東野圭吾の作品は好きで小説、映像作品ともに親しんできた。
緻密な構成と、人間を見つめる優しい視点でほっとする結末をいつも用意してくれることから、ファンも多いのだと思う。
そんな安定の東野作品を原作に、堤幸彦監督、篠崎絵里子脚本、というから間違いない作品だった。
主演の篠原涼子、共演の西島秀俊ともに実力ある俳優陣、共演も坂口健太郎、川栄李奈、山口紗弥加、松坂慶子、田中哲司、田中泯と良いキャスティングだ。
その他出演者は利重剛、駿河太郎、大倉孝二、斉木しげるらが名を連ねる。
川栄李奈は、物語を動かすキーとなる役。相変わらず出過ぎない演技が上手い。
別居中の播磨薫子(篠原)、篠原和昌(西島)の娘・瑞穂(稲垣来泉)がプールで溺れて脳死状態になるという事故を発端に、物語は動き出す。
脳死状態の家族とどう向き合うか、というのが大きなテーマだ。
欧米では脳死状態や寝たきりになった場合、家族の多くは延命治療を施さないことが多いという。日本は脳死に関する法的対応が特殊で、かつ日本人の、家族の命に対する考え方がまた欧米と違うことから、日本ではこの映画のような選択をする家族が多くなる傾向だ。
自分も日本人なので、延命したくなるその気持ちはよくわかる。
だが一方でその当事者になった場合、果たして自分の意志で動けない家族を、ベッドに永遠に寝かせて生き永らえさせるというのが本当に正しい選択なのか、と言われると答えに窮してしまう。
人の「死」というのは果たしてどういう状態が、「死んだ」状態といえるのだろうか。
国によって、法律にとって違うというのならば、それは極めて個人的な判断によってもよいのではないだろうか。そんなことも考える。
娘は生きていると信じる母親の強い愛情を、激しい感情表現で演じ切った篠原涼子の演技力と、抑えた感情をまといながら父親としての懐の大きさを見せた西島秀俊の2人の芝居が素晴らしかった。
東野作品は人間の感情の発露の繊細さがポイントだが、本作品はスタッフ、演者ともに東野ワールドを余すところなく見せてくれていたと思う。
娘の瑞穂は意識が戻ることなく旅立っていく。
そのシーンは母親の夢の中に娘が現れ、これまでの母親の愛情に感謝して去っていくという涙なしでは見られない演出。
命の大切さと儚さを感じることができる、良い幕の引き方だった。
そして脳死状態となった人に対する家族の在り方は、その家族の決めたことが唯一正しいことであり、法律や人に決めてもらうものではないのだろうと強く感じた。
劇中、脳死状態の娘を散歩に連れ出し、世間から気持ち悪がられ、息子含む親族と衝突するというエピソードがあった。
娘を介護することで頭がいっぱいになってしまい、周囲の家族への配慮ができなくなってしまったのだ。しかしある事件をきっかけに、家族は世間がどう見ようと娘とともに生きていく決意を固くする。
人の命の大切さというのは、死に直面した当人だけではなく残された家族の人生も含め、当人たちの極めて個人的な問題である、というのが東野圭吾が書きたかったことなのではないだろうか。
命のありようを考えるきっかけを作ってくれる、良い作品だった。
最後に。ラスト、瑞穂から心臓の臓器提供を受けた少年が播磨一家が住んでいた跡地に導かれるように走っていくシーンはちょっと蛇足だったかも。。。。
このシーンを見て、そういえば本作にも出演していた坂口健太郎主演(有村架純とW主演)の「さよならのつづき」も、そんな話だったな。。と。