CLUB24-にいよんー -141ページ目

星野一義選手最後のフォーミュラ/脇阪寿一選手デビュー ’97年フォーミュラニッポン開幕前テスト

 1997年3月27日に行われたフォーミュラニッポン開幕前・鈴鹿テストを観に行って来た。

 

星野一義選手/TEAM IMPUL/ローラT96/無限

 フォーミュラニッポン元年には開幕戦優勝を果たした星野選手。

 テストでも走行していたが、約1か月後の4月24日にフォーミュラ引退を発表しレース界に衝撃が走った。

 僅かしか撮れなかったがフォーミュラニッポンに乗る星野選手はこれが最後の写真になってしまった。

 一か月前にFISCOテスト(9月7日に記事UP済み)で走行写真を撮っていたので、この時はあまり写真を撮らなかった。後にして思えばもったいなかった。

 

 

影山正彦選手/TEAM IMPUL/レイナード96D/無限

 一か月前に星野選手がFISCOでテストしていたレイナードは影山選手に委ねられた。

 

影山正美選手/NAVI CONNECTION RACING TEAM/レイナード96D/無限

 シーズン後半には表彰台上がり、躍進した年だった。

 

山本勝巳選手/NAVI CONNECTION RACING TEAM/レイナード96D/無限

 

脇阪寿一選手/TEAM ANABUKI童夢with無限/童夢MF308/無限

 前年に全日本F3チャンピオンを獲得した脇阪選手が童夢からフォーミュラニッポン・デビュー。

 デビューイヤーは表彰台に届かず最高4位。

 

菅田将暉さんぽい爽やかな笑顔がステキ 

 

にほんブログ村 バイクブログ バイク モータースポーツへ
にほんブログ村

にほんブログ村 車ブログ 車 モータースポーツへ
にほんブログ村

にほんブログ村 コレクションブログ ミニカーへ
にほんブログ村

 

1997年フォーミュラ・ニッポン 開幕前鈴鹿テスト チャンプ候補トラとデラ

 1997年3月末に行われたフォーミュラニッポン開幕前テストを観に行って来た。

 当時住んでいた静岡から愛車・ホンダS-MXに乗って鈴鹿サーキットまで走った。前日の晩に出発して車中泊したと思う。「泊まりでサーキットに行けるように」とS-MXを選んだのだから。

 平日休みだったのでテストは観に行きやすかった。現地で大阪の友人と合流して行動を共にした。

 ’97年は使用シャシーはローラかレイナード。童夢が1台。エンジンはほぼ無限でジャッドとコスワースが1台ずつだった。

 

高木虎之介選手/PIAA NAKAJIMA RACING/レイナード97D/無限

 フォーミュラニッポンのチャンピオン最右翼、次期日本人F1ドライバーと評されて注目を浴びていた。

 この年はF1進出を踏まえてタイレルのテストドライバーを勤め、F1前座のポルシェカレラカップに出場してサーキット習熟に務めた。

 虎之介選手はピットの外に滅多に出てこなかったので、なかなかサインを頂けなかった。

 

 昨年・2019年の大阪オートメッセのガズー・ブースでのトークショーにゲスト来場された際に「私も静岡出身なので、静清信用金庫のCMに出られていたので口座作りました」とか話をさせて頂いた。「へぇ…懐かしいな。ありがとうございます」と言われていた。

 

 

インタビューを受ける中嶋悟監督

 

本山哲選手/FUNAI SUPER AGRI/レイナード94D/無限

 トップフォーミュラ参戦2年目。

 序盤は型落ちレイナード94Dだったが後に97Dにチェンジ。シーズン最高は4位。

 

ペドロ・デ・ラ・ロサ選手/SHIONIGI TEAM NOVA/ローラT97/無限

 ’95年に全日本F3チャンピオンを獲得し、フォーミュラニッポン参戦2年目。

 シリーズ全戦表彰台を獲得する圧倒的強さでFN二代目チャンピオンを獲得することになる。

 また、同年はカストロール・スープラでJGTCチャンピオンも獲得し、フォーミュラ、GTのダブルチャンピオンになった。

 テストドライバーを獲て1999年にアロウズからF1デビュー。チームメイトは虎之介選手だった。

 さらに2010年にはザウバーで小林可夢偉選手のチームメイトでもあった。

 途中テストドライバー期もあったが、ドルフィンが一時レースを全く見なくなっていた時期を経て再び見始めたらまだ走っていて「息が長い!」と感心した。

 

飯田章選手/SHIONIGI TEAM NOVA/ローラT97/無限

 ’96年に国際F3000フル参戦を経て全日本復帰。

 インター3000の経験をどのように生かすか楽しみだったが、チームメイトに完全に差をつけられてしまったのは残念だった。

 

にほんブログ村 バイクブログ バイク モータースポーツへ
にほんブログ村

にほんブログ村 車ブログ 車 モータースポーツへ
にほんブログ村

にほんブログ村 コレクションブログ ミニカーへ
にほんブログ村

 

1997年3月 ホシノレーシング&NISMO富士テスト 未来の帝王、GT500クラスへ

 ホシノレーシングNISMOのテストがあるとの情報を得て1997年シーズン開幕前の3月13日に富士スピードウェイに行って来た。

 当時は平日休みだったので、決勝レースには行けなくても平日のテストは観に行くことが出来た。しかもFISCOまで下道1時間だったので行きやすかった。

 3月の御殿場はかなり寒い。防寒服を着込んで朝から出かけた。

 

星野一義選手/レイナード96D/無限

 長年ローラ派だった星野選手がレイナードで走行⁉

 リアウイングから察するに、前年の服部尚貴選手のX-JAPAN レイナード!!

 ボディはカルソニック・ブルーに塗装済だが、前後ウイングは赤のまま。

 

本山哲選手/カルソニックGT-R

 前年、ホシノレーシング・パーソンズシルビアでGT300に参戦していた本山哲選手が、遂にカルソニック・スカイラインでGT500デビュー!

 後に「GTの帝王」と呼ばれる男が最高クラスにステップアップした瞬間だ。

 

ドアには星野選手とともに本山選手の名前が入る

 

星野選手からも指導が入る

 

 

NISMOの占有走行枠なのでGT300シルビアN1耐久GT-Rもテスト走行していた。

 

大八木信行選手/ダイシンシルビア

 ’97年用マシンのシェイクダウンだったようだ。

 

 

ダイシンシルビアのコクピット

 

市販車をベースにして車が作られている様が分かる


 

砂子智彦選手/プリンス東京フジツボ・GTR

 

山路慎一選手/ススキレーシングGT-R

 

 

にほんブログ村 バイクブログ バイク モータースポーツへ
にほんブログ村

にほんブログ村 車ブログ 車 モータースポーツへ
にほんブログ村

にほんブログ村 コレクションブログ ミニカーへ
にほんブログ村

 

ル・マン24時間コレクション51号 童夢3年目の挑戦 Dome RL-81

 ル・マン24時間レース・カーコレクション、最新51号は3年目の挑戦となった1981年の童夢DomeRL-81

 3月発売の40号「RL-80」から半年で後継機の登場だ。購入したのも半年ぶり(笑)。

 モータースポーツ誌を貪るように読んでいた頃のル・マン参戦車であり、スーパーカー・コンストラクターだった童夢のマシンなので手元に置いておきたかった。

 実車は見た事が無い。

 

ブリスターがヘニャってる

 外箱を開けるとブリスターの端がヘニャっていた。中の商品には別条ないのでドルフィンは捨ててしまうブリスターがどうであろうと関係ないのだが、ブリスターごと保管している方にとっては気になる所だ。

 出版元のアシェットも号を経て購入者が減ってきているので、細かいところには気をつけなくなってきているのだろう。

 

 「81」は前機「80」の小改良版だけあってスタイリングはほぼ同型。ミニカーを見ても「同じ型でカラーバリエーションが違うだけか?」と思うほど。

 よく見ると車体後部が僅かに異なっていた。後部に大小3つあるNSCAダクトの大きさが異なるくらい。あとはフロントのホイールが異なっている。

 ルーフに立つソフト素材のアンテナの長さが僅かに違っていた(個体差?)。

 

 メインスポンサーは後に日産のGr.Cカーをスポンサードする金属加工機メーカーのAMADA。

 青地に黄ラインという目立つ配色になっている。


 当時のル・マン最高クラスのGr.6規定に合わせて作られている。

 完走した前年よりも好成績が期待されていたが、朝を迎える前にエンジントラブルでリタイアになってしまった。

 翌年からFIAグループ分けが変更になり、主軸マシンはGr.Cへと移行していった。

 童夢はトヨタ・トムスと組んで車体開発を続けて行ったのだった。

 

 Cカー時代の童夢のマシンもスタイル好きだな。

 

 

 

にほんブログ村 バイクブログ バイク モータースポーツへ
にほんブログ村

にほんブログ村 車ブログ 車 モータースポーツへ
にほんブログ村

にほんブログ村 コレクションブログ ミニカーへ
にほんブログ村

 

スカイラインRSターボ初優勝 ’82年RRC富士チャンピオンズ・スーパーシルエット

 大人気を博したスーパーシルエット・レース。やはり日産ターボ軍団3台がそろってからが爆発的になったのではないだろうか。暴走族問題も引き起こしてしまったが。

 一番最後に筑波でデビューしたトミカスカイラインRSターボ。雑誌で見て一目惚れしたほどの格好良さ。今でもロータス79と双璧を成す一番好きなレーシングカーだ。

 トミカスカイラインRSターボを見たくて大阪から静岡に帰省して友人とともに’82 RRC富士チャンピオンズレース観戦に行った。

 

 スーパーシルエット・レース自体が初観戦。

 雑誌で見て来たがシルビアもブルーバードもM1も実際に見ると数十倍カッコイイ! プライベーターのほとんどが使用していたRX-7はマツダがル・マンやデイトナに使用したモデルや、漫画『ドロファイター』のダブルニッケル編でノブが乗っていたマツダ252iっぽくもあって親しみが沸く。

 

長谷見昌弘選手/トミカスカイラインターボ

 スカイラインGT-Rの52勝は既に本で読む❝伝説❞となっていたので、初めてリアルタイムで活躍を追える「レーシングスカイライン」の登場だった。

 市販スカイラインRS自体シャープでレーシングな雰囲気があって好きだった。『西部警察』でもマシンRSとして登場していた。

 「鉄仮面」になる後期型より断然三本フィングリルの前期型が格好良い。

 注目のデビュー戦・筑波では早々にリタイアしてしまったので、富士でのレースが一層注目されていた。

 アフターファイヤーが見られる第一コーナーの土手席で観戦した。

 なかなか炎が大きく吹き上がるタイミングでシャッターが切れなかった。

 

2019年のサウンド・オブ・エンジンで長谷見選手にサインを入れて頂いた

 

2016年のスーパーGTテストで長谷見監督にサインを入れて頂いた

 ドルフィンがミニカーを集め始めた時にはエブロ1/43ミニカーは絶版モデルでオークションにすら出てこない希少品だった。

 ラジコンのカウルにもディスプレイにもなるミニッツレーサーで初入手。初めて1/43スケール以上のミニカーだった。

 

レース後、車検場でマシンを間近で見ることが出来た

 

星野一義選手/ニチラインパルニッサンシルビアターボ

 日産・ガゼールターボとほぼ同型(流用?)でリアウイングが装着された。インパルのホイールに目が行く。当時このホイールモデル憧れだった。同級生の何人かは「車買ったらインパル履く」と言って実行していた。

 登場当時はリアウイングは無かったと記憶する。

 スカイラインやブルーバードに比べてコンパクトに見える。

 レースでは長谷見スカイラインとトップ争いをしていたがトラブルでリタイア。

 

 

 

2位:柳田春人選手/コカコーラブルーバードターボ

 朝の予選時は前日にクラッシュしたのかリアがFRP地剥き出しのままだった。

 決勝までには綺麗に塗装されていた。

 この時はまだエアロに試行錯誤している武骨感があった。赤一色というのも重く見えた。

 翌年あたりからもっとシュッとしたスタイルになる。

 柳田選手は最初はガンメタのガゼールターボに乗っていた。『西部警察』でフェアレディZが川越え大ジャンプする「栄光への爆走」で走行シーンが映し出されている。

 ガゼールターボはミニカー化されていないので、是非とも発売して欲しいものだ。

 

2019年のサウンド・オブ・エンジンで柳田選手にサインを入れて頂いた

 

#77 戸谷千代三選手のレノマスペシャル253をストレートでブチ抜くターボパワー

 

3位:長坂尚樹選手/オートビューレックBMW M-1

 F1前座のプロカーやGr.5レースで活躍していたBMW M1。日本に持ち込まれた時は勝ちまくっていた。

 

2019年のサウンド・オブ・エンジンの際に長坂選手にサインを入れて頂いた

 間近で見ると意外に大きかった。少し丸みを帯びたウエッヂタイプのボディラインがとても綺麗で、流石はBMWと思わせるマシン。

 

古谷雄史選手/RSハラダ71カローラ

 

石川仁選手/ユアーズスポーツRX-7

 

スーパーシルエット・レース

フォーメーションラップ~スタート

 スタートは第一コーナーの土手スタンドで見ていたが、ゴールシーンが見たくて全員ダッシュでグランドスタンドに移動した。若かった!

 おかげでスライライン初優勝シーンを見ることができた。

 

優勝:長谷見昌弘選手/トミカスカイラインターボ

 

マシンから降りた長谷見選手を待ち構える多くのカメラマン

 見たかったスカイラインシルエットとその優勝が見られて感激した。

 

にほんブログ村 バイクブログ バイク モータースポーツへ
にほんブログ村

にほんブログ村 車ブログ 車 モータースポーツへ
にほんブログ村

にほんブログ村 コレクションブログ ミニカーへ
にほんブログ村

 

’88年F1日本GP フェラーリ、タイレル、リアル、アロウズ

 鈴鹿サーキットでの開催2年目の1988年のF1日本GP

 それまで210ミリズームレンズしか持っていなかったが、300ミリ望遠を日本GPの時だけ知り合いから借りることができた。前年よりはアップで撮影できたが、初めて使ったので明るさが取れず、シャッター速度優先で撮影したので写真が暗くなってしまったものが多い。

 ところが、現在再プリントしてみるとネガ退色が進んで割りと❝ちょうどいい❞感じになっているのだ(笑)。

 

11位:ミケーレ・アルボレート選手/フェラーリF187/88

 ’88年も含め3年連続して2位表彰台が最高成績。

 この年限りで長年在籍したフェラーリから離脱することになる。

 

 日本でF1が開催されていない時期-モーター誌を夢中になって読んでいた頃が一番ノッている時だった。イタリア人のアルボレート選手がフェラーリで優勝し、もうとんでもない騒ぎになっている写真が掲載されていた。

 そんな印象があるので、思うような成績が上げられないアルボレート選手に違和感すら感じていた。

 

4位:ゲルハルト・ベルガー選手/フェラーリF187/88

 シーズン16戦中15勝したマクラーレン。以外で唯一の勝利を飾ったのがベルガー選手だった。

 イケメンでもあったので前年の日本GP優勝から日本でも人気が高まった気がする。

 鈴鹿2連覇を狙っていたが表彰台すら厳しかった。

 

 友人が光の反射が「十字」になるクロスフィルターを持って来たので、借りて付けさせて撮影。

 

 

14位:ジュリアン・ベイリー選手/タイレル017/フォードDFZ

 金曜日の晩にホテル近くを歩いているベイリー選手と遭遇。

 

 F1は1年で終了し、日産のGr.CドライバーとしてWECやル・マンを走った。この時は鈴鹿でお会いしていたので応援していた。

ジュリアン・ベイリー選手のサイン

 

12位:ジョナサン・パーマー選手/タイレル017/フォードDFZ

 

アンドレア・デ・チェザリス選手/リアルARC1/フォードDFZ

 130Rでクラッシュ。

 タイヤバリアに突っ込んだマシンを見つめる姿に悲壮感が漂う。

 レース後、グランドスタンド裏に現れた際にサインを頂いた。

アンドレア・デ・チェザリス選手のサイン

デレッィク・ワーウィック選手/アロウズA10B/メガトロン(BMW)

 F2を作っていたトールマンがF1進出の際にワーウィック選手もデビューしたので、トールマンでの印象が強い。

 F1では優勝できなかったが、後にWSPCでプジョーを駆ってチャンピオンを獲得する。

 

 金曜日の晩にボウリング場で遭遇できた。

デレッィク・ワーウィック選手のサイン

ピエルカルロ・ギンザーニ選手/ザクスピード881

 独自開発の直列4気筒ターボエンジンを使用していた。

 ギンザーニ選手の写真がこの年で一番上手く流し撮りが撮れた。

 

アレックス・カフィ選手/スクーデリアイタリア・ダラーラ/フォード

 スクーデリアイタリアはチームとして参戦初年度。

 


ビル大友さん

 少年の頃、この方の文章に胸躍らせていた。F1や海外レースの迫力や情熱が文字から伝わって来た。

 お会いした際に夢中になって読んでいた感激をお伝えした。

 ❝伝える側❞のサインなど頂くことは皆無だが、この方だけはお会い出来た証が欲しかった。

エマニュエル・ピロ選手

 当時、マクラーレンのテストドライバーを務める傍ら全日本F3000にも参戦していた。

 写真を撮らせて頂く所まで行っていたのに、サインもらい損ねていた⁉

 

 この頃、モーター誌が前夜祭「F1ナイト」を企画していた。

 現在、プールがある場所だっただろうか? グランドスタンド近くにあったすり鉢状の土手と中央にステージがもうひとつあった。

 全日本ドライバーもゲストに来られていた。

 

岡田秀樹選手

森本晃生選手

 

 

 

 

にほんブログ村 バイクブログ バイク モータースポーツへ
にほんブログ村

にほんブログ村 車ブログ 車 モータースポーツへ
にほんブログ村

にほんブログ村 コレクションブログ ミニカーへ
にほんブログ村

 

’82年RRC富士チャンピオンズ フォーミュラ・パシフィック/ドラッグ & シルビア・ラリー

2位:星野一義選手/[ixi:z]ラルトRT4/ニッサンLZ14

 フォーミュラ・パシフィックスーパーシルエット・レースがメインの1982年のRRC富士チャンピオンズレース

 スーパーシルエットが観たくて、このレースに合わせて大阪から静岡に帰省。友人3名を誘って4年ぶりに観戦に出かけた。

 

 フォーミュラ・パシフィックはその名のとおり環太平洋諸国同一レギュレーションで開催されたフォーミュラ。マカオGPもFPレギュレーションで行われていた。

 マカオGPがF3で行われることになり衰退・消滅した。

 全日本選手権は’78年~’82年まで開催された。

 トヨタと日産が参戦表明しワークスドライバーが走ったが、トヨタのドライバーはチャンピオンを獲得できなかった。

 

 観戦に行った富士チャンピオンズでは7台しか出走しなかった。

 それでもドライバーはF2の上位陣だったので❝いいとこどり❞という考えもあった。

 第一コーナーの土手で観戦している時に友人と「コカ・コーラがスポンサードしているんだからオロCとかもやればいいのに」「ドムドムとかいいんじゃない? ドムドム・マーチ822とか」「ドムドムだったら上手くいくドムドム♪」とか話していた。

 前の方に座っていたカップルの女の子の方が聞こえていたらしく、笑いを堪えていたのを見て、もっと笑わせてやろうとさらに話がヒートアップしたのを覚えている。

 

長谷見昌弘選手/トミカ・ラルトRT-4/ニッサンLZ14

 

3位:萩原光選手/ADVAN東名マーチ/ニッサンLZ14

 

4位:鈴木利男選手/マルティニ・マーチ81A/トヨタ2T-G

 

フォーミュラ・パシフィックスタート

 

 先行する星野選手をかわして-

優勝高橋健二選手/ADVAN東名ラルトRT-4/ニッサンLZ14

 

ドラッグレース

 RRCはドラッグレース開催を推し進めていた。

 ’84年が初の公式競技とされているので、サポートイベントではあったが日本のドラッグレースとしてはかなり初期の大会だ。

 チューニングショップ等が参加していた。

 「ゼロヨン」で知られていたので楽しみにしていたのだが、ドライバーもまだ公式レースに慣れていないせいか、フライングが多く失格ばかりで白けてしまった

 後に漫画『よろしくメカドック』でドラッグレースが舞台になった時「本当はもっとフライング多いんだよな」と思いつつ読んでいた。

 

サポートレース

 スピン多発。

 

おまけ

 レース観戦後、そのままの勢いで「フェスタ静岡」を観に行った。体力あったなぁ。

 永らく静岡市で行われた大きなイベントで、西城秀樹さんや河合奈保子さんがゲストに呼ばれていた。アニメ『ちびまる子ちゃん』にも描かれた。

 そこで展示されていたサファリラリー4連覇した日産シルビア

 

ステージでは河合奈保子さんが「夏のヒロイン」を歌っていた

 

にほんブログ村 バイクブログ バイク モータースポーツへ
にほんブログ村

にほんブログ村 車ブログ 車 モータースポーツへ
にほんブログ村

にほんブログ村 コレクションブログ ミニカーへ
にほんブログ村

 

マンちゃんのサービスに男気を感じた’88F1日本GP ウイリアムズ/リジェ

 2回目の鈴鹿開催となった1988年F1日本GP

 前年は住んでいた名古屋市と鈴鹿を日々愛車・ホンダMVX250で往復していた。しかし、この年から大阪に引っ越ししたため、初めて自動車・日産ラングレーGTで出かけて金曜日~日曜日観戦することにした。

 鈴鹿サーキット駐車場は木曜日の晩から混んでいたので、手前の青少年センターに3日間入れることにした。

 夜の時間も自由に使えるので(いや、時間が余ってしまうので)ボウリング場近辺をウロついてドライバー探しをしたりした。それが楽しかったりする。

 今では多くの方が押し寄せるようになったので、宿泊エリアは立ち入り禁止になっているようだが。

 

ナイジェル・マンセル選手/ウイリアムズFW12/ジャッドCV

 金曜日の夜にボウリング場に行くと、なな、なんとマンセル選手がおられるではないか~ッ!

 ドルフィン含めて3~4人で恐る恐るサインをお願いすると快諾してくださった。

 ロータスやウイリアムズ/ホンダのドライバーとしてチャンピオン争いをしてきた選手にお会い出来てサインを頂けるなんて嬉しかった。

 驚きはそれだけではない。噂が噂を呼び、次から次へとファンが集まって来た。周辺を一回りしてきても、まだボウリング場に駆けて向かう人が絶えなかった。

 「まさか?」と思ってのぞいて見ると、途切れることが無いファンにずっとサインし続けているマンセル選手がいた~ッ!!

 マンセル選手のファンサービスの凄まじさ。男気を感じた。どうやって終了したのだろうか?

 実は、この年だけではない。翌年も同じような状態になっていた

 当時のドルフィンは「昨年もらったからいいや」と遠慮してしまったのだった。

 

ナイジェル・マンセル選手のサイン

 決勝では前年のチームメイトだったロータスのネルソン・ピケ選手と接触しリタイアに終わってしまった。残念だ。

 このマンセル選手の男気に感動して好きになった。後年のセナ選手vsマンセル選手の戦いではもちろんマンセル選手を応援していた。

 

6位:リカルド・パトレーゼ選手/ウイリアムズFW12/ジャッドCV

 後年、日本で「最強のNo2ドライバー」と呼ばれるようになるが、それはパトレーゼ選手に失礼だと常々思っていた。F1デビュー時からイケイケガンガン系ドライバーだったので「セカンド・ドライバー」だと思った事は無い。

 1977年のFISCO開催のF1日本GPを走り、漫画『赤いペガサス』にも登場したパトレーゼ選手。偉大な憧れのドライバーだ。

 決勝後、パドックトンネルを通りグランドスタンド裏に現れた時にサインをお願いしたら、手を出して「No」と断られてしまった。

 それでも無視してスルーされるより、きちんと断る所が紳士だった。サインするのが鬱陶しくて常にスマホをかけながら歩いている現役某日本人ドライバーは見習ってほしい。

 

ルネ・アルヌー選手/リジェJS31/ジャッドCV

 鈴鹿でF1が開催される前からルノーやフェラーリに在籍、モーター雑誌で優勝する活躍を見て来た。

 フランスチームにフランス人ドライバーというのは聞こえが良いが、低迷するリジェでしかシートを得られなかったのは悔しかっただろう。

決勝後、ホテルに帰るアルヌー選手にサインを頂くことが出来た

 

17位:ステファン・ヨハンソン選手/リジェJS31/ジャッドCV

 スピリット/ホンダを走り、全日本F2にも参戦。WEC富士も走り日本に縁があるヨハンソン選手。

 フェラーリ、マクラーレンに在籍後にリジェは、アルヌー選手同様に❝没落❞の印を押されたようで残念に思った。

 

ベルガー選手を乗せて帰るヨハンソン選手

 

 

フジテレビF1グリッドガールのお姉さん♥

 

ガブリエル・タルクィーニ選手/コローニFC188/フォードDFZ

 F1では弱小チームを7年にの間、渡り歩いた。

 F1後のツーリングカー時代にチャンピオンを獲得するなど活躍し、長らくホンダ・アコードやシビックを駆っていた。

 ’96年のITC鈴鹿でタルクィーニ選手のアルファ155のサイドスカートを頂戴できた。

 初めてお会いする事が出来たのは2014年WTCC日本ラウンドでだった。

 

 

13位:ピエルルイジ・マルティニ選手/ミナルディM188/フォードDFZ

 ’88年にF1初入賞。キャリアのほとんどがミナルディだった。

 昨年2019年のサウンド・オブ・エンジンにはコレクションのタイレルP34を走らせてくれた。

 ものすごく気さくで陽気な方だった。

 

’19年のサウンド・オブ・エンジンでM188の写真に頂いたサイン

 

 

にほんブログ村 バイクブログ バイク モータースポーツへ
にほんブログ村

にほんブログ村 車ブログ 車 モータースポーツへ
にほんブログ村

にほんブログ村 コレクションブログ ミニカーへ
にほんブログ村

 

暴れるアパレル系 ベネトン & レイトン ’88年F1日本GPスタート

 ’88年F1日本GPはアパレル系チームのベネトンレイトンハウス・マーチが大暴れした。

 F1をはじめとするレース界は酒とタバコのお金によって動いて来た。今思うとめっちゃ不健康なイメージだ。そこに割って入ったのが衣料メーカーのベネトンと衣料を前面に出した土地屋のレイトンハウス。

 レイトンは別にしてベネトンのような❝服屋❞が巨額マネーを広告に使うとは考えられなかったのでとても新鮮だった。みんなレイトンハウスやベネトンを着て観戦に来ていた。

 現在ではエナジードリンクに取って代わられている。

 

 ’95年頃から全日本戦でスポンサードを開始していたレイトンハウスは爆発的な人気を得た。

 皆レイトンを着ていたので、反発心もあってドルフィンはF1のカラーリングに魅かれたベネトンを着るようになった。チームも応援していた。

 

 ちなみに’90年に社員旅行で香港に行った際、グリーン地に白抜きロゴで「bossini(ボッシーニ)」(同じフォント使用)というアパレルがあって、ベネトンのご当地デザイン物を探していたのでとても紛らわしかった。ベネトンの「ばったもん」だと思っていた。

 現在でもボッシーニは生き残って展開している。

 

5位:アレッサンドロ・ナニーニ選手/ベネトンB188/フォードDFR

 ミナルディからベネトンに移籍してF1初ポイントを獲得。3位表彰台にも上がり頭角を現した。

 まだこの年までは「好きなベネトン・チームのドライバー」くらいだった。

 大ファンになったのは翌年の日本GPでお会いした際、親切な対応をして下さってからだ。それはまた別の機会に。

 

レース後のナニーニ選手

 モデルのようにカッコイイルックスだった。あまりに格好良くて「本当にドライバー? モデルさんと見間違えてない?」と躊躇し(ドルフィンは人の顔の見分けが苦手)、急ぎ足だったこともありサインを頂くチャンスを逃してしまった。

 着ているのは当時販売されていたベネトンのジャケット。

 

3位ティエリー・ブーツェン選手/ベネトンB188/フォードDFR

 ノンターボエンジン車でありながらシーズン5度の3位を獲得。ほとんどのレースで1-2がマクラーレンなので、その大活躍っぷりが分かろうというもの。

 「3位はほぼ優勝」と言っても過言ではない。

 その活躍あって、翌年には上り調子のウイリアムズに移籍・初優勝を飾ることになる。

 

2019年サウンド・オブ・エンジンでブーツェン氏にサインを入れて頂いた

 ハケで塗ったようなベネトンB186は衝撃的な美しさだったが、この頃のB187~B189の原色をスポンサー毎に振り分けたカラーリングがとても好きだった。

 キャメルがスポンサーになってからは「美しい」とは思えなかった。

 

イヴァン・カペリ選手/レイトンハウス・マーチ881/ジャッド

 全日本F2も走り、日本企業レイトンハウスのスポンサードを得ていたので日本での人気も高かった。

 全日本経験もあり日本に馴染みがありながら、今までお会いした事が無い。

 日本GPでホームストレートでマクラーレンをブチ抜き、一瞬トップを走り大注目を浴びた。

 その裏話は鈴木亜久里選手/ラルース・ローラのところで書いたとおり。

 ノンターボエンジンでありながら、シーズンで2位と3位を1回ずつ獲得している大活躍。

 

F1マシンコレクションのレイトンハウス・マーチ881

 エイドリアン・ニューウェイ氏デザインで空力が素晴らしく良いマシンとして名高い名車。

 

 

10位:マルリシオ・グージェルミン選手/レイトンハウス・マーチ881/ジャッド

 レイトンハウス・マーチが2カー体制になる際にドライバーとして抜擢。F1デビューを飾った。

 翌年開幕戦の3位が最高位。

 

 もし、萩原光選手が存命なら、カペリ選手のパートナーは彼だったと確信している。

 

決勝スタート 

ピレリとフジテレビの看板の間から見ることが出来た

 

1周目

 

 

にほんブログ村 バイクブログ バイク モータースポーツへ
にほんブログ村

にほんブログ村 車ブログ 車 モータースポーツへ
にほんブログ村

にほんブログ村 コレクションブログ ミニカーへ
にほんブログ村

 

雨と人でぐちゃぐちゃだった1987年ロードレース世界選手権・日本GP

 バイクブーム真っただ中の1987年。F1よりも数ヶ月早くロードレース世界選手権(WGP)の日本GPが鈴鹿サーキットで開催された。

 ドルフィンは名古屋の友人4人に東京の友人1名を加えた6名で観戦に行った。

 車1台に6名を詰め込んで(!)まだ日が昇る前の早朝に名古屋を出発した。


チケットの切り方が雑!

 全員自由席だったのでコーナーリングが見られる2コーナー席に陣取ることにした。

 当日の2コーナー席は土手に腰掛け用に丸太が杭打ちされたものだった。ずっと座り続けるとお尻が痛くなる。

 朝から雨。加えて多くのファンが詰めかけていて、トイレと昼食を買いに立つ以外は全く身動きが取れなかった。自分でもよくあれだけ長時間丸太に座っていられたものだと感心する。

 一旦席を離れると、戻って来た時にどこに仲間内がいるのかさえ探すのが苦労。ポンチョやカッパは似たようなものばかりだし。

 

 グランドスタンド裏の売店やイベントなど全く記憶に残っていない。写真も撮れていない。

 雨が降っていた事と席からコースが遠かったため写真は被写体が小さいし、上手くも撮れていない。ブログに掲載するのも忍びないがご了承頂きたい。

 

500ccクラス スタート

 ’87年から押し掛けスタートからクラッチスタートに変更。それでも❝ロケット・ロン❞は速かった! 話し通りにスタートで後続を離して1コーナー進入。

 待ちに待ったWGP。世界最高ライダー達の走りが観られる。もう興奮だ。

 

エディ・ローソン選手と#16 八代俊二選手/ホンダNSR500

 前年ワールドチャンピオンのローソン選手は早々にリタイア。

 

4位:#10 ピエールフランチェスコ・キリ選手/ホンダNS500

6位:#21 平忠彦選手/ヤマハYZR500

 

優勝ランディ・マモラ選手/ヤマハYZR500

 ウエットコンディションで後続を引き離して独走。

 

2位ワイン・ガードナー選手/ホンダNSR500

 

エディ・ローソン選手/ヤマハYZR500

 

健闘をたたえ合う平選手と 7位:#33 河崎裕之選手/ヤマハYZR500

 

5位:ロン・ハスラム選手/ホンダNSR500

 ハブステアリングを使ったelf-Motoのマシンかと思いきや、遠目に「フォークあるよな?」と確認。NSR500を使用していた。

 

水谷勝選手/スズキRGγ500

 

木下恵司選手/ホンダNSR500

 

250ccクラス スタート

 

#49 田口益充選手/ホンダNSR250

#3 ドミニク・サロン選手/ホンダNSR250

 

優勝小林大選手/ホンダNSR250

 

2位シト・ポンス選手/ホンダNSR250

 

3位:ラインハルト・ロス選手/ホンダNSR250

 

展示されていたガードナー選手のNSR500

 展示車撮影も雨の湿気でレンズが曇ってしまった。それほどの悪天候だったのだ。

にほんブログ村 バイクブログ バイク モータースポーツへ
にほんブログ村

にほんブログ村 車ブログ 車 モータースポーツへ
にほんブログ村

にほんブログ村 コレクションブログ ミニカーへ
にほんブログ村