TLヴィンテージ NEO カルソニック スカイライン R32 GT-R No.12 全日本ツーリングカー選手権 Gr.A 1993
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1985年から始まった全日本ツーリングカー選手権(JTC)。市販車ベースGr.A規定のマシンを駆使したセミ耐久のレース。
純粋レーシングカーのGr.Cマシンを使うWECジャパンやJSPCが一足先に始まっていたので全く興味惹かれなかった。
しかもマシンがGr.A。WRCで使われていたGr.Bに比べたらGr.Aなどほとんど市販車。
開始から数年は多種多様な車両が使用されていたが次第に淘汰されていった。
転機はやはりR32スカイラインGT-Rの登場だ。
とにかくマシンがカッコイイ! 速い! TVで見ていても走りの迫力が違う。
R32GT-Rの登場で人気も上昇した。
人気のレースになりながらもFIA規定が変更するに伴ってGr.Aは終了することになってしまった。
1993年は最終年ということで鈴鹿スーパーツーリングカー500Kmの観戦に出かけた。
当時は東京に住んでいたが、大阪の友人が誘ってくれたのだった。
土曜日は朝のうちは雨だったが次第に晴れた。初夏の開催でとても気持ちが良い季節だったと記憶に残っている。
Gr.Aレースは’91年の筑波レース・ド・ニッポン以来2度目。
「新旧ドリフトコンビ」として結成されたチーム国光のファンだった。
コーナーを歩き回って写真撮影した。確実に写真が撮りたかったので、結構早いシャッター速度で撮っている。
ハイテンションの2日間で楽しかった思い出しかない。
優勝:ユニシアジェックススカイライン/長谷見昌弘/福山英朗 組
白/オレンジは一緒だが、前年のジェックスからユニシアジェックスと社名変更になった。JGTCまで続く長谷見モータースポーツのカラーリング。
’93年は鈴鹿戦で優勝。
長谷見昌弘選手
2位:チーム国光・タイサンSTP GT-R/高橋国光/土屋圭市選手 組
第3戦オートポリスで優勝。
土屋圭市選手が敬愛する高橋国光選手と組んで「新旧ドリフトコンビ」として誕生したチーム国光。
好きな両選手が組んだチームなので大ファンになってしまった。サイサン・アドバンの黒/赤カラーもカッコイイ(2輪のヨシムラもカラーリング好き)。チー国応援は現在に至る。
縁石に乗り上げて片側のタイヤが浮く
またこういう迫力ある走りを観たいな。スーパーGTだとマシンを痛めてしまうからできない。
3位:カルソニックGT-R/星野一義/影山正彦 組
開幕戦・美祢で優勝。その後もTI、十勝、仙台ハイランドとシーズン4勝をあげる。
迫力ある縁石乗り上げの走りはGr.Aの魅力のひとつ
綺麗にコーナーリングするだけでなく、レースには荒々しさも必要だ。それがGr.AスカイラインGT-Rにはあった。
決勝でのドライバー交代
HKSスカイラインGT-R/羽根幸浩/萩原修 組
HKSのカラーリングはカッコ良かった。ライトもグリーンで特別感があった。
他チームのエンジンは日産がメンテナンス&チューニングを行っていたが、HKSとFETは独自チューニングを行っていた。さすがHKSはパーツメーカーだ(地元企業!)。
鈴鹿戦の前、第3戦・菅生で優勝を遂げている。
BPトランピオGT-R/トム・クリステンセン/横島久 組
ハロッズ・マクラーレン同様、レモンイエロー地にグリーンのロゴは綺麗で映える。
Gr.Aの一番最後のレースとなった最終戦INTER TECで優勝。
NISMO共石スカイライン/鈴木利男/飯田章 組
ベテランの域に達した鈴木利男選手と、N1からステップアップしてきた❝若手❞飯田章選手のコンビ。
飯田選手は富士フレッシュマンレースから這い上がって来た❝ハコ系❞ドライバーだったので応援していた。後にチーム国光の一員としてル・マン24時間レース・クラス優勝に貢献。国際F3000にもフル参戦した。
日興共石イメージガールの相沢かおりさん♡ モデルさんとしても有名だった
FETクラフトGT-R/見崎清志/長坂尚樹 選手
HKSとともにエンジンは自社メンテナンス。
唯一のシーズン未勝利チームになってしまった。最高は最終戦での2位表彰台。
この頃はまだグランドスタンド前で表彰を行っていた。
表彰式
応援していたチーム国光が2位表彰台を獲得できて嬉しかった
1984年の夏休みに富士スピードウェイで開催された全日本F2第6戦。
静岡に帰省中だったため、同じく帰省中だった地元の友人と共に金曜日の練習走行から観に行くことにした。
後にトレノ86を所有する友人だったが、この時は家の車を借りて下道使ってFISCOまでドライブした。
あの頃は夜になってから突然「FISCOまでドライブに行こう」と走りに行って、途中でガソリン無くなりそうになって引き返し、下りをニュートラルで走ってガススタンドまで持たせたりしたな(笑)。
その友人は今でもドルフィンよりレースに詳しい。
その友人とは中坊の頃から❝レースの無い日❞にもFISCOに行っていたので、レース開催前の練習走行を観に行くのは自然な流れだった。
金曜日はFISCO入場料と駐車場代だけで済む。
1994年は4人もの外国人選手が全日本F2に参戦。国際色豊かになっていた。
しかもF1経験ドライバーが2人もいるのだから!
左からジェフ・リース選手、ティフ・ニーデル選手、エジェ・エルグ選手、ステファン・ヨハンソン選手
ステファン・ヨハンソン選手/ADVANマーチ842/HONDA
スピリット/ホンダでF1デビューを飾ったヨハンソン選手だが、ホンダがウイリアムズと組んだために'84年はF1浪人。NOVAの招きで全日本F2にフル参戦する事になった。
シーズン中盤からF1もかけもちで参戦できるようになった。
ステファン・ヨハンソン選手のサイン
ティフ・ニーデル選手/John Player Special・ラルトRH6/84/ホンダ
チームイクザワはJohn Player Specialが引き続きスポンサード。ホンダもエンジン供給。
リース選手が抜け、ニーデル選手を招き入れたもののシーズンを通して苦戦した。
ティフ・ニーデル選手のサイン
当時はまだ色紙にサインを頂いていた。
’85年あたりからサイン帳に切り替えたようだ。
ジェフ・リース選手/アドバンPIAAマーチ/BMW
前年の全日本F2チャンピオン。
PIAAはリース選手を継続してスポンサードしたが、ホンダエンジンを失い低迷。シーズン最上位は4位に留まった。
星野一義選手/LARKマーチ842/BMW
ゼッケン「1」を前年チャンプのリース選手ではなく、星野選手が付けるに至った経緯は覚えていない。が、星野選手の「1」は自然に受け入れてしまう。
前年型マーチ832よりフロントがシャープになった842だが、ドルフィンは832の方がカッコ良く見えるし好きだ。
842になってサイドポンツーンの縦側にスカートっぽい処理部分が無くなって直線にストンと落ちるデザインになっているのもイマイチ。
鈴木利男選手/マルティニ・マーチ842/BMW
ヨーロッパのレースでスポンサードしてきたマルティーニが日本のF2でもスポンサード。幾多のレーシングカーの写真で見て来たカラーリングはカッコイイ。
若くてハンサムだった利男選手とマルティーニはバツグンの組み合わせだった。
金曜日は走行時間が長かったので車をピット裏駐車場に停め、最初はピット裏から。そして近いヘアピン。最後に帰りがてらGC最終戦の事故を受けて新設された最終コーナーのシケインに行って写真を撮った。
舘善泰選手/スピードスターホイール・マーチ842/BMW
全日本F3からステップアップしてきた新進の選手だった。
萩原光選手/ウォルター・ウルフ・レーシング832/BMW
ウォルター・ウルフカラーも実に格好良い。
サイドポンツーン下部のスカート状のところがカッコイイ。
元愛車のホンダSM-Xに付けていたチーム国光のエアロもこんな感じだったので気に入っていた。
小河等選手/ボルク・マーチ832/BMW
この年はトヨタエンジンではなくBMWを使用していたようだ。
中嶋悟選手/EPSONマーチ842/ホンダ
古巣のヒーローズレーシングに移籍。
ヨハンソン選手とチャンピオン争いを繰り広げ、最終戦でチャンピオンを獲得した。
高橋国光選手/ADVAN・PIAAマーチ/BMW
ゼッケン「24」「25」は前年同様、W高橋。
高橋健二選手/ADVAN・PIAAマーチ/BMW
練習走行を観て「これは絶対に決勝を観に行こう!」という事になった。
流石に3日間行くのは資金的にも親の目にも良くないので、土曜日は休息。
1989年全日本ロードレース第13戦・鈴鹿インターナショナル 250ccクラス。
男女3人ずつ車2台で大阪から観戦に出かけた。どのような経緯でそのメンバーで鈴鹿に行くことになったのか覚えていない。
シケイン席で観戦していたが、250ccの間は本間選手を近くで写真に撮りたかったのと、彼女と2人っきりになりたかったので彼女を連れてヘアピンに向かったのだった。懐かしいなぁ~。
本間選手を応援するきっかけになったのが’86年富士スーパースプリント観戦で、そんな話も歩きながらしたな。
序盤は岡田選手、本間選手、田口選手がトップ争い
250ccクラスは参加台数が多く、バトルも多かったので人気のあるレースだった。
本間選手が岡田選手を攻略してトップに。その後は独走状態に
※手元にプログラム等資料が残っていないので、選手名とマシンが分からないところがあります。
優勝:本間利彦選手/UCCクリーンフィールド・ヤマハYZR250
観戦に行った富士スーパースプリント’86でプライベーターながら優勝。翌年からヤマハワークス入りを果たした。
’88年に250ccチャンピオンを獲得。
ワークスライダーとなった本間選手を観たのはこれが最初で最後。未だにお会いした事は無い。
最近、YouTubeチャンネルを始めたらしい。
2位:岡田忠之選手/CABINホンダNSR250
この年から三年連続250ccチャンピオンを獲得。WGP参戦することになる。
WGP最高峰クラス日本人最多勝利するレジェンドとなる。
昨年の鈴鹿サンデーロードレースで初めてお会い出来た。
3位:田口益充選手/味の素TERRAホンダNSR250
ロードレースをイメージしたTERRAの缶しばらく持っていたな。
宇田川勉選手/CABINホンダNSR250
小林大選手/味の素TERRAホンダNSR250
ロードレースでは珍しいキャメルカラー
アーティスト・日比野克彦さんがデザインしたカラーリング。このカラーで8耐にも参戦
1989年全日本ロードレース第6戦・鈴鹿インターナショナル。
当時、短い間だが付き合っていた彼女を含め男3人女3人で大阪から観戦に行ったなぁ~と、思い出に浸るレース。車2台で出かけた。
ドルフィン以外のメンバーは初めての鈴鹿だったので、コーナーバトルが見られるシケインで観戦。
自分ばかりが撮影に夢中にってしまわないように注意していた。シケイン席からでは被写体が小さくしか撮影できなかった。
優勝:ジョン・コシンスキー選手/ヤマハYZR500
オープニングから独走態勢を築いて優勝した。
AMAで活躍し、WGP250ccクラスにスポット参戦していた。
この年の鈴鹿8耐には平忠彦選手と組んでTECH21ヤマハYZF750で参戦。
注目が大きかった選手だが、突然名前を聞かなくなってしまった。
2位:藤原儀彦選手/ラッキーストライク・ヤマハYZR500
2年連続全日本チャンピオンを獲得していた当時の全日本最速ライダー。’89年も王座に就き、3年連続と記録を伸ばした。
ヤマハ「3彦」の一人・平忠彦選手、本間利彦選手、そして藤原儀彦選手だった。
藤原選手に初めてお会いできるのは26年後の2015年の鈴鹿8耐テストだった。
藤原選手を先頭とした2番手争いは激しいレースだった。
3位:宮城光選手/味の素TERAホンダNSR500
4位:辻本聡選手/シックアドバンテージ・スズキRGV-γ500
TT-F1から500ccにステップアップ。
初めて辻本選手に初めてお会いできたのは22年後の2011年鈴鹿ファン感謝デーだった。
5位:八代俊二選手/PENTAXホンダNSR500
WGP500ccクラスに参戦していた八代選手。この年から全日本復帰。
6位:伊藤真一選手/SEEDホンダNSR500
前年は500ccクラス初年にしてランキング2位を獲得した新星。
今でもそうだが、イケメンでカッコ良かった。
伊藤選手に初めてお会いできたのは24年後の2013年鈴鹿8耐テストだった(こればっか(笑))。
樋渡治選手/シックアドバンテージ・スズキRGV-γ500
木下恵司選手/ハワイナニロアホテル&阪神ホンダRS500
元HRCの木下選手はプライベーターで参戦。
平忠彦選手/TECH21ヤマハYZR500
当時はWGP500ccクラスへのスポット参戦とマシン開発がメインとなっていた。
鈴鹿戦はスポット参戦。
好きな平選手を全日本トップカテゴリーで見られるのは嬉しい。しかも予選2番手。
平選手に初めてお会い出来たのは30年後‼ 昨年の南海ミートin鈴鹿まで待たなくてはならなかった。
フェラーリF40
初めて観戦した’94JTCC鈴鹿戦。決勝日はスプリントのJTCCが2レースあり、さらにインターナショナル鈴鹿500㌔の耐久レースも開催されたのだから盛りだくさんだった。
東京から観戦に来ていたドルフィンは鈴鹿500㌔途中で帰途についたのだった。
一緒に観戦していた大阪の友人は「もったいない。観て行けばいいのに」と言いながらも白子駅まで車で送ってくれた。
近鉄特急で名古屋駅に着き、何分発の便があるか分からぬまま急いで新幹線のホームに行くと、丁度出発間際だった。ギリギリセーフで新幹線に乗り込めた。
こうして土日の鈴鹿観戦が終了したのだった。
鈴鹿500㌔は出走台数が少なかったので、ある程度写真を撮れればOKだった。
1966年から始まった鈴鹿500㌔レース。Gr.CやGr.Aレースの1戦として開催されて盛り上がっていた時もあったが’94年は単独レースとして開催。
そしてこの年が開催最終年となった。
フォード・ムスタング
’92年のIMSA GTチャレンジin富士で見たフォード・ムスタングを再び鈴鹿で目にすることができるとは! 感激モノだった。
バリバリと激しい爆音がシビレる。
車両の大きさもパワーも異なるマシンが走るのは見ていて怖いところがある。
ヴェンチュリ600LM
関谷正徳選手/TOYOTA CORONAと鈴木亜久里選手/TOYOTA CORONA
F1浪人中の鈴木亜久里選手も参戦していた。
1994年からBTCCを模範とした新たなレギュレーションでスタートした全日本ツーリングカー選手権(JTCC)。
マシンをぶつけ合うほどの激しいバトルが魅力だった。
車体は完全に市販車ベースなので、ぶつかると割れるカーボンやFRPと違って❝へこむ❞のだ。
排気量さえ守れば同じメーカーなら積み替えOK。広い改造範囲だったので、年を追うごとに過激化していった。
初夏に開催された鈴鹿戦を観戦。
レース1&2優勝:トム・クリステンセン選手/TOYOTA CORONA
中谷明彦選手/綜合警備BMWとアンドリュー・ギルバート-スコット選手/オートテックBMW318i
寺田陽次郎選手/マツダスピード・ランティス
マツダもランティスを2台走らせていた。
寺田陽次郎選手
鈴鹿戦はトム・クリステンセン選手が独走してしまったが、2番手以降は至る所でバトルが展開されていて白熱したレースだった。
「コロナだけどJTCC面白い!」帰ってから皆に話したものだった。
黒澤琢弥選手/TOYOTA CORONA
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ミニカーラックへの道57
先に新しいミニカーラックの棚板を入れ、代わりに旧型を取り出した。
取り出した旧棚板は解体して使えるパーツは再利用する。
棚板に透明ペット材を取り入れた頃の旧型
左右に縦の❝足❞で棚板を支えるようになっている。家をリフォームしてくれた大工さんが「これなら簡単に作れる」と教えてくれたもの。
最初は❝足❞に中板を取り付けた「コ」の字を積み上げたものだったが、下段に少しでも光が入るようにと透明材を取り入れた。
左右の❝足❞の幅分場所を取るので、京商1/64ミニカーの台座が「あとチョットで1台分入らない」状態になっていた。
❝足❞を排してビスに引っかけて固定する前型の裏側
左右の❝出っ張り❞がビスの間に入って前後にズレないようにしている。
透明ペット材に厚みが無いためミニカーの重みで湾曲してしまう。
そのため現行型では前に一本横棒を入れて支えるようにしている。
旧型を解体。❝足❞部分は使えないのでもったいないが廃棄。
棚板部分と透明ペット材は再利用する。
棚板に足が付いていた部分は削り取ってヤスリをかける
新たに棚ビスに引っかける左右の棒とペット材を支える棒をサイズにカットして切り口をヤスリがけする。
切り分けられた状態
左右の棒を組み、中板部分に接合。ペット材の支柱も取り付ける。接着は全て木工用ボンド。
組み上がったらペンキ塗り。
解体~新材料の切断~組み上げ~片面塗装 ここまでで1日作業。
次の休みの日にもう片面を塗装する。
実際は下に新聞紙を敷いている。ペンキがタレて新聞紙にくっつくので、板を置いてその上に乗せて乾かすようにしている
塗装が終わるとカットしておいた透明ペット材を接着させる。
透明ペット材も木工用ボンドで接着
かなりアバウトな接着法だが、このくらいではないと❝解体❞する時が大変。
新しい透明ペット材は表面に保護フィルムが貼り付けてあるので、棚板を取り付ける時に剥す
今回の作業で6枚の棚板が完成。
ひとつ前の型は取付方法は同じだが、透明材を支える部分が無いので湾曲してしまう
棚板が増えるとビスが足りなくなる。
前回までは棒をカットして作っていたが、安価な市販品があると分かってそちらを購入。
棚板を入れ替えしてミニカーを置く。
一番上がタイレル・コーナー
二段目、三段目はタイレル&6輪F1コーナー
6輪F1の下には❝変わりF1❞コーナー
二段目は各種F1
三段目はマクラーレン&レッドブル・コーナー
今回取り出した旧型も解体して新型にモデルチェンジさせるのだった。
日産が制覇したデイトナ24時間で有名なアメリカンレースのIMSA。
IMSAはGTP、GTS、GTUの3クラスに分けられていた。GTPはGr.Cカー「S」と「U」はパイプフレームの市販車改造マシン。3000cc以上が「S」で以下が「U」に区分けされていた。
このIMSA・GTSとGTOのマシンを招聘し、日本のJSSマシンと混走させてレースさせたのが「IMSA GT CHALLENGE IN FUJI」だった。
1992年と翌93年に富士スピードウェイで開催され、94年はオートポリスで開催されたと記憶する。
↑実はIMSA GT CHALLENGE IN FUJIのパンフレットの8割は私が書いたもの。
スーパーシルエット・レースの後継として始まった頃のJSS(ジャパン・スーパースポーツ・セダン)は大人しい感じだっが、この頃にはチューニングショップやガレージの改造も過渡期に入って超改造車と化していた。
それでもレーシンマシンとして造られたIMSA GTマシンとではハンデがあった。
レースクイーンの長嶺尚子さん♡
すっごく綺麗な方でもうメロメロ♡
映画やオリジナルビデオに出演されていた女優さんだ。
思いで深いレースのひとつ。マシンの写真は金曜日のFISCO試走を撮影。
決勝日は豪雨に見舞われた。ひどい雨で「F1inJAPAN」を思い出した。
レース1のスタート直後の1コーナーでジェルミィ・ディル選手の300ZXは曲がり切れず直進してコースアウトしてしまった。
IMSAマシンの排気音は「さすがにレーシンマシン!」と思わされる轟音だった。
GTS
スティーブ・ミレン選手/カニングハム・ニッサン300ZX
フェアレディZベースで2.95ℓ V6DOHCツインターボを搭載。
試走した選手が集まってブリーフィング
思いで深いIMSA300ZXなので1/43ミニカーが欲しかったが後継モデル
しか流通しておらず、富士で走ったマシンは見つからなかった。
ドリンク付属の1/100ミニカーをオークションで入手したのだった。
#76はジェルミィ・ディル選手のマシン
ドルセイ・シュローダー選手/ラァウシュ・フォード・ムスタング
2.5ℓ OHCターボエンジンがデカイ!
’94年鈴鹿インターナショナル500㌔レースにも同型フォード・ムスタングが参戦してきた。色が違ったが懐かしかった。
トリミー・リギンス選手/リギンス・オールズモービル・カトラス
パドックではIMSAのスタッフがテントでTシャツを売っていた。アメリカはTシャツ文化なんだなぁと感じた。
しかし、パドックはグランドスタンド裏と違ってお客さんが少ないので売れたかどうか…。
GTU
ボブ・ライツィンガー選手/ライツィンガー・ニッサン240SX
2400ccのシルビア180SXの北米向けモデルがベース。
ジョン・フィンガー選手/ジョン・フィンガー・マツダMX-6
翌92年も観戦に行ったがやはり雨だった。
Gr.Aによる全日本ツーリングカー選手権(JTC)が終了し、翌1994年から2ℓ4ドアセダンベースの全日本ツーリングカー選手権(JTCC)が始まった。
「GT-Rの後釜がプリメーラやコロナって…!」
マシン的魅力が無くなってしまった感じだった。
しかしトヨタ、ニッサン、ホンダ、マツダの国内4メーカーに加え海外からBMW、オペルも参戦。フォーミュラやGr.Aで走っていた国内トップドライバーもこぞってJTCCに参戦した。
TV放送を観ると(モータランド?)車両同士が接触するほど激しいバトルが展開されいて面白い! やはりレースはマシンを駆使したバトルがってこそだ。
加えて1日2レース開催で、2つのレースの合間にカウントダウンから始まる車両修復&調整タイムもショーアップされていて盛り上げていた。
これは断然観たくなってしまう。
前年、Gr.A鈴鹿戦を観に行った事もあってJTCCも鈴鹿戦・インターナショナル鈴鹿500㌔(耐久レースを併催)を観に行くことにした。
新幹線で名古屋まで行き、近鉄特急で白子まで。大阪の友人が車(レビン86)で迎えに来てくれて一緒に観戦。
夕食は馴染みの喫茶店でとってクアガーデンで入浴。露天風呂でレース話をして楽しかった。
夜はサーキット駐車場に停めた車で寝かせてもらい、友人は外にテントを張ってそこで寝ていた。
レースのオープニングラップ
S字スタンドにも多くのお客さんが入っていた
多少の接触はOKみたいなコーナーでのせめぎ合いが魅力だったが、次第に「押した」「押さない」と揉めるようになり、無理なインのこじ開けをしなくなりバトルも減少。コーナーリング中に後ろからコツンとするとスピンしてしまうからだ。
直接的には無いにしろJTCC衰弱化を招いた。
長谷見昌弘選手/カストロール・プリメーラ
星野一義選手/カルソニック・プリメーラ
アンソニー・リード選手/HKSボクスホール(オペル)
Gr.Aに引き続きHKSが参戦。このカラーリングはカッコイイ。
土屋圭市選手/STP圭市シビック
土屋圭市選手と茂木和夫選手/TAISANMW318i
田中哲也選手/PIAAシビックVTEC
長坂尚樹選手/FET SPORTカローラと服部尚貴選手/JACCSシビック
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初めて観戦に行った1996年鈴鹿1000㌔。海外勢の参戦で、全日本GT選手兼では観られないマシンも多くてそこがまた良いところだった。
「初めて観戦シリーズ」で触りだけチョコっと掲載するつもりだったのに、鈴鹿1000㌔だけで4回もかかってしまった。車種が多かったり好きなチームが参戦していると掲載したくなる写真も多くなってしまうな~。
28位:バルボリン・ディアブロ/和田孝夫/福山英朗/L・モッキア組
リタイア:コンラート・ポルシェ911GT2Evo/R・ニアン/井上隆智穂/F・コンラート組
元F1ドライバー、井上隆智穂選手
日本のレースに珍しくポルシェで参戦。この時初めてお会いできた。
9位/2クラス2位:コンラート・ポルシェ911GT2Evo/S・オルテッリ/B・ウォエレク組
10位/2クラス3位:
マーコス・マンチェラ600LM/C・オイサー/和田久/古谷直広 組
国内レースでは絶対にお目にかかれないマシン。
古谷選手はコジマブレーンガクトリーのレーシングカート試乗会で指導頂いた事があるので、応援していた。表彰台に上がれて嬉しかった。
日本人選手加入チームで唯一表彰台に上がった
リタイア:NICOSポルシェ911GT2/山田洋二/田嶋栄一/茂木和男 組
JTCCテストの際に田嶋選手にサインを入れて頂いた。
コスモオイル・外国屋ポルシェのお姉さん❤
昔は撮影できたシケイン進入。ここは迫力あるブレーキ競争が観られて好きだったのだが。
8耐もここで撮影した写真が残っている。
リタイア:ロータス・エスプリV8/J/ラマ―ス/A・ポートマン/M・ヘズマンス組
26位:プロモ・ヴェンチュリ600LM/E・グレアム/M・ファロウ組
11位:オレカ・ダッジバイパーGTS-R/P・ガッシュ/E・エラリー/O・ベレッタ組
リタイア:キャラウェイ・コルヴェット/K・ヒューバー/H・ハウザー/A・キエーサ組
リタイア:PUMAミツビシGTO/中谷明彦/原貴彦 組