昨日も大切なことを記した記事を1つアップロードしているのでご確認ください。また、こちらの記事(①②)は過去記事のコピペがたくさんですが、更に掘り下げ1つの結論が出ておりますので、辛抱して読み進めてくださいませね。
【レイ、イラク作戦、自衛隊海外派遣】
ミイラを追いかけ続けたら、11①。
2019-01-07 00:00:00
・・・
非公開になっているので、米ブッシュ・日小泉のとき、なぜ自衛隊の海外派遣が、米軍傘下に派遣することがトントン拍子で決定したのかを説明します。
日米経済戦争・日本バブル経済崩壊による日米事実上財政経済破綻、大恐慌の影響で、日米経済戦争で大敗したアメリカ連邦政府(クリントン大統領)は一年間に渡り閉鎖し、再スタートしても緊縮財政は続き、911発生当時、湾岸戦争→イラク戦争開戦では軍事予算→予算計上しても予算執行→実際にお金をつかえる段階でなく、アメリカ軍はじめ政府機関の技術を民間に売却してキャッシュを確保している状態であった。
この時、米国で話し合われたのが、日本駐在のアメリカ軍基地であった。当時のアジア情勢は比較的安定しており有事の危機ではないので複数のベースを閉鎖してアメリカ兵の50%をアメリカ本土に戻すことを考えた。しかし、アメリカ軍とCIAは難色を示した。何故なら、CIAにより中華系は危険だと報告されたのがレーガン大統領時代(中曽根内閣)であったが、大袈裟だと誰も信じないまま、1999年からアジアの海では中国が違法な人工島の建設に着手していたのと、自衛隊が本来、日本国内でやるべき通常業務をアメリカ軍が半世紀以上ずっとやって来ているせいで、この通常業務は国防または、万が一の有事に備えなければならないので単純な話ではなく、業務をアメリカ軍から自衛隊に引き継ぐならば、自衛隊は様々な訓練と実務経験をクリアする必要があるからだ。そこでアメリカ各政府機関を合わせて話し合ってから、日本の小泉前総理に話が行った。
CIAはテロを阻止するために動いていたが、後のブッシュ大統領誕生の大統領選のとき、関わっていたCIAの部隊は爆発テロに巻き込まれ全員死亡する。実際は一人だけ生き残っていたが、彼はどこの誰が味方で、どこの誰が敵なのか分からなく、自分を死んだことにしてワシントンのお膝元で一部の人間と組み活動を開始して、トランプ・共和党政権に戻ると復帰した。彼らはシンガポールを経由して日本から中国に潜入していたので、私はこの時の諜報員らを知っていた。
2001年1月、テキサス州の州知事であったブッシュが大統領就任。
9月、ニューヨーク同時多発テロ。
湾岸戦争激化。
2003年、イラク戦争開戦。
2004年、自衛隊イラク初めての派遣。
国を持たない世界最大の民族クルド人はイラク政府・フセイン政権に反乱を起こし、バックで中国軍が大量破壊兵器・軍事機器・武器を支援したイラク・フセインはクルド人に対してVXガスを使用して230万人を殺傷したため、米軍はクルド人を援護し、後のクルド自治区誕生に力を貸した。アメリカ連邦政府は長期戦を踏まえ、日本政府にアメリカ軍の日本撤退案を持ち掛ける。
米国側からの提案は、およそ10年で日本駐留中アメリカ兵の50%撤退、それにかかるアメリカ軍基地は全て日本側に引き渡し、自衛隊が業務を引き継ぐこと。そのためには自衛官の訓練と実務経験が必要なので自衛隊をアメリカ軍の傘下に派遣すること。
日本政府にとって米国側からの提案は悪い話ではなかったし、自衛官の実務経験が必要だという米国側の主張は、幾ら軍事を知らなくても何となく分かったので、法案は日本国民が驚くスピードで国会通過した。しかし、米国では、自衛隊の能力を把握していた人たちが上手く行くとは思えないと難色を示した。何故なら自衛隊がアメリカ軍の軍事作戦の足を引っ張り、米兵の犠牲者を増やし兼ねないからだ。それゆえ、アメリカ軍の現場には、現場の判断で自衛隊(自衛官)を日本へ帰還させる決断をする権利を与えた。もともと軍事作戦は実行部隊の最高責任者の国と傘下に数ヵ国といて一緒に現地入りして、それぞれ政府軍の役割分担の先にリレー方式で作戦任務を遂行していくので、一ヶ所(一か国)でも失敗すると軍事作戦そのものが破綻するので、最前線のアメリカ兵にとって命取りになるからだ。ブッシュは日本政府に対して、自衛隊には、派遣先で負傷した自衛官を治療するための衛生班がないので衛生班の設置と、自衛隊の特殊部隊には(いざというとき国と闘うための)顧問弁護士がいないので、自衛官に必要なシステムの立ち上げまで含め、様々な必要なインフラ整備を強く要求したが、日本政府はブッシュの話をちゃんと聞かなかった。実は、日本政府は日本国民には内緒でイラク戦争の前にも何度かアメリカ連邦政府の要請で自衛隊を海外派遣しているが、全員無事に帰還していたからだ。それは有事の必要はない災害支援や、勃発した開戦後処理で、敵はいない海で、海底に沈んでいる武器などの残骸の撤退作業であったり(この作業が今の日本に重要になってくる)、急務で派遣された様々な記録は問題になることはなく、それゆえ、永田町はイラク戦争・米軍傘下派遣はそれらと同様うまく行くだろうと軽く考えていたのだ。
というように日本側の理解を得られないまま始まった最初の自衛隊派遣は4年間で1300人で、空輸による物資輸送や給油など複数あったが自衛隊は失敗し続け、結果的にアメリカ軍の現場の判断で900人の自衛官が強制的に日本帰還させられた。追加二年を延長するが改善の兆しはなく、事態は悪くなるばかりで、今度は武器を持たせたらもっと深刻化し、最初の派遣からずっと国連軍の中では世界一弱く、世界一高い死傷率のまま今日に至る。そもそも、最前線で武器を持って戦っているアメリカ軍よりも国連軍の中で最も安全な場所で活動をしている自衛隊の方が死傷率が高いなんておかしいのだ、自衛隊に問題があるのは当然といえた。
(南スーダン自衛隊派遣は米軍傘下ではなく中国軍傘下だ。民主党・小沢・鳩山・菅・野田が中国と決め自民党・二階・安倍が引き継ぎ、派遣に向けた集団的自衛権→自衛官に武器を持たせ実行した。派遣された自衛隊の任務は難民キャンプの運営だが、武器を振りかざす一般市民に恐れをなしてベースキャンプに退避してしまい、世界中で笑い者になった。中国はキレまくって戦力にはならない、荷物だと自衛隊を予定より早く日本帰還させ、以降決別した)
永田町は、自衛隊はどこへ派遣しても帰還させられた、負傷者を出しまくり、精神疾病患者を出しまくり、任務を放棄しまくり、という展開に慌てふためき、今でも正確な数字は発表していないが、(イラク派遣日報の50%は非公開なのは永田町にとって都合悪いから)失敗した永田町はアメリカ連邦政府に責任を擦り付ける発言を開始した。自分たちの都合の悪いことは何でもアメリカのせいにする日本の政治家・学者・評論家・陰謀論者。アメリカ連邦政府が悪い、アメリカ軍が悪い、自衛隊は米国戦争屋に飼い殺しにされていると。日本の政治家・学者・評論家はいつもそう、散々悪事を画策して実行している事実をひた隠し、話をすり替え、言いっ放し、やりっ放しで、自分の立場が危うくなると事実をねじ曲げ、責任を他人に擦り付けて逃げまくる。
米国側は15年に渡り何度も日本に対して、必要なインフラ整備と軍事訓練の改善要求をしてきたが、今だかつて一度として解答をもらったことはないし、事態は悪くなる一方だ。因みに米国側は集団的自衛権を反対していたし、憲法改正して自衛隊を軍隊にすることは反対しているが、日本政府は報道規制をかけています。何故なら米軍にとって自衛隊は事態をややこしくする、トラブルメーカー、荷物だから中途半端に動いてほしくないからだ。(2016年イギリス軍・イギリス民間軍事会社日本常駐開始以降、米軍撤退へ向けた英国傘下の自衛隊訓練・実務が始まる。)
この調子なので無論アメリカ兵50%日本撤退の話も立ち消えした。
良かったら日本人はペンタゴンや米軍やCIA・NSAにお手紙を出して、米国側の意見を聞いてみてください。ただの抗議文や批評文ではなく、自衛官の死傷者が多い理由を知りたい、またはどうしたら改善できるのか教えてください、というように相談、質問ならば、相手が一般人でも何ページにもなる丁寧なお返事をくれます。
その中で誰よりも怒り狂ったのがレイだ。
アメリカ海軍ネイビーシールズ・チーム6の部隊長なレイ。
DEVGRU・海軍特殊戦開発グループ。
シールズから独立した対テロ特殊部隊のこと。
海軍は元々、空・陸・海兵隊が難色を示す汚れ仕事(陸・海・空)を任務としているが、その中でも極めて難しい任務を、SEALSが引き受ける。更に難色、政府案件の隠密作戦をチーム6が担当している。
チーム6のレイは任務が自衛隊と一緒になることはない。レイが部隊を引き連れて最前線から退避し、たまたまの休憩所のアメリカ軍ベースで自衛隊と遭遇することがある。そこでレイが自衛官に怒り狂って追い返したことが何度もあったのだ。
レイは何度も日本に手紙を送って様々な改善要求をしてきたが、一度も返信はなく話にならないので、直接国会で話したいし、日本国民に理解を求めたい。自衛隊がアメリカ軍から実務を引き継ぐことができないと米軍はアジアが安住の地になっても日本から撤退できないんだよ、それを日本人に理解してほしい。
2003年、海外派遣決定当時、日本社会は将来的なアメリカ軍撤退まで含めた、イラク戦争に伴いアメリカ兵50%撤退を公式発表できる段階ではなかった。太平洋戦争、日本が米国の統治下に入り、米軍は日本に拠点を構えた。しかし、朝鮮戦争が勃発してアメリカ軍は日本撤退を考えたが大反対したのは日本国民で、アメリカ軍がいなくなったらまた永田町は悪意を持った独裁支配者になる、それはやだ、と米軍撤退を大反対して引き留めたのは、戦争を生き抜いた日本人であり、米国は日本国民の要求に答え駐在を継続したのだ。日本は明治元年から太平洋戦争終結まで世界屈指の悪意を持った独裁支配政治を断行してきたので、日本国民はアメリカ軍を頼り永田町を敵対視した。自衛隊発足当時、日本人は大反対し、自衛隊がテレビ画面に映るだけでも抗議は凄く、自衛隊の国内災害派遣もやっていなかった。災害派遣は1995年、阪神淡路大震災が最初になるが、派遣が遅れたのは、日本国民が毛嫌いしている自衛隊を被災地に派遣したら尚更混乱するのではないか、という懸念はあったためだ。それゆえ2003年の段階では、まだまだ日本社会では戦争経験者の影響力は強く、将来的な米軍撤退の機会を打ち明けられるような段階ではなかったのだ。
しかし、今の日本国民にとっては間違いなく反応は違うだろう。日本はアメリカ軍日本撤退へ進める最大のチャンスを逃した挙げ句、明らかに日本側の対応ミス。幾らだってチャンスはあったのに永田町・防衛省・自衛隊は自ら独立国の道を逃したのだ。
私はレイに言った。自衛隊の実情について自衛官が口を開き、日本社会に訴えかけようものなら、本人や家族まで殺害される。自衛官は海外派遣において死傷すると、本人のその後の保障はないのはもちろん、部隊のメンバーは葬儀には参列できない、線香の1つもやれない、入院やリハビリでもお見舞いにもいけない、退官でも送別会もできない、自分の仲間のその後を知ろうとすること自体が自衛隊では禁止事項で、権力を突っぱね突き進もうとすると不審者が現れ、君の家族がどうなっても知らないよ、と脅され、それを無視すると何かが起きる。それを自衛隊は組織ぐるみでやっている。退官後、学者や評論家として活動できる人間は悪人に飼い殺されている人間のみで、いまの段階では自衛隊の現場に自ら行動を起こせと言っても余りにもリスクが高い。犠牲が多すぎる。日本政府が自衛隊の特殊部隊に顧問弁護士をつけない理由の一つだ。日本国民は知らなかった、部隊には部隊顧問弁護士がつけられ、彼らの尊厳は必ず守られている、これが政府軍の最低限の倫理で常識的なことだってことを。日本のやり方は悪意の独裁支配国家特有だということを。私はレイに強く迫った。いまは自衛官の人命を最優先すべきだ。
西日本豪雨の際、驚愕した。
関西と、現場の自衛官に何があったのかは知らないけど、自衛官たちは関西を助けたくない、気に入らないという理由で、大阪はじめ複数の地域に自衛隊が派遣されたのに、いつものような献身的な作業も思いやりもなく、ほとんど何もやらないまま帰還した。その頃、大阪知事の松井が何度も自衛隊の支援が必要だと発言を繰り返していたのは、派遣された現場の自衛官が動かなかったからだ。つまり自衛官は権力者を無視して黙ったまま抵抗したのだ。こうした態度に出た自衛官に驚いたのがアメリカ軍・イギリス軍・イギリス民間軍事会社であった。波風は立てないが自己主張を通す、無視して抵抗する、というやり方は賢かった。正統派日本人の恐ろしさに息を飲んだ。ちなみにこのときは、都内では、大阪は大都市なんでしょう、ならば経済的にも物理的にも自分たちでやれば?国に助けてなんておこがましいと非難された。
(レイの言葉あり)
イラク戦争2003年3月~2011年12月15日。
アメリカ合衆国オバマ大統領により、突然のイラク戦争終結宣言。日本は東日本大震災があった年で大した報道はなかった。
近隣諸国の政府軍はもちろん、アメリカ・イギリスはじめ国連軍は一斉にイラク撤退した。
イラク政府は発狂し、全世界へ向けて公式発表した。『アメリカ軍がいなくなったらイラクはどうなるんだ!!頼む、イラクへ戻ってくれ!!』公式発言は何度も繰り返され、イラク側はなぜ突然米国が終戦宣言したのか分からなかった。
全世界が鎮まり返った。
あれだけ世界中でアメリカ軍を非難し、なじり倒して来たにも関わらず、イラクの悲痛な叫びは、アメリカはイラクを見捨てたのかと、冷たい刃のように人々の心をえぐり倒した。
アメリカ軍は僅か数年のうちにイラクだけで、軍用機の制御システム不能による墜落によって乗組員2万人を死なせ、国連軍はどこの国も同様の事態となり、地上や海を含めると死傷した兵士は増えていくばかりであった。
全て軍用機の制御システムのトラブルが原因だけれど、ではなぜそうなるのかは、どこの国にも分からない。
元々中東の各政府軍の軍用機は老朽化は激しくメンテナンスも不十分なので、トラブルを気にかけることはなかったが、国連軍はそうは行かない。サイバー攻撃や電磁パルス(半導体チップ壊れる)も考えたし、多角から原因の特定を急いだが、どこの国もたどり着かない。B派の聖書にかかる秘密の国際研究所もまた歯は立たなく、国連軍は自国の政府軍の維持を優先し、イラク戦争終結宣言→政府軍の引き揚げを決定したのだ。
当社は原因を特定していた。ブログでは馴染みの悪意ある素粒子だ。素粒子の種類はたくさんあり大半はどのような作用があるのか不明だけど、その1つが問題であった。地球は元々薄いベールで宇宙の悪意ある素粒子から守られているが、ベールが薄くなった影響で大気圏内に降り注ぐようになり濃度は上がった。それは世界全体に均等に降り注ぐのではなく、局地的に砂時計のように濃度が上がる。元々ゆらゆらと地上へ向かう悪意ある素粒子を確認していたが、素粒子は軽い抵抗を示しながら物質をも通り抜け、上空の濃度は高いのが特徴で、たまたま悪意ある素粒子の濃度が高い地点を通過すると軍用機のCPUが一瞬にしてエラー・錆び付き、緊急停止し墜落する。それがイラクで発生した現象で、後に世界各地で民間旅客機の墜落やトラブルが多発し国際問題へと発展、日本では西日本の一部地域で週単位で軍用機が墜落し、中国では新築10階建てのビルの構造の鉄筋が腐敗し倒壊した。(原因を特定以降、濃度が低い位置を飛ぶようフライトプランを変更した)その背景では、地球上には航空機は飛べない魔の域が百ヵ所とあるが、それは原因不明とされ、日本にも複数あり、私の会社はその原因を科学的に解明して耐・技術を開発していた。欧米圏は何百という研究所で宇宙放射線だと考え、新たな耐・技術を確立しようとしたが、実態は宇宙放射線ではないため、手も足も出ない。(今では気付き始めている研究所がたくさんある)
悪意ある素粒子の濃度が高くなると人工物も自然環境も腐敗させ砂漠にする。砂漠の茶褐色の砂は不純物が多い水晶。リビアの世界最大のサハラ砂漠が代表作品だが、僅か20日間で日本のような動植物が溢れた地域が砂漠になり、東京都内の高層ビルの構造(コンクリートの中)の鉄筋が腐敗して建物が倒壊するレベルだ。これがプチ終末→終末だ。悪意ある素粒子の高濃度に晒されると地底で植物は石炭・動物は原油になる。つまり、天然資源を確認できる場所は、かつて悪意ある素粒子により晒され動植物を死に追いやった歴史があるということ。もし全世界で発生して全世界が砂漠になったら、それを惑星の終末という。ヨハネの黙示録は【預言】→過去・現在・未来どれなのか分からない、【予言】は未来、という意味。パウロB派の聖書にかかる秘密な国際研究所の研究により、ヨハネの黙示録はじめ世界中にある終末論は完全な地球滅亡とまではいかない、地球で過去何度も繰り返し発生した地球規模・宇宙規模の化学変化の歴史だ→プチ終末を何度も繰り返している、ヨハネの黙示録はじめ世界中にある終末論は過去・現在・未来を指していると断定した。後に聖書にかかる秘密の国際研究所だけでは対応が間に合わず、欧米B派の先生たちに応援要請した。米国から発表された。地球を覆うベールには過去に人工的に再建された形跡を確認した、何億年どころか、それよりずっと前の人類的な知的生物が科学的に再建していた。そこへ、ここに来て再びベールが薄くなって大気圏内の悪意ある素粒子の濃度が上がってきている。それは遂に過去地球・宇宙太陽系規模で甚大な被害をもたらしたプチ終末が始まったといえた。
また、人間の遺伝子は地球上生物の中では最もストレスに強い。元々衣食住の環境は整えられ、健康体・免疫力が高い人間だと死ねなくなる。人間の体は高濃度の悪意ある素粒子を浴び続けていくと突然変異を繰り返し、見た目はトカゲふう化け物(陰謀論では地球外生物・レプティリアンの地球侵略のくだり。実際はただの人間の変異)へと変異を遂げ、寿命は数百年になる。古代人類の一部の人間の寿命が異常に長いのは、かつての悪意ある素粒子のプチ終末を乗り越えた歴史→まだ遺伝子レベルで残っていたためであり、この辺は既に生物学的に、ミイラ科学により確認している。
たとえばのはなし。
安全な食品・安全な医療・安全な暮らし、いつまでも健康で長生きしたい。とくにユダヤ陰謀論者に目立つが、過剰に安全・健康を要求するのは、彼らの魂は死後、いく先がない、地球系の輪廻転生どころか更に下の次元へ、次元と次元の狭間に堕ちることが決定しているからだ。地球より更に下の世界へと転落するので、地球では考えられない残酷な体験、本番が待ち受けている。死後の居場所を確保できない。魂はその事を分かっているから、本能的に地球に少しでも長く居座ろうとして、そのために必要なことを、あれこれと過剰に要求しているのがいまだ。
終末はただ死ぬ、という話なら、こんなに悩まなかった。現実は、ただ死ぬのではなく、一般市民レベルの衣食住を確保し、遺伝子は強く、免疫力は高く、健康な人たちなら、終末ごときでは死なない、生かされ死ねなくなるのだ。突然変異を繰り返し、トカゲの姿形になって、何百年も生かされることになる。言ってみれば生死のどちらも体験させられることになり、見る角度によっては、悪意ある素粒子により彼らの安全・健康に対する要求が叶えられた形になるわけだ。真逆な環境にいるから、死ぬ以外の選択肢しかない人間もいるわけで、これはある意味、見物といえるのかもしれない。その人の本質、いや、浅ましい本性が晒されるのだ。
当社は、B派の政府軍の参謀から問い合わせが来るまで静観した。専門内であるため、本来なら真っ先に問い合わせが来るはずなのに、米国が中々その選択は取らなかったのは助かった。当時の私の会社は東日本大震災の影響で被災地と福島原発にかかりきりで、B派の聖書にかかる秘密の国際研究所もまた遠慮していたからだ。
分かっていながら静観したのは理由があったし、こちらは時間が必要で、当社の日本人幹部や執行役員・幹部社員と膨大な時間を費やした。地上の悪意ある素粒子の濃度が上がってきている、これは人類的にいうと、整髪料を髪の毛に振りかけたくらいの有害性、ストレス性のレベルだ。たったのこれだけで地上の人類のムーアの法則(電気・半導体・IT)は耐えられなくなってきたのだ。しかし当社は、実機に対する悪意ある素粒子・耐技術は持っているけど、地球全体を守るための技術手配は不可能だった。どう行動したらよいのか分からなかった。
2016年。毎週西日本の一部で米軍機が墜落して、自衛隊機も1機墜落・西東京では自家用機が集合住宅地で墜落したので、さすがに日本社会には不穏な空気がたちこめ、日本政府としては何かおかしくないか?ただの実機のトラブルや操縦ミスなのかとたじろいた。私はボスたちにお願いして、日本の神仏関係者・霊視できる、異界のエネルギーを感じ取れる方々の手配をお願いした。それは悪意ある素粒子の濃度が上がっている地点を特定し航空機のフライトプランから外すためで、あくまでも応急措置だ。私は彼らに聞いた、宇宙のエネルギー(神・天)を強く感じる地点を教えてほしい。彼らは、えっ?!!て顔をした。貴殿方が主張する、プラスイメージが強い、そのエネルギーは地球を砂漠にする悪意ある素粒子だ。悪意ある素粒子は死を示すが、死とは再生・生命の誕生を意味するのであり、人類的な解釈の生命エネルギーという解釈ではなく、悪意ある素粒子は死という惑星の再生を意味する。実際に、貴殿方は宇宙のエネルギーを強く感じる場所に長くいられないのでは?数時間もいたら具合悪くなるのでは?そりゃそうだ、悪意ある素粒子は人体の細胞や遺伝子を攻撃するからだ。
私は日本の神話は大した知識を持っていない、終末論くらいしかリサーチしていない。しかし、彼らは私と神学論・終末論・日本の不思議な歴史や形跡を踏まえてやり取りすると、震えが止まらなくなった。彼らにとってはこれまで不明であった部分が妙にしっくると来る、いや、直感で、私が真実を語っていると確信したからだ。彼らは全面的に協力してくれ、日本の領空だけではなく、周辺地域まで確認を拡大し、その都度、フライトプランを変更し、とりあえず航空機のトラブル・墜落を最大限減らすことができた。いまでもご協力頂いています。ありがとう。
もちろんプチ終末は悪意ある素粒子だけではなく、世界規模の地殻変動(西日本の陸は海底に沈む)など様々な現象が生じるが、大半の場合はいまでも対処法が分かっていない。
私は科学や経営の話はするが、神様のちちんぷいの話はしない。
自由に生きていきたいなら、半径30メートルの世界で生きていくことだ。
・・・ーーレイの言葉。ーー
SEALになることを目標に定めてからは、全力で到達しようとしていた。いま思えば目標を持ち、それに向かって邁進することが大切だと教えてくれたのは両親だった。両親も若い頃に目標を目指して、寒冷地のアラスカまでやってきた。犠牲と困難の道のりだったのも知っている。両親はキリスト教の宣教師だった。信仰心に突き動かされて、あたたかいカリフォルニアからとても寒い寒冷地へ向かい、都市の満ち足りた衣食住とはかけ離れた土地に移り住んだ。小さな村での暮らしは楽ではないが、両親は動じなかった。アメリカの郊外住人の標準から見ても、みんな貧しいが、実のところは、ふつうよりもちょっと質素に暮らせばよいだけだ。玄関から度々ヘラジカが見えるから驚きもしない。テレビ局は一つあるがラジオ局はない。うちにも電気と水道は通っているが、セントラル・ヒーティングはない。冬はリビングルームの巨大な鉄のストーブで暖を取る。おやじは夜中に起きて暖を絶やさないようにしていた。ストーブのそばに巨大な薪置き場がある。冬に薪を積んで置くのが俺の仕事だった。薪を割りポーチに積み上げる。薪置き場の薪が減ってくると、ポーチへ行って薪を取ってくる。俺のおつかいは金を払って買い物することではない。我が家には金など入って来なかった。家族一丸となって寒冷地で生き延びてきた。小学校に入ってすぐに勉強したのは火起こしの授業だった。読み書きを教えるだけではなく、サバイバル技術も教えられるのだ。三年生クラスは配られたマッチ2本と学校のそばに生えている木の皮を使って火を起こす。冬には暖を取れるだけの火を絶やしてはいけない。火起こし授業の目的は、道に迷ったり、外で身動き取れなくなった場合に備えて、サバイバル技術を教えることだった。自分が何をしているのか分かっていなければ、寒冷地の荒野は非常に危険な土地になる。狩りはやれるだけやった。十代のころ、家族のボートを使わせてもらって、川をのぼり、キャンプをしながら長い狩猟旅行に出掛けたりした。外に出て体を動かしたかった。そうすればSEALに近づける。最初のアサルトライフルを買った相手は歴史の先生だった。買ったのはARー15、軍用Mー4の民生品だ。街であれこれ半端な仕事したり、夏には工事現場で働いたりして金をためた。休み時間、先生に700ドルを支払ってライフルを受け取り、終業時までロッカーに入れておいた。ベルが鳴ると、ライフルをスノーモービルの後部に積み、家に帰った。冬にはスノーモービルで通学していた。寒冷地の暮らしは大変だ。くそ不味い粉ミルクも買えない、(お母様が間違えて)シリアルに石鹸水をかけるからじゃない。万事尋常な子育てではなかったが、自分たちがどんな犠牲を払うのか、両親は分かっていた。ひどい味の食事を無理やり胃に押し込んだり、寒冷地の奥地の小さな街に住む必要などなかった。大概の人たちより大変な暮らしを選んだのは、そういう暮らしをしなければ、人生の目的を果たせないからだった。宣教師として信仰を深め広めたい一心だったのだ。そういう献身的な思いが俺にも影響を及ぼした。やがて海軍でも身につけることになる姿勢が自然と身に付いた。
両親は故郷の基準とはかけ離れた道に進ませてくれた。夏は建設現場で、冬はためた金を取り崩して自給自足する。だが、俺は大志を抱き、自分の道を歩けと教えられた。おやじは常に公平で、できないと分かっているのに、やれといわれることはなかった。だからとにかく一年だけでも大学に行ってから、海軍に入隊しろといわれてからは、その意向に従うしかなかった。ベトナム戦争時代の人たちだから、危険なことはさせたくなかったようだが、宣教活動に情熱を抱いているから、俺の目標も理解してくれたんだと思う。だが、最初の一年が矢のように通りすぎると、おやじの言った通りだとわかった。大学は面白かったし、新しい友達もでき、都会の暮らしは楽しく学位も取った。
うちの学校には、予備役将校訓練課程(ROTC)プログラムがなく、同様のプログラムとの連携もなかった。カリフォルニア州立大学フラートン校が近隣大学の学生を受け入れていたので申し込んだ。ROTCは大学に設置された将校養成プログラムだ。学生は軍事科学課程を受講し一緒に訓練を行う。週に一度、ROTCの学生が軍服の制服を着て通学する。日中は自分の大学で授業を受け、その後、車で市街地を抜け、カリフォルニア州立大学のイベントや軍事科学の授業に出る。将校になるつもりも陸軍に入るつもりもなかった。軍に関するものに触れたいだけだった。軍服も好きだった。一年目が終わると、ROTCの教官に、ジョージア州フォート・ベニングの陸軍空挺学校に行く気はないかと訊かれた。一学期に好成績を収めていたので、そういうニンジンをぶさらげられたら辞めないだろうし、奨学金を取らせて、将来の陸軍士官を目指せようというもくろみだろう。
俺はそれでも誘いを受け入れた。空挺訓練課程と呼ばれることが多く、SEAL関連の本は結構読んでいたから、SEALがBUD/S(特殊部隊の選抜試験)を終えたばかりの隊員を空挺学校に送り込み、自動索降下訓練を受けさせることは知っていた。その三週間の訓練を先取りするチャンスだと思った。訓練に向かう前、他のクラスメイトと同じように髪を短く切った。SEALはいつもそろって訓練していた。教官がSEALの一人を叱り、皆で腕立て伏せを始めた。
沖縄の営舎のテレビで2001年9月11日の攻撃を見た。訓練から戻ると、2機目が貿易センタービルに突っ込んでいくところだった。ビルの反対側から火の玉が飛び出て、タワーから煙がもうもうと立ち上がっている画面から目を離せなかった。その頃の俺はSEALとして初めての海外派遣訓練の最中で、部隊内でビィンラディーンの名前が出る度に、明日にでもアフガニスタンに行けと命じられるのではないかと思った。それまでの一年半は派遣に備えて訓練を積んでいた。日本・タイ・フィリピン・東ティモール・オーストラリアでも訓練していた。だが、そんな命令はなかった。俺は苛ついた。こんなきつい訓練に長いあいだ耐えてSEALになったのに。友達からはアフガニスタンに行かないのかと、しょっちゅうメールが届いた。彼らにとって俺はSEALなんだから、すぐにアフガニスタンに派遣されると思っても不思議ではない。
ーーーすでに俺はもうSEALのチームメイトだというだけでは満足できなくなっていた。
(ある時の対アルカイーダ・イラク作戦任務、ヘリの制御システムが壊れた。)
忘れもしないあの日だ。
UHー60ブラックホークの機付長がドアを開けた。暗闇の中で一人が、暗視ゴーグルが目を覆っている。指を一本あげている。俺はまわりを見た。SEALの仲間がその合図をヘリコプターに伝えた。エンジンの轟音がキャビンを満たし、ローターが風を叩く音くらしいしか聞こえない。風に打ち捉えながら俺は外に首を出し、ちょっと街でも見えないものかと、地上を探した。一時間半前、俺たちはブラックホークに乗り、月のない夜に飛び立った。基地から国境までは、ひとっ飛びで、そこから一時間もあれば、何週間も衛星写真で確認し続けてきた目標地点につく。コックピットから漏れてくる明かりを除けば、キャビンは真っ暗だった。俺は左側のドアに押し付けられて腕さえ伸ばせなかった。重量を減らすため座席を取っ払っていたから、床に座るか、出発前に現地の用品店で買った小さなキャンプ用の椅子に座るしかない。俺はキャビンの端に腰掛け、血の巡りをよくしようと両足をドアの外に出した。しびれが切れて震えていた。後発のヘリコプターの機室には、俺のチームだけではなくDEVGRUの23名のチームメイトがぎゅうぎゅう詰めで乗っていた。これまで何十回もチームメイトと作戦を遂行してきた。十年来の付き合いの人間も少なくない。一人一人を心から信頼している。このキャビンがざわめき立ったのは5分ほど前である。各自ヘルメットを被り、無線機を確認し、最後に一度だけ武器をチェックした。身につけていたのは30キログラムほどの装備だ。どれも特定の用途に合わせて1グラムまで厳密に調整し、十年単位で同様の任務をこなしていく中で洗練され、磨きあげられてきたものばかりだ。このチームは文字どおり精鋭で、部隊でもっとも熟練したメンバーで構成されている。作戦開始の時が迫り、延期され、また迫るという繰り返しの中で、各自が装備を確認し、再確認してきたから、この夜の準備は十二分に整っている。
ブラックホークが目標地点に向かっているとき、あと数分で目的地にファストロープ降下(ロープで地上に降りる)するところまで届いた。ブラックホークの胴体に固定されたロープを掴んでいると、やっと足先に血が巡ってきた。横の戦闘員は片足を外に出すことで、それでなくとも窮屈なドア際を広くしようとした。戦闘員の銃身が目標物を赤外線走査している。急襲チームが山中にファストロープ降下し、各自の配置に着くまで、屋敷の南半分にいるメンバーを援護するのが彼の役目だった。ほんの1日前まで、俺たちはワシントンがこの作戦を承認するとは思っていなかった。だが何週間もの待機を経て、いまあの目的地まで一分以内に迫っている。情報機関によれば、俺たちのターゲットはその中にいるという。だが、何があっても不思議ではない。それまでにも、二度ほど惜しいところまで追い詰めていたが失敗している。奴らはパキスタンからアフガニスタン、イラクに戻って、最後の抵抗を企てているという報告を受けていた。追跡調査によってターゲットの潜伏先を特定する原動力となったCIA分析官は100%ここにいるといった。そうならいいとは思うが、俺の豊富な経験が、作戦が終わるまで決めてかかるなと訴えていた。これまで何度も似たような急襲作戦を完遂してきた。十年でアフガニスタン・イラク、アフリカの角と呼ばれるソマリアにも派遣された。コンテナ船の船長をソマリア海賊から救出する作戦にも加わり、パキスタンでの作戦にも参加した。戦術的には今夜も他の幾多の作戦となんら変わりはない。
ロープを掴むと、たちまち心が落ち着いた。作戦参加者は皆、これまで千回くらい作戦開始前の通知を聞いてきたし、この時点までは、他の作戦とまったく変わりはなかった。数週間に及ぶ訓練期間中、衛星写真で何度も確認して覚えた目印が、ヘリコプターのドアから見え始めていた。俺は命綱でヘリコプターと繋がれていないから、チームメイトのウォルトが俺のボディアーマーの背中のナイロンの軸に手を通していた。俺のすぐあとから降下しようと、全員がドアのほうに身を寄せていた。右側からは、別のチームを乗せて降下地点へ向かう後続のヘリコプターがはっきりと見えた。南東の壁を越えると、俺たちのヘリコプターはすぐさま機体を起こし、所定の侵入地点でホバリングを始めた。25メートルほど下の目的地を見ると、ロータが埃や土を巻き上げた。山羊や牛がヘリコプターにびっくりして暴れていた。地面に目を向けると、まだ客人用の離れ家の上空だった。ヘリコプターが横に揺れている。操縦士が機体を保つのに四苦八苦しているようだった。機付長をちらりと見ると、無線機のマイクを口に押し付けて操縦士に指示を出していた。ホバリングを安定させようとして揚力を上げたとき、ヘリコプターが急に傾いた。激しい揺れではないものの、想定内ではないのは明らかだ。操縦士が修正しようと、操縦席で苦闘している。どこかがおかしい。操縦士たちは、この手の任務を何度もこなしているから、降下地点上空でのホバリングなど駐機と大差ないはずなのに。俺は目的地を見つめながら、ロープを垂らして、この不安定なヘリから降りてしまおうかと考えた。危険は承知だが、地に足をつけないことには始まらない。ヘリのドアにくっついたままでは始まらない。
「本機は復行する、復行する」突然無線機から聞こえた。目的地にファストロープ降下する当初の計画は中止だ。南へ旋回し、着陸し、壁の外から攻撃を開始する。攻撃に余計な時間がかかり、目的地にいる者たちに武器を取る隙を与えることになる。
気分が沈んだ。万事順調だった。ここまでレーダーや地対空ミサイルを回避し、気づかれずに到着した。ところが侵入作戦はさっそく狂い始めている。こういう事態は訓練に織り込まれていたが、しょせんは妥協プランだ。
ヘリが不安定なホバリングから上昇に転じようとしているときだった。機体が急に右に傾き、90度向きがずれた。テイルが右側に跳ね上がるのを感じた。驚いた俺はドアから滑り落ちないように、キャビン内に掴まるところはないかと懸命に探した。尻がフロアから落ちそうになり、一瞬、パニックが胸まで沸き上がった。ロープを放し、後ろ向きに機室に戻りかけたが、ドアにはチームメイトが押し寄せ、俺が戻る隙はまったくない。ヘリコプターが急に上昇したかと思うと、今度は急降下し、機体が回転しながら落下していくと、俺のボディアーマーを掴んでいるウォルトの手の力が強まった。ウォルトのもう一方の手は戦闘員の装備を持っている。出来る限りうしろに背を倒した。ウォルトは俺が落ちないように覆い被さるように支えてくれた。「ちくしょう。墜落すんのかよ」俺は思った。機体が横滑りをすると激しく揺れ、ドアが前部側に開いた。頭上ではさっきまで羽音にも似た音を出していたエンジンが、今では空を打って飛び続けようと、絶叫しているかのようだった。機体が左側に滑り、テイルローターが建物をかすめた。何万、ひょっとすると何百万人のもの人間が力を尽くし、莫大な費用を費やして、やっとここまでたどり着いた。それなのに作戦は大きく外れ、地に足をつけないうちにヘリは墜落しようとしている。俺は足をばたつかせ、体をもっと機内に引き込もうとした。ヘリが横から墜落すれば、機体が転がって脚がヘリの胴体に潰されるかもしれない。目一杯、体を後ろにそらし、脚を胸に引いた。俺たちは機体の横回転でむき出しの脚が切断されないよう祈るしかなかった。すべての動きが柔慢になった。1秒ごとに地面が迫ってくる。再び機体が回転しながら急上昇すると右側に傾き、とうとう、俺とウォルトは地上に振り落とされた。機体は回転しながら右側へ傾き、プロペラからまっ逆さまに落下した。 DEVGRU1部隊で助かったのは俺とウォルトだけで、俺が育てあげたDEVGRUは死んだ。
俺は米国本土に戻るとワシントンへ急ぎ、ホワイトハウス・ペンタゴン・米軍本部、軍産企業のロッキードにも行った。メールもした。電話もした。事務のクソ野郎(開発部)どものやり方に従い、アポイントを入れ、散々待たされたのに、どこも、機体の異常は見られない、メンテナンスはパーフェクト、制御不能は考えられないと取り合おうとはしなかった。誰一人、俺たちと共に考えようと思う奴はいなかった。AKー47(兵士用の銃・CPUの不具合・照準を合わせても正確に当たらない)さえ、照準は正確ではないのに。
二十年以上、この仕事をやって来たのだから、死別した友人は携帯電話のアドレスだけでも連絡先が80人は入っていた。9.11以降、死亡したSEALはそれ以上に多いが、俺は幸運にもその80人と出会い、共に戦ってこれた。一緒に缶ビールを飲みながら、過去の栄光の思い出に浸ることはない。一緒にバーベキューをしたり、訓練がてらに旅に出ることもない。連絡先をスクロールするたびに、誰かの名前が出てきて、ふっと記憶がよみがえる。みんな同じ目標を胸にサンディエゴ(SEALの拠点)にやってきた。SEAL隊員が軍服につけるトライデント徽章をもらってからは、あらゆる任務で卓越した働きを見せようと努力した。頼りになるチームメイトになり、常に上を目指して努力し、仲間のそばにいて支えあう。そういったことが宗教レベルまで上がる。犠牲の痛みを感じなくなったわけではない。キャリアが長くなるにつれ、益々痛みが強くなる。チームメイトは全てをなげうっている。中には究極の代償を支払う者もいる。誰一人自分がスーパーヒーローだと思っていない。
だが現実は、悪意ある素粒子の影響が出るようになってから、僅か二年で420人、ここ一年で百数十人の仲間を失い、俺の携帯電話には死亡した仲間たちの連絡先が増えて行った。日本で死んだやつもいる。
俺たちSEALは、いよいよ苦しくなると話題を変える。いろんなものを遮断したり、無視したりして、先に進む。目にしたり、手をくだしたりしたことを、全て消化するのはとても無理なので、笑い種にして考えない方が楽だ。
俺は転換期を迎え決断を迫られていた。
出来る限り、最高のSEALになろうと頑張ってきたが、現実は、こうして俺たちが守ってきたやり方は通用しなくなった。これまでにないほど重い決断だった。SEALになって、その中でも最強チームの一員となって、チームリーダーになるというのは、俺にとって単なる仕事ではなかったから。存在そのものであり、秩序や意義をもたらしてくれるものだった。任務を実行するのは片手間に出来るものではない。どうしようともがいていたとき、夜になるとつぶさに自分のキャリアを辿り、俺という人間を作った出来事や教訓を思い返しながら、これまでの常識やノウハウを覆し、まったく新しい、これからのSEALの構想を描いた。そうするには、自分を一から作り直すしかなかった。だが、新しい挑戦をするとはいえ、この戦いに挑む準備はできていなかった。SEALの噂を聞けば、飛行機から飛び降りて悪い奴らを撃ち殺すスーパーヒーローだと思うだろう。俺たちは飛行機から飛び降りもするし、悪い連中を撃ち殺すもするが、任務が可能だからといってSEALになれるわけじゃない。完璧に修正するまで、何度も何度も、訓練をやり直す。俺たちはスーパーヒーローではない、本気でやっているだけだ。秘伝のソースはない、あるのは努力、献身、情熱だけだ。ごく基本的な動作を、少々難解な動作を完璧にやろうとしているだけだ。どうやったら優れた隊員になれるのか、多くの苦労を経て学んできた。互いの意志疎通を図り、試行錯誤し、仲間を率い、耳を傾け、研究し、後進に備える。そういったことを、来る日も、来る日も、続けられるのが優秀な隊員だ。30キロの装備を背負い、過酷な自然環境や戦火の中で何マイルも踏破できるだけでなく、他のメンバーに過ちを指摘されたときには、耳を傾けなくてはならない。チームメイトの鋭い指摘を受けるのは、何時間も冷たい波に揉まれるよりもきついものだ。新しい挑戦に挑もうとするとき、何度もSEALの教訓にたち戻った。その時、ふと思ったのが、俺にとって重要な場面とは、アメリカのトップニュースを飾るような場面ではない。チーム全体で見えない任務に耐えてきたからこそ、進化に繋がる教訓を得たのだ。ミスを犯して、ありがたいことに生き延びて、次は同じミスをしないように学んできた。SEALの絆を身をもって学んだ場面こそが一番重要なのだ。
決断できないまま悩んだ。
15年以上連続で作戦任務をこなしてきた。(レイは兵士に与えられる休暇を取っていなかった)この職に就いてはじめて、疲れたと正直に感じていた。派遣、訓練、派遣、訓練、と切れ目なく動いてきたせいで、さすがに疲労がたまっていたのかもしれない。途中で死なない限り、俺はSEALで頑張ろうと思ってきた。そのSEALを抜けるのは大きな決断だから、一人で決められそうにない。戦闘の時と同じように周囲の反応を見た。
俺はナナに電話した。兵士にとって最も難しいのはテロリストを殺すことやジャングルの作戦任務じゃない、軍事機器、機械の扱いだ。お偉方にその軍事機器は作戦任務の妨げになっていやしないかと伝える術はないのか?真剣に兵士の言葉に耳を傾け、何を要求しているのか汲み取り、俺たちに挑んできたのはナナの会社だけだった。俺たちの拙い説明から、機械に何があったのかを正解に把握し、制度をあげ正確性を追及するために丁寧に問いかけることで、俺たちの声を引き出していった。俺たち兵士にとってナナの会社の報告書と解決策のレポートは愛の象徴ともいうべきものだった。そして俺たちを懸命に慰めようとしてくれた。ナナはとにかくどんなときも真剣だった。俺たちが作戦任務中でも、どんな状況にいてもつぶさに指示を出す。ナナは喜んで何の報いもないアメリカ軍に飼い殺しにされてきた。
俺は思いの丈をぶつけた。
『除隊することを考え始めている。入隊してから、これまで一度も除隊を考えたことはなかったが、初めて疲れを感じている、もうくたくたに疲れた、ほどほどに疲れた、もう何もかもうんざりだ。お前はどうする?まだアメリカ軍に用はあるのか?』俺は酷いやつだ。ナナは情熱を注ぎ、アメリカ海軍の原子力空母技官のプログラムを終了してライセンスを取得し、アメリカ海軍とロナルド・レーガン空母の原子力離脱・海水を淡水化した発電の研究を続けて来た。
ナナは押し黙ると確認するように言った。
『初めて除隊を考えた?初めて疲れを感じているの?』
『ああ、俺はもう何も考えられない。』
『そうなのね。ああ、レイは凄すぎる。私なんて毎日よ?結婚してからは、早く世紀末を乗り越え引退できないかなあ、いつ仕事を辞められるんだろうと考えているの。』
『えっ?毎日?仕事人間のお前が?』
『仕事だから、それらしく仕事しているだけよ。最近の目標は、あと1ヶ月頑張って、それでもダメだったらやめようと、いつも目標を小さくしているの。今の時代、辛くない人なんていない、そんなものよ、レイ。レイの人生なのだから、自分の信念に基づいてね。レイがどんな人生を選択しようが、私はどんなレイも応援するし、レイなら新しい自分を好きになると信じているから。』
俺は背筋が伸びてくるのを感じた。
慌てて少々咳払いした。
『そういうものなのか?』
俺はSEALをやめたいのか。
『ねえ、レイ?少し私の話を聞いてちょうだい。貴方が胸を痛め苦悩していることは分かっているつもり。そして私は自分の任務を理解しているの。少し時間が欲しいの。それでもダメだったら先のことを考えたらいいと思うの。』
『思い当たるふしはあるのか?奴等は自分の設計はパーフェクトだと、俺たちと話をしようともしないんだ。これは手の打ちようもないってことなんじゃないのか?』
『私は彼らじゃないわ』
ナナはきっぱりと言った。
電話を切った俺はアメリカ国防総省に急いだ。
「一番大変なのは従順になることだった。自分との闘いだった。嫌だと言って出てこようと思えば、いつでも出られたわけだから、誘惑はそこら中にあった。毎日たくさんよい人との出会いがあっても、たった一人の行為が引き金となり、自分のやっていることまで嫌になったりする。またはその反対もあり、色々考えて一時休暇を取ってから、新たなスタートをきることにした。もう昔の自分じゃない。それなりの経験は積んだし、感情をコントロールする術も身につけた。ある程度やれるという自信もある。それでも戦場では出会ってしまう。激しく揺さぶられてしまう自分に。そして落ち込む。確かに国家間における外交レベルの信頼関係は必要だが、実務の信頼関係が最も重要だ。彼女はアメリカ合衆国と組織的にも実務的にも信頼関係を築き上げて来た。しかし、日本の政治家にはそれがない。どうか日本人には等身大の自分より大きな人生を歩んで欲しい。」
(レイの言葉は終わり)
・・・米国NASA。
NASAは地球で何度も繰り返されたプチ終末なのか、完全な終焉、終末なのか、分からないけど延命処置には限界がある、人類の科学技術では到底回避できそうもない段階に突入するのは時間の問題だとたじろぎ、地球からの撤退を政府案件とし準備を本格化させたが、それはアメリカだけではなく、欧米各国もまたそうだった。何が問題かって、プチ終末→宇宙・地球規模の科学的な現象なんかじゃなかった、突然変異を繰り返し、人間の見た目はトカゲになって何百年も生かされることだ。そんなの絶対にいやだ。それが火星移住騒ぎを引き起こした。でも私はNASAに言った、それは間違っている、火星は地球の前身だ。
もともと太陽系で大気があり動植物が溢れ美しい星だったのは火星であり、その火星に終末が訪れる寸前、火星人の一部が火星脱出して第二の火星になる地球という星にやってきた。その後火星には終末が訪れいまの姿になった。つまりは火星のいまの姿は未来の地球。性質上、火星と地球が似ているのはそのためだ。また、火星人が地球人の末裔であり地球人は侵略者ということになる。ならば、次に地球人が移住するなら、第三の火星、別の惑星がいまの地球の役割を果たすことになる。その別の惑星を探せ。あくまでも仮説だけどね。この仮説が事実なのか、そうではないのか調べてみては?えへっ。
NASAは、
ええええええっ?!!
ってなった。
あまりにも大胆すぎる発想。
NASAの参謀としては、また始まったナナちゃん仮説、この手の話をナナちゃんがすると100発中10発的中するから無視はできない、調査には協力するから、こっちにも協力してよ、と微笑むナナちゃんと一緒にやることにした。日本の官財B派の幹部は日本人に言ったことがあった。ナナの会社が強豪他社に比毛を取らない、営業しなくても次々と仕事になるのは、会社が仕事を与えられるのを待っていない、自ら仕事を生み出すからだ。
後にNASAは発表した、火星は地球の前身だ、次の地球探査を開始した、トランプは大統領命令で次の地球を見つけ移住の準備を進めるようにと10兆円の予算をつけた。世界中の宇宙系研究機関は驚愕した。
その背景では、聖書にかかる秘密の国際研究所の参謀、宇宙物理学の先生たちは、国際的に悪魔崇拝者だと言われてきた権力者たちに噛みついた。とにかく地上の作業を進めろ、思いつく限りできることはすべてやれ。しかし、権力者は何度も、何度も、準備ができていないので無理だと突っぱねた。そうした準備が遅い権力者に悪態をつく研究者たちは強く要求した。次の記事で詳細を記すが、地球のベールが薄くなったのは人類に根本的な原因があるので、効果はどの程度あるのか不明だが、せめて人間の社会生活を維持していくための全世界のインフラをすべて止めろと強く迫った。なぜやらない?パウロB派の任務は地球を守ることで人類を守ることではないはずだ。
お前たちは、人類に砂漠になっていく地球の残酷な現実を体験させる気なのか?人間にとっては悪意ある素粒子によりトカゲになるくらいなら、生活を失って死んでいく方が、どんなに幸福か。