ジュゼッペ・ヴェルディによって、1873年に亡くなった、詩人のアレッサンドロ・マンツォー二のために書かた「鎮魂ミサ」です。
トゥリオ・セラフィンによるヴェルディ「レクイエム」(1959)。ASD353、ASD354。
素晴らしい作品です。
しかし、オペラティックな燃え上がるような歌唱と、劇的なまでの咆哮を見せる管弦楽によって、圧倒的な「効果」を発揮する作品であるため、初演時は「レクイエム」としては(魂を鎮める、という意味において)、その迫力から必ずしも称賛ばかりではなかったようです。やりすぎ、ということでしょう。
特に怒りの日の表現は「力づく」で聴き手を感動させる力があり、ミケランジェロの壁画さえ想起させるような、「力による感動」は、楽曲の表現する絶望と哀願とのはざまで、人間の心を激しく揺さぶります。
しかし、時間がたった今日では、イタリア芸術の偉大な成果の1つと見られている、といっても過言ではありません。
これはトゥリオ・セラフィンによる2回目の録音(1959、ステレオ)です。旧盤(1939)はジーリなどが歌っていて比較的話題になるようですが(未聴です)、この盤はあまり聞きませんね。名演だと思うんですけど。
(↑、トゥリオ・セラフィン。イタリア・オペラに対する確かな手腕は特筆されるべきでしょう。職人的な手堅さ。穏健な楽曲に対する理解。誰もが受け入れられるスタイルではないでしょうか。)
トゥリオ・セラフィン(1878-1968)はトスカニーニ以後のスカラ座の音楽監督で、安定した手腕を見せた名指揮者です。マリア・カラスを育てたことでも有名。叙情性のある指揮は確かな歌心に支えられて、安心して音楽に身を任せられます。個人的にはムーティやアバドなどよりもずっと好きな指揮者です。
ヴェルディ「レクイエム」の、歴史的な録音としては1951年のトスカニーニのものが挙げられます。これはその有名な録音のステレオ・バージョンです(CD)。
SP時代は、原盤の脆さのためにモノラル録音でもマイクを2本立てていた場合があったらしく、今日それを利用してステレオ合成が行われています。トスカニーニのレクイエムも同じように合成されたステレオです。
「華やか」、とさえいえる灼熱の情熱、鋭い、暴力的ともいえるような迫力はトスカニーニの独壇場で、「オテロ」同様、この手の作品の再現において彼の右に出るものは少ないでしょう。
はたして、スカラ座の監督ともなればこの「レクイエム」を録音することは義務のようなものです。ヴィクトル・デ・サバタ(1892-1967)もトスカニーニの後任の1人でしたが、1954年にスタジオ録音しています。
しかし今自分の手元にあるのは、ヴェルディ没後50年を記念して演奏された録音(多分ライヴ)です(1951、CD)。シュワルツコップでなくテバルディが歌っています。
サバタは地味で、泥臭いともいえるような指揮ぶりですが、内に秘めていく集中力と、手堅い進行で聴かせます。独特の魅力があります。
(↑、夭折が悔やまれる、ヴィクトル・デ・サバタ。トスカニーニ同様、カラヤンが尊敬した数少ない指揮者です。聴く人が聴けば、理由は分かると思います。内へと向かう集中力があります。マリア・カラスとのトスカは歴史的名演。)
さらに後年、スカラ座の監督として、有名な録音はカルロ・マリア・ジュリーニ(1914-2005)のステレオ(1962-1964)ですが、個人的にはそれほど好きではありません。良く歌う演奏ですが、テンポを落としすぎてもたれます。
トゥリオ・セラフィンの指揮も良く歌う表現で、トスカニーニやサバタよりはジュリーニに近いとも思えますが、なぜCDでほとんど復刻もされてないのか、理解に苦しみます。ジュリーニのようにもたれることも無く、ずっと自然に聴こえます。怒りの日の迫力も充分出ていますし、歌の歌わせ方の味わいは素晴らしく、滑らかな旋律の表現はジュリーニのように重苦しくありません。
メロディアスな部分にくると味の濃い、素晴らしい歌が聴ける名演だと思います。







