ミニカーラックへの道61 ミニカーラック全域に扉が付いたゾ!
ミニカーラックへの道61
前回、ミニカーラックの扉を2枚取り付けた。
外した旧扉の透明ペット材を流用して木枠に取り付けた。流用するので一度に全部は組み立てられないのだ。
残っているのは一番左端の側面が壁に面している部分。蝶番のネジ打ちも難しい。
取りあえずは扉を置いて蝶番を付ける位置を決めるのだが…。
位置を決める際に蝶番を落としてしまった!
「チャリン」と音がしたのだが、見当たらない。
ラックと壁の間の隙間に入ったのか? と、金定規を奥まで突き当てて下まで降ろして探ってみる。
何度も探ってみるが手ごたえが無い。
異次元空間が出現した!
蝶番は異次元に迷い込んでしまったらしい。
忘れた頃に別の異次元出口から放出されるかもしれない。
蝶番は2個一組になって売られているので、スペアは無い。
紛失してしまったがために再び買いに行かなくてはならなくなった。
そうこうしてようやく設置完了!
扉の内側には薄いスポンジテープを貼り付けて隙間を埋めるようにする。その際、スポンジテープは縦半分に切らないと扉の木枠からはみ出てしまう。二倍使えるので一挙両得。
こうしてミニカーラック8区画全てに扉の設置が完了した。
新型コロナ蔓延防止による「外出自粛」という制限が無ければこの先何年もかかっていたことだろう。もしかしたら永遠に従来型のままだったかもしれない。
さあ、次は中棚を設置してミニカーをより多く入れられるようにしなくては。
最後のレーシング・ケニー ’86年 鈴鹿8耐 TECH21平/サロン組
’85年大会限りと思っていた元世界チャンピン、ケニー・ロバーツ氏が再び参戦してくれた1986年鈴鹿8耐。
この年はWGP500ccクラスに参戦している自らのチーム同様、チーム・ラッキストライク・ロバーツ・ヤマハとしての参戦なのだから「GPチームがやって来た」ようで嬉しかった。
それだけでも8耐観戦を決める理由になるッ。
ドルフィンにとって二輪の神! 神なのだッ!!
ケニー・ロバーツ選手/ヤマハYZF750(OW80型)
ケニー選手が完成させたというライディングスタイル「ハングオン」。カッコイイ!美しい!
コーナーを攻める姿をずっと見ていたいと感じた。
レーシングスピードで走るケニー・ロバーツ選手を観たのはこれが最後になった。
前年のリベンジを期すもマシントラブルでリタイアに終わる。
残念ながら前年のようにサーキットで遭遇することは無かった。
マイク・ボールドウィン選手/ヤマハYZF750
鈴鹿8耐で初めて3勝したライダーであり、この年のWGP500ccクラスにチーム・ラッキストライク・ロバーツから参戦していた。
リベンジを目指すケニー選手にとって最高のパートナーだった。
ラッキーストライクのステッカー
ラッキーストライクのお姉さん❤
平忠彦選手/TECH21ヤマハYZF750(OW80型)
8耐参戦2年目になったが、前年よりも速い時間-レース中盤にマシントラブルでリタイアに終わってしまった。
日本一速い男・平選手。この年もお会いする事は叶わなかった。
平選手はTECH21のキャラクターとしてCMにも登場。化粧品のパッケージにも走る姿とサインが描かれていた。
クリスチャン・サロン選手/TECH21ヤマハYZF750
ゴロワーズ・タバコのイメージが強いWGPライダーのクリスチャン選手。
TECH21ブースで頂いたステッカー
昨年(2019年)の鈴鹿8耐のヤマハブースに持って行ってTシャツ頂いた。
TECH21のお姉さん❤
先頭のお姉さんめっちゃ可愛かった~。
前年型FZR750を使用したマイケル・ドーソン選手、ケビン・マギー選手組がヤマハ勢としては最上位の2位表彰台を獲得。
何故か写真が撮れていなかった。
4位:平塚庄治/塩森俊修 組/ヤマハYZF750(OW80型)
日本人ペアとして最上位に食い込む。
1986年 ヨシムラ VS モリワキ VS SP忠男RT 鈴鹿4時間耐久と紳助さん前夜祭
今年、11月に延期になった鈴鹿8耐。
恒例の鈴鹿4時間耐久は中止になってしまった。4耐込みでの「鈴鹿8耐」というイベントなので喪失感が大きい。
土曜日は公式予選日に当てられたので、大きな楽しみだった各メーカーのトークショーも無い…。
ここ数年台風直撃やらでマトモに4耐もトークショーも観られていないなぁ。
1986年鈴鹿4耐
優勝:高吉克朗/石上均 組/スズキGSX-R400
2スト250cc、4スト400ccのTT-F3とSP400の規定で行われている鈴鹿4時間耐久オートバイレース。
バイクブームとともにエントリー台数も増え、1986年は決勝進出63台の枠に589チームがエントリーしていた。予選もTT-F3がA~F組、SP400がA~D組まであり、1週間かけて予選が行われていたほど。
決勝はほぼヨシムラのR・Tミラージュ関東とモリワキクラブ、SP忠男RTの対決になった。
4耐のル・マン式スタート
4耐はシケイン席から観戦していた。
ゴール
8耐決勝前に行われた表彰式
優勝した高吉選手はヨシムラのライダーとして8耐に参戦することになる…。
MFJのステッカー
土曜日の晩には8耐テーマソング「NEXT GATE」を作詞作曲した白井貴子さんと、チームシンスケの監督として参戦している島田紳助さんとのライブが行われた。
場所は野外ステージ(現在レーシングシアターがある辺りかな?)。ステージ周囲がすり鉢状の草むら土手席になっていた。
シンガーとしての白井貴子さんを知らず、当時全日本で活躍していた女子バレーボールの選手とばかり思っていた(笑)。同姓同名、漢字も一緒だった。
島田紳助さん
毎年、監督として参戦していた紳助さんだが、姿を目にしたのはこの1回きり。
最初は「芸能人のお遊び参戦」と思っていたが、年を追うごとに本気さが伝わってきた。応援するファンも増えていった。
黄金コンビ 辻本/シュワンツ組ヨシムラ 八代/宮城組モリワキ '86鈴鹿8耐
バイクブーム真っただ中の1986年鈴鹿8耐。
サーキット周辺はバイクで渋滞が起こるほどだった。鈴鹿でF1日本GPが開催された当時のように「あまり興味が無くても行ってみる」方も多かったはず。
「キャンギャルオンステージ」は無く、グランドスタンド前でキャンギャル紹介が行われ始めたくらいだった。
ホンダやヤマハのワークス勢とともにヨシムラやモリワキも根強いファンが多いチームだ。
3位:
ケビン・シュワンツ選手/ヨシムラ・スズキGSX-750
この年、AMAスーパーバイク選手権を主戦場とし、WGP500ccクラスにも4戦しゅつじょうしていた。
鈴鹿8耐は初参戦の’85年に続いて2年連続3位表彰台を獲得。
WGPでも鈴鹿8耐でもスターダムに上ってゆくのだった。
辻本聡選手/ヨシムラ・スズキGSX-R750
’85年に全日本TT-F1チャンピオンを獲得。この年は序盤に骨折。完治せぬままの8耐本番になった。
TT-F1も二連覇を果たし、ノリに乗っていた。
ヨシムラ60周年となった2014年の鈴鹿8耐で再びケビン・シュワンツ選手とチームを組む事になる。ーのだが…。
10位:大島行弥/宮崎祥司 組/ヨシムラ・スズキGSX-R750
後にホンダ・ブルーフォックスでTT-F1チャンピオンを獲得、鈴鹿8耐でも2位表彰台に登る宮崎選手もヨシムラ・スズキで参戦していた。
5位:八代俊二選手/モリワキZERO X-7
全日本ではTT-F1から500ccクラスに転向。8耐前の菅生戦で初優勝を遂げていた。更にはモリワキメンテでWGP500ccクラスにも参戦していた。
宮城光選手/モリワキZERO X-7
昔はライト点灯時までライトカバーを付けていたんだなぁ。
モリワキと言うと八代/宮城コンビを思い浮かべてしまう。やはり黄金コンビだ。
宮城光選手/モリワキZERO X-7
この頃はちょっと不振時期に入っていたのかもしれない。
グレーム・マクレガー/レイ・スワン組/チームイクザワVFR750
イギリスのハリス製アルミフレームにVFR750エンジンを搭載。他のホンダ車とはスタイルが異なっていた。
8位:コーク・バリントン/ロバートフィリス組/ホンダVFR750
カワサキのイメージが非常に強いバリントン選手もホンダで8耐に参戦していた。
KISSのお姉さん❤
エルブ・モアノー/ブルーノ・レ・ビアン組/ケンウッド・スズキGSX-R750
スズキの世界耐久チーム。エルブ選手は’83年世界耐久チャンプ。
クリスチャン・ル・リアール/シーリー・エスビエ/ベネトンICFスポーツ・アクションGSX-R750
世界耐久シリーズに参戦するプライベーター。
当時F1トールマンを買収して自チームを持ったベネトンがスポンサードしていたので写真に撮っていた。
ヘルメットもグン・コマに似ていて、走っている所を見ると「グンか⁉」と思うほど。
ジェフ・ヘイミー/トッド・ブルーベーカー組/スズキGSX-R750
BMWK75
リザルトに残っていないので、予選突破できなかったのかも。
BMWはプロアームとは異なるリア片持ち。
KISSのお姉さん❤
KENZレーシングライダース・スズキRG500γ
プライベーター勢は2スト500ccマシンも使用していた。
KENZはショップオーナーご夫婦ペア!
スズキRG500γ
スズキRG500γ
ビモータYB4R?
同年、ヤマハFZ750のエンジンを搭載したYB4RでTT-F1世界選手権にも参戦していた。
ビモータも予選突破できなかった。
ヤマハFZ750
韋駄天・ガードナー/サロン組 完全勝利 3回目の鈴鹿8耐観戦 1986年
本来の開催日なら鈴鹿8耐開催まで一か月というところだ。楽しみで眠れぬ日々が続いていたところだ。
そして例年なら6月に入れば鈴鹿8耐テストが行われ、観に行っていた。「いよいよ今年の夏が来た」と感じたものだ。
今年は11月1日が決勝日。事前テストは行われるのだろうか?
ワールドスーパーバイク組は来るのだろうか? いや、EWC参戦チームすら来ることができるのだろうか?
まだまだ先行き不透明だ。
3回目の観戦となった1986年の鈴鹿8時間耐久オートバイレース。
前年-’85年大会限りと思っていたケニー・ロバーツ選手の再挑戦。前年にも増してWGPラーダーが参戦するようになって盛り上がりを見せた。
毎年一緒に8耐観戦していた東京の友人が来られなくなった。
バイクブームを受けてサークルの友人が「行きたい」と志願したので、彼の車で観戦に出かけた。
宿泊できる❝車❞という基地ができた。逆に彼は鈴鹿初観戦となるのであまりムチャも出来なくなった。
決勝日朝のグランドスタンド席確保争奪戦だけは参加。選手紹介が成されるグランドスタンド中央前方と日陰になる最上段裏側を確保した。
金曜日から観戦に出たので、彼は決勝日にはもうバテバテで7時間30分日陰エリアから出てこなかった(笑)。
カセットコンロを持って行き湯は沸かせられたので、カップ麺やレトルト食品で夕食を済ますことができた。
帰りは直後の大渋滞を避けてしばらく仮眠して夜半に名古屋に向けて出発。
それでも渋滞していたので、道路マップを見て裏道を探して進んでいた。
ーところが裏道を選び過ぎてかなり細い道に入り込んでしまった。ガクン! とシートから強い衝撃が伝わって来た。降りて見てみると脱輪していた。車1台しか通れぬほど細い登り坂で。夜半なので人通りもない。ドルフィン一人では持ち上げられない。
万事休す。
明るくなるまでここで待たねばならぬか~ッ⁉ と観念した時、1台のバイクが後方からやってきた。そのライダーさんも一緒に持ち上げて下さったおかげで車は路上に復帰できた。本当に感謝しかない。
名四国道に出てしばらく、友人が睡魔に負けサービスエリアで朝まで仮眠して帰途についたのだった。
鈴鹿サーキットクィーンのお姉さま方❤
コスチュームはハイレグ水着風をベースに、タンクトップ+ホットパンツ、タンクトップ+スカートの3パターン。
キャンギャルの数も急上昇していった。
選手紹介は国別
フランス組にはヤマハTECH21のクリスチャン・サロン選手もいる
アメリカ組にはヨシムラ・スズキのケビン・シュワンツ選手も登場
日本は平忠彦選手、辻本聡選手、木下恵司選手
ポールポジションを獲得したガードナー/サロン組の選手宣誓
ガードナー選手は予選から速かった。前年ポール獲得のケニー・ロバーツ選手も及ばなかった。
優勝
ワイン・ガードナー選手/ホンダRVF750
ポールポジションからスタートし、ライバルたちを寄せ付けず圧倒的速さでゴールまで突き進んだ。
史上初の連覇で「ミスター8耐」と呼ばれるようになった。
ドミニク・サロン選手/ホンダRVF750
フランス・ホンダで世界耐久に参戦の傍ら、当時はWGP250ccクラスに参戦していた。
勝利のチェッカーフラッグを受けるガードナー選手
HRCのステッカー
ホンダ・ワークスは全車プロアーム化されたRVF750を使用。
世界耐久チーム
ジェラルド・コードレイ/パトリック・イゴア組/ロスマンズ・ホンダ・フランスRVF750
木下恵司/マルコム・キャンベル組/ホンダRVF750
日産MID4、Be1出展 '85年 東京モーターショー 4輪とお姉さん編
1985年東京モーターショー、4輪で注目したのは日産MID-4の登場だ。
リトラクタブル・ヘッドライトを採用。ウエッヂ・タイプのボディに3ℓV6エンジンをミッドシップ搭載したフルタイム4WDのスーパーカー。
日本のメーカーもいよいよスーパーカーを出すのかと当時はワクワクした。ー夢で終わってしまったが。
レース仕様も同時に公開
ロードモデル
完成度が高いと評されていたが、販売価格と開発費が釣り合わない等、諸々の理由から市販されなかった。
Be-1
マーチをベースにレトロで可愛い雰囲気を持った車両にした。
こちらは市販され大人気を得た。オシャレ女子が乗っていたイメージが強い(笑)。
「パオ」「フィガロ」とレトロ調シリーズが続いた。
スバルF-9X
モーターショー4輪のお楽しみはスーパーカーメーカーの最新マシン。
ランボルギーニ・カウンタック5000クワトロボルバーレ
フェラーリ308GTS
❝バブルの象徴❞テスタロッサも同時に展示していた。
ロータス・エスプリ・ターボ
エスプリは丸みを帯びる前のこの形が好きだ。
ポルシェ959
この当時のポルシェの技術を結集した超スーパーカー。
Gr.Cポルシェ962Cのエンジンをデチューンして搭載したフルタイム4WD。ボディはカーボンこそまだ使用されていないが、ケブラーが使用されはじめている。
現在もサウンド・オブ・エンジン等で観る事があるが、他のスーパーカーとオーラが違う。フェラーリF40くらいグッとくるマシンだ。
'85東京モーターショー 好みのお姉さんツートップ
今なら「メイド風」になるだろうが、当時は「不思議の国のアリス風」だった。
スズキ・ファルコラスティコの衝撃 '85東京モーターショー 2輪編
晴海国際展示場で開催された’85年 東京モーターショー。
オートバイも現在のモーターサイクルショー並みの出展があった。実際にまたがれる市販車も数多く置かれていた。「4輪のイメージが強かったモーターショーに、こんなにも多くの2輪があるとは知らなかった」と驚かされた。
オートバイブームもあったからかもしれない。
スズキが参考出品した未来型バイク、ファルコラスティコ。
東京モーターショーに行く目的の一台だった。
ガングリップ式の操舵。可変フロントスクリーン。チェーンレス液圧ドライブ。電磁ブレーキ…。
漫画やアニメに登場するバイク以上にハイテクだ。今でも人気のコンセプトカー。
事実OVA『学園特捜ヒカルオン』ではファルコラスティコそのままが主人公マシンとして登場している。
エンジン部分は青塗りの為てっきりダミーだと思っていたが、記事を書くために調べた「Webオートバイ」によれば「実働した」そうだ。知らなかった!
VTRでも良いので実走している映像も背後に流して欲しかった。
数年前にミニカーも発売されたそうだがそれも知らず。欲しかったな。
ウオルターウルフ・カラーのRG500γとお姉さん
辻本聡選手が全日本TT-F1チャンピオンを獲得したヨシムラ・スズキGSX-R750
世界耐久選手権用スズキGSX-R750
ヤマハは鈴鹿8耐で大活躍したケニー・ロバーツ/平忠彦 組のTECH21ヤマハFZR750をカウルレスで展示。
全日本500ccチャンピオン平忠彦選手のYZR500
ホンダはフレディ・スペンサー選手が脅威のWGP500cc&250ccのダブルタイトル獲得レーサーを2台並べての展示。
NSR500
NSR250
世界耐久選手権に参戦するジェラルド・コードレイ/パトリック・イゴア組のRVF750
全日本250ccチャンピオンを獲得した小林大選手のNSR250
ホンダブースのお姉さん❤
ビモータDB1
フルカウリングされていてレーサーっぽくて格好良かった。
ドゥカティ750F1(↓)の750ccエンジンを搭載している。
ドゥカティ750F1パンタ
1985年 初めての東京モーターショーは広かった 世界で活躍4輪レーシングマシン編
1985年末に❝晴海❞で開催された東京モーターショーに初めて行った。
『サーキットの狼』の影響でスーパーカーに興味を持った時から行きたかった。モーターショーではスーパーカーや未来の車が見られるからだ。
その後「スーパーカーショー」が開かれるようになり、東京までモーターショーを観に行かなくても済むようになっていた。
時は流れレーシングやバイクにも興味を持つようになった。
’85年の東京モーターショーにはF1に復帰したホンダのエンジンを搭載したウイリアムズF1がやってくる。スズキが未来型バイクを発表する。ーこれだけでも東京まで行く価値があった。
神奈川に住む友人と東京モーターショーに出かけた。晴海国際展示場はコミケで1回行った事があった。
しかし、使用している館の数が違う。広い!こんなにも多くの建物に自動車、オートバイだけでなくトラックや周辺機器までが展示されている。会場の広さと台数の多さに驚いた事が印象に強く残っている。
じっくり見ていてはとても1日だけでは足りない。かなり駆け足で会場を回ったのだった。
ウイリアムズFW10/ホンダ ナイジェル・マンセル車
第二期F1参戦3年目の’85年シーズン4勝、終盤で3連勝した。
日本でF1が開催されていない時期だったので、現役のF1マシンが見られる貴重な機会だ。
ブラバムBT54/BMW
BMWエリアにひっそりと立てられて置かれていた。ホンダエリアのウイリアムズに比べると全然人がいなかった。
意外なところでF1を見られて嬉しかった。
ボルボ240ターボ
欧州ツーリングカー選手権(ETC)でチャンピオンを獲得。
角ばったフォルムから「空飛ぶレンガ」と呼ばれていた。
マツダ・サバンナRX-7 Gr.B
WRCに参戦。当初は20台製造の予定だったが、Gr.Bの突然の終焉によって7台しか生産されなかった。
展示車はアクロポリスラリー参戦車かな?
CM's1/72ラリーカーコレクション RX-7 Gr.B
マツダ・サバンナRX-7 GTO
マツダ737C
全日本耐久やル・マン24時間レース・グループC2クラス参戦マシン。
ムーンクラフトデザインの最終形。
トヨタ・セリカ・ツインカムターボ Gr.B
ユハ・カンクネン選手によるサファリラリー優勝車。
CM's1/72ラリーカーコレクション セリカ・ツインカムターボ
ニッサン・シルビア・ターボCニチラ(マーチ83G)
星野一義/萩原光/松本恵二 組によって雨のWEC JAPANで優勝。
パーソンズ・ルマンLM05Cニッサン
長谷見昌弘/和田孝夫 組で全日本耐久に参戦。
トラック館のポーター内に展示されていた。 「こんなところにも⁉」と発見の驚きがあった。
ミツビシ・パジェロ
日本車として初めてダカールラリーを制覇。
MG・メトロ6R4 Gr.B
Gr.Bラリーカーでありながら敢えてNAエンジンを採用。
F1ウイリアムズも車両開発に携わっていた。
ベネトン・マシンの美しさに見惚れてしまった’87年F1日本GP/スタートシーン
1987年F1日本GPでベネトン・マシンの美しさに見惚れてしまった。
刷毛で塗ったようなデザインのベネトンB186を雑誌の写真で見て「綺麗なマシンだ」と注目してはいたが、原色を配した87年型実車も今までのレーシングカーには無かった新鮮な美しさがあった。
当時、アパレルは猫も杓子も「レイトンハウス」だったので「同じアパレルならベネトンで行こう!」とベネトン派になったのだった。
ベネトンのステッカーとワッペン
ベネトンの虜になってしまってステッカー2枚、ワッペン2枚、キーホルダーを購入。
ステッカー1枚は当時乗っていた車に貼り(乗り換えで1シート分)、ワッペン1枚は後に購入するブルゾンに縫い付けたのだった。キーホルダー所在不明。
5位:ティエリー・ブーツェン選手/ベネトンB187/フォード
ノンターボエンジン搭載車でありながらシリーズランキング8位(中嶋選手は12位)。NA勢では最上位を獲得。最終戦オーストラリアでは3位表彰台にのぼっている。
素性の良いマシンを操って❝腕❞でポイントを稼いでいる感じがアリアリと伝わって来た。
昨年(2019年)の鈴鹿サウンド・オブ・エンジンで来場した際にミニチャンプス1/43ミニカーに、ブーツェン氏のサインを入れて頂いた
テオ・ファビ選手/ベネトンB187/フォード
ダンロップイメージガール・望月知子さん
同年、鈴鹿8耐では水着風ハイレグ姿も披露。綺麗な方だった。
アレッサンドロ・ナニーニ選手/ミナルディM186/モトーリモデルニ
翌年からベネトン入り。翌年、初めてお会い出来た。
好きなドライバーの一人だ。
アドリアン・カンポス選手/ミナルディM186/モトーリモデルニ
ドライバー引退後に「カンポス・レーシング」を立ち上げ、マルク・ジェネ選手やフェルナンド・アロンソ選手を輩出した。
エディー・チーバー選手/アロウズA10/メガトロンBMW
ディレック・ワーウィック選手/アロウズA10/メガトロンBMW
リカルド・パトレーゼ選手/ブラバムBT56/BMW
アンドレア・デ・チェザリス選手/ブラバムBT56/BMW
ロベルト・モレノ選手/AGS JH22/フォード
ラルト/ホンダF2で鈴鹿にも来てくれた、全日本F2にも参戦してくれたモレノ選手。パスカル・ファブル選手の代役として再び鈴鹿を走ってくれたのは感慨深かった。
後年、サウンド・オブ・エンジンでも再来日してくれた。
ルネ・アルヌー選手/リジェJS29/メガトロンBMW
ピエルカルロ・ギンザーニ選手/リジェJS29/メガトロンBMW
決勝は東京からバスツアーで来た友人とホームストレートが見える最終コーナーの土手席や、看板の上(良い子はマネしないでね)とかで観戦していた。
仮説スタンドが無かったので、あらゆるところに人が集中していた。
F1日本GPスタート
ゴール後は、余韻に浸る事無く名古屋にむけてMVX250を走らせた。
’77年の富士F1を一緒に観戦した友人と一緒にTV観戦したかったので、その時間までに帰り着きたかったのだ。
TV放送開始(午後7時だったかな?)直前に彼のアパートに到着。一緒に観戦できたのだった。
'87F1日本GP ホンダ本拠地で優勝・フェラーリ/ベルガー選手 レイトンハウス他
F1に復帰したホンダが本拠地・鈴鹿サーキットで初めて迎える母国GP、1987年F1日本GP。
鈴鹿でF1エンジンテストも繰り返してきた。ワールドチャンピオン争いもウイリアムズ/ホンダの2台でもつれ込んで来て、コンストラクターズ・タイトルは手中に収めている。
ホンダにしてみれば満を持して迎えたレースだったはず。
ふたを開けてみれば予選でナイジェル・マンセル選手がクラッシュによる欠場が決定。決勝でネルソン・ピケ選手がリタイア。
優勝はフェラーリのベルガー選手に奪われてしまった。
優勝:ゲルハルト・ベルガー選手/フェラーリF1-87
この撮影ポイントは後に火花が飛び散る場所として混雑するようになった。
フェラーリF1マシンコレクションの!/43ミニカー
鈴鹿初開催の日本GP優勝車として日本人にとっては忘れられないマシン。
第1回サウンド・オブ・エンジンにも展示・走行された。
4位:ミケーレ・アルボレート選手/フェラーリF1-87
イヴァン・カペリ選手/レイトンハウス・マーチ871/フォード
日本でもF3000やJSPCのスポンサードをしていたレイトンハウス。
当時はレイトンのアパレルを身に着けた方だらけだった。それほど爆発的なヒットを飛ばしていた。
日本でも走っていたカペリ選手だが、会ったことは無い。
中団以降のチームの選手は後にFIA GT1やDTM/ITCで聞く名前が多い。
ジョナサン・パーマー選手/タイレル016/フォード
フィリップ・ストレイフ選手/タイレル016/フォード
ヤニック・ダルマス選手/ローラLC87/フォード
フィリップ・アリオー選手/ローラLC87/フォード
アレッサンドロ・カフィ選手/オゼッラFA-11/アルファロメオ
クリスチャン・ダナー選手/ザクスピード871/ザクスピード
ザクスピードは自社開発の直4ターボを搭載していた。
マーチン・ブランドル選手/ザクスピード871/ザクスピード
















































































































































