初めて星野選手にお会いした ’78年富士ロングディスタンスrd.2富士1000㌔
5月のF2・JAF富士グランプリに続いて国内レース観戦2戦目となった1978年富士ロングディスタンスシリーズ第2戦・富士1000㌔。
昔はFISCOだけで耐久シリーズを組んでいた。
本当は一番人気の富士GCシリーズを観たかったが、開催日程のタイミングが合わなかった事もあり、夏休み開催の富士1000㌔に行ったのかもしれない。
トップドライバーも多く参戦し、GCで使用しているマシンや他のカテゴリーマシンも走るところも良かった。
FISCOレースカレンダー 何年分かコレクションしている
普通なら残している観戦チケットが残っていない。
「優勝者当てクイズ」応募に必要だったのかもしれない。
一番見たかったマシンは…
鞍和彦/山崎正雄 組/フェラーリディノ246GT
↑写真の謎 ― 他の方のSNSで、このディノの写真が掲載されていた。てっきりドルフィンが昔掲載した写真かと思っていら、背景に写っている人の位置が微妙に異なっていた。
ということは、その写真を撮られた方はドルフィンの横で写真を撮っていたのかもしれない。
『サーキットの狼』を連載していた少年ジャンプで「ディノがレースに出る」という前情報が掲載されていた。それでディノのレース仕様がどんなものかと見たくなったのだ。
池沢さとしセンセもアライ・ウルフ・サニーで参戦していた。
レースは「0」周リタイア。スタートすらできなかったのかもしれない。
10月の第3戦・富士500マイルレースにも再挑戦。この時は20周リタイアだった。以後はレース参戦していないと思う。もったいないが。
優勝:片山義美/浅井順久 組/ロータリーデサントマーチ
2位:長谷見昌弘/星野一義 組/シビエアルピーヌ
関谷正徳/白鳥哲次 組/静マツ紫電
富士GCで使用していたクローズドコクピットのマシン・紫電を改造していた。
エブロ1/43ミニカー 紫電
小出光夫/新井ひろし 組/にったサバンナRX-3・S
J.スウィーニー/H.アダムチェック組/ポルシェ911RSR
高原敬武/従野孝司 組/伊太利屋マーチ
ル・マン式スタート 初めて見た
#9:猪原 理/佐々木 秀六 組/ロータリーシェブロン
レース中盤に最終コーナー付近で黒煙が上がった。
スタンドで観戦していたドルフィンと友人は猛ダッシュで現場まで走った(これが若さか!)。
#7:松本恵二/藤田直広 組/ダイヤトーンシェブロンが炎上したのだ。
ドライバーは松本選手。無事に脱出してた。
後の’83年WEC JAPANでもそうだが、松本選手の大事故には何度か出くわした。
同級生のお父さんがFISCOの役員をされていて(プログラムにも名前が載っていた)、レース終了間際にその友人と合流。パドックエリアに入れて頂けた。
コース上で行われた表彰式も近くで見させて頂けた。もうワクワクだ。
表彰式
優勝の浅井順久選手と片山義美選手
「優勝者当てクイズ」を的中。
GCでもロータリーが強い時期だったので、片山選手を選んだのだった。
当選者の中から協賛スポンサーが提供してくれた賞品を割り振られ、Tシャツが当たった。
しかし、次戦開催の際にFISCOまで取りに行かなくてはならなかったので、友人に頼んでお父さんに受け取って来て頂いたのだった。
2位の長谷見昌弘選手と星野一義選手
表彰式終了後、友人のお父さんの計らいで、星野一義選手のピットに伺うことが出来た。
さらにスポンサーの方から長谷見選手が着ているのと同じ「CIBIE・elf」のTシャツをプレゼントして頂けた。フリーサイズで子供には大きかったので、数年間保管。大きくなってから着まっくったのだった。残してあるかと思って探したが残っていなかった。
初めてお会いする星野一義選手
この当時には既に「日本一速い男」としてレース界のスーパースターだった。
初めてお会い出来て嬉しくてうれしくて大興奮。
初めて頂いた星野一義選手のサイン
この当時は冷房が効いたモーターホームなど無かったので、星野選手は夏場のレースで火照った体を❝裸でバイクに乗って❞冷やしていた。
友人から「星野選手はレース後、よく裸でバイクに乗っている」と聞いていたので「あ!やってる!!」と瞬時にカメラを向けたのだった。
帰りは友人のお父さんが車で家まで送ってくれた。
車内では子供3人でレースの話題で騒ぎっぱなしだった。

























