最近は日本の「お笑いタレント」の風俗嬢に対する発言や、不倫騒動などもあって、こういう話題を書くことにためらいもありますが、個人的な読書の記録として書いておきます。
ナボコフの「ロリータ」、若島正訳。
ウラジミール・ナボコフ(1899-1977)の「ロリータ」を、幾度となく挫折しそうになりながらも、やっと読み終わりました。主人公、ハンバート・ハンバートが「12歳の義理の娘に手を出す」話・・・で、要は性的倒錯者の物語になります。
色々いわれているようですが、やはり「ロリコン」の体の良い、弁護になっていることは否定できないでしょう。
内容はともかくとしても、「アメリカ文学の古典」などといってしまえば、社会的認知はないとはいい難く、それは明らかな弁護になるでしょう。性的な嗜好は個人ごとに異なり、「少女趣味」を理解できない自分にとって、この著作の6割から7割は読んでいて苦痛でしかなく、何度となく読むのをやめようかと思いながらも、「有名だから」、という理由のみで何とか最後までたどり着きました。
「デクスター」という、人殺しのサイコパスを主人公にした、アメリカのテレビ・ドラマがありますが、この「ロリータ」も少女を愛し、そして、自分から少女を奪った相手を殺すまでを描いており、読みながら、ずっと「主人公」という犯罪者のことを追う羽目になります。そこに性的嗜好が加わると、読む人を選ぶのは当然といえば当然なわけで、自分は相当に「ぞっと」しながら読みました。
人生で初めて、ナボコフは読んでみて、天才だとは思います。各所に込められた「こだわり」、あるいは「美意識」。小説の細部が、他の部分の細部と重なり合ったり、あるいは関係性を持たせることで、何度も読める(繰り返して読めば、新しい発見があるようになっているようです)。
ドリーとハンバートが2人でアメリカを車で旅する様子なども、当時の空気感などが伝わってきて面白いです。そういう意味ではナボコフの作品は、この「ロリータ」以外なら、また読んでみたいと思います。
しかし、中々きつかったので、もう「ロリータ」を読み返したいとは思えませんね。この小説を心から絶賛する人ととは自分は意見を同じくすることはできません。それは明らかです。実際に自分以外でも、読んでみて、途中でやめる読者も多いといいます。
この「ロリータ」ははじめ出版してくれる会社がなく、やむなくパリの「ポルノ小説」を出版している「トラヴェラーズ・コンパニオン」社から発売されました。その後にベストセラーになり、ナボコフが作家として経済的に独立できるもとになった作品のようです。しかし、最近のアメリカのエプスタインの事件などのことも考えると、このナボコフの作品が、(ロシア人が書いたにもかかわらず)アメリカ文学の古典などといわれるのは、何の皮肉なのでしょうか。
「ポルノ・ムービーの映像美学」、長澤均著。
ナボコフの小説のことを腐しましたが、では今、この文章を書いている自分が「まとも」かといえばそうでもないわけです。
10台の終わりごろ、周りの友人たちが「おニャン子クラブ」みたいなアイドルを好んでいるときに、自分はアメリカのポルノ女優、サヴァンナが自殺(ヘロイン中毒だったといわれている)したと聞いて、ものすごいショックを受けたものでした。その年齢でアメリカのポルノに興味を持つというのは大概、頭が狂っています。
<↑、サヴァンナ(1970-1994)。トレイシー・ローズとジェナ・ジェイムソンの間ぐらいに位置するスターといって良いんでしょうか。久しぶりに本を読んでいて思い出しました。飲酒運転で事故を起こしたのち、ピストル自殺をしました。ものすごくショックだったことを思い出します。>
日本でこれぐらいアメリカのポルノ史について詳しく書いてある本は珍しく、分かる部分もあるので、読んでみました。著者は欧米のこと、映画のことに知識がある方で、読みごたえがありました。
ただまあ今の自分としては、こういったポルノを薦める、みたいな態度には、最近ものすごく抵抗を感じているので、各作品の肯定的な批評や、この世界の魅力を語っている部分を読んでいるとちょっと辛いものがあります。
この業界には、自殺が多く、交通事故(飲酒運転など)で亡くなる人も多いですね。また、脳や心臓をやられたりする場合もあり、薬物などの影響もあるように思われます。暗い世界だと思えます。
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<おまけの意見>
「ポルノ」なんてのは「性の解放」ということなんでしょうかね。人によってはそれを「進歩的」とかいってきたのでしょうか。しかし、おそらくその90パーセント以上が「嘘の発言」、だとは思いますけど。体の良いいいわけです。
世の中、なんでも「自由」だというと実際それは違うわけで、「性の解放」は常識的な人間にはコントールできない、「獣性の解放」を呼び起こすことになるのが普通かと思います。やって良いことと、いけないことがある、という古来からの考えは至極まっとうな思考のように思えます。
ではそのために「規則」を増やせばそれでいいのか、といわれればそうでもないわけで、それはそれで歪んだ考えになりがちです。
物事の本質を「一言」でいえるケースなどは、まずほとんどなく、せいぜい「比喩」か「例え」がその本質を答えてくれることがあるぐらいです。
倫理観というのは言葉で説明するのが難しくて、その人の実際の人生と経験から導き出されるしかなく、自分にいわせるのならば、「性をエンターテインメントにする」とそれは人生を狂わせるだけでなく、人間性の崩壊をも招くと思います。
一番初めにも書きましたが、最近のお笑いタレントの発言や、行いなども、「性」についてまじめに考えることをしてこなかったからでしょうね。本当にこうしたことは恐ろしいことだと思います。
そういう意味では、自分にとってみれば、幾分反面教師的に、この手の本を読んだといえるのかな、と思います。
しかしそれは、同時に、人間の本性を知った時にこそ、体験しうる実感でもあるのでしょうけども。