ったより荷物も少なくて、パッキングも簡単だった。8時45分発の飛行機だった。
昔は海外旅行は2時間前には空港へというのが鉄則だったが、最近は1時間前でも十分になっているらしい。余裕がありすぎるとは思ったけれど、6時15分頃にはホテルを出て、タクシーに乗って、香港駅に行き、そこからエアポート・エキスプレスに乗って空港へ行った。


天候は快晴だった。香港にいた数日間、雨期なのかと思うほどどんよりとした雲に覆われていたが、晴れた日の香港は、高層の建物が日の光に照らされて輝いていた。
最後の最後に、こんなに美しい香港を見るなんて、と思った。


7時30分頃には、空港にいて、全ての手続きを終えていた。
職場に電話をしようとして、国番号とか必要なんだろうか?と思いながらiphoneで日本で電話をかけるように普通に電話をしたら、職場に直接つながったので驚いた。
そこで仕事についてのいくつかの打ち合わせをした。


世界は小さくなったけれど、好きでもない仕事が身近に感じられて、それはそれで困ったことだなとも思った。


そして日本に帰ってきた。今日からまた日本でのつまらない僕の日常生活が始まる。


そしてまた、次に香港に来るときには、友達とか恋人とかと来たいと思った。やっぱ、1人だとつまらない。