まわりから『ありがとう』と言われて、生きていきたい -7ページ目

敗者への敬意表現は、いろいろで、いい。

win hands down という言葉は『楽勝』を意味する。

勝利への激しい喜びのリアクションで、
『喜びの感情を抑えきれないほど強敵だった』
とするのも、敗者への敬意の示し方。

そう考える価値観も、私は、受け入れられる。

勝って、シレっとされたら、
敗者は、かえって、悔しいかも。

勝者の感情を乱すこともできぬほどの『大差』を
敗者に見せつけることになる、とも、捉えられる。

もちろん、日本文化に根差す勝利表現への考え方も、いいと思う。

そのうえで、日本人なら『日本文化』でなければ。。。
とは、思わない。

そして、『他者への思いやり』は、
もちろん、世界中で大切にされている価値観。

日本も、そうだね。

というのなら、

勝者が、喜びを爆発させるほうが、
『僅差』を示し、相手の強敵ぶりを示す、
敗者へのいたわりだ。

そう考える相手かもしれない、と慮る。

日本が、英語圏に、世界標準に、なんでも、合わせることはない。
そして、同時に、何でも、日本文化のみを是として語るも疑問が残る。

お相手は、異文化なのだ。

私は日本人だけれど、勝負で負けた時、
勝った相手に、シレっとされたら、
かえって、悔しいよ。

Hさん。

 

『決算書の見かた』

会社の当座勘定照合表を見ていて、
ふっ、と。。。


当たり前のことなのかもしれないが、
入金項目と出金項目を比べた時、

うまくいきやすい事業は、

入金額平均 < 出金額平均
入金口数  > 出金口数

だと、気づいた。


小口で受け取り、大口で支払う。

これは、まさに、金融だ。

入金口数の多さは、売り上げの安定を示す。


もちろん、すべての事業に当てはまるわけでもないのだろうが。


*・'°☆。.:*:・'☆'・:*:.。.:*:・'°:*:・'°☆*・'°☆。.:*:・'☆'・

4年前、空き倉庫を一括で駐車場として借りたいという話が舞い込んだ。

借り手の会社は、地元の有名企業だったが、
社長の言葉遣いが残念なので、やめた。

1年間、新規事業を模索した。

8桁の新規投資をすることにはなったが、
34に分けて貸すことにした。

今、32が貸し出されている。

小分けの単価は、一括の34分の1より大きい。


金融、そして、売上の安定。


『決算書の見かた』に追加。
(*^_^*)

エッ?
当たり前?

そっか。。。

(*^_^*)


 

驚くべき『お役所仕事』(個人事業主の不動産オーナーさん必読)

起きたことが自分にとって塩梅が良くなくても、
自分にとって価値ある学びだと思えるようになって以来、
ずいぶんと不満が減り、違いを認めるようにもなった。

 

そんな感じの今…
それでも、びっくりする『お役所仕事』に出会った。

 

 

某県某市に、1棟もの(16部屋14駐車場)の賃貸物件を所有。
その物件のある駅前の再開発を某市が主導して区画整理事業を行った。
結果として、地番、住所ともに変更されたのだが、
土地建物の所有者たる私に新住所の案内が来ないのだ。

 

 

某市役所市民課に尋ねたところ、
住民票のある方には、案内をした。
法人所有の土地の場合には、法人に案内をした。

とのこと。

 

 

某市役所の市民課に再び尋ねた。

 

個人所有のアパートだが、全部屋貸し出している。
土地も建物も所有者は私。
固定資産税も都市計画税も償却資産税も某県に収めているが、
私はそこに住んでいないから住民登録はない。

 

しかし、自分の所有する建物の住所は知る必要がある。
貸し出しの募集をするにあたっても、絶対に必要だ。
自分の所有建物の住所を案内されないなどという理不尽があるものか。

と。

 

市民課の回答は、『案内はできない』

土地所有の法人ないしは、住民票のある方のみと決まっているから…

 

 

私は、区画整理事業を行った都市整備課に電話した。

 

某市では、地番=住所
だから、私に案内した新地番が新住所だという…

 

私は尋ねた。

 

私の住む家は、4筆の土地に、ひとつの建物が建っている。
よって、住所と地番は、全く異なる。

 

某市の基準で新住所が決まることに異存はないが、
私が某市に所有する当該建物も、1棟だが、
もともと4筆の土地の上に建っていた。

 

そして、今回の区画整理事業により、2筆に整理されたが、
それでも、その2筆の土地に、1棟が建っているのだ。

案内を受けた新地番は、当然のごとく2筆分ある。


つまり、その1つの建物は、2つの新地番の上に建つのだ。

『新地番=新住所』だとしても、
私には、知るよしもないのだ。

某市が、私の建物に、どのような『新住所』を割り振ったのかを。

 

やっと、理解してくれた。

 

私は、案内がなければ、所有建物の住所すら、わからないのだ。

と。

 

しかしながら、それでも、『案内』は送れない、とのこと。
ルールだから…

 

 

結局、私が、申請書を出すことになった。
所有建物の新地番と新住所の関係を証明する証明書の発行申請を。

 

個人で全室賃貸の物件を所有する人って、
某市から無視されるほど少人数ではないと思う。

 

某市役所が、『このルール』を決めた経緯を知りたいなぁ。
私のような個人事業主に『教えない』ことで、
どんなリスク回避ができると想定しているのだろう。

 

不思議…

 

(*^_^*)

経済的自由と時間的自由の両立

ラグビーをやっていて出逢った食事の大切さ。
バイオテクノロジーに進みたくて、
プロテインを広めたくて就職した。

別事業に配属された。

やりたい分野を望みながら仕事した5年間。
『会社の理論』に、納得できずに飛び出した。

行く当てもなく、父に、三つ指をついた。

父の会社の従業員さんの幸せを願って働いた7年間。
バブルの後遺症の中、年間休日3日で働いた。

会社は、昭和34年創業以来の利益をたたき出した。
従業員さんの給与も賞与も
爆発的に上げていくことができた。

でも、自分を含め、
誰も幸せになっていないことに気づいた。

経済的自由と時間的自由。

その両方を同時に手にしなければ、
『誰かのために』なんて、絵空事。

『支える』なんていうスゴいことは、
私ひとりでは、どうにもならないことも気がついた。

誰かと共に、新規事業を模索した8年間。
失敗続き。。。だまされもした。

そして、今、考えれば。。。だけれど、
自由の端っこをつかんのは、
あの8年のあとの4年間。

もちろん、その時は、
そうとは、気づいていなかった。

世の中の役に立ちたいという思いを忘れず、
さらに学び続けた3年間。

怖かったけれど、ついに、
目を瞑って、新たな道に飛び込んだ。

新規事業だ。

過去を捨てて1年。
さらに、もうひとつ新規事業を起こした。

さらに1年。
自分の道を自分で決められる自由を得た。

今、経済的自由と時間的自由の両立を得て3年。
不承不承で人の指図を受ける理由が、なくなった。
『自立』という『心の解放』にまでは、行きついた。

まだ、周りを支えるだけの力はないけれど、
わずかな支援を続けられるようになった。

娘たちの養育を考えると、
あと4年は辛抱しながらになるけれど、
この支援を続けよう。

面白いな。。。

今、代替食としてのプロテインで
支援をしている自分が、ここに、いる。

初志貫徹?

そうかもなぁ。。。(笑)



相続税の試算

我54歳。健康診断を受ける。

母が天に召された歳を8年超えた。
父の召された日まで、10年。。。

血圧102-62

昨年、本人契約の生命保険を見直した。
今年は、会社契約の生命保険を見直そうかな。

この1週間、相続税の試算のため、
個人と会社の資産棚卸をしている。

いつか『来る日』。

やはり、親からしてもらったことぐらいは、
妻と子どもたちに、してやりたい。

常に税制を学びながら人生を運営している。

試算をしていて、つくづく思う。

税のしくみに対する知識を持つか否かで、
とんでもない違いが出てしまう。

学校では、ここにある致命的な差を
積極的に教えないんだよね。。。

(-。-*)o

義理チョコなら、ありがたく、受け取るけれど。。。

男友達に『同報送信』で、
『祝バレンタインデー』って。。。

同じ文面のメールでもいいからさ、
ひとりにひとりに送ろうよ。。。
一通。一通。

プレゼントなんて、なくていい。
『心ばかり』で十分だけれど、
私には、その『心』さえ、感じられないよ。

『同報送信対象者に加えていただいて、ありがとう』
なのかね。。。

『効率的だね~!』
って、ほめるのかな。。。

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この3年ほど、つくづく感じることがある。
『正しさ』というヤツの扱いだ。

自分の持つ正しさで相手を裁けば、
相手を切り裂いてしまうことになる。
それは、良い結果を産み出さない。

そう、教えていただき、納得している。

私は、自分の正しさで目の前のことを裁き続けてきてしまった。
その時代が長い。

個々の事象だけを見れば、その『判断の結果』は、悪くなかった。

それでも、『教えていただいた』ことに『ハッ』としたのは、
長い目で見ていくと、『味方の減る人生』になっていることに
気づいていたからだ。

『正しさ』を押し付ける私は『正しくない』ということに、
うすうすであっても、気づいていた。

そして、最後は、『絶望感』を伴って、
やっと、明確に気づかさせていただいた。

もちろん、不完全な人間だから、
今でも、たびたび『正しさ』が、頭をもたげる。
苛立ちを隠しきれないことも多い。

相手を変えられないことを知りながら、
変わってほしい一心で、口も滑る。

相手に変わってほしければ、自分が変わるしかない。。。よね。
わかっては、いるんだ。。。

そして、本当に、私の感じている『正しさ』が『正しいのならば』、
相手は、『痛い成果』を伴って(かもしれないが)、
いつか、それに気づく日が来ることだろう。

痛みを感じるその前に、気づいてほしくて、
愛情を込めてフィードバックもするけれど、
表現するその『言葉』が、難しい。

あまりにも多くの『正しい』と言われる価値観の中で、
言葉の見つからない毎日である。

    

新しく想像される価値こそ、投資の対象だ

昨日、この春、大学を卒業する母校の後輩と
食事に行きました。


『病室と教室をつなぐ』
彼女のライフワークです。


子どもたちの病気や怪我は、
子を持つ全ての親が直面する可能性のあること。
僕の家族にも、起きてしまうかもしれないこと。


長女が高校生のとき、
父との思い出について訊いたことがあります。


小学生だった彼女が公園で高所から落ち、
後頭部を遊具に打ち付けた時、僕は、
彼女を自転車の後ろに乗せて救急病院まで。。。


それが、長女の心に焼き付いている『父』だ
と聴きました。


ふと、僕が小学生のとき、
同級生が交通事故で片足を失い、入院している間、
学校との連絡役をやった自分を思い出しました。


中学生のとき、
僕がスキーに誘った同級生が、複雑骨折をして、手術。
入院中、授業のノートを病院に持って行っていたことも。。。


各分野の専門家の知恵を、学校や病院、家庭が、
利用しやすい形の情報として提供し、
その子にとって、よりよい教育環境の選択を可能にする。


それを、僕は、事業として成立するように支援したいと思い、
詳細を伺うことを選択しました。


まだまだ、青写真。


それでも、お互いにとって、
とても、よい時間となったと思います。


自分の父親よりも年配の僕と、
一日の時間を割いてくださり、
彼女に感謝したいと思います。


そして、エルルカンビスのオーナー・スタッフの皆さま。
すてきな空間をわけていただきまして、ありがとうございます。

http://www.herlequin.com/

気づき

自分に直接は降りかかって来なかった『火の粉』なので、
かえって強く心にしみて…

どんな言葉も、発するのなら、
『正しさより、人間関係を優先する』

これを忘れずにいようと思います。

保身を意識する中で生きなければならない場合が多い人もいると思います。

そのような状況が多ければ、『保身不要』のシチュエーションを
『純粋』に『侃侃諤諤』の場として、使うことを
『よし』としたい気持ちを理解します。

わかります。

掟の厳しい仲間内でならば、率直な意見の応酬も、
それは、それで、とても温かく嬉しいものです。

そして、同時に思います。

その自分が感じている『その感覚』は、
みんなの感覚と共通しているはずだ、と、
『自分だけが勘違い』しているのかもしれないと。

伝えたことは、伝わったことにはなりません。

26年間、会社の社長をしていて、それを痛いほど感じてきました。

自分以上の能力を持つ人ばかりです。まわりは。

ならば、力を借りられる生き方をした方が、自分を活かしやすい…と。


昨夜、お時間を割いてくださいました皆さまへ

12月24日19時より、
帝国ホテルの倶楽部ルームにて、
講演させていただきました。

タイトルは

ラグビー南ア戦、勝利の意味
~この逆転は、あなたにも起きる

思いがけないほど多くの方に
お集まりいただけましたことに感謝いたします。

割いてくださいました時間以上のものを
お届けするつもりでお話させていただきました。

2時間以上にわたる話に
耳を傾けてくださったことに感謝いたします。

『伝えた』ことが『伝わった』ことではないと
承知しております。

聴いてくださいました方々は、
私の話のどんな部分が印象に残ったのでしょうか。

それが何であったとしても、それが、
その方にとっての正解なのだと思います。

また、お会いした際には、是非とも、
フィードバックをしていただけましたら、幸いです。

終始、支えてくださいました幹事の皆さん、
倶楽部ルームのスタッフの皆さんにも、
心から感謝します。

志高く頑張っている人の夢になり、
温かい社会を担う。

生きていきます。
毎朝、自分にすり込むこの言葉どおりに。





『ねぇ、おとうさん、サンタクロースって』

娘が、小学校2年生のときに、
訊いて来た、質問。


そして、そのときの、私の回答。


*・'°☆。.:*:・'☆'・:*:.。.:*:・'°:*:・'°☆*・'°☆


「ねぇ、おとうさん、」


「んん?」


「サンタクロースって、ほんとうにいるの?」


「いるよ。」


「ほんとう?」


「うん。でも、サンタさんは、ひとりじゃないんだ。」

「その子にとってね。。。
サンタさんというのは、
その子のことをとっても大事に思っていて、
その子も、とっても大切に思っている人のことなんだよ。」

「今の玲子なら、おとうさんと、おかあさんかな。」

「玲子のサンタさんは、玲子のことが大切だから、
玲子が、いい子だと、うれしいんだよ。」

「だから、やさしくて、人から大切にされる子が、
とっても大切にしている人の数だけ、
サンタクロースは、いるんだと思うよ。」

「それに大切に思っているどうしだから、
いつも一緒にいたいと思っていて、
それが、かなうなら、いつもできるだけ近くにいるもんなんだよ。」

「だから、空を飛ぶソリも、
あたたかい赤い服もいらないサンタさんがいっぱいいるんだよ。」

「でもね、いろいろなことがあって、
大切な人の近くにいられない人も、いるんだよ。
その人たちの、やさしくて、せつない気持ちが
空を飛ぶサンタクロースになったんだと思うよ。」

「おとうさんは『あっ、この人サンタさんだな!』
っていう人をいっぱい見たことあるよ。」

「でも、トナカイのひくソリで空を飛んでいるサンタクロースは
目をつむらないと見えないんだよ。」


*・'°☆。.:*:・'☆'・:*:.。.:*:・'°:*:・'°☆*・'°☆。.:*:・'☆'・


その娘は、今、大学院。
23歳になりました。