可夢偉 よくやった! F1モナコGP
仕事から帰り、先に『ゴーカイジャー』と『仁』を見てしまったので、せっかくいつもより早い時間帯から放送が始まったF1モナコGPを結局は録画で見た。
午前零時を回っていたこともあり、スタート数周しないうちに“例によって”睡魔が襲った。
目を覚ませばファイナルラップ。最後に目を覚ませるところ、自分ながら凄いと思う(←まあ、寝なけりゃいいのだが…)。
小林可夢偉選手が5位フィニッシュ!? モナコで?
予選で新人パートナーに先を行かれた事から「壁にドッカン」か「エンジン、ボン」になるのでは?―と予想されたが、とんでもないことだった。
どうやって5番手まで浮上したのかは分からないが、気持ち良く“本睡眠”に陥ることができた。
観戦に行った日本人は湧いただろうなぁ。
モナコでの好成績はより良いチームに移籍する材料になるかもしれない。
モナコGPは友人が新婚旅行で行った。結婚した日は覚えていなくても、モナコGPが開催されると「アイツが結婚した時期だな」と思い出す。これはモナコに行っただけの価値ある効果だと感じる。
行った事が無いドルフィンにとってモナコは今でも憧れの場所だ。モナコの市街地をビン牛乳片手にサンドイッチを食べて歩きたい。そしてG・ヒルの写真を飾ってある花屋さんを探したいのだ(『赤いペガサス』参照)。
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ウイングカー時代の変わりF1 アロウズA2
'70年代後半のF1はウイングカー黎明期。発明したロータスでさえベストな状態がつかめず、各チームが模索し様々な形状のマシンが登場した。
全てのマシンが白塗りになっても、どの車がどのチームか分かるほど個性的なマシン達だった。あぁ、白塗りだとロータスとタイレルは違いが分からなかったか…(タイレル009はロータス79に酷似)。
ワルシュタイナー・アロウズA2もその中の1台。車体下部のウング構造だけでなく、上面でもダウンフォースを獲得しようとした。フロントサス周辺をもカウリングし、ボディと一体化した。当時の雑誌では「人間魚雷」と呼ばれていた。
当然、変わりF1大好きなドルフィンの琴線に触れるデザインだった。
日本でF1が開催されていない時期のマシンなだけに、御殿場オートパレス(現在は閉館)で実車を見られた時は感激モノだった。
展示されていたのはNo29のR・パトレーゼ車。アルミやFRPの質感に“古さ”を感じたが、雑誌で見たよりは軽そうな印象を受けた。
もっと底部を覗きこんで見たかったが、柵があり叶わなかった。
ミニカー集めを始めた頃の'06年にミニチャンプスから発売されたNo30のヨッヘン・マス車を購入。セールになっていた事とマスはサインをもらっていたのが購入のポイント。
ドライバーのフィギャは、当時F1で流行していたシンプソンのヘルメットを被っている。口元が角ばっていてスリットが入ったデザインは印象的でカッコ良かった。
シンプソンのデザインがとても好きで「ヘルメットを被ることがあれば絶対シンプソン」―と、子供心に決めていた。果たしてバイクに乗るようになってからカートレースを行っている時までシンプソンのヘルメットを被っていたのだった。

'84WECJAPANでロスマンズポルシェ956をドライブしたJ・マスのサイン
話が横道にそれたが、A2のモデルを持って、それまで見る事ができなかった“底面”を見たくて台座から外そうとした。ところが止めネジが固く、ネジ山を潰しそうだったので断念。未だに底面構造は謎だ。
1/43ミニカーになったアロウズは高木虎之介選手が駆ったマシン、A20とA2くらいなものだろう。互いに良い成績を残せなかったマシンなのが皮肉。
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暴れまくったカルソニック・インパルGT-R
'08年、満を持してスーパーGTに帰ってきた“GT-R”。参戦初年度は各チームが優勝するほど暴れまくった。
闘将・星野一義監督率いるカルソニック・インパルGT-Rは鈴鹿1000㌔と最終戦・富士で優勝。
“コアラ”みたいな顔つき(ノーズの開口部が)ではあるが、全体的にカッコイイ。さすがはスーパーカーに変貌した車両だけの事はある。
GT参戦初年度の'08年型はノーズ左右にカナードが付いている。競技車らしく顔つきが締まっていてとても良い。
カルソニック・インパルGT-R。カッコイイなぁ
写真提供:友人K.N
京商1/64「GT-Rレーシング」の1台。全車全く同じ型の色違いという手抜きとも思える規格だが、注目のマシンなだけに全チームそろえてしまった。
カナードがボディにしっかり取り付けられていないのが気になる。“個体差”ではなく全マシンそうなのだ。
通常のミニカーには無いリアウインドウ部の銀メッキが眩しく輝く。細いサイドミラーの支柱もイイ感じだ。850円という高価格設定も頷ける。
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ノスタルジックな思い スカイライン2000GT-R
今でも人気が高いスカイライン2000GT-R=ハコスカ。 その“存在”を知ったのは『サーキットの狼』である。
「スーパーカー」という名も無い“ブーム”初期に'76年F1inJAPANが開催された。「東洋で初開催のような大きなレースなら、イイ車もたくさん来るだろう」―と、F1よりもスーパーカー目当てで友人たちと観戦に出かけた。
バスも動かぬ大渋滞。ガキどもは“無謀”にも渋滞の列をたよりに歩く決意をした。
この渋滞の列の中に「GT-R」があった。
「うわ~ッ! GT-Rだ!!」当時でも希少性がある車を目の当たりにして喜ぶガキども。「どや顔」するドライバーのお兄ちゃん。
だが、渋滞の列にはハコスカ、ケンメリ、共に多くのGT-Rが存在した。ガキどもは「そんなハズはないだろう」と思った「エンブレムだけ付けたノーマルが大半なのでは?」と。
「これホンモノのGT-R?」と聞くと「本物だよ」とニヤニヤしながら答えるドライバーのお兄ちゃんたち。メチャ怪しい。
まだハコスカが現役で街中を走っている時代の話。当時は「なんちゃってGT-R」(←表現も古いッ!)も多く存在したことだろう。
時は移り現在。
ノスタルジックカーの希少性が見直され、レストア技術も進んだ。街中でハコスカを見る事は無いが、イベント等では圧倒的にGT-Rが多い。いや、むしろGT-Rしか無い。今やノーマルは絶滅してしまったのではないかと思えるほどだ。ヒグマが絶滅してもパンダは保護される―ようなものだ。
ハコスカGT-Rのミニカーは京商1/64、リアルX 1/72、コーヒー「スカイライン伝説」の1/72、トミカを持っている。リアルXは最初のGT-R-4ドアのものだ。
同じ車種でありながら造形が微妙に異なるところが面白い。似たスケールで造形の妙を楽しめるのもミニカーの良いところだろう。
スカイラインでル・マンへ R33GT-R LM1
「スカイラインでル・マンへ」―という思いから誕生したニッサン・スカイラインGT-R LM1。
一応はR33型GT-R LMという市販車が1台だけ存在するFIA GT1マシンだ。
あくまでも市販車ベースであり、レース車ベースの市販車を作ってレギュレーションをクリアしたメルセデスやポルシェに太刀打ちできなかった。
後のR390GT1同様、ル・マンの唯一戦だけのために生まれた“もったいない”マシン。
レーシング・スカイラインということと、星野一義コレクションに加えたいという思いから“初めて”京商ビーズコレクションを購入した。
モデル自体の出来の良さよりも、スポンサーロゴの多さと細かさに目を奪われてしまった。テールにはJリーグ・横浜マリノス(当時)のキャラクターも入る。室内は無着色ながら造形はされていてロールバーも入っている。
22号車とそろえようかと悩んだが、予算の都合もあり結局23号車のみ購入したのだった。
クラリオンが出した販促用テレカ&台紙・表
「22」号車を含め、6人のドライバーが紹介されている
黄色い帽子のカー用品店で、カーステレオを購入した時に「おまけ付けて」とゴネてもらったGT-R LMクラリオンのテレカ。
販促展示用に台紙ごとラミネートパッケージされていた。おかげでアルバムに貼っても簡単に剥がす事ができる。
テレカ&台紙・裏
マンセルのウイリアムズFW16に
セナ亡きあとのウイリアムズFW16を駆ってF1日本GPに出場したのは、最大のライバルだったナイジェル・マンセルだった。
ゼッケンは“レッド5”にちなんで赤の「2」を付けていた。
F1から離れていたマンセルの復帰は嬉しかった。観客の期待に応えるかのように雨の決勝レースではアレジとバトルを展開。楽しませてくれた。
アオシマ1/64ミニカーのウイリアムズFW16のゼッケンを赤くしたらマンセル車になる―ということで、画像だけ赤く塗ってみた。
マンセル車を作りたくて2台目を狙ったのだが見事にハズレてしまった。相変わらず“引きが弱い”ドルフィンである。
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限りなく「レーシング」に近い33GT-R NISMO
今回の京商1/64ミニカー「スカイライン&GT-R」はラインナップが地味だった。スカイラインはどこでもやり尽くした感じ。
各型の最高モデルはミニカー化されているので、あとはグレード・ダウンしたモデルに進むしかないのかもしれない。
そう思うと数年前に発売されたリアルXの1/72「ニッサン編」は「欲しい」と思わせるラインナップだった。

N1耐久のAPEX GT-R 田中実選手にサインを入れて頂いた
R33GT-RをNISMOがチューンアップしエアロを付けたニッサン・スカイラインR33GT-R NISMO400R。こんな魅力的な派生モデルを小スケールミニカー化するとはファンのツボを押さえている。
市販モデルではスリムで見るからに速そうだったR32型に対し“肥えて”しまったR33型。それでもエアロを付けると逆に大柄なボディ・スタイルが生きてくるのだ。
ワイドなラジエーター、サイドのエアアウトレット等、特にノーズの作り込みが良くてホレボレする。ボンネットのクボミも良いアクセントだ。
当時のN1耐久レースは市販エアロパーツなら取り付けOKだった。NISMO400RはN1耐久のために生まれた車両だけあって“実践的”なエアロだったのだ。
そういう意味ではリアルXのNISMO400Rは、スポンサーロゴが無く室内の違いこそあれ“限りなくレーシング”に近いミニカーだった。
出所不明 トミカ黒箱 セリカLBの…
整体の先生からの頂き物シリーズ(いつからそんなシリーズが!?)もいよいよ最終回。
「こんなのもありますよ」と、例によって白衣のポケットから取り出したのは、トミカの黒箱!! しかもセリカ・リフトバックとは凄い。
―ところが、手にしたその箱は軽い。開けてみるとピンバッヂだった。
先生の娘さんがどこからか入手したらしい―という曖昧な出所のセリカLB2000GTのピンバッヂ。
黒布の台座に取り付けられている。
一体どのような商品だったのだろうか?
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スカイラインR33GT-R は肥えてしまった
Gr.Aツーリングカー・レースに勝つために設計されたスカイラインGT-R R32型。贅肉を削ぎ取ったシャープなスタイルはプロボクサーの肉体のように機能美があった。
その後継車であるR33型が登場した時にはガッカリした。性能は向上しているのだろうが、ぽってりとしていて“オッサン車”のようだったからだ。
3年前、サークルKサンクス夏のキャンペーンで連続発売した京商1/64ミニカー。その一つ「スカイライン」にラインナップされたスカイラインR33型GT-R。
トミカやリアルXで既にスカイラインは持っていたので、この時も2個しか購入しなかった。その1台がR33。市販車モデルは1台も持っていなかったのでラッキーだった。現在でも手持ち唯一の市販R33である。
ボンネットが前よりに下がっているように作られているらしく、実車よりも精悍さがある。
テールの丸ランプはクリア素材だが、ウインカーとバックは塗装処理だ。
最近ではあまりR33型は見なくなった。世間的にも人気が無いのだろうか。
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初めての鈴鹿F1を思ふ ウイリアムズFW11Bピケット車
アオシマ1/64ミニカー「ウイリアムズF1」最後の紹介は、ウイリアムズFW11B/ホンダ ネルソン・ピケット車だ。
このミニカーを見ていると、初めて鈴鹿でF1が開催された'87年日本GPが蘇る―。
チケットは観戦エリアを第三希望まで書いて往復ハガキで応募する―という方法だった。
中嶋選手のF1フル参戦とフジTVの中継で「F1を生で見たい」と思う方は多く、サークルのメンバー全員にハガキを書いてもらったが指定席を獲得する事はおろか、一般観戦チケットも“やっと当選”した状態だった。
木曜日1時間の完熟走行から観戦。当時住んでいた名古屋市からバイクで“日参”していた。
予選は単独行動。遠くて往復が億劫なスプーン以外の一般観戦エリアは全て回った。決勝は友人がバスツアーでやってきた。
ウイリアムズFW11B/ホンダを駆るN・ピケット
ターボパワーで空気を切り裂いて走るF1のリアウイング端からは“飛行機雲”が出現していた。湿度が高い時には特に顕著に現れ、これがまたカッコ良かった。
上の写真は裏のストレート・スタンド(土手)から撮影。ここもこの時行った1回きり。もう足を運ぶことはないだろう。
飛行機雲だけでなく、マシン底部と路面が擦れて飛び散る火の粉も綺麗で迫力があった。
決勝は最終コーナー土手にある看板の柱に乗って観戦した。現在はコンクリートスタンドになっている場所だ。シケイン立ち上がりからスタート&フィニッシュが見られるからだ。しかし、コースを横断するフジテレビの看板が幾つも重なって、ストレートは半分くらいしか目に入らなかった。
当時は仮設スタンドはほとんど無く、従来の観戦エリアに人がギュウギュウ詰めになっていたのだ。
創成期の頃は混乱や不便さもあるが、ドライバーと観客がキッチリ区別されたり、安全のためにコースが遠くなってしまった現在よりは面白さがあった。
レース終了後はすぐに帰って、名古屋で待つ'77年富士F1を一緒に行った友人と一緒にTV観戦したのだった。
この時はまだレース後にドライバーの“出待ち”をしたり、予選の晩にボウリング場やホテル周辺でドライバーを探す楽しみを知らなかった。
チャンピオン・マシンのミニカーを見ながらしみじみ思い出す20数年前のあの日々―。
考えてみれば現在20代前半の方って、生まれた時から“当り前”のようにF1日本GPが開催されている環境が凄い。にほんブログ村
















