SHŌGUN |  ヒマジンノ国

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真田広之の主演する、ハリウッドの大型時代劇「SHŌGUN」全10話を観終わりました。

 

原作はジェームス・グラベルのベストセラー小説で、過去にも映像化されたことがあるそうです。自分は両方とも知りません。今回このドラマが初見になります。

 

ディズニープラスの配信なので、日本では中々観ている方がいませんが、米国では大ヒットしたそうです。自分は初め、あまり期待していなかったのですが、面白く観終わることができました。

 

何でも主演の真田広之氏がプロデューサーも務めているそうで、旧来の外国映画の描く、「トンデモ日本観」を払拭したいという意図があるそうです。それができなければ、プロディースはしない方針だったそうです。日本から所作などの専門家を呼び、演技に取り入れるなど真田氏の力の入った作品です。ハリウッドに進出した、真田氏の総決算といえる作品ではないでしょうか?

 

真田広之氏はかねてから、ハリウッドの作る時代劇などに口出しをしていたそうで、現地ではうるさい人ともとられていたという話も出ています。そんな彼が、遂に自分のやりたいようなものを、米国で作る機会が訪れました。役者は日本人で固め、セリフも日本語で喋らせています。英語圏の人たちは字幕で日本語のシーンを観ることになります。

 

そのせいもあってか、確かに時代劇として、我々日本人が観ていてもそれほど違和感がない作品に仕上がっていると思います。

 

また真田氏は他の番組でも、日本の時代劇が頭打ちになっている理由を述べており、その改善も図ったように思われます。明言はしていませんでしたが、日本国内のいわゆる「チャンバラ時代劇」に対する批判なのかと思います。「水戸黄門」やら「暴れん坊将軍」などの、予定調和で、リアリティの低い作品では、世界では理解されないということでしょう。世界的に有名な黒澤明監督の「七人の侍」などは、まるで記録映像を観ているようなリアリティがありましたが、そういうものでないと世界では通用しないということがいいたいようにも見えました。

 

 

↑、虎永を演じる真田広之氏。役だけでなく、他の役者の演技指導などもしていたそうで、中々できることではないと思います。正直、たった1人、ハリウッドでここまで日本文化の本来の価値を示そうとして、20年以上努力を続けてきた、彼の姿には頭が下がります。

 

この作品は、西暦1600年の日本が舞台です。そう聞くと我々日本人は、やはり関ヶ原の合戦などを思い出します。しかし登場する人物は「虎永」という武将だったり、「石堂」という聞いたことのない人物ばかりです。しかし良く観ていると、大阪城で、大公が死に、虎永を含む5大老が国政を決めていくという話になっています。朝鮮出兵の話などもしているので、どうもこの作品は史実を基に、脚色された日本史の話だということがうっすらと分かりました。

 

要は「虎永」が「徳川家康」であり、「石堂」が「石田三成」、「落葉の方」が「淀君」で、「戸田鞠子」が「細川ガラシャ」であるということが観ているうちに分かってきました。豊臣秀吉の死が、徳川家康と石田三成の戦いになって行く過程が、ベースになっているようです。

 

 

↑、戸田鞠子を演じるアンナ・サワイ。モデルが細川ガラシャで、特に印象的なキャラクターだったと思います。他にも藪重を演じる浅野忠信の演技も面白かったです。

 

そしてこの歴史の成り行きを、「ジョン・ブラックソーン」という英国人の視点を加えて描かれています。これは「ウィリアム・アダムス」という実在の人物で、日本では三浦按針(みうらあんじん)といい、外国人初の侍だったそうです。この作品内でも「按針」と呼ばれています。彼の視点が、英語圏の人々にとって理解の手助けになるという構図です。

 

とはいえ、物語自体の作りは米国のドラマのスタイルで、日本人にはなじみにくい感じもあるのかもしれません。シークエンスは、主要な見せ場ごとにつながれており、少し説明不足のようにも見えます。物語が連続的に展開するので、おかしいと感じる暇もそんなにありませんが、個人的には切腹などのシーンも、若干唐突に感じる時もありました。

 

そのために、日本文化を幾分カリカチュアして表現しているように見える瞬間も多々あり、この辺は議論を呼ぶところだと思います。しかし10話で終わる物語なので、あんまり丁寧に書くのも難しいともいえるのではないでしょうか。ただ細かいところまで観ていると、前後で何かしら伏線のようなことが描かれているのも確かで、それを自分でつなぎ合わせれば、全体像はつかめる部分もあると思います。こういう作り方は日本のドラマではやらないなあ、という感じがしますね。

 

物語はエピソード8・9ぐらいがクライマックスで、ユーチューブで視聴配信をしている外国人も、物語の展開に心底驚いているのが、印象的でした。ドラマの展開のさせ方は米国式だと思うんですが、それでもやはり物語の内容そのものは、英語圏の人たちが考えるものとは、根本的に違うのだと思います。

 

記憶が少し曖昧なんですが、日本のアニメ、機動戦士ガンダムが外国で放映された時、味方の仲間たちが次々と死んでいくのが、諸外国の人々にとって、驚きだったといいます。それと全く同じではないですが、似たような雰囲気がこの「SHŌGUN」にもあるのかな、という感じがしました。

 

こういう生死感は日本人独特なのではないでしょうか?自分は観ていて展開にそれほど驚きはしなかったので、やはり英語圏の人たちとは、認識が違うんだと感じました。「死ぬ」ことによって、「責任を取る」あるいは「抗議する」という行為は、第2次世界大戦ごろの日本にはまだ残っていたように思います。今日でも、それが日本の文化の一部であるという考えがあるのは、確かだと思いますが、他方でそれは人間の命を粗末にしかねない行為でもあります。

 

そういう部分に嫌悪感を感じる視聴者もいるようです。日本はかつて人命を消耗品としてとらえていたこともあり、その反省から戦後の日本は「人命優先」という方向に進んだのかと思います。

 

観ていると色々考えさせられる作品です。日本人と英語圏の人々では捉え方がかなり違うと思います。特に日本史の知識のない人々から見ると、全くまっさらな物語であり、真新しい作品に見えると思います。しかし日本人から見ると、鏡に映された我々の姿を見る如く、何かしら客観的な気分になる人も多いかと思います。

 

だから「SHŌGUN」を観ていると、ちょっと不思議な気分にはなりました。日本人として同調する部分と、過ぎ去った時代の残酷さについていけない部分とが共存しており、複雑な気分です。

 

しかし日本人は1度観たほうが良いドラマじゃないかな、という気はしますね。

 

作品としては充分面白いと思います。特に戸田鞠子を演じる、アンナ・サワイ、そして戸田広松を演じる西岡徳馬氏は一世一代の名演技だったと思います。

 

 

↑、戸田広松を演じる西岡徳馬氏。これ以上の檜舞台もないと思えるような環境での、名演技だったのではないでしょうか?

 

全10話でグラベルの小説部分は終了しているそうで、第2シーズンを作るかは未定だといわれています。結局、程度の高い原作を元にしないと、第2シーズンは作れないだろうということで、「SHŌGUN」はこれで終了だという意見が多い気がしています。