初めての鈴鹿F1を思ふ ウイリアムズFW11Bピケット車
アオシマ1/64ミニカー「ウイリアムズF1」最後の紹介は、ウイリアムズFW11B/ホンダ ネルソン・ピケット車だ。
このミニカーを見ていると、初めて鈴鹿でF1が開催された'87年日本GPが蘇る―。
チケットは観戦エリアを第三希望まで書いて往復ハガキで応募する―という方法だった。
中嶋選手のF1フル参戦とフジTVの中継で「F1を生で見たい」と思う方は多く、サークルのメンバー全員にハガキを書いてもらったが指定席を獲得する事はおろか、一般観戦チケットも“やっと当選”した状態だった。
木曜日1時間の完熟走行から観戦。当時住んでいた名古屋市からバイクで“日参”していた。
予選は単独行動。遠くて往復が億劫なスプーン以外の一般観戦エリアは全て回った。決勝は友人がバスツアーでやってきた。
ウイリアムズFW11B/ホンダを駆るN・ピケット
ターボパワーで空気を切り裂いて走るF1のリアウイング端からは“飛行機雲”が出現していた。湿度が高い時には特に顕著に現れ、これがまたカッコ良かった。
上の写真は裏のストレート・スタンド(土手)から撮影。ここもこの時行った1回きり。もう足を運ぶことはないだろう。
飛行機雲だけでなく、マシン底部と路面が擦れて飛び散る火の粉も綺麗で迫力があった。
決勝は最終コーナー土手にある看板の柱に乗って観戦した。現在はコンクリートスタンドになっている場所だ。シケイン立ち上がりからスタート&フィニッシュが見られるからだ。しかし、コースを横断するフジテレビの看板が幾つも重なって、ストレートは半分くらいしか目に入らなかった。
当時は仮設スタンドはほとんど無く、従来の観戦エリアに人がギュウギュウ詰めになっていたのだ。
創成期の頃は混乱や不便さもあるが、ドライバーと観客がキッチリ区別されたり、安全のためにコースが遠くなってしまった現在よりは面白さがあった。
レース終了後はすぐに帰って、名古屋で待つ'77年富士F1を一緒に行った友人と一緒にTV観戦したのだった。
この時はまだレース後にドライバーの“出待ち”をしたり、予選の晩にボウリング場やホテル周辺でドライバーを探す楽しみを知らなかった。
チャンピオン・マシンのミニカーを見ながらしみじみ思い出す20数年前のあの日々―。
考えてみれば現在20代前半の方って、生まれた時から“当り前”のようにF1日本GPが開催されている環境が凄い。にほんブログ村

