週末に実家に帰っていたら高校3年の姪と大学2年の姪が遊びに来た。
高校3年の姪が涙ぐんでいる。
「どうしたの?」
「お姉ちゃんがどこの大学を受けるのかって聞いたから、正直に答えたら、あんたなんか絶対無理、落ちるって言われた。」
「ひどいなあ。」
「ひどいでしょ。」


大学生の姪に言う。
「あのなあ、もし仮に彼氏が甲子園を目指して一生懸命練習しているときに『あんたなんか甲子園行けない』って言うか?」
「私は言えるよ。」
「ははは。言えるかもしれないけどなあ、言っちゃいけないんだよ。それは大人としての常識なんだ。何かに夢をもってがんばっている人がいたら、「それは無理」なんて言っちゃだめなんだよ。応援してあげなくちゃいけないんだよ。」
「勉強態度が甘いの。だから無理って言ったの。」
「私、ちゃんと勉強してるよ。」
高校生の姪はまた涙ぐむ。

「そんなの無理かどうかなんかわからないじゃん。数百人も受かる試験なんだろ。本当に一握りの天才しか受からない試験ならともかく、やってみなくちゃ分からないじゃん。応援してあげようよ。無理だとか落ちるとか言っちゃいけないんだよ。」


話しながら昔見た「フラットライナーズ」という映画のことを思い出していた。

フラットライナーズ

医学部の学生たちが、いったん死んで死後の世界を見て、再び蘇生するという実験を繰り返す映画だ。

この映画の中では、死後の世界で人は哲学者のカント的な同害報復に報われることになっている。
つまり、かつて人の心を傷つけたものは、死後に自分自身の心を傷つけられ、かつて人を死に追いやったものは死後に自分が死に追いやられる。
僕の人生に大きな影響を与えた映画だった。

映画を見た後、もうムダに人を傷つけるのはやめよう、今まで傷つけてきた人に謝りたいなあ、と思った。
僕もかつては、大学生の姪に負けない毒舌家だった。人を傷つけても反省もしなかった。僕自身、何人の夢を砕いてきたか分からない。


「人の夢を壊したらさあ、自分も夢を持てなくなるんだよ。人の夢に「そんなの無理」って言っていたら、自分の夢だって、かなう、なんて思えなくなるだろ。礼儀として、大人の常識として妹の夢を壊したり傷つけたりして泣かしたりしちゃいけないんだよ。」
まるで昔の自分に説教をしているような気もした。


翌日の日曜日、僕は友達と馬籠宿(今は岐阜県だけど、ついこの前まで長野県だった)に行って遊んでいて、帰ってきたら母に呼ばれた。


家の近所に全盲のおばあさんが住んでいるのだが、そのおばあさんが、姉と僕にプレゼントをくれるのだという。
「どうして?」

姉が小学生の頃、修学旅行か何かの旅行のときに、お土産にお茶の入ったきれいな茶筒をそのおばあさんにあげたのだという(その頃は彼女もまだ目が見えていた。)。
そのときに、お駄賃をあげたわけでもないのに、お土産だけもらったことをずっと気にしていたのだという。
このまま死んでしまったら、申し訳がないから、今頃になってすまないけれど、このプレゼントを渡して欲しい、ということらしい。
僕にもくれたのは、僕もよく親切にしてくれたからなのだそうだ。
姉も僕も全然記憶がないんだけれど、そういうことがあったのかもしれなかった。
僕がもらったのはTシャツだった。

僕が長野から買ってきたお菓子を、母がお礼にあげたら、「嬉しい」と泣いていたそうだ。


「だからさあ。人は親切にしてあげたことも、傷つけたことも、思っているよりもずっと相手は覚えているものなんだよ」ということを大学生の姪にも話してあげようと思ったのだが、「忙しいのに無理して帰ってきたら、文句ばかり言われて、なんで帰ってきたのかわからない」とふてくされてもう大学に戻ってしまったそうだ。


そんな間の悪いところも、昔の自分を見ているようで「損な人生を選んでるよなあ、彼女も。」と少しかわいそうに思った。