会計数字をみる
友人の記事に『会計数字を理解できなければ、経営は誤った方向に進む』と、ありました。
6年前、従業員さんを全員解雇し、父から引き継いだ会社の生業を停止いたしました。
私が22年、父の代からみれば52年続いた会社でした。
クリスチャンではありません。Catholicでもありません。
商業的なクリスマスしか知らない私ですが、自分を振り返っています。
あのころ、逃げられるはずのない数字から逃げた自分を思い出します。
逃げたら、廃業なのに、会計数字を遠ざけた。。。
どんどん悪化していく数字をみるのが怖かった。
結果は、友人の記事どおり。
理解できても、立ち向かわなかった。
ひとり、現場の改善に立ち向かった。
ひとりのチカラは所詮、ひとり分だと気付いていても、変えない自分がいた。
今でも、会計数字を見ることは、得意中の得意。
27歳から経営を任されて数字を追ってきた。
たくさんの組織の役員として経営数字を追ってきた。
横柄にも、日々のキャッシュフローと年度決算データ履歴を見るだけで、現状がわかるつもりになるほどに。
その数字を生み出してくれる人の心には、その人なりの正しさ、強さも弱さもあるはずなのに、『自分の正しさ』で裁いてしまっていた、あの日。
数字は、日を追って苦しくなっていった。
解決のために、会計数字の解析を、頻繁にするべきだったと思う。
それを生み出す人の心に、まだ記憶が熱く残っている程度のペースでは。
粗々ではあるが、今は、10年先、20年先のことも視野に入れながら、道を選び進んでいられる。
ありがたいことだ。
また、会計数字を読むチカラに、これほどまでのパワーがあるのだということを再確認した1年でもあったように思う。
友人の記事の言葉は、そのとおりだと思う。
そして、同時に思う。
この言葉があるということは、この教えがあるということは、この言葉どおりにできない人が、たくさん、たくさん、いるのだと。
浅はかな我が身の遠い過去まで振り返り、反省しきりでもあるが、会計数字から目を背けて生きる人の多さに驚嘆した1年であったようにも思う。