ヒマジンノ国

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5月5日、上野で開催中の、米国画家アンドリュー・ワイエスの回顧展を見にいってきました。

 

上野公園は相変わらず人だらけで、何か買おうと思うと並ぶことが必須みたいな感じでした。

 

 

アンドリュー・ワイエス展も人が多いと思っていたのですが、他人のスレッドなんか見ると、今日の感じはそうでもないらしい。自分は20年以上前?箱根でこのアンドリュー・ワイエスを見たことがあって、その時はほとんど貸し切り状態でした。

 

今日は見たい絵があると、少し待たないといけない感じで、立ちっぱなしになり、腰が痛かったです。上野の美術館はほとんど行かないので、知らなかったのですが、もっと有名な画家とかだとまともに見ることすら難しいとか。

 

展示で面白いと思った作品は半分ぐらい。ワイエスは精緻な写実主義者で、力の入った作品は細かいところまで神経を使って描いているのが良く分かりました。

 

殺伐として、白色を基調にした風景画が多いです。しかし殺伐としながらも全体に静けさを感じさせて、光の加減なども美しかったです。

 

 

↑、クリスティーナ・オルソンという作品が展示されていて、間近で見ると木の扉の木目などやたら細かく描いてありました。ああいうのは写真では伝わらないですね(写真は借り物です)。

 

残り半分の作品は、彼のプライベートに焦点を当てた習作などが多く、ちょっとお腹いっぱいになりました。

 

4月26日、サントリーホールでスペインの指揮者、パブロ・エスラ=カサド、東京交響楽団による演奏会を鑑賞。曲目はシューベルトの未完成交響曲、ブルックナーの交響曲6番。

 

パンフレットには、カサドは欧州で人気があると出ていますが、相変わらず自分はその辺の事情は疎いので、今回はブルックナーの6番を聴きたくてチケットを取りました。当然ながらカサドも初めて聴きます。

 

前半はシューベルトの未完成交響曲。洗練された響きで現代的でした。音も粘らず透明感も高い。今風といえば今風。しかし繊細というよりは、悲劇的な部分では激しい強音を見せるなどして、思いの外、劇的な演奏でした。音楽を通して感情を表に出すタイプで、個人的には聴きやすいと思いました。中々力強くもあり、美感もありで良かったと思います。

 

後半はメインのブルックナー。深みがあるかどうかは別として、この人オーケストラを鳴らす手腕は中々だと思えるような演奏でした。

 

従来のブルックナー6番に抱く印象とは違うような、明るいオーケストラの音色。特に金管軍は輝かしいぐらいの音色で、朗々と鳴ります。また各旋律や音型の造形も、感情が乗り鮮やかです。時には行進曲のように、オケの足並みをガッチリ揃えて推進力のある進行を見せたりと、曲の持つ曲想を表情多彩に表現していきます。

 

カサドは気力や活力を感じさせる指揮ぶりで、音の強弱を使ったり、あるいはテンポの交錯を狙ったりと、単調にならない、色々なアプローチを見せました。また自分の感じた情熱のまま演奏している、というやり方は、演奏者のメッセージを伝えるのに適していると思います。

 

陰りがないことを除けば、ブルックナーの曲想に合致した解釈であったことも間違いないと思います。フィナーレのコーダなども、大胆で劇的な表現だったりして楽しめました。これも伝統的なブルックナー像とは違うのでしょうが、名演の部類かと思いました。

 

恐らくですが、こういう演奏を録音で聴き直すと、ちょっとやりすぎではないのか、みたいな感じがあると思います。しかし、一期一会のコンサートであればありだなと思いますし、お客さんも盛り上がりやすいでしょう。

 

実際、散々オーケストラから多様な響きを引き出したカサドの手腕に皆さん驚いた風でして、相当なブラボーが飛びました。オケがはけても沢山の人が帰らず、参賀となりました。

 

 

派手目なブルックナー6番の演奏という感じでしょうか。しかしカサドの東京交響楽団のデビューは好印象ということだと思います。

 

 

アークヒルズは蚤の市で人だかり。今日は20度ぐらいの気温で、お日柄も良く、新緑が美しい気持ちの良い1日でありました。

今回はクラシック音楽を聴く側として、生演奏と録音の差などを書きていきたいと思います。

 

コンサート・レコード・CDについて簡単に書いています。ストリーミングは聴かないので、触れていません。またレコードについては中古市場が活発で、特に過去の名演奏家のレコードについては中古品の記述などがありますので、よろしくお願いします。

 

さて、自分がクラシック音楽を聴き始めたころは、録音媒体としてCDが主流でした。その後時間が経って、自分がレコードを主体的に聴くようになるとは、夢にも思っていませんでした。

 

それほど細かいことを気にせずにいうのなら、レコードよりも、CDの方がコンサートの音に近いような気がします。

 

コンサートで聴く音の音質は、音の透明感とか、滑らかさはCDの感覚に近い、という感じですかね。しかしレコードを聴いたあと、CDで音楽を聴くと、音が硬い、味気ないとも感じます。

 

やはり音楽は生の演奏を聴くのが1番良いのだろうと思います。スケールの大きい音楽の迫力なんかは、家庭の音響装置では限界があり、録音で聴いたものと、実際に生で聴いたものとの違いに驚くこともあります。

 

去年ボエームを生で観ましたが、第3幕の大きな空間を使った、生きた絵画のような雰囲気は、映像や録音では感じられないと思いました。

 

しかしここは日本。生で歌劇を観たり、気に入ったコンサートを聴いたりというのは、それこそ東京にでも住んでいなければ中々難しいと思います。日本人のクラシック鑑賞が録音中心になるのは、仕方のないことといえるでしょう。

 

個人的には、コンサート以外で音楽を聴くとなると、最近は大体がレコードで聴くようになりました。レコードを聴くようになってから、CDの音は圧縮されていると特に実感するようになり、音の硬さなどを含めると、音楽を聴いていて疲れるというか、そういう印象も感じるようになりました。

 

かといって全くCDを聴かないというわけでもありません。クラシック以外の音楽はCDで聴くことが多いし、レコードになっていない音源はCDで聴くしかないですね。

 

最新の録音など、そのままレコードになる時もありますが、まずはストリーミングかCDか、という感じでしょうか。リサ・バティアシュヴィリなどショスタコーヴィチやプロコフィエフの良いアルバムがあるんですが、なぜかレコード化してません。ヒラリー・ハーンや、最近ではマリア・ドゥエニャスなんかもレコード化してるのに、解せません。本人が嫌がっているのでしょうか。こうなるとCDで聴くしかありません。

 

 

↑、バティアシュヴィリによるショスタコーヴィチとプロコフィエフのアルバム。アナログ盤になったら購入しようと思っていたのですが、現状まだ販売されていないと思います。来日も中々してくれません。マリア・ドゥエニャスのLPも購入しましたが、それほど感銘は受けませんでした。こういうことをいうのは何ですが・・・ドゥエニャスについては、美人だから採用しているのでは?という勘繰りが自分にはありますが・・・。

 

プロコフィエフのVコン |  ヒマジンノ国

 

↑、過去記事です。

 

レコードは実際のところ、音がザラザラするときもありますし、ノイズも乗ります。しかし音の味わいはどうしても、あくまで個人的な感想ですが、CDの上をいくような気がします。

 

特に弦楽器に対するレコードの優位性は高く、中古レコードは値段が跳ね上がるものも多いです。有名なところだと、男性ではレオニード・コーガン、女性ではヨハンナ・マルツィなどのオリジナル盤が非常に高価で、日本円で70万円とか80万円とかします。

 

 

オイストラフとクレンペラーによる、ブラームス・ヴァイオリン協奏曲の名盤(1960)。

 

SAX2411。

 

 

↑、コ―ガンとオイストラフを比べると、オイストラフの方が実力が上、というのが一般的な見方だと思います。ただオイストラフのレコードは高価ですが、それ以上にコ―ガンのレコードが高いのが事実です。この辺もレコードの特殊性が出ていると思います。コ―ガンのレコードは、市場に出回ったものが少ないと考えられます。コ―ガンのオリジナル盤を聴いてみたいと思いますが、まず無理なので諦めています。

 

確かにピアノの音のように、音が面で広がる場合、レコードは若干不利なのかもしれません。針圧を間違えると、ピアノの音色は音が割れやすいようです。だからといって、決して音が悪いわけではなく、弦の方が向いているという話です。

 

こうなってくるとレコード鑑賞というのは、生のコンサートを聴いたり、CDで録音を聴いたりというのとは、また違う鑑賞の芸術だと思うようになりました。

 

特に1950年代や60年代、初期のステレオ録音など、レコードの音が素晴らしく、これは技術が進んだ現代でも同じ音を再現できません。モノラル録音についても、CDで聴く時よりもずっと音が柔らかく、透明感があります。

 

これは自分の推測にすぎませんが、レコードが開発された当時はやはりそのレコードの作り手に、相当の気合があったのだと思っていて、UKのコロンビア、デッカ、HMVの初期ステレオ録音などを聴いていると、おそらくは実際の録音よりも良い音になっているんじゃないか?と思える場面が多々あります。

 

つまりレコードはレコードの持つ特有の音も含めて楽しむもので、実際のコンサートとはまた違う楽しみだと思うようになりました。実際のコンサートの音でないのなら「インチキ」だという意見もあると思います。しかしそのようなレコードが存在する以上、聴きたいと思う人はそれなりにいるわけで、これはやむを得ないでしょう。

 

 

アニー・フィッシャーとエイドリアン・ボールトによる、モーツァルト・ピアノ協奏曲20番、23番(1958)。

 

SAX2335。

 

 

↑、このレコードのピアノの音が美くてびっくりします。多分実際の音はこんな音ではなかったと思います。これもレコードの音のマジックではないでしょうか。味わいの深さがと爽やかさが同居した美音です。

 

 

クラウディオ・アラウによる、ショパン・ピアノソナタ3番(1960)。

 

OS3025。

 

 

↑、上記オイストラフとアニー・フィッシャーのアルバムはUK盤ですが、このアラウのアルバムは国内盤です。日本人は物持ちがよく、国内盤のレコードは綺麗な状態の美品が多いです。レコードの出来栄えは一般にUK盤が1番良いことが多く、価格も高価です。それに比べると中古品の国内盤はUK盤の10分の1以下という価格設定の場合も多いです。音は決して悪くなく、非常に滑らかです。ただ、50年代、60年代のレコードは、どうしても音のリアリティが外国産よりも劣ることが多いので、安くなりがちだと思います。しかし、贅沢をいわなければこれでも充分だと思います。

 

金曜日、サントリーホールでBCJによる「マタイ受難曲」を鑑賞。聖金曜日の演奏ということらしいです(イエスが4月の金曜日に亡くなったという伝承から)。

 

BCJは古楽器による全曲演奏で、指揮者は鈴木優人氏。鈴木さんとBCJのコンビを聴くのは今回が2回目です。前回がメサイアでした。前回同様、古楽器ながら柔らかめの響きで、劇的に過ぎない、静かなドラマ性を感じさせる演奏で、非常に美しかったと思います。

 
自分はマタイを生で聴くのは今回が初めてですが、この曲の響きの美しさを堪能しました。合唱も精度が高く、透明感があります。
 
コラール、レチタティーヴォ、アリアなどの書法、そこに4種の人間の声を組み合わせ、一定の世界観を作りつつ、色彩的な音色が清潔に広がっていくのは素晴らしく、バロック音楽の持つ、自然と人間の感情が一体になった雰囲気に魅了されます。
 
あっという間の3時間になりました。
 
録音だけでは中々分かりにくい、響きの広がりとか透明感を実感できました。
 
さすがにマタイを聴きに来るお客さんだけあって、会場は静かで集中力も高かったと思います。
 
少し話はずれますが、個人的にはイエスの伝承を全て信じるか?といわれれば難しいところがあり、ダ・ヴィンチ・コードではないですが、妻と子供がいたイエス像の方がリアルに近いものではないかと思っています。
 
ただ、この曲はイエスの奇蹟がメインの主題なので、善人が受けるいわれなのない中傷や、悲劇などが同情的な音楽の中で展開する様は、イエスの奇蹟を信じたくなるものがあります。
 
ゆっくりと進むドラマの中に、積み重ねられて行くバッハの信仰心は、他人の心を動かす強い力があります。全曲聴き通すと独特の雰囲気になるんですね。その独特の雰囲気と感情は、言語化しにくいです。
 
歌手はエヴァンゲリス卜の櫻田さん、イエスを演じたクリストフ・フィラー、男性アルトのテリー・ウェイが特に素晴らしかったです。
 

 

昨日はピアニストの、アンドラーシュ・シフのリサイタルを聴きに、所沢ミューズに行ってきました。

 

15時開演のコンサートで、会場は満席。自分は恥ずかしながら、いつも通り(?)、シフを初めて聴きます。あんまりよく知らないので、色々書くと怒られそうですが、現代の巨匠?みたいな感じなんでしょうか。ハンガリー生まれ(1953年)で、英国からはサーの称号も貰っているような人物です。

 

チラシにはバッハの評判が良いとか書いていますが、多分ファンはそれだけではないという意見でしょう。

 

しかし今回のコンサート、前半だけで1時間半。内容を事前に教えてもらえないので、いつ終わるのか不安になったりしました。


その前半だけでも、バッハから始まって、ハイドンのソナタ、モーツァルト2曲、ベートーヴェンの田園ソナタと盛りだくさん。ピアノソナタを3・4曲連続聴く感じで、若干の眠気が襲います。

 

自分は仕事の疲れのせいもあるんですが、モーツァルトぐらいから意識が飛ぶ瞬間があり、2度ほど寝落ちしました。

 

シフのピアノの音色は、高い練度と純度が同居した、角のない柔らかい音で、表現も自然。バッハなどは日常に潜む、生きる喜びが、音の内部から柔らかく滲み出るような演奏(ゴルトベルグのアリアと、フランス組曲5番)。

 

ハイドンは初めて聴く曲で(ソナタ33番)、繰り返しが多く少し退屈しました。モーツァルト(幻想曲とロンド)も美しい瞬間がありましたが、少し地味すぎるかなという印象もあり、先も書きましたが眠気が襲ってきました。

 

ベートーヴェンの田園ソナタはおそらく名演だったんですが、眠気が取れず、半分ぐらいしか覚えていません。

 

前半は選択された曲の曲調が、個人的に、全体に似かよった感じがあり、それを連続して演奏するので、少し一本調子に聴こえるような気もして、やや疲れました。

 

後半はシューベルト4曲(アレグレットや即興曲などから)が美しい名演、その後ベートーヴェンのソナタ30番をやりました。これも詩的な感情が乗る名演で、弾き終わったシフはかなり疲れた様子です。

 

これで終わりかな、と思っていたんですが、ここから大アンコール大会が始まり、なんと8曲もアンコールをやりました。お客さんも帰ろうとして、用意をしますが、シフが繰り返し袖から出てくるので帰れません。

 

拍手に応えて出てきては1曲弾き、袖にはけてはまた出てきて1曲弾き、の繰り返しです。

 

ベートーヴェンから始まり、ブラームス、モーツァルト、シューベルト、ショパン・・・と全て暗譜で続々弾いていきます。

 

料理のフルコースどころではない大演奏会となって、皆さん大盛り上がり。最後はスタンディング・オベーションとなり、びっくりです。

 

調べると他のリサイタルでも似たようなことをしているようなので、昨日が特別ということでもなさそうです。確信犯かもしれません。ガランチャの時も5曲アンコールやって、全員総立ちになっていたので同じ様な感じでしょうか。

 

なんというか、演奏の内容が素晴らしいというのもあるんですが、それ以上にプロの演奏家の、ショウマンシップみたいなのを実感したリサイタルでした。

 

15時開始のリサイタルで、終了時刻が何と18時25分。こんなにピアノの音色を1度に沢山聴く機会は、中々ないかと思いますね。

 

 

高市さんがD・トランプと会談のために訪米中とか。ホルムズ海峡の話なんかをしたらしい。色々いわれているようですが・・・。

 

少し話はずれますが、自分は以前の記事で次のように書きました。

 

自民党大勝 |  ヒマジンノ国

 

「簡単にいえば、トランプ政権はリベラル思想・政策の排除に努めており、おかげで世界情勢そのものが変わったということです。日本は米国の軍事戦略に引っ張られて、中東へ軍事派兵する可能性もなくなりました。」

 

て書いてるんですが、真逆のことが起こっていて、さすがに我ながら草です(^-^;。恥ずかしいです。中東へ自衛隊の艦船を送れという話になりましたが・・・一応送らなくて良いようです。

 

D・トランプ氏もベネズエラの時のように、上手くいかなかったのでしょう。ちょっと焦っているように見えましたね。しかし今回は、トランプもあんまり印象良くないですね。

 

イランへの攻撃も、ここまで急ぐ必要がありますかね。おかげでMAGAは分裂気味。西側では割とトランプ寄りだったメローニも米軍のイラン攻撃を批判しました。

 

イヴァンカ・トランプの娘婿のクシュナーは有名なシオニストのユダヤ人。ネタニヤフが彼と仲が良く、家に泊まりに来るほどの関係らしいです。この辺にせっつかれると、D・トランプも断れないのでは?

 

それに良くいわれるように、トランプ政権は福音派のキリスト教的な終末論に偏った関係者が多く、今回のイラン戦争もその終末論に関係しているという人も多数います。

 

トランプとガザ |  ヒマジンノ国

 

 以下、私見を含めて個人的に感じることを書いておきます。

 

 D・トランプ氏は福音派に属しており、彼も終末論を信じている可能性があります。ホワイトハウスでは彼の重要なブレーンの1人である、福音派の牧師ポーラ・ホワイト氏とともに祈りを捧げています。

 


彼女は福音派の重要な牧師だそうで、2025年、トランプが設置した信仰局の局長に選ばれています。おそらく米国大統領の精神的支えとなっていると考えられます。

 

 

またトランプ政権の陰の大統領ともいわれる、実業家のピーター・ティ―ル氏も高市総理を訪問。表舞台に出てきました。

 

トランプ氏 |  ヒマジンノ国

 

トランプ氏が、エプスタイン・ファイルの公開に躊躇した理由の1つのが、このティ―ル氏との関係だったのでは?などと噂されました。

 

ピーター・ティ―ル氏は保守的なキリスト教徒といわれ、国連などの他国籍の集まりが世界を支配するのは間違っているといいます。彼はキリスト教に根差した、徳のある人物や政治家でなければ世の中を良くできないといい(現トランプ政権の方向性と合致している)、国連のようなリベラル勢力の強い政治体制などを、キリスト教の黙示録に登場する「アンチ・キリスト」と呼んでいます。

 

人間の競争によって生まれる、暴力社会や、一部の為政者が行う管理社会は間違っているといい、戦争なども、有能なキリスト者が抑制的に運営できるようにと、彼が生み出した会社が軍事企業の「パランティア」です。

 

しかし、なんだ?この思想、という感じの思想ですね。今までどこかで聞いたことないかな?みたいな話よね。

 

その人物が高市総理に会いに来たというので、結構な反発がSNSでは出ていますね。日本人の個人情報をパランティアに流すのか?と。

 

疑問など |  ヒマジンノ国

 

色々それらしいことをいっていますが、ティ―ルのいっていることも結局人類を管理する話にしか聞こえませんけどね。彼なんかもトランス・ヒューマニズム肯定派ですし。やっぱり何か裏があるかな、とは感じますね。トランス・ヒューマニズムなんてのも元来左派連中の主張じゃないの?と自分なんかは思います(上の過去記事の中で、ティール氏が無神論者だと書いていますが、違うようです。修正いたします。トランス・ヒューマニズムもどれぐらい支持しているかなど、細かいところはまだ良く分かりません)。

 

こういう人らって、最後は管理社会を作りたがる人ばっかりで嫌になります。左からいっても右からいっても、結局最後は同じ答えになる、では困るんですけどね。

 

V・グイによる、モーツァルト交響曲39番、ハイドン交響曲60番。グラインドボーン祝祭管弦楽団。1953年録音。

 

ALP1114。

 

 

ヴィットリオ・グイ(1885-1975)は19世紀生まれのイタリアの指揮者。この時代の指揮者の多くは、機能的でシャープな指揮をする現代の指揮者とは違い、人間味のある音楽を奏でる人が多いと思います。彼らの演奏は、国の別を超え、前時代的で楽観的な性質を、音楽に与えているように思います。そこが魅力の1つでしょうか。

 

我々21世紀の人間が、忙しない現代的な時間感覚から離れ、当時の感性に身を委ねるのは、癒しの効果があると思います。

 

V・グイもフルトヴェングラーと年は1つしか変わりませんから、19世紀の名残を残した指揮者といえるでしょう。グイは歌劇場をメインにしていた指揮者で、1975年まで長生きをしました。日本にも1度、来日したことがあるようです(1956年)。

 

 

とはいえ、日本ではほとんど無名ともいえる存在かと思います。マリア・カラスの伝記などを読んでいると、たまに顔を出したりします。

 

グイはモーツァルトとブラームスの権威といわれており、このレコードも、そのモーツァルトを収録しています(もう1曲はハイドン)。

 

しかし自分が、初めてグイの演奏する、モーツァルトの交響曲39番「プラハ」の演奏を聴いたとき、随分のろいテンポでびっくりしました。イタリアの指揮者というと、トスカニーニやムーティなど、ストレートで力強い演奏を思い浮かべます。ジュリーニでさえ、若いころはダイナミックなテンポの演奏があります。しかし、グイはその真逆といって良いような、おっとりとして、柔和な演奏です。正直初めは慣れませんでした。特に「プラハ」シンフォニーは、ある程度の推進力と力強さがあるほうが、愉悦の感情が表現されると思います。

 

自分は時間がある時に聴き直してみて、初めて魅力を感じ取ったところです。緩やかで色彩的なメロディの扱いに、指揮者個人の優しさのようなものが表れていると思います。心から音楽を味わうという印象でしょうか。ハイドンの方は活力も感じさせる名演で、誰でも楽しめると思いました。

 

このような演奏に身を任せていると、当時の緩やかな人々の生活が目に浮かぶようで、面白いです。

 

 

V・グイ指揮、グラインドボーン祝祭管弦楽団「フィガロの結婚」(1955)。

 

ALP1312-1315。

 

 

日本ではあまり有名ではありませんが、このV・グイのフィガロは名盤として名高いものです。デッカ、コロンビア、HMVという、初期ステレオで有名なレコードレーベルには各社それぞれの「フィガロの結婚」があります。

 

デッカが有名なE・クライバーの録音(1955)。コロンビアがSAX仕様のC・ジュリーニの録音(1959)。そしてHMVがこのV・グイの録音です。

 

このグイの録音は人によってはE・クライバーの録音より上、という人もいます。値段も高価で、クライバー盤を上回る。ですので自分が所持しているのはモノラル盤です。

 

細かい音の揺れ動きが、独特の色気を醸し出す、クライバー盤。濃厚で、厚みのある響きが魅力のジュリーニ盤。それらに比べるとグイの録音は、上述のプラハ交響曲のように柔和で、柔らかさを基調とした、洒落た演奏です。

 

とにかく音の角が立たないように徹底しており、初めはやや弱々しく聴こえていますが、聴き進み、時間が経つと、おとぎ話風の優しいファンタジーな雰囲気が立ち上がってきます。E・クライバーにやや似ているのかもしれませんが、非現実的な感触はこちらの方が上かもしれません。

 

聴後のまろやかな後味は、外では味わえないと思いました。

 

Silent Tone Record/モーツァルト:フィガロの結婚/ヴィットリオ・グイ,グラインドボーン祝祭管弦楽団 ALP 1312-5/クラシックLP専門店サイレント・トーン・レコード

 

↑、前奏曲の途中まで。

 

 

↑、伯爵夫人の配役はセーナ・ユリナッチ。

 

19世紀生まれの指揮者の演奏を探るのは中々楽しいですね。

 

エプスタイン・ファイルについて、英国のアンドリュー王子が逮捕されました。この人物は元々児童買春の疑いがあった人物で、エプスタインとの繋がりがあっても不思議ではありません。英国王室の人間の逮捕は清教徒革命時、350年以上前以来の出来事らしく、アンドリューは称号も剝奪とのこと。

 

エプスタイン・ファイルの影響は日本でも出てきています。千葉工業大学の学長である、伊藤穣一氏についてです。ファイルの中で彼の名前が繰り返し出てきているそうで、露骨な表現もあるそうです。彼はデジタル庁の有識者会議の1人でしたが、これを辞任。この人物もファイル公開前から、エプスタインとの関係はずっと囁かれていたので、むべなるかなという印象です。

 

エプスタインの事件というのは、人間性とか、人類全体への、道徳、倫理に対する完全な挑戦であって、かかわった人物に擁護の余地がないような、恐ろしい事件なんですね。人間とは?と、我々人類の意義についてさえ、問われるような案件です。

 

これらの真実が明らかになればなるほど、人はその倫理的な要点について、今後戻りできないと思うようになるでしょう。

 

 

 

2月末から米国とイスラエルがイランを攻撃。イランの指導者、ハメネイ氏を殺害。

 

D・トランプ氏にしてみれば、これはベネズエラの時と同じで、その国の政体を残しながら、国のトップを挿げ替えるということをしたいらしい。

 

ハメネイ氏は亡くなったので、一応の成功を収めたようですが、ハメネイの息子が後継者とも見られ、こうなると米国への敵視は変わらないまま。他方、ベネズエラはおそらく親米になるだろうといわれているので、今回のイランはこのままだと、必ずしも成功ともいえない可能性があります。

 

今後の展開次第でしょうか。

 

D・トランプは第2次世界大戦以来の、極左たちが作ってきた、世界観を次々とひっくり返そうとして、アレコレ行動しているように見えます(トランプのいう、DSによる、「分断して統治する」やり方へのアンチ)。

 

各地域で、わざとまとまらないように作り出されてきた国際社会。その各地における、敵対国を平定し、一旦安定を取り戻したい狙いがトランプにはあるようです。

 

また彼は、今までなんら解決策もなく、その混乱に拍車をかけて来た国連も相手にしていないようです。米国は、既にいくつかの組織から脱退、あるいは資金提供を止めようとしています<国連人権理事会(UNHRC)から離脱し、国連教育科学文化機関(UNESCO、ユネスコ)への参加を見直し、国連パレスチナ難民救済事業機関(UNRWA)への拠出を停止>。

 

D・トランプはイスラエルを世界の中心とした、新たな世界観を作ろうと躍起になっているように見えます(結局グレーター・イスラエル・アジェンダに戻ってくる?)。

 

以下、国際政治学者の田中宇さんの記事からです。

 

<トランプ米大統領が1月16日、ガザ戦争の停戦策の第2段階として「平和評議会」の創設を発表した。評議会の構想は昨年9月からあった。35か国が参加、1月22日にダボス会議の席上で正式に発足した。


トランプ自身が評議会の初代会長(総裁)になり、中東その他の諸国の国家元首たちを評議会員にして、ガザだけでなく世界各地の紛争を解決していくことが評議会の目的だと設立要綱に書いてある。


会長のトランプは評議会決定への拒否権、参加国の除名権など、絶大な権限を持っている。事務局はトランプの側近群だ。トランプを「世界皇帝」にするための機関にも見える。>

 

どうでしょうね、国連とは違う別の組織を作り出し、世界の構造を作り変えようとしているように見えますけどね。トランプが世界皇帝とはならないでしょうが、別の人物を立てる可能性があります。

 

エプスタイン・ファイルに代表される人たちが、いわゆる「大淫婦」なら、トランプたちはその淫婦が乗っていた「竜」そのものに見えてきます(支配層の内ゲバ)。「ヨハネの黙示録」っぽい感じが出てきてるようにも思えますが、どうなんでしょう。


まあしかし、もうちょっと様子を見ないと、はっきりとしたことはいえないようなので、ここまでにしておきます。

 

2月なのにかなり温かい天気で、世間は理想的な3連休のようです。明日の東京は20度超えらしい。

 

しかし自分はこの1週間、色々精神的に参ることがあって、疲れていました。断捨離じゃないけど、片づけないといけないことが多く、それは人間関係とかもそうで、何というか・・・とにかく、弱ったな、という感じです。

 

気晴らしに、近場の湧水地を散歩しました。

 

自分が散歩した近辺は、東京都内では、かなり水の綺麗な川なんじゃないでしょうか。家に居て、鬱々としているよりはずっとましで、幾分気持ちは晴れましたね。じっとしていると、同じことを考え続けるんで、精神衛生的には良くないですね。

 

1万500歩くらいの移動で、7キロちょっとの運動になりました。

 

明日はどうしましょうかね。天気が良ければ、また気持ちも和らぎそうです。

 

エプスタイン・ファイルの第2弾が公開され、米国を主に騒ぎが拡大しています。エプスタイン・ファイルが何か?という話なんですが、政界、財界、エンタメ業界などの要人が犯していた、小児性愛(ペドフィリア)犯罪についての、検察のファイルです。この犯罪を主導していたのが、ジェフリー・エプスタインという人物で、ファイル名を「エプスタイン・ファイル」といいます。

 

このファイルの公開がD・トランプ氏の公約の1つでした。ところがトランプ大統領は、一時、公開しないといい出していました。しかし紆余曲折ありましたが、今年初めから結局公開を始めました。  


ファイルは、大量の文書らしく、黒塗りも多いものの、生々しい写真などの添付もあり、一大スキャンダルになっています。

 

 

特にビル・クリントン元大統領や、ジェイ・Zなどの大物アーティストなども嫌疑をかけらており、辞任した政治などもいます。

 

 

例えば、英国労働党のロード・マンデルソン氏という人物は、重鎮だったにもかかわららず、党を離党したそうです。理由は以下のような恥ずかしい写真が出まわったからです。

 

 

このエプスタイン事件の問題は色々あるんですが、個人的に1番問題だと考えるのが幼児への性的虐待です。

 

それも世界中からさらってきた子供たちを、カリブ海にあるエプスタインの所有する島に集め、世界を牛耳る要人たちが寄ってたかって虐待したという話。これがずっと陰謀論だといわれていたのですが、このファイルの公開でほぼ「事実」だと認定されたといって良いでしょう。

 

「酷い」という言葉では追いつかない話です。

 

逮捕 |  ヒマジンノ国

 

↑、過去記事。ジェフリー・エプスタインは2019年に逮捕されました。同年内中に牢獄で自殺したとされていますが、多分現在も生きているのではないかという話。彼の死を望む人は多いからでしょう。一応情報を引き出すための、保護目的かと思われます。

 

 

サウンド・ オブ・フリーダム |  ヒマジンノ国

 

↑、実話をもとにした映画、「サウンド・オブ・フリーダム」の中で、どのように子供がさらわれていくのかが描かれています。

 

エプスタイン島では子供を食べていた、という話も噂されていますが、現在あるファイルの中にその記述はないそうです。今後も公開されるファイルはあるそうで、何が書いてあるかはその時に分かると思います。

 

この問題は色々なことに波及するような大事件で、現実的な目に見えるような現象から、人間の心理に与える部分まで今後吟味されることになるでしょう。