次のミイラ連載記事はもう少しお待ちくださいませね。(家族や友人のことはブログで記すなと厳しいセキュリティサービスの許可を得て記しています。こちらの記事はいつもの難しい内容ではありませんのでご了承くださいませ。)

(なんか疲れたな、なんか疲れたな、)
・・・東京都内にて。私が二十代の頃は飲食店で女性が1人で食事をすることは珍しかった。

しかし私は堂々と、今ではミシュランガイドに掲載されているような飲食店で1人の食事を堪能した。

きっかけは東京駅の八重洲北口にあった東京観光ホテルという、ぼろっちいビジネスホテル。こちらのホテルの中華は美味しいと有名で、はじめて会社関係者にお招き頂いたときは感激した。ほんとうに中華ラーメンが美味しかった。ランチタイムには、ビジネスマンがラーメンと餃子をオーダーして、サクッと食べて店を後にする。今は再開発の影響でホテル丸ごと新橋に移転したが、店内では1人ビジネスマンの男性が食事する光景は日常だった。これを見た際、私もやりたいと、正統派中華レストラン1人ラーメンから始めた。

ある時、フレンチを堪能していたら、男性の会社関係者とばったり。なんで1人フレンチ?ご馳走してくれる男性はいないの?

女性1人で食事をするのが違和感ありまくりの日本社会。しかも、ちょー、がつく一流ホテルで。あの頃は1人で利用してもおかしくないテーブル席さえなかった。

私の女友達(天海祐希さんふう)の1人はフレンチのフルコースを食べると、物足りないといってその足でラーメンも食べるけど、私はフルコース(肉・魚)の量が多くて不可能なので、友人の食べている姿を見ているのが大好きになった。

彼女は医師・一級建築士で、家業の医師業は複数のクリニックを経営。夢だったデザイン建築は事務所を構え、更にお母様のご実家の家業を後継し、幾つか事業も拡大した。私より4歳歳上の彼女とはインテリアデザインの国家試験を受けるための学校で出会い仲良くなった。

そんな彼女は周囲の大反対を押しきって、ご主人の仕事の都合に合わせて、クリニック・建築事務所・お母様のご実家の家業を丸ごと部下たちに任せて何年にも渡るドイツ赴任に着いていった。それは彼女自身がご主人と離れて暮らすなんて考えられなかったからだ。三十路医師の彼女が更に大学の建築科に進学した際も周囲の反対に晒されたが、留年してまで彼女は仕事と家庭を両立させ、四児の母親にもなった。

私が思いきって自分の会社の本社業務をヨーロッパに移してCEO東京オフィス不在、旦那っちのもとにいく!!てやり方を決断出来たのは彼女の影響だった。私が旦那っちと一緒に過ごしたいからやりたいようにやった。彼女と出会ってから、何度もたくさんの勇気と可能性をもらった。

リーマンショック。
ミシュランレベルの飲食店にはサロペットジーンズ・ビーサン・バーキン・でかでかサングラスで行くようになった。1人で心置きなく使えるテーブルは、どこの飲食店にも存在するようになったし、気づけば1人焼き肉・ソロキャンプの時代になってた。

私の仲良し女たちは4人いて、何かにつけて5人で集まった。1人は病気で亡くなり4人になった。私が独身のころ、みんなでお金を出し合い都内にマンションを買った。それぞれ結婚して生涯のパートナーができて、子供が生まれ、外でゆっくりと食事をすることさえ難しくなったので、ホテルのケータリングとシッターさえあったら心置きなく女同士の時間を堪能できるよね、そう言ってみんなで購入した。今でも年一回はこの部屋で会食をする。ずっとずっと女の会は続いていくだろう。

今年は東京オリンピック出張の最中、子供たちは家族にお願いして、女4人で静岡県御殿場のアウトレットモールに行った。自分の買い物をしたいくせに、みんな、みんな、夫と子供たちのものを最優先でピックアップしていく。

アウトレットを出ると熱海の温泉旅館。
商店街の資生堂やKOSEの専門店へ。
基礎化粧品とか買い込み、私は東京オフィスに電話。熱海の温泉旅館に自動車を乗り捨てるから取りに来てー。お買い物の戦利品はうちの社員がそれぞれに届けることにして。一泊堪能、翌朝女4人はノーメイクにサングラスして熱海駅から新幹線一時間で品川駅(東京)へ。みんな仕事しているからそのまま出勤。

今年は女4人で新しい事業を立ち上げることを決めた。実はこのメンバーでやるのは初めてなのでものすごく楽しみなのです。



日本国民の社会生活を維持していくための貿易ルートの一部を、主人の会社が日本に提供しているのでおまけエピソードとします。

・・・私事。
うちの旦那っちは私と15歳ちかく離れている。彼は元々何かに夢中になると周りが見えなくなるところがあり、ハッと気づくと1ヶ月とか数ヶ月過ぎており慌てて連絡をくれたり、帰って来てくれる、抱き締めに来てくれる人。さすがに子供ができてからは、そこまでぶっ飛んだことはやらなくなったけど、基本は無我夢中になると音信不通のまま周りを忘れちゃう人。

そうした主人はここに来て目が離せなくなったことことがあり、仕事は何もかも手がつかない。自分の会社だけでも年間売上はうん兆円、責任を伴う規模が大きいのに投げ出したくなっている。こんなこと独立してから30年くらいの歳月の中で始めてだ。ずいぶん長く考えてきた。元々、昔から人間として生きる道みたいなのを考えたり、内省・瞑想、周りを寄せ付けなくなることはあってね。そんな主人が、とあることに気を取られている。そのことに対して、やっぱり債権者の金融機関や株主・社内から不満が出るのは当然だ。主人は創業者、筆頭株主の立場で雇われているCEOではない。

妻の私が会議に出席した。
結婚した頃のはなし。
二人の結婚生活とは、私の会社の本社登記はヨーロッパ(主人の国)、本社業務は東京で別居婚から始まった。(後に本社業務と私はヨーロッパへ)
ある時私はものすごく仕事で悩み、主人の専門内でもあるから、簡潔に短文で何が起きているのか纏めてメールした。主人から返信が来たのだけど、

一文だけ、
【僕のメールアドレスを消去されて下さい。】→爆。
以降半年近く音信不通。

主人の大学からの仲良しで私の会社の副社長のヒロは二人のメッセージのやり取りを確認すると、
「ああ、なるほどね。ま、やるしかないよね。」

メールが来て電話が来ると夢中になっているものに対して妻が不純物になる。
妻を容易く着信拒否する人ですし、日本のLINEがあったら、間違いなくあっさりとブロックする。

主人は、責任感のかたまり・冷徹・誠実・情熱を兼ね備えた人。彼にとって大切な人、家族や友人・仕事関係の特定の人には厳しく、どうでもいい人には優しい。子供たちにとっては、心の深いところに愛情と厳格さを持った人なので、妻の私は冷徹な態度を繰り返されると、愛されていないのではないかと落ち込んでしまうこともある。そんな主人は私に長い歳月をかけて、愛と信頼を、何度も自信を与えてくれた。

ヒロを通して二人が出会ったのは私が高校生のときで、男女の関係はなく10年以上の時間を経て主人から前触れもなく求婚を受け一年後結婚した。ずっとずっと男女の関係ではなかったとしても、この間私なりに様々な主人の顔を見てきたので、○○くんのメールアドレスを消去することなんてできないよ、とだけ返信した。

数ヶ月経過したころ、はっとして私のことを思い出した主人は、メッセージのやり取りを確認して冷や汗をかいた。もっと言い方があった、どうして優しくしてあげられなかったのだろう。自分は大したことではないと考えていたけど、事の重大さにいまさら気づいた。やっとプロポーズして、やっと結婚できたのに。二人が出会った頃の主人はいろいろなことがあって、何もかも諦めていた。でも、ナナを守りたいと思った、ナナに不自由させたくないから仕事には精を出した、成熟した人間にならなきゃ、結果プロポーズするまでに10年以上かかってしまった、その間何度ナナが他の人と結婚してしまったらと不安に支配され他のことに手がつかない、何日眠れない夜を過ごしたことか、内省した、何ヵ月も。

妻には希望を持って欲しかった。
妻には前向きになってほしい。
すごく真剣に考え、未来を考え、妻にはより幸せを見ながら、僕は苦しみながら悩みながら胸を詰まらせて考えて取った行動。幸せというものがどういうものなのか、ほんとうに心の底で幸せになるためにはこういうふうに考えて過ごしていきたい、妻に見つけて欲しかった、そういう場所に根をおろして欲しかった。妻には希望を持って欲しかった、迷ったり悩んだりしないで欲しかった。妻には幸せなことをたくさん考えて欲しかった。僕は考えて考えて取った行動だったけど、果たしてこれで良かったのか。僕から見た妻は希望を見失っていた。妻には自分の幸せ、待ち望んでいた幸せを見つめ直してほしい。

昔よりずっと妻が僕の心にいる。何よりも妻の気持ちが僕から離れることを恐れている。一生に一度しか出会えない人だと確信している。ずっと妻のことを想っている。そして僕は妻への想いを大切にしている。自分の心から余計に離れない、自分の人生の一部になっている。僕にとって妻は重要人物。それをよそへどかすことはない。

悩んで悩んで、頭をかきむしりたくなるくらい考えた。疲れた、苦しくなった。柔らかい言葉で伝えることはできなかった。ほんとうは妻に対する執着心を伝えたかった。

(メッセージの文面から)君は冷静に物事を判断していると判断した。問題点を実によく簡潔に纏めていた。あとは覚悟1つだから、君には信念を貫いて欲しかった。僕は一生涯、妻の君がどんな選択をしても、君の意見を全面的に支持するよ。

主人メッセージ「最近どう?」
私「おそーい。」
呆気なく沈黙のすれ違いは終了した。
遂に愛想つかされた、いつもびくびくして、私が夜も眠れない時間を過ごしたことを知らないでしょうに。それでも主人は結婚してからずっと、常に私がいつ仕事を投げ出してもいいように、私がいつでも逃げ出せるように、「専業(主婦)やっていくかー?」という言葉を添えて全てを受け止め、どんなときも世界一の味方でいてくれた。

・・・
主人はこれからの自分を正していきたい。
彼は家族や大勢の人達のためにずっと働いて来てくれた。
私「主人がCEOを辞めることを選択肢に入れて考えてみてほしい。」主人の会社の役員会・債権者・株主は反対。(金融市場暴落や世界金融システム破綻など)「君たちは全てを失うことにもなりかねない。二人だけならともかく子供たちがいる。」「私が働くから大丈夫」え?

「もしのことがあったら、主人はサクッと目の前のことから離れ、僕が働くよ、安心してね、僕が家族を守るから、と働きに出てくれる、そういう人だから心配していない。それは会社に対してもね。彼はずいぶん働き詰めだったから、これからは好きに生きて欲しい、自由に自分の人生を、」

あの日から1ヶ月ほど過ぎた。
来年度から新体制にするなら、さすがに進路を決定しなければならない時期に来ている。
主人の号令で会議があった。
CEO続投。新体制を決定。
バランスの取り方を考えた。

僕はいつも妻が、自分に合わせてくれていることを、心から感謝している。妻にはありのままの自分を出すことができる。妻は僕の性質をよく理解していて上手にそってくれる。妻がさりげなく寄り添ってくれていることを理解している。こんなにクセが強い僕なのに、ちゃんと合わせてくれている。他の人が相手ならぶつかるところでも、笑ってうまくそってくれる。妻が僕に対して協力的で、我が事のように親身になって相談に乗ってくれ、僕のためにこまめに動いて協力してくれることも、貴重だと感じている。ありがとう、助かっていると、心から感謝している。

「妻は決して私が傷つくようなことは言わないしやらない、妻が全部引き受けてきた、私が風来坊だから、」

というわけで日本のことも何一つ変更はありませんから、ご安心くださいませ。
(皆さんいつもありがとう、これからもよろしくね。)
ハワイ、ホ・オポノポノ。
ごめんなさい、許してください、ありがとう、愛しています。

洋服や髪型に興味がないのと、自分の拘りがあるのにダサイのとでは雲泥の差です。間違っても後者にはならないように。

読者の皆さん、ではまたね!