まわりから『ありがとう』と言われて、生きていきたい -10ページ目

トップリーダーに求められること。

それは、社会全体を見渡す視野。。。

視野は、心の眼と言い換えてもいいかもしれない。

社会を見渡す視野は、大志と言い換えてもいい。

そして、自分の信じていることを
同じように信じている人を信じて、任せきる器。




方針について、
リーダーチームで、意見を出し合い、
トップが、決断を下す。

実行チームに方針を伝える。

実行チームを信じて任せる。

口を出さずに、現場を俯瞰して見守る。

実行チームのトップを
リーダーチームのミーティングに招き、
そのフィードバックに耳を傾ける。

全責任を背負う。

次の方針を決める。


これの繰り返し。

たった、それだけのこと。


結局、一度も、北海道に、行かなかったね。

ちょうど、4年前、
私の人生を、私自身の手で変える。。。


そのきっかけを創ってくれた長女が、
クラーク賞を受賞しました。


周囲の方々のご尽力とご理解の下、
彼女が選ばれたことに、感謝します。


大学院へ進学とのことですが、
周りに、多くの貢献をし、
その上で、多くの協力者と共に、大志を抱いて、
この先の人生を歩んでいく人と、なりますように。


4年前を思い出します。


当時、私は、父から、27歳の時に
引き継いだ会社を経営していました。


経営能力がなく、
自分の給料を9万8千円にしても、
まだ、赤字が続き、
このままでは、家族の生活も、ままならない。


そんなところまで来ていました。


それでも、なお、私は、
人の役に立っているつもりでいました。


自分の給料を9万8千円にしてでも、
従業員の皆さんには、
20万、30万、40万と払っていましたから。


ところが、長女が、
北海道大学に合格した時のことです。。。


彼女のアパート代を
払ってやれない自分に出遭いました。


結局、寄宿舎生活ということになりましたが、
寄宿舎は費用が少なくて済むので、
申請書が必要でした。


申請書の、申請理由に、
『父親の会社がままならず、金がない。』
と、娘が書いて、私のところに持ってきました。


保護者印を押すところがあったからです。


そのとき、はじめて、気づきました。


私は、周りに迷惑をかけて生きているのだ。。。と。


このときの思い。。。


これが、22年。。。

父の代から数えれば、
52年続いた会社を閉める勇気と、なりました。


経営者ですから、失業保険は、ありません。


49歳で、主たる収入源のなくなる恐怖。


それを振り切る勇気を
彼女が与えてくれました。


今、まだ、所得税も払う身分でもなく、
『目指せ、納税(義務を負うほどの所得)』ですが、
当時の貯金持ち出し状態からすれば、少しは、マシ(笑)


会社を閉じる、その時。。。


出逢って28年(今は、32年となりました)の
妻は、どんなときも、私を支えてくれました。


当時、高校一年だった次女は、

『生まれた時から、当たり前のようにあった会社も、車も、
 み~んな、なくなっちゃうけれど、私は平気だよ。
 おとうさんと、おかあさんを信じているから。』

と、言ってくれました。


長女も、北海道で、なにも、とりみだすことなく、

『あっ、そう。』


ありがたかったな。。。


彼女たちのためにも、
豊かになる姿を見せなければ。


と思い、やってきました。


そして、長女よ。
また、勇気をもらったよ。


53歳、父も、大志を抱いて生き続けるよ。


つくづく、思う。


親はなくとも、子は育つ。



信じて任せる

自由・公正・いたわり。


私は、この3つを大切にして生きてきた。


自分にも、相手にも、社会にも、
この3つは、公平に与え続けてきたつもり。


もちろん、我が子たちにも。


3歳までは、『大好き、大好き』と口に出して言い、
ギュッとハグすることだけを日課としてきた。


10歳までに手を放せるように、
少しずつ、少しずつ、手を放してきた。


子どもからの質問に対し、
『子どもだまし』は使わないと決め、
大人でも納得できる答えを子どもの知っている言葉に替えた。


放任主義は採用しなかったが、
目いっぱいの自由を与えた。


既存概念がないので言葉が見つからないが、
これを『信任主義』とでも呼べば、適当かとも思う。


おかげさまで、ふたりの娘は、それぞれの道を歩んでいる。


今、22と19。


ふたりとも学生だが、もう、すっかり、一人前だ。


そして、思う。


同じ理念、同じ方針で教育し、
同じ姿勢と態度で接してきたけれど。。。


まったく、正反対の性格の『おふたり』となった。


(笑)


教育の結果とは、不思議なものだ。


まっ。。。親として、今、笑っていられるのだから、
すべて、よし。とするのが、よいのだろう。




『成功』に関する本をいくつも読んでいくと

誰もがきっと気づくと思う。


『だいたいのところ。。。一緒』だと。


この分野は、人間の所業の部分にかかわることだし
人間のサガに強くつながる部分だから、
当然の帰結なのだろうと思う。


そして、同時に思う。


『成功』を構成する要素は、人それぞれで、
十人十色、百人百様なのだろう。と。


自分を例にとると、


健康の維持
   最重要。
   可能な限り手にしておくために手だてを打つ

時間的自由
   これなしの成功は、御免こうむる。

存在承認
   『大活躍』への称賛は、あまり、望まない。
   あっても可、くらい。
   はっきりいうと、要らない。

存在承認
   知る人ぞ知る善良なる『暗躍』は、望む姿。
   こっちが欲しい。

友情
   善良なる『暗躍』を目指す人との交流は、
   楽しくて有益だから、めっちゃ欲しい。

空間
   欲しい空間あるよ。ここには書ききれない。

心の解放
   聴く耳を持って、多くの人の話をしっかりと聴き、
   自分の基準で自分の行動を決められることを
   強く強く望む。

経済的自由
   物欲は、ゼロではないけれど、興味薄。
   価値ありと感じる社会貢献には、
   惜しげなく投資したい。
 

とは申せ、この項目の現状は、
複数の収入源があることに感謝。
リスクが分散されているから。
所得税の課税対象になるくらいまで稼ぐのが
直近の目標
(笑)


内容や求める度合いだけでなく、
項目の相違まで含め、
ひとり、ひとり、みんな違うのだと思う。


ただ、これらの項目の中で、経済的自由だけは、
誰の成功要素の『項目』にも、登場すると思う。


そして、この項目に対する『本』は、興味深い。
読む本により全く違い、ときに『真逆』のことも。


それほどまでに、人が『成功』に求めるものは多様であり、
成功の方法は、きっと、いくらでもあるのだと教えてくれる。


どの道を選ぶのかは、選ぶ人の思考。
。。。というか嗜好だね。


(*^_^*)


最近、つくづく、思う。


教育って、大事。
知識って、大事。
経験って、大事。


分析解析能力や洞察力の源だから。


直感も、立派な洞察力の発露。
これが、ずれていると。。。結果は残念。


そして、感じる。


だからと言って、
直感力を直接鍛えるのは遠回りだってこと


直感力の源は、
教育、知識、体験の質と量に基づく洞察に根差すから。

    

ひとりごと。。。

だけれど、心に刻んで忘れぬように。

 朽ち果てぬように、書き込んでおこう。


人間だから、完璧を続けることはできないけれど、
人の心を傷つけることはしたくない。


腹の立つことはある。

そして、なお、それを
『感情的』に表現せずに生きていこう。
『怒り』としては、表現せずに生きていこう。


感情は、大切。
直観は、大切。


直観は、過去の経験値との違和感の発露。


マイナスに働く直観は、
撤退『行動』を『直ちに』図る道しるべ。

プラスに働く直観は、
ロジカルな『調査開始』の道しるべ。


マイナスの直観を引きずりながら『今』を続けることは、
絶望や泥沼への一里塚。


プラスの直観で、瞬時に決済するのは、
『悪意』への贈り物。


どんなときも、情報が大切。


いざ、というときに、
己の経験値を携えて
共に歩んでくれる人を得られるか否かは、
常日頃の自分の行動にかかっています。


相手のことを、自分ごとと受け止めているか。
相手の忠告に、耳を傾ける器を用意しているか。


他山の石を、心に刻む。





白い紙

絵心など、全くない私ですが、
たま~に、絵を描くことがあります(やむに止まれず。。。です)(笑)


そして、そんなとき、いつも、思います。
私は、この白い紙になりたいのだ。と。


どんなにすばらしいファインアートの巨匠の腕前でも、
その筆が宙を舞うばかりの絵では、
人の目には理解しがたいものです。


白い紙もあれば、青い紙もあるでしょう。
キャンバスだったり、革だったり、
そのほか、無数の素材があることでしょう。


その『代表』として『白い紙』と申し上げたまでのことですが、
いつも、感じるのです。


この鉛筆の黒い線だけで、表現をしているわけではなく、
黒い線の隙間隙間を埋める『白い紙』が、コントラストをなして、
その絵は表現されているのだ、と。


その隙間は、描き手の筆により制御されたものであることも事実。


そして、同時に思うのです。


この『白い紙』が、一言も文句を言わずに、
信頼して、描き手に身をゆだねているからこそ、
『絵』は、成立するのだ、と。


描き手は、その『白い紙』がなければ、
絵を描くことすらできません。


その点において、すごく強い立場ですよね。
『白い紙』は。


そして、同時に、『白い紙』は、描き手に、
存在感を感じさせていません。


感じさせたとしても、わずかなことでしょう。


描き手が、制作したデッサンを見て、
『白い紙』との共同作業だったとは、感じにくいものだと思います。


だから、なりたい。


『白い紙』に。


勝利(5-1)

ここに気づけば、伝わる

伝えたいことが伝わらない。


この言葉を聴くたびに、思います。


なんとか、力になって差し上げられないものか、と。


そして、伝えたいと思っている本人に尋ねます。


なぜ、それを伝えたいのか。
なぜ、それに魅せられた自分がいるのか。


そして、それを尋ねると、答えられない人がいます。


プレゼンテーションって、
自分が魅せられたときのことを、
自分のストーリーとして語り、
魅せられた後の自分の選択と結果を話すだけ。


魅せられたとき、その心が、
大志を抱くような心境だったのであれば、
志の高い相手に、その思いは、必ず、伝わります。


『魅せて、見せる。』


この順番を逆さにして、
『見せて、魅せよう』とすると、
伝わりません。


『見せて、魅せよう』とする人は、
プレゼンテーション用の道具を駆使して、
いかに、自らの提案が優れているのかを示そうとします。


伝わらない原因に気づいてくださるといいな。


以下、蛇足。


腰を痛めたことで『今、実感している』安心感。


私は、27歳まで、『モーレツ社員』(古ッ!)、
その後34歳まで、『ワンマン社長』として、
年に3日の休日で働いて、貯金をしていました。


そして、考え至りました。


私が、病気や怪我で動けなくなったら、
家族は、どうなるんだろう。。。と。


こんな貯金、10年で、なくなっちゃう。。。と。


52歳の、この年末、腰を痛めてしまいました。
3ヶ月くらい、静かにさせていただきます。
肉体的な移動や負荷を伴う仕事は、大半、お断りすることにします。


健康の大切さを改めて感じています。
そして、仕事を『お断り』できる今に感謝です。


私の家族は、慎ましやか暮らせば。。。ですが、
収入を得るための仕事は、もう不要となっています。


前述のとおり、34歳のときに、
自分の労働をベースとする将来設計に不安を持ち、
その後6年間、資産構築を目指して、試行錯誤を繰り返しました。


家族の生活を担保しうる範囲で繰り返す失敗の中で、
やっと自分の道をみつけ、さらに8年経ったとき、
生活の担保としていた自営業が破たん。


ただ、その際には、
さらに、もうひとつの道に夢をみつけ出していましたので、
『不安と恐怖』を抱えながらも、前進しました。


49歳でした。


破たん事業を清算し、
たくさんの友人の知恵をたどって、残存資産の再生に成功。
今に至ります。


頼りになるのは、人の知恵。
自分の能力を過信していた時には気づかなかったこと。


自分が、どんな思いをもって生きているのかを
友に伝えたからこそ、手伝ってくださいました。


地元の、進歩的で超優良成績企業との『話』も、ありましたが、
お断りさせていただきました。


思いの通じ合う人とだけ、組ませていただいていますので。

揺らぎ

今日は、所沢にある契約農家さんのところで、
『収穫』をしてまいりました。


里芋、大根、蕪、人参、葱


個体は、ひとつずつ、全く違う。


大小、そして、様々な姿かたち。
大自然の恵みは、個性的です。


そして、今までも、
購入させてただいておりました。


サイズ無視、すがた無視、納期無視、
さらに、どんな野菜が来るのかも。。。お任せで。


その代わり、安全で、おいしい。(*^_^*)


今回、つくづく、つくづく、思いました。


消費者として、もう、買わない。


『粒ぞろい』を謳う商品を。


『自然の恵み』に対して、
まるで、ケチをつけているような気がする。


でこぼこ、虫食い。。。いいじゃん。


天候などで、納期が、数日、ずれる。。。問題ない。


出来、不出来があるから、
希望日に、自然の恵みを手にしたいのなら、
違う種類の野菜。。。OK。


すべて、『揺らぎ』だもんね。


健康的で、活動的なライフスタイルのために、
食の安全、農薬の制限を望むなら、
消費者も、不自由を楽しむ器量を手に入れなくっちゃね。


消費者として、
器の大きい『大物』になろ~っと。


(*^_^*)


これから、そんなマーケットが拡大するといいな。。。


 


 


 


 


 


 


 


 


 


 


 


 


 


 


 


 


 

この感性。。。すてき。

2度、伺わせていただいて、確信しました。


こちらの店、d(^。^ d)グッ

Shukran-Kitchen



金曜日と土曜日のディナータイムのみ、
レストランとして、訪れることができます。


料理も、ホスピタリティも、とにかく、温かい。


『おいしい料理を、素敵なサービスで』
『純朴で、真心のこもった、もてなし』
『上品な一所懸命さ』


そういうものに、触れながら、
落ち着いた時間を過ごしたい。


僕は、レストランに、そういうものを求めているので、
とても、波長が合います。


この街に、ずっと、存在し続けて欲しいな。