ステファン・ヨハンソン選手参戦・全日本F2 1984年富士 金曜日編
1984年の夏休みに富士スピードウェイで開催された全日本F2第6戦。
静岡に帰省中だったため、同じく帰省中だった地元の友人と共に金曜日の練習走行から観に行くことにした。
後にトレノ86を所有する友人だったが、この時は家の車を借りて下道使ってFISCOまでドライブした。
あの頃は夜になってから突然「FISCOまでドライブに行こう」と走りに行って、途中でガソリン無くなりそうになって引き返し、下りをニュートラルで走ってガススタンドまで持たせたりしたな(笑)。
その友人は今でもドルフィンよりレースに詳しい。
その友人とは中坊の頃から❝レースの無い日❞にもFISCOに行っていたので、レース開催前の練習走行を観に行くのは自然な流れだった。
金曜日はFISCO入場料と駐車場代だけで済む。
1994年は4人もの外国人選手が全日本F2に参戦。国際色豊かになっていた。
しかもF1経験ドライバーが2人もいるのだから!
左からジェフ・リース選手、ティフ・ニーデル選手、エジェ・エルグ選手、ステファン・ヨハンソン選手
ステファン・ヨハンソン選手/ADVANマーチ842/HONDA
スピリット/ホンダでF1デビューを飾ったヨハンソン選手だが、ホンダがウイリアムズと組んだために'84年はF1浪人。NOVAの招きで全日本F2にフル参戦する事になった。
シーズン中盤からF1もかけもちで参戦できるようになった。
ステファン・ヨハンソン選手のサイン
ティフ・ニーデル選手/John Player Special・ラルトRH6/84/ホンダ
チームイクザワはJohn Player Specialが引き続きスポンサード。ホンダもエンジン供給。
リース選手が抜け、ニーデル選手を招き入れたもののシーズンを通して苦戦した。
ティフ・ニーデル選手のサイン
当時はまだ色紙にサインを頂いていた。
’85年あたりからサイン帳に切り替えたようだ。
ジェフ・リース選手/アドバンPIAAマーチ/BMW
前年の全日本F2チャンピオン。
PIAAはリース選手を継続してスポンサードしたが、ホンダエンジンを失い低迷。シーズン最上位は4位に留まった。
星野一義選手/LARKマーチ842/BMW
ゼッケン「1」を前年チャンプのリース選手ではなく、星野選手が付けるに至った経緯は覚えていない。が、星野選手の「1」は自然に受け入れてしまう。
前年型マーチ832よりフロントがシャープになった842だが、ドルフィンは832の方がカッコ良く見えるし好きだ。
842になってサイドポンツーンの縦側にスカートっぽい処理部分が無くなって直線にストンと落ちるデザインになっているのもイマイチ。
鈴木利男選手/マルティニ・マーチ842/BMW
ヨーロッパのレースでスポンサードしてきたマルティーニが日本のF2でもスポンサード。幾多のレーシングカーの写真で見て来たカラーリングはカッコイイ。
若くてハンサムだった利男選手とマルティーニはバツグンの組み合わせだった。
金曜日は走行時間が長かったので車をピット裏駐車場に停め、最初はピット裏から。そして近いヘアピン。最後に帰りがてらGC最終戦の事故を受けて新設された最終コーナーのシケインに行って写真を撮った。
舘善泰選手/スピードスターホイール・マーチ842/BMW
全日本F3からステップアップしてきた新進の選手だった。
萩原光選手/ウォルター・ウルフ・レーシング832/BMW
ウォルター・ウルフカラーも実に格好良い。
サイドポンツーン下部のスカート状のところがカッコイイ。
元愛車のホンダSM-Xに付けていたチーム国光のエアロもこんな感じだったので気に入っていた。
小河等選手/ボルク・マーチ832/BMW
この年はトヨタエンジンではなくBMWを使用していたようだ。
中嶋悟選手/EPSONマーチ842/ホンダ
古巣のヒーローズレーシングに移籍。
ヨハンソン選手とチャンピオン争いを繰り広げ、最終戦でチャンピオンを獲得した。
高橋国光選手/ADVAN・PIAAマーチ/BMW
ゼッケン「24」「25」は前年同様、W高橋。
高橋健二選手/ADVAN・PIAAマーチ/BMW
練習走行を観て「これは絶対に決勝を観に行こう!」という事になった。
流石に3日間行くのは資金的にも親の目にも良くないので、土曜日は休息。