まわりから『ありがとう』と言われて、生きていきたい -9ページ目

カギだと思うこと

大きな組織が、世界中に影響を与える?

世界中に影響を与えることに臨んだ組織が、
大きくなっていくだけのこと。

この違いこそ、カギだと思う。

夢を追う人と共に

私が、自分の生き方に疑問を持ち、
変化を決意したのは、34歳。

かと言って、明確には定まらぬゴールに対し、
あれこれと、できる範囲での挑戦をした、あの頃。

懐かしく思う。


過日、34歳の後輩と酒を酌み交わした。

彼が『理想的な生き方』とする人と同じ人を
私も、『目指す姿』と捉えていたからだ。

後輩は、公認会計士で、今は、独立した事業主だ。

彼は、言う。

その人の生き方を理想だと公言した時、
周りにいた人たちから白眼視された。。。と。

そして、また、言った。

彼らは、金に困ったことがないから、
あんな目で見られるのだ。。。と。

独立して3か月、自分には、仕事が、なかった、と。

1円の収入も、なかった、と。

だから、金の重要さが、わかる、と。


うん、私も、わかるよ。

10年以上、経済的に苦しんだからね。

そして、
経済的に苦しんでいなかった34歳のころまでは、
時間のやりくりができずに苦しんでいた私。

その後輩も、今、
当時の私と似たようなところで、
心に引っかかるものがあるようだ。

そして、後輩は言う。

なぜ、あなたは、そんなに、
高邁、高潔な心で、いられるのか、と。

ありがとうね。
そんなふうに言われて、心強かったよ。

そして、本当のところ、
私ひとりのチカラでは、
よりよい世界をつくるなんていう志は、
到底、叶わないからだよ。

ひとりでは、何も、できないからだよ。

だから、いつも、夢追う人と共にいる。

もう追っている人。
追い始めた人。
追うと決めた人。

そして、背中を一押しすれば、
始めの一歩の出る人。

そんな人と共にいることだけを
心掛けている。


努力は、とても大切だよ。
そして、選択は、もっと、大切。

    

世界は、もちろん、私より。

My WHY is bigger than I.

自分を超えた何かのひとつになる。

そう思えるWHYをつかんだとき、
人は、あなたの夢を追う。。。共に。

大きな夢は、ひとりの腕力で
叶えられるものではない。

私は、それを知る人と共に生きる。

ひとりずつ、ひとりずつ、
人の願いを叶える手助けとなるように動く。

一度には、ひとりずつかもしれないけれど、
夢を語りながら、一歩。一歩。

その上で、独立している身の心地よさ。

(*^_^*)

よいコミュニケーションの成立に欠かせないもの

今日は、1対1、1対多、多対多、と、
いくつものパターンで、
コミュニケーションを図る機会を得ました。

改めて、強く確信しました。
上手なコミュニケーションのコツを。


まず、相手の話を最後の最後まで聴く。

その話についていけず、
『迷子』になった時に、質問することは、OK。

そして、それ以外では、話を遮らない。

意見の違いを述べるのも、
良い情報を提供するのも、
相手の話が全部終わってからで十分に間に合う。

話し終えてからで、いいのだ。


また、相手の話の内容が、
『その先まで、わかっても』、
絶対に、話の先回りをしない。

このような形で
あなたの優れた理解力を示したところで、
相手との関係は、少しも、よくならないから。


さらに、最悪は、
相手の話を自分の枠にハメて妄想する状況。

『早とちり』という『かわいい名前』が与えられているが、
現実のコミュニケーションでは、最悪だ。

特に、初対面の場合など、
人間関係そのものが崩壊することがある。

少なくても、信頼度の低下は、甚大だ。

聴き手が、偉そうな心持で、『わかっている風』だと、
他の聴き手にすら、不満足を与える。

では、早とちりは、どんな時に起きる?

相手の話を読んで、会話を管理下に置き、
相手の行動をコントロールしようと、
『焦っている』ときだ。

周りが、全く見えていない状況だね。


私の場合は、相手の話の内容について、
『知っているつもり』になっているときかな。


自分の知らないことは、たくさんある。
知っていることなど、ほとんど、ないのだ。

そう思っていられるほど、
謙虚で、かつ、心に余裕のある時には、
早とちりは、起きないものだ。

相手に勝ちを譲る器量こそ、
よいコミュニケーションの成立に欠かせない。


そして、なにより、
相手の願いを叶えるために会話しているのだ。

そのことを忘れてはならない。


自分の願いは、自ずと叶うものだ。

相手の願いを叶えた上で、
自らの願いを口にすれば。

なぜなら、その願いは、
この社会にとっても、役立つ願いだから。

その『社会』とは、相手も、
そして、自分も、含むものだから。



関わる人の願いを叶えることを、
自らの願いとする人ならば、
その願いは、自ずと叶うのだから、
『会話で勝つ』必要はないのだ。


分析。解析。

緑茶やコーヒー含有成分の効能について、
発表が、ありましたね。

その発表の内容についての論評ではないことを、
つまり、特定の研究調査内容についての論評でないことを、
ここに宣言して、記事を書きます。


コーヒーを、一日に、
3~4杯飲む人の脳卒中罹患率が低い。
1杯程度では、有意なデータなし。

よって、3~4杯のコーヒーを飲むことが、
よろしいようだ。。。

な~んて感じのことが、
まことしやかに、発表されていました。

間違っているとも思わないし、
その研究に携わっているわけでもないので、
私に、その評価は、無理なこと。


ただ、ね。。。

因果については、常に、意識したい。


私は、過去、胃の治療の際、
刺激物をできるだけ避けるために、
アルコールも、『辛い食べ物』も、
コーヒーも、緑茶も、ほとんど、口にしませんでした。

健康診断で、
『腎臓の数値が、ちょっとだけ、高いよ』
な~んて、言われただけで、
いろんなものを控えました。。。

腰を痛めた時だって、
鎮痛剤が胃を荒らすから。。。と、
カフェインすら避けたものです。


つまり、ね。。。

健康状態に不安がないから、
コーヒーなどの嗜好品を口にできる。
安心して、気の向くままに。。。

健康だから、脳卒中とも縁遠い。
だから、制限することなく、
気軽に、コーヒーを楽しめる。

『そんな人』の『群』が、
『コーヒー3杯』の『群』であっても、
同じ臨床結果が生まれることを理解してほしいだけ。


もちろん、当該研究結果は、きっと、
この『因果の逆転』が、理由でないことを補完するデータも
蓄積された上での発表だとは思います。


ただ、しばしば、
疑問に感じる解析が、あるのです。


データの結果の解析において、

Aを『1単位』加えるというテストをしたら、
有意な変化なし。
Aを『3単位』加えるというテストをしたら、
Bという結果が出た。

よって、『Aを3単位加える』ことには、
Bという結果をもたらす力がある、という解析。


上記の解析を間違っているという判断を、
即座に下すことはできないけれど、

『A3単位』という『群』は、強力で、
『A』の刺激に耐えうる『群』である。
『A』の刺激に耐えられない『群』では、
『A』の刺激を遠ざける習慣がある。

『A』という刺激は、本来、避けたほうがよい。
という解析も、できるよね。

こちらの状況が実態だったとしても、
収集されたデータは、同じものになる。


危険を伴うけれど、
日ごろ、『Aを1単位』の『群』に、
『Aを3単位』加えてみなければ、
解析の真偽は、わからないものだ。


これは、『A=アルコール』でも、
過去、話題になっていたよね。

同じことだもの。。。


もちろん、本件の例に出した事例では、
きっと、なんらか科学的論拠が、
私の疑問を担保するデータを持っていることを
信じたいな。。。

コーヒーも、緑茶も、
アルコールも好きだから。

(笑)


    


とても素敵な開発ストーリーに期待を込めて。。。みた。

昨年末、決心した、今年の再挑戦。
『アルトサックスを再開する。』

やっと、スタートです。

簡易防音室として購入した『だんぼっち』

昨年末、腰を痛めてしまい、
今まで組み立てられず。。。(笑)

で、早速、吹いてみました。

防音具合ですが。。。残念でした。

扉越しどころか。。。ま。。。

障子越し程度。。。(笑)

これ、ね。

↓↓↓

http://www.danbocchi.com/

楽器とか、カラオケの防音としては、
あり得ないレベルの残念さでした。

家族の目を気にせず、
落ち着いて作業したいのなら、
有効かなぁ~(*^_^*)

それでも、だんぼっちの外で話すヒソヒソも、
ぜ~~~んぶ、聴こえちゃいますぞよ。

(笑)

音ではなく、視界を遮る道具。

とても素敵な開発ストーリーを謳う商品だけに、
期待したのですが。。。

久々に、ハズシました。

(笑)

それでも、練習は、再開しま~す。

    

81歳

拾えば、珠玉。
打ち捨て置けば、ただの石ころ。

深いなぁ。。。


努力に因る、よし。運に拠る、よし。

正しい選択をして運を味方に、
努力することは、なお、よし。

拾われる人になる。よし。

拾う側に立つ。なお、よし。


準備を怠らず、

いつ拾われても、いいように。
いつ捨てられても、いいように。
(この2行は、知人の言葉からの引用)

泰然自若とした器こそ、
生涯、持ち続けたい。


先週、私の目指す人生を過ごす御仁に出遭う。

81歳。

学生時代から、財産形成への挑戦を始め、
卒業後、たくさんの世界を見るために、
約2年ずつ、計画的に職を渡る。

働く理由は、その業界の『現実を学ぶ』ため。

収入を得るためではなく、
その業界を学ぶためであることが、ミソ。

その後、家業の酒屋を継ぐが、
50歳までと決めて、種銭づくり。

そして、責任を背負って進む。

その結果の今。
その豊かさを見せていただいた。

時間的、経済的自由を背景に、
自分が卒業した小学校への恩返しを計画していた。

『小さな、小さな、小学校なんだ。』

そう、語っていた。


81歳の彼の計画には、一口乗る気になった。

風の中のスバル
砂の中の銀河
草原のペガサス
街角のヴィーナス

地上の星に、また、ひとり、
出遭わせていただいた。

感謝だなぁ。

すべては定義されたもの

自分を磨き上げるために、
半年間、共に生きた22人の友に、
それぞれが、一言ずつ残すことになった。

3年前のことだ。


私が残した一言は、

『すべては定義されたもの』


今、起きている事象を、どう捉えるのか。

それは、すべて、自分が決めるのだ。
事象に出遭った本人が決めるのだ。

自分で、その事象を定義するのだ。

どんなふうに定義したとしても、
間違いではない。

ただ、誰かを、何かを、
傷つけるような定義をしたら、
あなた自身が排除されてしまうような事象が
起きるかもしれない。

ただ、それだけのことだ。


ブログで知り合った友の記事に触発された。

そうだね。

自分自身も、自分で。。。

自分を自分で定義するんだね。

What do you define you?
Who are you?


大きなテーマだな。

やはり、志から定義することになるのだろう。



気づきの機会をくれて、ありがとう。


指図を受けない

自分の未来を、将来を、
自分の過去の支配下に置かない。

自分の過去からは、
情報を得ることがあっても、
指図を受けないことが『鍵』

経験値は、大切だけれど、
『経験値』を大事にし過ぎると危うい。

経験値を『生かして』、
再度、『今』、判定をし『直す』

成果としては、失敗続きでも、
誰もが、きっと、成長し続けていると信じる。

だから、判定は変わるのだ。


 私は、新たなる挑戦を始めると、
最初の10年くらいは、失敗続き(笑)

出た芽を、鳥に、ついばまれ、
根を腐らせては、これを切り落とし、
身軽にして、再度芽を出し、朝露に濡れ、
数の中から残るものが、残り。。。

(笑)

そんな感じだなぁ~今も。


あっ、ここで、注意。

というか、私が注意していること。

確かに、残るもの数は、
やった数に比例する。

けれど、残るものの質が悪いと、
周りに感染し、『良質』をも腐らせるから、
気を付ける。


残るものの質は、
自分の質に近いものだ。

よきチームメンバーに恵まれるために、
自分ができることは、ただひとつ。

自分が、よきチームメンバーになること。

人格者と思われる人が、私を見て、
共に生きようと思ってくださるように、
自分は行動しているのか、否か。


数の中に質がある。。。

この言葉には、大きな誤解が、ありそう。

下手な鉄砲、数打ちゃ、当たる。。。

では、ないと、思って、行動しています。


過去に指図を受けていると、
過去に指図を受ける人が集まります。

いやだな。。。私は。

積極的思考を『だめ』だと書く人がいる。

わかります。わかります。その心。

私の周りにも、何人も、います。

『その積極性は、成果を上げられないだろう』
と感じさせてしまう人が。

もちろん、私は、到底、思えません。
消極派が、豊かになっていくとは。

ですから、

『以前、やってみたけれど、だめだったから。。。』
『わからないから、やめておこう』

という判断をしようとは思いません。

ただ、多くの案件は、周りの人の知恵を借りれば、
7割がたのことは、調べが、つきます。

それを、情報集めという確認もせずに、
『積極的に』

『わからないからこそ、やってみる』

。。。(-。-*)o

それは、バクチというものです。

まあ、賭けた人は、負けることが多いかな。。。

このパターンが、
『積極思考で、結果だめ』の第1類型ですね。


さて、翻って、第一類型には該当せず、
しっかりと、情報を仕入れ、調査をして、臨む人。

調査結果に対し、
『第六感の不吉な予感』を感じなければ、
わからない『不確実性の』部分は、行動で結果をみる。

そして、わからないことは、わからないのだから、
やってみて結果を出す。

すばらしい。

ただ、ここで、しばしば、第二類型の人を見かける。

やってみた結果を検証しないんだよね。。。(-。-*)o


うまくいかなかったとき、
成果が出なかったときは、
その理由を調査するから、経験となる。

これ。。。やらない人。。。多い。

『根っこまで掘り下げて、深い部分で改善策を練る』
を、しないまま。。。

『うまくいかなかったけれど、平気、平気~~~!』
『大丈夫、次、次~~~!!』

(-。-*)o


これ。。。ね。

私の感覚では。。。ですけれど。。。ね。。。

この行動をとってしまう人は、
自分の心細さを。。。否、ありていに言うと、
自分の『弱さ』を『隠している』だけ。

そうしないと、心が折れてしまうのなら、
心の平穏を保ってほしいから、それを否定しないけれど。

その人には、残念ながら、
『積極的思考』が、成功のツールになりそうもない。

第二類型だと思う。


この第一類型、第二類型の人は、
『積極的思考』を選択する前に考えてほしい。

何を捨てて走り出すのか、を。

積極的な行動に伴って、最初に増えてくるのは、
繰り返し訪れる絶望感。

自分の無知と小ささを感じることも、
必然だと腹をくくる必要がある。

周りから、『変人扱い』は、当たり前。

自分ひとりじゃ、どうにもならない。。。


そんなことを、いろいろと感じながらの数年間を
自分の人生として受け入れられるかな?

ほとんどの人が、受け入れる自信がなくて、
『分相応』に、頑張る選択をしているのだと思う。


そう、だから、ある意味、理解する。

積極的思考に『ダメ出し』する人の心。


追伸

私は、それでも、積極派。
そして、積極派は、いつも、慎重です。

ここ。。。肝。

(*^_^*)