今回はクラシック音楽を聴く側として、生演奏と録音の差などを書きていきたいと思います。
コンサート・レコード・CDについて簡単に書いています。ストリーミングは聴かないので、触れていません。またレコードについては中古市場が活発で、特に過去の名演奏家のレコードについては中古品の記述などがありますので、よろしくお願いします。
さて、自分がクラシック音楽を聴き始めたころは、録音媒体としてCDが主流でした。その後時間が経って、自分がレコードを主体的に聴くようになるとは、夢にも思っていませんでした。
それほど細かいことを気にせずにいうのなら、レコードよりも、CDの方がコンサートの音に近いような気がします。
コンサートで聴く音の音質は、音の透明感とか、滑らかさはCDの感覚に近い、という感じですかね。しかしレコードを聴いたあと、CDで音楽を聴くと、音が硬い、味気ないとも感じます。
やはり音楽は生の演奏を聴くのが1番良いのだろうと思います。スケールの大きい音楽の迫力なんかは、家庭の音響装置では限界があり、録音で聴いたものと、実際に生で聴いたものとの違いに驚くこともあります。
去年ボエームを生で観ましたが、第3幕の大きな空間を使った、生きた絵画のような雰囲気は、映像や録音では感じられないと思いました。
しかしここは日本。生で歌劇を観たり、気に入ったコンサートを聴いたりというのは、それこそ東京にでも住んでいなければ中々難しいと思います。日本人のクラシック鑑賞が録音中心になるのは、仕方のないことといえるでしょう。
個人的には、コンサート以外で音楽を聴くとなると、最近は大体がレコードで聴くようになりました。レコードを聴くようになってから、CDの音は圧縮されていると特に実感するようになり、音の硬さなどを含めると、音楽を聴いていて疲れるというか、そういう印象も感じるようになりました。
かといって全くCDを聴かないというわけでもありません。クラシック以外の音楽はCDで聴くことが多いし、レコードになっていない音源はCDで聴くしかないですね。
最新の録音など、そのままレコードになる時もありますが、まずはストリーミングかCDか、という感じでしょうか。リサ・バティアシュヴィリなどショスタコーヴィチやプロコフィエフの良いアルバムがあるんですが、なぜかレコード化してません。ヒラリー・ハーンや、最近ではマリア・ドゥエニャスなんかもレコード化してるのに、解せません。本人が嫌がっているのでしょうか。こうなるとCDで聴くしかありません。

↑、バティアシュヴィリによるショスタコーヴィチとプロコフィエフのアルバム。アナログ盤になったら購入しようと思っていたのですが、現状まだ販売されていないと思います。来日も中々してくれません。マリア・ドゥエニャスのLPも購入しましたが、それほど感銘は受けませんでした。こういうことをいうのは何ですが・・・ドゥエニャスについては、美人だから採用しているのでは?という勘繰りが自分にはありますが・・・。
プロコフィエフのVコン | ヒマジンノ国
↑、過去記事です。
レコードは実際のところ、音がザラザラするときもありますし、ノイズも乗ります。しかし音の味わいはどうしても、あくまで個人的な感想ですが、CDの上をいくような気がします。
特に弦楽器に対するレコードの優位性は高く、中古レコードは値段が跳ね上がるものも多いです。有名なところだと、男性ではレオニード・コーガン、女性ではヨハンナ・マルツィなどのオリジナル盤が非常に高価で、日本円で70万円とか80万円とかします。

オイストラフとクレンペラーによる、ブラームス・ヴァイオリン協奏曲の名盤(1960)。
SAX2411。

↑、コ―ガンとオイストラフを比べると、オイストラフの方が実力が上、というのが一般的な見方だと思います。ただオイストラフのレコードは高価ですが、それ以上にコ―ガンのレコードが高いのが事実です。この辺もレコードの特殊性が出ていると思います。コ―ガンのレコードは、市場に出回ったものが少ないと考えられます。コ―ガンのオリジナル盤を聴いてみたいと思いますが、まず無理なので諦めています。
確かにピアノの音のように、音が面で広がる場合、レコードは若干不利なのかもしれません。針圧を間違えると、ピアノの音色は音が割れやすいようです。だからといって、決して音が悪いわけではなく、弦の方が向いているという話です。
こうなってくるとレコード鑑賞というのは、生のコンサートを聴いたり、CDで録音を聴いたりというのとは、また違う鑑賞の芸術だと思うようになりました。
特に1950年代や60年代、初期のステレオ録音など、レコードの音が素晴らしく、これは技術が進んだ現代でも同じ音を再現できません。モノラル録音についても、CDで聴く時よりもずっと音が柔らかく、透明感があります。
これは自分の推測にすぎませんが、レコードが開発された当時はやはりそのレコードの作り手に、相当の気合があったのだと思っていて、UKのコロンビア、デッカ、HMVの初期ステレオ録音などを聴いていると、おそらくは実際の録音よりも良い音になっているんじゃないか?と思える場面が多々あります。
つまりレコードはレコードの持つ特有の音も含めて楽しむもので、実際のコンサートとはまた違う楽しみだと思うようになりました。実際のコンサートの音でないのなら「インチキ」だという意見もあると思います。しかしそのようなレコードが存在する以上、聴きたいと思う人はそれなりにいるわけで、これはやむを得ないでしょう。

アニー・フィッシャーとエイドリアン・ボールトによる、モーツァルト・ピアノ協奏曲20番、23番(1958)。
SAX2335。

↑、このレコードのピアノの音が美くてびっくりします。多分実際の音はこんな音ではなかったと思います。これもレコードの音のマジックではないでしょうか。味わいの深さがと爽やかさが同居した美音です。

クラウディオ・アラウによる、ショパン・ピアノソナタ3番(1960)。
OS3025。

↑、上記オイストラフとアニー・フィッシャーのアルバムはUK盤ですが、このアラウのアルバムは国内盤です。日本人は物持ちがよく、国内盤のレコードは綺麗な状態の美品が多いです。レコードの出来栄えは一般にUK盤が1番良いことが多く、価格も高価です。それに比べると中古品の国内盤はUK盤の10分の1以下という価格設定の場合も多いです。音は決して悪くなく、非常に滑らかです。ただ、50年代、60年代のレコードは、どうしても音のリアリティが外国産よりも劣ることが多いので、安くなりがちだと思います。しかし、贅沢をいわなければこれでも充分だと思います。