結局、一度も、北海道に、行かなかったね。
ちょうど、4年前、
私の人生を、私自身の手で変える。。。
そのきっかけを創ってくれた長女が、
クラーク賞を受賞しました。
周囲の方々のご尽力とご理解の下、
彼女が選ばれたことに、感謝します。
大学院へ進学とのことですが、
周りに、多くの貢献をし、
その上で、多くの協力者と共に、大志を抱いて、
この先の人生を歩んでいく人と、なりますように。
4年前を思い出します。
当時、私は、父から、27歳の時に
引き継いだ会社を経営していました。
経営能力がなく、
自分の給料を9万8千円にしても、
まだ、赤字が続き、
このままでは、家族の生活も、ままならない。
そんなところまで来ていました。
それでも、なお、私は、
人の役に立っているつもりでいました。
自分の給料を9万8千円にしてでも、
従業員の皆さんには、
20万、30万、40万と払っていましたから。
ところが、長女が、
北海道大学に合格した時のことです。。。
彼女のアパート代を
払ってやれない自分に出遭いました。
結局、寄宿舎生活ということになりましたが、
寄宿舎は費用が少なくて済むので、
申請書が必要でした。
申請書の、申請理由に、
『父親の会社がままならず、金がない。』
と、娘が書いて、私のところに持ってきました。
保護者印を押すところがあったからです。
そのとき、はじめて、気づきました。
私は、周りに迷惑をかけて生きているのだ。。。と。
このときの思い。。。
これが、22年。。。
父の代から数えれば、
52年続いた会社を閉める勇気と、なりました。
経営者ですから、失業保険は、ありません。
49歳で、主たる収入源のなくなる恐怖。
それを振り切る勇気を
彼女が与えてくれました。
今、まだ、所得税も払う身分でもなく、
『目指せ、納税(義務を負うほどの所得)』ですが、
当時の貯金持ち出し状態からすれば、少しは、マシ(笑)
会社を閉じる、その時。。。
出逢って28年(今は、32年となりました)の
妻は、どんなときも、私を支えてくれました。
当時、高校一年だった次女は、
『生まれた時から、当たり前のようにあった会社も、車も、
み~んな、なくなっちゃうけれど、私は平気だよ。
おとうさんと、おかあさんを信じているから。』
と、言ってくれました。
長女も、北海道で、なにも、とりみだすことなく、
『あっ、そう。』
ありがたかったな。。。
彼女たちのためにも、
豊かになる姿を見せなければ。
と思い、やってきました。
そして、長女よ。
また、勇気をもらったよ。
53歳、父も、大志を抱いて生き続けるよ。
つくづく、思う。
親はなくとも、子は育つ。
私の人生を、私自身の手で変える。。。
そのきっかけを創ってくれた長女が、
クラーク賞を受賞しました。
周囲の方々のご尽力とご理解の下、
彼女が選ばれたことに、感謝します。
大学院へ進学とのことですが、
周りに、多くの貢献をし、
その上で、多くの協力者と共に、大志を抱いて、
この先の人生を歩んでいく人と、なりますように。
4年前を思い出します。
当時、私は、父から、27歳の時に
引き継いだ会社を経営していました。
経営能力がなく、
自分の給料を9万8千円にしても、
まだ、赤字が続き、
このままでは、家族の生活も、ままならない。
そんなところまで来ていました。
それでも、なお、私は、
人の役に立っているつもりでいました。
自分の給料を9万8千円にしてでも、
従業員の皆さんには、
20万、30万、40万と払っていましたから。
ところが、長女が、
北海道大学に合格した時のことです。。。
彼女のアパート代を
払ってやれない自分に出遭いました。
結局、寄宿舎生活ということになりましたが、
寄宿舎は費用が少なくて済むので、
申請書が必要でした。
申請書の、申請理由に、
『父親の会社がままならず、金がない。』
と、娘が書いて、私のところに持ってきました。
保護者印を押すところがあったからです。
そのとき、はじめて、気づきました。
私は、周りに迷惑をかけて生きているのだ。。。と。
このときの思い。。。
これが、22年。。。
父の代から数えれば、
52年続いた会社を閉める勇気と、なりました。
経営者ですから、失業保険は、ありません。
49歳で、主たる収入源のなくなる恐怖。
それを振り切る勇気を
彼女が与えてくれました。
今、まだ、所得税も払う身分でもなく、
『目指せ、納税(義務を負うほどの所得)』ですが、
当時の貯金持ち出し状態からすれば、少しは、マシ(笑)
会社を閉じる、その時。。。
出逢って28年(今は、32年となりました)の
妻は、どんなときも、私を支えてくれました。
当時、高校一年だった次女は、
『生まれた時から、当たり前のようにあった会社も、車も、
み~んな、なくなっちゃうけれど、私は平気だよ。
おとうさんと、おかあさんを信じているから。』
と、言ってくれました。
長女も、北海道で、なにも、とりみだすことなく、
『あっ、そう。』
ありがたかったな。。。
彼女たちのためにも、
豊かになる姿を見せなければ。
と思い、やってきました。
そして、長女よ。
また、勇気をもらったよ。
53歳、父も、大志を抱いて生き続けるよ。
つくづく、思う。
親はなくとも、子は育つ。