まわりから『ありがとう』と言われて、生きていきたい -3ページ目

東名でのアオリ運転の処理

自分の意向のみでモノをいう。

その意向の結論から申し上げる。
この日本という国が、バランス感覚を失わなくって、よかった。

歴史における大津事件を思い起こす。

あの日、出自、社会的地位の貴賎上下の差別区別なく、等しく法を適用したことで、この国は、友国を増やした。
法治を『輸入した』国が、最低基準を満たしたことで、法治を『獲得した』国から、法治国家の端くれとして認められたのだ。

『認められた』は、悔しい言い回しだが、力のない正義は半文の価値もないことを思えば、他の言葉は浮かばない。

そんなフォロアーの時代を100有余年過ごし、今、サナギからオトナになった気概を感じる。

法治国家と言えども、法が正義を守りきれるか否かの議論となれば、法治など投げ捨て、正義を優先する。

正論だ。

法は正義を守るためにあるのであって、社会的に重大な影響を及ぼす不正義な事件に対しては、法に不備あれば、法を『建て付けてでも』という気概を感じた。今回。

地裁への当事者としての訪問などは日常茶飯事と感じる私としては、この変化は、涙が出るほど嬉しい。

民衆が法治を『獲得』した国では、正義を貫くためになら、法を曲げる『法』がある。

民衆が法治を『輸入』した日本では、『法』を絶対として、正義をはばむ。

今回の『検察による法運用』は、間違いなく、法治を『獲得した』民衆が選択した法の番人たる検察の行動基準だ。

私は、何回も、『輸入した法治』の壁にぶつかり、不正義が勝つ裁判をみてきた。

検察にエールを送る。

心配するな。

戦前の『おいこら警察』など、復活しようのないほどに、『教育』は行き届いているから。
警察には。

現代版のリベラルアーツ

もし、『人を自由にする学問』をリベラルアーツとして大切にするならば、『現代版のリベラルアーツ』は『お金の流れ』を学ぶことが中心になることだろう。

今は、生まれながらの身分差などは、この言葉ができた往時と比すれば、なきに等しい。

身分差が激しければ、『腕』は、その差を埋めるために、役立つことだろう。

しかし、腕を磨いて得られる自由は、『経済』である。

そして、『時間的自由』を代償にしてしまうことが多い。

自分の決定した意思通りに生きる自由は、さらに遠い。

現代は、これら全てを同時に得られる状況こそ、『人が求めている自由』なのだ。

教育の方向…重要だ。

毎日、支払う話ばかりだから、稼げるのだと思った。

また、ひとり、信頼できる人に出遭えたことに感謝する。

地方で会社勤めを始めた娘だが、毎日、夜遅くまで勤務している。
夜道の自転車通いには、日本でも、さすがに危険。
中古車を買うことになった。

総額71万円で買った。
所有権移転した当日に不具合をみつけた。
結局、オートマを乗せ換えることになった。
乗り出す前から、24万円かかった。
(笑)

それでも、ありがたい出会いだと思った。
近所のディーラーのメカニックが、1週間かけて、原因究明してくれた。
ハンドル、ブレーキ、サスペンション、プロペラシャフト、デフ、排気管。
全部、分解して、組み立てなおして。。。
結局、どこにも、不具合がなく、オートマの乗せ換え以外の選択肢が、なくなった。

まるで、自分の車のように、よく、調べてくれた。
感謝、感謝。

そして、次に中古車を買うときには、ついてきてくれる。って。

ありがたい言葉だ。

ビジネスオーナーとして、いつも、感じる。
信頼できる人間から、どれだけ信頼されるかが、すべてだ。

自分の時間の使い方を振り返ると、常に、このふたつだ。

お客様が求めていることを探し、それを既に、うまく回している人から話を聴く。
もちろん、自分なりに、独学をする部分もあるが、独学は、スピードが遅いので、『自分なりに絞り込んだマーケット向けに事業構想を練る部分』だけだ。

そして、信頼できる人を探し、彼らの腕を借りて、共に、お客様のいるビジネスを構築し、応分以上と思える対価を支払う。

あっ。もちろん、だまされることも、たくさんあるよ。
正直言って。
だからこそ、新しいことに参入するときは、小さく、始める。

商売だけれど、いつも、支払っている感じがする。
そして、それでいいのだと思う。

投資は、まず、支払ってから回収だからね。

『稼ぐ』部分も、人に任せるから、やっぱり、僕の実務は、いつも、支払い。
人に会っては。。。支払い(笑)

僕は、何を売って暮らしているのだろう。。。

信頼される自分であり続けようと思う。    

 

正しさは人の数だけ…

『必要だから』歳出予算申請をした。
それが、とおったのだから、使ってよいのだ。

うん。正しいよ。
正しいけれど、急遽、さらに優先順位が高いことが現れたり、歳入に見込み違いが起きたとしたら、話が変わることはある。
これも正しいことだと思う。

どうしても必要ならば、おこせる借入をおこして対処するかもしれない。
借入をおこすくらいならば、当該支出を延期したり、中止するかもしれない。

背に腹はかえられない。
組織運営の『腹』は財務だ。
一本芯のとおった骨のある『背』も、すきっ腹では、どうにもならぬ。

背骨クン。
そこそこに腹を満たして動きなさいな。

タダ働きをしたくないから、させたくない。

メガネフレームを壊した。

買い換えせざるを得ない覚悟(ど近眼なので値がはるのだ)で、メガネストアへ。


修理してくれた。

『無料のサービスだ』と言って、代金を受け取ってくれない。


『僕が代金を払えるしくみはないか?』と尋ねた。

鼻パッドを交換した。

648円だった。


良いしくみを見つけてくれたと思う。

有形でも無形でも、サービスに対して対価を払わない生き方は苦手だ。


ありがとう

(*^_^*)

今日は、最後のドライブのつもりだった。

事実はひとつ。

来週、売却するクルマの窓が、閉まらなくなった。
先日、静岡の中古車屋さんに査定してもらった。
その際、不具合個所は、すべて、伝えた。
査定価格が決まり、売却を決めた。
今日、壊れた。
近所で、世話になっている腕の確かな修理工場は、今日、休み。
ディーラーも、今日、休み。

さて、解釈だ。

最初は、もちろん、『マジか?』

(笑)

そして、次々に浮かんでくる幸運を示す言葉。

晴れの日で、よかった。
人の手に渡る前で、よかった。
壊れそうだったところを僕が壊したから、よかった。
人に迷惑をかけることにならず、よかった。
買い手の不安箇所を減して差し上げられて、よかった。
雨風をしのげる駐車場を臨機に貸してくださる知り合いがいて、よかった。
僕の信頼が、僕の知らないところで、失われることにならず、よかった。

ありがたいな。

 

ちゃんと、直して、送り出すよ。


たくさんの事情の中で、僕の手を離れる日が来た。
20歳の愛車よ。
次の人にも、大事にしてもらえよ。

ハンドリングと足回りは、新品同様。
自信を持って、次のオーナーを乗せてくれ。

 

こんなところからでも、社会を変えたいと思っていた。

読売新聞の本日の夕刊。

トラックの業務改善。

夢のひとつが、叶い始めた。

卸売流通として、配送問屋を経営してきた。
52年間。

仕入れ販売の小売業からの
数々のびっくりするような発言に耐えてきた。

その最たるものが『全国無料配送』

この店は、このデパートは、このスーパーは、
なんという不勉強なのだ、とがっかりした。

単なる商品本体の値引きでしかない施策であることは、
もちろん、誰にでも、わかることだが、失礼にもほどがある。

物流を担う私たちの存在を無価値と定義するような文言に、
消費者として対面した際に、何度も折衝した。

運賃を払うから、本体価格を値引きしてくれ、と。

受け入れてくれた小売業は、1件も、なかった。

僕のチカラでは、変わらなかったけれど、
世の中が、少し、理解し始めたことを
とても、嬉しく感じる。

流通業の皆さんの苦労が、正当に評価される日のくることは、
僕の夢のひとつだ。

 

そのカエルの眼から、みえたもの

​​井の中の蛙、大海を知らず。
されど、空の青さを知る。

後半部分の解釈は、『広く浅く』の反対
『シャープにした結果、ディープに』
だ、そうだ。。。

知らなかった。

僕は、狭い世界で生きてきたからこそ、
いつまでも、子どものように、
清らかな目を持ち続けられた。

だと、思っていた。

 

お金だって、相思相愛の人のところに来る。

人が、お金に対して、どのように思っていても、
現代の日本社会で、お金を無視して生きることは難しい。

無料奉仕ならするけれど、
お金をいただくのは、ちょっと。。。

などと言って、お金を遠ざける人がいる。

けっこう、いっぱい(笑)

もちろん、ボランティアに敬意を持つ。
僕も、そうする日が、あるから。

そして、それでも、思う。

ボランティアっていうけれど、
そのボランティア自身は、どうやって生活しているの?

ボランティア中だって、食事もするよね?
生活しているよね?

そのコストは、誰の負担?

間違っても、

『どこかから、持ってきちゃった。』
なんていう、ひどい話のわけがない。

もちろん、ご自身の負担であることもあるけれど、
その負担だって、どこかで、自身で稼いできた金を
今、ここに回しているのだ。

どこかで、だれかが、お金を稼いだからこそ、
金銭的自由、時間的自由を得て、自分の決済で、
その使い道を『ボランティア』と決めただけなんだ。

お金なしには、ボランティアを考えられない。

非営利団体が解散する最大の理由は、金欠だ。

ならば、お金を嫌わないほうが、いいと思う。

お金だって、お金を嫌う人や、
お金を粗末にする人のところは、居心地が悪いと思う。


お金さん。
●●のために、あなたを派遣するけれど、
向こうで、存分に働いて、相手を幸せにしてきてね。
そして、仲間を連れて、戻ってきてね。
皆さんにとって、居心地のよい懐を用意して、待っているからね。
愛しているよ。

という人のところに、戻ってくるのだと思う。

 

別に、

『黄色い財布を用意しろ』

ということではないですよ(笑)


お金さん。
ぼく、あれが欲しいんだ。
あれの代わりに、あっちに行ってくれる。
ごめんね。バイバイ。。。

こんなお金の使い方をしていたら、
お金だって、かえってきたくなくなるよ。

お金から見れば、追い出されるようなものだもん。

 

『お金は、要りません。受け取れません。』

なんていう言葉も、きっと、お金にとっては侮辱だ。

 

ぼくは、言わない。

 

先輩。

先輩が後輩に言った。

『先輩へのリスペクトが足りない』

だって。

人間、誰でも、そうだ。
自分が、どこの誰であっても、相手を変えることはできない。

僕は、そう思っている。

尊敬されたければ、尊敬される人物になるように、自分を変える努力をすること。

それしか手立てはないんだよ。

自分の方が、経験が長いというけれど、
互いが、この世にいる限り、
年齢は、超えられないんだ。

努力では、状況を変えられないことに焦点を当てて相手をせめることをもって、
『差別』って言うんだよ。

先輩。