未来に続く「Z」の祖だゼ~ット! BMW Z1 サントリーBOSS BMW
続・続 整体の先生から頂いたミニカー②
1987年に発表されたBMW Z1。今にも続くZシリーズの原点だ。
当初は爆発的な人気があったらしいが、その下落も急激だったらしい。当時は世界的な好景気だったので、有価証券のような投機目的があったためという。フェラーリF40も同じ感じで流通価格は日本円で「億」に至った経緯がある。
BMWとしては斬新なスタイルを持ち、最大の特徴はドアが上下で開閉する事だった。通常は前後開閉するところだが、ドアパネルが車体下側に収納される方式を採用した。車高が低いからこそできたのだろう。
ウインドウが閉まったままでは乗降できないので、ウインドウも一緒に収納されたと想像する。
サントリーBOSS缶コーヒーに付いてきたダイキャスト・プルバックカー。実車は一度も見たことが無い。
オープン仕様であって欲しかったが、ルーフが付いている。これはプルバック機能を組み込むために致し方ないか。更には走行玩具であるために車高が高い。車軸が長いためにタイヤがフェンダーの外に出てしまっている。
これはプルバック機能を外して車高を落とす改造が必要だ。不器用なドルフィンにそれができるか…?
最新技術を搭載したBMW2002ターボ サントリーBOSS BMW
続・続 整体の先生に頂いたミニカー①
いきつけの整体の先生が久しぶりに「コーヒーに付いてたミニカーいりますか?」と渡してくれたミニカー。

缶コーヒー・サントリーBOSSのダイキャスト製BMWミニカー。2010年頃にキャンペーン展開されたものなので、整体のセンセイ宅に眠っていたものだろうか?
市販車として最初にターボエンジンを搭載したBMW2002ターボ。シルエットフォーミュラ等のレースで培ってきた技術のフィードバック。
当時のBMWは四角四面、箱を組み合わせたようなスタイルで格好良くなかった。が、ターボ搭載車は一目置く存在だった。
外観上もチン&リアスポイラーとオーバーフェンダーが付き、レーシングっぽさが増していた。
なんといっても青/赤の“ターボライン”が描かれていて存在をアピールしていた。

名古屋ノスタルジックカーショーでの2002ターボ
当時のターボは最新技術。
子供たちは『サーキットの狼』での池沢センセの構造図説明や劇中でのロータス・ヨーロッパ・ターボで、急加速や「ターボラグ」を知ったものだ。
ターボを付けただけでスーパーマシンになるような感覚だった。
現在ではKERSやレーシング・ハイブリッドのように原則時に発生するエネルギーをチャージしてパワーアシストする―という燃費を抑えつつパワーUPする技術が盛んだ。
このような技術が競技の場で培われるのなら、モータースポーツも消費するだけの競技ではなくなるので良い事だ。

缶コーヒー付属のミニカーは「オフロード車?」と思わせるほど車高が高い。オーバーフェンダーが作られているので、車高が低ければイイ感じになるかも。
車体が実車イメージカラーの銀なのに対し、ライトも銀色処理しているのでメリハリが無い顔つきになってしまっている。
ボンネットもエンブレムに向かって鋭角になっているところを出して欲しかった。後ろから見ると作りの粗さが露呈してしまうのも悲しい。
スバル最後のWRマシン インプレッサ2008 隔週刊ラリーカーコレクションVol.3
WRCに参戦するワールド・ラリー・カーの新規定に合わせて開発されたスバル・インプレッサWRC2008。参戦各チームの流れから5ドアハッチバックマシンになった。
ドルフィンは自分が乗る車としては2BOXタイプの車は好きだが、ラリーの頂点であるWRCのマシンが2BOXタイプが主流になるのはいささか抵抗があった。
ラリー世界一を決するマシンはスポーツカー・スタイルのマシンの方が似合っていると思っていたからだ。何も庶民的スタイルのマシンではなくても…。
しかし、市販インプレッサや鈴鹿1000㌔でデモランした新井敏弘選手のPWRCインプレッサを見て考えが変わった。車体の大きさ―特にノーズが長くスポーツ的だったからだ。さすがにクラス下のスターレットやファミリアとは違う(笑)。

WRCラリージャパンでステージ移動中のインプレッサ 友人撮影
隔週刊ラリーカーコレクションVol.3はスバル最後のWRCマシンとなったインプレッサ2008。
ドルフィンとしてはWRカーではなく、新井選手のPWRCマシンの方が欲しかった。走行を見た唯一のラリーカーであり、そのインパクトが強烈だったからだ。
新井選手のPWRCマシンはCM'S「新井スペシャル」セットを購入した時の特典でしかモデル化されていない(はず)。特典として2008モデルが付く事がリリースされた時は既に数台持っていたので「今さら全車種そろえるのは無理」と断念したのだ。
外見上はリアウイングの差くらいなので車両は同じ型の流用で、今後同シリーズでリリースされるかもしれない―と期待させられる。

PWRCインプレッサをデモランする新井敏弘選手
付属の1/43ミニカーはツール・ドーコルス仕様。日本で発売される冊子なのでラリージャパン仕様でも良かったのではないだろうか。
ノーズ開口部のメッシュは省略されている。銀パーツでデュアルヘッドライトが作られていてリアリティ。だが、左右で取り付け位置がズレているので“トボケた顔”になってしまっている。箱に入って売られている状態ではここまで確認できないので仕方が無い。
ボディは薄くラメが入ったブルー。小さなスポンサーロゴでも文字がハッキリ分かるほど細密。
スポークが細いメッシュのゴールド・ホイールは再現健在だ。
スバル・ファンファンフェスティバルに展示されたインプレッサ
現時点でスバル最後のWRカーになってしまっているインプレッサ2008。
いつの日か世界のグラベルにブルーの車体が戻って来てくれることを願う。
夏の忘れもの イチゴたっぷりシェイク
「夏になったらシェイクにして食べよう!」と、春の終わりイチゴが安くなった時に冷凍していたのをすっかり忘れていた。
秋の風が吹きだした今日(こんにち)になってようやくイチゴシェイクを作った。
ガリガリと冷凍イチゴをかき崩すミキサー。牛乳を加えてドロリとしたイチゴシェイクができた。ヨナナスメーカーなど無くてもできるぞ。
イチゴの香りと共に甘酸っぱさが口に広がる。爽やかな気分に浸るのだった。
京町屋、中に入れば異空間! HAWAII×祇園のパンケーキ&ロコモコ
京都の白川沿い、辰巳大明神横に並ぶ京町屋。
この中の一軒に「THE JAPONAIS WK HAWAII 祇園 CAFE」がある。
「京町屋のカフェかな?」と思い入ってみてビックリ。中は近代的なデザインのチャペルとカフェだった。
しかも二階建て家屋の中は三階建になっているのだ。半地下を使い完全にレイアウトへんこうされている。このギャップが面白い。

竹を組みあわせたデザインのチャペル
チャペルとともにハワイ発のパンケーキカフェ「WK HAWAII CAFE」が併設。木の質感が良い空間でパンケーキやロコモコが食べられる。
パンケーキは2年前に鈴鹿サーキット内のパンケーキ店で食べたが、重くて粉っぽかったのでそれ以来食べていなかった。ホットケーキの方が断然美味しいと思っていた。
しかし、ハワイ発のパンケーキ店だけあって薄いがふんわりとしている。粉っぽさは微塵も感じられない。
なるほど、ホットケーキとは異なるということが分かった。
生クリームやブルー&ラズベリーのソースが良く合う。
ハワイアンロコモコプレート 900円
ロコモコがパンケーキより安いとは!
半熟タマゴとデミグラスソースがハンバーグにベストマッチ。ご飯が進む。
映画「RUSH」公開記念 今年はコレ着て日本GP~鈴鹿サーキットで僕と握手
F1日本GP観戦に金曜日だけ鈴鹿サーキットに行く。
金曜日チケットが発売になった3年前からベネトン・ブルゾンを着ていくようにしている。
'88年末に発売されたモデルなので四半世紀・25年モノになる。ワインのように芳醇な香りは放っていない(笑)。
当時のベネトンチームのレーシングスーツのレプリカの“先駆け”だ。
ツヤ有りワシャワシャの生地も当時流行っていた。フジテレビF1ブルゾンも同じ素材だろう。
あまりにワシャワシャになっているのでアイロンを当てようとしたら“溶けだして”しまったのでSTOPした(泣)。
そしてブルゾンを脱ぐ暑い昼間は昨年までのベネトンシャツに代わり、映画『RUSH』公開を記念してマールボ○F1チームのシャツを着ていくことにした。
'83年WECinJAPANの時に買ったモノなので30年モノ。オヤヂ世代には懐かしいデザインのシャツだ。
袖を通す事自体、25年ぶりくらいだ。せっせとアイロンを当てる(もちろん自分で)。
腹部には当時のFISCOと鈴鹿のワッペンを貼り、腕には毎年1枚ずつ足して行ったWECのロゴワッペンを貼っている(4年目以降は同じ柄のワッペンになってしまったので止めた)。
本来なら全国サーキットワッペンが並ぶ予定だった…。
2006年から再びレース観戦し始めた頃は、F1であっても「イケイケのレースグッズで身を固めて行くのは恥ずかしい」と思っていた。
今や年に1度のお祭りとオヤジ世代の血がたぎって“昔のウエア”で観戦に行くようになってしまった。
背中には鈴鹿8耐ワッペンを貼っている。
金曜日、鈴鹿サーキットでこのシャツかブルゾンを着ている者がいたら声をかけて下さい。
レースファンとして握手しましょう!!
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最高点で終焉を迎えたGr.A チーム国光STPアドバンタイサンGT-R その2

レースカテゴリーが終了する時は人気衰退で名称変更や車両変更するものだ。FIAカテゴリーが変更になったため終了したGr.A全日本ツーリングカーレースJTCは、人気絶頂期に幕を閉じた珍しいケースだ。
まるで少年ジャンプにおいて最終回を巻頭カラーで迎えた「リングにかけろ」か「ドラゴンボール」のようである。
参戦車両が淘汰されてクラス1はR32型スカイラインGT-Rのみになった。それでも人気は上昇。
Gr.A最終戦となった富士INTER TECはF1よりも多い94,600人という驚異的な観客動員数となった。
鈴鹿でコーナー縁石のさらにインを削って走るGr.A
友人のR32GT-Rに乗ってINTER TEC観戦に出かけた。駐車場は「日本中のR32GT-Rが集まったのではないか?」と思うほどGT-Rだらけ。
当然、帰りも渋滞。駐車場から出るまで1時間かかり、遠くの山からゆっくり月が昇っていく様を眺めていた。
INTER TECではチー国はじめカルソニックインパルもスタート後すぐにリタイアしてしまった。そのため写真はほとんど無い。
INTER TECでのチーム国光トークショー
最期のGr.A、チーム国光も最後のGT-R。興奮と惜別の思いでテンションが上がり、チー国グッズを大漁購入してしまった。これほどまでにサーキットで買い物したのは過去最高。それなりの予算を持っていたのだが…。
キャップ、Tシャツ、トレーナー、ステッカー、テレカ…。あまり買うのでショップの方サービスでテレカを1枚付けてくれた。
Tシャツはその後何年も大切にとっておいた事もあり今でも着ている。
キャップも今でも被っていて、今年春の鈴鹿ファン感謝デーで国さんに会った時に「懐かしいね~」と言ってもらえた。
縁石に乗り上げて片輪走行になる
INTER TECを一緒に観に行った友人は'77年F1日本GPも観に行った一番古いレース好き仲間だ。その彼が譲ってくれた京商オートスケールのSTPタイサンGT-R。
背景は「国サン圭チャン」ステッカー。
チー国テレカ 未使用―いや、今となっては使う機械が無い!
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ミニカーラックへの道48 禁断エリアに手をつける
ミニカーラックへの道48
ブッ倒れるほどの暑さも過ぎ、かと言って寒くもない。花粉も飛ばない―ミニカーラック製作にとって絶好の季節がやってきた。それでもまだ外での作業は暑く、蚊も襲ってくるのは耐えねば。
ミニカーの台数も増えベネトンエリアも整理しなくてはならない状況において“限られたスペース”をどう活用するかが問題だ。
いよいよ禁断エリアに手を付けねばならなくなった。
その「禁断エリア」とは、ミニカーラックを製作してから未だレイアウト変更されていない「ラック最上段CM'Sラリーカー・エリア」だ。
ラック最上段は目線より上になるので「奥に入れたり」「平に置く」ことはせず、手前に縦置きしていた。
本来は本棚であるミニカーラック本体。縦に四区画に分けられていて、その最上二段はCM'Sミニカーが占めていた。CM'Sの台座が一区画に7台ピッチリはまるサイズだったのも都合良かった。
↑↓従来の手前縦置き状態
四区画のうち二区画を奥に縦置き・手前を平置きにする事にした。増えてきたミニカーを納めるため苦渋の決断。
旧型小棚を分解したリサイクル材を使用して専用の小棚を作る。
白に塗装する時間を節約するために、今までハケ塗りしていたペンキをスプレーにしてみた。
水性スプレーなのだが、いざ吹いてみると想像以上に臭い。「これでは近所迷惑になるのでは?」と後ろめたい気持ちになる。
好天気に恵まれ乾くのは早い。
平置きするミニカーを詰めて置けるように、縦置きの角度がかなり急になってしまった。
2BOXタイプのラリーカーだとリアが重いので倒れやすい。
通常ならノーズを下にリアを上にして縦置きしていたが、ここはノーズを上に向けて置くことにした。
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「ドリキン土屋圭市」の名を馳せた アドバンキャロット倉田トレノ
トヨタ・スプリンタートレノAE86型のバリエーションで「イニシャルD 藤原豆腐店」号と並んで有名なのがアドバンキャロット倉田トレノだ。
後々超人気ドライバーとなる土屋圭市選手が峠の走り屋からプロデビューした富士フレッシュマンレースで開幕6連勝。「賞金ドロボウ」と呼ばれるまでの勝ちっぷりをして一躍名を馳せた時のマシン。
本来、プロとアマチュアの狭間にある富士フレッシュマンレース参加車両でこれほどまで多くミニカー化されたマシンは後にも先にもこの一台だろう。
それほどまでに土屋選手の人気は絶大であり、伝説的なものなのだと感じる。
小さいものは数年前にブルボン缶コーヒーに付いた1/72ミニカー
有名な割りに細かい資料が残っていないのだが「倉田トレノ」との名称なのだからエントラントは「倉田自動車」なのだろう。だが、ウインドウにはライバル関係にある「レシングプロジェクト・バンドウ」のステッカーが貼られている。これは一体どういう事なのだろうか? ご存じの方がおられましたら教えて下さい。
R32GT-RやNSXに乗る頃にはマシン的にドリフトをする事が無くなった土屋選手だが、JSSジャパン・スーパースポーツ・セダン・レースでは健在だった。
Gr.AやF3参戦の傍ら富士のサポートイベントであるJSSにもRSファインRX-7で参戦していた土屋選手。Gr.A落ちのスカイラインGTS-Rに勝つために軽量を生かしてRX-7がスタートで先行し、コーナーではドリフトを使ってブロックしながら走っていた雄姿が忘れられない。
ファンサービスもあるのだろうが「実戦でドリフトをつかっている!」と感激した。
ちなみに'91年の富士F3000レースが大雨で中止になり“追っかけ生”放送予定だった放送枠は最初で最後のJSSのフルTV放送となった。
かつてスカイラインGT-Rで大雨の中50勝目を挙げた高橋国光選手のようにブッチギリのトップを走行した土屋選手。チェッカー目前の最終コーナーをサービスのドリフトで立ち上がったものの雨に足を取られ、あわやコンクリートウォール直撃か?―と思わせるほど大きくスライド。観ていてヒヤリとした。
体制を立て直して優勝を果たしたが本人も「クラッシュするかと思った」とコメントするほどだった。

土屋圭市選手を崇拝する静岡の友人から頂いたエムテックの1/43ミニカー。
'99年頃に発売されたらしいが今や絶版状態になっている希少モデル。台座の一部が突起していてそこにシールで車名が貼り付けられている。
車内にはロールバーが張られていて“市販車に色付け”しただけのミニカーとは違い、完全にレース仕様として造りあげられている。
その点、ブルボン缶コーヒーの1/72ミニカーは市販車のカラバリだった。
前後ワイパーやリアウインドウの感じも出ている。足元はアドバンホイールが輝く。
元々スタイルの良い86トレノだが、アドバンカラーになり一層カッコ良さが出ている。

’91年に初めて頂いた土屋圭市選手のサイン
まだアルファベット書き
新旧ドリフトコンビに熱狂 チーム国光STPタイサンGT-R 京商オートスケール
土屋圭市選手と高橋国光選手の新旧ドリフト・コンビで結成されたチーム国光。Gr.A'92年全日本ツーリングカー選手権JTECの最注目チームとなった。
マシンはアドバンカラーが主体となるSTPタイサンGT-R。
ドルフィンも好きなドライバーのコンビなので一番好きなチームとなった。
普通、レース参戦車種が淘汰されて減ってしまうと人気も落ちてしまうものだが、JTECに関してはスカイラインGT-R人気もあってクラス1はワンメイク化しても人気は沸騰するばかり。
Gr.Aが最後となった'93年の熱狂ぶりは“お祭り騒ぎ”に近いものがあった。あのサーキットを包み込む高揚感は忘れられない。
第4戦鈴鹿を観戦に出かけた。天候の良さとサーキットの高揚感から「8月だったかな?」と真夏のイベントのように記憶していたが、実際は6月開催だったようだ。JTECは2年ぶり2度目の観戦。友人と予選から観戦しGr.Aを満喫した。
「新旧ドリフトコンビ」と言われていても四駆のGT-Rではドリフトする事はない。
が、Gr.A独特のコーナーの攻めで縁石に乗り上げて一瞬片輪走行する迫力のシーンはよく見られた。フォーミュラでは危なくてとてもできない。
市販車ベースのレーシングカーではあるが、とても市販車では出すことができない「ボボボン…」と野太い排気音は、腹の奥に振動が伝わってきた。
このマシンのミニカーはトミカ「Gr.Aスカイラン伝説」しか持っていなかった。京商1/64ミニカーでは円熟期の'93年型は出されていないのだ。静岡の友人から頂いた京商オートスケールのSTPタイサンGT-Rは嬉しかった。譲ってくれた友人も大好きなマシンなはずなのに…。
スケールが1/43ミニカーよりも大きくて存在感がある。
細かいスポンサーロゴもよく分かる。黒ホイールもイイ感じに出来ている。
チーム国光は鈴鹿で2位表彰台を獲得
このマシンには多くの思い出が詰まっている。
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