東名でのアオリ運転の処理
現代版のリベラルアーツ
毎日、支払う話ばかりだから、稼げるのだと思った。
また、ひとり、信頼できる人に出遭えたことに感謝する。
地方で会社勤めを始めた娘だが、毎日、夜遅くまで勤務している。
夜道の自転車通いには、日本でも、さすがに危険。
中古車を買うことになった。
総額71万円で買った。
所有権移転した当日に不具合をみつけた。
結局、オートマを乗せ換えることになった。
乗り出す前から、24万円かかった。
(笑)
それでも、ありがたい出会いだと思った。
近所のディーラーのメカニックが、1週間かけて、原因究明してくれた。
ハンドル、ブレーキ、サスペンション、プロペラシャフト、デフ、排気管。
全部、分解して、組み立てなおして。。。
結局、どこにも、不具合がなく、オートマの乗せ換え以外の選択肢が、なくなった。
まるで、自分の車のように、よく、調べてくれた。
感謝、感謝。
そして、次に中古車を買うときには、ついてきてくれる。って。
ありがたい言葉だ。
ビジネスオーナーとして、いつも、感じる。
信頼できる人間から、どれだけ信頼されるかが、すべてだ。
自分の時間の使い方を振り返ると、常に、このふたつだ。
お客様が求めていることを探し、それを既に、うまく回している人から話を聴く。
もちろん、自分なりに、独学をする部分もあるが、独学は、スピードが遅いので、『自分なりに絞り込んだマーケット向けに事業構想を練る部分』だけだ。
そして、信頼できる人を探し、彼らの腕を借りて、共に、お客様のいるビジネスを構築し、応分以上と思える対価を支払う。
あっ。もちろん、だまされることも、たくさんあるよ。
正直言って。
だからこそ、新しいことに参入するときは、小さく、始める。
商売だけれど、いつも、支払っている感じがする。
そして、それでいいのだと思う。
投資は、まず、支払ってから回収だからね。
『稼ぐ』部分も、人に任せるから、やっぱり、僕の実務は、いつも、支払い。
人に会っては。。。支払い(笑)
僕は、何を売って暮らしているのだろう。。。
信頼される自分であり続けようと思う。
正しさは人の数だけ…
タダ働きをしたくないから、させたくない。
メガネフレームを壊した。
買い換えせざるを得ない覚悟(ど近眼なので値がはるのだ)で、メガネストアへ。
修理してくれた。
『無料のサービスだ』と言って、代金を受け取ってくれない。
『僕が代金を払えるしくみはないか?』と尋ねた。
鼻パッドを交換した。
648円だった。
良いしくみを見つけてくれたと思う。
有形でも無形でも、サービスに対して対価を払わない生き方は苦手だ。
ありがとう
(*^_^*)
今日は、最後のドライブのつもりだった。
事実はひとつ。
来週、売却するクルマの窓が、閉まらなくなった。
先日、静岡の中古車屋さんに査定してもらった。
その際、不具合個所は、すべて、伝えた。
査定価格が決まり、売却を決めた。
今日、壊れた。
近所で、世話になっている腕の確かな修理工場は、今日、休み。
ディーラーも、今日、休み。
さて、解釈だ。
最初は、もちろん、『マジか?』
(笑)
そして、次々に浮かんでくる幸運を示す言葉。
晴れの日で、よかった。
人の手に渡る前で、よかった。
壊れそうだったところを僕が壊したから、よかった。
人に迷惑をかけることにならず、よかった。
買い手の不安箇所を減して差し上げられて、よかった。
雨風をしのげる駐車場を臨機に貸してくださる知り合いがいて、よかった。
僕の信頼が、僕の知らないところで、失われることにならず、よかった。
ありがたいな。
ちゃんと、直して、送り出すよ。
たくさんの事情の中で、僕の手を離れる日が来た。
20歳の愛車よ。
次の人にも、大事にしてもらえよ。
ハンドリングと足回りは、新品同様。
自信を持って、次のオーナーを乗せてくれ。
こんなところからでも、社会を変えたいと思っていた。
読売新聞の本日の夕刊。
トラックの業務改善。
夢のひとつが、叶い始めた。
卸売流通として、配送問屋を経営してきた。
52年間。
仕入れ販売の小売業からの
数々のびっくりするような発言に耐えてきた。
その最たるものが『全国無料配送』
この店は、このデパートは、このスーパーは、
なんという不勉強なのだ、とがっかりした。
単なる商品本体の値引きでしかない施策であることは、
もちろん、誰にでも、わかることだが、失礼にもほどがある。
物流を担う私たちの存在を無価値と定義するような文言に、
消費者として対面した際に、何度も折衝した。
運賃を払うから、本体価格を値引きしてくれ、と。
受け入れてくれた小売業は、1件も、なかった。
僕のチカラでは、変わらなかったけれど、
世の中が、少し、理解し始めたことを
とても、嬉しく感じる。
流通業の皆さんの苦労が、正当に評価される日のくることは、
僕の夢のひとつだ。
そのカエルの眼から、みえたもの
井の中の蛙、大海を知らず。
されど、空の青さを知る。
後半部分の解釈は、『広く浅く』の反対
『シャープにした結果、ディープに』
だ、そうだ。。。
知らなかった。
僕は、狭い世界で生きてきたからこそ、
いつまでも、子どものように、
清らかな目を持ち続けられた。
だと、思っていた。
お金だって、相思相愛の人のところに来る。
人が、お金に対して、どのように思っていても、
現代の日本社会で、お金を無視して生きることは難しい。
無料奉仕ならするけれど、
お金をいただくのは、ちょっと。。。
などと言って、お金を遠ざける人がいる。
けっこう、いっぱい(笑)
もちろん、ボランティアに敬意を持つ。
僕も、そうする日が、あるから。
そして、それでも、思う。
ボランティアっていうけれど、
そのボランティア自身は、どうやって生活しているの?
ボランティア中だって、食事もするよね?
生活しているよね?
そのコストは、誰の負担?
間違っても、
『どこかから、持ってきちゃった。』
なんていう、ひどい話のわけがない。
もちろん、ご自身の負担であることもあるけれど、
その負担だって、どこかで、自身で稼いできた金を
今、ここに回しているのだ。
どこかで、だれかが、お金を稼いだからこそ、
金銭的自由、時間的自由を得て、自分の決済で、
その使い道を『ボランティア』と決めただけなんだ。
お金なしには、ボランティアを考えられない。
非営利団体が解散する最大の理由は、金欠だ。
ならば、お金を嫌わないほうが、いいと思う。
お金だって、お金を嫌う人や、
お金を粗末にする人のところは、居心地が悪いと思う。
お金さん。
●●のために、あなたを派遣するけれど、
向こうで、存分に働いて、相手を幸せにしてきてね。
そして、仲間を連れて、戻ってきてね。
皆さんにとって、居心地のよい懐を用意して、待っているからね。
愛しているよ。
という人のところに、戻ってくるのだと思う。
別に、
『黄色い財布を用意しろ』
ということではないですよ(笑)
お金さん。
ぼく、あれが欲しいんだ。
あれの代わりに、あっちに行ってくれる。
ごめんね。バイバイ。。。
こんなお金の使い方をしていたら、
お金だって、かえってきたくなくなるよ。
お金から見れば、追い出されるようなものだもん。
『お金は、要りません。受け取れません。』
なんていう言葉も、きっと、お金にとっては侮辱だ。
ぼくは、言わない。