応答。『答』の後ろに見える『応』 | まわりから『ありがとう』と言われて、生きていきたい

応答。『答』の後ろに見える『応』

限りなく多様な価値観が共存する中で、
たった一言や、断片的な背景考察だけで、
人の心を予想してモノ言うことを傲慢と感じた。

 

尋ね、伺い、答えを聴いて、答えていたサル年。
尋ね、伺い、応えを看て、応えるトリ年とする。

 

答えの後ろに見え隠れする応えを看きるまで、
人の本音は、わからない。

明確な答えを聴いて、明確に答えて、
何度も、驚いた。

自分の口で語ってくださる明確な答えの多くが、
実現したい望みではなく、実は、単なる憧れなのだ。

別に、望んではいないのだ。

答えの後ろの応え方をみて、
望む人に、伝えよう。

人生は、想いより、行動に従う。

最初は、ブツクサ言いながらでも、いい。
理屈通りに、そして、数をたくさん、やったもの勝ち。

どこかで、やんなきゃならないんだ。

ということを。