まわりから『ありがとう』と言われて、生きていきたい -5ページ目

悩みの解決には、やはり、これかな。。。

人間の悩みごとの多くは、
身体と経済の健康
時間と意思決定の自由
自己承認と人間関係

これらに集約できそうに思う。

人間関係が良ければ、
周囲は、自分を認めてくれる可能性は高まる。

そうなれば、自分の『意見』も通しやすくなり、
仕事も、はかどる。

仕事を任せた人にも、自分の考えが伝わり、
上手に時間を使えるようになる。

このあたりが、うまく回れば、
仕事は、うまくいき、収益も発生する。

人間関係が上々で、あれば、
『経済』『時間』『意思決定』『自己承認』
これらへの欲求におけるストレスも減り、
身体への過剰なストレスも軽減し、
なんだか、身体的健康まで、手に入れられそうだ。

って、ことは、
とどのつまり、よい人間関係の構築が、
すべてに優先されるのかもしれない。    


 

応答。『答』の後ろに見える『応』

限りなく多様な価値観が共存する中で、
たった一言や、断片的な背景考察だけで、
人の心を予想してモノ言うことを傲慢と感じた。

 

尋ね、伺い、答えを聴いて、答えていたサル年。
尋ね、伺い、応えを看て、応えるトリ年とする。

 

答えの後ろに見え隠れする応えを看きるまで、
人の本音は、わからない。

明確な答えを聴いて、明確に答えて、
何度も、驚いた。

自分の口で語ってくださる明確な答えの多くが、
実現したい望みではなく、実は、単なる憧れなのだ。

別に、望んではいないのだ。

答えの後ろの応え方をみて、
望む人に、伝えよう。

人生は、想いより、行動に従う。

最初は、ブツクサ言いながらでも、いい。
理屈通りに、そして、数をたくさん、やったもの勝ち。

どこかで、やんなきゃならないんだ。

ということを。


 

海賊とよばれた男

観てきました。

そう。。。数年前。

年収が、数千万円ある人が、
駅前で、毎日、チラシを配っては、
『そで』にされている姿を見て、
人生をやり直そうと思った。

石切り場で、人夫に、
『何をやっているのか』と尋ねれば、
『見ればわかるだろ、石を切り出しているんだ』

おおかたの人夫が、そう答えるのだろう。

『ピラミッドというものをこさえているんだ』

そう、答える人もいるだろう。

さらには、
『エジプト文化を創っているんだ』
と笑顔で答える人もいるだろう。

川の氾濫を抑える土木技術を
目に見える形にする。

太陽の動きを知る知恵を農作業に活かす。

この文化が、周辺地域の人々をも支えるのだ。

こんな気持ちの人夫。。。
数は、少ないかもしれないけれど。。。いる。

今、僕も、日々、チラシ配りをやっている。

過去の僕は、挨拶をして、会釈をして、
ごめんなさい、してきてしまった。

街頭のチラシを、ほとんど、
受け取ったことがなかったから、
気持ちは、よ~~~く、わかる。

『見下すような視線』
『目の前で、走り出す』
『手で振り払う』
『暴言を吐く』

一切、チラシを受け取らなかった僕でさえ、
そんなことは、しなかったけれど。。。
そんなことにも、よく出逢う。

よ~~~く、わかるよ。

困ったチラシも、たくさん、あるからね。

そして、思う。

なんでも『そで』にする人に限って、
『なんか、いいことないかなぁ。。。』
って、ため息をついている。

あなたの目の前で、
あなたの胸に飛び込んでくる人は、
もしかしたら、もしかしたら、
福の神。。。かもね。

誰とパートナーシップを組むか。

いつの日にか、
思うようには動かぬ身体を抱きしめながら
呼吸をする日々は来る。

もちろん、事故やサイレントキラーたる病気の発作なら、
それは、一瞬かもしれない。

そして、それは、
本人と共に生きている人にとって、
私の重力的な重さを支える負担はなくても、
呼吸さえ失った私が背負っていた重荷を
肩代わりすることに、なりかねない。

あるいは、肩代わり先を
探さなければならないのかもしれなない。

ところで、誰が、その肩代わり先になってくれそう?

国民皆保険により公的年金が存在する
『世界的に見れば、まだマシな日本』でさえ、
人口構成が落ち着きを見せる、この先の30年間くらいは、
感覚的には、まさに、呼吸するだけの支援にまで、
落ち込むことだろう。

そんな近未来を想像する私は、疑問に思っている。

なぜ、学校教育は、経済の教育をしないのだろう。

無限責任会社たる『旦那衆』システムが危険だから、
有限責任会社たる『株式会社』システムを創ったのだ。

100万円しか投資していないのに、
偶然大きくなった会社が、1億円の負債を残して倒産。
『旦那衆』は、それを負担しなければならなかったが、
『株主』は、株が紙切れに変わるだけだ。

だから、みんな、安心して『株主』になれたのだ。

そして、時は下り、
従業員への雇用責任が重くなり、
負担しきれなくなった『株式会社』が、
『フランチャイズ』システムを創ったのだ。

もともと、従業員を大切に扱ってきた日本では、
このシステムを別の形にすり替えた。

この国特有の高い地価の更なる上昇負担を回避するために、
『昔の地価で決算書を作成できる地主』に
『フランチャイジー』を請け負ってもらい、
『昔の相場で地価を計上して、支払家賃を抑え』
『既存店に対抗できる新店』を、やらせたのだ。

もちろん、雇用のリスクも、フランチャイジー持ちだが、
今の相場で家賃計上しなければならない既存店とは
比べられないほどの『家賃アドバンテージ』が、
その雇用のリスクを忘れさせた。

もちろん、日本の労働市場のしくみが後押ししている。

『学歴』を創りたい大学と
『自分の色に染めたい』企業の合作市場だ。

事業を『生業』と思い、売買の対象ではなく、
ずっと、持ち続けるものという意識の日本だからこそ、
長期視点に立ち、こんな労働市場ができたのだ。

『儲かるなら、その事業を売ってしまう』
という意識が少ないから、生まれた市場だ。

低賃金の新卒を中途の経験者より優先雇用。
新卒を長期にわたって教育して、
『自社以外では役に立たない腕』を上げさせ、
中途で転職しようとしても、
労働者のマーケットプライスは低く、
給与が下がるシステムを創った。

自動的に会社に縛られるしくみだ。

そして、それを『終身雇用』と呼び、
安全で、すばらしいもののように見せた。

確かに、定年までは。。。

この労働市場は、従順だ。
しかし、自分では責任を負わないことが大好きなのだ。
『ちゃんと言われたとおりやったのだから、あとは、会社の責任』
これが、大好き。

これが、雇用リスクを軽減させた。

このマーケットでは、低賃金から始めても、
教育をし、少しずつ賃金を上げれば、
従順に、ちゃんと、仕事をしてくれるのだ。

『俺がやってきた今までのやり方』
なんて、主張してこない。

ただし、労使は、いつまでたっても、労使だ。

フランチャイザーとフランチャイジーの間も。。。

フランチャイジーたる地主が店長を育て、
新規出店をしても、ロイヤリティは、すべて、
フランチャイザーに持っていかれる。

ノウハウ料、看板料として。

もちろん、培ってきた多くのノウハウが土台だ。
フランチャイザーは、ロイヤリティを受け取る権利はある。

そして、同時に、
その新店をオペレーションする店長の教育にかかる経費の多くは、
『地主』たるフランチャイジーが負担してきたのだ。

だから、その新店からのロイヤリティの一部を
教育費を負担したフランチャイジーに与えるべきだ。

そう考えて創られたのが、ネットワークビジネスだ。

多段階的にロイヤリティが配分されるのだ。

多くを育てた人に、
多くのロイヤリティが支払われる。

もちろん、多くの優秀な店長を輩出すれば、
その『地主』は、自分の店の売り上げ以上に、
店長たちの店を支えることが重要になってくるだろう。

とは言え、自分の店をおろそかにして、
優秀な店長をたくさん輩出できるはずもないのだ。

育てた後、遊び放題では、誰も働かなくなる可能性がある。
常に一定の割合では、自店の経営をさせなければ、
組織は、根本から崩壊する。

ネットワークビジネスを『権利収入』という人たちは、
この構造の根底を理解していない可能性が高い。

自分の店をおろそかにしても、
『権利収入』がはいってくるしくみを採用すれば、
合法だが、成長は、見込めない。

『友達をなくすぞ!』

などという『ご忠告』をする人は、
残念ながら、もう少し、学びを深めることをお勧めする。

違法な『ねずみ講』とのシステムの違いさえも、
知らないはずだ。

私のやっているビジネスのひとつ、
不動産ビジネスも、
有効なネットワークビジネスに似ている。

賃貸住宅 53部屋
賃貸工房           1部屋
駐車場 40台
バイク駐車場 31台
自動販売機 4台

このうち、自分でやっているのは、
賃貸住宅 5部屋
賃貸工房         1部屋
駐車場 2台
バイク駐車場 31台
自動販売機 3台

残りは、委任している。

手数料は、取られるが、報酬に満足している。

自分で全部やれば、自由が、なくなる。
新しい情報も、入手が遅くなる。

時代に追いつけず、結局、負ける。

自分でやっているのは、新しいことへの挑戦。

そして、委任先へのけん制だ。
いい加減なことをできないように。

実際に、身体が動かなくなったとしても、
『すぐには』という言葉がつくけれど、
私の報酬には、ほとんど変化はないはずだ。

自分でやっている部分でさえ、
自分でやるのではなく、
『自分で、よいパートナーを探し、維持』
しているだけだからだ。

もっとも、それが、一番大事な部分だけれど。

自分の得意技を探すために、
たくさんの経験をさせてくれている
『今の学校というシステム』には、
心から感謝している。

そして、時代が下り、
自分の頭と腕だけを頼りに生きることの限界がみえるからこそ、
学校では、よいパートナーをみつけ、
それを維持できる能力こそ、教えてほしいな。
 

困窮する私に、足りなかったもの

困窮している人や企業を見るにつけ、
何かが欠落しているということは、
誰しも思うこと。

『E』も、『S』も、やって、
それぞれに、成功体験と学びの場を得て、
今、『B』にいる私が、
『E』や『S』の立場で、困窮していたとき、
たりなかったもの。。。

それに、気づくために、私は、
長い時間が、かかってしまいました。

気づいた結果、多くの縁と支援を受け、
豊かさに近づいていく自分と、なりました。


今、困窮している中小企業の多くに、
『企業理念の不在』を感じます。

自分の提供する『すばらしいサービス』を
売ることに、躍起になり、
『サービスレベル』の向上には奔走していますが、
『理念の明確化』、そして、特に、
『組織への理念の浸透』が、後回しにされているように思います。

経営理念に共感した人が、
提供される『そのサービス』を買い求め続けます。

『経営理念のないサービス』は、
繰り返し利用されることもなく、
『共感』という付加価値を提供できないので、
『価格競争』に、巻き込まれます。

私は、『理念経営』を重視しています。

経済的自由、時間的自由を同時に手に入れ、
『勝ち負け』ではなく、『WIN-WIN』の関係を構築し、
自分に、周りに、社会に、豊かさをもたらすことができるのは、
『Bクワドラント』の特長です。

社会に、多くの奉仕ができるのも、
『Bクワドラント』の特権です。

『E』『S』には、厳しい増税が待っています。
『I』の特権にも、メスが入りましたね。

そして、『B』には、『減税』が言い渡されています。

これが、今の日本です。

豊かになるためには、
Bクワドラントに所属する必要があります。

所属して数年間は、いばらの道の続く『B』

現在の教育制度の中では、
『B』の魅力を伝えないため、
わずかな人が、『B』を選択する勇気を持ちます。

ある意味、それで、いいのかもしれませんね。

収入のために働かない。

この言葉が腑に落ちる人は、少ないです。

『貯金は、チャンスをつかみとるため。』
『キャッシュフローと比べれば、あまり重要でない』

このことに気づくことも、重要です。


私も、自分の夢、追い続けます。

あらん限りを尽くして、
志高く頑張っている人の夢になり、
公平で、公正な、温かい社会を担う。

私は、そう、なります。

この記事は、3年前に書いたもの。

(*^_^*)

豊かさの基準?

どこに、おきますか?

自分が、何らかの理由で、働けなくなった時。
家族が、どれだけの期間、
今と同じような生活を続けられますか?

お金で買えないものが、
た~~~くさんあります。

そして、お金がないと困ることも、
た~~くさん、あります。

誰もが、みんな、不死身では、あり得ません。

この先の世の中が、どんなふうになるか。。。
それは、脳の中での未来トラベル。
誰にも、確かなことは言えません。

だから、今、この瞬間、リタイアメントしたとき。

何年、大丈夫?

私は、それを豊かさの基準にしました。

安心感、ボトムラインが、見えれば、
やりたいように、やりやすい。
生きたいように、生きやすい。

1984年4月。22歳。
額面月給14万円の会社員から始まった、
私の社会人生活。

そういえば、25歳くらいだったかな。

苗場スキー場に行って、
苗場ヴィラに『1億円』の正札がついたとき、
この国の『お金持ち』や不動産業界が、
『お客様を見ていない』と感じた。

28歳くらいだったかな。

母校の経済学部の女子学生から、
アンケートを求められた。

『バブルの余剰資金は、投資に向かうか否か』

『マス』の会話において、
マイホームへの修飾語として『夢の』がつく限り、
『投資には向かわない』って、答えたな。。。

34歳。
僕の代わりに仕事をしてくれる人を、
正社員として3人雇わなければならなかった。

よく、働いたもんだな。。。

だからこそ感じた危機感。
こんな貯金は、具合が悪くなれば、
10年で。。。と。

だから、生き方を変える決意をした。

もうすぐ、55歳。
81歳まで、見えてきた。
針の先ほどの光だけれど。

今、何年、大丈夫?

(*^_^*)

もう、会えない。

東京オリンピックに向けて、
いろいろなモノが登場する、その年に、
消える景色があることを心に刻む。



建設中の八ッ場ダムを見に行った。
2020年には、ダム湖となる。

フッと、思い出した、亡き父の言葉。

19歳のとき。妹は15歳。

父から、
『引っ越そうと思うが、どうだ?』
と、ふたりは、訊かれた。

事業拡大のために、『一駅下る』という話だった。

土地スペースは、3倍以上に拡大するが、
ほぼ感情だけで、この兄妹は、反対した。
引っ越しに。

私は、3歳から。妹は、生まれた時からの地所。
子どもたちの意見を尊重して、諦めた父。
たった『一駅下る』話にさえ、乗れなかった私。

故郷を二度と見ることのできない7000人の中には、
離れがたい気持ちを持つ人がいることは、当然だろう。

そして、わが身を振り返ってみて、
あの日の判断は、今の自分に、
どう、振りかぶってきているか。

結果論だから、わかる、プラスとマイナス。

それでも、思う。

たったひとつの『自分には変えられない』事象が、
ほんの少し、神様の気まぐれで変わるだけで、
私は、この『プラス・マイナス』に、違う解釈を与えるだろう。

八ッ場を故郷とする方々の未来に、何が起きるかは、わからない。

良い解釈のできる結果が待つことを祈るばかりだ。    


 

この鞄製作所の大ファンだったけれど。。。

7年ほど前、気に入って買ったカバン。
年300日くらいは、一緒に過ごしている。

かなり、高い価格設定のメーカーだが、
ここの製品を3つ、続けて買った。

僕は、この鞄製作所の大ファンだった。

先日、取っ手の傷みが激しく、修理を依頼した。

そして、僕は、ファンをやめた。


僕が依頼した修理は、取っ手の交換。
そして、内装に、Dリングを新たにつけること。

取っ手の交換は、OK。
Dリングは、NGだった。

現在、僕のカバンと同じものを
この鞄製作所は、製作していない。

僕のカバンの『後継機種』らしきものは、
現在も販売されている。

その『後継機種』には、Dリングが、ついている。

7年間、2100日以上は、僕の傍らにいるカバン。

僕にとって、使い勝手の良いこのカバンへの
唯一の不満は、『鍵を探すとき』に感じている。

だから、依頼したのだ。

結論。
技術的には、可能だが、
会社の修理理念に反するからNG...だった。
D管は、販売時には、付いていなかったものだから、
NGだ。。。と。

彼らに、その修理理念を尋ねた。

『販売時に戻す』。。。だった。

更に、質問した。

会社のトップが語る『その理念』を
あなたは、どう解釈しているのだ?
と。

私が、あなただったら、
その理念を以下のように解釈する。と言った。

自分たちが販売したものには、
その寿命が尽きるまで、
お客様に愛用していただきたい。

だからこそ、技術的に修理できるのなら、
どんな修理でも、承りなさい。

たとえ、今は、使っていない材料でも、
取り寄せて、販売時の仕様に戻しなさい。

今は、使っていないミシンでの縫合が必要なら、
手縫いしてでも、販売時の仕様に戻す気持ちで修理しなさい。

可能な限り、可能な限り、
販売時の輝きに近づけて差し上げなさい。

お客様が、その費用を受け持つ限り。

僕は、心の底から、そう思った。

顧客満足が根底にない理念など、
ないはずだ。

ならば、『後継機種』についている
Dリングひとつのために、
寿命半ばのカバンを『亡き者』にさせて、
新しいものを買わせるような。。。

そんな『顧客対応』を、
トップが望んでいるはずもない。

そんな主張をさせていただいた。

反応は、残念なものだった。

僕は、この鞄製作所のファンをやめた。

カバンの取っ手は、修理してもらうことにした。

いろいろな価値観があるだろうけれど、
衝動買いはしない僕は、買ったものを大切に使う。

服にしても、僕のワードローブの中には、
44年前のジャンパー(母の形見)が現役だ。
42年前のコートが現役だ。

44年前のシャツ。
僕はサイズの問題で着られなくなったが、
妻のシャツとして、だけれど、現役だ。

30年前なら、数えきれない。

モノの命が尽きるまで、僕は付き合う。

僕は、ものを買うとき、いつも、思う。

ここのファンに、なれたら、いいな。。。と。


 

自分の未来を『みてきた』結果。

自分の未来をイメージする。

学生時代の私が、それをすると、
人に役に立ち、周囲から称賛されている自分がみえていた。

いつのころからだろう。。。

周りの人が、他の人が、社会が、
幸せそうにしている姿を夢『みる』ようになったのは。

もちろん、ただの一度も、自分がふんぞり返っている姿を
『みた』ことはない。

そういう人間が、大嫌いだから。

豊かさは、誰の下に訪れるのか。

なんだか、気づき始めたような気がする。

今、イメージの近くをうろついているような感じがする。

10年を重ねて

フッと、思うことがあって、
と言っても、『前向きな思い』ネ。

 

杏里の『砂浜』を口ずさんでいる僕がいた。

 

『みんな、見せかけの恋や形だけの愛ばかり
   もう一度、君に逢えたら、この海、みせたい』

の歌詞に、文句をつけてきた人がいたなぁ。。。
って、思い出していた。

 

自分の好きな歌に対して、
ズケズケと物言う奴に、腹立たしさを感じながらも、
その『文句』にさえ一理あるからこそ、
自分を笑顔にする解釈を手に入れられなかったな。

あのころ。。。

 

今、『もう一度、君に逢えたら』。。。
その『文句』にも、笑顔の解釈ができる僕がいる。

 

自分の成長を感じる。

(笑)

 

50歳になるころまでの僕は、まさに、
『忙し過ぎる時間と、人と人の間で
   落としもの、してきたような思い』だった。

 

それを感じながらも、走り続けた。

自分の望む生き方を歩んでいるとは思えなかった。

 

苦しくて、苦しくて、僕は、
父親が人生を歩み始めた。。。否、駆け出した、
父にとっては、まさに、思い出の砂浜に立ち、
『膝を抱えて、目を閉じて』。。。

 

真夜中の誰もいない海岸で、
声を枯らして歌った。

 

45歳だったかな。。。


漆黒の海。波音にかき消され、
自分の心以外には、きっと、どこにも届かない大声。

 

あれから、そろそろ10年だ。

 

失くしていた『少年のころの思い』

 

今、少しずつ実現してきた。