まわりから『ありがとう』と言われて、生きていきたい -2ページ目

紳士の定義

もう、随分と以前のこと。

ある『紳士の定義』を耳にしました。

 

『たとえ』が強烈ですが、同時に、

言い得て妙とも思いました。

 

その定義とは、

『風呂場で小便しない人』

 

陰に回ろうとも、人の目がなかろうとも、

姿勢・態度の変わらぬ人のことだと察します。

 

人の目がないときこそ、潔く。

 

もし僕にこの部分が欠けていたとしたら、

『今という状況はない』とハッキリ言えます。

 

潔すぎて、しばしば、損しますけれど(≧∀≦)

 

もちろん、今も、とっても、ステキ

思い描いていたとおりになるんだね。

決して、『いい結果』ばかりではないけれど、
10代の頃に思い描いていたとおりの今を
生きていることを感じています。

父親は、零細企業のオーナー社長でした。

父親のことを息子が、
このように評価することには、
数々のご批判もあるものと思います。

それをご勘弁いただいた上で口にするとしたら。

人として、学ぶことの多い、
すばらしい人でした。

零細企業のオーナー社長としても、
優れたトップオペレーターであったと思います。

そして、それを認識しながら、
ずっと、思っていました。

人としては、父親のように生きていきたいと。
同時に思っていました。
家族を支える大黒柱としては、
父のようには、なりたくないと。

自分の能力が衰退したら、
(これは必ず発生するのに)
家族を支える力量さえも落ちるような人生は、
歩みたくありませんでした。

家族を支える経済と、
家族と過ごす時間と健康的な心身。

これらを同時に手にするためのポジションは、
社長ではないということに、
痛いほど気づいていた10代。

そして、私自身を見てみれば、
情報が少ないと踏ん切りがつかず、
カッティングエッヂでの活躍は望めないこと。

自分のオペレーションの範囲だけだと、
常にトップとは縁遠いこと。

情報の取捨選択は、案外得意分野で、
元来創造的ではないけれど、
解析だけは、独創的にもかかわらず、
未来を見越すと、的を射ていること。

また、どうやら、かなり、人見知り。

20代半ばまでには、痛々しいほど現場に出た。
20代後半には、自分の判断に全責任を持って行動した。
そして、思ったとおりに行動を繰り返した結果、
56歳の今、10代のころ、思い描いていた道を歩いている自分に気づいた。

『どうなりたいか』を極めても、
そうはならないように思う。

『どう動いたか』に沿って
結果が生まれることを感じる。

そして、もちろん、その『動き』は、
強く望んだ『どうなりたいか』に沿うことも
感じる。

多くの『自己啓発』は、形而上。
『どうなりたいか』の明確化の支援までだ。

結果は常に、形而下の『行動』に沿う。

形而上と形而下が一致した時のみ、
思い描いていたとおりになることを感じる。

それを痛いほどに、気付かされた同窓会だった。

いくつになっても、
明日を語ることに『恥ずかしさを感じない』人と
共に生きていきたい。


バニラエアは、もう、利用しません

先週の沖縄旅行の際の話。

『バニラエア』を利用し、
ひどいトラブルに巻き込まれました。

僕の出した結論は、
二度と『バニラエア』を利用しない。

彼らのインターネット経由での予約システムには今、明確な不具合があります。

詳細を縷々述べる気にはなりません。

もちろん100点を取り続けられる人はいません。
どんな場合も起きた問題への対応が全てです。

今回、その不具合を認めようとしない会社の姿勢に対して感じたことだけを申し上げます。

『盗人猛々しい』

将来、生き残るのは、トラブル対応の誠実な会社であってほしいと願っております。

そして、せめて、この記事を見てくださった人だけでも、トラブルに巻き込まれないようにと願ってやみません。

次に同じ問題を抱えてしまう人が出てこないように、訴訟を起こし、判例を創ろうかと悩みましたが、あまりに多くのエネルギーロスを抱えることが予想されたため、断念いたしました。

悶々としております。

心静かに落ち着いて。

『いつまでも、こだわっていられるほど、俺は金持ちではない』

この言葉を胸にして、全てを忘れる選択をしようと思います。

それでも、ANAグループでの買い物は、全て、取り止めいたしました。

小さいなぁ…俺…


カナダからの手紙

『ラブレター』ではないけれど。
(*^_^*)

カナダから友だちが来てくれた。
東京滞在は、3泊4日。
その内の丸々一日を僕と共に過ごす時間に、あててくれた。
感謝の思いで、いっぱいだ。

2011年1月22日
たった一度だけ、大阪で会った日のことを、
ずっと、ずっと、覚えていてくれた。

人との信頼関係を何より大切にする僕にとって
『ラブレター』以上のメッセージを贈っていただいた。
そんな気持ちだ。

2012年、たったひとりでカナダに向かった。
彼女の成功を心から祈る。

美しくない?

このオリンピックの女子フィギュアにおいて。
心から、残念だと思う論評に出会った。

あえて、言わせていただく。
日本人だけれど。
あえて、言わせていただく。
金、銀、どちらの贔屓でもないけれど。

金の演技が点数を取るような構成になっていた。
と、その評論は言う。

たしかに、そう言うルールになっているが、
美しくなかったと言う。

論評のその部分には、合意する視点もあっていいだろう。
俺には、よくわからないが。

ただね。。。

そう言うルールで戦っているのだから、
文句があるのなら、
ルールを決めた人に言えばいい。

金を獲った人を美しくないなどという論評は不適切だ。

覚えておいてほしい。

金だ銀だと言うけれど、
その採点のルールを創っている機構があるのだ。

ましてや、100m競争ではなく、
人の感性で評価する競技なのだ。

100m競争だって、
一番遅い人が金メダルだとしたら、
僕だって、出場できそうだ。

芸術性がなかったと、
その人は言う。

俺に、それは、わからない。

でも、人の感性を含め、公正に評価するために
『点数』のしくみがあるのだろうことは理解できる。

そして、その点数の制度は、結局、皆が、合意して、
それに基づいて、オリンピックに参加しているのでしょ?

それでも、その制度に批判があってもいい。
むしろ、それを健全だと思う。

ただね。

そのルールを戦略的に検証して
プログラムを組み立てて勝った金に対して、
『美しくない』という御言葉は
不適切極まりない。

金がルールを創ったわけではないのだから。

文句があるのなら、
ルールを決めた機構に言え。
今のルールでは、私の目から見て、
美しい人が勝てない。と。

ルールに基づいて勝った者者が
美しくないと言われて、
負けなければならないのなら、
スポーツなんて成立しない。

泥臭くたって、
ルールに基づいた点数が高いやつが勝ち。

それが、フェアなスポーツというものだ。

変わらないこと。変えられないこと。

変わらないこととは、きっと、
誰もが、変えるべきではない、
そう思っていることなのだろう。

年齢、歴史の長さ、先輩後輩、
などなどなど。
努力の結果によって逆転できたりはしないもの。
僕は、それらを比較の対象要件に入れない。

もちろん、多様なる価値観の中だから、
先輩に対して、失礼な態度は取らないように心がけている。

と同時に、後輩に対して、『先輩ヅラ』っていうの?
あれは、やりたくないから、やらない。

先輩後輩の間柄そのものは、逆転不可能だからね。

 

日本におけるブルーオーシャン戦略

僕の仕事のしかたを認めてくれる。
そんな人が、出てきてくれたことに感謝。

僕の仕事のしかた、というか、選び方。
近未来を探る際に大切にしていること。

そんなことをお伝えする機会が発生した。

『Harvard・Insead』のカリキュラムの中で使われるビデオ教材。

教材のテーマは『日本におけるブルーオーシャン戦略』

その中で、5分間程度だけれど、ビデオ出演?する。

 

なぁ、世界どの。

大丈夫か?

俺で?

室内で、ニット帽、マフラー、手袋でした。

4年ぶり。
我が家にエアコンが戻ってきました。
(*^_^*)


次女が大学受験の最中に壊れました。
彼女は、この3月、大学を卒業します。
(笑)

 

室内で、ニット帽、マフラー、手袋でした。
よく、言っていました。
『ベランダの方が、あったかいね』って。
(๑>◡<๑)
 

4年前の見積書の半額以下でした。
見積もりって、なんなんだろう。
(・・?)

 

会計数字をみる

友人の記事に『会計数字を理解できなければ、経営は誤った方向に進む』と、ありました。

 

6年前、従業員さんを全員解雇し、父から引き継いだ会社の生業を停止いたしました。

私が22年、父の代からみれば52年続いた会社でした。

 

クリスチャンではありません。Catholicでもありません。

商業的なクリスマスしか知らない私ですが、自分を振り返っています。

 

あのころ、逃げられるはずのない数字から逃げた自分を思い出します。

 

逃げたら、廃業なのに、会計数字を遠ざけた。。。

どんどん悪化していく数字をみるのが怖かった。

 

結果は、友人の記事どおり。

理解できても、立ち向かわなかった。

 

ひとり、現場の改善に立ち向かった。

ひとりのチカラは所詮、ひとり分だと気付いていても、変えない自分がいた。

 

今でも、会計数字を見ることは、得意中の得意。

27歳から経営を任されて数字を追ってきた。

たくさんの組織の役員として経営数字を追ってきた。

 

横柄にも、日々のキャッシュフローと年度決算データ履歴を見るだけで、現状がわかるつもりになるほどに。

 

その数字を生み出してくれる人の心には、その人なりの正しさ、強さも弱さもあるはずなのに、『自分の正しさ』で裁いてしまっていた、あの日。

 

数字は、日を追って苦しくなっていった。

解決のために、会計数字の解析を、頻繁にするべきだったと思う。

それを生み出す人の心に、まだ記憶が熱く残っている程度のペースでは。

 

粗々ではあるが、今は、10年先、20年先のことも視野に入れながら、道を選び進んでいられる。

ありがたいことだ。

 

また、会計数字を読むチカラに、これほどまでのパワーがあるのだということを再確認した1年でもあったように思う。

 

友人の記事の言葉は、そのとおりだと思う。

そして、同時に思う。

この言葉があるということは、この教えがあるということは、この言葉どおりにできない人が、たくさん、たくさん、いるのだと。

 

浅はかな我が身の遠い過去まで振り返り、反省しきりでもあるが、会計数字から目を背けて生きる人の多さに驚嘆した1年であったようにも思う。