帝王ロスマンズ、マッチ優勝タイサン、レイトン・ポルシェ962 Sound of ENGINE
Gr.C規定のスタート時から参戦し、世界のあらゆるGr.Cレースで長年に渡って優勝し続けた名車中の名車、ポルシェ956/962。
日本でF1開催が無かった'80年代前~中期における唯一の世界戦・WEC世界耐久選手権で、その世界レベルの速さを見せつけてくれた。
ポルシェの素晴らしいところはWEC元年の'82年こそワークスだけだったが'83年からプライベーターにも販売してシリーズを盛り上げた。
年々プライベーターの熟成度も高くなり「ポルシェの敵はポルシェ」と言われるようになった。
Sound of ENGINEには3台もポルシェ962が走行。Gr.C全盛期を思い起こさせてくれた。
ロスマンズ・ポルシェ962LM 1986年
ワークス・ポルシェの証、ロスマンズ。このマシンにシビレた!あこがれたァ!
ドルフィンがWEC JAPANを観戦に行き始めたのは開催2年目の’83年大会から。この年はワークス2台に加え多くのプライベーター・ポルシェが参戦した。
ポルシェ956も初めてならローリング・スタートを見るのも初めて。スタート直後からワークス2台が他を引き離す展開に圧倒させられた。今でもあの時の興奮を思い出すと身が震える。
最後に見た現役ロスマンズ・ポルシェは'86年WEC
昔はこんな角度で写真撮れなかったなー
ル・マン用にロングテール&ローマウントのリアウイング仕様になっている。
公道走行可能状態&車検にしてあるそうだが、このマシンでどこのガソリンスタンドに入れるというのだ? ちょっとした段差でノーズを磨ってしまうぞ!?
タイサン スターカード・ポルシェ962 1984年
’94年に近藤真彦選手がアンソニー・リード選手と組んで全日本GT選手権に出場。第3戦富士で全日本初優勝を遂げた。
Sound of ENGINEで走ったタイサン・ポルシェはこの時のマッチ選手とアンソニー選手のネームが入っているマシンだ。
カラーは優勝した富士と少し異なっている。
優勝した'94年JGTC富士
「GT」選手権に「Cカー」のポルシェが走っていいのか?―との物議があったものの、創設2年目で台数が少なかったJGTCが「ロードゴーイングカーもあるから」みたいな特例措置でOKしたと思う。
レイトンハウス・クレーマー・ポルシェ962 1988年
早い時期からSound of ENGINEでの走行が決まっていた。
そこでドルフィンは'91年に入手したレイトンハウスのブルゾン(F1デザイン)を着て行こうと考えた。
ところが、探せど探せどレイトンのブルゾンが見つからない。確か愛車がS-MXだった頃は車内に緊急用として着替え一式と一緒に積んでいたはず。―となると、大阪に引っ越した時かモコに乗り換えた時に処分してしまっていたのだろう。残念だ。
’87年鈴鹿でのCカー練習日
外観上の至る所に仕様の違いが見られた
F3000、Gr.C、Gr.Aと全日本格式のクラスで大暴れしたレイトンハウス。
一世を風靡したレイトンハウス・カラー。サーキットではもちろんのこと、街中でもレイトンブルーの服を着た若者が多くみられたほど。
皆がみんなレイトンハウスを着ていたので、ドルフィンはベネトンに走ったのだった。
今回は参加していなかったトヨタ/トムスのCカーも見たかった。次に機会があれば走らせて欲しいものだ。
「きばらし」の ふぐコース でプチ同窓会
富田林の近鉄・川西駅近くにある「はも・ふぐ料理 きばらし」でプチ同窓会を行った。
ここで行うのは2度目だが、美味しい上に大阪市内で食べるより格段に安いのでメンバーに好評なのだ。
大阪の冬はやっぱりふぐでしょ。
ふぐコース
付き出し
ごま豆腐、たい子、きのこの炊いたん
ふぐ皮
てっさ
天ぷら
てっちり
動画でお見せできないのが残念なほど、皿の上でまだピクピクと動いているふぐの身。
〆の雑炊
鍋がふたつ、それぞれに鍋奉行がいるので、お奉行様好みの雑炊に仕上がった。
上は「淡路島のふぐ雑炊風」にしたびしゃびしゃの雑炊。
下は出汁を減らして作った雑炊。
どちらも個性があって美味しかった~。
デザート
半年ぶりに集まった昔の悪ガキども。
高校時代は決して仲が良かった者同士ではなかったが、寮生活をしていたので単なる同級生よりも絆が強い。時間が経つにつれそう感じる。
今となると昔の事は笑って話せる。
そしてこの年になると人間ドックで癌が見つかって取っただのなんて健康話が多くなるのだった。
酒が進むとコースに無い単品を続々と注文しはじめる。
ヒレ酒
青白い炎がポッと出た瞬間を押さえたぞ~!
きずし
サバが新鮮で酢の締め方も頃合い。これは絶品だった。
トリ貝
馬刺し
霜降り過ぎてドルフィンには脂が強すぎたー。
みんな元気でまた会いたいものだ。
日本が挑んだマン島TTロードレース Sound of ENGINE
鈴鹿Sound of ENGINE2016の2輪メインイベントの一つ「ISLE of MAN TT―マン島TT」。
本田宗一郎氏のマン島レース出場&優勝宣言と共に始まった日本車の世界挑戦。その創成期のレーサーがGPスクエア展示されていた。
エンジンサウンド・パフォーマンスも行われたのだが、過密スケジュールのためにパドック裏からGPスクエアまで回る事は出来なかった。
ところで「マン島TTレース」ってよく聞くのだが、イマイチよく分からなかった。3年前にも『クローサー・トゥ・ザ・エッジ マン島TTライダー 』という映画にもなっている。これを機に調べてみた。
1904年に自動車レースとして始まっためっちゃ歴史のあるレース。島の公道を使用したコースで、低い安全性に反比例して最高速が高い。
「TT」は「ツーリング・トロフィー」の略。'80年代に開催されていたTT‐F1クラスとかの「TT」もここから由来しているのだろうか? 正確な記述が見つからなかったので不明だ。
第二次大戦後に世界GPの1戦として開催された。4輪で言うところの世界耐久選手権のル・マン24時間みたいなものか?
安全整備が整わなかったために1976年からはWGPから外され、市販車ベースのレースとなった。
これで「マン島TTってWGPと別モノ?」との疑問が晴れた。
現在は「TT Zeroクラス」が新設。電動バイクの主戦場になっている。TEAM無限がEVレーサー「神電」を走らせている。
ホンダRC142 1959年
マン島TTレース125ccクラスに初出場した。
ホンダRC160 1959年
浅間火山レース用に開発された直4DOHC250ccレーサー。
ホンダRC143 トム・フィリス車 1961年
WGPでホンダ初勝利・シリーズチャンピオンを獲得した。
ホンダRC143 高橋国光車 1961年
日本人初のWGP優勝を遂げた国さんのレーサー。
そのエピソードは『赤いペガサス』内でもF1王者ケン・アカバ誕生の起源として語られている。
ゼッケン「100」は今でもスーパーGTのチーム国光のゼッケンとして走る魂とともに継がれている。
ホンダRC164 1963年
ジム・レッドマン選手の250ccワークスレーサー。
マン島250ccクラスとともに鈴鹿での最終戦・日本GPでも優勝してライダー&メーカーのダブルタイトルを獲得。
ヤマハRD56 1965年
フィル・リード選手がライダー&メーカーのダブルタイトルを獲得した空冷2スト250ccワークス・レーサー。
カウリングされたスタイルは『仮面ライダー』のサイクロン号や『紅三四郎』等昔のアニメのバイクに多大なる影響を与えているようだ。
ヤマハRA97 1966年
ヤマン島TTレース初勝利を挙げたマハ初の水冷250ccレーサー。
スズキRK67 1967年
鈴鹿サーキットのデグナー・カーブの名前の起源となったエルンスト・デグナー選手がライディングしてWGP50ccクラスのチャンピオンを獲得。
京商フェラーリ12探しの旅 ―に出たのだが…

京商1/64ミニカー「フェラーリ12」が発売になった。
新車は599XX EvoとFXX Kの2台であとは以前の焼き回し。このやり方をまだ続けているのか。ランボルギーニのように新車2台だけで勝負して欲しかった。
欲しいのが2台だけなので配置表頼りだが検索してもなかなかUPされない。そうだろう、だいたいは仕事から帰ってからケースを開けてみるものだ。
だが、あまり遅くなると仕事終わりに買う方が増えて“手つかず”のケースから選ぶことができない。ジレンマだ。
「配置表があっても別アソートだったら一緒だ」と、トワイライトの町に車を出すことにした。
見えにくい夕暮れ状態の中で飛び出してくるチャリのおばはんや、無謀運転の原チャリをかわしつつ“いつもの”サークルKサンクスへ向かう。
「シークレットが出たらどうしよう?」「FXX Kだけ2つも引いてしまったらどうしよう?」―などと都合の良い事を考えてしまう。まあ、これがクジの良いところだ。
実際に引いて現実を突きつけられるまで夢を見させてもらおう。
さあ、サークルKサンクスに到着だ。ファミマと統合したせいか陳列が変わっている。
いや、それどころか京商ミニカーすら置いていない!?
店員さんに聞くいてバックルームを調べてもらうと入荷予定はないとのこと。
どんなに スカ 不人気シリーズと思える時でも入荷してくれていた“頼りになる店”だったのに…。この店が置いてくれていないとこの先不安だ。
近くの第二候補店に向かう。
次の店でも置いていない! 店員さんも既に聞かれたのか「ウチは入らないですね」と即答。ガ~ン!
帰り道にあるもう1店に向かう。置いている時と置いていない時がある気まぐれな店だ。
だが、聞くまでもなくミニカーやブラインドBOX玩具一切が無かった。
ファミマとの統合で入荷状況が変わってしまったらしい。
「これで一番近所のファミマに入っていたら大笑いだ」と、念のために家から徒歩圏内にあるファミマに寄ったが、やはり無い。
もうこの近辺では置かなくなってしまった。ミニカーラックも置けるスペースが無くなってきたので、京商コンビニミニカーも卒業の時期を迎えてしまったか?
フェラーリ・レーシング・デイズで見たマシン2種だけあって欲しかったのだが…。
鹿先輩ごめんさないッ! ご当地バーガー1位・KAWAのジビエバーガー
パン工房カワに行くと、新しい「里山のジビエバーガー」(483円)が売られていた。
10月に開催された「全国ご当地バーガーグランプリ」で1位を獲得したらしい。
このテの「ご当地」「限定」モノはすぐに手を出してしまうドルフィン。
パテに和歌山県古座川町産の清流鹿を72%使用しているそうだ。
バンズが黒いのは紀州備長炭と16種の穀物を練り込んでいるから。プチプチと雑穀の感触が心地よい。
焼きチーズのせんべい、オニオンフライ、シカ肉とトマトを煮込んだラグーソースと三宝柑マヨネーズがかけられている。徹底的に和歌山産を使用している。
鹿先輩、ごめんなさい。でも吟味して作られているだけあって実に美味しい。
パテを食べても「ちょっと変わったあい挽?」と思う程度で「臭い」とか「野性味がある」とは言い切れないのだが、歯ごたえがあって噛むと味が出てくる感じが良い。
ハンバーガーとしての総合味が優れていてまた食べたくなる味だ。
いつまで販売されるのだろう?
柳田真孝選手と最後のGr.Cカー、ニッサンNP35 鈴鹿Sound of ENGINE
Gr.Cエンジンのレギュレーションが1991年から自然吸気3.5ℓメインに移行さた。ニッサンが使用するターボ・エンジンではハンデが大きすぎるために開発された3.5ℓV12エンジンと専用シャシーのニッサンNP35。
’92年JSPC最終戦にテスト参戦したものの、世界スポーツカー選手権と全日本戦がともに消滅したために、実践は僅か1戦のみで終わった不遇にして最後のGr.Cカー。
スタイルは当時の最速Cカー、ジャガーXJR-14に似ている。
エンジン規定が’91年から変更されることは前々から分かっていたので、日産でも内々の内に開発がおこなわれていた。
実のところドルフィンは’91年に日産エンジン開発責任者の林義正先生(現・東海大学工学部教授)にお会いする機会があった。その時、日産のスタッフが席を外した隙に“コッソリ”と開発中のV12エンジンの写真を見せて頂いたことがある。
まるで仕事中に生まれたばかりの我が子の写真を見せたい親ごさんのようで「本当にエンジンが好きなんだなぁ」と強く印象に残っている。
渦巻き状の水煙を上げて疾走するNP35
たった1戦のみの実戦で、その後はニスモフェスティバル等で走行しているNP35。
実車は日産ヘリテージコレクションで見たものの走行している姿を目にするのは初めて。
柳田真孝選手がドライブスルNP35のエンジン・サウンドを聞くと「これが“あの時”のエンジンが進化した音かぁ」と感慨深いものがあった。
デモレースで完成されたCカーである星野選手のR92CPとバトルしている雄姿を見ると「開発が進んでいたらジャガーすら凌駕するマシンになって、ル・マンでも好成績をあげられたんだろうな」と思わずにはいられない。
土曜日のデモレース終了ラップにはファンに手を振って応えて下さった
柳田選手にはスーパーGTでチャンピオンを獲得した2クラスの写真にサインを入れて頂いた。
「この時のゼッケンは…」と、しっかりマシンのゼッケンに合わせて数字を書き込んで下さった。その心遣いが嬉しい!
HASEMI TOMICA Z 2010年
星野一樹選手とのコンビでシリーズチャンピオン。ゼッケン「3」。
ドルフィンはこの年からデジカメ一眼+スチールカメラで使用していた望遠で撮影するようになった。
S Road REITO MOLA GT-R 2012年
ロニー・クインタレッリ選手とのコンビでGT500クラス連覇。ゼッケン「1」
ニッサンNP35 1992年
土曜日の走行写真。ゼッケン「23」。
星野選手がトークショーで「上下関係厳しいからねぇ。今日も日産の先輩方(砂子氏、北野氏)の送り迎えしてるよ」と話されていた。
当然のように一番若い柳田選手はそれ以上の気配り様が見てとれた。あれだけの大御所に交じって若い者が一人だけって結構辛いものがありそうだ。
最強Cカー星野選手のニッサンR92CP 一番古い写真にサイン Sound of ENGINE
1992年のJSPC全戦で優勝し、予選時のパワーは1000馬力とも言われている日本のGr.C最強マシン、ニッサンR92CP。
鈴鹿サーキット50thアニバーサリーで長谷見昌弘選手がドライブしたが、鈴鹿Sound of ENGINEではチャンピオンを獲得した星野一義選手がドライブした。
「グループCトークショー」で星野選手と長谷見選手が「あの時は“ワンラップ・スペシャル”っていう予選用タイヤがあって、それ使うと恐ろしいほどのスピードが出て怖かった」と未だに極限の速さに恐怖するほどだ。
R92CPに乗り込む星野一義選手
2014年に日産ヘリテージコレクションで目にした以来。
鈴鹿50Thアニバーサリーでは走行周回数が少なくて上手く走行を撮れなかったので、今回は動画で撮影してコマ抜き作戦。
Sound of ENGINEでは練習走行、デモレースと結構周回を重ねてくれたので堪能できた。
土曜日のGr.CデモレースではニッサンNP35に乗る柳田真孝選手とバトルを繰り広げた。“デモレース”でさえ前を走られるのが嫌な男・星野一義。
トークショーではピエール北川さんに「オーナーさんたちがドライブするCカーでも容赦なくインから抜いて行ってましたらからねぇ」と言われていた。
また、シケイン・カットして柳田選手の前に出た件については―
「あれはカーボン・ブレーキを温めようとしてアクセルをガッと踏んだら思ったよりパワー出てシケイン曲がれなくなっちゃってね(笑)」と語る星野選手だった。
ポルシェを追い抜き当時のレースを思い起こさせる
せっかくのヒストリックなイベント、Sound of ENGINEなのだからと、サイン頂戴用に星野選手の写真で持っている一番古いものからセレクトして 持って行った。
’77年F1日本GP コジマKE009
星野選手の写真で一番古いもの―それは’77年のF1日本GP。コンパクトカメラで“初めて”流し撮りをしたもの。
お願いしてヘルメットも描いて頂いた。
’78富士1000キロ アルピーヌ・A441/ルノー
3番目に古い写真。
このレースは長谷見選手とコンビを組んで2位表彰台。本当は長谷見選手のサインも一緒に入れて欲しかったのだが、ハコ車と違って明らかに星野選手がドライブしているのが分かるので、遂に言いだせなかった…。
このマシンは20年くらい前に、今は亡き「御殿場レーシングパレス」に展示されていた。
’82年RRCチャンピオンズ シルビア・スーパーシルエット前期型
4番目に古い写真。
スカイライン・シルエットとともに初めてスーパーシルエット・レースを見たときのもの。
今回、シルビアも走って欲しかったぁ~ッ!
―そして土曜日の日産R92CP
さーて、次の機会には5番目に古い写真―最速GC・MCSⅣの写真でお願いしようかな。
WGP250cc展示&ライダートークショー 高橋巧選手衝撃発言 Sound of ENGINE
日本人が活躍したWGP250ccクラスというと真っ先に1993年にチャンピオンを獲得したヤマハTZ250M/原田哲也選手を思い浮かべる。
片山敬済選手以来、久しぶりの日本出身ライダー(なんかしっくりこない言い方…)のチャンピオン獲得だったし、ドルフィンがロードレースを観るようになって初めて誕生した日本人チャンピオンだからだ。
トップの写真は、その年の東京モーターショーで展示された原田選手のマネキンが乗ったTZ250Mだ。チャンピオンを決めた最終戦・チェッカー後のガッツポーズを再現している。
鈴鹿Sound of ENGINEでは記念すべきレーサーは走行はしないもののGPスクエアに展示されていた。
ヤマハTZ250M 1993年/原田哲也選手
スズキRGV‐γ250 1995年/沼田憲保選手
大激戦を制して全日本250ccクラスを制したレーサー。
ホンダNSR250 1994年/ロリス・カピロッシ選手
アプリリアのマックス・ビアッジ選手、ホンダの岡田忠之選手との激戦の末、シリーズ3位となった。
ホンダNSR250 1994年/岡田忠之選手(手前)
ホンダNSR250 1994年/ラルフ・ウォルドマン選手(手前)
岡田忠之選手がGP250ccクラスに初参戦した時のレーサー。日本GPで初優勝を遂げた。
こうして見てゆくと、タバコ・スポンサーも「昨日の敵は今日の友」といった感じで年によって異なっている。
ドルフィンにとってはロスマンズ=ホンダ、ヤマハ=マールボロ、スズキ=HB/ラッキーストライクのイメージが強い。
ホンダ・ライダー トークショー
土曜日、日曜日とGPスクエアのメインステージでホンダ・ライダー4名によるトークショーが行われた。
面白かったのだが、時間が立つと結構内容を忘れちゃうんだよなぁ。
伊藤真一氏
TSRのライダーとして世界耐久選手権EWC開幕戦に出場した伊藤選手。
「いよいよ来年はホンダも新型で戦います。8耐では期待して下さい」
―え? 全日本戦ではどうなるの? とツッコミたくなった。
高橋裕紀選手と同じモリワキのフリースを着ていた。耳の横はタバコではなく、サングラスを後ろにかけているのだ。
高橋裕紀選手
来年の鈴鹿8耐について聞かれた高橋選手。
「まだライダーとか決まっていませんが、新型CBRで臨みます」
と話していると、横から玉田選手が
「裕紀の知らない事を俺は知ってるぞ~」
既にどこまで決まっているのだろう?
高橋巧選手
WGP250ccレーサーに乗った感想を聞かれ
「いつも乗っているのが市販車ベースのJSBなので、レーサーに乗ると楽しいです」と答えると
「いつもクールな高橋選手でも?」と司会。
するとよこから玉田選手が
「結構笑ってますよ。彼氏…あ、違った、彼女募集中なんですよ」と衝撃発言。
「はい、彼女募集中です」と高橋選手。
女性ファンが喜ぶような事を~!! こんな雑誌等で文字にならない事を聞けるのもトークショーの良いところだ。
ヴェンチュリに乗り込む片山右京選手とF1生活5年間 Sound of ENGINE
鈴鹿Sound of ENGINE2016のHPが公開された時、かなり初期段階でヴェンチュリLC92/ランボルギーニの参加が決まっていた。
「ヴェンチュリが来るなら片山右京氏が走るしかないでしょう」と思っていたし、スーパーGTテストで会った方とも話していた。みんなが期待していたのだ。
果たしてゲストが発表された時に片山右京氏の名前があった。やった!
デモランするとは記載されていなかったが、ここまで舞台ができているのだから走ってくれると思っていた。
土曜日の朝、ピットで整備されていたヴェンチュリLCだったが、結局は不調で出走は取り消された。
「え? 走らないの?」と驚きとともに右京氏のF1ドライブが見られなくなって残念だった。
夏のスーパーGT前夜祭でも走れなかったので、今回への期待は高かった。
土曜日のグリッドウォークでヴェンチュリの周りに人の壁が築かれていた。「もしや?」と思って駆け寄ると、コクピットに右京氏が乗りこんでいるではないか~ッ!! しかも当時のレーシングスーツで!
このファンサービスは嬉しィィィ。
コクピットでの撮影会(?)が終わるとマシン横でファンとの撮影やサインに応じてくれていた。
ドルフィンの見た感じ、同年代の女性ファンが多かった気がする。
現役時代のタイレルをドライブする写真にサインをお願いすると「お、昔の写真ですね」と言われる右京氏。
「フランス時代(※)から応援してきました!」とドルフィンが言うと「そうそう!」と周囲のファンも言い頷くのだった。
(※)F1を目指して海外武者修行しているドライバーとしてモーター誌で「日記」を連載していた。
GPスクエアのトークショーやプレミアムエリア限定サイン会とひっぱりだこだったが、合間にピット裏でも記念撮影やサインに応じて下さった。
多くのファンがマシンを囲んだ。それでもスーパーGTよりは少なくて撮りやすかった
スーパーGT時でもなかなかお会いする機会が無いので、ここぞとばかり2日間に渡り、1遭遇1枚で
片山右京選手F1生活5年間の写真にサインを入れて頂いた~ッ♪
(1996年のタイレル024は以前に頂き済み)
ミナルディM197 1997年
F1ドライブ最後のマシン。
土曜日の一番最初に頂いた。金ペンもまだ元気だ(笑)。
タイレル023 1995年
タイレル022 1994年
入賞3回、トップ走行した時もあった名機。
日曜日の一番最後、ここ一番でペンのインクが出ず薄くなってしまった(泣)。
タイレル021 1993年
そしてヴェンチュリLC92 1992年―は土曜日のもの
「あれ? これ昨日の写真ですよね?」と右京氏。
これで片山右京選手F1生活サインコンプリート。右京さんありがとうございました。












































































