義理チョコなら、ありがたく、受け取るけれど。。。 | まわりから『ありがとう』と言われて、生きていきたい

義理チョコなら、ありがたく、受け取るけれど。。。

男友達に『同報送信』で、
『祝バレンタインデー』って。。。

同じ文面のメールでもいいからさ、
ひとりにひとりに送ろうよ。。。
一通。一通。

プレゼントなんて、なくていい。
『心ばかり』で十分だけれど、
私には、その『心』さえ、感じられないよ。

『同報送信対象者に加えていただいて、ありがとう』
なのかね。。。

『効率的だね~!』
って、ほめるのかな。。。

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この3年ほど、つくづく感じることがある。
『正しさ』というヤツの扱いだ。

自分の持つ正しさで相手を裁けば、
相手を切り裂いてしまうことになる。
それは、良い結果を産み出さない。

そう、教えていただき、納得している。

私は、自分の正しさで目の前のことを裁き続けてきてしまった。
その時代が長い。

個々の事象だけを見れば、その『判断の結果』は、悪くなかった。

それでも、『教えていただいた』ことに『ハッ』としたのは、
長い目で見ていくと、『味方の減る人生』になっていることに
気づいていたからだ。

『正しさ』を押し付ける私は『正しくない』ということに、
うすうすであっても、気づいていた。

そして、最後は、『絶望感』を伴って、
やっと、明確に気づかさせていただいた。

もちろん、不完全な人間だから、
今でも、たびたび『正しさ』が、頭をもたげる。
苛立ちを隠しきれないことも多い。

相手を変えられないことを知りながら、
変わってほしい一心で、口も滑る。

相手に変わってほしければ、自分が変わるしかない。。。よね。
わかっては、いるんだ。。。

そして、本当に、私の感じている『正しさ』が『正しいのならば』、
相手は、『痛い成果』を伴って(かもしれないが)、
いつか、それに気づく日が来ることだろう。

痛みを感じるその前に、気づいてほしくて、
愛情を込めてフィードバックもするけれど、
表現するその『言葉』が、難しい。

あまりにも多くの『正しい』と言われる価値観の中で、
言葉の見つからない毎日である。