義理チョコなら、ありがたく、受け取るけれど。。。
男友達に『同報送信』で、
『祝バレンタインデー』って。。。
同じ文面のメールでもいいからさ、
ひとりにひとりに送ろうよ。。。
一通。一通。
プレゼントなんて、なくていい。
『心ばかり』で十分だけれど、
私には、その『心』さえ、感じられないよ。
『同報送信対象者に加えていただいて、ありがとう』
なのかね。。。
『効率的だね~!』
って、ほめるのかな。。。
*・'°☆。.:*:・'☆'・:*:.。.:*:・'°:*:・'°☆*・'°☆。.:*:・'☆'・
この3年ほど、つくづく感じることがある。
『正しさ』というヤツの扱いだ。
自分の持つ正しさで相手を裁けば、
相手を切り裂いてしまうことになる。
それは、良い結果を産み出さない。
そう、教えていただき、納得している。
私は、自分の正しさで目の前のことを裁き続けてきてしまった。
その時代が長い。
個々の事象だけを見れば、その『判断の結果』は、悪くなかった。
それでも、『教えていただいた』ことに『ハッ』としたのは、
長い目で見ていくと、『味方の減る人生』になっていることに
気づいていたからだ。
『正しさ』を押し付ける私は『正しくない』ということに、
うすうすであっても、気づいていた。
そして、最後は、『絶望感』を伴って、
やっと、明確に気づかさせていただいた。
もちろん、不完全な人間だから、
今でも、たびたび『正しさ』が、頭をもたげる。
苛立ちを隠しきれないことも多い。
相手を変えられないことを知りながら、
変わってほしい一心で、口も滑る。
相手に変わってほしければ、自分が変わるしかない。。。よね。
わかっては、いるんだ。。。
そして、本当に、私の感じている『正しさ』が『正しいのならば』、
相手は、『痛い成果』を伴って(かもしれないが)、
いつか、それに気づく日が来ることだろう。
痛みを感じるその前に、気づいてほしくて、
愛情を込めてフィードバックもするけれど、
表現するその『言葉』が、難しい。
あまりにも多くの『正しい』と言われる価値観の中で、
言葉の見つからない毎日である。
『祝バレンタインデー』って。。。
同じ文面のメールでもいいからさ、
ひとりにひとりに送ろうよ。。。
一通。一通。
プレゼントなんて、なくていい。
『心ばかり』で十分だけれど、
私には、その『心』さえ、感じられないよ。
『同報送信対象者に加えていただいて、ありがとう』
なのかね。。。
『効率的だね~!』
って、ほめるのかな。。。
*・'°☆。.:*:・'☆'・:*:.。.:*:・'°:*:・'°☆*・'°☆。.:*:・'☆'・
この3年ほど、つくづく感じることがある。
『正しさ』というヤツの扱いだ。
自分の持つ正しさで相手を裁けば、
相手を切り裂いてしまうことになる。
それは、良い結果を産み出さない。
そう、教えていただき、納得している。
私は、自分の正しさで目の前のことを裁き続けてきてしまった。
その時代が長い。
個々の事象だけを見れば、その『判断の結果』は、悪くなかった。
それでも、『教えていただいた』ことに『ハッ』としたのは、
長い目で見ていくと、『味方の減る人生』になっていることに
気づいていたからだ。
『正しさ』を押し付ける私は『正しくない』ということに、
うすうすであっても、気づいていた。
そして、最後は、『絶望感』を伴って、
やっと、明確に気づかさせていただいた。
もちろん、不完全な人間だから、
今でも、たびたび『正しさ』が、頭をもたげる。
苛立ちを隠しきれないことも多い。
相手を変えられないことを知りながら、
変わってほしい一心で、口も滑る。
相手に変わってほしければ、自分が変わるしかない。。。よね。
わかっては、いるんだ。。。
そして、本当に、私の感じている『正しさ』が『正しいのならば』、
相手は、『痛い成果』を伴って(かもしれないが)、
いつか、それに気づく日が来ることだろう。
痛みを感じるその前に、気づいてほしくて、
愛情を込めてフィードバックもするけれど、
表現するその『言葉』が、難しい。
あまりにも多くの『正しい』と言われる価値観の中で、
言葉の見つからない毎日である。