一応今年いったコンサートを振りかえって、年内のブログを終了いたします。今年は14回通ったようです。個人的にはよく頑張ったな、と思っています。月1ぐらい通えれば良いかなと考えていたので、満足しています。しかし、評判になったコンサートにはあまり行っていないので、結局立場はオルタナティブな感じのままです。マイナーなコンサートの感想が多いですかね。
以下今年通った各コンサートに、簡単な寸評から反省点などを拾い出して、終了したいと思います(以下の写真は全て借り物で、当日の演奏とは異なるものも多いです)。記事の1と2は連続して、下に続きます。
新国・さまよえるオランダ人 | ヒマジンノ国

まずは2月1日の新国立劇場のオペラ「さまよえるオランダ人」。生での、ワーグナー初観劇だったのですが、オランダ人役のエフゲニー・ニキティン氏が体調不良で、1度の公演しか登場せず、他の日は代役の日本人がオランダ人を担当しました。自分は代役の日に鑑賞。
あまり書きたくないですが、この代役のオランダ人役の方があまりにひどく、ちょっとびっくりしました。劇が始まる冒頭で、支配人らしき人物が謝罪をしていましたが、現場の人間も状況を分かっていたということでしょう。国内にはワーグナーを歌える人がほとんどいないのではないでしょうか。
あれぐらい声が出ないと、オペラは画面が引っ込んで見えるんですね。良くないパターンを体験できたというのは、貴重といえば貴重でしょうか。「さまよえるオランダ人」なのに、オランダ人不在という感が強い公演となりました。
冒頭での、マルク・アルブレヒトの指揮ぶりも、くすんだ響きでパッとしません。一応後半主演者全員で盛り上げようという意図は感じました。それなりに感動したので、これはこれで勉強になりました。
ヤノフスキによるミサ・ソレムニス | ヒマジンノ国

3月の終わりに聴いた、ヤノフスキによるパルシファルは途中離脱したので、除外します。
ヤノフスキによるベートーヴェンのミサ・ソレムニスを4月4日に鑑賞。東京文化会館での公演ですが、この時期の文化会館周辺は人だかりがすごく、あまり好きになれません。文化会館には始まるまでの待合がなく、周辺地域のカフェなども人ばかりで、席が取れません。コンサートが始まるまでに疲れてしまいます。
さて、肝心のコンサートですが、ミサ・ソレムニスは4月4日と6日、2回やりました。自分が聴いたのは初日。前半コーラスが、少しですが、揺れる場面があり、どうもN響含め、出演者は少し疲れているように見えました。おそらく少し前にやった、パルシファルのせいでしょう。2日とも聴いた人のコメントを見ると、後日は復調していたそうです。
この日の演奏で1番気になったのは「クレド」の解釈でしょう。フーガなど異常な速さで演奏し、重さのない演奏でした。この解釈が今もって、自分には不明です。従来の演奏だと「クレド」はベートーヴェンの力強い信仰告白であるはずで、力感ある力強さを求めるのが賢明のような気がします。あの演奏はあくまで「ミサ」としての主体を離れ、音楽的に処理した結果だったのでしょうか?
「クレド」は前述のような後半のフーガと、前半の受胎告知を示すオラトリオ風の場面からなります。これがいつものベートーヴェンと違うのは、主題動機の展開からなる、交響的なアプローチではなく、「ミサ」の典礼文の内容にそって、別種の音楽の書法が並べられている点にあります。要は「ミサ」の内容を標題とした、標題音楽ともとれます。つまり音楽は、典礼文の内容に肉薄していますが、それでもなお伴奏にすぎないのです。自分もブログの中で、この曲を勝手に彼の「第10交響曲」といっているので、問題ありですが、この曲は「ミサ」の内容を無視して音楽的な処理に終始してしまうと、「内容的な中抜け」を起こすように思えます。
ですのでこの「クレド」を軽くやると、後半の楽章の感動が薄れてしまいます。内容の繋がりが薄くなるからです。
正直、自分はあまり沢山コンサートに行く機会がないので、できるだけ「先入観無し」で、コンサートを聴きたいとは思っています。ミサ・ソレムニスも繰り返し演奏されてきた曲なので、今までにない新しい解釈があって良いと思います。しかしこの日はヤノフスキの解釈には、必然性を感じませんでした。
ただ、ミサ・ソレムニスを聴く機会が少ないのも事実なので、この日は実演を聴けたことを喜びたいと思います。
パーヴォ・ヤルヴィ N響 | ヒマジンノ国

4月13日、NHKホールでヤルヴィ指揮のN響を鑑賞。曲目はベルリオーズ「イタリアのハロルド」とプロコフィエフの交響曲4番という渋いプログラム。
両曲名演だったと思いますが、プロコフィエフの交響曲は理解が難しいという印象です。個人的には精神的な糧になるかといわれれば、微妙な感じのする曲でした。
ベルリオーズは美しい瞬間が何度もある名演だったと思います。
オクサーナ・リーニフ、ヤメン・サーディ、ショスタコーヴィチ | ヒマジンノ国

4月21日、ショスタコーヴィチのヴァイオリン協奏曲を聴きに、サントリーホールに出かけました。
この日も名演で、感じの良い演奏会でした。後に調べてみると、ボーダナ・フロリャックはウクライナの女性作曲家で、息子が前線で戦っているとのこと。
リーニフの演奏はどの曲も引き締まっており、バルトークの「中国の不思議な役人」組曲は多分十八番なんだと思います。深みはないですが、確信に満ちた演奏で、満足そうでした。
ルイージのブラームス | ヒマジンノ国

5月5日、所沢ミューズでルイージの指揮するN響を聴きました。ルイージの実演を聴くのは2度目になります。1度目は池袋の芸術劇場でした。
1度目はあまり感銘を受けず、イタリアの普通の指揮者という印象でした。しかしこの日の演奏は大変美しく、感銘を受けました。何で、前回とはこんなに印象が違うのか?と思えるほど良かったです。日本のオーケストラでもこんなにコクのある、美しい音がするのかと驚きます。ヨーロッパのオケじゃないかと感じるぐらいでした。全任者のヤルヴィとか、デュトワのせいなのかもしれません。また、大きすぎないホールのせいかもしれないと推測しますが、今のところ推測にすぎません。
しかし、1度目と2度目の鑑賞経験を比べてみると、芸劇ではホールが大きくて音が散っていたように思えます。反対に所沢ミューズは、音が散らずに、音色の魅力が伝わってきました。ホールの影響は大きかったと感じています。
所沢の時は、自分は割とオーケストラに近い席で聴いていたので、ルイージの様子も良く分かりました。彼は肩の力を抜いて、緊張感があるものの、流れの良い音楽を作り出していました。この日のプログラムはN響のヨーロッパ公演の一部になっていたものです。
その後、ヨーロッパ公演の批評を確認してみました。
現地の批評に次のように出ていました(ブラームスとベルグのプログラム)。
「大音量の時代において、このパフォーマンスは、音楽が良いものになるために大音量である必要はないことを思い出させてくれました。また、指揮者は自分が望む音を得るためにアクロバットをする必要もありません。文化やジャンルを超えて、控えめな専門知識、細部への細心の注意、熟練度の高い演奏がうまくいきます。」(翻訳ソフトによる)
また別の批評では。
「柔らかく輝く音色と指揮者との絶妙な一体感が聴く者の心を捉えた(中略)。ヨハネス・ブラームスの《交響曲第4番》を聴いていると、まるでヨーロッパの名門オーケストラの演奏を聴いているかのような印象を受けた。指揮者と演奏者たちは、その曲の持つ歌謡性と情熱を余すところなく引き出していた。」
実際このような批評がかなり正しいというのが、この日の所沢のコンサートを聴いた、自分の意見です。
少し話はずれますが、日本が国際的に成功した種目に「野球」があります。ここ何年も国際的ランキングでは日本が第1位を獲得しています。その日本の「野球」の特徴といえば、パワーを生かしたものではなく、走塁や野球技術を生かした「スモール・ベースボール」です。日本のホームランバッターがメジャーリーグに行っても大体が中距離ヒッターになるように(大谷翔平の様な突然変異は除く)、パワーでは白人や黒人などには敵いません。
日本のオーケストラについても似たようなことを思う時があります。音は大きくないが、内向きの技術の高さを利用した演奏といいますか。この日はその良さが出ていた演奏だと思います。日本のオーケストラの良さを生かした名演だと感じました。ホルンやフルートなど、緻密に瑞々しく鳴っていました。室内楽風といって良いのか、大味感は一切ありませんでした。
大音量のモダン・オーケストラとは違う方向性の名演だと思います。
多分欧州でも、N響とルイージのブラームス辺りについては、そのような感想を持った人もいるのではないかと思います(マーラーについては良く分かりません)。米国の音楽批評家が日本のオーケストラを聴いて、欧米のオーケストラを「ノイジ―」だといっていたのを読んだことがあります。
何が良くて悪いかは中々難しい問題です。条件次第(TPO)で人は聴き方が変わるので、はっきりしたことはいえませんが、N響とルイージのコンビはいろんな条件次第で、かなり美しく聴こえるんじゃないのかとこの日感じました。
ただこの人、同じ曲目をサントリーホールや、NHKホールでやって、自分が聴こえた様に聴こえるかは何ともいえません。音が散ってしまって、散漫に聴こえる可能性もあると思います。
また、ルイージのこの日の指揮ぶりから見ても日本のオーケストラの緻密さを好んでいるんじゃないかという気がしましたね。ヤルヴィなんかも同じなんじゃないのかと思います。
そういう意味では、ルイージの芸風で、大きな劇場で彼らがどれぐらい実力を発揮できているかは分かりませんし、また、そういった大劇場で実力発揮できなのなら、実力不足という話もあるかと思います。特に、ルイージについては、NHKホールでの演奏は、かなり損をしている可能性はあるのかもしれません。