白い紙
絵心など、全くない私ですが、
たま~に、絵を描くことがあります(やむに止まれず。。。です)(笑)
そして、そんなとき、いつも、思います。
私は、この白い紙になりたいのだ。と。
どんなにすばらしいファインアートの巨匠の腕前でも、
その筆が宙を舞うばかりの絵では、
人の目には理解しがたいものです。
白い紙もあれば、青い紙もあるでしょう。
キャンバスだったり、革だったり、
そのほか、無数の素材があることでしょう。
その『代表』として『白い紙』と申し上げたまでのことですが、
いつも、感じるのです。
この鉛筆の黒い線だけで、表現をしているわけではなく、
黒い線の隙間隙間を埋める『白い紙』が、コントラストをなして、
その絵は表現されているのだ、と。
その隙間は、描き手の筆により制御されたものであることも事実。
そして、同時に思うのです。
この『白い紙』が、一言も文句を言わずに、
信頼して、描き手に身をゆだねているからこそ、
『絵』は、成立するのだ、と。
描き手は、その『白い紙』がなければ、
絵を描くことすらできません。
その点において、すごく強い立場ですよね。
『白い紙』は。
そして、同時に、『白い紙』は、描き手に、
存在感を感じさせていません。
感じさせたとしても、わずかなことでしょう。
描き手が、制作したデッサンを見て、
『白い紙』との共同作業だったとは、感じにくいものだと思います。
だから、なりたい。
『白い紙』に。