まわりから『ありがとう』と言われて、生きていきたい -6ページ目

お友だち価格?

大学を卒業して、社会に出た。
最初の職業は、『サラリーマン営業』

卒業間近の春休み。
めっちゃ不安だった。

私の給料分まで含めて『買ってくださる』
そんな殊勝なお客様がいるのだろうか?

『買うけれど、お前の給料分は値引きしろ』
と言われても、きっと、返す言葉がみつからない。

無知な社会人一年生が、
自分自身の価値を価格転嫁できる状況だとは

思えなかった。

そんな自分がいた。
懐かしい、懐かしい、思い出だ。

そして、今、思う。

多くのいい大人の社会人が、なぜ、
『稼ぐ』ことを『悪』のように扱うのか。

誰もが『稼がず』には生きていけない。

お客様にとって、

支払う以上のモノを提供すれば、いい。


なぜ、やましさを感じる必要があるのだ。

私のところでは、冗談まじりではあるが、
『お友だち価格』は、高いよ。
と言う。

『友達だから』と言って、

友達から『割り引いてもらう』
そんなことを考えている奴。


そんな『友達がいのない』奴が、

なんで友達と言えるんだ?

友達だからこそ、ご祝儀相場で買ってやれよ。

それとも、なにかい?
お前さんは、自分自身の仕事では、
友達から取らない分、
友達ではない人から、余計に頂戴しているのか?
ひどい商売だね。

私は、受け取るものは受け取るけれど、
それ以上のものを提供しているって思えるから、
誰とでも、堂々と商売するよ。

そうさ。支払った人が、
支払った以上に喜んでもらえるって思えるから
むしろ、大切な友達とこそ商売したいよ。

『友達と商売するなよ』
なんて言っている奴の頭の中は、
友達付き合いを『利用』して、
自分が得することばかりを考えている、
言わば、『友達がいのない奴』だよ。

いい大人なんだから、
友達からは、高く買ってやれよ。

そして、そんなふうに金を出せるように、
友達を助けられるように、
自分も、ちゃんと稼げよ。

支払うお客さんが喜んでいる商売で、
稼ぐことの、どこが悪なんだ?

先日、家の修繕をした。

同じ修繕の内容で依頼したが、
200万、240万、390万、600万

それぞれの見積額の差には、驚いたよ。

そして、やってくれる仕事の内容を確認して
最高入札額の業者に任せた。

いい仕事をしてくれた。

過去30年間を振り返って、
修繕に関して、最高の仕事をしてくれた。

気持ちよく支払いをした。

修繕に関して、

このレベルの顧客満足度を感じたことは、
過去、一度もない。

すごく、ありがたく思う。

この業者は友達だったわけではないけれど、
友達のように親身になってくれた。

こんな仕事をする人とこそ、
私は友達になりたい。

建物の修繕で、

いい仕事をしてくれる業者を探している人がいたら、
本気で紹介できる業者だね。
エリアは、関東地区に限られるだろうけれど


 

いつの日にか、どのポケットの底も抜けるのだから。

その場の環境に順応したものが生き残る。

その場の環境に変化があれば、
その変化に、いち早く順応したものが生き残る。

全く、そのとおりだと思う。

そして、突然の激変は、起きてしまう。
マーフィの法則には逆らえない。

一寸先の『抗うことのできない変化』

その変化への順応は、強烈な苦しみを伴う。
だから、私は、激変への対応を唱えない。

なぜなら、誰よりも優れた順応力など、
凡庸なる我が身に求めることに無理を感じるから。

私は、事前に準備可能な道を選択している。

収入源となるポケットの数と種類を増やしておくのだ。

激変に見舞われ、崩壊するポケットを
救出する能力を持ち合わせない私は、
底の抜けたポケットの応急処置だけをして、
ポケットの中身を速やかに別のポケットに移す。

変化への順応など、私のような凡人には、無理だ。

日ごろから、ポケットの数を増やしておくことだけが、
私にできる唯一のリスクヘッジ。

相手の知らない価値観は拒絶の対象だ。

さて、人と向き合うときに、
やってはいけないこと。

正確に言えば、
やっても、うまくいかないこと。

それは、相手の知らない言葉を使うこと。
それは、相手の知らない価値観で語ること。

そして、相手の心を慮っているようなつもりで、
勝手に妄想すること。

上記の中で、特に頻繁に、
私がやってしまっていたこと。

それは、相手の知らない価値観で語ること。

相手が求めてもいないのに、語れば、
何を語っても伝わらないのは当たり前。

そして、相手が求めていたとしても、
相手の知らない価値観を、
『私が正しいと思っている』からと、いって、
自分の価値観で語っても。。。伝わらない。

たとえば。。。

収入のためには、働かない。
働くのは、学ぶため。
収入をもたらしてくれる資産を形成できるように、
学ぶのだ。

誰でも、豊かになりたいよね。
この御仁のように、なら。

↓↓↓

http://ameblo.jp/manitousanblog/entry-12015978395.html


と、言ったって、
やっぱり、伝わらない。

不動産賃貸のサブリースは、
フランチャイズビジネスを買ったということ。
大家さんになったのではない。
ビジネスオーナーになったということだ。

契約金を払いフランチャイズの看板を買い、
その看板の下、現場で働く社長さんは、
報酬に見合わぬ過度な責任を負わされたemployeeだ。
断じて、ビジネスオーナーではない。

フランチャイズビジネスを買うことが、
どういうことなのか。

フランチャイザーは、そのエッセンスを、
フランチャイジーに教えない。。。いっさい。

教えたら、フランチャイザーにとっての、
フランチャイズビジネス最大のメリットが消し飛ぶから。

ロバート・キヨサキ氏の言うように、
マクドナルドは、フランチャイザーとしては、
不動産事業を展開している会社で、
まさに『大家さん』だ。

な~んてこと、言ったって、
わかっちゃもらえない。

私は、従業員をやり、
従業員を雇う自営業の社長(実質的には従業員)をし、
従業員を雇わない自営業の社長をやり、
ビジネスオーナーとしての事業も展開し、
不動産事業も展開し、
また、新たなビジネスを起こしている。

どの仕事でも、キャッシュフローの特徴をみる。
そこから、見えるものがある。

そして、やっと、気づいた。

それは、私の肌身に染みているから、
わかるだけなのだ。

ということに。

本を読んだだけの人にまで、
『わかるだろ?』
と言った私が『間抜け』なのだ。​

『正しさよりも、人間関係を優先する』

もちろん、たくさんの価値観の存在は認めるし、
他人が自分と違うことを認めてもいたけれど、
自分自身の価値観、正しさを疑わない自分がいた。

そんな以前の私は、わかっていなかった。

『正しさよりも、人間関係を優先する』

5年前、気づき、『頭では』わかった。

その結果、起きる事象に対する解釈が変わり、不満が激減。
自分の正しさで、世相を裁くことは減った。

ただ、抜けきれなかったのは、
自分の価値観で、目の前の人を裁いてしまうこと。

『目の前』だと、どうしても、感情が強く伴ってしまう。

自分の心の中で、相手をぶった切ってしまい、
しばしば、自己嫌悪。

もっとも、それまでだったら、
『口に出して』ぶった切ることも、多かったことを考えれば、
ずいぶんと変化はしたのだが。

私自身の価値観は、多分に資本家的で、
学校では、絶対に教えない。
従って、ごく少数派。
しかも、学校で教える『正しい社会での過ごし方』とは、
必ずぶつかってしまう側面を持つ。

学校で教える『正しい社会での過ごし方』を学んできた親。
一般的には、その親に育てられたのだから、
そのままの価値観で生きる子どもたち。

そんな中、突然変異は、稀有も稀有。
『教科書にさえ疑問を持つことが常識』の人が、
『情報』を得て、変化するしかない。

私の父親は、偶然にも、『資本家的な意識を持つ職人気質』
ヘンテコで、ちょっと珍しいタイプだ。

そして、周囲とは、たくさんの違いを感じて
子ども時代を生きてきた。

面前の人との価値観の違いを受け止めるのに時間がかかった。
つまり、『正しさより人間関係を優先する』の実行は、
伴わない日々が多かった。

1年ほど前、やっと、納得。

。。。つづく。

『人と向き合う際の禁忌事項』記事を読んで。

27歳。34歳。
将来を悲観した。

新しい道に進む動機があった。

出逢った多くの人が、将来の生活に不安を感じ、
少しでも多くを稼ぐために、時間を費やし切り、
体調を崩して働けなくなったら、大変なことになる。

そんな中で、勤勉に働いていた。
そして、なお、不満と不安で、いっぱいの人生。。。

そして、私も、そのひとりだった。

怖かった。

27歳は、結婚直前。
34歳は、次女が生まれた。

組織の中で、身を削って働いて、
身体を壊したら、どうするの?

休みも取れないほどの責任を、
受けられるだけ受けて。。。

大丈夫か。。。自分。。。

『学校で100点を取っても』、
そこで手にした能力では、
将来の不安を消せないことだけは、わかった。

親が資産家だという知人以外、
現役世代の友人で『悠々自適』な人をみつけられなかった。

だから、気づいた。
自分ひとりに起きたことではなかったから、気づいた。

どうやら、社会のしくみは、
学校で、教わったとおりではない。

どうやら、親も、周りも薦める方法は、
世の本当の流れとは、違うのだろう。。。と。

『人と向き合う際の禁忌事項』記事を読んで。

今は、生活の糧を得るために、
働くことは、なくなった。

働く理由は、その仕事の社会での役割を知り、
自分の資質で、どんな仕事や貢献ができるのか。だ。

そちらに、向かえるようになった。

もちろん、

 

自分と家族は、倹約すれば、なんとかなる。

という安心感があるからだ。

。。。つづく。

『ボスやマネージャー』と『リーダー』

その差、その違い、は、言い古されている。
そして、その結果の差、違いも、論を待たない。

『言い古された』という言葉を使ってしまう。。。

それほどまでに、どこの。。。そして、誰の。。。
『リーダーシップ論』も、同じことを説いている。
そして、それが、今なお、話題にのぼる。

それほどまでに、『リーダーシップ』とは
得難いものなのだと思われる。

今日も、学生スポーツの話題になった。

学生日本一を狙うほどのチームの『OB会』となれば、
常に、真っ二つに割れるテーマ。

『勝つ』ことが優先なのか。
『教育の場』なのか。

このテーマに『王道の解答』は、見当たらない。

僕は、『OBのひとり』として思う。

それは、『現役に訊けば、いい』と。

『本人の望み』に合わせて支援すること。

OBにも、コーチ、監督にも、
それしかできないのだから。

望んだものが、手にはいったら、よし。
手に入らなかったとしても、よし。

どちらの結果も、教育になることは、確かだ。
『精一杯やったヤツにとって』という限定つきだが。

『精一杯』やらなければ、何を目標においても、
なんにも、手に入れられはしない。

『OBも期待しているんだから、頑張れ』

(-。-*)o

少なくとも、そんな言葉を吐くOBのために
僕は、頑張る気なんてなかったね。
現役のとき。

技術を教えるスタッフも足りないのだろうけれど、
『言葉の使い方』『心のありよう』をスタッフに教え、
現役の心をつかむための『教育』が、真っ先に必要だろ。。。


 

課題からの解放(金、時間、人間関係)

​22歳。
こんな自分にお金をくれる人なんかいるのだろうか?
そんな恐怖も持ち合わせながら、勤め人として社会に出た。

世の中にとって価値あるものとして、
売りたいものは、あった。

自分の中の正しさに、生きた。

金と保身のために、
自分の言っていることと、自分のやっていることの違う人。

周りにいる、その人たちとの間に吹くすきま風。

27歳。
父に三つ指をついて父の会社に入れていただく。

リーダーとして、人の心を支えられる人になりたかった。

現場の人の心に寄り添える人になるためにも、
現場で、働きに、働いた。

バブル崩壊後だったが、
創業以来の最高益をたたき出し続けた。

業績により、会社の中での地位は築いた。。。が、

現場の誰よりも、現場業務に長けた
プレイングマネージャーになってしまっていた。

34歳。
望む姿ではなかった。

そして、
リーダーとして、人を支える人になりたかったが、
人を見下す人間に、なり果ててもいた。

良かれと思って、かける言葉の選択が、ズレてきた。

社内での人間関係に亀裂が走り、仕事が回らなくなってきた。

自分の中の正しさは、相手の思う正しさとは一致しない。
そのことを頭では理解できたが、言葉の選択を変えられなかった。

もがいた。

失敗と失敗と失敗と成功を繰り返した。

正しさよりも人間関係を優先する。

目指すリーダー像として、
サラリーマン時代から公言していたが、
実行していない自分に気づいた。

44歳になっていた。

気づかせてくれたのは、大きな夢。。。
いや、絶望感。。。だった。

49歳。
52年続いた会社を閉じることになった。

公言していたことを実践できるように、
心の持ち様と、コミュニケーションスキルを学んだ。

50歳。
いたわり。公正。誇り。
子どものころから、大切にしてきたことにも、
耳を澄ませた。

公言の実践に努めた。
自然体で実践できるようになるまで。。。

54歳。
今も、もちろん、『お努め』中。
人間だもの。
(*^_^*)

そして、自分の欲求の『ど真ん中』をみつけた。
『やりたくないことは、やらない』。。。だった。

今、この『ど真ん中の欲求』が満たされている。

誰かの命令を受けることもない。
誰かに命令することもない。
金に縛られることもない。
時間に縛られることもない。

もちろん、やらなければならないことは、あるけれど、
それは、自分の心が、『やる価値がある』と、
言ってくることばかりだ。

大切な人たちとの人間関係も良好だ。

今、幸せ。​

司会の役得?

リオ五輪パラリンピック出場選手を囲む会。

終了後、銀メダルをかけていない私服の素顔と、お話が、できました。

やはり、打てば響く感、すごいわ。

(*^_^*)



司会として、どうしても、やりたかったこと

選手やお客様の集う中、時間は押していましたが、
どうしても、やりたかったこと。

それは、選手のサポートチームメンバーの表彰。

トップがトップでいられるのは、サポートチームメンバーへの信頼と感謝があるから。

世間は、どうしても、『輝く星を追って』『名だたるものを追って』、『選手の顔』に、集まるけれど、『水面下で駆け回る足』にこそ、『脚光』を浴びせたかったから。

土居愛実選手が言っていましたね。
『東京』に向かって必要なものは『チーム』

すばらしいサポーター3名
瀬田川歩(山縣亮太選手のマネージャー)
柴田沙希子(棟朝銀河選手のマネージャー)
高野大樹(高桑早生選手のコーチ)

来てくださって、ありがとうございます。


リオ五輪パラリンピック出場選手を囲む会

素人司会にご協力くださいまして、ありがとうございます。

司会を務めていて感じたこと。

4選手とも、聡明で、バランスが、いい。

『競技者に、ありがちなのかなぁ』と、思っていた『妙な頑固さ』なんて、全くないのよ。

4選手の4年後に期待すると同時に、私は、彼ら、彼女らのために、何ができるのだろう。

そんなことを考えた1日でした。

リオ五輪
棟朝銀河選手(トランポリン4位)
土居愛実選手(ヨットレーザーラジアル20位)
山縣亮太選手(100m×4銀メダル)
リオパラリンピック
高桑早生選手(走り幅跳び5位)
(100m8位日本新)
(200m7位アジア新)