日本GPだけのカラーリング 赤いインペリアル・ロータス78ニルソン車
ビギナー、デカール貼りに挑戦する【22】 1/43スケール編
観戦に行った'77年F1日本GPでマリオ・アンドレッティ選手のJPSロータス78は多重クラッシュで早々にリリタイア。
最後まで走りきったグンナー・ニルソン選手のマシンは赤/金のインペリアル・ロータス78だった。これはこれでカッコ良かった。富士だけ1戦のみのカラーリング。
観ている時は気付かなかったが、フロントウイングとサイドポンツーンがセンターボディと赤の色合いが異なっている。これは日本に来て塗装し直したが、塗料が無くて色が違ってしまったそうだ。
'77年F1日本GPでのニルソン選手/ロータス78
昨年購入第一号だったレーヴコレクション1/43ミニカーのインペリアル・ロータス78。後にタバコ・ロゴ仕様モデルも発売されたが、そのような仕様が出るとは思わず早々に予約を入れてしまっていたのだ。
購入から1年。ようやくデカールを貼る時がやってきた。
レーヴコレクションには自主規制で除かれているロゴが「後付けデカール」として付属されているところが良心的。
デカールはサイドポンツーン横と上部の後ろ、コクピット前、リアウイングだに貼る。
1枚が大きいだけに切れないように注意して、軟化剤に浸すようにたっぷりつける。
―だが、これが逆に作業をしにくくする原因となってしまった。たっぷりつけすぎ柔らかくなり過ぎたのか“波打って”しまったのだ。
台紙から剥がすために水に浸し過ぎても切れやすいし、軟化剤を付け過ぎても波打ってしまう―デカールの扱いは難しい。
サイドポンツーン横の一番大きいデカールは、天地幅が貼る面ギリギリのサイズなのだ。チョットズレるとボディからはみ出てしまうシビアな状態だった。
赤一面だったボディにゴールドのロゴが入ると格好良さが引き立つ。
JPSなら黒/金、インペリアルは赤/金で統一されたカラーリングが、マシン自体のスタイルの良さを引き立たせて究極の格好良さになる。
’77年日本GPはレース好きの友人と観に行った思い出のある特別なレース。
前年が大渋滞で車が全く動かず、結局は御殿場駅からFISCOまで歩いてしまった。この経験からこの年も歩くつもりでいたが全然渋滞していなかった。246号線まで歩いてしまったのでバスに乗れず、生まれて初めてのヒッチハイクをしてサーキットまで乗せて行ってもらった。
帰りもパドックに侵入していて最終バスに間に合わず、ヒッチハイクで御殿場駅まで乗せて行ってもらったのだ。
アンドレッティ選手のJPSロータスとニルソン選手のインペリアル・ロータスの2ショット
すき家の新商品 コクみそ野菜牛丼を弁当で
お腹がすきすぎたので、すき家に行くと新商品が出ていたのでテイクアウトしてみた。
コクみそ野菜牛丼弁当(並・450円)。テイクアウトになると通常の牛丼弁当にコクみそ野菜が別パーツで付く形態。
キャベツ、人参、ピーマン、玉ねぎが使われているが、キャベツがほとんどを占めていてバランスが悪かった。調理の仕方なのか、元々そのような配分なのか分からない。写真で見るようにもっと他の野菜もふんだんに使われてほしかった。
コクみそ野菜の量は多く、食べ応えはあった。
「F1史上最も醜いマシン」トップ5に入ったアロウズA2 そうかなぁ?
ネットニュースを見ていたら「英記者が選ぶ『F1史上最も醜いマシン』トップ5は?」というものがあった。今シーズンのF1のノーズが見苦しいところから発した話なのだ。
トップ5の中に入っていたのがアロウズA2/フォードだった。
フロントサスペンションのカバーから翼断面形状になっていて、ウイングを失くしつつ車体の前後でダウンフォースを得ようとしていたらしい。
ウイングカー創成期に、他チームとアドバンテージを取ろうとして試行錯誤した結果のマシン形状だ。どのチームも同じようなノーズになっている今年のマシンとは“意欲”が違う。醜いなどと感じたことなど無い。
当然、変わりF1大好きなドルフィンの琴線に触れるデザインだ。
好きだったマシンだけに、現在は閉館となっている「御殿場オートパレス」で実車を見られた時は感激モノだった。まさか日本で見られるとは思わなかった。展示されていたのはNo29リカルド・パトレーゼ車。当時はカーボンなど無く、シャシーに使用されているアルミやカウルのFRPの質感に“古さ”を感じたが、雑誌で見たよりは軽そうな印象を受けた。
現在、ここにあったマシン達はどこに行ってしまったのだろう?
ミニカー集めを始めた頃の'06年に購入したミニチャンプス1/43ミニカーNo30ヨッヘン・マス車。
当時はまだ1/43ミニカーは高価に感じていてなかなか手が出せなかったが、セールになっていた事とマス選手はWECinJAPANでサインをもらっていたのが購入のポイント。
マシン後期には小型のフロントウイングが付いたが、ミニカーはまだウイングが無い状態のもの。細くのびたサイドミラーも再現されている。
特異だったマシン形状がよく分かる。
ドライバーのフィギャは、当時F1で流行していたシンプソンのヘルメットを被っている。口元が角ばっていてスリットが入ったデザインは印象的でカッコ良かった。
シンプソンのデザインがとても好きで「ヘルメットを被ることがあれば絶対シンプソン」―と、子供心に決めていた。果たしてバイクに乗るようになってからカートレースを行っている時までシンプソンのヘルメットを被っていたのだった。

'83WECJAPANで○スマンズ・ポルシェ956をドライブしたJ・マス選手のサイン
WECinJAPANレース後、2位に入ったジャッキー・イクス選手にはサインを断られたが、ペアのマス選手は気軽にサインをしてくれた。憧れの(元)F1ドライバーであり、○スマンズ・ポルシェのドライバーだったので舞い上がる嬉しさだった。
ココイチの復活グランドマザーカレー
CoCo壱番屋に行くとグランド・マザー・カレー(780円)の復活キャンペーンが行われていた。
「復活」と言われても、いつ販売されていたのか分からない。
しかし“具がゴロゴロしている”ところが気に入って食べてみた。ココイチのカレーは具材が溶けきってしまっているのか、姿が見えないところが物足りなかった。
写真は嫁はんが注文したカキフライカレーのカキを1個もらったので、グランマ・カレーにはカキフライは入っていないのでご注意を。
ジャガイモやニンジンは大きな姿を残しているが、ふにゃっと柔らかい。圧力釜で炊かれているのだろうか? 姿が大きいのだから食感も残しておいて欲しかった。
具沢山なので「カレーを食べた!」気になる。
翼端板のネジをもらったシェクター選手の ウルフWR1日本GP仕様

スーパーカーの“ウルフ・カウンタック”で有名なカナダの石油王、ウォルター・ウルフが超弱小チームだったウイリアムズを買収して立ち上げた新チーム「ウォルター・ウルフ・レーシング」。
’77年の開幕戦でデビューレース→初優勝。シーズン3勝の快挙を成した。新チームの開幕優勝は、2009年のブラウンGPが達成するまで32年間どの新チームも成し得なかった。
イチョウの葉のように後部になるにつれて幅広になり、横から見ると直線的なウエッヂ状のスタイル。サイドポンツーン前方に突起する“カナード”。リアウイングの翼端板にパイプを取り付けてボディにマウント―。見た目だけでも斬新なデザインだ。
ドライバーは後にワールドチャンピオンとなるジョディ・シェクター選手。前年のF1inJAPANで「(周回遅れになる時)抜かれて欲しい側の手を上げろ」と、星野一義選手を侮辱する暴言を吐いた事でも有名だ。奮起した星野選手はシェクター選手を抜いて一時3番手に浮上するのだった。
’77年の日本GPではKE009を駆る星野選手の一つ前の10位フィニッシュ。
ウルフWR1に関しては残念ながらマトモに撮れていた写真が1枚も残っていない。
しかしながらレース後のパドックで、マシン解体中のメカニックからリアウイング翼端板をとめるネジ&ナットをもらい感激した。

ウルフWR1のウイング翼端板を止めるネジ&ナット
媒体誌によって車名が「WR1」だったり「WR3」だったりする。基本的には同一シャシーらしいが、WR2以降はホイールベースが延長されていたりする。
日本GPは高速サーキットの富士スピードウェイだったので、WR3が使用されたようだ。
ウルフWR1は初めて購入したミニチャンプスの1/43ミニカー。台座のマシン名には「WR1」と書かれている。
買ったのはミニカーを集め始めた頃で、当時は4,000円前後する価格はもの凄く高い買い物だった。
しかし、購入の決め手は「日本GP仕様車」だった事。観戦した思い出のマシンだったので購入せずにはいられない。ましてやもらったネジ(跡)も再現されているのだから。
日本GP仕様ではスポットスポンサーのタミヤ模型のマークが入っている事と優勝マークが3つ描かれている事だ。
フロント・サスのスプリングが銀色に、リア・サスが金色に塗られている細かさ。ステアリングのスポークも色塗りされている。
ミニカーはもちろんネジ達を一緒に飾っている。
(上の写真はウォウルター・ウルフデザインのタオルと)
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勝率100パーセントのファンカー・ブラバムBT46/B「1」ラウダ車 カッコイイ!
ブラバムBT46/Bはリアに巨大なファンを持ったマシンとしてF1史上でも稀代な珍車として有名だ。
ただの奇をてらった車ではなく、1978年スゥエーデンGPに出走してニキ・ラウダ選手のドライブで優勝する成績を残している。各チームからの猛反対で以後の出走が禁止されたが、1戦のみ出走しての優勝なので勝率100%という恐ろしいマシンとしても記憶に残った。
デビュー当時はシステムを極力隠していたため、雑誌でも詳細な写真が掲載されていなかった“謎が多いマシン”でもあった。
グラウンドエフェクトを使ったロータス79のマネではなく、別の方法で強力なダウンフォースを得ようとした積極性は素晴らしい。「世界ドライバーズ選手権」と銘打ってあってもワンメイクマシンではなく、チーム独自の車両を使って競い合うF1ならではの車両開発の面白さだ。
トゥルースケールモデルズと聞き慣れないメーカーから1/43ミニカーが発売になった。販売扱いは京商になっていたので、一応、ブログでは「京商」カテゴリーに入れている。
かなり以前から発売の案内はあった。人気車なので早々に予約していたのだが、全く発売されなかったので、一度は予約解除されてしまった。
いつの間にか発売されていたので慌てて注文しようとしたがどこも「売り切れ」状態。一旦は諦めかけたが、しばらくすると売りだすショップが出てきたので今回入手できた次第だ。
実は既に数年間にRBA製1/43ミニカーのBT46/Bをレンタルケースで発見して購入していた。
しかし、変わりF1大好きドルフィンとしては“より精密な”ミニカーが欲しいところだった。
パッケージや背紙にはトゥルースケールモデルズのロゴが入っているだけであまり工夫がない。ブラバムのロゴを入れるとか、マシンの写真を入れると版権利用料金がかかってコストが嵩むからだろう。
送り届けられてくる時に透明プラの保護カバーに入れて来てくれた。これは通販していた大手家電量販店「J」WEB店がカバーに入れて保管・発送してくれたサービスだろう。
トゥルースケールモデルズのケースはミニチャンプスのケースより大きいので、この透明カバーに入れてミニカーラックに飾る事にする。
白い台座にはマシン名、出走GP名、ドライバー名が入っている。
BT46/BファンカーのベースとなったBT46はラジエーターを内蔵したスポーツカーノズで、前モデルのBT45よりもスッキリとしたスタイルになった。BT46自体カッコイイと思っていたが、ファンカーとなってノーズはウイングとなり、リアウイング翼端板もボディから伸びた取り回し、三角断面モノコックとなってかなり格好良かった。
モデルでは車体と路面を密着させるスカートも付けられている。ファンカーにはスカートが付いていることが大事だ。
フロントサスのスプリング部は銀塗装になっている。
コクピットはアルミモノコックが剥き出しで、シートベルトはあるがシートが無いようだ。これは一体??
メーター類やシフトノブも作られ、サイドミラーは鏡面が銀デカールが貼られている。
リアのファンだが、奥にある“二枚目”までは作られていなかった。このミニカーで一番メインとなるだけにここはキッチリと作り込んで欲しかった。
かなり昔に発売されたミニチャンプス1/43ミニカーを入手できなかっただけに今回の発売は嬉しい。
見れば見るほどBT46/Bはカッコイイなぁ!
日本で勝利したハントのマクラーレンM26 ミニチャンプス1/43デカール貼り
ビギナー、デカール貼りに挑戦する【21】 1/43スケール編

ニキ・ラウダ選手とのタイトル争いに勝利し、1977年シーズンはディフェンディングチャンピオンとなったジェームス・ハント選手。第5戦からゼッケン「1」を付けた新車、マクラーレンM26が投入された。
実際のところM26は前年の終盤には完成していたが、旧型M23の性能が安定して高かったので1戦だけ走ったのみで翌年まで投入が見送られた経緯がある。車両レギュレーションが毎年変わる近年では考えられない事だ。
シーズン後半9戦は表彰台かリタイアかのどちらかという浮沈の激しいナーバスな印象がある。
それでもドルフィンは名車の誉れも高いM23より全体がシャープになったM26の方がカッコイイと感じる。
観戦に行った'77年F1日本GPで優勝した好印象もある。
’77年日本GP/ハント選手のマクラーレンM26
日本GP決勝を観戦していたのは最終コーナーの入り口付近。富士スピードウェイのコース図で言うなら“一番下”になっている部分だろう。
前年同様、祖父のコンパクトカメラに36枚フィルム1本だけ持って行った。だが前年と異なるのは“流し撮り”という撮影技術があるのを知った事だった。実際にやってみたのはこのレースが初めてだ。
アクシデントで次々に強力なライバルが消えていったハント選手は独走状態だった。
そんなレース中、ハント選手がこちらに向かって手を振っているではないか。追いつくマシンもなく、余裕のファンサービスか? と思えた。
―当時のドライバーは、ヘルメットの開口部にスカートのような防火シートを取り付けていた。そのシートが“なびいて”手を振っているように見えていただけ―これが事実だった。
レース後、モーターホームなど無かったためテントの下で多くの人に見られながらも堂々着替え始めたハント選手。
世界チャンピオンが多くの人々の前でパンツ一丁になったのだ。しかも黄色いブリーフ。インパクトがあった。
M23入手時より3年くらい遅れて発売になったミニチャンプス1/43ミニカーのマクラーレンM26。カラーリングやドライバーを変えて続々とシリーズが発売されている。
自主規制で消されていたマールボ○のロゴをデカールで貼る時がいよいよやってきた。
買ってきたM26用デカールはM26シリーズをカバーできるように'77年用と'78年用がセットになっている。日本GP仕様ではシートの1/4ほどしか使わないが、スペアがあると思えば安心できる。
貼る場所は少ないが、コクピット風防の内側やヘルメットといった難易度の高い部分がある。

表彰式と多重露光になってしまったがゴール直後のマクラーレンM26
台座に取り付けたままだと「台紙の背」が邪魔になって車体右側が貼り難いので、初めて台座から外し作業する事に。
風防の内側など普通はどうやって貼るのだろう? ドライバーの腕のロゴもセットになっているが、ロゴが入る位置はカウルに接していて見えないのに…。 やはりパーツを分解して貼り付けているのだろうか?
パーツを分解するなど、ドルフィンにとっては破壊行為と同様。そんなハイテクニックは使えない。軟化剤をたっぷり塗ったデカールをピンセットで風防との間に差し込む。赤/白のロゴ風部分の上に上手く重なるように貼り付ける。ぷるぷると震える手。
一度貼り付けてしまうとなかなか修正できない。ここはチョイトばかり歪んでしまった。
ノーズのオイルクーラー上にも“網風”デカールを貼り付ける。ラジエーターの造形が細かいギザギザになっているために、すぐにズレてしまってなかなか位置が定まらない。
ギザギザに添わせないと乾いたら剥がれてしまうだろうから、ドライヤーを当てて馴染ませる。
左右フロントタイヤの間に位置する赤と白の境目は、よく見ると滲んだ状態になっていた。“白山”の頂点のデカールを貼ろうとしたのだが、元々がキッチリとした塗装ではなかったので境目が上手く合わない。
スペアとして残していた'78年用の“白山”を少しだけカットして角度を狭くして再度貼り付けることにした。
ハント選手のヘルメットにはデカデカとマールボ○のロゴが入っている。白抜き文字をヘルメットに貼り付けるが、ほぼ球面なので位置を決めるのが難しかった。
ここでふと気付く。「マクラーレンM23のデカールセットにはこのデカールはなかったぞ?」。デカールを貼り終わっているM23を見なおしてみるとハント選手のヘルメットは黒のままだった。何故気づかなかったのだろう?
スペアのデカールでM23のヘルメットにも貼らなくてはならない。これこそスペアがあって良かった~。
ハント選手の最後のGP優勝となった'77年日本。
'77年シーズンは本格的にF1に興味を持ち、雑誌等で情報を吸収するようになった年。さらには漫画やアニメ作品の数々でテーマにもされているので、ドルフィンには印象的なシーズンであり、参戦したマシンたちは大好きだ。すこしずつ'77年参戦マシンを集めたいと思っている。
超ながーーい6色の「ふがし」
静岡には超長い「ふがし」が売っている。
「ふがし」自体は昔から駄菓子屋で売っていたのだが、長さはせいぜい20~30㌢程度。ピンクの色合いで「桜棒」と呼ばれていた。
ところが、十数年前に嫁はんと清水七夕まつりに行った時に夜店で売られていた「ふがし」を見て驚いた。1㍍ほどの長さがあるのだ。まるで刀である。
嫁はんの話では大阪では黒糖味はあるがピンクは無かったと言う。かわいい色のついた「ふがし」自体珍しいそうだ。
会社で何かの拍子に「ふがし」の話になったので、今回静岡に帰省した際に注文してきた。
今では10色もあるそうだ。写真を見て頂ければお分かりかと思うが、横に置いた30㌢定規が3本は縦に並ぶだろう。
製造元である三島食品さんのHPからも注文できるそうだ。
http://www.ofuya.com/?pid=61243917
「なんでちか? コレは??」 さっそく愛猫が確認に来た
写真を撮ろうと「ふがし」を並べていると、いつものように愛猫「ねる」が確認に来た。
―が「ふがし」には興味が無かったようで、アッサリと去っていったのだった。まあ、ネコの食べ物じゃないですから…。
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ラウダがテストした6輪F1 フェラーリ312T2/6輪 マテル1/43
タイレルP34の実戦投入から、F1は車輪を小さく、そして多くして空気抵抗を減らしかつ接地力を高めようとする動きがあった。
マーチはリアに前輪サイズのタイヤを縦に4つ並べ、フェラーリも巨大な後輪の代わりに前輪を横ダブルに置いた6輪F1をテストした。フェラーリ312T2/6輪だ。
ワールド・チャンピオンの帝王、ニキ・ラウダ選手がテストした。
実戦投入される事無く、車体も4輪車に戻されたらしく現存はしていないようだ。まさに幻の6輪車。
だが一方でロータスは他チームに秘密が分かり難い車体底部を湾曲させてダウンフォースを得るマシンを開発ていていた…。

F1に一番興味を持った時に6輪マシン出現やウイングカー黎明期なのである。ドルフィンが変わりF1好きになっても当然と言えば当然。
ミニカーを集め始めた頃から「6輪F1はそろえたい」と探していた。その当時、ブログのコメントで「以前に発売されていた」と教えて頂いた。
しかし、ショップやネットで探せど影も形も全く痕跡が無かった。
ようやく2011年にマテルから1/43ミニカーが発売になって嬉々として購入したのだった。
マテルのミニカーを初めて入手したが、他社同スケールのミニカーに比べてかなり精密に作られている。特にメカニカルな部分は色合いも含めてリアリティがある。
コクピットもメーター類は着色され、なんとシフトレバーまで作られているのだ。
ただ、タイヤが出っ張り過ぎている(泣)。写真で見たマシンのタイヤはもっと内側に取り付けられていたと記憶するが?? これではサイドバイサイドのバトルになった時に、すぐに引っかけてしまうだろう。
パッケージの背紙には事故前のラウダ選手の写真がプリントされているのも嬉しい。
マテルのミニカー発売から約1年半後、公式フェラーリF1コレクションでも312T2/6輪をカバー。
細部の作りは簡略化されているものの、メインになるリアタイヤはマテルよりも内側に入っていて実車に近い。4,000円の価格差を考えるとコストパフォーマンスは良いと言える。
『ラッシュ/プライドと友情』公開直前 フェラーリ312T2/N・ラウダ車 フェラコレ1/43

ニキ・ラウダ選手+フェラーリ312T2は、ドルフィンの「レーシング」の中では別格の存在だ。
'76年F1inJAPANで目の前で世界チャンピオン争いをし、初めて名前を覚えたドライバーとマシンだからだ。
その時からドルフィンにとってジェームス・ハント選手と双璧を成すドライバーの頂点であり、後世に記録を塗り替える幾多のドライバーが出現しようとも変わらぬ偉大な存在であり続けている。
引退後の航空会社が失敗しようとも、女性F1ドライバー、ジョバンナ・アマーティとの交際が発覚しようとも、歳とって太ろうとも「ラウダはラウダ」である。
―という訳で312T2はフェラーリF1の中で一番好きなモデルだ。
マシンデザイン、カラーリング…どれをとっても「カッコイイ」の一言に尽きる。
こんな写真ですが'76年F1inJAPANでのラウダ選手
公開される映画『ラッシュ/プライドと友情』では大好きな2人が主人公とあって、製作決定情報が流れてからとても楽しみにしていた。
F1に興味を持ち始めた頃、知る事全てが新鮮だったから心に強く残っているのかもしれない。
ほとんどのドライバーが優勝圏内にあった激戦時代のチャンピオンだからこそ、その速さや強さが際立っている。
レーシングカーは「空力」が重要と言われるが、ウイングカー全盛期になるまでF1マシンの後部は露出していて、子供心にも「空気が乱れるのでは?」と感じていた。
その中で312T2はフルカバーであり、コックピットダイドからエンジンルームへエアを導入する巨大NACAダクトのデザインがカッコ良く“高級感”というか“お金かけてる感”がしていた。
漫画『赤いペガサス』で、チームSVE最初のF1・SV007は312T2を大いに意識したマシンだった。
手前から―缶コーヒー付き1/72、京商1/64、フェラーリ・コレクション1/43の312T2
312T2は「公式F1」以前に「フェラーリ・コレクション<」No27で入手。「1車種1台」のミニカーコレクションの掟ながら京商1/64モデルと缶コーヒー付属1/72モデルも入手してしまった。どれもがラウダ選手のフィギャが乗っていないのが残念だ。
スケールが違えば違ったなりの良さがある事に気付き(←半分言い訳)、好きな車は数台そろえてしまう事になってしまっているのが現状だ。
1/46スケールはサイドミラーが付いていたり、風防にクリアパーツを使っていたり、ブレーキダクトやエキパイの着色等の緻密さがある。
前後ウイングの艶のあるアルミ感は京商「フェラーリF1・Ⅰ」の方がリアリティ。フェラ・コレや京商「Ⅱ」以降はザラザラとした銀塗装になってしまって、実車の特徴が生かせないでいる。
初めてレースを、初めてF1を見た日の事をしみじみと思い出す。
大雨で大変だったとか、大渋滞でバスやタクシーが全然動かなかったから御殿場駅からFISCOまで歩いてしまったとか…。
レース終盤に雨が上がり、富士のストレートはじまり辺りの土手から1コーナー側を見た時、奥の山々に山霧がかかった状態になった。そこに向かって走り行く紅白のマクラーレンM23。このシーンは今でも心に焼き付いている。
―あ、ラウダ選手はすでにリタイアしていなかったか…。





















