思い描いていたとおりになるんだね。
決して、『いい結果』ばかりではないけれど、
10代の頃に思い描いていたとおりの今を
生きていることを感じています。
父親は、零細企業のオーナー社長でした。
父親のことを息子が、
このように評価することには、
数々のご批判もあるものと思います。
それをご勘弁いただいた上で口にするとしたら。
人として、学ぶことの多い、
すばらしい人でした。
零細企業のオーナー社長としても、
優れたトップオペレーターであったと思います。
そして、それを認識しながら、
ずっと、思っていました。
人としては、父親のように生きていきたいと。
同時に思っていました。
家族を支える大黒柱としては、
父のようには、なりたくないと。
自分の能力が衰退したら、
(これは必ず発生するのに)
家族を支える力量さえも落ちるような人生は、
歩みたくありませんでした。
家族を支える経済と、
家族と過ごす時間と健康的な心身。
これらを同時に手にするためのポジションは、
社長ではないということに、
痛いほど気づいていた10代。
そして、私自身を見てみれば、
情報が少ないと踏ん切りがつかず、
カッティングエッヂでの活躍は望めないこと。
自分のオペレーションの範囲だけだと、
常にトップとは縁遠いこと。
情報の取捨選択は、案外得意分野で、
元来創造的ではないけれど、
解析だけは、独創的にもかかわらず、
未来を見越すと、的を射ていること。
また、どうやら、かなり、人見知り。
20代半ばまでには、痛々しいほど現場に出た。
20代後半には、自分の判断に全責任を持って行動した。
そして、思ったとおりに行動を繰り返した結果、
56歳の今、10代のころ、思い描いていた道を歩いている自分に気づいた。
『どうなりたいか』を極めても、
そうはならないように思う。
『どう動いたか』に沿って
結果が生まれることを感じる。
そして、もちろん、その『動き』は、
強く望んだ『どうなりたいか』に沿うことも
感じる。
多くの『自己啓発』は、形而上。
『どうなりたいか』の明確化の支援までだ。
結果は常に、形而下の『行動』に沿う。
形而上と形而下が一致した時のみ、
思い描いていたとおりになることを感じる。
それを痛いほどに、気付かされた同窓会だった。
いくつになっても、
明日を語ることに『恥ずかしさを感じない』人と
共に生きていきたい。