『正しさよりも、人間関係を優先する』
もちろん、たくさんの価値観の存在は認めるし、
他人が自分と違うことを認めてもいたけれど、
自分自身の価値観、正しさを疑わない自分がいた。
そんな以前の私は、わかっていなかった。
『正しさよりも、人間関係を優先する』
5年前、気づき、『頭では』わかった。
その結果、起きる事象に対する解釈が変わり、不満が激減。
自分の正しさで、世相を裁くことは減った。
ただ、抜けきれなかったのは、
自分の価値観で、目の前の人を裁いてしまうこと。
『目の前』だと、どうしても、感情が強く伴ってしまう。
自分の心の中で、相手をぶった切ってしまい、
しばしば、自己嫌悪。
もっとも、それまでだったら、
『口に出して』ぶった切ることも、多かったことを考えれば、
ずいぶんと変化はしたのだが。
私自身の価値観は、多分に資本家的で、
学校では、絶対に教えない。
従って、ごく少数派。
しかも、学校で教える『正しい社会での過ごし方』とは、
必ずぶつかってしまう側面を持つ。
学校で教える『正しい社会での過ごし方』を学んできた親。
一般的には、その親に育てられたのだから、
そのままの価値観で生きる子どもたち。
そんな中、突然変異は、稀有も稀有。
『教科書にさえ疑問を持つことが常識』の人が、
『情報』を得て、変化するしかない。
私の父親は、偶然にも、『資本家的な意識を持つ職人気質』
ヘンテコで、ちょっと珍しいタイプだ。
そして、周囲とは、たくさんの違いを感じて
子ども時代を生きてきた。
面前の人との価値観の違いを受け止めるのに時間がかかった。
つまり、『正しさより人間関係を優先する』の実行は、
伴わない日々が多かった。
1年ほど前、やっと、納得。
。。。つづく。