水曜日に、途中までできた台本を持って劇団の練習に行く。


職場にはまだまだ仕事をしている人がたくさんいる。
「もう今日は終わり?」などと声をかけられる。
「僕は先輩のように、仕事に向いてないから仕方がないんですよ。」
彼のために、歌の歌詞を書いてあげる。


決算書を見て ららら 星のかなた
ゆくぞ ××× 12時過ぎまで
心やさしい ららら 経理の子
10桁電卓 ×××××
(×××はその人の名前)


本当は10桁電卓なんかでは用をなさないので、12桁電卓が必要なのだが、語呂が悪いので10桁電卓にしておいた。
印刷して渡したら、苦笑いをしていた。


練習会場になっている公民館に着く。
僕が着いた頃には皆ストレッチをして、発声練習に入っている。
僕も発声練習をしてみる。
あまりに声が出なくて笑ってしまう。
中学生の頃は声がでかいからって応援団までさせられたのにな、と思う。


台本は、キャラ作り表を見ながら適当に書いたのだけど、かなり好評だった。
まだ途中なんだけど、11ページくらい書いた。
出だしとしてはまあまあだと自分でも思っていたんだけど。


早速、本読みをするというので、僕も一緒のテーブルについた。
かなり書き込んだつもりだったけれど、これだけ書いても、たった10分で終わってしまう。
これからどう話を持って行くのか、意見を聞きながらまとめていく。
今回のブレイン・ストーミングは不発だった。


もっと大きな流れを見つけてこないと、芝居の最後までだらだらと飲み屋の会話みたいなものが続くだけで終わってしまう。
その流れが、なかなか見つからない。


土曜日は仕事もなく休みだった。
午前中はゆっくりと寝て、午後は「ワイルド・シングス2」のDVDを観て、西原理恵子の「できるかな クアトロ」(扶桑社)を読み終わった。


ワイルドシングス2

「ワイルド・シングス2」はまあまあだった。
俳優がもっと魅力的だったらもっといい映画になったと思う。
いずれにしても、この作品はたった21日で完成させたのだというから、その点だけはすごい映画だ。


できるかなクアトロ

「できるかな クアトロ」は相変わらずの西原ワールドで、前半、正直だれる。
でも「パチクロ」と「いけちゃんとぼくのあとがき」の短編漫画は胸を打つものがある。
ひどい人生観とその人生観に沿った人生を歩いているからこそ見えてくる普遍的な叙情がここにはあって、これがあるから僕も西原の漫画をやめられないのだと思う。


「いけちゃんとぼくのあとがき」は、西原が声をかけても、ざりがに釣りに夢中になって返事もしてくれない男の子の話だ。
表紙を入れてもたった6ページのその話はこう終わる。
「わたし あなたのこと 好きだったの。」
いい言葉だなあって思って、それからしばらくそのカットを見ながらぼーっとしていた。


今日の日曜日も朝は10時過ぎまで寝て、それから「ロード・トゥ・パーディション」をDVDで観た。

ロードトゥパーディション
トム・ハンクスの演技もよかったが、ポール・ニューマンには凄みがあった。
僕は昔からポール・ニューマンが好きだ。
彼の表情には、どんな演技をしてもいつも「人が知ってはいけない秘密を知ってしまった」ような暗い影がある。
その影がとても魅力的だ。


これから台本の続きを書いて、あ、そうだ。忘れるところだった。
英検の勉強もしなくては。
するのかな?俺。本当に…。

土曜日に、DVDで「ヤマカシ」を見た後、その日のうちにDVDで「ライフ・イズ・ビューティフル」も見た。


ヤマカシ

ライフイズビューティフル

「ライフ・イズ・ビューティフル」はイタリアの映画で、主役の男はこの映画でアカデミー外国語映画賞の主演男優賞を取った。


どんな困難な状況でも、笑顔と陽気さを絶やさない主人公のつよさと、そんな彼でも生き延びられなかった戦争というものの悲惨さを、ひしひしと感じさせる映画だった。


映画を観た後、もし、日本が再び戦争になったら、と思う。
戦争は、勝つばかりではない。負ける可能性だってあるのだ。
戦争に負けたとき、強制収容所に積み重ねられた白骨化した死骸の山の一部に、自分や家族がなるのかもしれないと思った。
そんな危険な賭にはのりたくない。


映画を見た後は、劇団から頼まれていた台本を少しずつ書き始めた。
芝居の台本のルールがだんだんとわかってきて、書いているのが少し楽しくなってきた。


夕方7時からは職場に行き、10時まで仕事をした。
柿の種をボリボリと食べながら、かなり仕事を進めることができた。


翌日の日曜日には池袋まで遊びに行った。
東急ハンズで買い物をしてから映画を観に行ったのだが、「バベル」が思ったより長い映画であることに気づいて腰が引けてしまい、他の映画も時間が合わなかったので仕方がなく「眉山」を観ることにした。


眉山

家族愛をテーマにしたつまらない映画だという先入観を持って観ていたので、最初は、退屈でつまらないカメラワークをうんざりした気持ちで眺めていた。


見ているうちに松島菜々子の美しさが心に響いてきた。
彼女が傘を差して歩いているとき、道路に映った影までが美しいのだ。
彼女はチャン・ツィーのように、何もかもが美しいわけではないのだけれど、美しさを段々と感じてくる。


ストーリーのどこが胸に響いたのか、よくわからない。
クリーンヒットをもらったわけでもないのに、倒れてしまったボクサーのように、よくわからないうちにこの映画は僕の胸を打った。


気がつくと、ポタポタと水滴が垂れてきて、僕はそれが自分の涙だと気づくのに少し時間がかかった。


泣いていると気づいてからは、軽いジャブのような映像でも涙が溢れ出してきた。
涙が止まらなかった。


「ライフ・イズ・ビューティフル」を観ても全然、泣けなかったのに、まさか「眉山」でこんなに泣くとは思わなかった。


考えてみたら、生まれて初めて映画を観て泣いたのだ。


映画が終わった後、いろいろと考えた。
宮本信子が演じたつよい母。
でも、なんて不器用に、でも、なんて必死に、生きたのだろう。


脇を固める俳優、金子賢や夏八木勲も素晴らしく、徳島の阿波踊りも壮麗で力強かった。
これを見たい、踊りたいという徳島の人の気持ちも、だんだんと理解できるようになった。
人間の一人一人にいろいろな思いがあることをあらためて感じた。


夜はワインを飲んでシカ肉を食べて、さっき新幹線で帰ってきた。


新幹線のなかで、映画館で買ってきた眉山のシナリオを読み返しながら、なぜあんなに泣いたのか考えてみた。


結局、よくわからなかったけれど、ただ「俺は、今日はいい映画を観たんだなあ」という思いだけは残った。

キッチンのシンクにある生ゴミ入れに卵の殻をいくつか入れて、何日か放っておいたら、どうもそこからハエが発生(繁殖が正しいんだっけ?)したらしく、何匹か部屋を飛び回っている。
慌てて、生ゴミを処理して、それからハエをどうしようか考えた。


先日、ミツバチを掃除機で駆除している映像をテレビで見たばかりなので、掃除機で駆除するのはどうかと思った。

部屋のライトの周りに止まっているハエを掃除機で吸っていく。
思ったより簡単に駆除ができるので笑ってしまう。


ハエは掃除機のホースの先から、逃げもせず、じっと足を踏ん張って天井に張り付いている。
力尽きるとホースの中に落ちていく。


ところで、掃除機のなかのハエは死んだのだろうか。


ふと卵をもったハエが掃除機のなかで死に、その後卵がふ化してウジ虫となってゴミにたかっている姿が頭に浮かんでしまい、うわあ、と思う。
それから恐ろしくて、なかなか掃除機のゴミが捨てられない。


ハエといえば、昔、「ザ・フライ」という映画があった。

ザフライ

物質転送装置を開発していた科学者が、自分を実験台にしたところ、装置に一匹のハエがまぎれ込んでいて、ハエの遺伝子と科学者の遺伝子が混じり合い、ハエ男になってしまうという話だ。


くもに噛まれた男は遺伝子が混ざり合ってもスパイダーマンとしてヒーローになったが、ハエ男は気味悪く変身していき、最後は死んでしまう。

SFホラーっぽい映画だったような気がする。


昔、僕は市ヶ谷にある司法研究所というところで法律の勉強をしていたのだが、そこに東大出身のTさんという人も通って来ていた。
関西出身で、語り口がとても面白く、僕はTさんの姿を見かけると勉強もせず、ロッカールームで延々とくだらない話をしていた。
「Tさんは、もしかして東大在学中に物質転送装置に入ったりしてない?そのときにさあ、もしかしたら装置に一匹の子豚がまぎれ込んじゃったんじゃない?Tさんをモデルにした映画「ザ・ピッグ」ってのはどう?」
Tさんは太った体を揺らしながら「ふざけるな!小僧」と楽しそうに笑っていた。
彼の笑っている姿を今でも思い浮かべることができる。
今、彼はいったいどこで何をしているのだろうか。
彼が司法試験に受かったという話は、聞いていない。


水曜日は劇団の集まりがあって、劇団員の人と台本の書き方のことでいろいろと話し合った。


話し合いの最中はずっと、ラジカセから音楽が流れていた。
「次は関ジャニ∞(エイト)の曲でもいい?」とある劇団員がいったとき、別の劇団員が「俺、今、関ジャニエイトって言葉が、患者似エイトって聞こえた。患者によく似たエイトマンって意味かなあ。」などと話すので笑っていた。単体で聞くと大したことないけれど、このレベルの話を畳みかけられるとつい笑ってしまう。
「あ、電話かかってきた。ゴシゴシ?じゃなかった。もしもし?」
くだらないけど、笑える。


僕はあまり人の名前を覚えるのが苦手だが、劇団員の人達は人より目立ちたいという思いが強いせいか、簡単に名前が覚えられる。


練習の後はガストに行き、ここでも打ち合わせの続きをした。
ファミレスに人と来るのも久しぶりだ。
僕は11時頃に帰ったが、他の人達は深夜1時頃までいるのだと言っていた。


劇団員の人達には朝晩のストレッチと発声は欠かせないし、フットサルやダンスもするのだという。
体力がないと声が落ちるからだという。
みんな色々と楽しませようと思いながら話してくれるので、お酒なしで食事していてもとても面白い。
こういう世界もあるんだなあ、と思った。


漆原友紀の「蟲師」(講談社)は8巻まで読み終わった。
簡単に言ってしまえば妖怪ものの1種なんだろうけれど、くせになる味がある。


ムシ師6

ムシ師7

ムシ師8

それから、帰りに家まで送ってくれた劇団員がリュック・ベッソンの「ヤマカシ」をベタ褒めしていたので、家のDVDでまた観た。


ヤマカシ

フランスの映画を観ていて思うのだけど、フランスの空気は日本と違う。
真剣なんだけど、どこか「まあ、こんなところでいいか。これ以上突っ込むのは大人げないもんな」という空気を感じる。

でも、それでいいんだと思う。それが大人の対応というものなんだと思う。


ちょっと問題がある行動をした芸能人や政治家をどこまでも追い回して、何でもかんでも報道し、しかも取材する側はどこまでも顔がない。責任は一切取らない。
そんな気持ちの悪い映像ばかり見なれている社会に住んでいると、フランスの社会はツメが甘いようにも見えるけれど「社会っていうのはこれでいいんだ。気にするな」と言われているようでなんだかほっとする。


ちなみにヤマカシという映画、もう一度見直したけどまあまあかな。
僕はリュック・ベッソンでは「ニキータ」がやっぱり一番好きだ。


ニキータ

4日に大学の同級生が姉の家に遊びに来た。
姉の家で山菜の天ぷらや春巻きを食べ、最近の仕事の話などをする。


僕は大学にほとんど行かなかったけれど、彼女は真面目に勉強して司法書士になった。

高校生の姪にも「俺は瞬発力はあるけど、彼女みたいにコツコツと積み重ねるってことをしなかったんだよ。でも最終的に勝つのはああいったゆっくりだけど確実にコツコツと積み重ねをしていく人なんだよ」と話した。

昔はよく法律の問題でわからないことがあるといろいろと質問をしたり意見を聞いたりしていたけれど、最近は法律からも離れてしまっているので連絡も取っていなかった。


きっかけは何だったのか忘れたけれど姉や姪はいろいろと世話になっているのだという。
誕生日にレストランに連れて行ってもらったと、大学生の姪が嬉しそうに話していたのを聞いたことがある。


世話になりっぱなしで、申し訳ないなあと以前から思っていた。
でも結局、姉の法律相談に対応してもらってしまい、また世話になってしまった。


CanaryのCDももらった。

カナリー

土屋アンナ

最近、土屋アンナの「JUST CAN'T GET ENOGH」(日産マーチのCM)をよく聴いているんだけど、もらったCDにはボサノヴァの「JUST CAN'T GET ENOGH」が入っていてこっちも気に入った。


翌日の5日には長野に帰り、それから埼玉に出かけていった。
東京で仕事をしたときの仲間が家を建てたというので、新築祝いに行くのだ。


新築祝いといったら、やっぱり家を建てるんだからモノポリーだよな、と以前から思っていたのだけれど、買っている暇がなくて家を出るときに困った。
「どうしようかなあ。」
結局、トランペットをあげることにした。
小学校の頃吹いていて、久しぶりに吹こうと思って買ったら、全然音が出せなくて、腹が立ってしまい込んでいたのだ。


新幹線は指定席が満席だったが、なんとか自由席に座ることができた。
大宮で乗り換えて、最寄り駅まで行く。
片道2時間30分ほどだった。
最寄り駅で待っていたら、奥さんが迎えに来てくれた。


久しぶりに、昔の仲間に会う。

「新築おめでとうございます。」
家の話をしたのは全部あわせても5分もなかったと思う。


あとは昔の思い出話や、O君が(今まで彼だけは、実名を使っていたら怒られたので、今回からO君)酔ったときのひどい話や、「前髪あげてみ?どのくらいハゲてんの?」「うるせえよ」といった微笑ましい会話をしていた。


飲み会には子供も3人もいた。
彼らの子供なのだ。
「ああ、俺も早く結婚して、不倫したい。」といったら、周囲の女性はどん引き。
そして泥酔し、途中からは記憶がない。


O君に支えられて新幹線に乗り換えたのは、微かに覚えている。
新幹線で寝たまま吐いてしまい(液体だけ、少々。)、床に水滴が垂れるのを見た記憶がある。
周りに乗客がいなくて本当によかった。


長野駅で駅員に起こされ、それからどこをどうやって帰ったのかわからないんだけど、朝起きたら、部屋のベッドで寝ていた。

強烈な2日酔いで、まだ気持ちが悪い。


そして、バッグが酸っぱいような匂いを発している。
きっと吐瀉物がかかったのだろう。

最低の気分だ。



新築祝いによんでくれたK原さん、それからクッキー、O君、Aさん、その奥様方、大変失礼をいたしました。申し訳ありません。
「もし、O君が新居の畳に吐いて汚したら、俺が殴る」などと言っていましたが、僕がしていたらすみません。
次回はもう少し大人しく、飲みたいと思います。
それからJR東日本にもお詫びいたします。

「あなたの持っているライターが10回つづけて火がつくか賭けませんか。もし、火がついたらキャディラックをあげる。そしてもしつかなかったら、あなたの左手の小指をいただきたい。」
そんな小説があると、中学生の頃、北杜夫のエッセイで読んだことがある。

ライターを買うたび、この話をいつも思い出していた。


あなたに似た人
僕は酔っぱらうたびにライターをどこかに置き忘れてしまうので、ライターはたくさん買ったのだ。
今でこそ、タバコを吸わなくなったが(それでも1年間に1箱分くらいは吸う)、昔はかなり吸っていた。


ライターを買うたびに、10回連続で、と試してみる。
ターボライターが現れるまで、10回連続で火がついたライターは、ほとんどなかった。

ジッポは強風のなかでもつくはずなのに、僕のジッポは軽く吹いただけでも、たいてい消えてしまった(ちなみに、ジッポという名前は、ジッパー(ファスナー)を気に入っていたジッポの創始者が、ジッパーに近い名前で、ということでつけたらしい。)。


連休後半も実家に帰った。
部屋の掃除もせず、したのは今回もメダカの水槽の掃除だけだった。
それ以外の時間は眠っているか、本を読んでいた。


なんとしても、この連休中には桐原書店の「総合英語 Forest」という英文法の本を読み切るつもりだった。
飽きたときのために、漆原友紀の「蟲師(むしし、むしという字は虫を3つ、森という字のように書く。表示できないパソコンのために念のため)」(講談社)という漫画5冊と、ロアルド・ダールの「あなたに似た人」(早川書房)も用意した。


フォレスト

そして、当然のことながら(他の人はどうだか知らないが、僕にとっては必然)、英文法の本を1ページ読み進める前に、漆原友紀の「蟲師」を5巻まで一気に読んでしまった。


ムシ師1

ムシ師2

ムシ師3

ムシ師4

ムシ師5


中学生の頃、「マンガ少年」という月刊誌(だったけ?)があって、僕はよく買って読んでいた。
この雑誌には手塚治虫の「火の鳥」が連載されていた。
スケールの大きな漫画が多く、ますむらひろしの「アタゴオル物語」なども載っていた。


火の鳥


アタゴオル物語

この「アタゴオル物語」は他の漫画とは違う感じがして、いつも読むたびに不思議な世界に連れ出されるような気がしていた。
一人の作家が、これだけ何もかも現実と違う世界を描けるというのがまだ理解ができていなかったせいかもしれない。


大人になってからそんなことないなあ、と思っていたけれど、この「蟲師」で久しぶりに「アタゴオル物語」を読んだときと同じ感覚を味わった。
全然、違う世界の話なのだけど、妙なリアリティをこの漫画からは感じるのだ。
作者は、この世界に住んでいるのかな?という気がした。


それから、英文法の本を読み始めた。
途中、退屈で何度も投げ出しそうになったけれど、その度に「あなたに似た人」の短編を一つずつ読んで気晴らしをした。


ロアルド・ダールの本を探しに本屋に行くと、彼の本は児童書の欄にあることに気づく。「チョコレート工場の秘密」などは映画化もされた。
その彼が、こんなに毒のある話を書いていたなんて、少し驚きではある。


チョコレート工場の秘密
冒頭のライターの賭の話も、この「あなたに似た人」のなかの短編「南から来た男」だった。
結末を知り、長年の謎が一つ解けたような気がした。

本当につらかったけれど、「総合英語 Forest」もようやく読み終わった。

これから英検準1級の勉強を始めることにする。
試験日は6月10日。
時間がないことに焦るが、例によってなかなか勉強する気にならない。

間に合うのだろうか?

週末に実家に帰っていたら高校3年の姪と大学2年の姪が遊びに来た。
高校3年の姪が涙ぐんでいる。
「どうしたの?」
「お姉ちゃんがどこの大学を受けるのかって聞いたから、正直に答えたら、あんたなんか絶対無理、落ちるって言われた。」
「ひどいなあ。」
「ひどいでしょ。」


大学生の姪に言う。
「あのなあ、もし仮に彼氏が甲子園を目指して一生懸命練習しているときに『あんたなんか甲子園行けない』って言うか?」
「私は言えるよ。」
「ははは。言えるかもしれないけどなあ、言っちゃいけないんだよ。それは大人としての常識なんだ。何かに夢をもってがんばっている人がいたら、「それは無理」なんて言っちゃだめなんだよ。応援してあげなくちゃいけないんだよ。」
「勉強態度が甘いの。だから無理って言ったの。」
「私、ちゃんと勉強してるよ。」
高校生の姪はまた涙ぐむ。

「そんなの無理かどうかなんかわからないじゃん。数百人も受かる試験なんだろ。本当に一握りの天才しか受からない試験ならともかく、やってみなくちゃ分からないじゃん。応援してあげようよ。無理だとか落ちるとか言っちゃいけないんだよ。」


話しながら昔見た「フラットライナーズ」という映画のことを思い出していた。

フラットライナーズ

医学部の学生たちが、いったん死んで死後の世界を見て、再び蘇生するという実験を繰り返す映画だ。

この映画の中では、死後の世界で人は哲学者のカント的な同害報復に報われることになっている。
つまり、かつて人の心を傷つけたものは、死後に自分自身の心を傷つけられ、かつて人を死に追いやったものは死後に自分が死に追いやられる。
僕の人生に大きな影響を与えた映画だった。

映画を見た後、もうムダに人を傷つけるのはやめよう、今まで傷つけてきた人に謝りたいなあ、と思った。
僕もかつては、大学生の姪に負けない毒舌家だった。人を傷つけても反省もしなかった。僕自身、何人の夢を砕いてきたか分からない。


「人の夢を壊したらさあ、自分も夢を持てなくなるんだよ。人の夢に「そんなの無理」って言っていたら、自分の夢だって、かなう、なんて思えなくなるだろ。礼儀として、大人の常識として妹の夢を壊したり傷つけたりして泣かしたりしちゃいけないんだよ。」
まるで昔の自分に説教をしているような気もした。


翌日の日曜日、僕は友達と馬籠宿(今は岐阜県だけど、ついこの前まで長野県だった)に行って遊んでいて、帰ってきたら母に呼ばれた。


家の近所に全盲のおばあさんが住んでいるのだが、そのおばあさんが、姉と僕にプレゼントをくれるのだという。
「どうして?」

姉が小学生の頃、修学旅行か何かの旅行のときに、お土産にお茶の入ったきれいな茶筒をそのおばあさんにあげたのだという(その頃は彼女もまだ目が見えていた。)。
そのときに、お駄賃をあげたわけでもないのに、お土産だけもらったことをずっと気にしていたのだという。
このまま死んでしまったら、申し訳がないから、今頃になってすまないけれど、このプレゼントを渡して欲しい、ということらしい。
僕にもくれたのは、僕もよく親切にしてくれたからなのだそうだ。
姉も僕も全然記憶がないんだけれど、そういうことがあったのかもしれなかった。
僕がもらったのはTシャツだった。

僕が長野から買ってきたお菓子を、母がお礼にあげたら、「嬉しい」と泣いていたそうだ。


「だからさあ。人は親切にしてあげたことも、傷つけたことも、思っているよりもずっと相手は覚えているものなんだよ」ということを大学生の姪にも話してあげようと思ったのだが、「忙しいのに無理して帰ってきたら、文句ばかり言われて、なんで帰ってきたのかわからない」とふてくされてもう大学に戻ってしまったそうだ。


そんな間の悪いところも、昔の自分を見ているようで「損な人生を選んでるよなあ、彼女も。」と少しかわいそうに思った。

土曜日も午後2時45分頃から10時過ぎまで残業していた。
隣の席の同僚に、3時から新しい仕事を教わることになっていたのだ。

3時頃から6時頃までつきっきりで教えてもらい、あまりの量に泣きたくなった。
これからこんな量を処理することができるのだろうか。

それでも10時頃には他の人にしてもらう仕事の依頼文もできあがり、家に帰った。


帰ってしばらくしたあと、コピーを各課分しか取っていないことに気づいた。
そんな数では全然足りない。
担当者はその倍の数近くいて、一人一人に渡さなくてはならないのだ。
そのために担当者の名前まで聞いていたのに。
やれやれ。
また月曜日にコピーしなくては。


日曜日は4月になって、2度目の休みだった。
朝、洗濯をして、鶏肉のトマトソース煮を作って食べて、それからシャワーを浴びてグランドに行った。
今日はソフトボールの試合があるのだ。
2005年の秋に僕が投げて優勝し、昨年は仕事が忙しくて春と秋に出場できず、今年の春の試合がやってきた。
昨年はずっと最下位だったのだという。


「頼むよ。出てよ。」
「なんとか出られるように仕事頑張るよ。俺、ピッチャーでいい?ピッチャーしかしたくないんだけど。」
昼休みに食堂でキャプテンをしている人から頼まれて、僕はピッチャーをするということで話がついた。


直前になったらバッティングセンターにでも行こうと思っていたのだが、結局行かなかった。
試合は3チームの総当たり戦なので2試合は投げないといけない。
夜寝る前や朝に、4キロの鉄アレイを右手に持ったまま、グルグルと50回くらい回すのが対策といえば対策だった。


河川敷で試合をしたのだが、広い河川敷なのでどこに試合会場となるEグランドというがあるのかわからず車に乗ったまま探していた。
なかなか見つからず、集合時間に3分ほど遅れてしまった。


「あ、どこかで見たことがある人だ。」
昔、同じ仕事をしていた仲間と会う。
「よろしく頼むな。」


バットを渡され、軽くトスバッティングをする。
2球連続して空振りし「大丈夫か?」と言われ、自分でもそう思った。
でも、その後はどんな球でも(悪球でも)ちゃんと芯に当てることができるようになった。
「これなら、大丈夫。」

そう思っていたらすぐに集合がかかって、挨拶を受け、試合を始めた。


僕は昔から好んでピッチャーをやるけれど、実は球種は2種類しかない。
速いチェンジアップと、遅いチェンジアップだけだ。
昔はこれに、微妙に曲がる(本当に微妙)ションベンカーブが投げられた。
今投げると、ホームベースまで届かない。
速いチェンジアップのときは、腕を360度回し、遅いチェンジアップは180度しか回さない。


1試合目は3対0で負けた。
それでも審判に「ここ数年でまれに見る好ゲームだった」と言ってもらえた。
僕は3打数1安打で、でも「本当はもっと打てた。練習さえしていれば」と思って悔しかった。


僕たちが守っているときに、ランナー2塁の場面でセンターにフライが上がり、それをセンターがグラブにまでは当たったのだけど落球した。
僕はバックホームのバックアップのためにキャッチャーの方向に走りながら、その状況を見つめていた。
「バックホーム!」
誰かが叫び、センターは慌ててボールを拾って投げた。
そうしたら、フォローに走っていっていたレフトの背中に至近距離からボールをぶつけてしまい、レフトはのけぞって「痛え!」といい、ボールはバックホームもされないままコロコロと転がった。
ランナーは悠々生還。
でも、俺たちも笑い転げてしまい「何やってんだよ」と崩れ落ちそうだった。
この一件で、センターには試合後、全試合を通じてのハッスル賞が与えられた。


2試合目は他のチームの試合で、僕は点付けとカメラ係だった。
試合は14対11。
負けたチームは一時期、10対0で勝っていて、あと2点でコールドだったのに、それから逆転された。
僕らレベルの試合だと、こういうことがあるから怖い。


3試合目は12対6で勝った。
球が引っかかってフォアボールまで出してしまった。
僕のピッチングのいいところはフォアボールを出さないところなのに。
それでも、フォアボールはその1つを出しただけで、あとは出さなかった。

途中からコントロールが定まらなくなって、ずっと遅いチェンジアップを投げていた。
でもその分守備でも頑張った。
普段は取らないのに、フライも積極的に取りに行ったし、ゴロはちゃんと突っ込んで取りに行った。
今回はちゃんと打って3打数2安打だった。
それでも凡退した打席ももっとちゃんと打てばよかったと悔いが残った。


というわけで、2試合目に勝って準優勝をした。
もう最後はへなちょこボールばかりで、内外野に、特に三遊間に随分と助けてもらっての勝利だった。

大した貢献はしなかったけれど、チーム別のMVPは2試合完投したということだけで、僕がもらった。
賞品は日本酒の久保田だった。
僕はあまり飲まないので、久しぶりに会った仲間にあげてしまった。


家に帰って、シャワーを浴びたあとビールを飲んだら爆睡してしまった。
さっき起きてきた。


次にストライクが入るのだろうかという不安、ストライクが入らなくなったときのピッチャーを替わってもらおうかなあという甘え、打ったときの嬉しさと、生還したときの喜び。
「勝ったのなんていつぐらい振りだろう」という声を聞いて感じた安堵感。
でも、今日そんなことがあったなんて、一眠りしただけでもうほとんど忘れかけている。


リアリティを持っているのは、強烈なライナーを処理したときの左手の中指に残る青あざの痛みだけだ。

火曜日の夜、仕事が詰まっていたので、隣の席の同僚の真似をして午前1時30分頃まで仕事をしていた。
僕が帰るとき、彼はまだ仕事をしていた。

僕はもう帰る気力も失って、職場近くのホテルに泊まり、翌日の朝8時20分頃にダラダラと出勤したのだが、彼は8時前にはもう来ていて仕事をしていたのだという。

そして水曜日の昼間、僕はずっとアクビをしながら過ごし、夜は力尽きて8時30分頃に帰ったのだが、その日も彼は11時過ぎまで仕事をしていたそうだ。


体力の差というのをつくづく感じた。
未だに疲れていて、火曜日の無理がたたっているような気がする。


金曜日、家の近所から職場の前まで行くバスに乗る。
電車の倍以上、運賃がかかるが楽なのでこのバスを使うことが多い。
到着するのは仕事が始まる直前。
バスから降りたらいつも急いで職場まで行くのだ。


バスに乗っている間、バリー・ユアグローの「たちの悪い話」(新潮社)を読む。
(子供向けの?)短編が40編以上載っている本で、その短編ひとつひとつに毒がある。


たちの悪い話

最初の短編は、父親に「おまえはうちの子じゃない」と言われる少年の話だ。
子供は「僕はこの家が好きだし、お父さんもお母さんも大好き」だと言い張るのだが「こんなにきれいな家やハンサムな両親なら誰だって好きだ」と親(だと思っていた人)はにべもない。
子供は田舎臭い両親に引き取られる。
家は狭く風通しは悪く、高速道路の隣でうるさい。
もう漫画も禁止だし、キャンディもダメだ。
この話は、こうまとめられる。
「そう、人生というものは、こんなふうにある日突然、おぞましく一変しうるものなのだ」と。


作者は学校にもこの本の朗読に行ったのだという。
子供たちの前で「たいていの子供の本では、最後にはすべてうまく行くけど、この本では、何ひとつうまく行かないんだ」と言ったら、子供が手を挙げて「人生みたいに?」と言ったそうだ。


とにかく、ひどい話のオンパレード。
幽霊も異星人も象も出てくるが、とにかくひどい結末が続く。
帯には西原理恵子の「ちくろ幼稚園」と同じキャッチコピーがついている(これもひどい話だと思うけど。)。

ちくろ幼稚園
そのコピーは「毒入り、危険」


そんな本をバスの中で読んでいたら、バスが職場の前の信号で停止した。
本から目を上げると、運転手が運転席から立ち上がってこちらを向いていた。
「どなたか500円玉をくずせる方、いらっしゃいませんでしょうか。」


めんどくさいなあ、と思ったけど一応財布のなかを見る。

100円玉が5枚以上入っていたけど「どうしようかな」と僕は思っていた。
そのとき一人のきれいな女性が手を挙げて「私持っています」と言った。
彼女もこのバスではよく見かける。
きっと同じ職場のどこかで働いているのだ。


彼女は運転席の方まで100円玉を5枚渡そうと歩いていった。
お金を受け取って交換したのは運転手ではなかった。
500円玉をくずそうとしていたのは、うすらバカっぽい中年の男で、満足にお金を受け取ることもできない。
100円玉が転がり落ちてそれを拾い直したりしている。
仕事の時間が迫っているのに、と僕はイライラした。


彼女はもとの席まで戻らず、前の方の座席に座った。
運転手が運転席に戻り、バスが出発する。
20秒ほどで、職場の前の停留所に着いた。
と思ったら、通過した。
今のできごとに気を取られて、停車ボタンを押すのを皆、忘れていたのだ。


バスの料金を手に持っていたのだが、ひとつ停留所が変わると料金も変わるので、また財布を出してお金を用意し直さなければならない。
「ああ、もう。」


次の停留所でバスが止まり、そこから歩く。


春の青空を背景に桜の花が美しく咲いている。
その下を、僕は「仕事、間に合わないじゃんか!」とぶつぶつ言いながら職場まで引き返す。
僕の進む前には、あの親切できれいな女性がやはり急ぎ足で職場に向かっているのが見えた。

金曜日の夜は、課の歓迎会があって、僕も出席した。
本当は仕事が一番忙しい時期なので仕事をしていたかったのだけれど、そういう訳にもいかない。
課全体では50名ほどにもなる。
ほとんど男ばかりの課なので座席を決めるくじを引くときも、願うのは誰かの隣になることではなくて「偉い人の隣に座りませんように」ということだけだ。
くじ引きの結果、いつも職場で隣の席の同僚が、歓迎会でも隣の席になったので互いに「あのなあ」という感じだった。


歓迎会が終わったあと、僕は別の飲み会に出席した。
それは某劇団の飲み会で、僕は5月になったらその劇団のために台本を書くことになっているのだ。
もっとも、僕はキャラ設定もセリフを作ることもなく、ただ劇団の人達が作ったセリフを台本の形にして提供すればいいだけなので簡単である。

20代から30代の劇団員の飲み会は思ったよりもずっと楽しかった。


「僕は30歳で結婚したばかりなのですが、今は妻が家を出てしまって別居中です。住所もわからないので、年賀状も出せませんでした。」
そういう人もいれば、ハリウッドでダンスの修行をしてダンサーになる、という二枚目の男もいる。
自己紹介で「私のキャッチフレーズは、もやしが好きなところです」と意味不明なことを言っていた女性もいる。
女優のようなきれいな人はいなかったけれど、いろんな話が聞けて楽しかった。


土曜日は相変わらず仕事で、ずっとi-podで伊藤左千夫の小説「野菊の墓」を聞きながら計算をしていた。


野菊の墓
「好き」という気持ちがどんな気持ちなのかもうすっかり忘れてしまい、「好き」って気持ちは「やりたい」って気持ちの向こう側にあるんだっけ?それともこっち側にあるんだっけ?などと考えている今の僕に、この小説は衝撃だった。


この小説のなかでは、恋も手しか握らない素朴で純粋な恋でしかない。
内気で他人の目や噂ばかりを気にしている若くて誠実な二人の本当に優しい恋なのだ。


こういう小説を聞くと、失楽園なんか、趣味が悪いしグロテスクだとしか思えなくなる。
最後に民子が死ぬシーンでは、エクセルで検算している最中だったのに、危うく涙が落ちるところだった。


外が暗くなって夜も更けてきた頃、携帯電話が鳴った。
昔の職場の同僚だった。そう言えば今日は昔の仲間が東京で集まって飲む日だった。


当時の課長や当時の仲間と電話で話す。
「今から出てこい。」
「そんなに仕事好きだったっけ?」
などと言われるけれどどうしようもない。
「ゴルフの打ちっ放しに行く時間があったら、飲みに来い。」
という主張には「確かに」と思ったけれど。
「無理が通れば道理が引っ込む」とも言われたが、僕自身が今「締め切りを守らず、しかも数字がデタラメ」という人に苦しめられているので(文句を言うと「すみませんでした」というだけ。本当に謝られただけではすまないんだけど。)、この苦労を他人には背負わせたくない。
「次回はきっと参加しますから。」
毎回そう言っているような気がしたけれど、今回もそう言った。


今日の日曜日も朝から仕事に行った。
でも3時頃にはやめて、車のタイヤをスタッドレスから普通タイヤに履き替えたり、ワイシャツをクリーニングに出したりした。


本当にひどい週末の過ごし方だ。
何が楽しくて生きているんだかわからない。


マーク・ハッドンの「夜中に犬に起こった奇妙な事件」(早川書房)を読み終わった。


夜中に犬に起こった奇妙な事件
主人公は自閉症(正確には高機能自閉症、アスペルガー症候群というらしい)で数学と科学が大好きな15歳の少年である。

夜中に、隣の家の庭で園芸用のフォークで刺し殺された犬を彼が発見するところからこのドラマは始まる。


僕は基本的に主人公がまともでない小説は嫌いで、話題になったしよく売れた「いま、会いにゆきます」なんか5分くらい読んだところで主人公に腹が立ってゴミ箱に力一杯叩き込んでしまった。

いま会いにゆきます
今回の主人公は、あの彼よりももっとまともではないけれど、数学に信じられないような才能を示すので、最後まで読み切ることができた。
何しろ、主人公の少年は家に帰ってきたあとマインスイーパーの上級を76回やって上級を102秒でクリアするのだ(最短では99秒だそうだ)。


この少年が好きな問題に「モンティ・ホール問題」というのがある。


それはこういう問題だ。
「あなたがテレビの車を当てるゲーム番組に出るとする。司会者はあなたに3つのドアを見せる。3つのドアのうち、1つの後ろに車があり、残りの2つの後ろにはヤギがいる。
まず、あなたはドアを1つ選ぶ。
そのあと司会者はどこにヤギがいるか知っているので、あなたが選ばなかったドアのひとつを開けてヤギを見せる。
それから司会者は、あなたが最初に選んだドアを開ける前に1度だけ考えを変えて、もうひとつの開けていないドアを選んでもいいという。
あなたはどうすべきか。」


答えは、考えを変えてもうひとつのドアを開けるべき、なのだという。
考えを変えた方が2倍、当たる確率が上がるのだそうだ。


僕はどうして確率が上がるのか、しばらく考えてみた。
確かに、最後にドアを開ける直前では確率は5分5分。
でも一番最初にヤギのいるドアを選ぶ確率は3分の2で、車のあるドアを選ぶ確率の3分の1より2倍も多いんだから、考えを変えると2倍確率があがるのは当たり前だと理解できた。

この問題について数学的な式や詳しいフローが見たかったら、本を買ってみることをお薦めする。


ところで数学というのは僕は今は「直観で解答を見つけ、その後、それを論理的に説明するワザ。」と理解しているけれど、確率論だけは「地道にコツコツと事例を積み上げる」ことが必要だと思っている。
よく数学は「論理の積み重ねだ」というけど、それは多くの場合、当てはまるのは確率論だけではないかと思う。


本の話に戻るけど、舞台はイギリスのスウィンドンとロンドン。


イギリスにいたとき、カリフォルニアのクリスがヨーロッパ旅行の最中だったので、ロンドンで会ったことがある。
ってゆーか、俺のホテルの部屋に泊まりに来たのだ。
クリスは、イギリスにもガールフレンドがいて、デートに僕も一緒について行ったことがある。


彼女の家に行ったとき、僕はとても家が質素なのに驚いた。
よく外国人が日本の団地は「うさぎ小屋」だと言うが、イギリスの公共住宅も団地ではないだけで、広さは似たようなものだ。
「この前、2階の床が抜けて、バスタブがキッチンに落ちてきたの。」
そう彼女が言うので、
「じゃあ、風呂に入ったまま料理ができるね。」と僕は言った。


この小説の主人公は他人の表情を読むということができない。
また、略すことができないので状況を実につぶさに観察して、文章にしていく。


それで読んでいるうちにイギリスの家や電車のことやロンドンの地下鉄のあの雰囲気を少し思い出した。

今度はこの本を英語で読むつもりだ。

昨日は土曜日で休日だった。


洗濯をして、ゴルフの打ちっ放しに行って、温泉に行ってから仕事に行こうと思っていた。


洗濯をした後、冷蔵庫のなかに肉があるのを思い出して、朝からフライパンで焼き肉を作って食べる。
サンチュに焼き肉とキムチを載せて、マヨネーズをかけて食べるとおいしくて、満腹するまで食べてしまう。


他の人はどうか知らないが、僕は満腹すると眠たくなる。
耐えられないような睡魔に襲われ、2度寝して起きたらもう午後の1時だった。


着替えて仕事に行く。
3時頃から始めて10時までずっと仕事をしていた。
それでも、まだ終わらない。


「明日、ガッツがあったら、また仕事に来るよ。」
まだまだ仕事をしている同僚に言う。同僚がうらめしそうな顔で僕を見る。
「僕なんかもうガッツがないですよ。でも、明日も仕事です。」
「大丈夫。そういう君の方が僕よりガッツあるから。」


夜、運転しながら「何が楽しくて俺は生きているのかなあ」と思う。
今から100年経ったら、俺の存在なんか誰も覚えていないし、俺のした仕事なんて何の興味も引かないだろうなあ、と思う。
なのに、どうしてこんなに苦労して仕事を続けているんだろう?
空しさばかりが募る。
どこで人生間違えちゃったんだろう?
ちょっと考えただけで思い当たることが多すぎて、うんざりする。



普段、職場への行き帰りに「総合英語フォレスト」という英文法の本を読んでいるのだが、なかなか読み終わらない。

フォレスト

退屈で仕方がないのだが、それでも600ページのうち360ページくらいは読み終わった。
3月中に読み終えるつもりだったのだが、とても無理だった。


並行して最近はマーク・ハッドンの「夜中に犬に起こった奇妙な事件」(早川書房)も読んでいる。

夜中に犬に起こった奇妙な事件

これは子供向けの本なのだが、僕は最初、英語で読もうとして、途中からなんだかわからなくなって挫折してしまったのだ。
日本語で読んで、僕が挫折したのは、日本語で読んでも何だかよくわからない部分だったのだ、と言うことに気づいた。
読み終わって面白かったら、もう一度、英語でチャレンジしてみようと思う。


先週の日曜日には、デンゼル・ワシントンの映画「デジャヴ」を長野のシネマコンプレックスで観た。
映画の日で1000円だったのに、思ったより映画館は空いていた。


デジャビュ

デジャヴ(既視感)がらみの話なので、きっと前世とか、そんな話をベースにしたサスペンス・ストーリーなんだろうな、と勝手に思いこんでいたのだが、実際には本格的なSFだった。
不必要なカーチェイスに、途中うんざりもしたけれど、ラストの10分間は手に汗を握るような展開で、ずっと緊張していた。
まあまあ、お薦めかなあ。


ラジオを聴いていたら、ハーレー・ダビッドソンに乗っている59歳の男が話をしていた。
サイドカー付きのバイクなのに、誰もサイドカーに乗ってくれないと彼は少し淋しそうだった。


昔、トシオという友達を乗せて高速道路を運転しているときに、サイドカー付きのバイクを見かけたことがある。
サイドカーには女性が乗っていた。
「サイドカーって視線が低くて速度感が増すし、トラックの車輪がすぐ隣を通過するわけだし、自分でコントロールできないから怖いよな。あれに乗る女は本当に勇気あるよ。」
僕が言うとトシオは「バカだな。あれはサイドカーの方で運転しているんだぜ」と言った。


僕はこの話が好きで、今までいろんな人に話をした。
今も思い出すたびに笑ってしまう。


そしてそれからいろいろと思うのだ。


昔読んだ半村良の伝奇シリーズに、植物が人間を利用して繁殖しようとしている話があった。
人が危機に瀕している植物を救おうとするのだが、実は植物の方で人を利用しているのだった、という話だった。

人間がそのように行動することを、植物が察知して、利用したのだと。


思い込みに縛られずに、コントロールをしているのはどっちなのか考える、という視点は確かに興味深い。