18日の葬儀は伯母の助言などもあり、予定より1時間早く終わることができた。
火葬場から帰って来たら14時半、葬儀屋さんにお礼を言い、叔母に別れを告げて出発。
新幹線の時間まで時間があったし天気も良かったので、近くの地下鉄の駅を使わずMATTが幼い頃に住んでいた昔の家があった場所を見て帰ることにした。
本町駅まで徒歩20分程度の道程だ。
長堀通を東に向かう。
ここの沿線は昔はオフィスビルばかりだったが、今ではマンションが乱立している。
四ツ橋筋に着いたと思って、交差点を北に向かったが何か雰囲気が違う。
どうも一本手前のなにわ筋だったようだ。この辺が久しぶりでちょっと感覚が鈍っているところか。
ちなみに大阪の道は南北を走る道は〇〇筋、東西は〇〇通りという名称でわかりやすい。
アメリカの道のように、筋・通り名を覚えておけば初めてでも迷わずに目的地に行ける。
余所者にとっても、東京の道よりははるかに覚えやすいと思う。
なにわ筋沿線も工事中のビルが多数。
新しい地下鉄の駅も建設中らしく、東京と同じく都市部の再開発はすごい勢いで進んでいるようだ。
なにわ筋を東に折れて進み、四ツ橋筋に出る。
昔からある長瀬産業のビル。
だいぶ家のあった場所に近づいてきた。
地下鉄の変電所。変わらず同じビルがそこにあった。
この建物の奥の白いビルあたりに、実家はあった。
なんば方面を振り返る。
昔あった同じ企業が建物だけリニューアルしたのもあれば、まったく新しい企業のビルに変わってしまった場所もある。
このあたりに、40年以上前だがMATTが高校まで住んでいた5階建ての実家のビルがあった。今はその面影のかけらもない。
父親がバブルの時代にここにあったビルと土地を売り、かなりの資産を手に入れたはずだが、その後どうなったかは先の記事に書いた通り。
社会人になってバブルの恩恵は一切受けていない(というか、バブルの負の遺産で苦しんだ世代か)が、結構身近にバブル経済の影響があったのだな、と最近しみじみ思う。
中央大通りと四ツ橋筋交差点から北を望む。
こちらは南側。
40年も経つと都会はその表情をガラリと変えてしまう。
MATTの記憶に残っている大阪はもうそこには無かった。
そりゃそうだろう。それが都会というものだ。
だから最近は田舎出身の人がうらやましく思える。
地元に帰れば幼馴染がいて、変わらぬ風景がある。
もちろん、隣の芝は青いというのは十分承知のうえ言っているだけだが、、、、