40年前のF1が走った! ピーターソン選手のロータス72E 鈴鹿ファン感謝デー

1970年に登場しアップデートを重ねて、6年もの長きにわたって活躍した驚異のF1マシン、ロータス72。
レギュレーションが毎年細かく変更され、技術も日々進化している現在では考えられない事だ。
'80年代前半までは前年マシンをTカーにしたり、プライベーターが型落ちマシンを購入してGPに参戦するのは珍しくなかった。
また、72は葉巻型F1からウエッヂタイプに進化した革新マシンでもある。
鈴鹿サーキット2013モータースポーツファン感謝デーの「時空を超えたF1日本GP」デモランしたロータス72Eは、1973年に「スーパースゥエード」ロニー・ピーターソン選手が駆って優勝したマシンなのだそうだ。
1975年から連載を始めた漫画『サーキットの狼』が「F1」を語るようになる数年前のマシンなので、もちろん見るのは初めて。
子どもの頃、ドルフィン以上にミニカー好き・車大好きな従兄の兄貴の部屋に飾ってあったプラモデルがJPSカラーの72Eだったように記憶する。
キッチリ40年前のマシンとは思えないほどスムーズに走っていた。驚くべきレストア&メンテナンスだ。
最初は「え?展示だけでなく走れるの?」って感じだった。
「COSWORTH」のネームが入ったフォード・コスワース・エンジンもいい音出していた。流石はF1通産155勝もした名エンジン。(エンジンバッヂのネームはフォードであったりフォード・コスワースであったりと多種存在)
リアウイングにはピーターソン選手4勝、フィッティパルディ選手3勝、計7つの月桂樹マークが貼られていた。
薄くて低い車体。カラーリングに黒と金しか入っていない統一性がカッコイイ。ホイールもゴールドだ。
F1に興味を持つ前時代のマシンだが、京商1/64ミニカー「ロータスF1」ではゼッケン「1」のエマーソン・フィッティパルディ選手のマシンを選んだ。
実際にホンモノを見ると、ミニカーや写真では伝わらない格好良さがある事が分かった。本物の凄みというヤツだろう。
この先も走らせていってほしい貴重なマシンである。
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恐竜のチョコレート
一ケ月遅れになってしまったが、先月嫁はんがチョコレートを買ってきてくれた。
ホテルでショコラティエをしていた方がお店を出して、そこで売られていたものなのだそうだ。
ビターとミルクの2種類。
噛む時はメチャ硬いが口の中でスゥ~ッと溶ける不思議さ。鼻からチョコの香りが気持ちよく抜ける。
お抹茶と一緒に頂きました。
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鈴鹿1000キロよりWECinJAPANの感動が蘇るシルビア・ターボCとGr.Cカーたち
鈴鹿サーキット2013モータースポーツファン感謝デーのイベント「グループCカーの歴史」には、ニッサン・シルビア・ターボC/マーチ83G、ニッサンR90CK、チャージ・マツダ767Bの3台のGr,Cカーが登場した。
ニッサン・シルビア・ターボC/マーチ83G
ホシノレーシングが走らせたCカー。カルソニックの前身である日ラとインパルがメインスポンサーで、スーパーシルエットのシルビア・ターボの稲妻カラーリングを引き継いでいる。
今やF1界になくてはならないエイドリアン・ニューウェイが設計したとは思えないほど重鈍なスタイル。当時最強Gr.Cであったポルシェ956に比べて明らかに「遅いだろ」と思わざるを得ない形状だった。
感謝デー数日前になって出走がキャンセルされ展示のみとなった。マシントラブルが生じたのかと想像させられる。
鈴鹿1000キロ・鈴鹿500キロレースを走ったシルビアC。しかし、実車を目の当たりにすると観戦に行ったWECinJAPANの感動が蘇ってくる。
F1GPが開催されていない時代にとってWECは世界トップドライバー&マシンを見られる唯一の世界選手権だった。
F1GPが“当たり前”のように開催されているこの27年間では考えられないほど“飢えていた”時代。WECは待望のレースだったのだ。
そう思うと“当たり前”にF1を開催してくれている鈴鹿サーキットに感謝の念を抱かざるを得ない。
シロウト目に見ても到底ポルシェ956に勝てるとは思えないが、日本メーカー&日本人ドライバーがWECに参戦してくれるだけで観戦テンションが上がった。

マーチ83Gの現役時代・’84年WECジャパン
炎を吹き上げて減速するシルビアCを見られなかったのは残念だが、その姿を久しぶりに目にしてノスタルジックな気分になった。
今年のWEC富士は小林可夢偉選手と中嶋一貴選手、元F1日本人ドライバー2人が参戦するので盛り上がるだろう。
'90年ル・マン制覇のために用意されたローラシャシーに日産エンジンを搭載したマシン。
昨年の鈴鹿サーキット50周年アニバーサリーデーにも登場した。
ポルシェ956/962最強時代にニッサン最強のR91CPで対決してくれたらどれほど面白かった事だろう。ニッサンがCカーを極めた頃は既にGr.C終焉の時だった…。
チャージ・マツダ767B
ル・マン制覇したマツダ787Bの前型車。
今回のイベントではGCマシンのマーチ74Sとグッピーも走行。
シルビアターボC以外は以前にも走行・展示されていた車両なので目新しさに欠けてしまった。
加えて寒かったのでコースに写真を撮りに出ず、ピットビル2階のラウンジでモニター観戦していた。
一般客が入れるラウンジのモニターにはスピーカーが付いていないので、星野選手のインタビューや走行音が聞こえてこないのが難。
鈴鹿でトヨタ系マシンの走行は難しいとしても、走行可能なポルシェ956とか呼んで欲しいものだ。タイサンとか持っていないのかな?
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中野信治選手がチャンプマシン・フェラーリF2003GAをドライブ 鈴鹿ファン感謝デー
何年か前に缶コーヒーに付いてきたフェラーリF1ミニカー。その時にラインナップされていたフェラーリF2003GAのミニカーを始めて入手した(上写真)。
しかし、実車は展示車しか見た事がなかった。そればかりか2000年以降のF1はほとんど見ていなかったので、型式が見分けがつかないほど“うと”かったのだ。
写真はと言うと、シューマッハ&鈴鹿ラストF1ということで土曜日だけ観戦に行った2006年のF1日本GPの際、展示されていたF2003GAを携帯電話のカメラで撮影した1枚しか無かった。 しかも当時の携帯電話の写真は画像が粗い。
何年か前に行った鈴鹿ファン感謝デーに来ていたが、走行は日曜日のみということでガレージに停まった“後姿”しか拝めなかった。
昨年開催のフェラーリ・レーシング・デイズでようやくその姿を見る事はできたが、雨天のために良い走行写真が撮れなかった。
それだけに、今年の鈴鹿サーキット2013モータースポーツファン感謝デーのデモランにかける気持ちは大きかった。
加えてステアリングを握るのが元F1ドライバー・中野信治選手となればテンションは一気に高まる。
「鈴鹿のイベントで1回F2003GAをドライブしたことがある」とコメントしていた中野選手。「時空を超えたF1日本GPデモラン」では先頭を切って走行。
雪で濡れた路面にもかかわらずハイペースで周回を重ね、後続と差を広げてくれたおかげで余裕で写真を撮る事が出来た。
デモランしているマシンの中で“一番新しい”マシンなだけに安定感が良いのだろうか?
タバコロゴが消されているのでミニカーとほぼ同じカラーリング。
デモラン後、パドックで気さくにサインをされている中野選手を発見。
ドルフォンは昨年のNCCR葛城でお会いした際に頂いたのでサイン待ちの“輪”には加わらなかった。
F1をドライブする中野選手を見られて良かった。次にお会いできる時はこの日の写真にサインを入れて頂こうか?
中野信治選手 2012NCCR葛城で
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ようやく見られた変わりF1 ツインシャシーのロータス88B 鈴鹿ファン感謝デー
ロータス88はグランドエフェクトによるダウンフォースを受け止めるためと、地上最低高をクリアするために二重のシャシーを持った“変わりF1”だ。
“変わりF1”大好きなドルフィンはもちろんロータス88も大好き。ミニチャンプス1/43ミニカーも持っている。
決勝に出走していない幻のF1マシンである事とカラーリングの美しさから、ミニチャンプス1/43ミニカーは発売直後瞬く間に完売。あるいは高額価格になってしまった。出遅れたドルフィンは入手できずにいた。
ところが発売から数カ月後、ネットで探し続けていると割引価格で販売しているショップを発見。購入にこぎつけたのである。
鈴鹿サーキット2013年モータースポーツファン感謝デーに招聘されたマシンは、ナイジェル・マンセル選手がドライブしミニカーになったマシンそのものなのである。
ブラック&ゴールドに加え、サイドポンツーン側面は鏡面シルバーになっているCOURAGE/ESSEX ロータス88B/フォード。この色合いは歴代F1マシンの中でも群を抜いて美しい。
グランドエフェクト効果を最大に得たいはずなのに、何故サイドポンツーンの幅が狭いのだろうか? そのせいで長細い印象を受ける。
メインスポンサーの「COURAGE」は、タバコ広告規制のために獲得したビール会社らしい。
世界に2台しかない超希少車。
当時雑誌で見ていたマシンをこうして日本で、鈴鹿で見られるとは嬉しい限りだ。鈴鹿のHPで参加決定が報じられてから、この日をどれだけ楽しみにしただろう。
「時空を超えた日本GPデモラン」では雪で路面が濡れていたのとタイヤが冷えてしまっていた事もあり、ロータス88は2周目にスピン。早々に姿を消してしまった。
実際に走行しているのは1周しか見ていない。 写真を撮るのに夢中でシャシーの沈み込みまでは分からなかった。
ウイングカーの特徴である前よりのコクピット。現在のF1マシンと大きく姿が異なる。グランプリ広場にあるロータスのショップにロータス88の壊れたサイドパネルが売られていた。デモランかヒストリックカーレースで破損したのだろう。
でも、こういったクラシックなレーシングカーは壊れてしまったらパーツをどうしているのだろう? どこで製造供給されているのだろう?
ホンダF1とは打って変わってロータス勢はカウルを外すことなく、朝からカウル装着状態でピットガレージに停められていた。カウルを外した状態も見たかった気がする。
リアウイングとエア排出ディフューザー部が一体化している。
どのクラシックF1マシンよりも独特なフォルムを持つ88。近代F1マシンしか知らない方が見たらどう感じるのだろう?
シャシーとしての“言い訳用”小型サスペンションが見える
フロントサスペンション部に“二重になったシャシー”らしさを垣間見ることができる。この「なんとかアドバンテージをとりたい」とする努力の現れがロータスらしくてたまらない。
次の機会には是非とも一番好きなレーシングカー、ロータス79を見たいものだ。
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雪降る中で!? 鈴鹿8耐ロードレース公開テスト 鈴鹿ファン感謝デー
鈴鹿サーキット2013年モータースポーツファン感謝デー土曜日は、朝一番から鈴鹿8耐&ロードレース公開テストが開催。
また、夕方5時過ぎからはトワイライトデモランも行われた。
朝一番、しかも雪が降るような気温が低い日に、夏の一番暑い日に開催される鈴鹿8耐のテストなどして、データが役に立つのだろうか?
ライト付きロードレーサーを使用していても、ほとんど4月の開幕戦2&4レースのためのテストなのだろう。
デモランのスタートは8耐決勝と同様、ル・マン式スタート。コースに広がるレーシングマシン達。デモランとはいえル・マン式スタートを見ると8耐の興奮を思い出す。
YSPヤマハYZF-R1
ピットウォーク中、2008、09、12年全日本JSB1000チャンピオンの中須賀克行選手が姿を見せてサイン会状態となった。
MotoGPでも2位表彰台をGET。
近年の2輪ライダーの顔はほとんど知らない。だが、どうして中須賀選手と分かったかと言うと、愛称である「ナカスガサーン!」と呼んでいるお兄ちゃんがいたからだ。ありがとう!
ヨシムラ スズキGSX-R1000/津田拓也選手
F.C.C. TSR ホンダCBR1000RR/秋吉耕佑選手
このチームの夜間電飾が一番カッコイイ。レーシングスーツの文字も反射材を使用している。
DOGHOUSEスズキGSX-R1000/樋口耕太選手
痛バイク!? ロードレースにもアニメカラーの波が押し寄せていたのかぁッ!
スーパーGT同様のエヴァンゲリオン初号機カラー。
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初めて遭遇・佐藤琢磨選手 マクラーレンMP4/5を走行 鈴鹿ファン感謝デー
鈴鹿サーキット2013年モータースポーツファン感謝デーのイベント「鈴鹿F1日本GP25回記念 1987年F1の衝撃」で佐藤琢磨選手がマクラーレンMP4/5を、星野一義選手がウイリアムズFW11を、そして中嶋悟選手がタイレル019をドライブした。
鈴鹿でのイベント時に走らせるF1マシンとドライバーの組み合わせはいつも同じなのだが、慣れたマシンで走ってもらいたいという管理しているコレクションホールの意向なのだろうか?
たまには違う組み合わせで走ってみても良さそうなものだが。
2輪のエディ・ローソン選手に並ぶ4輪のゲストは佐藤琢磨選手。F1&インディで活躍していて人気は絶大だ。
日曜日にはスーパーフォーミュラRd.0に参戦した琢磨選手だが、土曜日はマクラーレンを走らせた。
マクラーレンMP4/5/ホンダは'89年にプロスト選手が世界チャンピオンを獲得したマシン。日本GPでセナ選手と接触してのタイトル確定は物議を呼んだ。
この接触が故意であっても無くても、接触があっても無くてもMP4/5は世界王座を奪取したマシンとなっていたはず。
現在はイベントでファンを楽しませてくれる静かな余生を送っているMP4/5だ。
'89年F1日本GPのシケイン
ホンダ所蔵マシンは寸前までカウルを外してメンテナンス
さすがに王座を獲得したホンダエンジン搭載マシンの人気は高く、カウリングされた状態になるとピットガレージの前には人が集まって写真を撮るのは困難。
ドルフィンにとっては“見られる機会”が多いホンダ車よりもロータスF1の方が貴重なのだが…。
上写真は昨年のファン感謝デー
イベントに向かう佐藤琢磨選手と超偶然に遭遇。初めてサインを頂くことができた。
琢磨選手はかつての高木虎之助選手を彷彿させるほどガードが固く、イベント出演時以外は姿を見せない。
不可能過ぎて「サインをもらう“今回の目標”」にすらしていなかったほどだ。
初めて頂いた佐藤琢磨選手のサイン
今年こそは佐藤琢磨選手がインディで優勝する姿を見たいものである。
琢磨選手がドライブした2012仕様のダラーラDW12の1/64ミニカーがブースで売られていた。価格は1,500円。もうちょっと待てば安くなりそうなので、今回は購入見送り。
インディ500で優勝していたら即完売だったかも?
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36年ぶりの再会 ケン・アカバとも闘ったJPSロータス78 鈴鹿ファン感謝デー

鈴鹿サーキット2013モータースポーツファン感謝デーで一番楽しみにしていたのは、ロータス78と88Bを見ることだった。
両車ともに大好きなマシン。78と97Tは近年のF1日本GP決勝のイベントで鈴鹿を走ったことがあるらしいが、ドルフィンは決勝には行っていないので目にしていない。最終的には東京か富士スピードウェイのイベントに行かなければ見られないと半ば諦めていた。
そこにきて鈴鹿で見られるとあって本当に嬉しくて楽しみで仕方なかった。
ロータス78を見るのは1977年F1日本GP以来36年ぶりだ(トシがバレる!)。この時もマリオ・アンドレッティ選手は5周でリタイアしているので、JPSカラーのマシンを見ている時間は僅かだった。もう一台は赤いインペリアル・カラーだった。
今回、鈴鹿にやってきたのはグンナー・ニルソン選手のゼッケン「6」号車。実際には“ニルソン選手のJPSカラー車”は初めて見る事になる。
見ている間「メッチャ、カッコイイ。メッチャ、カッコイイ」しか言葉が出てこない。
デザイン、カラーリングどれをとっても美しい。実車が持つ重厚なパワーがビシビシ伝わってくるのだ。
ロータス78は漫画『赤いペガサス』内では、ケン・アカバの前に立ちはだかる最大の壁として描かれている。
ケンと最初に刃を交えたしたのがニルソン選手のロータス78だった。第5戦豪雨のスペインで優勝争いを制したのだった。
以降、マリオ選手のロータス78がケン、ペペ、2人のSVEドライバーと熾烈なチャンピオン争いを展開したのだった。
―劇中においてもライバル・マシンとして主人公マシンに引けを取らない存在感を見せていた。幅広で平たい車体。太いリアタイヤ。コーナーを旋回すると安定感がある。「これぞF1マシン」というスタイルだ。
フォード・コスワースV8エンジンの号砲が体に響く。現在のF1より昔のF1の方が断然音が大きい。
サイドスカートは塩ビっぽい半透明素材が使用されていた。
ピットガレージに置かれている時は、セナ選手のロータス97Tや希少な88Bはお客さんから見えるようにガレージ前に展示されていたが、78は奥に入ったままだった。
'77年日本GP決勝レース終了後、パドックに潜入した悪ガキ・ドルフィンと友人S。
リタイアしたマリオ選手のロータス78を発見。近づくとリアウイング翼端板の右隅に何かが見えた。「ステッカーでも剥がれているのか?」と思い端を持ってみるとペリペリペリ~と翼端板の表面が剥がれてしまったのだ。
当時のマシンのパーツはカーボンの1枚板ではなく、FRPとケブラーみたいなモノのサンドイッチ構造になっていて、その黒ペイントの表皮が剥がれてしまったのだ(焦)。
「壊してしまった!」と慌てて逃げましたよ。スミマセン。貼り合わせれば直ったかもしれないが。
逆バンクで中嶋悟選手がドライブするタイレル019をアウトから抜きにかかるロータス78。
現在のフォーミュラマシンに影響を残す2台だ。
あれ? このシチュエーションはどこかで見たことがある…。
そう'77年F1日本GPのこのシーン↓

タイレル007の国光選手を抜きにかかるインペリアル・ロータス78のニルソン選手
デジャブのようにあの時の興奮が蘇る。ついつい目頭が熱くなってしまった。
過去に戻ってもう一度観られるレースがあるならば'77年のF1日本GPを観に行きたい。当時パドックパスは3万円。現在価格に換算してもパドッククラブのように買えない値段ではない。
デジタルで写真を撮りまくって、そして運営委員には「1コーナーには人を絶対入れるな」と言い、ピーターソン選手とビルヌーヴ選手には「序盤の1コーナーだけは落ち着いてくれ」と言った事だろう。
一足お先にスーパーGT2013年仕様マシンがトワイライト・ラン 鈴鹿ファン感謝デー
鈴鹿サーキット2013年モータースポーツファン感謝デーでは、スーパーGT開幕前に一足お先に2013年仕様のマシンをお披露目。鈴鹿1000キロさながらにトワイライトランを行った。
―のだが、トワイライトランが行われた土曜日は雪が降る悪天候。寒くて寒くて何度「途中で帰ろうか?」と思ったことだろう。
しかし「せっかく鈴鹿に来てGTマシンの走行を見ずして帰るのは悔いが残る」と頑張った。
KeePerトムス・SC430
KeePerカラーだったので、てっきりクラフトかと思っていたら、トムスだった。
今年はレクサス2チームがKeePerカラーを纏って走るそうだ。
NISMO MOTUL AUTECH GT-R
モーラと完全ドライバーチェンジを行ったニスモ。ロニー・クインタレッリ選手がナイトランを行った。
土曜日の朝には赤い車体に青や黒のパーツが組みこまれたテスト用車両が積みこまれて行った。
この継ぎ接ぎマシンでデモランするのかと思った。ちゃんとしたカラーリングのマシンで良かった…。
ドルフィンはニッサン車に乗っているので、GT‐Rはトップを獲ってもらいたいと願うのだ。
―が、HSVもカッコイんだなぁ。
参戦最終年ということもあり、ミニカーとしてはチーム国光のチャンピオンモデルが欲しいところだ。
ARTA HSV‐010
今季、GT300マシンをガライヤからCR-ZにチェンジしたARTA。
GT300クラスのマシン出走はこの1台のみ。
EPSONナカジマHSV-010
トワイライトラン
昨年の鈴鹿1000キロでは土曜日のミラクルナイトセッションが無くて残念だったが、今年は土曜日のナイトランを復活して欲しい。
何度か夜間走行の写真を撮ったが、友人Nのように全然上手く撮れないのだ。
トワイライトランの最後には8耐レーサーとGTマシンの混走という豪華なフィニッシュ。
メインストレートでは花火が噴き上がり、恒例の花火も打ちあがった。
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鈴鹿8耐「1990年の記憶」 熱いバイクの祭典を振り返る 鈴鹿ファン感謝デー
鈴鹿サーキット2013年モータースポーツファン感謝デーの企画で「鈴鹿8耐 1990年の記憶」があった。
『鈴鹿8耐35回の歴史の中で歴代最高の16万人の観客がつめかけた1990年。この1990年に焦点を当て、ダイジェスト映像をバックに、エディ・ローソン、辻本聡、宮崎祥司、塚本昭一が当時の舞台裏を語ります。』(鈴鹿サーキットHPより)
16万人の中の1人だったドルフィン。1984年から観戦を始めた鈴鹿8耐も、この年で最後になってしまった。
'90年は友人と“そろいの8耐用ポロシャツ”を作って着たものだ。
'90年はホンダ、ヤマハ、スズキ、カワサキの国内4大バイクメーカーがワークス参戦。好景気もあってコースサイドの至る所にメーカーやグッズのブースが出展し賑わいを見せた。ステッカーやTシャツもバンバンもらえた。
初観戦の鈴鹿8耐で初めてサインを頂いた日本人ライダーが八代俊二選手だった(2輪ライダーで初めてサインを頂いたのはデビッド・アルダナ選手!)。
モリワキから参戦。サインを頂いたのは予選2番手を獲得した晩だったように記憶する。
外国人ライダーを凌駕する走りと、気さくにサインをして下さったことからファンになり、以降応援し続けていた。
ロスマンズ・ホンダNSR500(ガードナー車)をライディングする八代選手
ファン感謝デーにゲストとして来られることがHPに掲載されていたので、昔撮った写真をプリントして持って行った。今回の目標は「八代選手と宮崎選手にサインを頂く事」だった。
寒さもあって選手がピット周辺をウロウロする事も無く「今回は無理かな?」と半ばあきらめていた。
しかし、走行を終えた八代選手に遭遇。“いつものように”舞い上がってしまい、なかなか写真が取り出せないでいると「慌てなくてもいいですよ」と、足を止めて待っていて下さった。こんな優しいところは昔と全然変わっていない。感謝感謝。
3位表彰台を得た'85年鈴鹿8耐
この年、初参戦したケニー・ロバーツ選手に予選で喰らいついていた走りに心が震えた。
'85年全日本TT-F1
前年に初代全日本TT-F1チャンピオンを得てゼッケン「1」を付ける。
ネガが劣化して新たにプリントすると色が褪せてしまっているのが残念だ。
エディー・ローソン選手のデモラン後に行われた「1990年鈴鹿8耐の記憶」。
このイベントに向かう3人を発見。未だに現役である辻本選手はさておき、宮崎&塚本選手は 太って 恰幅良くなったのと歳をとっているのとで、サインをもらいに行こうにも“本人かどうか自信が無かった”(苦笑)。
辻本聡選手
カワサキの塚本昭一選手(左)とブルーフォックスの宮崎祥司選手(右)
宮崎氏は現在、鈴鹿サーキット近くでラジコンショップを営んでいるそうで、ラジコン雑誌にはよく載っていると友人が教えてくれた。“その道”の方ならすぐに本人と判ったのだろう。
ブルーフォックス・ホンダで全日本TT‐F1チャンピオンを獲得した宮崎選手
金のサインペンでサインを入れて頂いたが、背景に溶けてしまった。この場合「黒ペン」の方が良かったか?
宮崎祥司選手のサイン
塚本昭一選手のサイン
「今年の鈴鹿8耐は面白くなるから観に来てよ」と塚本氏。そう言われたら観に行っちゃおうかな~。
'87年鈴鹿8耐決勝前夜に本多美奈子サンが主演映画の撮影とライブを行った。サーキットでライブを行う先駆けではないだろうか。
この時、スタンドで宮崎祥司選手とHRCの木下恵司選手が一緒に来られているのをいち早く発見。サインを頂いた。

宮崎氏にもお話したのだが、サインを頂いたのはこの時以来。宮崎氏もこの話に懐かしさを覚えて下さった。































