井﨑正浩氏の棒、名古屋市民管なるオケで、スメタナ《我が祖国》、済む、
っすばらしいっっっ、
っこちとらせっかくにはるばる北海道から聴きに来ているので、っそれはテメエの勝手にすぎないわけだが、っしかし、その俺の耳へ鈍らな音なぞ届けるんじゃないぞ、っという我勝ちのこころを抑えられずに開演を待ったのだったが、っいやはや、、、オケも抜群、っことしの井﨑氏公演としては宇都宮におくマロニエ響に比肩すべき世紀の大楽団であり、っその手足を得て彼氏は、っじつに丁寧至極の棒を振られる、オケに一定以上の地力があるとき、ヘタに丁寧な棒を振ると奏楽が安易な予定調和へ落着し、っかえってつまらない演奏になったりするものだが、っそんな心配は無用、井﨑氏はオケが弾ければ弾けるほど細目に亙る要求要求を繰り出されるため、っそれを叶えむ叶えむとする楽員各位の意志意志が凝集し、全楽は絶えず途轍もない緊迫感を湛える、っこんなにも細部の細部にまで意匠の漲り渡った《我が祖国》は、っぼくの聴いてきたかぎりではおよそ空前絶後であるが、っにも拘らずあくまでも余韻は爽快であり、音々はただただ聴く者を仕合わせにしては去ってゆく、
っそしてあいかわらずの芸文センターのあのトーンよ、、、潤澤でありつなお分解能も高く、ったとえば〈ヴルタヴァ〉、序奏が済んで中低絃に伴奏音型が出、Vnとオーボーとが主題を唄い始めても、っその伴奏音型がずっと意味深くクリアに聴こえつづける、っここだけでなく、余分な力を入れずともちゃんと逞しく鳴れるオケは、大トュッティではトロムペットが頂点において独り吼え立てて他をすべて塗り潰してしまうのでなく、ホルンとともにごくフレッシュな和音を結んだりする、っあんなにも音量音圧が高いのにあんなにもハモって聴こえるとは、愕くべきことである、っそして最弱音では絶え入るような音量が要請せられてもけっして平衡を乱すことがなく、っついに音価を遂げてパウゼへ至った際の無音の堂内は、っまさしく仕合わせである、
〈ヴィシェフラド〉は、主題がハープからホルンへ遷ったはじめこそ、っこの楽器にとっては低い音域が苦しそうで、っそれとファゴット等の木管との混淆が、全体の音色音質としてもうひとつぴたりと定まらなんだが、井﨑氏の棒は早くもおもい入れたっぷりで、管群とハープとが交互に交互に鳴るところではいちいちいちいちテムポを撓め、っまたそれへのオケの応え方がめいっぱいの共感に溢れている、っそして満を持して絃が登場すると、Vnのアルコのいったいなんという澄明かっっっ、Vcのハーモニーの附け方のいったいなんという繊細さかっっっ、
急速の主部へ入っても振り落とされるメムバーは誰ひとりとしておらず、フガートはまさしくフガートとして鳴る、っすべてのパートが等分のテクニークを具えている、高解像は維持せられるどころか、竣敏に駈けながらも感興はおおきく膨れ、胸いっぱいに展がってゆく、っいかにゆとりを有ってかつ眞剣に音楽をしているかだ、井﨑氏の点画点画の定め方定め方、棒の軌道軌道は、曲への共感共鳴を謳うのに最高であるとともに、交通整理としてもじつに最善である、通例、っその両立は難いものなのだが、
〈ヴルタヴァ〉も冒頭からゆっくりじっくりと語り起こす、フリュートの吹き方、音色音質、ピッツィカートを挿すタイミングまで高度に巧んで音を準備してきたことがわかり、聴き応え満載である、
主題は、高音へ達する際の弓の軋らせ方ひとつで歌の感触に差が出ることをVnの連中はみな自覚しており、井﨑氏はその難儀をしかし要求される、っそして要求は叶えられるのだっ、っせつなくてやり切れない、懐かしくてたまらないっっ、っそして音高を上げながら漸強すると、下げながら退潮するときにはさっと弱音へ抑え、先述のとおりVa、Vcの伴奏音型を浮かび上がらせるっっっ、っほんとうに、眼前へ河の流れを幻視するかのようだ、
結婚式の田舎踊りは、っぼくの、、、っじゃなくマタチッチ翁のこだわり、漸強以前の2音ずつのスラーの強調こそないが、ボウイングとしてはたらりらたらりらでなくたらてぃらたらてぃらの弓順となっているのがわかり、腕利きばかりが揃っているため、たら、っから、てぃら、っへ遷移する際のかすかに弾き直されている手応えは如実に伝わる、っそれでよいのだ、っなにもマタチッチみたように、たら・てぃら・たら・てぃら、っといちいち間へルフト・パウゼが入らむばかりの勢いで演れなどとは、っぼくも申さないのである、、、っそう演れるものなら誰か演ってみてしまってくれたいものだが、
月夜はやはり絃の勝利、っそしてとちゅうから加わるホルン、トロムボーンの動機のリズムを寝かせずに弾むところがすばらしい、静謐な時間だからといって音を寝せてばかりいるのは愚策である、
急流では絃がシャギーな倍音を発せむ発せむとし、っそういうことでワイルドネスを表現するのであり、グラン・カッサの烈打であるとか、安易な方法を頼まない、移調した主題の回帰でもそうで、っやはりどたばたとテンションに感けない、鳴っている音が、この強勢は前の強勢よりもどのくらいつよくする、どのくらいの音の量にする、どのくらいの鋭さにする、っという風附きをしており、っもちろん周到とは聴こえても冷淡とは印象しない、終結の2音はどうも据わりのわるい演奏がおおいなか、っそのこと、どう発音したら不細工になってしまい、どう発音すればぴたりときもちよく定まるか、っを意識した棒の振り方、音の出し方となっているのがありありとわかる、っそしてそれは文字通り奏功し、っまさに据わりのよいトュッティだったのである、
、、、っもう王子の開演時間となってしまった、っいったん保存してあとでまた書かむ、
っいま、王子のほうも終演したんだが、、、っこんれがまたねえ、、、っいやはやどうして、っまさかああいう種類の演奏が待っていたとは、、、っま、っそれはまたあとで別記事を上げるとして、っまずは井﨑氏補遺、
〈シャールカ〉も冒頭から着実で、っやはり勢いだけでは音楽が上滑りすることを指揮者もオケも識っており、っそれを回避すべく主題を弾く絃が、一点一画といえど疎かにすまいっ、っとつよく意志した奏楽を示す、っそんな全楽の裡でしかし紅一点、、、女性奏者だったのだが、クラリネットはちゃんと狂おしい熱情を吐露す、女戦士の胸の内を謳うには、っもちろんそうでなくてはなるまい、っそして絃も黙ってはいず、っあの連符を含んだ歌ではめくるめく情念の迸りを聴かせる、なんという名曲だろうっ、っその感激に堪えず、っぼくは泪を落とした、最後の殺戮劇となる手前のクラリネットのソロのところだったか、ファゴット2本の和音といった地味な音にまで目配りが効いていたが、っそのさらに手前、彼等が吹く間抜けな男衆の鼾は、井﨑氏は記譜通りの音価を求めてお振りになるように見えたが、奏者はそれより手前へ飛び出させるように吹いていた、2度井﨑氏にキューを出されて2度ともさように吹いていたから、っそういう表現だったのかもしれない、殺戮劇はそこへ向けて漸強してゆくときには地を這うごとロウ・テムポで、っまさしく男の寝込みを襲うシャールカ連の血走った眼が髣髴す、さあいざ殺戮が始まったあとのテムポをどうする心算だ、っと構えて待つに、っそこへ至る途端のアクセル全開、っこまかい音符をがっちり入れてくるトロムペットの張り切りようも痛快である、〈ヴルタヴァ〉以後、っすべての曲が強音で了わるが、っここでもやはり据わりのよい音を巧んでいる形跡が顕著である、
休憩して一部乗り換えもあり、後半、〈ボヘミアの、、、〉は冒頭から熱量が高い、絃はやはり整然とひびきの基底を形成するが、トロムペットなどは滾るような濃密な音色を聴かせる、っこういう演奏こそ、っただ精緻なだけで了わらせてはならない、っやがてクラリネットとファゴットとの歌が聴こえてくるが、っその終わりのほう、フリュートとオーボーとへバトンを渡す手前で、休んでいた絃バスが、っほんの1小節っきりだとおもうが、アルコで全音符を静かにずーーーんとやる、井﨑氏の棒はちゃんとそちらを指している、っとにかく、っそういう細かな部分で、っこれまで気附きもしなかったことをいくつもいくつも教えらる、
〈ターボル〉冒頭は、漸強してきてフス教徒の動機を全員で確保するときに、ティムパニがけたたましく打ってくれないのが惜しい、っここのみならず、全曲に亙ってこの楽器にはいまひとつの気骨を求めたかった、っしかし全体の鉄壁は一部も揺るがず、1stの静かな高音に始まるフガートは、〈ヴィシェフラド〉の主部同様に、音楽の構造を具に伝えた、っこれに導かれる讚歌の部分では、っいよいよトロムボーンも大詰めへ向けて熱量を増してくるが、トロムペットとおなじでけっして独善的に絶叫してはならないと自戒が効いており、ここはトロムボーンをたっぷり聴きたいっ、っとぼくがおもって待ち構える、っするとトロムボーンはきちんと威厳たっぷりに鳴る、っけれども節度ある吹奏で、っまたもホルンとの間に鮮烈な和音を聴かせたりする、
〈ブラニーク〉ではホルンっ、牧笛の呼び交わしはオーボーもクラリネットもフリュートもファゴットもみなすばらしかったが、ホルンはハイ・トーンを2度とも弱音でぴたっと定め、っしかも音の出しどころも、クラリネット等とのコンテクストからいってぞんがい前へ倒れ勝ちに吹き始めてしまう演奏がおおいなか、そこだっ、っという位置からさっと高い高い音が難なく起ち上がるので、っまことに快感であった、
、、、っもう南大沢まで戻って来てしまった、っまだもう1記事書かねばならんのだが、
最後の勝鬨だが、ターボル動機とヴィシェフラド動機とが同時に鳴ったあといったん弱音へ落ち、っあらためて後者を謳歌すべく登坂する部分は、っぼくはよく行なわれているレガーティッシモではしゃらくさくて嫌いで、っきっぱり1音1音切って登ってくれたいのだが、っきょうの井﨑氏はそうだったっっっ、っやはり譜面にはスラーなど書いていないのにちがいあるまい、っああでなくてはっっっ、
っほんとうに、遠く北海道から飛んできた甲斐があった、アンコールにきのうとおなじアンダーソンからきょうは《橇滑り》、井﨑氏はサンタクロースへ扮装されてなかなかの名役者ぶりでいられたが、客席は手拍子をしたがってしまい、彼氏も主題がジャジーなスウィングへ回帰するところからはぼくらへそれを促される、っぼくはああしたときけっしてその手拍子へは和さずにあくまでも舞台上の音のみへ耳を凝らしたい人なのだが、オケはやはりとても巧く、っそのスウィングのノリもカッコよく、最後はトロムペットが、っあれはトナカイの鳴き声の心算の筆なのかとおもうが、っそれをみごとに鳴いて、眞に充実し切った公演を締め括ったのである、
事後はきのうにつづき王将で、、、っまたやたらと割引券をくれるもんだで、っその期限がみじかくて、っまんまと術中へ落ちて通いっ詰めにさせられてしまうという、っで食事をして地下鉄2駅、名駅から新幹線で東京、京浜東北で王子へ遷ればもう開演に間近、
っそれはなんとも珍妙窮まる3連チャン演奏会の掉尾だったのだが、記事を改めて、