カーチュン・ウォン氏の棒、日本フィル公演、済む、事後は、会社で使っているHDDがぱんぱんで、經費で購いたいのと、王将のスタムプ・カードが、っことしは75個を貯めて10%引き会員カード発行というのがあり、っそんなに貯めているうちに50個で7%引きだかなんだかもっとグレイドの低いカードに換えてしまうほうが、トータルで得をするのではないかとおもうくらいだが、独り身の食事では一向に貯まらなくて、有楽町の同店へ寄りたいというのもあり、っその辺まで歩く、有楽町のJRガード下の同店は、王将のくせにしてと敢えて云いたいが、ミョーにお高くとまりやがって他店では置いていない創作料理然たるものを置いており、単価も高く、ビールもスーパー・ドライ以外にペローニとかシャンディガフとかを置いている、っしかも、他店では生はもちろんジョッキだが、っここではグラスである、っほんとうに、王将のくせにしやがってだが、生もサーヴァーが他店より勝れものを使っているのか、泡の肌理が細かいのがまた憎い、
有楽町の家電量販店へ寄る前、っもう虎ノ門から山手線へ当たる手前まで来て、っぼくとしたことが、っこの近所を歩きながら陛下へ挨拶申すことを失念するという大失態で、慌てて踵を返して日比谷から馬場先門、宮城前広場まで往って90度に腰を折って遙拝、引っ返してHDDを購い、っいま食事中、生を3杯呑んだ、ったぶん1人して¥4千を超えるかとおもう、
週明けは狛江の廃校になった小学校のグラウンドの端を試掘、グラウンドは市民に開放せられているため、調査個所をB型バリケイドでL字に囲わねばならず、っきょうはやんちゃオペさんの殺されてしまった奥さんのお兄さんに4tユニック車で聖蹟別棟へ来ていただき、資材の積み込み、っあらかた積むとお義兄さんが、ラチェット・バンドが2本慾しいと云われ、1本は用意してあったが、っもう1本となると聖蹟本棟まで取りに往かねばならず、車で出て、出る途端に社長から入電、路駐して掛け直すに、月曜は雨ないし雪だから火曜に順延せよ、っと云わる、っいったんは諒解したが、バンドを取って別棟へ戻り、自分で調べると、月曜が本降りとしているところと火曜というところとに分かれている、Yahoo!は後者だったが、社長曰く、Yahoo!は当たんないよ、っとのことで、っどうしても火曜へ順延にせよと云って聞かれない、詮なくやんちゃオペさんへその旨、連絡すると、彼氏もより降水確率の高いのは火曜とおもっていられ、月曜荒天決行のほうが都合がよいらしく、自分からも掛け合ってみますよ、っと電話を切られるが、っすぐさま、やっぱダメっすね、火曜がいいみたいっす、っと折り返しがあり、火曜作業開始とあいなる、っもう狛江お役人へも月曜荒天決行だと伝えてしまってあったので、っきょうはお休みの可能性もあるのでSMSで月曜作業中止、火曜開始の旨、書き送るとすぐに入電し、周りががやがやしていたのできょうはご出勤でいられたようだが、事情を説明申し上げると、いや私が調べても火曜のほうが本降りみたいなんですがね、ま、社長が云うなら仕方ないですが、っと火曜への順延をご諒解いただく、人足の方々へも連絡せねばならず、各位へSMSを書き送るうち、午休憩の鐘が鳴り、着替えて退勤、多摩センから小田急、千代田線で赤坂、歩って器まで、
っまいとしのことながら、花粉はツラい、っけさも戸外で積み込み作業をしながらときに嚔が止まらず、っお義兄さんからも、花粉症っすか、っと云わるが、っしかし嚔は出どもいつもみたように鼻腔内が洟でぐじゅんぐじゅんになるかんじはしないので、っいまだ抗アレルギー薬は購わずにおいた、っただ、演奏会の器の中であれば、っほんのかすかな眼の痒みや鼻の不調さえ抑えたく、っやむなく、赤坂から六本木通りへ当たったところへあるドラッグ・ストアで求む、去年使っていたのとおなじものをレジスターへ持ってゆくと、薬剤師の方から成分はおなじでより安価のものがあると勧められ、っそちらを購う、早速に服んで会場入りするが、っぼくは生来、鼻がよわいのでその不調は抑え切れないが、っすくなくも眼の痒みはぴたっと止まる、っそれだけでもどんなにか有難いか、っお蔭で、演奏中は2時間、微動だにせずいられ、静穏を保つことができた、っいま19時半すぎ、1錠服んでから6時間ほど經ち、新宿で中央線から京王へ乗り換ゆが、っまだ眼も大丈夫ならば鼻も決壊しない、
っこの世話になり出したのは、っほんの3、4年前からだ、っそれまでの約40年間は、人間の身体というのはさようの一個の運命なのだから、薬に助けてもらえば不愉快を減じられるなどというのは、人生に対する背信行為だ、っというあほ運命論者であったもので、っしかしその人生も年寄らば妥協の連続であるのもまた道理、っいまはまことに情けなくも、文明の利器ならば用いない手はない、っというくらいの諦めはついている、っこの調子で蓄膿の手術もしたら、40年間ただのいちども經験したことのない、っすっきりと鼻の抜けている身体も手に入れらるものなのかなあ、、、っしかしそうだとして、っやはりやはり、っそんなものはもはや俺の人生でないし俺の運命でないという気がするから、鼻の詰まった身体のまま、40年間生きてきた、40年間いちどもほんとうの鼻呼吸をしたことがないし、っものの匂いもよくわからない、油性マジックを鼻先へ近附けて、懸命に空気を吸い込んでやっとすこしくシンナー臭がするくらいだ、っだからぼくは、近くで、え、なになにの匂いがしないか、っとかと誰かに云わると、っじつに冷汗を掻く、っぼくにはその匂いはぜんぜんわからないからだ、っよのなかには匂いがわからずに生きている人がいるとおもったら、っぜひに、っなにかの匂いがするとかしないとかということを、っそう安易に口外しないように、っぼくは世の人すべてに伏して願いたい、煙草を服むのも、っいつかに仕事の同輩から、私もむかし蓄膿だったが、煙草を服むようになってからすっかり治った、っと聞かされたそのことばに縋るような気持ちからのようにもおもうが、っざんねんながらぼくのばあい、っずっと服んでいてもぜんぜんよくなりはしない、煙草の味だってほんとうにわかっていると云えるのかどうか、
っぼくは将来、っなにか重い病気へでも罹ったら、っとくに治療はしないで死んでゆこうかとおもわないでもない、折角に神さんが死ぬるチャンスをお與えなのに、っそれへ医学の世話になって抗するというのは、っなにか本質的の愚行なのではないか、っひとたび男へ産まれたる者として、潔く死にたいものである、病気へなったら医者へ掛かるということへほんの一片の疑りとて入れないというのは、人間への人生への運命への、っどこか決定的の誤解であるようにおもう、人間とはそんなに偉くはないと確認するのに、死ぬ病気ではあっさり死んでおくというのは、っじつに得策であるかもしれない、治療で永らえ、っために人生を誤解するよりかは、、、っお医者のかたがた、っまことにすみません、っあなたがたを否定する気は毛頭ありません、っが、っぼくの人生もこの先さらなる妥協が進み、っもしか掛かりつけ医を有つとしたならば、助からない病気へなったら死ぬるのは人間にとりがんらい自然なことだ、ま、敢えて救えと云わるならば善処しないこともないが、っというくらいの構えでいられるお医者へ巡り合いたいものだ、っすくなくも、患者を救うことへ篤い使命感を懐き、ゆたかな自己満悦をおぼえている、っなぞいう人よりかは、
三鷹の試掘4件分の校了を得たので、っきのうは紙出力、デイタのDVD焼きをしていて、資材の購い出しへ行きたかったが、ホーム・センターが閉まる時間までにその作業が済まず、近来、別棟へ新設のそのまた別棟プレハブへいまだお残りだった黙々先輩へ、購いものへ行って戻ります、いったんあちら、、、別棟のことだが、鍵しめて行きます、っと云い置いて外出、21時すぎころ戻ると先輩はもう退勤されており、っそこからまだ22時半すぎまで掛かってようやっとすべての成果物を揃ゆ、社用車で退勤し、パーキングへ停めて23時すぎにLO間近、新宅から目の前のファミ・レスへ入る、っきょう演奏会なので、っしっかりと睡ておきたかったのだが、っやっとベッドへ倒れたのは2時か3時か、
っが、3曲ともよく識っている曲ということもあり、っさいわいにして睡魔とは無縁に2時間、聴いていられた、演目は、伊福部昭《日本組曲》、小林美樹女史を招いてチャイコフスキーのコンチェルト、、、っいつものことだが、小林女史をヴァイオリニストとご存知の向きを相手にここでチャイコフスキー《Vnコンチェルト》と書いてしまうと、頭痛が痛いというのとおなじ、トートロジーとなってしまう、っそれでチャイコフスキーのコンチェルトとっきり書かなんだ、トートロジーを嫌うのはあほな論理癖たる男の習性だが、悪気もないのにどうも男から苛々されるという女性は、っご自身の言動がしばしばトートロジックではないかと一顧されるのもわるくはない、っとまれ、メインはラヴェル編のムソルグスキー《展覧会の画》である、
伊福部は泥臭い味が慾しいとおもうが、っまずカーチュン氏にはそれは希みえない、案の定、㐧1曲からすっきりとしているが、っあいかわらずの日フィルの秀抜なるアンサムブルと、太陽の人、カーチュン氏の健康美とが早くも燦然と耀き、どっしりとした足取りの重さなどは求めずに聴かむ、っとおもい直す、っそれでも、終曲あたりもっと喰い附くごと嚙み附くごとくどいアクセントの連続が恋しかったが、カーチュン氏は反対に終局へ向けてサディスティックのまでにアクセルを踏んでゆかれる解釋、
コンチェルトも、オケはずいぶん大人しく、っもちろんカーチュン氏がさように抑えていられるのだが、佐藤/宇野/仙台フィル音盤の史上空前の濃厚濃密を愛するぼくとして、っわりに苦労して美点を探しつ聴いたものだ、小林女史は、近年の有能を競うヴァイオリニストのご多分に漏れず、っがりがりいうワイルドな音はほんのいちどもお遣いにならずに全曲を踏破され、滑らかなることこの上がないし、っほとんどチェムバーの閾とすべき細心の日フィルの合奏に、っこちとら舌を巻かずにいないのも紛う方なき事実である、
ムソルグスキーとなって、カーチュン氏もようやく牙を剝いてこらる、オットー氏の余裕綽々の〈プロムナード〉に始まると、途中、信末氏以下、ホルン群の対位をごつごつと強調されるたのしさ、〈侏儒〉へ遷移すると、シロフォンを伴なうふたつめのテーマのリズムをすこしく改変、っはじめ、弾き損じかと聴き紛うが、終結の走句でもおなじように頭の音を蹴躓くように音価を長く取っていられたから、意図した表現である、っうれしいワガママだ、
っそれにしても、チャイコフスキーでもそうだが、っそのフィナーレの、っあれは㐧3テーマなのか、㐧2テーマ中の副次的の主題なのかな、モルへ変じて木管4声が順に歌う、提示と再現とで装飾音の附く位置がずれるあれ、っあれなどを聴いていると、日フィルはその4楽器がいったいなんと互いにこころを通わせ合い、音色を研き合う切磋琢磨をつよくつよく実感せしめることか、他の在京の楽団だと、っどこかしらなにかしら、え、先行する楽器は折角にあんなにもゆたかな音色でバトンを渡してくれたというのに、どうしてそれを享けるあなたはそんな素っ気ない音でっきり吹かないのさ、っという不首尾をおもわせるものだ、日フィルはさように、精妙の裡にも昔気質の人情を垣間見せる、っじつに人間臭い合奏であることだ、
ムソルグスキーで楽器が殖えても、コール・アングレといいバス・クラリネットといい、っそれへ水を差さないどころか、っなおいっそう、音の桃源郷へ聴くごと綾また綾である、
っただ、特殊楽器は、アルト・サックスはまだしも、〈ブィドロ〉の主題は、ユーフォではなくテューバで、トラだろうか、若い奏者でいられたが、っこの練達の日フィルへ立ち混ざるにはいささか腕に不足ありで、ハイ・トーンが定まってひっくり返っていられたのはいただけない、緊張されたのかもしれない、っまさかにこれまで、重たい転がりの牛車のその牛の喘声を模さむとするカーチュン氏の表現として、っわざと音をひっくり返させていられたのではあるまい、っそのくらい、っぜんぶひっくり返ってしまっていた、
〈キエフ大門〉は、っきらきらと〈プロムナード〉主題を回想するあたりから幕切れまでが、っまさしく出色、っほんものの鐘たるテューブラーのみならず、カーチュン氏は裏拍のホルンやバス・クラリネットへ、スタッカーティッシモというのか、っみじかくぴたっと停める音を求められ、っそれまで鐘の音に聴こえる錯覚、同曲主題の再現へ至ると、っはじめ、っぎりぎりのところで管打の音圧を頼まずに絃の刻みを効かせ、新鮮な葉野菜の球を割るごと瑞々しさ、っそこから終局へ向けてどんどん歩幅を広め、っついには、っほんとうに巨大な門の鐘楼ががらんがらんと鳴り渡る様を幻に視るようであった、ラヴェルという媒介者を挿んでいるとはいえ、っまこと、夭折のハルトマンへのムソルグスキーの弔意と、っそれ以上に触発せられたる彼氏の創意のありったけの発散で、っなんだかさいきん泪脆いのは花粉のせいだろうか、っこんな通俗名曲で、っぼくはまたも目頭を熱くしながら聴き了ゆ、原画自身は、ったしかそんなにでかでかとした画面ではないはずで、っほんの壁掛けのアイディア・スケッチといったものだろう、っそこからこんな誇大な音絵巻と結實するとは、音楽のみに成しうる勝利である、
同フィルの動画配信があるのは定期のみかとおもっていたら、今公演も配信せらる、恆例の九州楽旅からの凱旋公演だから、っということかもしれないが、っいずれ、っうれしい、っまた録画しておかむ、っそして来週は、っいよいよ同コムビのマーラー《復活》である、
っさてあすは、蒲田にてアマチュアの公演、ったしか同《巨人》がメインである、、、薬が切れてきたらしく、っさっきから洟が出てかなわん、っいままだ多摩センの喫煙スペイス、