’94 F1パシフィックGP 初めてのTIサーキット英田 完全バスツアー編
初めて日本でF1が2回開催された。好景気でF1も人気があった(レースが面白かったからね)頃―1994年。
F1パシフィックGPとして新造されたTIサーキット英田で開催。
交通事情を考慮され❝観戦券付き完全バスツアー制度❞になったというのも特異な点だ。
観客は全国各地のバス出発地点で乗車してバスでサーキット入りするのだ。
ドルフィンは大阪の友人と一緒に行くために、大阪・京橋からバスに乗ることにした。
バスツアー代が高くついてしまうので、決勝だけの1日観戦。
静岡から新幹線で大阪まで行き友人と合流。「京橋はええとこだっせ、グランシャトーがおまっせ」のCMで有名な京橋グランシャトーで入浴を済ませて出発に備えたのだった。初のグランシャトー。
夜にバスで大阪を出発。TIサーキットには朝5時頃に到着予定だった。
途中トイレ休憩1回あったが、ワクワク興奮していた事もあって寝付けず❝一睡もできぬまま❞到着してしまった。到着後はまだ寝ている方もいるので降車ドアは開かず、朝6時か7時頃にバスから降りたのだった。
朝食は事前に購入していったと思う。
ここからの雑感写真は8ミリビデオ撮影した動画から抽出したものメインで―。
TIサーキット(現・岡山国際サーキット)にはF1開催された2回しか行ったことが無い。
「TI Circuit AIDA」と花壇で描かれている
バスから降りるとトイレがてらサーキットを散策。指定観戦エリア以外の観戦場所には入れない。トイレや物販・展示エリアにしか行けない。
明るくなるとともに大勢のお客さんが動き出しているのに、トリさんの鳴き声が聞こえてくるのどかな場所。数時間後にはF1が走り出す。
トリさんも鳴くのどかなところ
ベネトンのマシンが描かれたタバコの自販機にビックリ
ベネトンB184が展示
ズラ~リと並んだ仮設トイレ
メインストレートの仮設スタンドは高層!
物販エリアは今まで行ったFISCOや鈴鹿とは違った雰囲気だった。
サーキット常設フードコートでは足りないので、地元のお店が出展していてさながら❝道の駅❞か❝地元のお祭り❞っぽかった。その感じがまた良かった。
今ではみかける「牛串」もここで初めて見た
ワインにパスタもある
観戦する指定エリア「B1」
B1指定エリアは❝F1のスタートをほぼ正面から見られる❞席だったので、ここを選んだ。日本の他のサーキットではほとんど不可能。TIサーキットでも仮設スタンドを組まなければ無理だ。
低速サーキットだからこそできたのだろう。
ストレート上にあるマールボロ看板が邪魔になるので、一番端の一番下を陣取ったのだ。
こんな感じに見ることが出来る
ピットイン&アウトも正面から
ストレートだけでなく、ウイリアムズ・コーナーや遠目だがリボルバーまで見通すことができるのだ。
トランペット奏者、日野皓正さんが生演奏
パシフックGPのテーマソング「パシフィック・ウェイヴ」を演奏していたトランペット奏者の日野皓正さんが来場して生演奏を披露。これは豪華だった。
TIサーキット自体がバブリーな背景の下で誕生したため演出もバブリー。
オープニングセレモニー
次回はレース・スタート編
初めて星野選手にお会いした ’78年富士ロングディスタンスrd.2富士1000㌔
5月のF2・JAF富士グランプリに続いて国内レース観戦2戦目となった1978年富士ロングディスタンスシリーズ第2戦・富士1000㌔。
昔はFISCOだけで耐久シリーズを組んでいた。
本当は一番人気の富士GCシリーズを観たかったが、開催日程のタイミングが合わなかった事もあり、夏休み開催の富士1000㌔に行ったのかもしれない。
トップドライバーも多く参戦し、GCで使用しているマシンや他のカテゴリーマシンも走るところも良かった。
FISCOレースカレンダー 何年分かコレクションしている
普通なら残している観戦チケットが残っていない。
「優勝者当てクイズ」応募に必要だったのかもしれない。
一番見たかったマシンは…
鞍和彦/山崎正雄 組/フェラーリディノ246GT
↑写真の謎 ― 他の方のSNSで、このディノの写真が掲載されていた。てっきりドルフィンが昔掲載した写真かと思っていら、背景に写っている人の位置が微妙に異なっていた。
ということは、その写真を撮られた方はドルフィンの横で写真を撮っていたのかもしれない。
『サーキットの狼』を連載していた少年ジャンプで「ディノがレースに出る」という前情報が掲載されていた。それでディノのレース仕様がどんなものかと見たくなったのだ。
池沢さとしセンセもアライ・ウルフ・サニーで参戦していた。
レースは「0」周リタイア。スタートすらできなかったのかもしれない。
10月の第3戦・富士500マイルレースにも再挑戦。この時は20周リタイアだった。以後はレース参戦していないと思う。もったいないが。
優勝:片山義美/浅井順久 組/ロータリーデサントマーチ
2位:長谷見昌弘/星野一義 組/シビエアルピーヌ
関谷正徳/白鳥哲次 組/静マツ紫電
富士GCで使用していたクローズドコクピットのマシン・紫電を改造していた。
エブロ1/43ミニカー 紫電
小出光夫/新井ひろし 組/にったサバンナRX-3・S
J.スウィーニー/H.アダムチェック組/ポルシェ911RSR
高原敬武/従野孝司 組/伊太利屋マーチ
ル・マン式スタート 初めて見た
#9:猪原 理/佐々木 秀六 組/ロータリーシェブロン
レース中盤に最終コーナー付近で黒煙が上がった。
スタンドで観戦していたドルフィンと友人は猛ダッシュで現場まで走った(これが若さか!)。
#7:松本恵二/藤田直広 組/ダイヤトーンシェブロンが炎上したのだ。
ドライバーは松本選手。無事に脱出してた。
後の’83年WEC JAPANでもそうだが、松本選手の大事故には何度か出くわした。
同級生のお父さんがFISCOの役員をされていて(プログラムにも名前が載っていた)、レース終了間際にその友人と合流。パドックエリアに入れて頂けた。
コース上で行われた表彰式も近くで見させて頂けた。もうワクワクだ。
表彰式
優勝の浅井順久選手と片山義美選手
「優勝者当てクイズ」を的中。
GCでもロータリーが強い時期だったので、片山選手を選んだのだった。
当選者の中から協賛スポンサーが提供してくれた賞品を割り振られ、Tシャツが当たった。
しかし、次戦開催の際にFISCOまで取りに行かなくてはならなかったので、友人に頼んでお父さんに受け取って来て頂いたのだった。
2位の長谷見昌弘選手と星野一義選手
表彰式終了後、友人のお父さんの計らいで、星野一義選手のピットに伺うことが出来た。
さらにスポンサーの方から長谷見選手が着ているのと同じ「CIBIE・elf」のTシャツをプレゼントして頂けた。フリーサイズで子供には大きかったので、数年間保管。大きくなってから着まっくったのだった。残してあるかと思って探したが残っていなかった。
初めてお会いする星野一義選手
この当時には既に「日本一速い男」としてレース界のスーパースターだった。
初めてお会い出来て嬉しくてうれしくて大興奮。
初めて頂いた星野一義選手のサイン
この当時は冷房が効いたモーターホームなど無かったので、星野選手は夏場のレースで火照った体を❝裸でバイクに乗って❞冷やしていた。
友人から「星野選手はレース後、よく裸でバイクに乗っている」と聞いていたので「あ!やってる!!」と瞬時にカメラを向けたのだった。
帰りは友人のお父さんが車で家まで送ってくれた。
車内では子供3人でレースの話題で騒ぎっぱなしだった。
マッチさんもドリキンさんも走る ’91レース・ド・ニッポン筑波 Gr.A JTC2&3 F3
筑波サーキットで開催された1991年レース・ド・ニッポン。Gr.Aツーリングカー・レースとF3がメインだった。
唯一、筑波サーキットで観たレースだ。
サポートレース(マーチかファミリアだったかな?)でおニャン子クラブのメンバーが参戦していたのだが、厳重警戒で姿を見かけることは無かった。
JTC-2
茂木和夫/小幡栄 組/B-ing Kegani-Racing BMW M3 Evo
サザンの野沢秀行さんがオーナー兼監督を務めていた。
B-ingのクレデンシャルケースを頂いて、しばらく使っていた。
川本篤/水野文則 組/タイサンBMW M3 Evo
トーマス・ダニエルソン/ローランド・ラッツェンバーガー組/Auto Tech BMW M3 Evo
福山英朗/一ツ山康 組/一ツ山BMW M3 Evo
池沢さとし/竹内浩典 組/FMR BMW M3 Evo
『サーキットの狼』池沢センセも参戦。ボンネットに『-狼』のイラストが描かれている。
Cherena Racing M3でマッチさん・近藤真彦選手も金石勝智選手と組んで参戦していた。
初・生マッチさん。
マッチさんはF3にもIMPULからシリーズ参戦していた。
JTC-3
小河等/関谷正徳 組/FUJITSU-TENトムス・カローラレビン AE92
小河等選手
’89年には全日本F3000チャンピオンを獲得してノリにノッっていた。
横島久/和田久 組/TRAMPIOカローラレビン AE92
新田守男/鈴木恵一 組/ADVANカローラレビン AE92
中子修/岡田秀樹 組/出光 無限ホンダ・シビック EF9
原貴彦/村松康生 組/PLAYBOYシビック EF9
F3
土屋圭市選手
Gr.AツーリングカーとWエントリー。
「マッチさんの周りには女性が、土屋圭市さんの周りには男が群がる」と言われていた(笑)。
一番可愛いかったキャンギャルのお姉さん❤
当時大学生で一年だけキャンギャルをされたとか…。
初めてのGr.A観戦 レース・ド・ニッポン筑波 1991年 JTC1編
前年(1990年)に復活したスカイラインGT-R(R32)は、インパルとハセミモータースポーツの2台でシーズン全勝する大活躍をみせた。
1991年にはGT-Rは6台に増え、トヨタはJTC1クラスから手を引いてJTC3クラスに絞った。フォード・シエラも台数が減ったものの、GT-R効果で人気は上昇した。
’91年レース・ド・ニッポン筑波。Gr.AツーリングカーとF3がメインレース。
筑波サーキットはバイクで行った事はあったが、レースを観るのは初めてだった。Gr.Aツーリングカー・レースも初体験。
8月の夏休み中の開催とあって、サーキットまでの道も細く混んでいたが駐車場もいっぱいだった。
筑波サーキットのテレカ
迫力あるマシンの接戦バトル。「これは人気出るわ」と感じた。
しかし、翌年での終了が決まっていたので「観ておきたい」と思うファンが詰めかけていたのだろう。
優勝:長谷見昌弘/アンデルス・オロフソン組/リーボック・スカイラインGT-R
リーボック・スカイラインの影響で、当時はリーボックのハイカットシューズを履いていた。
2位:高橋健二/土屋圭市 組/タイサン・スカイラインGT-R
市販GT-Rが登場して以来、インプレッションしたりビデオドラマ『首都高速トライアル2』にも登場していた土屋圭市選手がGT-Rでレースするので一番注目していた。
高橋健二選手と土屋圭市選手
R32GT-Rが良く似合う土屋圭市選手
3位:星野一義/鈴木利男 組/カルソニック・スカイラインGT-R
前年、チャンピオンを獲得してゼッケン「1」を付けていた。
星野一義選手
鈴木利男選手
4位:影山正彦/清水和夫 組/AXIAスカイラインGT-R
カラフルなカラーリングで格好良かった。1年だけで終わってしまったのは惜しい。
「ハイレグが凄い」とポーズをとる(実話)影山正彦選手
沖友龍晴/山田英二 組/NISMOザウルスチャンプGT-R
日産ザウルスカップ東西のチャンピオンがドライブ。スパ24時間レース用テスト車両だったらしい。
シーズン中、2戦だけ参戦。
見崎清志/長坂尚樹 組/FETシエラRS500
一時は猛威を振るっていたフォード・シエラも復活したスカイラインGT-Rの前では型落ちマシンになってしまった。
FETもシーズン最終戦からGT-Rを使用することになる。
ミハエル・シューマッハ唯一のF3000は衝撃的 1991年・菅生
ミハエル・シューマッハ選手が唯一参戦した1991年の全日本F3000・菅生戦。
ドルフィンにとってもスポーツランド菅生まで行ったのはこの1回きり。東京に住んでいたが遠かった~。
ミハエル・シューマッハ選手+菅生という思い出深いレースだ。いや、むしろその2点しか覚えていないと言っても過言ではない。
F3000冠スポンサーの日本信販のレースクイーン
ミハエル・シューマッハ選手がF3000に乗ると話題になった一戦。
シューマッハ選手はWSPCでオートポリス、インターF3リーグで富士スピードウェイを走り、来日経験はあったが観に行く機会が無かった。
2位:ミハエル・シューマッハ選手/ラルトRT23/無限
英語翻訳した❝アンチョコ❞を持って行き、ピット裏でシューマッハ選手と少しばかり話をした。「初めてのF3000、初めてのコースはどうか?」とか他愛のない内容だったが、キッチリ対応して下さった。これには「メルセデスのドライバー教育ができているんだろうな」と感じた。
ここまで接点がありながらサインは頂いていない! 写真は女性ファンが求めたものだった。そこで時間切れ。
シューマッハ選手は数戦は全日本F3000に参戦する予定だったので❝次の機会❞に—と余裕だったのだ。
だが❝次の機会❞は無かった…。
F1に行った後もサインを頂く機会は無く、アイルトン・セナ選手同様、至近距離にいながらサインを頂いていない選手となってしまった。
これを猛省し「次がある」とは考えずにチャンスは生かす―という考えになった。
この年の主軸シャシーはローラ91で、ラルトの戦闘力はアップデートパーツを取り付けても到底上位争いはできるものではなかった。
だが、シューマッハ選手はやった。
初めてのマシン、初めてのコースで予選4番手。決勝でも2番手争いに夢中になっていた先行2台を1コーナーで一気に抜くテクニックと駆け引き。「こういうヤツがF1でチャンピオン獲るんだろうな」と感心した。そしてシューマッハが好きになった。
’91年に配られていたサントリーWESTのステッカー。レギュラードライバーのジョニー・ハーバート選手

優勝:ロス・チーバー選手/プロミス・レイナード91D/無限
3位:中谷明彦選手/トステム・ローラT90/無限
服部尚貴選手/PLUSローラT90/無限
片山右京選手/CABINローラT91/DFV
F1ステップアップが確実視されていたが菅生では不発だった。
カウルは独自改良が成されている。今でもサウンド・オブ・エンジン等に登場してくれる。
星野一義選手/CABINローラT91/無限
ヤン・ラマース選手/OMRONダンロップ童夢F102/無限
松本恵二選手/HOYUダンロップ童夢F102/無限
古谷直広選手/ワコール・ダンロップ・ローラT90/無限
関谷正徳選手/レイトンハウス 90B/無限
マーチを買収したレイトンハウスのオリジナルシャシーを使用。
田中実選手/レイトンハウス・ラルトRT23/無限
長谷見昌弘選手/スピードスター・ダンロップ・ローラT91/無限
中子修選手/CherenaローラT91/無限
中嶋企画からエントリー。スポンサーは結婚式場。
トーマス・ダニエルソン選手/アコムエボリューション・ローラT91/無限
キャンギャルの宣材写真
ジェフ・リース選手/伊太利屋 ハヤシ・ローラT91/無限
星野選手/NOVA532で優勝 ’78JAF富士グランプリ 初の国内レース観戦
レース観戦3回目にして初の国内レース観戦(1、2回ともF1だった)となった1978年JAF富士グランプリ。
’77年F1日本GPを一緒に観戦した友人と「今度はF2観に行こう」ということになった。彼は今でも2輪4輪ともに詳しい。
行きは国鉄とバスを使ってFISCOに行った。
帰りはパドックを回っているうちにバスが無くなってしまったので❝ヒッチハイク❞したのだった。地元ナンバーの車を見つけて声をかけてお願いしたのだ。
実はパドックにあるダンロップタイヤの基地で、友人とともに国さんが使ったフロントタイヤを頂戴していた(予選か決勝かは不明)。子供2人とタイヤ2本。
一人で来られていたお兄さんが車に乗せてくれた。タイヤはトランクに。
御殿場駅でも良かったのだが、なんと地元の最寄り駅まで送ってくれた。親切に感謝しかない。
F2の決勝が終わった後に何とかしてパドックに入ろうとしていた時、サポートレースのスタッフの方が帰られていたのでクレデンシャルを頂いたのだった。
パドックで生沢徹選手にお会い出来、パンフレットにサインをして頂いた。
その後、長谷見昌弘選手にサインを頂いたのだが勢い余って生沢選手のサインと重なってしまった「あ! 生沢の上にしちゃった」と言われた長谷見選手が忘れられない。
生沢選手のサインはこの一枚しか持っていない。
サインを頂いているので手元に残してある数少ないプログラムの一冊
日曜日は全7カテゴリーの決勝レースが開催された。
レースとレースの間隔が短くて楽しめた。
写真はF1の時と同様、祖父のコンパクトカメラを借りて36枚撮りフィルム1本のみ。
JAFグランプリ・F2
第6レースとして午後2時スタートだった。
フィニッシュライン付近からマシンを押してコースイン
ポール・ポジション:星野一義選手/PENTAX NOVA532P/BMW
予選2番手:長谷見昌弘選手/トミカシェブロン/BMW
予選3番手:中嶋悟選手/UNI-PEX NOVA532P/BMW
予選4番手:ラリー・パーキンス選手/ラルトRT1/BMW
パーキンス選手はグランプリ招待選手。元F1ドライバー。ポイント獲得には至っていない。’76年inJAPANでも来日。
予選7番手:松本恵二選手/ダイヤトーンシェブロン/BMW
予選8番手:生沢徹選手/シェブロンB40/BMW
F2は全15台と、今見れば寂しい台数だった。
スタンドの上に移動してグリッドを撮影
レースクイーンのお姉さん❤
ドルフィンが初めて撮影したレースクイーン。当時は「レースの記録」として撮影していた。
当時プリントした写真は色褪せてしまっているので、近年になって再プリントしてドライバーの皆様にサインを入れて頂いた写真を掲載。
桑島正美選手/ワールドモーターSPLラルト/BMW
「黒い稲妻」の異名を持ち、カッコ良かった。
レース後に頂いた桑島選手のサイン
高橋国光選手/スピードスターKE008/BMW
中嶋悟選手/UNI-PEX NOVA532P/BMW
長谷見昌弘選手/トミカシェブロン/BMW
優勝:星野一義選手/NOVA532P/BMW
右端に写っている紅白の傘はPENTAXガールのお姉さん達❤ 星野選手を応援していて仲良くなった。恥ずかしくて「写真撮らせてください」と言えなかった…。
ピットに引き上げる時にPENTAX RACINGのワッペンを下さった。
車検場に持っても来られたPENTAX NOVA532P星野車
星野選手にはお会い出来なかったが、優勝マシンを間近で見ることが出来た。
群を抜いてカッコイイF2マシンで大好きだ。
Headway Technology製1/43ミニカー、NOVA532P/BMW
PENTAXのTVCMをポジフィルムっぽく仕上げた栞
UNI-PEX NOVA532P中嶋悟車
ニコ・ニコル選手にプログラムにサインを頂いた
タイヤカラールノー/BMWで全日本F2に参戦していた。
最終レースのFJ/FP決勝をピット裏の土手で見ておられた高橋国光選手を発見。
ダッシュでドライバーズサロンに色紙を買いに行きサインを頂いた。国内ドライバーで初めて頂いたサイン。
当時はまだ国さんでさえ❝ちょっと怖い❞雰囲気を醸し出していた。
アルバムの台紙をくり抜いて保存していたが、ここ数年で何度か写真に撮っていたため劣化が激しくなってしまった。
TS・GTSチャンピオンレースB
改造されたマシン。アニメ『グランプリの鷹』第一話で轟鷹也のデビュー戦はこのクラスではないかと想像している。
TS・GTSチャンピオンレースA
プログラムを見直すと、この組は有名どころが多数参戦していた。
ポール・ポジション#20舘信秀選手 #24和田孝夫選手 #18見崎清志選手 #20都平健二選手
#40は萩原光選手。当時22歳くらい。
FL500レース
JTCC 1996年開幕前富士テスト3月編 ウイングが付くだけでカッコ良くなる
発足3年目となる1996年の全日本ツーリングカー選手権(JTCC)は4月に富士スピードウェイで開幕。2月テストから一か月おいて3月にも合同テストが行われた。
開幕前に同一サーキットで一か月おきにテストを行うとは、当時は各メーカーともJTCC推しだった。
確か’95年から元から付いている以外に一種類だけ空力パーツの装着が許された。年に一種類なので、二年目は二種類目を申請できた。
リアウイングが取り付けられただけでグッとレーシングっぽくカッコ良くなった。
天気が良い日だったが3月の富士は冬並みに寒かった。
星野一義選手/カルソニック・プリメーラ
京商1/64ミニカーとトミカ「星野一義コレクション」
影山正彦選手/ニユシアジェックス・カミノ
本山哲選手/ザナヴィ・サニー
長谷見昌弘選手/HKSオペル・ベクトラ
ミハエル・クルム選手/エッソトーネン・トムス・エクシヴ
2月テストは不参加だったクルム選手も今回は走行。
関谷正徳選手/ゼントDJトムス・エクシヴ
エリック・コマスや田中実選手も走行。
トヨタ勢は多くの台数がテストに参加。JTCCに力を入れていたのが分かる。
光貞秀俊選手/デンソー・エクシヴ
中子修選手/カストロール無限アコード
シーズンは中子選手と服部選手のホンダ勢がチャンピオン争いを展開することになる。
服部尚貴選手/JACCSアコード
黒澤琢弥選手/PIAAアコードVTEC
粕谷俊二選手/シムス・インプレッサワゴン
シムス・レーシングが、TWRボルボも採用したワゴン車を採用。
プライベーターだったので、なかなか熟成できなかった。
中谷明彦選手/オートテックBMW318i
ミニカーラックへの道59 取り出した旧型棚板を改造 マクラーレン&星野コーナーに
ミニカーラックへの道59
ミニカーラックの新しい棚板を入れ、旧型を取り出した。
透明材を支持する横棒を取り付ければすぐに使えると思っていたが、旧型は透明材と本体が平らになるようにしていたので支持棒を取り付けられない。
これは完全にパーツを分解するしかないか? と思ったが、透明材が湾曲しないための支持棒なのだから、左右を接着するだけで行けるのではないか? と❝なるべく簡単❞な方法を考え付いた。
6ミリ四方の断面を持つ棒を木工用ボンドで左右に接着する。
「お? いけるんじゃないか?」と思ったがポロリと落ちてしまうものもあった。
やはり強度不足だった。
こうなればミニカーラックのカバー扉を組み立てる際に使った細い釘を打ち込むしかない。
だがこれが難しい。断面6ミリ四方の棒に2センチ弱の長さの釘をきれいに打ち込む事が出来ない。途中で先端が横に突き出てしまうのだ。
抜くと釘が曲がってしまう。8ヶ所打ち込むのに4本も釘をダメにしてしまった。
これで強度は保てた。
塗装を済ませて透明ペット材を貼り付ける。
ミニカーラックにはめ込むためにダボを購入してきた。
ところが「このくらいの穴のおおきさだろう」と当てずっぽうで買って来たのだが太過ぎた。穴に入らない。雑な性分が出てしまった。
太いので鉛筆を削るようにカッターナイフで細く削って穴に入るようにする手間がかかってしまった。
こうして7枚の棚板ができ、しばらく手を付けていなかったエリアに手を入れることができた。
マクラーレン&小林可夢偉コーナー
星野一義コーナー
ケース入り1/43ミニカーの奥に京商1/64ミニカーを立てて置くので段差を付ける板を貼った。この方法は旧型から
星野コレクションの旧型に初期の一枚板があった。足を取り外してカッターナイフで跡を平らにし、ビス引っかけ用の棒を取り付ける。
ラックの一番上に取り付けるので採光のために透明材を貼らなくてもよいだろうと。
最上段はスバル&三菱をメインにラリーカーコレクション
今回取り出した旧型を改造して棚板を作って入れることにする。















































































































































































